日 記

(2015年3月)


<今野順夫の部屋>

◇ 3月の最終日。そして2014年度の最終日。震災後4年が過ぎましたが、来るべき新年度は、地域が自立していくことに、どれだけ力を注げるか。
 今日は、先輩から手紙が来て、お世話になった先輩の訃報が含められていました。学生時代、いろいろお世話になりながら、お礼の言葉も言う機会も失い、残念です。
 昼前、県立図書館を訪ね、館長さんに松川賞のポスターの掲示をお願いしてきました。好意的な対応をいただき感謝していますが、松川事件の勉強の企画があれば、協力していきたいと思っています。折角なので、以前お世話になった職員のSさんにお逢いしましたが、地域の図書館のことで、詳しいメールもいただきました。ハードができつつある時、やはり並行してソフト、住民の心に寄り添う地域の図書館充実の運動が、人間生活の復興には不可欠のことと思います。(3/31)<27849>


◇ 快晴の日曜日&月曜日。
 日曜日(29日)、出かけることもなく自宅にいたが、夕方、飯坂温泉に風呂に入りにく。介護施設に併設した温泉風呂だが、2日続けての温泉。
 3月も30日、最後の月曜日だが、テレビの朝ドラも前倒しの新年度番組の出発。ニュースキャスターも交替。地産地消運動の一環としての、「ふくしま大豆の会」の代表者会議。いわば、年次総会である。コープふくしまの代表が会長になっているので、議事進行の議長の役目。県産大豆も、いまだ厳しいが、生産者と消費者、そして加工業者の協同の組織。容易には問題解決はしないが、困難な時期こそ、連携を強めて打開すべく一歩一歩を歩むべきなのだろう。
 夕方のコープふくしまの常任役員会。総代会に向けた予算案策定の議論。(3/30)<27834>


◇ 快晴の土曜日。所用の後、親友たちと夕食。いつでも会えると思いつつも、なかなかそうした機会がありません。お互い歳をとり、自他共に高齢現象が目に着きますが、お互いさま。あまり気にしないで、行くことが肝要ですね。(3/28)<27813>


◇ 今年度、最後の県の委員会。事務局長・次長と、4月からの新事務局長と新次長への辞令交付。いつもだが、何か、作ってもらった挨拶文を見ると、どうもうまく口がまわならない。失礼なことがあってはならないので、肝心のことはメモが欲しいが、感謝等、自分の気持ちから話すべきところは、どうもうまくいかない。常識の挨拶に慣れていないせいだと思うが、よく名前を度忘れしたりして失礼になるのは、加齢現象か。自覚していかないと。
 委員会の議案は、今年度中に済ませておくべき事案。何とか、終了。
 妻は、早朝6時10分発のバス旅行へ。かなりのきついスケジュールで、出発地点に戻ったのは夜10時40分。御苦労さま。(3/27)<27805>


◇ 朝早くからのコープの監事会に出席しました。基本の法律の方が改正されたり、監事規則の改正が必要です。何か、協同組合に株式会社的な監査方法の導入しようとしている方向を感じます。本来の協同組合の趣旨から離れていかなければいいのですが。農協改革も、その一環でしょうか。
 10時前に失礼して、松川の第2仮設住宅でのお茶会に参加。コープおおいたの美味しいだんご汁などを持参してくれて、我が組合員理事らと協働の炊事。前日の寒さも和らいで、晴天です。皆さん、喜んでくれました。私は2回目ですが、段々、顔見知りもできてくるものです。飯舘村からの避難者の仮設です。少しでも、心が和んでくれればいいのですが。遠くはるばるかけつけてきてくれた、コープおおいたの8人の方々、心から感謝です。
 夕方、第88回のふくしま復興支援フォーラム。県立医大名誉教授の田中正敏先生にご報告をお願いしました。「原発事故と予防衛生」がテーマですが、公衆衛生が専門の先生ですが、一級建築士でもあるので、幅の広い報告でした。年度末で、20名の参加で少々少なめですが、新しく来られた方もおり、まだ意味があるのでしょうか。会場の予約を行い、9月17日まで予約。この日が100回目の予定。この日をどう迎えるか、その後どうするか、いろいろ頭をよぎります。ボランティアですが、このフォーラムは、私の日々の生活の一定の役割を占めています。(3/26)<27793>


◇ 年度末、わたわた(?)しています。
24日は、大学で、松川賞の運営委員会。松川事件・松川運動を後世に正しく伝えようというのもので、第1回の募集期間が4月〜5月末になって、周知が遅れているので開催されました。多くの方が、応募してほしいのですが、なかなか若い人になじみが深くなく、少々心配。松川事件の当事者が少なくなって、消え去ることは残念です。研究評論だけでなく、創作、読書鑑賞、語り継ぐ活動等、かかわりが広いと思うので、何とかしたいと思っています。
 午後、福島県国際交流協会の評議員会。多様な国際活動が展開されています。基本は市民レベルでの国際交流・国際理解活動です。
 25日夜、飯坂温泉でコープおおいたの被災地視察の皆さんの歓迎懇親会。相馬地方での視察の帰り。翌日は仮設訪問の予定です。大分市での福島の実状報告の際、大変お世話になっており、馳せ参じました。楽しいひと時でした。
 今日は、大学の卒業式。フェースブックで、その情報が伝わってくるくらいで、ほとんど入りません。元同僚の皆さんは、頑張っているんでしょうね。今年の卒業生は、2011年の震災直後の入学生。入学式も5月にずれ込みました。不安な面もあったでしょうが、社会に出て、頑張ってほしいものです。卒業おめでとう。(3/25)<27783>


◇ 昨日の日曜日(22日)。青年劇場の「青ひげ先生の聴診器」を観劇。演劇を見るのは久しぶり。震災を経験しながら、医療の現場の課題を伝えている。
 月曜日の今日、「被災地における介護の今後」をテーマにした、シンポジウム。私も関係している研究事業の発表会。池田昌弘氏の基調講演の後、研究事業の報告があった。被災地、特に強制避難の地域での介護認定が増加していることの原因を追求するテーマ。何となく予測できるが、具体的にその原因を明らかにすることは、今後の災害のことを考えてても重要。今回は避難元と避難先の自治体の連携や取り組みが、未だに大きな課題として残っていることを痛感。
 夕方、コープふくしまの常任役員会。総代会を前に、2015年度の各部の予算等で議論。(3/23)<27750>


◇ 今日は、春分の日。一気に春が訪れるのでしょうか。
 昨日の金曜日(20日)は、一日中、外回り。午前中に、コープのボランティア・スタッフ交流会。いつも仮設住宅等で、お茶会など推進している皆さんです。朝から暗い話ですが、1時間ほど、震災関連死について話しました。基本は、震災後5年目に入って、何が問題かという視点ですが、福島の被災の特徴である震災関連死とはなにか、なぜ福島で増大しているのか。あとはゲームや懇談で過ごしました。すぐに、県議会の閉会式へ。最終日なので、来年度予算等の採決です。3時過ぎまでかかりました。3時半から県庁内で担当委員会の会議。年度末は、どうしても規則の改正等、課題の処理が必要です。
 夜は、委員会事務局の送別会。5人の方々の送別です。大量配置転換です。新年度、心配のところもありますが、優秀な職員の皆さんですから、順調に進むでしょう。散会後、いつものように委員3人で、喫茶店での懇談。年度内、もう1回の会議が予定されています。
 今日、土曜日。Sさんを乗せて女川町へ。「おながわ復興まちびらき2015春」<新女川駅・女川温泉ゆぽっぽ開業>の式典です。三陸道の渋滞(年度末工事のせいでしょうか)、10時半開式に15分ほどの遅刻。冒頭のオペラ歌手の美しい歌声は聞けません。町長などの挨拶、復興大臣の挨拶などの後、テープカット等で終了。女川発の石巻線は、今朝から動き出しました。工事中の駅を見上げていましたが、駅から見える海は美しい。これを起点に街づくりが開始しますが、どうなるか楽しみです。外形的な復興のみでなく、女川に住み人々が、何とか生活を回復できるよう期待するしかないです。遠くからいかなる支援ができるか、考えてみたいと思います。
 式典後、2011年5月に開始した復興計画策定委員会の面々にお逢いできました。何か、同窓会のような懐かしさです。正直、あまり役に立ったとはいえませんが、一緒に、頭を絞ったことはいい思い出。当時の悲愴な雰囲気から、何とか希望の光が見えた雰囲気です。帰途、図書館、仮設商店街、塩竃、多賀城等に寄り、快調にドライブ。6時半頃の帰宅。(3/21)<27720>


◇ 何か、超スピードで日が過ぎていく感じがする。
 16日(月)は、午前中に浪江の仮設住宅のお茶会に出る。全国からの支援物資の届と、ゲーム(私より皆、年長だが)と焼きそばと、みんな元気そうで。天気もよいのだが。午後、国連防災世界会議の福島版に参加。福島大学中心の科研費の報告会を兼ねて。中途退席をして、コープふくしまの常任役員会へ。珍しく8時まで。
 17日(火)午前、通院。少々数値は改善。昼からコラッセでの防災会議のシンポジウム。あまりやっていないが、パネリストに加えらると、容易に逃亡もできない。夜の懇親会も。長い一日だった。
 18日(水)午後、福大での被災地の介護認定が増えている要因の検討委員会。頼まれ仕事だが、検討対象は興味ある。帰りに、学長室に立ち寄り雑談、人事課で国と県との比較など懇談。急いで帰宅し、夜の「ふくしま復興支援フォーラム」へ。OECD東北スクールの話を三浦さんにしてもらったが、出席者が少なく残念。夕食は、帰宅後9時半。少し疲れたな。
 今日の木曜日。近所にできた「みんなの家@ふくしま」オープン事業へ。コープの代表か、隣近所か分からないが、これも震災復興の一里塚か。盛況な集い。その足で、浪江の仮設の傍の図書館へ。慌ただしく一日が過ぎた。(3/19)<27698>


◇ 日曜日。近くの公民館(学習センター)で、笹谷・大笹生9条の会の映画と講演会があり、知人から誘われたので出かける。講演は、元学長の山田舜先生。90歳近いが、長時間の講演をなさった。集団的自衛権行使と財政破綻の問題だが、経済学者らしく財政問題が詳細に話された。40名ほどの参加者だろうか。参加者は、高齢者が多いが、皆さん、何か危機感を感じている。若い人も参加できればいいのだが、あるいは若い人が参加しやすい工夫や切り口が必要なのかもしれない。(3/15)<27637>


◇ 昨日の3月13日は、コープふくしまの定例理事会。月一回の会議ですが、全県から理事・監事があつまり、事業報告を受け、必要な議決を行います。理事長は議長を務めますが、冒頭に挨拶をします。毎月同じでも申し訳ないので、情勢に対応するよう、話をしています。その一部。
 「3月11日で、震災から4年になりました。震災5年目に入ります。この5年というのは、復興事業完了の目標年度として当初設定されていた年です。復興最終年度になります。しかし、「復興事業」だけが完了していき、暮らしの復興は取り残されてしまっているようにみえます。原発事故被害地域の福島では、様々な理由から帰ることのできない多くの人々をしり目に、帰還政策だけがたんたんと進行しています。原発立地および周辺の4町(双葉・大熊、浪江・富岡)においては、戻りたいと考えている町民は11%から17%、戻らないと決めている町民は50%〜58%となっています。双葉・大熊の帰還困難区域住民は約96%、富岡30%弱、浪江17%と差はあるが、戻るか、戻らないかの判断は、ほぼ同じ傾向になっている。積算線量や健康不安だけでなく、住宅や医療、商業施設や学校等の復旧状況が、その理由になっているようです。今の時点でも、決めかねている住民の多いということを重視しなければならないと思います。
 学者の集まりである「日本学術会議」が、昨年提言しているが、第3の道の提案もされています。帰るか、帰らないかの二者択一ではなく、「長期退避・将来帰還」の道です。廃炉の行程も、30年に以上はかかる見通しが発表されているので、少なくとも30年は避難する権利が保障されなければならない。それを実現できる制度を整える必要があるということで、具体的には、「二重住民登録」、「被災者手帳」、「セカンドタウン」等が提案されています。復興を、様々な、ハードな復興事業計画の遂行としてだけ見るのではなく、一人一人の生活の回復、人間らしい生活の回復として、住民の目線から見ていくことが、生協としては必要なのではないと思っています。」と。

 土曜日の今日。久しぶりに孫の顔を見たいと思い、荷物を届けながら行こうかと持ちかけたら、運悪く、今日は二番目の孫の卒園式。朝から晩まで、家族全員外出とのこと。諦めました。何かと雑用をしていたら、コープの生文のSさんから電話。今日は、相馬双葉漁協の女性部の方々がお見えになり、方木田店で「浜の母ちゃんの調理教室」。きちんと予約をしていなかったのですが、急きょ、車で駆けつけ、「いただきます!」に間に合いました。カレイの煮つけ、白魚、アサリ、小女子、炊き込みご飯等々、浜の美味が満載。高級料理です。組合員さんも多くかけつており、美味に満足。取れる魚の魚種は、以前の150のうち50ほどの試験操業。苦難を強いられていますが、頑張ってほしいと思います。消費組合も是非、協働の闘いに参加したいと思っています。
 6月末のフォーラムで、相馬双葉漁協のE部長さんに報告をお願いできないかと尋ねたら、あづま運動公園の体育館で話をしているとのこと。すぐ駆けつけました。丁度。決意表明をしている最中。6500名もの集まりです。少し、関心が薄れたかなと思っていたら、再稼働の危機感でしょうか。他県からも多く駆けつけています。聴衆が多く、電話をしたら、すでに帰りの車中の人。趣旨を話して、メールで詳細を伝えることにしました。水産業の復興は、福島の復興にとって大きな柱。それだけに汚染水を流し、10ヶ月も隠している東電には、漁民ならずともおおきな憤りを感じます。
 仙台で始まった国連防災世界会議、なかなか自主的な参加にはなりませんが、17日には福島の関連事業で、フォーラムの取組みの話をします。8月の福島での学術関係のシンポジウムでもフォーラムについて報告をとの話もあります。100回目に近づいていますが、果たすべき役割があるのでしょうか。100回でやめることができなくなるのではと心配もしていますが。(3/14)<27624>


◇ 昨日の3月11日は、震災4年の日。慰霊の日です。10日、11日と自宅に閉じこもっていました(確定申告の書類づくりもあり)が、テレビ等の影響もあり、否が応でも、4年前を思い出していました。14時46分、1分間の黙とう。NHKテレビは、政府主催の慰霊祭をやっていましたが、女川の高白出身のKさんも、参列していたとのメッセージが来ました。東京在住の私の甥とも逢えたと言っていました。Kさんもご両親を津波で亡くし、甥も母親(私の義姉)を亡くしました。何か、未だに、心が固まったままのような気がしますが・・・。未だに、信じ難い気がします。頂いたカニを食べながら、「カニのオバチャン」と子どもたちが名付けていた行方不明の実姉のことを思い出していました。いつまでも悲しい。
 今日は、税務署に確定申告の書類を投函して、県議会の常任委員会のヒアリング。午後は、県の委員会。雑誌の校正をようやく済ませました。(3/12)<27601>


◇ 月曜日。コープ本部職員の朝礼です。冒頭の挨拶が必要ですが、震災4年目を迎えますが、一人一人の「生活の復興」が遅れていることを話しました。また、先日訪ねたコープおきなわでの様子を伝えました。年度末ですが、昨年度より、一歩前進で終了したいものです。
 昼前、銀行にコープの融資で訪ねました。額は大きいのですが、利率の低い方への借り換えです。銀行も、コープの経営状況の健全さを評価してくれているようです。
 県庁へ。県議会の整理の会議。補正予算部分を議決して、年度末までの執行のための会議で、短時間で終了しました。これが済むと、27年度の本予算の審議に本格的に入り、20日の閉会まで審議が続行されます。
 夕方のコープ常任役員会へ。総代会が近づいているので、何かと総括と方針が中心になります。確定申告の日が近いづいて、計算機使用。本職を持っている時は、あまり感じませんでしたが、収入等多様・少額で、面倒です。何度やっても慣れません。(3/9)<27568>


◇ 日曜日。自宅で静かにしていました。
 午後、飯坂のデイサービス兼の「はなゆまち」に行って、掛け流しの温泉に入ってきました。他の客は誰もいないので、占有状態です。
 震災4年。テレビの特集が続きますが、サンディモーニング、バンキシャとも、女川を特に取り上げ、復興のトップランナーとの持ち上げです。個々人の生活の再建は立ち遅れていますが、ハードが目立ちます。悪い気がしませんが、一人一人の生活をみると手放しでは喜べません。「人間の生活の再建」を視点において、福祉や教育、医療等々、そこでの生活のためのソフトの部分がもっと重視されるべきでしょう。町からの流出人口、全国一と、復興のトップランナーを総合的にみるべきでしょう。
 女川特集を観た、東京の親友I君から珍しく電話。女川の一人一人が、幸せに生活ができていることが、何よりも大事。一喜一憂しないで、手がけている一つ一つの支援を確実にしていくことが必要だと考えています。「女川に住んでいてよかった」と思える町づくり。「もう一度女川に住みたい」「女川に住んでみたい」という町づくりが必要です。(3/8)<27558>


◇ 沖縄ボケか、ボーっとしています。
 沖縄から帰った翌日(6日)、朝から県庁へ。県議会の総務委員会への出席。補正予算のヒアリング。減額予算ですから問題はないのですが、事務局長及び次長の詳細な説明で、終了。15分ほどでしょうか。昼食をはさんで、午後から委員会。3時には終了。
 自宅に戻り、コープに沖縄旅行の後処理へ。夜は、川俣町の委員会です。6時半からの会合。自宅に戻ったのは9時半。少し疲れました。
 土曜日(7日)は、午後の小会合。原発を再稼働しないで欲しいとのはがき要請の打ち合わせ。やはり福島から、この現状もみれば、再稼働しないで欲しいと要請。この苦しみを、福島を最後にして欲しい。安全性が確保できても、使用済み核燃料の処理ができない。トイレなきマンション。将来の子どもたちにつけをまわしてはいけないと思います。(3/7)<27540>


◇ 3月になり、もう5日になってしまいました。1日に、仙台空港から那覇空港へ。
 コープおきなわで、福島の現状を知る勉強会(組合員幹部・職員)で、話することがメインですが、折角なので色々見学して来ました。
 1日は、福島での田植えなど行う等、福島との積極的な交流をしている皆さん(サトウキビ畑の会)が歓迎してくれました。福島から震災以来避難している方も見えられ、沖縄の皆さんの支援を受けている様子で、安心しました。多彩なメンバーで、沖縄とベトナムの交流も進めています。
 2日は、コープおきなわの理事長さんの案内で、辺野古新基地予定地の視察。海上警備隊の厳しい監視とともに、新基地反対の座り込み、テントも見学。十数年前に福島から名護に移住し、テント村で活動している方もおられました。沖縄で福島出身者とお会いできるのはうれしいことです。
 名護の美ら海水族館の充実した内容に驚きました。天気も快晴で、目の前の伊江島もくっきり見えました。(20年ほど前伊江島に行ったことがありますが)。海洋博覧会の時のもののようですが、子どもたちが太陽のもとで、元気に走り回っている姿に感動します。帰り普天間基地を道の駅の展望台から見ましたが、市街地のど真ん中に米軍基地。周りに民家がへばりついているようです。基地の厳しさを痛感します。
 3日、午後からはコープで講演。午前中に、職員さんの案内で首里城等を見学、午後の講演ですが、予定の40人よりも多く50人ほどだったでしょうか。熱心に聞いていただきました。「マイナスからのスタート。ゼロのスタート地点への活動」ということに反応されたようです。何を支援したらいいか・・との質問については、是非、「忘れないで欲しい」、「可能であれば、見に来て欲しい」ということですが、お互い、よく知ることだと思いました。嘉手納基地も展望台から見ましたが、丁度、配備されているオスプレイが、騒音を上げて訓練に飛び立ちました。本当に民家の上ですから、住民の不安はいかばかりかと、怒りを覚えます。
 夜は、コープの執行部の方々と懇親会。3人の副理事長は全員女性。圧倒されました。美味しい沖縄の料理と民謡に感動しました。
 4日は、サトウキビの畑の会の4人の方々が、沖縄南部に案内してくれました。南風原の陸軍病院跡、壕の中ですが、休館日で中には入れませんでしたが、外からでも想像できます。そしてそこに配属されていたひめゆり学徒のひめゆり平和祈念館。そして平和の礎、平和祈念館。本土上陸を遅らせるための不要な抵抗。なにか、人の命が道具にされ、盾にされていたこと。胸が苦しくなります。
 戻って、壺を見て、島袋さんの製作の様子を見せてもらいました。また、国際通りの市場でエメラルドグリーンの鯛、エラブー(?)の刺身をいただいて、大満足。本当にお忙しい方々が、時間を割いてくれて、有難い時間を過ごしました。夜は、福島大の元同僚Tさんと、食事。福島で話しているようです。
 5日は、ゆっくり空港へモノレールに乗って参りました。午後4時40分頃仙台空港に着陸。あとはマイカーで一路自宅へ。6時半になったでしょうか。沖縄旅行は大満足で、無事終了です。
 自宅のファックスに、福島大でお世話になった渡邊四郎先生の訃報(3月2日、享年88歳)のお知らせ。びっくりしました。もうすでに、お通夜は今夜でしたが、明日の告別式は、県庁の用務と重なり出ることができません。心から、お悔やみと感謝の気持ちで、お祈りしたいと思います。合掌。(3/5)<27511>



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