日 記

(2014年7月)


<今野順夫の部屋>

◇ 7月も最終日。午前中、県の人事委員会が開催されました。新たに委員長を選出するということで、私が再選されました。1年間、委員長をやって来て、非力ですが、皆さんの協力・支援を得て、職務を遂行したいと思っています。人事委員会は、県職員の給与の改訂や、不服審査等が主ですが、県職員が保障された労働環境の下で、自らの能力を発揮してもらうことが役割と思っています。県職員のみならず、県内市町村の職員、その他の準拠している各団体の働く人の労働条件に大きな影響を与えるものとして、その重要性を痛感しています。地元紙の記者からの取材を受けました。
 娘が、震災で亡くなった姉の元気な時の写真をもらったといって、送ってくれた。2010年10月31日に飯坂温泉で、女川の中学校の同級会をやった時の写真。その日、偶然、福島に来ていた2人の孫娘との写真も残っています。私も、この時が、最後だったと思います。震災もすでに、3年5ヶ月が近づいています。なかなか時の経過によって、忘れることはできません。時間が止まったままが続いているような気もします。明日から8月、また一歩を踏み出しましょう。(7/31)<24966>


◇ 月曜日から火曜日。福井県生協連合会の幹部ら8人が視察に来福。組合員理事ら2人を含む4人で、相馬方面に同行。115号線を相馬に到着。北上して、新地町の被災状況、県境を越えて宮城・山元町へ。相馬に港湾を見る。宿は「夕鶴」。津波被災から免れました。
 一泊の後、相馬を南下。浪江町、並びに小高地区の見学。無人状況は痛々しい。南相馬の道の駅の傍、「じゃぶじゃぶ池」、子どもたちが遊んでいる。戸外で遊べない子どもたちへの全国からの支援。私も。わずかだがカンパ。
 午後2時過ぎ、福島駅に戻り、お土産などを買いこんで、一路、福井県へ。コープふくしまの同行者と喫茶店で、懇談。何とか、行事は済んだ。
 夜は、飯舘村の委員会参加。河北新報の「座標」に掲載される。
 今日の30日(水)は、会津短大へ。期末試験の監督である。夜の弁護士会での話が気がかりで、監督しながら予習。戻って、コープ本部に立ち寄り、やるべきことをすませて、弁護士会館へ。弁護士会で、労働法制の展開と労働者派遣法の展開過程を話す。熱心に聞いてくれたが、準備は今一つ。その後、場所を移して懇親会。10時近くまで、若い弁護さん達と談笑。本当に新しい弁護士さんが多い。福島市、郡山市、いわき市で開業している。何か、継続でも出来ればいいと思う。楽しいひと時だった。(7/30)<24939>


◇ 暑さは続く日曜日。
 午後、教育学部時代の元同僚・庄司他人男先生の葬儀に出席。庄司先生は、山形のご出身であるが、私より10年前に福島大学に赴任されている教育学の研究者である。学部長や附属学校の校長先生等、教育畑で、地道な研究教育を進められた。純朴ないい先生であった。行年80歳。一度、新聞での私のコメントに、わざわざ電話をかけてきて、褒めてくれた。奥さま4年前に他界されたとのこと。毎年の夫婦の旅行は、天国で続けて下さいとの遺族の言葉。ご冥福をお祈りします。
 葬儀には、教育学部時代の退職教員を中心に多くの先生方が集まっていた。何かお会いできるのは、告別式などの機会が多くなった。
 暑さも和らいできたが、どうも夏は、頭が動かず(ふやけて)調子がでない。冬になると、寒くて何もできないというのだが。気候に文句をつけながら、自分の怠惰を棚に上げるのは、昔と変わっていない。死ぬまで治らないな、この悪癖は。それも個性かな。(笑)(7/27)<24907>


◇ さすがに暑かった。福島市の最高気温は37度7分。熱中症を警戒する日。高齢者は暑さを感じるのに鈍感らしいので。迷惑をかけないように、可能な自主防衛。
 朝から、あづま運動公園・体育館で開かれる「キッズ博」のオープンニングセレモニーに、コープふくしまの代表として参加。特別賛助団体である。副知事の挨拶では、3年目。震災後戸外で遊べない子どもたちに向けてのイベント。玩具メーカーなどが多い。開始当時と比較して、状況は大分変ったが、「子どもの日」のような賑やかさ。猛暑の中、ちびっこったちの歓声が響いていた。
 午後からは、戸外に出る勇気がなく、高校野球の福島県の決勝戦。日大東北が聖光学院を6対2とリードしていたが、9回裏聖光が4点を入れ、延長戦でサヨナラ勝ち。驚いた。夜の東北楽天・日本ハム戦も、9回裏のサヨナラ勝ち。3対2で楽天が日本ハムを破る。「諦めない」というのは、なにか被災地の声にも似ている。結局、話をする準備は後回し。どうも暑さは、集中性も、意欲も減退させている。(7/26)<24891>


◇ 暑いです。福島市は35度7分、猛暑日です。さすが、参っています。
 夜のテレビは、恐ろしい熱中症の特集。70代の夫婦が、寝ているうちに熱中症で死亡していたのには、びっくりしていしまいました。寝ることは、あらゆる病気への対応との誤信を改めなければなりません。あまり利用しない、エアコンを動かしました。自分の体力でなんていっている年齢ではありません。また、熱中症は、全年齢に生じているので、要注意です。しなければならないことがあるのですが、手につきません。東北楽天、星野監督復帰の第一戦を勝利で飾れず、逆転の8対1の敗北。負け方が悪いというのは監督の弁。何とか、このトンネルから脱出してほしいものです。選手も必死なのですが・・・。
 午後から、コラッセによって会議室借用の手続き。そしてコープの本部。コープおきなわの理事長さんが、ヒアリングを兼ねて立ち寄ってくれました。私は、挨拶だけと思っていたのですが、結局3時間ほど話を聞きました。沖縄には、福島人として大きな親近感。コープの活動も特色があります。宅配も、離島への宅配が大変とのこと。買い物困難地域への支援が、必要だと思います。事業者の善意、消費者の負担だけでは、ますます過疎が進みます。(7/25)<24885>


◇ 山形県の労働委員会の委員及び事務局の勉強会。「判例研究会」の講師を頼まれて、山形市へ。
 常日頃の不勉強の成果(?)がでてくるので、午前中に急いでにわか勉強。テーマは5件。3月に出された「論点別調整事件解説集」の中から5件。@労働条件の不利益変更、Aパワー・ハラスメントと使用者責任、B有期契約労働者の雇止め、C解散会社からの事業譲渡による労働契約関係の承継、D懲戒解雇の有効性。いずれもあっせん事案だが、事務局職員に事案の報告をしていただき、公益・使用者・労働者委員、出席した委員は7人だが、それぞれから意見を出してもらう。事務局職員参加者8人も、意見を出してもらう。聞いていて、こちらが勉強になる。
 労働委員会は、集団的関係の紛争処理の委員会だが、個別紛争が組合に持ち込まれ、集団化しているので、皆さんの関心も高い。東北地方の労働委員会では、こうした自主的な研究会をやっているのは山形県だけのようだが、皆さんの積極的な姿勢に感動する。他の県も見習ってほしい。公労使、和気あいあいの研究会。具体的な事件ではないからか。講師のレベルを上げるのが課題か(笑)。
 終了後、帰りの新幹線まで、会長、事務局長、課長、課長補佐の皆さんと会食。馬刺しが美味しい。店の名前を忘れてしまったが、駅のすぐ前。ノンアルコールのビールだったが、楽しい集まりだったので、少々疲れた。30日の弁護士会の勉強会の準備の本は持ち帰り。本当に、勉強の機会を頂いて有難い。
 元教育学部教授の庄司他人男先生のご逝去のファクスをいただいた。80歳。30年前に私が福島に来たばかりの時に、評議員や附属学校長でご活躍され、大変お世話になりました。感謝の気持ちを捧げながら、ご冥福をお祈りしています。(7/24)<24865>


◇ 会津短大での非常勤講師の日。睡眠不足か、朝から眠い。8時半頃に出発して、福島飯坂ICから東北道、磐越道の磐梯河東ICで降りる。ほぼ1時間半の行程。途中、磐梯山SAでおにぎりを購入、昼ご飯に備える。
 午前中は2年生向け「公的扶助論」、ごごは1年生向け「社会保障論」。前期の講義は、今日で終了。来週は試験監督。後期は、午後1コマのみだが、冬季に入るので、雪道を考えると憂鬱だ。後期は、福島大の非常勤4単位(「社会保障法」30コマ)あるので、週の2日は非常勤となる。そろそろ、体力も限界。引退を考えないと。帰路、睡魔克服のため、五百川PAで仮眠。夜は、珍しく東北楽天戦のテレビ観戦。9回裏の逆転サヨナラで西武に敗北。残念。
 ネットで、女川の役場からの熊情報をみる。堀切山で熊目撃とのこと。堀切山とは、住んでいた実家の付近かな。どうしたんだろう。要注意。(7/23)<24848>


◇ 一日中、県関係の仕事で、採用のための業務をしていました。体力がなくなってきたのか、疲れます。体重が減ったのはいいのですが、固い椅子に座っていると、お尻の骨が痛くなります。何か脂肪でも欲しい。歳とると考えたことのないような事が起きる。食事制限だけでなく、運動によって筋力をつけないと。(7/22)<24834>


◇ 三連休の最終日だが、午前中は新聞の依頼原稿をつくる。1000字余りの原稿なので、多めに書いて削ぐ。何か大事なことが削がれるようで気持ちは良くない。連載の最初に、写真を付けるが、いい写真がない。本物が悪いので、いい写真があるわけがないのだが。決まりだから送ったが、すっきりしない。
 午後、コープの常任役員会。土曜日は、あづま運動公園で開催される「キッズ博」なので、テープカットに出かける。孫娘を新幹線で一人で遊びによこすかとの話。そのイベントに合わせようかと思ったが、あちらの都合が悪い。まあ、あまり無理しない方がいいでしょう。そのうちに・・。(7/21)<24825>


◇ 明日は「海の日」の休日のなので、今日の日曜日は、連休の中日。
 先日の「再生エネルギーシンポジウム」で挨拶した飯田先生、そして植田先生が福島に来るというので、相談もあり、昼食に誘われた。街(駅前通り)は、歩行者天国で、屋台が多い。わらじ祭りには早いが。「かあちゃんの力」の店「わいわい」で、男中年3人で昼食。再生エネルギー問題の専門家なので、スケールが大きい。隣の席は、大学近くの神社の神主さん夫婦。ご丁寧な挨拶を受け、恐縮。何か、外の祭りの雰囲気が中に届いている。
 昼食後、予定していた会合に行くも、部屋の確保ができてなく、やむなく退散。まあ、こんなことがあってもよかろうか。しなければならないことは山積だが、どうも眠い。孫娘は、近くに住む先方のお爺ちゃんと旅行とか。そういえば、夏休みの楽しみなのだろう。有難いことだが、遠くに住む爺の私は、ただ羨望。残念。新聞を見ると孫のための育児休業の制度が検討されているらしいが。(7/20)<24813>


◇ 土曜日、4週間毎の病院での定期診察。気にしていた数値は、先月より0.1改善して、標準値まであと0.1。食事の(間食)制限の効果かもしれませんが、ウォーキング等の運動を意識的に進める必要があります。思うことは容易だが、実行は難しい。

 学生時代にお世話になった知人(医師)及びその友人たちを、福島駅に迎えに行き、私を含む4人で一路富岡へ。片道150キロのドライブ。東北道ー磐越道ー常磐道と順調なドライブでしたが、往路は雨の中。時には、ワイパーを高速にしなければならないほどの豪雨。
 終点の富岡ICに到着後は、傘もいらないほどの小降り。夜の森地区、富岡駅周辺、第2原発を展望する海岸、以前、川内村から富岡町に入った時と何も変わっていません。工事車や作業員が多くなっただけで、街は生活の匂いを維持しながら、人影はありません。何か不気味な感じもします。
 復路は、少々の雨はありましたが、順調に走り、18時30分開始の会議に余裕を持って18時前に到着。往復300キロ、大分疲れたでしょうが、何とか案内は出来ました。
 帰宅すると、娘宅からお中元の宅配。「賀茂鶴」のお酒。オバマ大統領が飲んだ酒というが、楽しむことにしましょう。(7/19)<24804>


◇ 午前中、昨日のフォーラムの後処理をしていました。感想文を書いていただいたのをタイピングして、ブログに貼りつけ、フェースブックとTwitterで紹介します。問題は、パワーポイントのファイルをPDFにして、アップしていたのですが、ホームページのデータ量が満杯近く、なんとか外にリンクを張りたいと思って苦闘。ブログに張ろうとしたら、画像以外はアップができない。
 そこで、フォーラムで司会をしてくれたCさんに助け船を求めた。すぐにJPGに転換して送ってくれたが、30枚のスライドなので、少々てこずる。これで資料を欲しいという人にも、そのブログを見てもらうことにした。参加者名を整理し、会場カンパを呼び掛けたら18000円余。あまり集まりすぎ。しばらく会場費の心配は不要。

 午後、会津電力社長さんに誘われていた「再生可能エネルギーシンポジウム」に参加。会津に続いて、飯舘にも作ろうということで、研究者、そして飯舘住民が集まった。飯田哲也氏の講演「地域再生エネルギーによる飯舘村の復権」を聞いた後、会津電力常務の折笠さんからの報告、そして車座ミーティング。まだ模索中だが、住民の手による自律経済の発展に期待が持てる。結構、大手企業の再生エネルギー分野への投資が目立つが、それと対抗して市民の力による再生エネルギー事業が進むかどうか、この分野でも住民本位の産業復興の問題がでている。
 初対面の方が多かったが、前向きの模索の姿勢に共感をもつ。(7/18)<24790>


◇ 忙しい一日でした。
 午前中は、コープの憲法学習会。朝日新聞の論説委員の国分高史さんの集団的自衛権の講演を聞きました。組合員活動の一環で、参加者80名のほとんどがご婦人です。90分の講演は長いと思っていましたが、皆さん、眼をぱっちり見開いて、熱心に聞いていました。私も同じような学習会の講師はやりますが、30分〜15分程度なのですが、なかなかうまくまとまりません。平和について、真剣に考える組合員さんが多くなってきたようです。
 講師を囲んで昼食のはずでしたが、講師が体調が芳しくないというので、中止。残った理事さん達とわいわいと昼食です。まあ、皆さん元気です。

 コープ本部に戻って、コープながの専務理事・部長さんの訪問を受ける。7人の職員が宮城や福島に研修で来ていることに随行。ながので配布しているビラに、福島の物産が紹介されており、支援に有難いです。
 我がコープの専務・常務と打ち合わせをすませ、夜の「ふくしま復興支援フォーラム」へ。

 フォーラムも第70回目となりました。このまえお邪魔した「ままカフェ」の主宰者、富田さんの報告です。主に、県外避難者へのサポート、避難から戻った方へのサポート、そこから耐えがたい原発被害とかすかな希望が見えてきます。パワーポイントをブログに貼りつけてみました。約40名の参加。皆さんの支援が嬉しい。帰途、いつも世話してくれている穴沢君と二人で夕食。雨の中を帰ってきました。(7/17)<24775>


◇ 機能の火曜日(15日)は、当面の仕事の準備などで宅勤。木曜日のフォーラムの資料作り。

 今日、水曜日は会津若松での非常勤講義。午後からの企画のため、午後の講義は他日に振り替え。いつも写真を撮る磐梯山は見えるが、曇り空の下。

 12時には出発して福島へ。15時からの「2014年度 コープふくしま方針を聞く会」に出席。冒頭の挨拶をする。コープふくしまの取引先との懇談会だが、119社176人という大きな規模。コープの方針・現状を報告しつつ、相互の協力で、震災を乗り越えていこうと、和気あいあいとして雰囲気だった。地元の業者との連携が、特に必要な時期であることを痛感した。下働きをしてくれた多くのコープ職員さんらと、打ち上げの軽い集まり(残り物の総ざらいだが。(笑))

 一昨日の「河北歌壇賞」受賞の同級生のことについての「日記」を読んで、石巻の従姉からメール。土屋さんの消息を教えてくれた。また、河北新報の「座標」に載せる記事を楽しみにしているとのこと。プレッシャーだが、まだ書いていない。この連休には書いて送らないと。どうも1000字ほどのメリハリのある文章は難しい。やはり書く内容が決まっていないのだが。河北新報故、郷里「女川」に触れたいが、各県から出ている執筆者だから、「福島のこと」を書かないと駄目なんだろうなと思う。以前に福島民報の「日曜論壇」の原稿を、新幹線から携帯で送った様なことはしたくはないが・・・。(7/16)<24742>


◇ 月曜日だ。午前中は、積み重なるいくつかの課題を処理すべく、机の上の積み重なっている書籍や新聞の切り抜きのヤマを崩しながら、仕事。
 午後から、コープの本部へ。常任役員会の打ち合わせ。帰って来て、新聞の切り抜きをやっていたら、女川の同級生(60年も前の同級生だが)である土屋さんが、平成26年の「河北歌壇賞」を受賞している。嬉しくなって、新聞記事とともに、facebookの女川ページとブログに紹介した。

<<昨日(7月13日)の河北新報を切り抜きしていたら、いつもは読まない「河北歌壇」の欄に、今年の上期の「河北歌壇賞」が掲載されている。なんと、女川の小中学校時代の同級生。土屋かおる子さん(本名は、與子=くみ子さん)。ああ、無事だったんだと安堵するとともに、元気に過ごしているんだとうれしくなる。
受賞した歌は、
『上京し毎月届く荷の中に母の文あり潮湿りして』
選者は、「感性の光る秀歌」と褒めている。母の手紙に「潮湿り」の一語が作品をよく生かしている、という。
このお母さんにも、幼少の頃、随分、お世話になった。感慨深い。>>

 いろいろと幼少の頃を思い出す。どうしてか、苛められたことしか思い出せない。いまでいう登校拒否的なこともあった。しかし、友だちが助けてくれた。記憶にはないが、私もいじめを加勢する側に立つこともあったのだろう。どうしてか、そんなことは記憶には残っていないが・・・。私の知ることのない、いろいろな人生を歩んできたんだなあと思う。思い出の故郷は、壊滅的打撃。何とかしないと・・・。

 雑然とした私の書斎。いつまでも、こうしておくわけにはいかないよ、と戒めつつ整理を始めると、昨秋亡くなった友人の「偲ぶ会」のプログラム。進まないね。娘や孫からも、このゴミの相続は拒否されるだろうし。(7/14)<24712>


◇ 早朝4時過ぎの地震で眼が覚めました。福島県沖が震源で、震度4なみの地震です。津波注意報が出て、海に近いところでは避難勧告も出されました。福島市は震度3かな。娘たちとLineで無事の確認。孫たちは起きなかったとか。羨ましい。いわきへのバス旅行が予定されていたので、心配でしたが、台風の影響もすぎ、まさに好天です。福島市は、30度を超えていたので、比較的涼しいいわきでの滞在。
 バス旅行は、コープふくしまの平和委員会とユニセフの協同の取り組み。1945年の7月26日にいわき市の平第一小学校に爆弾が投下されたこと。当時の校長などの判断で、1800人の生徒たちは臨時休業にしていたので、犠牲者はなく校長先生を含む3人の教職員が犠牲になった。現在の校長先生の説明とともに、爆撃当時の6年生の松本さん(81歳)から、当時の様子を克明に説明していただきました。当時の軍国教育の赤裸々な状況も。殉職碑に花を捧げ、黙祷して、記念写真。今でも、この日を中心に、平和の教育を全校で行っているとか。平和教育の先進的例と思います。戦争参加への動きが急速に進んでいますが、市民の戦争に抵抗する、平和を守る、そのためにドイツ大統領の演説を思い出します。「過去に目を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」(1985)。
 昼食後、塩屋岬にむかい、薄磯海岸、豊間海岸、豊間中学校を見ながら、山六観光・語り部のお話を聞く。写真と現実の目の前の浜を見ながら、津波の被災の様子を知る。塩屋埼灯台の敷地まで登ってきたが、さすが灯台の上までは行けず。津波の浜を上から臨む。現場を見て、大きな勉強になった一日。(7/12)<24699>


◇ 巨大な台風の予想も、東北地方では予想倒れ。まずはよかった。いわきでは、学校の臨時休校を決めて実施したというが、結果的には、来なかった。
 午後からのコープの定例理事会。震災後3年4カ月の月命日。なんとか無事済ませたが、これからも協力して頑張りましょう。
 帰宅後、東北楽天対ロッテのテレビ中継。前日の日本ハム戦のように、最後サヨナラみたいなゲームの様相。則本も疲労なのか、2戦続けて打たれた。結局はもつれたが8対7での僅差の勝利。まあ勝てばいいのだが、今一つ一丸となって打開することが欲しい。私も影響されてか、横になってみても体がだるい。疲労がとれていないのが問題か。楽天のせいではない。(7/11)<24694>


◇ 昨日・水曜日(9日)、台風が接近しているなか、非常勤で会津若松市へ。会津若松は、大雨警報、洪水警報がでているので、少々緊張しながらのドライブ。ずーっと雨がちだが、それほど強くない。講義は、午前、午後、夕方だが、午後の時は、雷雨がきびしく、大丈夫かなと思ったが、一旦ホテルに行って一時休憩のときには、台風一過のような晴れ間。夕方は、降雨も再開したが、夜の帰路は厳しのでホテルを取っていたので、よかった。

 今日は、会津若松から郡山へ。「ままカフェ@こおりやま」を見学。避難先から戻ってきたママのための居場所づくりである。テーマも設けた数人の話し合いにも参加させてもらって、心配なことについてテーマを設けて話し合う。子どもたちを低放射線地域で遊ばせる「保養プログラム」の情報交換、身の回りの除染作業、今後の出産についての不安。将来、子どもが差別されるのではという親の切実な心配。真剣に、しかし前向きに話し合いが続く。
 ままカフェの中心になっている方に、こんど「フォーラム」で報告してもらうが、これらの不安にどう対応していくのか、復興支援にとっても大きな課題と思った。(7/10)<24683>


◇ 今日は、外の用事がなかったので、非常勤の講義準備。15回の最後になってくると、慌てています。学生の方が困まりますが。
 昼食後、三春町の三春町役場及び葛尾村役場で、資料を頂こうと車で出発。特にアポイントも取っていないので、どうなるか心配でしたが、三春町では課長さんと副町長さん、県から派遣されている職員さん、葛尾村では課長さんと話ができました。
 避難している葛尾村の皆さん(6割は三春町)、それを受け入れている三春町。その協働の取り組みが必要になって来ていると感じました。帰還するか、移住するかという二者択一的な選択ではなく、第3の道の模索が必要だと思っています。二地域居住という提言も出ていて、期待をもって見ています。特に注目しているのは、受入れ地域の問題。避難自治体・住民と受入自治体・住民と、相互発展があればと思っています。話を聞いていて、行政同士では困難かなとも思うが、やはり双方の住民同士の協働のまちづくり(両町村のまちづくり)が動き出せばいいなあと思っています。
 台風が迫ってきていますが、誰にも頼まれた訳ではない、個人的な自由な動きの一日でした。(ある新聞への掲載のための種探しではあるのですが。)巨大台風は、福島に来るのでしょうか。今・深夜は、静かです。(7/8)<24668>


◇ 昨日の日曜日、非常勤の感想文のタイプ打ち等、のんびりと日を過ごす。
 今日は月曜日、七夕です。コープの朝礼に出かけ、早めに帰宅。補講を含め3コマの準備。教科書には沿っていないが、2種類の科目に関連すると考えて、最近成立した「地域医療・介護推進法」の内容について、追加教材を作る。新聞記事などからまとめてみると、大変な住民にしわ寄せの改革と感じる。勉強することが多く、大変。
 夕方、コープの常勤役員会に出席。各分野、様々な課題が多いが、粘り強く進められている。台風8号の影響か、急に強い雨に見舞われる。(7/7)<24654>


◇ 昨日・金曜日は、会津短大非常勤講師の補講に出かけ、宿泊してきました。午後から始まって午後7時過ぎまで3コマの補講です。夜、帰ってくる自信がないので、先日同様、宿泊しました。夕食では、「会津トマト」が美味しいというので、初めて食べました。会津でトマト栽培が本格的になったのは昭和になってからで、特に旧南郷村の「南郷トマト」が高い評価を得て、昨年度の築地市場の取引トマトの5個に1個を占めるようになったとのこと。さらにブランドトマトとして「会津ミネラルトマト」「磐梯ミネラルトマト」等も出ているとか。「あいづ食の陣」として50軒以上の飲食店や居酒屋が様々な料理として出しています。
 今朝は、朝食後、喜多方を散策。大和川酒造店、会津電力事務所、喜多方駅等を見て、いつものように磐梯河東ICから高速へ。少々疲れたので、五百川PAでウトウト。自宅に戻って、午後「憲法塾」(県9条の会主催)へ。今回は鈴木弁護士の「特定秘密保護法」の講義。
 ラジオで聞く東北楽天。ソフトバンクに5対2とリードされていたが、なんと9回表、5点をいれて7対2の逆転勝利。諦めながら期待していたが、こんなこともあるんだ、とニンマリ。(7/5)<24630>


◇ 夕方に第69回ふくしま復興支援フォーラムを開催。福島県国際交流協会専務理事の斎藤さんに、「外国出身県民にとっての東日本大震災・原発事故」について、アンケート調査結果を踏まえた報告をしていただきました。日常的な外国人とのコミュニケーションの構築の必要性を感じました。25名の参加で、少なめでしたが、自発的に集まるテーマとしては、現状を反映しているのかなと思いました。後から気付きましたが、在住の外国人にもよびかけるのだったと反省しています。どうしても、この課題に関わっては、津波から助かった女川の中国人実習生のことを思い出します。アジアとどう付き合うか、集団的自衛権的な発想とは相反する舵取りの必要を感じています。
 昼、時間が空いたので、映画館に行って、『春を背負って』を鑑賞。清々しい気分になりました。(7/3)<24611>


◇ 水曜日。会津若松での非常勤講師に行く予定の日だが、県議会の閉会式ということで、役職上、出席しなければならず、講義は、後日の補講ということにした。議会の閉会式は、全ての案件の裁決がなされるが、事前に各会派などの意向を掌握しているため、合理的な(?)議事運営。結局は、各会派の意向に沿う賛否のバリエーションがあるが、同じ結論になるのをまとめている。会派によって、議事に加わらない時には、ぞろぞろと会議場を出て、また戻ってくる。「集団的自衛権」に関わる意見書は、賛成少数で否決されるが、国会内の動向をも反映して、棄権する議員さんが多かった。地方の独自性は難しいのだろうか。
 議会での人事承認案件の対象になっていたが、直後に、知事から辞令交付。最終日だからか、他の委員で退任される知人も来ていたが、退任の辞令交付だという。

 フォーラムの10月の報告者を決めなければならず(東京の新聞社で請負う研修に位置付けるらしい)、浪江の仮設住宅の方に頼もうと思って、その傍の「仮設図書館」に寄ったら、偶然、ご本人と会えた。仮設の図書館は、浪江町民だけでなく、福島市民の利用が多くなっており、また市民同士の交流の場になって来ている。そんな話を期待しているのだが。

 夜は、東北楽天とオリックス戦。楽天は8連敗中。どうして勝てないのか。結局2対0で勝ったが、最後までハラハラ。ただ、貧弱と云われた投手陣。先発に西川、そしてルーキー松井、また福山、最後は斎藤で締める。若い投手が、全力で勝利につなげているのは、見ていても楽しい。成績が良くないからなのか、様々なチャレンジをしている姿は、清々しい。昨年優勝したという呪縛から解放されて、最下位から這い上がる気迫の方が、いいのかな。何事もかもしれないが、「守り」ではなく、「挑戦」かな。同級生が女川の中学生を前にして、3つのCが大事と云って感動を与えたらしいが、3つのCは、「Chance」「Challenge」「Change」。上手いことをいうもんだ。

 体重は、順調に下がってるが、下がりすぎかな。疲労感がなかなかとれない。睡眠時間が少ないのかな?(7/2)<24589>


◇ 今日から7月。2014年も半年が過ぎたことになる。光陰矢のごとしである。

 集団的自衛権をめぐってテレビや新聞、大きな問題として取り上げられている。与党の公明党の態度に焦点が定められたが、結局は、歯止めができたということと、とにかく限定的ではあれ、集団的自衛権が入ったという妥協なのか、双方都合のいい合意の解釈で一件落着か。与党協議が成立して、夕方の閣議で決定、そして安倍首相の記者会見がなされている。国会で議論することなく、閣議で解釈改憲を行うことには批判も多い。今後、これを具体化する自衛隊法の改訂などが出てくるが、しっかりと国民的議論を展開してほしい。憲法の前文を思いだす。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすること」の決意を投げ捨ててはならないのだろう。

 木曜日のフォーラムの資料作り、そして松川事件を後世につなげるための「松川賞」についての準備会。無罪確定50周年で終えてしまうにはもったいない運動であった。実体験なくても、大切に受け継ぐ必要がある。特に、冤罪事件が無くならない状況においては、忘れ去ってはならないし、勝利の教訓を受け継ぐ必要があろう。
 研究や、小説・詩集等の文芸的なものだけでなく、持続的な松川事件普及活動等、実践的なものも含めるのが、他の賞とは異なる特徴か。さらに詰めて具体化することになる。市民運動がつくる「賞」、新たな運動継承の担い手が出てくることに大きな期待をもっている。(7/1)<24573>



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