日 記

(2015年1月)


<今野順夫の部屋>

◇ 2015年の1月も今日で終了。明日から2月。早いもの。何か、追いまくられているようで、今週もあっと間に過ぎ去った。
 水曜日(27日)は、会津短大での非常勤だが、以前、葬式とぶつかって休講にしたので、その補講。2コマ連続で行った。4時頃までの講義なので、帰宅は6時頃。冬道は、夜は通りたくないが、比較的順調に走行。
 木曜日(29日)、妻が広島での小学校の同級会へ。ついでに岩国や京都にも寄りたいと出かける。駅まで送る。昼まえ、コープとして銀行から融資を受ける調印。実質、利率の低いものへの借り換え。午後、「国連防災世界会議関連事業inふくしま」の実行委員会。メインの会議は仙台だが、やはり原発事故の福島でという親友の熱意で3月に実施。手伝いで出席。夜は、84回目のふくしま復興支援フォーラム。福大の岩崎さんに報告してもらったが、話が具体的で面白い(食と農でつなぐ、福島・女性農業者の取り組み)。展望が出てくる話だった。6人で遅めの夕食。帰宅は11時。
 金曜日(30日)は、昼ごろからしんしんと降雪。17センチの降雪、23センチの積雪。福島としては珍しい。雪道を走り、4時頃から、福島市とJAの共催の「農始祭」に参加。初めての試みとのことだが、農業賞の表彰などなど、原発被災の中での努力、これもまた勇気を与える。少し早めに中座して、NPOの脳バンクの審査委員会+懇親。帰りには、雪も止んで雨に変わったようで、何とか自宅に辿り着いた。
 今日は、郡山で、「高齢社会を良くする女性の会・郡山」での講演。元気なご婦人たちの集まり、震災からの復旧・復興について話す。福島市とは異なる、郡山市の雰囲気が理解できた。
 締めきりすぎた原稿に頭を抱えていたが、心配しているようなので「仮原稿」を送ったら、このままでいいとのこと。ホッとしながらも、校正の段階で、少し詰めないと。どうしても先送りにばかりなる。まあ、これも「ありのまま」か。(1/31)<27092>


◇ 毎日、用事に追いまくられ、更新ができないでいます。
 水曜日(21日)は、会津若松の非常勤講師。木曜日(22日)は、福島大学の中井学長によばれ、法人化10年経っての座談会。何か、パンフレットにする予定らしい。前学長の入戸野先生と3人の鼎談方式です。簡潔に話すには、難しい。発足当初からも、法人の実態はかなり変わりました。教育と研究の拠点として、その役割を果たしてい欲しいと思います。
 金曜日(23日)は、沖縄の実状を扱った映画の実行委員会のまとめの懇談会。若い方々にもっと見て欲しかったとの意見が多いのですが、それは中高年齢者の参加が多いからなのでしょうか。若者も、なにか忙しいようです。土曜日(24日)は、市内で打ち合わせ。課題は少なくありません。
 日曜日は、終日、親戚の結婚式。女川で被災して多賀城に店を構えた姪の長男の結婚式です。盛大な披露宴です。長いセレモニーですが、若い二人は笑顔がいっぱいで、うれしそうです。津波の被害から、避難先での店の営業、当初、とても心配しましたが、長男が継ぐことになって、新しく発展することでしょう。私も、肩から荷を下せた感じです。あとは、頑張ってほしい。様々な被災者・被災地支援も、もう4年が経ちますから、心配しないで当事者の自立的な運営に任せる時期かなとも思います。主観的には、支援の心はありますが、関心をもちながらも、足手まといにならないよう、手をそっと引くべき時かも・・。女川の駅も3月21日に再開。ある意味では自立宣言でしょう。
 今日は福大での非常勤。次回は最終の講義。1週間に2校の非常勤は、少し年齢を考えるとハードだったかな。締めきりすぎた原稿、特集なので他の方のものとの重複が多いので、書き直しをすることにした。最初の出発点の誤解があったかも。大学からの帰り、コープの常任役員会に出席して、帰宅。今週は、会津での最終の講義、会議、フォーラム、他団体の行事、NPOの会議、郡山での講演と土曜日まで連続。倒れないように頑張りましょう。(1/26)<27037>


◇ 昨日の火曜日は、原稿が書けなくて悶々とした日。嘆いても仕方がありません。出来るとことを精一杯やるしかありません。
 今日は、非常勤で会津若松へ。いい天気で、道路には積雪もありません。磐梯山も美しい、というか神々しい。若松通いも、あと二日。なんとか雪のため通行止めにならないことを祈っています。
 目前の原稿が書けていないのに、また法律系雑誌からの依頼。どうしても震災・原発事故4年目、現地からの発信が求められ、逃げるわけにはいきません。講演依頼も追加され、自信はないのですが、呼ばれるうちが花と思い、頑張ることにしましょう。(1/21)<26973>


◇ 調子があがりません。なかなか原稿が書けないのです。常日頃の蓄積がモノをいっているのですが。日曜日は、月曜日の講義の準備も並行しますが、2コマ連続なので、少々ハードです。
 月曜日の今日は、非常勤で福島大へ。残された講義期間も僅か、焦っているのか、少々空回り。学生が気の毒です。何とか、予定通り行いましたが、思った通りの学生の反応。次週にカバーしましょう。本当に自転車操業です。
 コープふくしまに急いで行って、常任役員会。一日があっと間に終わります。(1/19)<26952>


◇ 昼から国見町の観月台文化センターで開催される「人権講演会in国見」に行ってきました。「三陸の被災地から命の大切さを伝える」のテーマ。
 この種の研修会・講演会は行った経験がありませんが、たまたまカーラジオで、町政だよりを聞いて、講演が、女川町観光協会の阿部真紀子さんということなので、参りました。以前、コープふくしまの組合員活動家と一緒に訪問した時に、説明してくれました。郷里のことだし、お世話になった御礼もと思ってのこと。郷里・女川のことを、福島で聞くのは不思議な気もしますが、聴衆の国見の方々、大分感動していました。聞くと、以前JA等が女川を訪ね、お世話になったようで、多くの方が阿部さんと顔見知りでした。女川の進む復興作業を聴くと、福島の足の重さが身に沁みます。
 阪神・淡路大震災の20年目の日。多くの方が神戸に集まりました。神戸の方々に震災復興に向けて、多くの指導を受けたことに感謝していますが、神戸も復興の陰の部分が継続し、それもまた貴重な教訓です。結局、「創造的復興」か、「人間の復興」か、当初から指摘されてきたところです。「人間の生活の復興」の視点から、見続ける必要があるのではないかと思います。様々な産業・研究機関の進出も取りざたされていますが、表面上の問題ではなく、ひとりひとりの生活が、どのように回復しているのか、そこに焦点をあてて見ていきたいと思う。(1/17)<26935>


◇ 木曜日(15日)は、大忙し。昼過ぎから、福島県の委員会の出席。議題は多くありませんでしたが、判断の難しい問題もありました。侃侃諤諤、遠慮しないで出しあったのは良かったと思います。意に反する妥協をしないことは重要です。
 一旦、帰宅してから、夕方のフォーラムに出ようかなと思ったのですが、4月以降の会場などの手続きをやっていたら、結局、夕方の会合に繋がってしまいました。ふくしま復興支援フォーラムも、第83回になりました。参加者数が多い訳でもないし、一生懸命動員しているわけでもないのですが、30名は来てくれます。今回は、直前、報告者が交替したので、心配したのですが、なんとか充実したフォーラムになりました。
 夕食を外で食べて、帰宅しましたが、いろいろ気を使ったのか、疲れが出てしまいました。
 今日の金曜日、家族の仕事場への送迎以外は、自宅に閉じこもっていたのですが、締切りの原稿ができません。常日頃の蓄積が不足しています。慌てて資料を読んだりしていますが、迷惑はかけられないので、何とか週末にはケリをつけたいところです。少し、悶々とした一日、眠い一日でした。(1/16)<26927>


◇ 会津若松の短大での講義(非常勤)。また、雪を気にしていましたが、出発は快晴です。東北道を郡山JCTへ南下する途中、青空に吾妻連峰、安達太良連峰が見え、写真を撮りたくなりますが、運転中では無理。磐越道に入り、磐梯山もくっきり見えますが、空の方は曇り、ちょっと残念。
 講義を終えての帰路。眠気のため、安達太良SAでちょっと小休憩。
 締切り目前の原稿に取りかかりましたが、エネルギーが漲らない。4年目の復興の現状と課題、優れた様々な論考はありますが、自分の関わり合う所でまとめるしかないかなと居直っています。それにしても間に合わないか・・。(1/14)<26913>


◇ 連休明けの火曜日。4週間毎の定期診察。気になる値は改善もせず、悪化もせず。医師は、まあ、少し高めだが問題なしとのこと。少し、生活を緩めていたので、ホッとするが、やはり意識的な運動は必要だろう。
 午後、S氏の当面の活動事務所を訪ねる。第3回国連防災世界会議in福島の準備である。仙台中心ではあるが、ぜひ福島でも開催するということで準備をしている。確かに、防災の中に原発被災を組み込むことの問題はあるかもしれませんが、やはり今になってみると欠かせない防災の課題。世界の人にどう訴えるか、体制は弱体だが、成功させないと。3月16日―17日、福島集会である。
 世の中の連休で、ペースが狂うが、立て直して当面の課題を果たさないと。(1/13)<26902>


◇ 何もなく、連休の2日目、3日目と過ぎた。孫宅が風邪と親の仕事で大変だというので、行こうかと思ったら、必要な日時があわない。本当に役に立たない爺だ。
 日曜日(11日)は、震災3年10ヶ月の月命日。17日が阪神大震災の20年ということで、二つの震災の報道が流されている。国際的には、フランスの新聞社に対するテロ攻撃。パリでは近隣の国の指導者も含め、160万人のデモ。宗教問題に短絡的に結びつけることの怖さを知っているヨーロッパの健全さを感ずる。あくまでもテロ攻撃で、一般の信者に報復が行かないよう自制を強くする必要がある。いったん、錠が外されると際限ない争いになる。その意味でも、日本のヘイトスピーチに対する危惧がある。
 今日の月曜日(12日)は、成人の日の祝日。東日本の被災地での成人式、そして阪神大震災時に生まれた子供たちが成人。支援に感謝し、自らが復興に向かうという頼もしい青年たち。我が家の一番下の3番目の孫は、震災直後(2週間後)の誕生。今後、東日本大震災後20年という時期も来るだろう。成人式の晴れ姿を夢想するが、そこまで元気でいたいものだが・・・、難しいかな。
 木曜日のフォーラムの報告者が、やむを得ない理由で、都合が悪くなったので来れないとの連絡が、秘書を通してあった。100回近くになるが初めての経験。既に、聴講したいとの連絡もあるので、穴をあける訳にはいかず、大宮に住む友人に頼む。何とか、やっていただけることになったが、年の初めからついていない。数ヶ月前に、訪ねて行って、確認したのだが、あまり事前過ぎたか。気を引き締めて進めていかなければなるまい。
 夕方、コープふくしまの常任役員会。子会社の経営状況も聞く。(1/12)<26886>


◇ 土曜日、自宅でおとなしく仕事。とはいっても生協関係の研究誌に、震災4年目の原稿の締め切り一週間前で慌てているのですが、その雑誌の過去のものを探していたのですが、ありません。図書館にも大学にしかないので、電話をしてみたら、予め申し込んで、それに基づいて引きだすのだそうです。図書館工事中で、みんな不便をしているのでしょう。休日だし諦めて、個人所蔵しているだろう人に連絡。不在でダウン。なかなかうまくいきません。それがあったからって原稿がすすむ訳はないのですが。
 事務を担当している「フォーラム」。何とか3月末まで報告者を予約できました(88回目)。そろそろ4月以降に入ります。7月末まで、まずは会場の確保。あとは報告者を探して、都合のいい日にお願いすることになります。7月末で96回。ある方から100回記念には行きますというメールがきたのだが、9月末の予定だが、何か記念すべきことをやる必要があるのか、そこで終了するのか、ペースダウンするのか、まだ決めかねています。それにしても震災後4年が迫っています。復興集中期間が5年間なので、それを延長するのか、大きく動く時期でしょうか。
 阪神大震災から20年が近づきます。未だに復興の課題が達成していない状況を、塩崎著「復興災害」(岩波新書)で読んでいます。慌てないで、人間の復興を目指す取り組みを進める必要があるのでしょう。
 夜は、「男はつらいよ」のシリーズがまた始まり、萩の酒を飲みながら観てしまいました。いつも見てもいい映画です。(1/10)<26870>


◇ 風邪気味なのか、いま一つ、体調がすぐれず、3日が過ぎてしまいました。
 水曜日(7日)は、会津若松の短大での授業。非常勤講師です。磐越道が心配でしたが、休憩するためにサービスエリアに入りましたが、吹雪いて周りの、勿論、磐梯山も見えません。それでも、交通量が多いので、轍が微かに見えて、運転に支障はありません。1時間半の授業を終えて、また来た道を帰りましたが、インターに入る所の国道(49号線)は、地吹雪で信号機が見えません。カーナビが曲がるところと指示したので、辛うじて赤信号が見えました。青信号で交差点にはいる車の発見が遅く、ひやっとしました。高速道は、多くの車が繋がっており、運転には苦痛ではありません。郡山JCT過ぎてからの東北道は、全く積雪なし。こんなに違うのかとびっくり。
 帰宅して、予定していた、飯坂での入浴。デイサービスと地域交流センターが併設されており、源泉掛け流しの温泉で温まってきました。雪の会津往復の緊張が解けました。
 木曜日(8日)は、コープふくしまとしての新年の挨拶回り。恒例ですが、少し遅くなりました。地元紙の民報、民友新聞、そして取引先でお世話になっている内池醸造、そして卸売市場の丸果、丸公。9時15分に出て、12時にコープ本部に戻ってきました。
 今日の金曜日(9日)。午後からコープの定例理事会。新年最初の会議です。終了後、和やかな新年会。さあ、今年も頑張りましょうという意思統一。暮らしの問題にせよ、平和の問題にせよ、大変な年になりそうですが、風邪気味を吹っ飛ばして、歩み始めましょう。(1/9)<26855>


◇ 特に予定が入っていなかった日ですが、以前、川俣町でお逢いした沖縄の先生が来られて、駅の喫茶店で2時間ほど懇談しました。
 沖縄知事選挙のこと、ベトナムとの友好活動とのこと、福島と沖縄とのより緊密な交流のことなど、内容の濃い話でした。福島と沖縄の知事選挙が同列に扱われてきましたが、その経過と結果を見ると、県民の成熟度の違いが痛感させられます。長い歴史、闘ってきたこれまでの県民の蓄積の重みを教えられます。
 原発と基地と、差別構造の中に置かれる両県ですが、主体性の違いでしょうか。中央との近さでしょうか。戊辰戦争、自由民権運動、松川事件等、福島の歴史を振り返りながら、この原発事故から立ち上がれるか、沖縄の経験を見ながら、将来を見通しながら、深く洞察する必要があるのでしょう。
 帰りかけたら、携帯に電話。コープ関係で沖縄で福島の話をして欲しいとのこと。全く偶然なので、驚きました。別団体ですが、沖縄と福島の交流の話をしている最中に来るのですから驚きました。
 3月初め、いろいろ職務をやり繰りして、同僚に代行していただきながら、沖縄に行くことにしています。全国の原発事故への関心が薄れ始めていることを嘆くだけでなく、何を発信すべきか、考える機会にしたいと思っています。
 少し風邪気味なのか、調子はいま一つですが、前向きに歩くことにします。(1/6)<26819>


◇ 新年も始動しました。
 世は仕事始めですが、コープふくしまは、お店や共同購入等、元日のみの休みで、仕事は既に始動しています。本部職員向けの月初めの朝礼ですが、新年の朝礼となりました。恒例の理事長としての挨拶は、今年が戦後70年の節目であることと、戦後構築してきた平和の努力が、いま破壊されようとしている情勢と私達の責務の話をしました。深刻にならず、しかし理由のない楽観を戒め、頑張りたいという気持ちです。専務の報告する経営状況は、順調で、何とか維持していきたいと思います。
 いったん帰宅し、今日から、義母がショートスティに行く手伝い。
 福島大の非常勤講師へ。13時から16時。久しぶりの話で、少々疲れます。大学からコープふくしまの本部へ。遅れましたが、定例の常勤役員会。
 また、3分の2の家族になり、少し静か。しばらく続きます。孫たち(2人)が具合悪いとのこと、インフルエンザは陰性とのことで安心したが、正月休みで疲れたか。早く元気になってほしい。(1/5)<26801>


◇ 正月休み明けの日曜日。全国、民族の大移動です。
 明日からの仕事の準備で、終日、宅勤だが、体が鈍ったのか、居眠りばかり。気を張って、新年の活動を開始したい。(1/4)<26786>


◇ 朝、起きてみると積雪。仙台に行く用事があり、皮靴では難しいので、ブーツを探し、オーバーを着て出発。
 外尾先生宅訪問と夕方からの高校同期会の新年会。多分、アルコールも入るので、車をおいて飯坂線へ。歩道の雪は除雪されておらず、最寄りの駅までの徒歩は難儀。電車が遅れてくれればいいがと祈りつつ急ぐが、結局定時に電車は出て、乗り遅れ。そこからタクシーをよんで、福島駅まで。何とか辛うじて、予定の新幹線に間に合う。
 仙台駅から市バスで、八木山の恩師・外尾先生宅へ。仙台の伊藤先生、山形の高木先生と合流する予定が、大崎八幡宮の初詣の渋滞に巻き込まれ、30分ほどの遅れ。新年のご挨拶。手づくりの昼食・フランス鴨の美味しい料理に舌鼓。食卓を囲みながら、ビール等も頂き、長い歓談。外尾先生もご高齢だが、お元気で、飽くなき問題関心の話に圧倒される。勉強の面白さをとくとくと話され、自らの怠惰を反省。
 夕方からの新年会もあり、4時半頃おいとまさせていただく。高木先生の車で、仙台駅前の新年会の会場に送っていただく。30人ほどだろうか、担任の富樫先生も元気な姿を見せ、しばしの歓談。亡くなった三人の同期生に黙祷。河北新報に連載したエッセー(「座標」)を読んでいる方もおり、何か一言をと言われ、戸惑う。仙台市在住の同期生が中心だが、お互い古希を過ぎて、可能な限り逢う機会を大切にしたいと思う。帰り路、同級生(4組)の阿部君と高橋君と喫茶店でコーヒーをいただく。元気な再会を期して、帰宅。
 新幹線で福島駅へ。飯坂線には時間があり、また駅から自宅までの15分の徒歩の厳しさに、タクシーで帰宅。新年の締めとして、心温まる一日だった。(1/3)<26775>


◇ 正月2日目。自宅で、寛いでいました。とはいっても、休みあけの講義や原稿締切の準備。
 年賀状への返事書き。現職と異なり、枚数も少なくなってきました。仕事の上での付き合いですから、仕事が終われば少なくなります。年末の喪中のはがきも多くなりました。投函してから、受け取るものもあるので、間に合いません。可愛らしい子どもたちの写真というよりは、孫たちの写真も多くなりました。健康維持に専念している日頃の状況。子供の写真から孫の写真へ。年代によって変わってきます。
 返信年賀状を急いで、本局まで持参。ガソリンスタンドに寄り、ご年始のお菓子を買って、帰宅。道路は混んでませんが、お店は混んでいるのでしょう。明日は正月三日。今年の正月も終わり、新年が始動します。明日は、恩師宅を訪問、帰りに高校の同期の新年会。懐かしい顔に逢えるでしょう。(1/2)<26761>


◇ 新年、2015年が明けました。おめでとう!
 早朝、今日の仕事に向かう次女を出発させるため5時起き。6時過ぎに出発し、風雪が心配になったが、何とか2時間の行程、無事到着。一仕事終わった感じである。
 長女の方は、昨日のうちに日帰り。今日の初売りで、今年入学する2番目の孫娘のランドセルを購入したようだ。今日から初売りか。自分で色も選択したらしく、満足しているようで何より。LineやFacebookで、情報をゲット。いずれにしろ、すごい睡魔で、うとうと・・・。
 風が強かったり、小雪が舞ったり、日の光が見えたり、安定しない一日だったが、とにかく新年は開始した。外形的には、とくに自分のことでは変化の予定のない年だが、2015年は1945年から70年。70年前の8月、広島・長崎への原爆投下、ソ連の対日参戦、そして全面降伏。そこからすべてが始まる。
 歴史に「仮に」ということはないが、もし7月末のポツダム宣言を、早めに受諾していたら、広島も、長崎も、中国残留孤児、シベリア抑留も、あるいは・・と思ってしまう。指導者の役割は、何を守るかの観点から、その撤退の勇気を持たなければならないのではなかろうかと思う。それは、国民の生命と生活であるべきだが、どうも国体護持のみだったのではなかろうか。その結果、犠牲の大きさは目を覆うばかり、残念なことであった。この反省の上に、日本は再出発したが、支配層の反省が不十分で、体面上にのみ留まることが、捻じれた戦後史を形成してきたのではなかろうか。こんな時期だから、戦後の70年を、勉強しなおす年かもしれない。
 何とか、健康で、1年を有意義に過ごしたいと思う。コープふくしまで出している「協働のうから」1月号に、理事長としての新年の挨拶掲載。テキストもブログに掲載。(1/1)<26749>



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