◇ あっという間に、3月も末になりました。2013年度も最終日です。
土曜日29日は、妻の甥の結婚式。東京・東郷神社です。結婚式・披露宴と長時間なので、朝、8時半過ぎの新幹線で上京。福島から我々夫婦と次女、仙台から長女と孫娘一人。総計5人。天気は良く、結婚式場の庭には桜もきれいです。原宿駅から、初めての竹下通り。これが竹下通りですか。
12時過ぎからの結婚式、そして2時過ぎからの披露宴。若者中心で、独創的なものです。大学時代の友人か、若い歓声で盛り上がっていました。新郎の親である義弟夫婦も幸せそう。最近は、告別式が続き、結婚披露宴から遠かったので、ちょっと躊躇い。振り返る人生もしみじみとしますが、白紙に描く人生の夢、どんな素敵な人生を歩むのでしょうか、夢一杯の二人を見ていると、こちらも嬉しくなります。
5時半頃まで続いたでしょうか。小学1年生の疲れも限界かなと思いますが、竹下通りでクレープをぺろりと平らげ、満足顔。急いで東京駅へ。福島までと仙台までと、一緒に乗車。帰宅は10時過ぎかな。疲れも出さず、頑張ったね。
昨日・日曜日30日。早朝、次女は孫娘との約束実行の為に出発。私はいわきでの合宿研究集会へ、新舞子ハイツへ。労働法・社会保障法分科会への出席。ゼミ卒業生の生活保護法の研究発表、南相馬の住民団体のAさんの実態報告も。夜は、夕食後、分科会ごとの懇親会。若い人が多くなりましたが、和気アイアイのいい雰囲気です。
今朝、朝食後、研究会の始まる前に、新舞子の浜を散策。海の広大さと、それ故に恐ろしさも感じます。スナップ写真をとり、Facebookへ。研究会は、最近の労働行政の分析、そしてドイツ労働法の報告。現実との格闘の姿勢に感銘します。
昼過ぎに中座して、金沢大学の先生方を、双葉町の仮庁舎(いわき南部)に送る。副町長さんからのヒアリングの予定とのこと。私は、コープふくしまのいわきセンターに寄り、センター長さんの説明を受け、施設見学。地域で奮闘しているコープの姿。頑張ってほしい。どんな援助ができるか。
帰りの磐越道は睡魔との闘い。何とか4時からの常任役員会に到着。しかし、会議も睡魔が消えない。休養が必要。
3月も最終日。予定目白押しの4月が待っているが、自分を失わないで、震災後4年目にしなければならないことに邁進しましょう。(3/31)<23470>
◇ 双葉町長を迎えての昨夜のフォーラムには、33人が参加しました。参加したいという希望が告げられながら、年度末の様々な会合で、残念ながら来れなかった方も少なくなかったようです。終了後、いつもの事務局メンバーを含む5人で、蕎麦屋で遅めの夕食。帰宅は10時半になってしまいました。
今日28日。9時半からコープの監査委員会への立ち会い。挨拶。帰宅後、本屋、電気屋、そしてフォーラム会場の日時変更のための手続き。同じところで墨彩画の展覧会をやっていたので見学。同じところで、夜間中学校の会の総会があるので参加を薦められたが、今日の処は資料をもらって帰宅。
今夕から、プロ野球の開幕。テレビ(BS)で、東北楽天と西武戦を観戦。田中なき後の前途は明るくないが、先発投手・則本が完投。2対1での勝利。前年の覇者の面目を保ったか。長いペナントレース、どうなるか。新しい戦力が活躍するチャンスを、昨年と同様、開いてほしい。大型選手はいないチームだが、一丸となって戦えば、何か光が見えてくるかも。プロ野球観戦の季節になったが、サッカーのJ3福島ユナイテッド。社会人リーグのコバルトーレ女川等、気になる。わずかな寄付だが、コバルトーレに送金した。スポーツが復興の推進車になることを期待して・・・(3/28)<23443>
◇ 昨日の26日は、午前中、国際交流協会の評議員会。議決必要事項はありましたが、震災時の外国人の状況など、有意義な議論ができました。市民の交流を丁寧に行うことの大切さは、最近の政府間の緊張関係をみると必要と思います。
午後は、妻の仕事の送迎後、懸案の事務処理をしてから、4時半頃、宮城・多賀城へ。姪の店で、孫の3歳の誕生祝。震災直後に生まれた最年少孫も3歳。時間の流れは速い。今後も孫が成長する度に、震災からの時間を振り返ることになるのでしょうか。ほとんど借り切りで、大人6人、子ども3人のパーティ。夜遅くまで騒いで、福島に着いたのは10時過ぎ。楽しいひと時でした。
今日27日は、夜のフォーラム(双葉町長)ですが、昼に映画を観てきました。「家路」。家族再生の物語ですが、復興の困難さを痛感させられます。(3/27)<23422>
◇ 今日、25日は大学の卒業式。何か別世界のようで、ネクタイもすることなく、散髪へ。春のような陽気で、気持ちも軽い。東京都心も開花宣言のようだ。そのせいか、昨夜の送別会のせいか、眠い。奄美大島の大島高校と京都の龍谷平安との高校野球を見ている。
確か、今日までに、福大(後期)の非常勤シラバスの締め切り(ネット)だと、開始したら、なんと25日締め切りではなく、15日だった。手帳に予定を書き写しているので始末が悪い。電話をして、新たなIDをいただいて、記入。以前の焼き直しなので、30分もかからないので、何で早くやっていなかったのかと反省。春のせいか、歳のせいか。書類提出の締め切りに余裕があると、つい油断してしまう。自分の脳のメモリーの性能が悪くなっているので、期間に余裕があっても、すぐに始末することが重要。そう心がけて来ていたのだが。
昨日24日・月曜日。コープで付き合いのある県の担当課長さんの転勤の挨拶に応対。専務・常務と打ち合わせをしてから、県議会の閉会式。長く続いた会期だが、何とか終わった。最終日は、採決ラッシュ。終了後、年度最後の委員会を行い、担当事務局長らが転任するので送別会。委員3人で、しばらく懇談し、自宅に着いたのは10時半。少し、ノンアルコールのビールを飲み過ぎたか、熟睡とならない。ラジオは65歳以上は6時間睡眠が平均とのこと。あまり長く寝すぎると、眠りが浅くなるそうだ。眠いのはそのせいか。(3/25)<23388>
◇ 彼岸の中日を挟む連休の3日間が過ぎた。
21日は、子どもたちからお祝い(?)の花が届く。結婚記念日だ。もう44年かな。思えば、随分経ったもんだ。
21日には午後から、「原発ノー・福島復興 春をよぶ文化と講演の集い」。原発事故3年を期しての集会。詩の朗読、講演、歌と盛りだくさん。コラッセふくしまの大会場で、120人ほどの集まり。シンガーソングライターの梅原司平さんの、「故郷」等の歌は感動的。本当に春をよぶ文化に相応しい。私の講演は、「原発事故から3年ー福島から求めること」がテーマ。被災3県の中での復興格差、そして市民協同による復興推進の意義。ふくしま復興支援フォーラムの取り組みの経験を紹介。東電・政府の復興責任を前提にしながら、住民本位の復興を支える市民協同の強調。なかなか「春をよぶ」ということはできないが、希望を見たいという本音。迫力ある詩及び歌との比較では、講演は少し迫力に欠けたかなと反省。
夕方、中心になった方々と懇親会。いろいろ地道に活動している話に感銘を受けた。
昨日22日の朝、自動車で女川へ。写真センターでの流出写真の探し出し。姉などの写真がなかなか集まらないので、まずは行ってみようと。昼前に着いて、検索方法を教えてもらいながら、短時間だが見る。娘が、加わってから、姉の住所地で拾得した束の中から、アルバムのものと思しき10枚ほどの関連写真。故人の物は少ないが、関係している者などの写真も出てきた。空しい作業ではあるが、生きていた証。対象が10万枚程なので、大変。
よく探し出す娘のFacebook。「どうせ見つからないだろ...と思いつつ、探し始めたら、なんと自分の写真を最初に発見( ゚д゚)...big baby(笑)その後も、祖父母の写真や行方不明の親戚の写真、子供の頃の賞状など続々見つかりました。もっと早く来ればよかった。思いのほか自分たちの写真が見つかるので苦笑いしながら、おばちゃんたちが大事にとっててくれたからだなぁーと思いました。そのおばちゃんの写真を探しに、もう一回行ってきます(^^)。」と。なるほど、本人のものが見つからなくても、写真を大切にされていたというのは嬉しいことです。
夜は、女川の小料理屋「花菖蒲」で夕食。なんと、同期生の精一君や、高政の役員の方々と同席。女川は狭い。大変な中だが、少し、住民に希望も出てきたかな?
今日、23日、写真探しを続けながら、昼飯は「岡清」の女川丼。やはり、美味美味。混むので開店の11時に到着。昼食後、竹の浦、尾浦(保福寺)、そして情報センターに。中心の方が、同級生の息子さんだって。ああ。狭い。嬉しくなりました。石巻の平塚君とコバルトーレ女川の試合を30分ほど見て、帰途に就く。2対0の段階での退場だが、結局7対1の大勝利。凄い励まし。
最後にお墓参りをして、塩竈の長女宅へ。孫たちとのスケジュール合わせができなかったので、余り交流が出来なかったが、元気。多賀城の姪の店「じゅげむ」に寄って、あとは一路福島へ。20時の帰宅。何とか大河ドラマに間に合いました。明日からは、年度末の事務処理。(3/23)<23365>
◇ 低気圧のせいで、天気は悪い。雨で始まったが、霙に変わった。水分を含んだ重い雪のため、自動車の運転はしにくい。
昨夜、ジャーナリストのIさんからの紹介で、フクシマをテーマにしたドキュメンタリー映画の監督と企画者と逢うことになった。
映画監督は、森康行さんで、いままでドキュメンタリー映画の「ビキニの海は忘れない」や「渡り川」の作品がある。また企画者は山下正寿先生で、高知の「幡多ゼミ」の顧問。高校生の平和ゼミナールを指導している。いま、フクシマの青春を映画化しようとしている。ドキュメンタリー映画『種まきうさぎ フクシマに向き合う青春』の製作である。既に、撮影は開始しているが、今年の秋には完成する予定のようだ。可能な範囲で協力したいと思うが、福島の現状を広く伝える場になればと思う。
「ビキニの海は忘れない」のDVDをいただいたが、ナレーターは吉永小百合。同学年のファンだが、山下先生も全く同学年(学校は異なるが)。吉永小百合と一緒の写真を宝物として持っていた。名刺の裏に、森監督と3人の写真を張り付けており、有難くいただいた。困難なこともあるのだろうが、若い人々への継続的指導、またドキュメンタリー映画の製作への夢を伺い、羨ましい。「ふくしま復興支援フォーラム」に関心を抱いてくれたが、頃合いを見て、報告をしていただくことしたい。ただ、ボランティアなので、無理強いはできないのだが。実現するとうれしい。(3/20)<23338>
◇ 18日(火)はふくしま復興支援フォーラムの日。第60回になった。大学の今井さんが発刊した『自治体再建』(ちくま新書)の内容を聴く。不定期日なので参加者の少なさを危惧したが、41名の参加。二重の住民票など、以前の「仮の町」の話しの時と連続しており、重要な問題提起。特に、帰還するか、しないかの二者択一的な選択が迫られている現状において、重要な選択肢か。これを複線的選択というのだろうか。法制度上の改訂が必要だが、重要な提起と思う。様々な感想文も出された。
今日の水曜日。明後日の話のレジメを、急いで昼前に送り、コープ本部へ。店長など幹部研修講座の特別講座の講師で来てくれた、みやぎ生協専務の宮本さん(コープ東北理事長)を囲んで昼食。新潟及び青森のコープ幹部も一緒に懇談。宮本さんの話は、東北コープ、事業連合の動きと展望を指し示すもの。「協同組合」の理念を大切にしながら、競争の激しい商戦に向かう。前向きの展望ある話に関心。やはり希望が必要。東北全体の研究者の協働と、コープの協働をタイアップできないものか。東北の力を掘り起こす必要性は、事業活動だけでなく、研究活動もあると思うのだが・・・。
一旦帰宅し、夕方の実行委員会に出席。8月の全国的な科学者の集会を福島で開催とのこと。核兵器や原発がテーマだから、福島の地は、それなりの意味があるが。ただ、両者の有機的関連性を詰めることが必要。それにしても支える現地の力が弱い。地元の力に比して、求められる対応が多すぎるのだろうか。妻は、懇親会なので、帰途、コープで軽食を買い、夕食とする。(3/19)<23324>
◇ 3月17日は実母の命日。女川では、「立つ日」(たづび)とよんでいた。1967年3月のことだ。47年も前のこと。享年49歳(満で48歳)。余りにも若すぎた。今の48歳等は、姪などの年齢。何かにつけて、この日に結び付ける。津波で犠牲になった実姉は、震災直後に生まれた私の三番目の孫の誕生を心待ちにしていたが、多分17日だねと言いながら、確認することなく逝った。
震災も3年が過ぎると、女川でも受け取り手のない写真が、センターには未だ多いという。在住の親戚の者が確認しているはずと思いつつ、来る彼岸のあたりに、探しに行ってみようかとも思う。受け取られない写真が、まだ待っているかもしれないと・・。
午前、県産大豆を原料にした大豆料理のセミナー。こんなにも香ばしくつくれるものかと感心。湯葉など気に入ったが、もっと料理としてもアピールしてもいいのではと思う。健康にもよさそうだし。
午後、コープを訪ねてきた銀行の方と歓談。福島の出身で、福島大の出身。転勤で福島へ。単身赴任というが、故郷への思いも強い。是非、ふくしま復興のためのいい仕事をして欲しい。
夕方、コープの常任役員会。前年度比で増益は確かだが、増収にも何とかなりそう。消費税値上げ前の駆け込み需要か。一過性ではなく、堅実な経営に結びつける必要があろう。(3/17)<23299>
◇ 日曜日。一日中、自宅におりました。話をしなければ内容が、なかなかまとまりません。(BR>
テレビで、阪神淡路大震災の3年後、奥尻島地震の3年後、新潟中越の3年後について、まとめ報道をしていました。またEテレで、原発事故3年、放射能と格闘する人々の特集。福島市の保育園の様子も出てきましたが、安斎先生が最初に尋ねた時に、偶然、私も同席したことを思い出しました。日々、今でも格闘している姿が報道されていました。
夜のNHKスペシャル「メルトダウン最新情報」。最近になってわかったデータが出てきたが、ベントの際の放射能大放出の問題。事故調査が十分になされないまま、再稼働の動きが出ている事に危険さを感じます。
青森から自動車で帰る娘が、自動車道の通行止めで下道の渋滞で困惑している連絡が来るなど、家にいながらハラハラでした。何とか無事に到着したようです。
注目の大相撲、遠藤が全勝・大砂嵐を破りましたが、どこまで伸びるでしょうか。楽天のオープン戦は引き分け、地元J3加入・福島ユナイテッドは初のホーム試合。残念ながら2対0で盛岡に敗れ、開幕2連敗。もっとサポート体制の強化が必要では。スポーツの季節になってきました。(3/16)<23284>
◇ 金曜日は、午前中、JA新ふくしまの合併20周年式典に参加。
午後、確定申告の関係書類をもらいに協会けんぽの事務所に立ち寄る。健康保険の2年間自動延期もこの3月末で切れる。4月からは国民健康保険となる。
第9回のコープふくしまの定例理事会。6月の総代会に向けて、総括と方針確立の課題。
今日・土曜日は、病院への定期診察。数値の改善が見られず、相当な努力が必要。病院からの帰途、確定申告書を税務署前のポストに投函。いろいろ指摘されそうだが、まずはホッとして、次の仕事に。夕方、久しぶりに本屋まで徒歩。7000歩の運動。(3/15)<23275>
◇ また天候は崩れつつある。困った空模様である。春はまだ遠いのか?
朝一番に、介護施設に義母を見舞い、午前中の県議会委員会の会議に同席。事務幹部が、対応してくれるので特段のことはないが、来年度の予算案及び一般的事項の質問。ほとんどの県議会常任委員会が同時に開催し、幹部職員が、それに対応しているので大変。県職員にとっては、議会開会中は緊張の期間。
午後は、定例の委員会。年度替えのための膨大な案件があり、それを過ぎると新しい体制で、新年度を迎えることになる。(3/13)<23251>
◇ 午前、福島大での研究打ち合わせのため金谷川へ。昼に打ち切って、昼食を松川の仮設(飯舘村から避難された方々)に開店した、ラーメン屋へ。なかなかいい味で、繁華街でも通用しそう。隣の集会室でやっていた「クッキー焼き」の教室。お母さんたちが大勢集まっている。各居住空間は、快適とは言えないが、皆が集まり、笑声も多い。
この仮設に住んでいる方々が、大雪の中、近くの国道4号に渋滞していたドライバーに、おにぎりの差し入れをしたことは、大きな感動をもって受け取られた。飯舘村の方々は、皆さんからの支援に対するお返しという気持ちだったが、ドライバーのなかには、もったいなくて断ったとの話も。人間同士の絆、困った者同士の連帯に改めて感動。
大学に戻り、4時からの本宮市での情報公開等審査会へ。審査事項はないが、年に1回、関連情報の報告を受ける。担当の若い職員が、福島大行政の卒業生で、つい最近就職したばかり。今度、彼のゼミの先生が報告してくれる、「フォーラム」への勧誘。意欲的な若い職員が協働してくれることに期待。
確定申告の最後の詰め。いつものことだが、何時までも苦手。収入になることを止めればいいのかも知れないが、それは生きることを止める事かも。「生きること」は面倒なこと、それを解きほぐすのは生きることかも。(3/12)<23235>
◇ 東日本大震災から満3年の日。全国でも、慰霊の集いが繰り広げられている。
来月の<第2回「原発と人権」全国研究交流集会in福島>の後援を依頼に、地元の2紙を訪問。現地の実行委員として、A弁護士とともに行ってきました。4月5-6日、福島大学を会場に開催されます。柳田邦男さんの講演、ミシェル・プリウール(フランス・リモージュ大学名誉教授)の講演など、充実した集会になることを期待しています。
昼前、仙台へ。みやぎ生協の「3.11東日本大震災を忘れないつどい」、そして「つながろう CO・OPアクション交流会」。全国から250名ほどの参加、そして懇親会。コープおきなわの副理事長さんや、コープこーべの理事さんらと懇談ができました。余興で民謡を披露した瑞穂あけみさん。石巻コミュニティ放送のパーソナリティだが、女川出身の師匠の話をしていたので女川かと思い聞いてみると、北上町(飯野川)だそうだ。
関西でも、多くの人が心を痛めているという強調もされ、風化、関心が薄れていると勝手に決めつけることからは、何も生み出さない。一人でも支援してくれる方々を、いかなる地域にいようと大切にしないと。甘え、他力依存からは脱却していかないと・・・。(3/11)<23216>
◇ 昨日・日曜日の午後、福島グリーンパレスで、『ふくしま復興を考える県民シンポジウム』が、福島県と福島大学の主催で開催され、出席しました。内堀副知事と中井センター長の基調講演、地元紙記者二人からの情勢報告の後、パネルディスカッション「これからの福島復興をどう進めるか」(城本NHK解説委員をコーディネーターに、熊谷現地対策副本部長、内堀副知事、桜井南相馬市長、遠藤川内村長、横田NPO理事長、丹波福大准教授がパネリスト)が行われました。多数の参加者ですが、個々人の問題として、復興の問題を自らのこととしてとらえ直し、積極的な復興への参加が、いまこそ求められている時はないでしょう。震災後3年。復興に向けた行政とともに、個人・個人集団の主体的役割を、特に感じました。
震災・原発災害は、自治体自体の喪失の危険とともに、何よりも個人の生活の喪失。帰還希望者の割合は気にかかることですが、それはやはり団体としての自治体の利益の復興。住んでいた住民の生活の復興は、団体の復興と、ほぼ一体のものだが、微妙に異なる。選択の自由が前提になる。「個人」による復興参画の観点を貫くとどうなるのか。
月曜日の今日。コープの朝礼。震災3年を明日に控え、復興の遅滞と原発再稼働の動き、そしてエネルギー計画。行政依存から脱却して市民的復興の協働を話す。書類を作り、一旦、帰宅し。午後の県議会へ。委員会に付託していた議案の本会議での採決。この2月議会は、補正予算、来年度予算編成が主だが、大規模な予算編成の復興予算、個人の生活の復興に直結すればいいのだが。
短時間の会議を経て、再度帰宅、夕方のコープ常任役員会へ。自宅とコープと県庁の間を行きつ戻りつ。3月は年度末、何かと落ち着かない。(3/10)<23202>
◇ 土曜日。朝起きたら吹雪いていたが、しばらくして日差しもさす。
震災3年経っての様々な集いはあるが、体調改善せず、自宅で静養。外には行かないが、自宅でやるべきことは進んでいない(非常勤のシラバス作成、税金の確定申告書の作成、講演の準備等)。しかし、手につかず、残している新聞切抜き。
午後、義母の施設に寄って、買い物。帰宅後、テレビで映画。2時からの「隠し剣 鬼の爪」。そして6時50分からの「男はつらいよ」。山田映画で寛ぐ(炬燵から顔を出して)。
仙台の従妹から、多賀城に店を出している姪の記事が載り、両親と妹を失った思い出をつづっているとの連絡。河北新報の記事を確認し、長女がコンビニで新聞紙を買ってきたという。3年目が近づくと記事が多くなるが、我が家もその対象となっていると思うと・・・・。明日からは再起しよう。(3/8)<23169>
◇ 改善しつつあるも、体調は今一つ。風邪と花粉症の合体か。本当に歳だね。
昨日・6日(木)は、午前中に労働局へ。労働審議会の会長を12年間務めたということで、厚生労働大臣から感謝状をいただくことになった。労働局長からの伝達。地方労働行政への寄与・貢献とは云われるが、そんな充実感や達成感はない。有難くいただくことにしたが、福島の労働者の条件改善に少しでも役に立てたろうかとの反省しきり。
夕方のフォーラム(59回)の印刷などの準備をして、義母の施設へ寄る。寒さが身に染みるが、会場へ。報告者は、(株)マツバヤの社長さんの松原茂さん。浪江の創業80年の老舗。原発事故避難の中で、いかに再建しようとしているのか、その前向きな挑戦に感動する。松原茂さんとは、コープマートあだたら店(二本松)に入居、リニューアル開店したときに話ができ、そのうちにとお願いしていました、ようやく実現して嬉しい。
今日は、午前中に、県議会の総務委員会に出席し、関連する事項についての説明。事務局の皆さんから報告していただくので、気分的には楽だが、それなりの緊張感。2時間ほどの空きがあったが、体調不良もあり、事務局で静かに休んでいました。13時30分からの委員会。1時間程で終了しましたが、早めの帰宅。何とか体調回復に務めましょう。(3/7)<23155>
◇ いろいろあって、かつ体調不良のため、この日記の更新も2日抜けてしまいました。
3日・月曜日は、朝早くから予約していた人間ドックに。大きな検査は、月曜日の「大腸カメラ」と翌日の「胃カメラ」。
大腸カメラは腸の中を空っぽにしなければならないので、前日から検査食。下剤も使いながら空っぽにするのですが、結局、病院に入ってからも昼まで待機。そう簡単ではありません。昼頃、順番が来て、検査台へ。すぐに先生から説明があり、12か月の経過観察から24カ月の経過観察へ。来年は必要ないだろうということ。老人だからあまり進行しないだろうということかもしれない。普通の昼食・うどんでしたが、美味しかった。
検査によって体力は消耗したせいか、寝具が不適だったせいか、よく眠れない。そういう身体的なものもあるが、昨年10月に他界した臼井さんのことを思い出していました。よく、この人間ドックで一緒になりました。彼もいないのかと思うと、何か寂しい。
翌日4日・火曜日。午前中絶食で、胃カメラ。安定剤を使用するので、喉に入ったか入らなうちに意識不明。1時間ほどで目が覚めて、昼食を済ませ帰宅。結局、タクシー会社に頼んで、私の車を運んでもらった。風邪を引いたのか、花粉症なのか、ボーとしている。具合が悪い。翌日は、山形県庁に行かなければならない。その準備が済んでいない。仕方がない、早めに就寝。しかし、2時間おきくらいに目が覚める。
今日・5日(水)は、山形県庁・労働委員会の判例研究会。公益・労働・使用者三者の委員による勉強会。東北では珍しい意欲的な取り組み。北海道で、道幸さんの影響だろうと思うが、かなり勉強会を重ねている。山形もそれを見習っているのだろう。山形は、結構、労働法の学習の機会が県民向けにも開かれている。私は、チューターのような役割だが、改めて勉強になる。委員三者の議論も、相互の信頼関係にあるようで、気持ちがいい。昨年度と2年目だが、更に張ってして欲しい。
花粉症で鼻水が止まらない。山形駅で高級なティシュの箱を購入して、それを持参して、何とか2時間半の研究会を終えた。18時10分発の新幹線で福島へ。早く体調を回復しないと。(3/5)<23135>
◇ 小雨の日曜日。雪に変わりそうですが、そうでもない。
毎年のドックに備えて、今日一日中検査食。何か、力が出ない。1年に1回は、義務だと思っているが、毎年、経過観察や要精検のみが増えていく。
午後は、街中に所用があり出かける。雪の除雪・運搬は、だいぶ進んだが、なかなか大変そう。
ウクライナの政変との絡みで、ロシアの軍事介入の危惧。チェコ進撃事件を思い出したが、それ以降の国際政治の力が試されている。平和的な解決を望んでいる。(3/2)<23089>
◇ 今日から3月です。素早く2月は去って行きました。12分の2、今年の6分の1が終わりました。今年やるべきことは進んでいないが、さあ、頑張りましょう。
好天の土曜日になりましたが、午前中、介護施設に義母を見舞い、その足で飯坂温泉の旧堀切邸に参りました。雛祭りが近いので、吊り雛等を集めて飾り、多くの市民が見に来てました。どちらかというと熟年女性が多いのですが、華やいだ気持ちになります。避難している浪江町の方々の出品もありました。被災・避難の中ですが、和やかな空気が流れていました。飯坂婦人会の皆さんからお茶をいただきました。丁度、床の間には、高校時代の友人・書家である加藤豊仭さんの掛け軸も、改めて鑑賞。彼は、毎週、この施設で書道の指導をしています。
午後、市街地で行われた「原発ADRに関する研究会」に出てきました。原賠ADRでは、原発被害の損害賠償の問題で、中立・公正な立場の仲介委員(弁護士)が、円滑な解決を目指している。原子力損害賠償紛争解決センター福島事務所の所長の浅井嗣夫弁護士から、その活動状況や和解事例について詳細な報告をいただきました。主催は、福島大学行政政策学類法学専攻。大学の法学研究者、実務家(弁護士・司法書士・司法修習生)が参加していました。住民の損害賠償(生活)要求を、訴訟によらず、専門家の援助で解決しようとするもの。制度がかなり利用されてきているが、ADRというシステムについての意義を分析しておく必要があろうと思う。
研究会後、飲食店で懇親。久しぶりに会えた弁護士さんと歓談。(3/1)<23071>
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