日 記

(2014年5月)


<今野順夫の部屋>

◇ 5月も最終日になりました。
 昨日の金曜日は、自宅で講義などの後始末等。午後、フォーラムの報告者のお願いで、老人施設協議会のTさんにお願いに行く。現場の老人施設での避難の取り組み、そして今後の課題を話してもらいたいとお願い。快諾をいただいた。9月の上旬だが楽しみである。
 帰り道、県立図書館に寄って、ちひろ美術館の絵本コレクションの展示。ちひろ美術館が集めた世界の絵本の原画である。岩崎ちひろの物自体は、5分の1くらいのような気もするが、やはり見慣れているのかいつ見てもいい。子どもが小さい頃から、この愛くるしい絵に心が洗われた。東京と長野安曇野の美術館をいつか見てみたい。

 今日の土曜日、朝、JA新ふくしま前でのTPP問題での集会に参加。関連団体として、意見表明を求められた。なかなか詳しい勉強をしていないので、戸惑ったが、仕方がない。1時間ほどの行進。炎天下で大変だったが、1000人以上の集会である。デモをしたのは久しぶり。やはり、足は劣っている。
 一旦帰宅し、昼食を済ませ、退職教職員の9条の会主催の憲法講演会。明治大学の山田朗先生。近代史の専門家なので、解釈論ではなく。東アジアの中国や韓国の脅威論を歴史的視野から取り上げていた。明日の蓬莱で話さなければならない憲法の話。種を仕入れに行ったのだが、そう簡単ではないと反省。まあ、実力以上にはできないので、自分に似合わないことはしないで、オーソドックスに話すしかない。面白くはなさそう。それにしても、憲法の話は、歴史家。政治学者、経済学者、旧外交官など、それぞれ面白い。法律関係は、近いせいか面白くはない。法律研究者で一般に面白い話をできるのは、一流だと思う。三流は三流なりの面白さを追求したいとものだ。(5/31)<24187>


◇ 午前中は、コープの郡山の組合員の皆さんの憲法学習会に参加。30分の話ということで、何を重点にするか悩んだが、憲法改正の出発点としての「押しつけ憲法」論について、話す。合わせて、集団的自衛権のついて、最近の動きについて触れる。1時間以上にわたってディスカッション。どうするか、何をすればいいのか、難しい問題だが、基本は学習の輪を広げ、あらゆる機会を通じて憲法問題を訴えていくということか。マスコミについて、教育について、様々な論点が出て有意義でした。こうした勉強会がもたれたことは画期的。私にとっては、郡山周辺の組合員さんと直接、話ができたことが嬉しかった。平和な家庭生活を守るためにも、重視して取り組みたいところ。
 終了後、郡山の組合活動の拠点によって、炊き込みご飯などを美味しくいただく。やはり女性が中心なので、こういうことが可能なのだと感心する。

 高速を引き返し、自宅によって、3時半からの県の委員会への参加。5時過ぎまで熱心な議論。夜は、駅近く料理店で、遅かったが、4月に転任してきた方々の歓迎会。先週の精神科の先生方との懇親会と同じ店なので、女将さんに逢うのは気恥かしい。終了後、いつものように委員のみで喫茶店で談笑。(5/29)<24169>


◇ 5月の月末になるというのに、調子が今一つ。どうも日記も3日遅れどころか、4日遅れ。何とか取り戻したいですね。
 24日―25日は、大阪での学会の予定でしたが、何かファイトが出ません。現職の方に、旅費は出ますかと聞かれて、そうか、すべて身銭を切っていかなければならないんだと思うと、自分の立場見えていないことに反省。土曜日は、孫娘の小学校の運動会。前日、精神的に不安定だったようですが、何とか当日は頑張り、徒競走もリレーもトップとか。我が方の血筋ではないねと妻と同意見。翌日、本人から電話がきました。近くにいれば、一緒に歓声をあげるのですが・・。日曜日は、終日、宅勤。憲法改正の勉強をしていました。
 月曜日、午後、往診の日でもあり、邪魔にならないようにコープへ。木曜日の日曜日の憲法改正の話のレジメづくり。夕方、常任役員会。早めに終わりました。6時過ぎてもまだ明るい。
 火曜日、ケアマネさんの来訪。大人しく宅勤。木曜日のコープ学習会のレジュメを印刷し、日曜日の講演のレジュメを主催者に届ける。携帯を持たない方なので、うまく逢うのが難しい。携帯に慣れた生活をしていると、上手く合わせられない。大学時代の知人から、懇切丁寧な現状報告等のはがきをいただいたが、メールでお礼を言おうと思っても、アドレスがない。同じようにはがきを書かなければならないのだろうか。最近のはがきは、出欠をお知らせする連絡用だけなので、難しい。デジタル生活に慣れて、普通の生活ができなくなっているのかなと反省。
 夜、女川の団地で小熊が徘徊しているとの町内放送があったらしい。心配していたが、今日になって、アナグマだとのこと。まあ、目撃情報なので、熊のいないところでも異常行動があるかもしれないので、用心は必要。
 今日は、会津若松の非常勤。昨夜は、レジュメに追われて、肝心の講義準備をしていないことに気づき、結局2時頃の就寝。さすが、帰りは眠く、五百川PAで仮眠。何とか自宅に辿り着きました。東北楽天の星野監督が病気休職。監督代行での巨人戦。テレビ観戦、4対0で勝利。則本の9回完投・完封勝ちです。何とか勢いを取り戻してほしいが。久しぶりの爽やかな勝利。気分よく熟睡できるでしょう。(5/28)<24152>


◇ 土曜日の午前中。快晴の日和です。孫娘が運動会の日らしく、母親のフェースブックで知りました。救急の仕事と母親業。綱わたりのような大変な状況ですが、何か援助もできず、悶々としています。忙しかった週だったせいか、疲れと腰痛、風邪のような症状も出て、ファイトが出ません。何とか、正常化を第一に。運動会ぐらいしか出番がない爺さんですが、楽しい運動会であることを期待しています。
 昨日・金曜日(23日)は、コープふくしまの定例理事会。月に1回の会合です。6月19日の第20回通常総代会に向けて準備が急ピッチです。夜は、NPO法人精神疾患死後脳・DNAバンクの方々と懇親会。ほとんどが精神科医のみなさん。このNPO法人(福島ブレインバンク)は、系統的な精神疾患脳バンクで、全国に先駆けて設立されたものです。患者の「良い治療法を開発してほしい」との願いもあり、この分野の研究の発展が期待されます。医学には無関係な人文系の人間ですが、その立場から協力することにしています。10人ほどの集まりでしたが、昔のゼミの飲み会を思い出すような、いい雰囲気の集まりでした。帰宅は10時を過ぎました。(5/24)<24101>


◇ 就寝する前に、一日を反省して書くことの余裕がなくなっています。書き始めるのは12時過ぎで、それまで翌日の準備ができないでいる。「反省」などと程遠い。猿だって「反省」しているのに。(笑)
 火曜日(20日)。終日、宅勤のはずですが、翌日の会津での講義の準備、そしてフォーラムの準備(印刷)等で、終了。朝から、腰痛。前日の持ち上げ姿勢が悪かったかな。
 水曜日(21日)。会津若松へ。雨の中、ドライブもあまり楽しくない。講義に対する注文もあるので、何とか対応しようとするが、なかなか上手くいかない。先生が常識だと思うことが学生には常識でないと言われると、途方にくれる。準備も不十分だが、講義が乗らない。
 4時過ぎに帰宅し、夜の第66回のフォーラム。坪倉医師が、南相馬からの帰り、時間を取ってくれた。52人の参加者で盛況。子供たちの自信をいかに取り戻すか、孤立感をなくすか、身体的問題とともに、心理的問題解決が課題とも思える。手弁当で有難い。
 東京新聞の記事に、フォーラムの紹介を出してくれて有難い。100回までは、もう少し道のりがあるが。
 今日・木曜日(22日)。コープいわきの委員さんたちの憲法の勉強会にでるために、いわき中央台公民館へ。9時半にいわき中央のICで待ち合わせ。ギリギリ間にあう。高速は予定通りだが、アクセスで戸惑った。なんとか、12時頃まで勉強会。もう少し、絞りながら話さないとと思う。終了後、楢葉町から避難している子供たちのための仮設の子ども園に、コープ群馬から頼まれたヘチマや綿の苗を持って行く。子どもたちが明るく迎えてくれた。コープの力は、こうした組合員の相互援助や全国ネットワークが頼みの綱だなと思う。
 こども園から、広野町役場に向かって北上。いったんは全町避難だったが、ほどなく解除。戻ってもいいのだが、いわきの仮設などから戻ったのは3割。ここでは高線量だけではない。いわきの便利さを享受して、戸惑いがまだまだ消えていないのかも。いずれにしろ、訪ねたことのない役場なので、復興計画書だけでも貰おうと思って、アポイントもなく立ち寄る。フォーラムの講演依頼もある。生憎、町長は不在だったが、県から派遣されている方が、丁寧に説明してくれた。コープの活動への期待もあるようだが、少し研究をしてみたい町だ。睡眠不足、早朝からのドライブ、睡魔と闘いながら、途中で仮眠して、6時前に自宅。(5/22)<24083>


◇ 一日一日が過ぎるのが早く感じます。土曜日(17日)は、復興支援を行っている「ふくしま復興共同センター」の総会での講演。二本松市の会場ですが、「震災・原発事故から3年ー福島県の今後に求められているもの」がテーマです。連日、復興のために奮闘している諸団体の代表者たちですから、どうも分かり切っていることを話すのは、気がひけます。しかし、それほど独自の論点があるわけでもありません。60分ほどの話ですが、やはり相手に応じて、問題提起型の方が良かったなと反省。まあ、ゼミの報告のように考えれば良かったのかも。まあ、ホッとして帰ってきました。長女の誕生日です。メールでのお祝い。
 日曜日(18日)は、宅勤。整理できなくている雑務の処理。非常勤の短大の感想文を読みながら、もっと講義にメリハリをつける必要があると感じます。ここでも、いつも同じ調子でなく、相手の関心に合わせて授業を行うことが重要。当たり前ですが、聴講者の事前分析の不足を感じます。21日のフォーラムで報告してもらう坪倉先生が、朝日新聞のグル―バルに紹介記事。楽しみにしているが、遠いこともあり事前連絡が上手く取れていない。間に合えば、何とかなるのでしょうが。
 いまは、月曜日の早朝。県の仕事と、コープの定例会に出かけます。少々肌寒いですが、空は五月晴れです。(5/19)<24045>


◇ 昨夜は、フォーラム終了後、9時半頃からでしょうか、遅めの夕食兼懇親会。話が盛り上がって、12時過ぎてしまいました。自動車を取りに行って、結局帰宅は、午前1時。私にしては、珍しい。
 今日は、特になかったのですが、昨夜のフォーラムの後始末。感想文をブログにアップしながら、参加者並びに会計を整理。明日・土曜日の講演の準備をしなければなりませんが、以前の同じテーマの内容を超えることは難しい。
 夕方、主催者に印刷のための資料を持参、また昨夜の報告者M先生と、短時間だが懇談。その後、約束していた放送局のNさんと喫茶店で話。帰宅して夕飯をすませたら、炬燵で居眠り。急に冷えてきたので、眠くなったのか、昨夜の疲れか。あまり無理ができない年頃です。(5/16)<24025>


◇ また、あっという間に3,4日経ってしまいました。日記ではなくなりつつあります。三日記から。本来、三日坊主ですが、三日経つと思いだすというのとは違うかな。一階のこたつの上にあったノートパソコンが不調で、触りたくなくなったのと、二階の書斎?の机に、なかなか辿り着かないか、辿り着いても、翌日の講義の準備などが優先され、気がついたときには深夜1時近いというタイミングの問題があります。こうした怠惰な生活を脱したいものです。
 今日、午後から、退職者の会の役員会、そして夜は第65回のふくしま復興支援フォーラム。友人の松野さんが、大宮から来ていただいて、飯舘村の話をします。午前中は、この日記を書いたら、散髪にでもいってきましようか。

 月曜日(12日)は、コープの5月の朝礼会(本部職員が主ですが)。段々、人数が少なくなってきましたが、忙しいのでしょう。組合員の平和な生活を守る観点から、最近の憲法改正動向について話しました。集団的自衛権をめぐる憲法解釈問題が出てきて、今日15日に首相に対する報告書が提出されるとのこと。ただ、憲法改正の動きに対する市民の危機感も上がっていて、私の知る所でも、5月3日の憲法の集いには、120人の定員の所に160人の参加、憲法九条の会の憲法塾(山田舜先生の話)にも、満杯の参加者、そして10日のコープ平和委員会での戦時中の女学生の動員の体験談に、予想以上の組合員が集まりました。憲法は、空気のように存続すると思っていたら、変えられるかもしれないという危機感が強くなってきているのだと思います。組合員の生活を、消費税のような経済的な面での運動とともに、平和・安全な生活を守ることの重要性を感じます。
 午後、訪問診療もあり、邪魔になるので、コープの役員室で雑務処理と夕方の常任役員会。6月の総代会に向けて、着々と進んでいます。

 第二火曜日(13日)は、行く予定の理髪店が休業。午後から、約束していた新聞記者の取材。東京の新聞ですが、ふくしま復興支援フォーラムの紹介。長時間、歓談しました。最近のマスコミ界の状況も含めて。
 昨日・水曜日(14日)は、東北道―磐越道を通って会津短大の非常勤。前夜、夜中に準備をしていたのですが、なかなか調子が上がりません。終了後、自宅に戻って、デイサービスからのお迎え。妻が仕事から帰ってくるのを待って、田村市へ。また東北道から磐越道をいわき方面へ。震災関連死の審査会。帰宅は9時半。

 車で、遠藤の金星を聴き、東北楽天の敗北を聴き、一喜一憂しながらのドライブです。それにしても、マンガ「美味んぼ」をめぐる動き、身近な人間についてのマスコミ報道。心が痛みます。先日、記者から「安全神話」と「危険神話」の話を聞いて、なるほどと思っています。安全神話が具体的に崩れても、その影響は少ないが、危険神話が崩れるとその影響は大きい。危険神話が崩れると、いままでのはすべて嘘で、安全だということになる。福島の現状は、どうなのか。「危険」の一角が崩れると、すべての危険が否定されかねない。どの程度の危険かリアルに見ながら、危険を認識しつつ、復興への努力を励ますことが重要だと思うのですが。危険ではないからと、それに対する対策をネグレクトする危険を感じます。現地発信の難しさを感じます。(5/15)<24011>


◇ あっという間に日が過ぎてしまいました。今日は月命日。震災から3年2カ月になりました。

 木曜日(8日)は、朝9時半〜のコープふくしまの年度最終の監事会に出席。途中、休憩を挟んで午後3時過ぎまで。帳簿を突き合わせながらの監査です。6月の総代会に向けての監事会です。様々な指摘も受けて、適正な会計および業務の改善に向けることになります。大学にも監事がおり、また専門の監査会社からの指摘がありましたが、業務・目的が違うと、またそれぞれと感じます。
 フォーラムのためのパソコンを大学まで返しに行き、帰りは松川無罪判決確定のシンポジウムの際の私の発言の文章が求められたので、半年以上も前だし、メモも見つからないので、録音したCDを借りに立ち寄る。終わると、すっかり忘れるというのは、認知症気味かな?
 夜は、古い料亭での高齢者中心の仙台の同窓有志の懇親会。皆さん、お元気です。翌日の女川行き。連絡先の住所を確かめようとして、スマホの住所録を開くと、docomo住所録関係の中身が開かない。パニックになったが、最低限の女川での連絡先を手繰り寄せて、まあ何とか誤魔かす。住所録だけの不具合なので、番号が分かれば支障はない。

 金曜日(9日)の朝、女川に向けて出発。渋滞も無く順調な走り。女川に入って、まずマリンパルで、女川の有志のバンドのCDを購入。津波で中国人実習生全員を助けながら犠牲となった佐藤さんの慰霊のCD。まずは、早めの昼食を「おかせい」で女川丼を食す。お世話になった方のお見舞いに行くつもりで、電話連絡したら、奥様も石巻で看病しているとのこと。息子さんのところに立ち寄って、心ばかりの見舞いの品を届ける。
 女川のつながる図書館への寄付をいただいたFさんが、見学に見えられるというので、お礼の挨拶。紹介し、同行した昭和女子大学のK先生等も含め懇談。2時間ほどの懇談後、約束していた東北大のフィールドセンターのSさんを訪ねる。津波でほぼ壊滅的ななった、農学部の「水産試験場」。5階建ての楕円形の建物が完成しつつある。海や魚の実験・研究であるが、女川の子どもたちの海や魚についての勉強に刺激を与えるものになり、図書館とのコラボができればと夢見ている。中学時代の恩師O先生は、この試験場で研究され、一時、中学の理科の教師として指導をしていただいた。定年時には東北大の教授として、定年退職のお祝いの際には、画家のSさん(3学年上)もご一緒できたということから、O先生をひたちなか市まで共に訪ねることができた。

 宿泊先のエルファロに入る前に、役場前に事務所を構える会社の代表Sさんを訪ねる。以前から、竹浦での住民主体の復興作業の中心的な存在である。離半島の復興の困難さを感じていたが、竹浦は、高台を自ら構想し、また住民をつなぐ獅子舞の行事などを続けている。海外での勉学、そして市役所での実践、地域でのまとめ役、新潟中越・山古志村などへの自主的な視察、全国的な専門家集団との連携。小さい集落ながら、その主体的な取り組みに驚く。どんどん、重機がフル稼働して山も削られているが、それに眼を奪われることなく、竹浦の自主的な動きは、研究的価値も大きい。やはり、人が肝心だなと改めて思う。こうした人物を抱える女川は、捨てたものではない。

 エルファロでの宿泊は、家族と3人で昨年4月宿泊してから、今度は2回目だが1人。80人位の収容人数だったのが130人とか。ゴールデンウィークは、朝食だけで120人とか。周りは造成中だが、さぞかし津波の被害を忘れたような雰囲気だったのだろう。土曜日(10日)の朝食を済ませ、コーヒーのサービスをしている、開店準備中のエルファロ内喫茶店に立ち寄る。世話をしているひとりの青年。Facebookで紹介していた青年かなと聴いたら図星。なんと、福大の大学院(地域政策)の1年次生。びっくり。彼は、殆ど女川に住みながら福島に通っており、女川でのコミュニティ形成の研究がテーマだが、先生方に女川の研究というと、私の話題をしていたらしく、偶然にも逢えて、双方びっくり。何か嬉しくなる。
 帰途、マリンパルに立ち寄って、「ほや祭り」を覗く。私の小学校以来の親友(仙台在住)Y君の甥御さんが経営している魚店にも寄り、歓談。(彼の店は、ほやを扱っていなかったので、忙しくはなかった)。10時開始の祭りだが、立ち寄った9時半には満車状態。閑散としているよりは大いに嬉しい。こうした風景を見ていると女川は息を吹き返してきたかなと思う。

 女川のCDをかけながらの帰路。「女川で生まれ、女川で育った俺たちは、これからも女川で頑張る?」というリフレインがいい。12時に帰宅して、昼食を済ませ、1時半からのコープふくしま平和委員会の取り組みに参加。ホールは一杯だが、男性は私一人。戦前、女学校から動員され、横須賀で働かせられた時の思いなどの朗読。昭和21年の卒業の6人(85歳?)が、当時の思いのまま、切々と訴えた。本当に戦争の悲惨さは、戦場のみならず、14‐15歳の女子学生に、女工哀史並の労働を強いる戦争の悲惨さを教えてくれる。最後に憲法改正の動向を話せといわれて、押しつけ憲法論や集団的自衛権について話したが、人生の一番輝いている高校生時代の青春を奪われた心境をつづる朗読とは、事実の重みが違う。
 終了後、携帯電話のことでドコモショップに寄ったが、2時間ほどかかったが、原因が不明で対処療法も見つからないので、結局、スマホの機種を替えることにした。2年4カ月ほど過ぎているので、若者みたいな早期機種替え。まっ、いいとするか。

 日曜日の今日(11日)。午後から、県九条の会主催の「憲法塾」を拝聴しに行く。今日は、元学長の山田舜先生の話。広島で被爆し、福島で被曝するという二重の被ばくの体験者である。「国民の平和的生存権と国家の戦争放棄、国民の社会的生存権と国家の原発禁止」がテーマ。実体験の重みを痛感。80代の後半だったろうか、昨日の85歳の6人の元女子高校生の話。こうした若い時であっても戦争の実体験者を受け継いで、平和を維持することが私たちの世代の役割とも思うが、情勢は、日増しに悪化してる気がしてならない。(5/11)<23971>


◇ ちょっと長めのゴールデンウィークは終わりました。
 昨日6日は、振替休日。子供連れのゴールデンウィークの民族大移動は、渋滞を抱えながら終了しました。
 今日の会津での講義準備やら、だらだらとした休日です。井上靖をモデルとした映画をテレビで見ました。という訳で、講義の準備は、時間が遅く、深夜になってしまいました。どうしてこうなんでしょう。捨てることのできない性格が災いしています。

 今日7日は、8時20分頃自宅を出発。東北道ー磐越道と快適なドライブ。いつも、感動するのですが、福島飯坂ICから入って東北道を南下すると、吾妻連峰、安達太良連峰が、大きく見えて、今の時期だからでしょうか、その美しさに見とれます。そして磐越道に入り、磐梯熱海を過ぎた頃、大きな磐梯山が眼前に現れます。他の追随を許さず、会津盆地を厳しい目で見守るように、荘厳です。
 短大での非常勤の後、会津大学に勤めている行政社会学部ゼミ卒業生のS君を訪ねました。頑張って仕事をしているようです。厳しい福島の環境ですが、健康に留意して、持続的に頑張って欲しい。

 復興活動で中心的に活動している知人から、10日後の年次総会での講演依頼。磐梯山SAでスマホで受信。すぐに返信をしました。こんな直前は珍しいですが、何か事情があるのでしょう。あまり内容的に詰めてはいませんが、今の思いを伝えるしかないと思っています。結構、こういうピンチヒッター(今回のがそうかどうか不明で、推測の域をでませんが)はあるのですが、そういう機会(チャンス)を大切にしようと思っています。楽天の選手の登録落ちの代替で出場して、定着したいと頑張る選手の思いに学んで。初めて逢う人がいたりすると、何か得した気になります。それにしても、このSAはメールの返信が多い。時間に遅れそうになりましたが、今日もスマホから3通の返信。何か因縁があるのでしょうか。(5/7)<23938>


◇ ゴールデンウィークの後半も、半分が過ぎました。今日は、子どもの日です。
 午前・午後とも、降水確率は50%。いつ降っても可笑しくないような空模様。一昨日が30度近くから、今日は冷や冷やです。部屋を掃除しながら、不要なものを整理。なかなか進みません。10月のシンポジウムの際のコーディネータをやったときの私の話を原稿化して欲しいと言われて、そのメモを探してましたが出てきません。直前に、走り書きしたメモを捨ててしまったのかもしれません。録音を聞かせてもらうしかありません。

 3時過ぎ、コープへ。定例の常任役員会。6時半ごろ帰宅。東北楽天は、西武と対戦。5対0で勝利。投手は川井。新人そしてベテランと苦しいローテーションですが、そのことが出番を多くしているようです。連休もあと一日。帰省先から帰宅する車の渋滞が続いているようです。(5/5)<23915>


◇ 終日、宅勤です。

 ラジオとパソコンで聴く、東北楽天戦は、8回まで1失点という辛島の好投にも拘わらず。1対0で惜敗。敗戦投手になってしまいました。3安打という打線低迷。投手が頑張っているときに、打線が頑張ってくれないと。
 サッカー、福島ユナイテッドは開幕以来低迷ですが、アウェーの沖縄で3対1の逆転勝利。順位も9位に上がったようです。11日はホームあづま公園(トウホウ)で、首位の町田との闘い。どれだけ食いつけるか、天気が良ければ応援に行って来ようかな、と思っている。東北社会人1部は、コバルト―レ女川が負けなしで頑張っています。この二つのサッカーチームには、少々カンパしました。いちおうファンクラブかな。福島の復興、女川の復興の促進に大きな役割を果たしそうで・・他人事ではありません(昨年の楽天効果のような)。

 てなわけで、渋滞を恐れてドライブもなし、家で部屋の掃除をしていますが、なかなか・・・。大人の休日倶楽部の割引も、ゴールデンウィーク中は、適用なし。高齢者は、民族の大移動に邪魔にならないようにかな。
 今週、女川のつながる図書館への寄付者への対応で女川に参りますが、小乗の復興建築中の女川水産試験場(女川フィールドセンター/東北大学)を見学してきたいと思い、復興計画策委員会で同席した主任教授に連絡。仙台での業務らしく逢えませんが、他の職員の方から説明いただきます。図書館も海や魚に特徴を出すべきとのご意見もあり、双方の思いをドッキングできないかと思っています。女川にあった唯一の高校は廃校になり、地域社会存続にとっては厳しいですが、国・大学試験場と町の接点を広げて、女川の発展の協働ができたらと夢が広がります。(5/4)<23907>


◇ 昨日5月2日は、私の誕生日。いつの間にか(?)、70歳(古稀)になりました。自覚がありませんが、事実は認めなければなりません。娘たちから、大きな花束とコーヒーセットが送られてきました。バースディ・プレゼントです。
 フェースブックでは、朝から、タイムラインにおめでとうメッセージの連続。他人の誕生日には関心を示さずにきましたが、自分のことですから、お礼の返信は出さざるをえません。照れくさいけど、有難いものです。80代の人生は、興味はあるし、努力したいが、そう容易ではないでしょう。70代の一日一日、一刻一刻、大切に過ごすことにしたいものです。80歳の時は、一番下の孫が13歳。20歳になる時には87歳。うーん、まあ、夢を見ておきましょう。

 夜は、第64回目のふくしま復興支援フォーラム。南相馬から愛媛に家族とともに避難し、蜜柑づくりをしながら、避難先でNPO法人をつくって、避難者支援の活動をしている渡部寛志さんに報告をお願いしました。連休前で、30人の参加、いつもより少なめですが、充実した内容で皆さんに感動を与えました。県外避難者のことは話題にはなりますが、避難者から直接報告をしてもらうのは初めて。感想文は、肯定的ですが、中には、こんな議論(机上の空論)をしていてはダメだ、知事や大臣を連れてこいという趣旨のモノもありましたが、初めての人で、フォーラムの誤解をしているのでしょう。まあ、そういう考えも出てくるのは、3年の経過なのでしょう。原発再稼働の動きが強まり、福島問題の特別扱いが強まりそうです。県外避難者への支援も難しくなりつつあるように感じます。フォーラムの活動も、県内から全国化で、この反動に対して抗していくべき時です。河北新報で、企画の案内を出してくれたのは、いい前兆です。

 今日3日は、憲法記念日。午前中は、フォーラムの資料作り。(昨日のニュースの新聞記事は、不鮮明なのでテキストのみのモノを作りました。)午後は、第35回の「憲法を考える集い」に参りました。会場が一杯、160人もの参加で、ビックリしました。最近の憲法改正動向に、緊張感が増していると思います。「東アジアの安全保障」と題して、孫崎享氏(元・外務省国際情報局長、駐イラン大使、防衛大学校教授)が、講演。一般的な視点とは異なる講演で、外交現場での動きを、独自に展開され、面白かった。著書が多いが、一つでも読んでみようかと思った。

 楽天は、ソフトバンクの追撃を何とか抑えて、6対5で勝利。薄氷を踏むような試合展開。夜は、「男はつらいよ」の映画をテレビで観て、一日の終わりとなります。(5/3)<23886>


◇ 5月になりました。メーデーですが、雨に見舞われたのではと、心配しています。
 妻を職場に送りながら、足をのばし、明日夜のフォーラムの準備で、福島大学の友人にノートパソコンを借りに行きました。久しぶりの福大です。10年ほど執務していたい部屋を訪ね、何か思い出が湧き出てきます。なかなかその時の緊張感には、戻れませんが、懐かしい。任期終了直後は、生々しくて避けていましたが、もう4年も過ぎましたので、拘りはありません。後で気がついたのですが。傘を大学の玄関に置き忘れました。また借用物を返しながら、傘を回収しないと。新たに担当になったFさんに電話をして、傘を捨てないでおいてと頼みました。何かにかこつけて、大学に行きたいのかな?
 思いがけず、娘の新車のディーラー・担当者が、書類とともに、明日に迫った私の誕生祝のケーキを贈ってくれました。びっくりです。ディーラーも、顧客にいろいろ、気配りしなくてはならないので、大変です。有難くいただきました。

 30年近く前の教育学部の同窓生(卒研の指導学生かな?)が、相談があると新潟から来福したというので、一緒に昼食ができました。50歳近いかな。福島から避難している子どもたちへの生活指導をしているようです。一緒に相談に来ていただいた方と、歓談。肝心の相談事への対応は不充分でしたが、それぞれ福島復興に向けて支援していただけるのは有難い。そういえば、埼玉のみなさんが出している「福玉便り」を紹介され、私たちが気が付かないところで、ふくしま支援で尽力していただいていることに、何よりも有難く感じます。みなさんの応援に応えて、頑張る月にしたいです。今日の河北新報に、明日のフォーラムの紹介をしていただきました。こちらも有難いことです。

 明日に迫った私の誕生日。明日はフォーラムで外出します。繰り上げて今夜、外食しようかとも思いましたが、東北楽天の試合を炬燵で観戦しながらの、二人だけの誕生祝。ケーキは明日に残して、日本酒「いのち」と「桃の涙」。楽天も連敗脱出して8対4の勝利。気分はいい。(5/1)<23865>



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