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Cool Cool Dandy2  〜Summer Night Festival〜

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第16章

 その客が入って来た時、店内にいた者は一様に息を呑んだ。頭のてっぺんからつま先まで一流のブランド品で身を包み、それがちっともイヤミに見えないほど見事に着こなしている。流れるような金髪を指先でもてあそびながら、彼女は言った。
「ハンドエステとネイルをお願い」
「ご指名はございますか」
「ええ」彼女はあでやかに微笑んだ。「マリーンって方に」

 店舗に隣接した事務所で遅い昼食をとっていたマリーンのところへ、先輩が息せき切って呼びに来た。
「マリーン、ご指名よ。珍しいわね、学生じゃなくて一般のお客よ。それも初めてみたい。誰? あんたの知り合い?」
 いぶかりながら店に出た彼女は、待ち構えていた客の顔を見て愕然がくぜんとした。
「ヤムチャに聞いたの。あなたここで働いてるんですってね」
 あっけにとられているマリーンを見てアロマはクスクス笑った。
「やだ。そんな怖い顔しないで。わたしお客なのよ」
 好奇心を露わにして二人をちらちら見ている同僚たちの目を気にしながら、マリーンはアロマを奥のエステコーナーへといざなった。

 エステコーナーの周りは低いついたてに囲まれている。カットやパーマとは違い、二人の周囲には誰もいないのが好都合だった。こちらから店内の様子が見えるし、向こうからもこちらが見えるが、幸いなことに大声でも出さない限り、話の内容はあちらには届かない。
「顔がこわばってるわよ。正直ね。お店の人に変に思われちゃうかも」
 リクライニングシートにもたれながら、からかうようにアロマが言った。マリーンはその場に突っ立ったまま、まっすぐにアロマを見返した。

「いったいどういうつもりなの。こんなところまで乗り込んでくるなんて」
「あなたに一言忠告しといてあげようと思って。ヤムチャとのつき合い方っていうのかしら……心構えをね」
「余計なお世話だわ」
「まあ、怖い」
 アロマは低く笑うと体を半分起こし、マリーンの顔をまじまじと見つめながらつぶやいた。
「美人ね。気が強くて。ほんとヤムチャの好きそうなタイプ」
 椅子に再び体を預け、今度は天井に顔を向けた。
「あなた知ってる? あの人ね、昔、女性恐怖症だったんだって。笑っちゃうわね。女性と面と向かって話も出来なかったらしいわよ」
「ヤムチャが!?」

 アロマは目を輝かせてマリーンを見た。
「やだ。知らなかったの? ヤムチャったらあなたには何も話してないのね―――その反動で浮気性になっちゃったのよ。見たでしょ、マンションで。ちょっとつつけば簡単になびく男よ」
「あれは事故だわ」
「事故? 彼がそう言ったの?」アロマは猫のように目を半分細めて笑った。「で、あなたはそれを信じるつもり?」
「そんなくだらないことを言うためにわざわざ来たってわけ? ヒマね、あなたも」
「言うじゃない」アロマは一瞬鼻白んだ。「身も心も許した愛しい男が自分を裏切るはずはないって?」

 とまどいが顔に出たらしい。アロマはちょっと息を呑むと、勢い込んで訊いてきた。
「嘘……。まさかあなたたち、まだ……?」
「余計なお世話だって言ってるでしょ!」
 マリーンはシートの横にしつらえた丸椅子に乱暴に腰掛けると、アロマの左手を取り、チューブから搾り出したクリームを塗りたくった。痛いほどに突き刺さってくる好奇の視線を感じながら、雑念を締め出して仕事に没頭しようと、一心にマッサージを始める。

「ふぅん」アロマは左手を預けたまま横目で恋敵を見つめ、右手を顎に当てて独り言のようにつぶやいた。「それほど彼はあなたを大事にしてるってことかしら。それとも、そういう仲になることをためらってるのはあなたの方?」
 マリーンの手からクリームの蓋が滑り落ち、音を立てて床を転がっていった。
「わかりやすい人ね」アロマは鼻に皺を寄せて、くつくつ笑った。マリーンは拳を握り締めてアロマを睨みつけた。うっすらと紅潮した頬にヘーゼルの瞳が燃えるように輝いている。一瞬それに見とれ、アロマは我に返った。顎を引いて、この憎らしいまでに美しい少女を挑戦的に見返す。

「教えてあげましょうか。あなたの第六感は彼の本質を見抜いているのよ。今は自分に夢中でも、いずれすぐに他の女に目移りするって。だからあなたはそこから一歩が踏み出せないのよ。深みにはまったあとで捨てられるのが怖くてね。違うかしら」
「……違うわ」
 弱々しくかすれるマリーンの声に力を得たように、アロマは続けた。
「いいえ、違わないわ。あなただってほんとはわかってるんでしょ。他の女のことでヤキモキしたり、彼とケンカしたり、もういい加減うんざりだって。だけど、彼とつきあい続ける限り、永遠にこんなことが続くんだわ。ほんとはもうやめにしたいと思ってるんでしょ」
「違うったら!」

 しまったと思ったが、もう遅かった。マリーンの頭が冷静さを取り戻した時には、ライムや同僚たちが周りを取り巻いていて、頭からクリームをかぶって泣きわめくアロマをおろおろとなだめていた。
「謝りなさい。マリーン」ライムの厳しい声がした。
「いやです」
「もう一度だけ言うわ。謝りなさい」
「いやです!」
 左頬に火がついたと思った。シンと静まり返った店の中で、平手打ちされた頬の熱さだけがマリーンの心の中を占めていた。

「あなたはそれでもプロなの」
 ハッとしてマリーンは顔を上げた。押し寄せる後悔と慙愧ざんきの念が全身を締めつける。ライムの気迫に気圧され、ぴったりと口をつぐんでしまったアロマに向き直ると、ライムは沈痛な表情で深々と頭を下げた。
「お客様に対してとんでもないことをいたしまして、まことに申し訳ありません。私の教育が至りませんでした」
 促されてマリーンもアロマの前に立ち、ぎこちなく頭を下げた。
「すみま……せん……でした」
 興奮を鎮めるように大きな吐息をひとつつき、アロマは精一杯の虚勢を張りながら答えた。
「あなたみたいな半人前の人が大きな顔しているようじゃ、このお店もおしまいよね」
 何と言われても弁解のしようがない。理由はどうあれ、客に手を上げた自分はプロとして失格だ。マリーンは唇を噛んでうなだれた。


 シャンプーとブローのあと、美容界のカリスマ的存在であるライムじきじきにメイクを施してもらい、アロマはようやく機嫌を直した。
「あの子、これからも店に出すおつもり?」
 クリームの飛び散ったエステコーナーを、ひとりで黙々と掃除しているマリーンを鏡の中から眺め、アロマはライムに視線を移した。
「いえ、彼女は一から教育し直します」
 チークをぼかす優雅な手の動きはそのままに、ライムは淡々と答えた。
「というと?」

 ちょっとためらった後、自分に確認するようにライムはゆっくりとうなずいて言った。
「長期研修に出します――――北の都の支店へ。一人前と呼べるようになるまでこの店には戻しません」
 高らかに快哉かいさいを叫びたいところだ。ひどい恥をかかされたと思ったが、こんな幸運を呼び込むとは……。アロマは満足げに唇の端を上げて微笑んだ。
「そう。それは……いいことね。彼女にとっても」
 これで自分とヤムチャの間を邪魔する者はいなくなる。アロマは含み笑いをもらし、何も知らずにエステコーナーの片づけを続けているマリーンの姿をもう一度見やると、店を後にした。


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