日 記

(2014年11月)


<今野順夫の部屋>

◇ 今日で、11月も終了。日曜日である。
 午前中、義母のショートステイへの送り。1週間ほどの短い期間である。
 午後、妻は東京の博物館の国宝展へ。金印展示が、今日までのことらしい。
 私は、何度か連れられて行っていた小料理店の「もめん亭」の女将さんに誘われて、もめん亭の第15回独演会に行く。今回は、会津若松出身の三遊亭兼好師匠の出演である。生の落語を、30人ほどで聴くという贅沢なイベント。「宿屋の富」等、やはりナマは迫力がある。少人数なので、こちらの反応に合わせてくれていることが分かる。
 いつも、講義を、落語のように引きつけられる話術でできたらと思うのだが、なかなか難しい。終了後、参加者一同で、師匠を囲んでの懇親会。会津・青森・長野(安曇野)の三種のそばを同時に食べられた。私の知らない世界を垣間見た感じで、それもまた新鮮。
 帰り、丁度、東京から帰ってくる妻の到着時間に合って、駅から拾って帰宅。さあ、明日から12月。(11/30)<26331>


◇ 土曜日、自宅を出る用事はない。訪問看護が来て、夕方介護用具屋さんが来た。それ以外は、授業等の後始末と準備。2つの大学・短大の非常勤を担当しているが、いずれも社会保障関係。社会保障法と社会保障論。労働法とは違って、あまり過去の講義ノートの修正では足りないし、ここ数年法改正や政策変更が多いので、それに対応するので大変。それと毎回、出欠のつもりで質問票・感想文を出してもらっている。双方とも50名程度だが、結構、授業の不足したところを書いてくれている。それをプリントして、次回の講義時に返すことにした。ただプリントするわけにもいかず、質問には回答を付けて。ただ、私自身が曖昧にしていることもあり、調べ直して書くので、結構、勉強になる。よく、聞いてくれていることもうれしい。まあ、御苦労さんなんことと言われるが、何とか続けたいもの。
 深夜11時からのEテレのETV特集を見る。娘からの情報だが、臨床宗教師のドキュメンタリー。死期せまる患者さんも登場しているが、私と年代はそう変わらない。死期迫る者に対する対応は、医師のみならず、宗教家、ケースワーカー等、総合的な支援も必要と感じた。中に、自宅で死期を迎えることの意味を理解しつつ、世話をする家族の負担を考えて、敢えて病院に入院したということもあり、老人介護と同じ問題を抱えているのかなと思った。(11/29)<26320>


◇ 金曜日。午後からインフルエンザの予防接種。岩手・福島と東北地方で流行りだしたので、間に合うかな?効き目は3週間ほど過ぎてということらしい。混んでいるかと思ったらスムーズに終了。市からの補助もあり、65歳以上は1200円。予防接種名に、「高齢者インフルエンザワクチン」と書いているが、補助のための名前なのか、高齢者用のワクチンということではないとは思うが。
 夜7時から、田村市の審査会。田村市役所だから、少し遠い。東北道から磐越道を通り、船引三春インターで下車。ほぼ1時間10分ほどの行程。会議は40分ほどで終わり、また同じ道を帰って来たが、20時40分頃の帰宅。遅めの夕食を食べ、「黄色いハンカチ」を見る。どうも最後のシーンだけが記憶にあるが、武田の旅行前の映像や桃井の映像は、記憶にない。何か、クライマックスのみが記憶の容量を独占して、他の場面を忘れがち。こんなことは、いろいろな場面でもあるんだろうなと思う。(11/28)<26315>


◇ 木曜日だが、月曜日の講義(福島大学非常勤)を行う。どうしても月曜日は、祝日と日曜日の重複で振替休日。その分、他の曜日で振替え授業。木曜日だが、「みなし月曜日」。2日続きの非常勤講義。
 1時から4時過ぎまで、結構長い。2コマ分。どうしても講義調なので、終わると喉がガラガラ。なかなか回復しない。
 挨拶のつもりで、中井さんに電話。時間があれば、顔を見たいので寄ってというので、お茶を一杯。いろいろとあるが、元気にやっているので安心。短期的な見通しだけでなく、長期的な展望のなかで、現時点での問題を解決していかなければならないのだろう。
 自宅には戻らないで、福島駅前のホテルで開催している「福島支援交流集会〜福島の食と農・くらしの再生に向けて〜」に参加。昼過ぎから開催しているのだが、非常勤講師のため、やむなく第二部から参加。日生協や、いばらきコープ、生協ひろしま、エフコープ、ユーコープからの皆さんと懇談。全体で171名の参加。
 偶々隣席の芳賀沼さん(午後からの集会で報告しているが)のお話を伺うことができた。以前から、南会津に行く機会に、芳賀沼製作(南会津町)の話は聞いていた。ログハウス作りなど、ユニークな取組みをしている。報告を聞くことができず残念だったが、いろいろ森林や木材の問題について貴重な話を聞いた。
 私の生家は、そもそも「製材業」であり、「**製板」と呼ばれていた。子どもの頃は、電動ベルト鋸で、木を切る音で騒々しかったし、広い木材置場もあった(私の怪我の環境でもあるが)。親と一緒に鳴子方面に、木材の買い出し、搬送に付いて行った。帰りに、大木を積んだ大型トラックのタイヤがぬかるみに取られ、苦労した情景が目に焼きつている。木の話を聞くと、そういう状況だけを思い出す。芳賀沼さんは、「木造建築・ログ材・曲がり材・設計」を営む会社の社長さん。福島県には、私の知らない素晴らしい実践をやっている方々が多い。一度、じっくり話を聞きたいものだ。
 全国の方々が、「福島支援」で駆けつけてくれる。有難い。地元・福島も、その支援を無駄にせず、その励ましを受けて、自立的復興の取り組みの発信が出来るよう、頑張る必要がある。来年3月で震災後4年。立ち上がらないと・・・(11/27)<26294>


◇ 雨の中、会津若松へ、非常勤講師。
 磐越道の雪が心配だったが、雨ふり。道路は心配なかったが、運転に睡魔が襲い、行きも帰りも大変。
 体力がなくなってきたのか、2時間近い往路、1時間半の講義、また2時間近い帰路。講義も、なかなか調子が上がらない。
 睡魔は、睡眠不足なのだろうが、就寝が遅く、老人並みに起床は早い。思い切って、早寝早起きの「よい子」にならないと。(11/26)<26283>


◇ 連休明け。特に仕事はない。
 普段しなければならないことを、まとめてやった。古新聞などをリサイクルに出す、散髪、本屋で定期刊行物取得、午後から自動車整備工場でエンジンオイルとエレメントの交換。ガソリン補給。整骨院へいって膝痛の治療。ということで、細々している。
 明日の授業の準備をして、9時から高倉健の映画「ホタル」をテレビで見る。ということで寒い一日が終了。最低8度、最高9度。ほんの1度しか上がらなかった。そろそろ冬支度か。心の準備もしないと。(11/25)<62266>


◇ 三連休の最終日。ちょっと外出して映画館に寄ってみたら、駐車場が満杯。やはり連休の最終日は混むそうだ。
 昨日の勤労感謝の日。もうそろそろ終わる映画。吉永小百合の「ふしぎな岬の物語」を見る。上映期間が終わりに近づいているのか、12時5分開始のみ。観客は10人程度かな。耳が悪いのか、音が割れるのか、方言なのか、早口なのか、少し聞きとれない。大音響なので聞こえないのではないが、少し聞きとれない。老人性難聴が押し寄せているのかも。日常的にも、聴き質すことが多くなったが。社会性のある映画とは言えないが、人間と人間の関わりの清々しさを感じることができる。吉永小百合が、自ら肩入れた作品らしいので、同世代アイドル(?)なので、見ないわけにはいかない。
 夜は、日生協のHさんが、会津に子ども保養プログラムのボランティアできており、その帰り、学類長のNさんが、一緒に飲もうということで、焼鳥屋で懇親。風評被害等の話になったが、福島の現実を、より正確に発信する必要を感じる。その意図から現実を見るのではなく、客観的な事実から。それを前提に、自らの行動については、各自の選択を尊重しながら。
 振替休日の今日は、ちょっと物探し。見つからない。これも高齢期の故か。夕方、コープの常任役員会。
 孫娘(2番目)が、熱を出したりというということで、遠くから心配。すぐに行けないのが残念。行っても役立たないが、様子が不明なので、心配しがち。回復に向かっているようなので、明日は元気になっていて欲しいが。(11/24)<26248>


◇ 秋晴れの土曜日。外の用事が、誰も無いので、ゆったりと終日過ごしました。
 いつも月曜日と水曜日の講義(非常勤)の準備不足で、アップアップしているので、今日は、質問等票をタイプして、かつ質問には回答を書く。結構、曖昧なところもあるので、改めて調べてみたりする。教えるということは、自らが学ぶことと改めて思う。
 近くのコープに灯油を買いに。しばらくぶりだが、18リットル7缶は重い。冬を迎える前の準備。外は小春日和のように暖かい。
 夜10時過ぎ、長野で震度6弱の地震。余震も続いたようだ。福島市は震度が出ていなかったが、特に揺れを感じなかった。不気味だ。被害がなければいいが。
 今日は、11月22日。「いい夫婦の日」だというが、ピンとこない。まあ、今朝しぼり(彌右衛門)が、届いたので、昨夜と今夜の夕食でいただく。喜多方で朝しぼったのが、夕方には配達される。晩酌しないので、珍しいが、まあ、これが「いい夫婦の日」のセレモニーかな。すっかり忘れていたが。(11/22)<26239>


◇ 午前中に、福島大に行って気仙沼の方の震災復興活動について聴こうと思っていたが、昨夜が遅く、また河北新報の原稿締切で何もできていないので、宅勤。結局、コタツムリですが、疲れは大分取れました。
 午後、生活協同組合研究という雑誌への寄稿の要請があり、その打ち合わせで担当者と会う。震災4年の時期、来年3月の発行であるが、コープの立場から震災復興の現段階と課題を提示するということである。なかなか原稿も書けなくなってきたが、まあ、勉強と思って頑張ることにした。締切りは1月中旬なので・・と安心していると、また大慌てにならないようにしたいもの。
 テレビで衆院解散の国会中継を見る。解散、12月2日公示、14日の投票というスケジュールで総選挙に入る。国民の審判がいかに下るか、政党側の問題もあるが、もっと、国民が主体となっていくべきと思う。劇場型では、日本は救われない。(11/21)<26231>


◇ 昨日の疲れか、体が重い。珍しく6時にアラームで起きて、2度寝してしまい、いつものテレビ体操に遅れてしまいました。寒かったせいでしょうか。最低気温マイナス0.3度の福島市の朝です。
 10時からのコープの川俣の取り組みの憲法の勉強会。ここは2度目なので、前回と少し変更が必要です。リピートが要請されるとは珍しい。1時間半も話すので、どうするかと思いきや、担当理事がコープおおいたでの話も含めてはということで、9条の問題と原発・震災関連死の問題も。9時にコープ本部により、レジュメの印刷をして、いざ川俣へ。市内の信号待ちなどで、結局2,3分遅れの到着。
 11時40分頃まで話して、後は、手作りの昼食とコープ食品などの試食会。暖かい「チヂミ」(?)。ネットで調べたら、<チヂミまたはチジミは、韓国料理の一つである。チヂミの呼称は慶尚道で話される東南方言に由来するもので、韓国の標準語ではプッチムゲまたはジョンとし、いずれも「平たく伸ばして焼いたもの」という意味である。特に朝鮮王朝の宮廷料理では「ジョンユファ、ジョンユオ」だと呼んだ。 >
 25〜26人、私より先輩が多いかなとは思ったが、纏まりのない話も良く聞いてくれた。結局、竜頭蛇尾。最初ノロノロ、最後駆け足の癖(?)は相変わらず。

 帰宅して、少し昼寝して、夜の「第79回ふくしま復興支援フォーラム」へ。いわき市の麻酔科医師・洪先生にお出ましを願った。いわきの未来会議の時のつき合い。ネットでは、娘たちと交流がある。医療体制の構築のために何が必要か、建設的なご意見もなされた。終了後、洪先生と二人で、ファミレスで夕食。いろいろなお話が出来て、良かった。また次のステップで、協働したいものである。夜の磐越道。安全にいわきまで着いてほしい。(11/20)<26222>


◇ 昨日・今日と仙台でのお通夜・葬儀に参加してきました。
 昨日は、予約していいた病院での定期診察。検査値は、先月と同じ、標準値内には入っていませんが、近付きつつ、立ち止まっています。食事を気をつけるだけでは、限界があると思うので、体を動かしたいのですが、あまり決断ができません。
 午後、仙台へ。2日間、福島ー仙台間を往復しようかと思いましたが、どうも自信がありません。それと高速料金もあるし、20日の学習会での報告の準備と21日までの原稿締切のための作業をしようと思い、ホテルをとることにしました。結果的にはオーライでした。塩竃の孫の所に泊まりたいとは思ったが、仕事が出来ないだろうし、イライラしたのでは孫が可哀想。6時から開始のお通夜は、淡々としたものでしたが、女川の中学校時代の同級生と久しぶりの再会です。やはり、同級生と並んで彼女がいないのは、寂しさ限りなし。
 今日11時からの葬儀、火葬、そして会席。弔辞の中で、彼女の人柄、頑張りが明らか。彼女が指導していた合唱団の代表の弔辞。合唱団の発表会の11月9日の2日前の緊急入院。病院から必死の参加。しっかりタクトを振ったようです。大変きつい仕事だったと思います。その一週間後に彼女は帰らぬ人となってしまった。入退院を繰り返し、本当に頑張ったと思う。
 同級生の弔辞の中では、女川時代からの交流の足跡を話してくれた。本当にガンバリ屋さんで、皆から愛されて、大変なこともあり、心残りもあろうけれども、幸せな人生だった思う。私個人は、東京の彼らの家(新婚当時)で、彼女のピアノの伴奏で、私が歌ったことを思い出す。心にもなかったかもしれないが、褒めてくれたのを思い出す。こうして、皆を励まし続けてきたのだと思う。今は、長い闘病から解放されて、ただ安らかな眠りをお祈りしている。合掌!
 夕方帰宅して、塩竃の孫宅からの藻塩のチョコレートが送られてきており、美味しくいただく。(11/19)<26210>


◇ 朝起きてびっくり。仙台市在住の女川以来の親友山田君からのメール。0時50分、奥さんが亡くなったことをメールで知らせてくれた。余りにも短文なので、気持ちが動転しているのだろう。すぐ電話したが、病院につきっきりで、看取ったようだ。重い病気を患ってはいたが、入退院を繰り返しながら、周りを気遣いながら、闘病してきていた。山田君を含め女川一中のバスケット部。強くはなかったが、55年間の友人たち。奥さんも同級生(旧姓石森和子さん)だから、訪ねても気兼ねがない。
 いつだったか、福島に用事があり、お二人で我が家を訪ねてくれた。何か、最後かなと思いつつ、元気なうちに訪ねようと来てくれたのだと思う。転勤で東京で住まわれていた時など、みんなで新家庭に押し寄せて、泊まらせてもらったことを思い出す。彼が、仕事の関係で、個人的にも大変な状況に置かれた時も、それを支え、何とか立て直された。いくつかの試練があって、それを乗り越えてきたと思えた。どんな時も、互いに信頼している様子は、頭が下がる。
 苦しい闘病の末ではある。残された彼の気持ちを考えると居たたまれない。予定の非常勤講師の仕事は、休講して後に補講をすることにした。お通夜、葬儀にかけつけるが、かける言葉が見いだせない。悲しい。今までのご厚情、ありがとう。(11/17)<26187>


◇ 日曜日。午前中には、松川運動記念会が募集する松川賞の運営委員会。大学の役職時に松川資料室にかかわったの関係で、手伝うことになった。松川事件・運動の継承を目的として、松川賞を設置する。年末には募集し、来年には、第1回の受賞者を発表する予定。当時の関係者が少なくなっている時期、後世に引き継ぐ義務がある。福島しかできないことだろう。
 夕方、フォーラム福島に行って、映画「坑道の記憶」を見る。坑夫の山本作兵衛が、当時の坑内労働を、詳細に描写し、ユネスコの世界記憶遺産にされたものである。いわきの博物館で、巡回の展示を見たが、映画は、お孫さんや関係者も出てきて、映像で見せてくれる。散逸している絵だが、国際的視点で見ると貴重なもの。我々の周りにも、気がつかないが、貴重な宝があるのかもしれない。見慣れたものでも、再認識する必要があるのだろう。(11/16)<26170>


◇ 慌ただしく金曜日・土曜日が過ぎた。
 昨日・金曜日。午前中に、今井教授の特別講義(ゲスト講義)を聴きに行く。女川の隣の雄勝町で復興に向けて活動している若い・阿部晃成さんの講義である。石巻市雄勝町の被災と復興の過程であるが、高台移転の問題が住民の意図に沿わない形で進んでいることの説明があった。雄勝町は、石巻市に合併して、地域は町役場から支所に変わった。石巻市全体で2割の職員削減と聞いているが、特に周辺部はかなりの減少であろう。福島に編入合併された飯野町は、合併前後で、役場の職員70名程度が、支所の職員7名程度に10分の1の減少と聞いているので、同じようなことが雄勝でも起きていると推測する。被災の酷い周辺部の職員は減少していることはあきらかで、そのことが救援の遅れ、復興の住民意向の反映の不足があるのだろう。私の頭の中には、自治体を超えてもいいから、雄勝―女川ー牡鹿の海岸線の連携を強化して、新たな街づくりを期待しているのだが。
 午後は、コープふくしまの定例理事会。事業収益構造も順調なのだが、いい時にこそ、問題点に対して早めの手を打っておく必要があるとは思う。
 夜は、高級料亭で、高齢先輩たちと同窓の懇親会。皆さん、お元気である。

 今日・土曜日は、朝からコープマート方木田店へ。地産地消の観点から、JA全農とともに、全店での全農フェア。方木田店でのオープンセレモニーである。生産者と消費者の連携は、特に被災後必要になっており、かつ拡大している。生産者が、苦労を重ねて安全な農産物を作ろうとしているか、その涙ぐましい努力の様子を見ているだけに、ともに連携を強めたいものである。
 方木田店の2階で開催している「浜のかあちゃん」の料理教室に潜入。試験操業のみでなかなか大変な状況が続いている相馬双葉農協の女性部の方々を呼んで、浜の料理の講習会。ホッキ飯、ホッキふらい、ホッキみそ。料理の過程は見学。ご馳走にだけはなった。美味しい。美味しい。試験操業も55種類になった。まだ3分の1だが、相馬の食文化を伝え、復興を推進しようとするかあちゃんたちに感動。そしてコープの組合員・お母さんたちが10数名。美味しさと連帯を強めた。3年8カ月経って、少しずつ復興の芽がでているところ。画一的ではなく、それぞれの場面での具体的な支援が必要だと思う。
 夜は、錦織の準決勝。惜しくも2対1で敗れる。でも、よく頑張ったなと拍手を送りたい。(11/15)<26165>


◇ 午前中、県の定例の会議。昨日から新知事が始動。何かと慌ただしい。
 午後、フォーラムの忘年会会場の相談、そして銀行による。早めの帰宅、深夜、錦織のテニス戦を見る。1時過ぎてしまった。テニスのフルゲームを観戦するのは珍しい。確かに、安定した実力を感ずる。頼もしい。(11/13)<26149>


◇ 今日は会津短大の非常勤。空はどんより、雪でも来るかなと思いつつハンドルを握る。スタッドレスタイヤに替えているので、いつでも来いという感じ。しかし、暖かい方か、そんな気配も心配もない。別の講義の授業評価で、「いつも遅れてくるのはどうしてですか」という不満があったので、反省してベルと同時に教室に着く。
 1階の非常勤講師控室から3階の教室まで歩いているうちに遅れてしまうのかも。エレベータがないので、60段近い階段を登っていくのは、どうも早足では無理。歳を感じる。そのうちに数分遅れてしまうのだろう。別の短大の常勤の先生に聴いてみたら、始まる5分前に先生は教室に入っているという。30数年来続けてきた、5分程度の遅れの開始というのは、個人的な慣例でしかなかったかと反省。先生によっては、20分前に入っている先生もいるらしい。勤勉だな。
 昔、労働局の関係の会議で、座長でありながら、開始時間にジャストインしたら、父親と同年代の方に、我々の時代(戦前?)は、「5分前整列と教えられた」と皮肉を言われたことを思い出す。それ以来、会議は気を付けているのだが、高齢者が多いせいか、開始時刻の5分前には会議が開始することが多くなった。時間どおりに入ったものの、授業を受ける体制ではない。いつもの通り「静かにしてください」から出発。慣れてしまった所から、他の大学に行ったりすると、その慣行がもの珍しく、新鮮でもあるのだが。社会は、真面目になってきたのかも。
 児童福祉関係の授業だが、最近の法改正の動きについての準備が不足していたかな。常日頃の勉強が必要なのだろう。

 折角の機会なので、会津若松市にある「福島県立博物館」に立ち寄る。「特別展 東日本大震災復興記念 みちのくの観音さま 人に寄り添うみほとけ」を鑑賞。東北各地の観音像、観音に捧げられた奉納品、観音ゆかりの多彩な文化財を幅広く集めて展示公開している。東北のお寺からだからなじみ深い。石巻、大船渡、登米の3つの長谷寺(ちょうこくじ、はせでら)の観音様、牡鹿半島・網地島の常春寺の観音像など、機会があれば直接行ってみたいところ。
 木彫仏、金剛仏、鏡像・御正躰。その他、絵馬、仏具、調度品、さらにみちのくの三十三所巡礼、講とご詠歌の歌詠みの書き物とビデオも流れている。このご詠歌、懐かしい。いろいろの時に歌われたのであろうが、私は、母親の葬式などの際に、十人以上の白装束の近所の婦人たちが合唱していただいたのが、思い出される。悲しい音色だが、何か心が休まる音色。友人たちの応援歌だったのかもしれない。観音像に詳しくはないが、何か、千年も前からつづく仏像など、東北に静かに眠っている素朴な仏像を、見て歩きたいと思う。また、福島の近郊の「信達三十三所」も機会があれば。女川にも三十三観音があったかな。心洗われて、帰宅のドライブ。(11/12)<26130>


◇ 震災3年8カ月目。そろそろ4年経ってという原稿依頼が来た。こうやって、いつの間にか10年になるのだろうか。復興への足は重い。
 午前中から、県文化センターで、福島県生協大会があった。県の生協連の主催。午前中は、金子勝氏の講演。勢いのいい講演だった。昼食をいただき、午後の各生協からの活動報告。消費生活組合だけでなく、医療生協なども報告。いずれも震災対応の活動報告が中心。様々な分野・地域での協同組合活動の状況を知ることができた。暖房が入ってなく、少し風邪気味。
 佐藤雄平福島県知事の退任のニュース。新知事が、いかなる舵取りをするのか、注目の的。(11/11)<26123>


◇ 今朝は、コープの本部職員の朝礼。月はじめの恒例だが、冒頭に挨拶をしなければならない。川内原発の動き、再生可能エネルギーの動向等々触れたが、年末までに決めるという来年10月の消費税再アップ。10%の消費税になるかどうか、消費者の生活、コープの営業にとって試練の時期。
 一端自宅に戻り、午後からの福大での非常勤へ。医療保険、医療体制の話をしたが、どうも盛り上がりに欠ける。教師が燃えないで、学生は燃えるわけがない。2コマ連続(3時間)なので、マイクを使ったが、声がかすれてしまう。まあ、仕方がないか。
 急いで、コープの常任役員会へ。出張などで、複数の欠席者もあり、短時間で終了。市民を十分にして、元気に動こう!(11/10)<26107>


◇ 日曜日、しばらくショートスティにお世話になっていた義母が帰ってきた。体重も増えて、元気な様子で安心。
 夕方、駅前のホテルで、元福島大学長の山田舜先生の米寿のお祝いの会に出席。広島で被爆し、また福島で原発事故で被曝しながら、活躍してきた山田先生の足跡を知る機会となった。多くの知人が見えられ、和気あいあいとした会合。東京から、晴山さん、北村さんも見えられ、同窓会のような雰囲気。
 これからも、元気に、福島県民を指導してほしい。(11/9)<26100>


◇ 土曜日ですが、朝に「相談会」の仕事で出かける妻を送って、終日、自宅。いい天気ですが、ボヤーとしていると時間が早く過ぎます。昼ごろ、膝痛の治療で、いつもの整骨院へ。電気をかけて、あとはマッサージだけですが、幾分、楽になります。騙し、騙し、使わなければならないのでしょう。
 夜、フィギュアスケートをテレビ観戦。フリーの前の公式練習の際、羽生選手は、中国選手と衝突してしまい、頭に包帯、顎から出血の状態での出場。痛々しいのですが、逆転優勝にはなりませんでしたが、前日の2位をキープできました。合理的に考えれば、あるいは辞退の方がいいのかなと思いましたが、本人たちの意思も固く、両選手とも出場。出場する前、握手している姿を見ると、若い人の市民交流がうれしい。それにしても、サンゴの大量の密漁船は、理解し難い。平和裏に解決して欲しいものだ。(11/8)<26089>


◇ ちょっと疲れ気味の金曜日。午前中は、そろそろ冬支度。タイヤの交換をしてきました。来週の会津若松行きも安心です。タイヤは大丈夫でも、吹雪の渋滞などにも見舞われることになるでしょう。非常勤は、回数が15回と決まっているので、休講にすると補講をしなければなりません。本来は2月初めに終了なのですが、ますます危険期間に突入です。あとは、祈るしかありません。
 午後、しばらくぶりに映画を見てきました。「蜩ノ記」。15時からなので観客は5名。少し寒い。何か心が洗われるような映画です。いつの世も経済と政治が癒着することは避けられないのでしょうか。女川にも映画館があったらいいのになと思います。大昔は、「黄金座」というのがありましたが。
 昨日の式典で一緒になった、仙台水産の石森専務(女川出身)に、祝賀会欠席のお詫びのメールを出したら、ご丁寧な返信。女川のお兄様には、大変お世話になっていて、隠れていた糸が繋がったような気がします。お互いに知らなかった郷里出身者が、思いがけなく出逢う。何か、有難い感じです。これも、歳を重ねた結果でしょうか。原発避難している方々の帰還の希望は、高齢者ほど多いのですが、先祖の墓守とか、高齢者らしい拘りと理解してきましたが、自分も歳をとってきて、しきりに郷里・女川への拘りが強くなってきます。それはきっと、原発被災地と同じで、子どもの時からの思い出を全て破り捨てられたことに対する無念と、何か、破壊されたまま人生を閉じることに対する無念さなのでしょうか。震災も無く、営々と郷里の街が発展していれば、遠くから微笑んでいればいいのかもしれませんが。高齢期は、残された時間が少ないので、焦ってしまうのでしょうか。自分と原発被災避難者を重ねて、皮相的な理解に疑問をもっています。(11/7)<26083>


◇ 朝の新幹線で、コープふくしまの専務理事及び組合員理事ら6名で、東京・元赤坂の明治記念館へ。日本食糧新聞社主催、農林水産省・環境省後援の「平成26年度 第47回食品産業功労賞 第23回食品安全安心・環境貢献賞 贈呈式」に出席して来ました。功労賞には14名、貢献賞には5社が選考されました。前者の流通部門で、日生協・浅田会長が、後者の審査委員会特別賞にコープふくしまが選ばれました。その受賞のための上京です。コープふくしまの受賞理由は、「全国の組合員と連携した『福島』を支える交流の推進」です。伊藤園や永谷園等と一緒に受賞することになりました。2時間ほどの授賞式の後、農水大臣が挨拶する祝賀会があったのですが、福島で開いている「ふくしま復興支援フォーラム」に間に合わせるため、他の理事さんらにお任せしてとんぼ帰り。

 「フォーラム」は、第78回目。田村市の市長さんにお話ししていただきました。26名と少々、参加者数が低迷していますが、当初のような緊張感がなくなってきたのでしょうか。開始以来3年が過ぎましたので、課題の発展が必要な時期でしょう。具体的なイメージは湧かないのですが、現状分析的な所から、一歩、政策的なところに足を入れなければならないでしょうか。その場合も、広範囲な市民的討論のスタイルを維持したいとは思いますが・・・。(11/6)<26072>


◇ 昨日・火曜日は、取り立てた用事もなく、宅勤。翌日の講義の準備と翌々日のフォーラムの資料作り。本当に、驚くほど手作業依存です。
 今日の午後は、振替月曜日の講義、福大の非常勤です。曜日が変わって勘が狂ったのか、いつもは出欠代わりに感想文などを書いてもらっていたのですが、用紙を渡すのをすっかり失念。終了してから気が付きました。福大の場合、厳密に出欠は取っていませんが、いつもその感想・質問をプリントして、私の方からも必要なコメントをしているのですが、すっかり忘れてしまいました。来週出欠をとるのは意味がないのですが、今日の講義での反応等、知りたいので、来週は2枚書いてもらうかな?うーん、なんで忘れたのか・・・・???
 昨夜、友人から郵便局に勤めているゼミ卒業生が、年賀状ノルマで困っているとの話。妻に聴いたら既に購入済みとのこと。私のゼミの卒業生のFacebookのページに書いたら、すぐに協力の申し出がありました。実家の分まで含めて、大量の枚数。本当に有難い。
 労働者のノルマは大きいのでしょうが、少しでも助けることができれば幸いです。労働法上、こうしたノルマは問題と思いますが、弱い立場の労働者からの問題提起は難しいのでしょう。労働者の権利が、段々、掘り崩されているような気がします。
 大学に行ったついでに、フォーラムで借りたノートパソコンを返却のために、中井さんの所に寄り、しばし歓談。元気に頑張っていて、何よりです。
 先日、理工学類創設10周年の二次会で立ち寄った料理店で、落語の独演会を開催することをFacebookで知りました。三遊亭兼好師匠、会津若松出身です。滅多にない機会なので、ナマの落語を聴いてきたいと思います。(11/5)<26063>


◇ 三連休の最終日。文化の日です。
 次女は、朝7時半に発ちました。休日だが、職場の待機の仕事とか、長女も仕事ですと。親は、自宅でゆったりしています。
 午後、コープの常任役員会に出席。今日は福大の非常勤講師の仕事も無かったので、フル出席。大学は水曜日に振り替え。たまたま会津の非常勤がぶつかっているのですが、あちらも水曜日だが月曜日の振り替え授業ということでお休み、上手くいきました。どこも、月曜日の休日が多いので、苦労しているようです。
 コープは、お店も休日の方が忙しい。休んでいられません。いろいろ新たな課題もあり、順調に新年を迎えたいものです。
 被災者生活再建支援法の改善の署名運動をしていますが、津波被害者はいいのですが、原発被災者で長期に避難している者には適用されていないようで、これまでの日弁連などの適用の要望等について読んでいました。福島の場合には、この問題に触れないで被災者生活再建支援法の署名は難しそうです。原発被災の損害賠償とは異なる問題として考えるべきとは思いますが、そもそもこういう事態になることは予想すらできなかったので、法改正も含め検討すべきとは思います。(11/3)<26041>


◇ 三連休の中日の日曜日です。快晴の後、空も崩れてきました。
 ショートスティでの洗濯物の送りのついでに、帰省している次女とともに、飯坂温泉にできた「はなゆまち」を見学に行ってきました。お世話になっている「はなひらの」の事業主体のわたり福祉会が、10月に開所した「デイサービスセンターはなゆまち」と11月にオープンした「ケアセンターはやゆまち」です。デイサービスは、15名の定員ですが、温泉もあり、飯坂ならではのゆったりしたスペース。ケアセンターの方は、地域交流スペースを大きくとって、今日も、近隣の町内会の会合を開催していました。老人施設が、地域交流施設と一体化しており、快適な様です。敷地内でフリーマーケットも開催されて、地域の中核的な施設になりそうです。突然の訪問でしたが、所長さんにくわしく説明いただきました。
 午後、日本トルコ文化交流協会の方々とお逢いしました。「ふくしま復興支援フォーラム」について、いろいろ質問をいただきました。光栄なことですが、フォーラムも次への展開も必要な時期です。いろいろ質問を頂くと、当初の思いも浮かびます。
 復興は、単に震災前の状態に戻すのではなく、原発被災にいたる福島県の経済・政治・行政などの問題を見詰めつつ、それを分析しつつ将来を見通そうということでした。フォーラムの何回かの報告の中で、この異常時の被災状況は、平常時の福島県の有りようと無関係ではない、ということが強調されました。医療体制の問題も、震災で生じた問題であるだけでなく、震災以前の(平時の)状態の問題が、この異常時のなかで、その問題を深刻に噴出させたということです。したがって、その問題を抱えた(平常時の)状態に戻すだけではなく、その平常時の問題自体を解決することが目指されなければならないと思われます。中央従属的といわれる地域経済の自律的展開、政治も行政も、医療も教育も、同様の問題と思います。ささやかな取組みを見直す、いい機会になりました。(11/2)<26034>


◇ 11月になりました。今年もあと2ヶ月です。何か、時の流れが早く感じます。
 今日は、親戚の結婚式。仙台の八木山の結婚式場です。小雨の煙る中、妻と一緒にマイカーで出かけました。私の兄の娘の長男。姪の長男です。私と4親等の間柄です。震災の時に、丁度、大学院進学で入学費用等でいろいろ心配したことを思い出します。兄は、20年以上前に無くなっていますが、義姉は津波の被害者。気分的には、兄や義姉が元気だったらと思うと、せめて参列しようと思いました。
 工学関係の大学院を修了後、工場で研究職で働いている新郎、そして小学校の教師をしている新婦。多くの仲間、親戚などの祝福を受けて、幸せな新生活のスタートを切りました。姪が親ですから、こちらは爺さんの立場。姪たちも、親として、立派に果たしていました。こういう式がある度に、世代の交代を感じます。またその幸せを感じます。若い人には不透明な情勢の中での不安もあるでしょうが、何とか切り開いて行って欲しいと思います。帰宅は午後6時になりました。(11/1)<26020>



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