日 記

(2015年5月)


<今野順夫の部屋>

◇ あっという間に(?)、5月も末日になりました。
 相変わらずの、自転車操業の日々です。金曜日(29日)は、福島大学教職員組合の専従書記をしてくれた佐々木幹雄さんの退職送別会。職員と同じ定年ですが、後任者の関係で1年の延長で働いてくれたようです。私も現職の際にもお世話になりましたが、最近は会長を務めている福島大学退職者の会の事務を担っていただきました。今度は、退職者の会の役員を務めてもらいますので、私にとっては、送別というよりは、歓迎会のような感じです。乾杯の音頭をさせていただきました。
 土曜日(30日)は、東京新宿での「女川に元気を送る会」の総会に行ってきました。東京・首都圏の方々が中心ですが、最初の支援カンパの際のよびかけの関係で、福島在住の私も義理を感じています。特に何もないのですが、確か特別顧問等という仰々しい役目をもらっています。久しぶりの再会、新たに紹介される同郷の方々、そして東京在住の従姉と、女川との関わりの皆さんです。女川の町づくりの状況、保健事業の講演をいただいて、女川の方々の地道な努力を理解しました。
 総会、懇親会の後に、二次会という事で新宿西口での懇親。早めに出たつもりでしたが、地震騒動で、列車が2時間の遅延。結局自宅に辿り着いたのは午前1時。疲れました。ただ、楽しい、心温まる一日でした。それにしても、東京に出かける前に、東京で地震が起きたらいやだなと言っていたものですから、タイミングの良さにびっくり。会場が23階なので、嫌だなと思ったのですが、もし、都内に放り出されたら、全くパニックです。地震の可能性の高い福島に帰って、ホッとするのも変な感じ。就職で「コミュニケーション能力」ということが言われるが、人生にとっては、災害に慌てないで冷静に行動できる能力、「避難力」というか、そうした訓練も必要かなと思った次第。
 今日の日曜日、昨夜の疲れも取れないのですが、9時半からの会合。松川賞の運営委員会。取り組みの遅れもありましたが、一定数の応募数もあり、何とか第1回目の授賞の出発ができそうです。自宅に戻り、午後の憲法の講演会等を聞いてきました。県9条の会の呼びかけですが、渡辺治氏(一橋大名誉教授)の講演。力の入った講演で、事態の切迫性を感じました。各団体の取り組み報告も、多様で感心しました。
 自宅に戻り、飯坂の温泉に入ってきて、5月も終了です。書類を整理していたら、21日締切りの返信予定のものが出てきました。メールで問い合わせがあったのですが、それすらも忘れていて、また冷や汗。なかなか整理能力が落ちていて、がっかり・・・。みんなに迷惑をかけています。・・(5/31)<28528>


◇ 水曜日(27日)は、定例の会津短大での非常勤講義。好天で道路は申し分ないが、眠気が大変。さすが、講義中は眠くなる余裕がないが。
 今日は、午前中、県庁での会議。夕方、第92回ふくしま復興支援フォーラムで、商工会連合会の佐藤課長さんにお話をいただいた。県内の商工業者、特に震災前から営業していた、比較的小規模の事業の苦難が伝わってくる。一般的な避難している住民とは異なる、大変さを感ずる。あまり事業主の大変さは報道されないが、在来の事業の復興は、県全体の復興のカギを握っているのではないのか。農業、水産業とは、また異なる大変さ。
 国は、集中期間5年を目前に、手を引き出しているような気もするが、正直、これからが正念場だと思う。丁寧な支援が、今こそ求められているのではなかろうか。課題の大きさ、見通しの重苦しさ、単純に希望が持てる状況ではないが、ここが踏ん張りどきか。(5/28)<28506>


◇ 猛暑の連休明けの月曜日。孫たちは土曜日の運動会のための代休らしい。親の勤務と学童保育等、上手くリンクしているかどうか心配だが、何とかなるサーかな。
 夕方、コープの常任役員会。新年度は開始しているが、昨年度の総括と新年度の方針決定のための総代会は、来月。いずこも総代会、会社だと株主総会。この時期は、切断が起きそうだが、しかし、振り返りと前進の方針化は、どこでも必要なのだろう。
 火曜日の今日は、一度も行っていなかった双葉町の仮設住宅。双葉町は、当初の埼玉県への避難もあり、仮設入居は遅くなったが、そのためか、他のプレハブよりも条件がよさそうだ。しかし、入居者の60%は空いているようで、さまざまな問題もあるだろう。
 生協のベテラン組合員さん3人、そして入居者8人が集まった。京都や静岡の生協から送られたお菓子を頬張りながら懇談。男性5人、女性3人。男性が多いのは珍しい。一人住まいの人が多い、自己紹介をしあうと、私より全員年上。94歳の方が最高齢。双葉から避難して、転々と避難された様子、そして戦後にまで遡る双葉町での生活の話をお聞きした。近くの碁会所に通う方もおり、元気に過ごしてほしいと思う。
 午後、散髪、銀行、給油、コープと、これからの必要なことで、回る。5月も最終週。足取りは早い。(5/26)<28478>


◇ 土曜日(23日)、孫娘2人が通う小学校の運動会、1年生もいるから行ってみようかとも思ったが、午後からの用事があり、断念。Facebookにアップされた写真で、元気いっぱいの様子がわかる。30度前後の暑さ、熱中症の方が心配。何とか、真っ赤に日焼けしたようだが、元気に終わった模様。
 日曜日の今日、今週の非常勤の授業の準備をし、午後はスポーツのテレビ観戦オンパレード。BS〜ラジオでの東北楽天、西武戦。エース則本に白星。勝つときは、バッター含め頼もしく見える。銀次は負傷で休みかな。裏番組(NHK総合)で、サッカーJ3、福島ユナイテッド。昨年、カンパして2試合分の入場券をもらったが、行かずじまい。富山とのアウェーでの試合だが、2対1で勝利。福島も、サッカーJ3のユナイテッド、バスケット、野球(福島ホープス)と、プロのチームが出てきて、何か県民の一体感を醸し出している。期待している。
 大相撲も、関脇照の富士の初優勝。23歳。何か白鳳一強時代が崩れ始めているのかも。日本人力士の健闘も期待するが、良く見ると元気な期待の持てる力士もいる。
 フォーラムで報告してもらってはとい薦めのあった、継続的に白鳥観察している自然写真家(主婦)の渡辺さんから、今までの活動の膨大な資料を送っていただいた。長年の地道な活動に頭が下がる。楽しみながら読ませてもらおう。(5/24)<28452>


◇ 木曜日(21日)、午前中、来客があるというので、外に出て、次回のフォーラムの報告者に挨拶と打ち合わせ。その足で、映画館。「ジヌよさらば」。会津を舞台にした映画、まあ、楽しめた。
 午後、信夫山の放射線測定チームの会合に行く。震災前は、私の僅かな運動としてやっていたウォーキングの地域が信夫山。いろいろなコースがあるので、それなりに楽しい。震災後、放射線が高く、敬遠していた。知人が周辺に住んでおり、いかに除染していくかという話があり、信夫山に関心を持つ人は来てみてということになった。
 かなり系統的に、定期的に、多数のポイントを設定して線量測定をやっている。これ自体貴重だが、なかなか線量は落ちない。却って上昇するところもある。森林を抱えているので、そう簡単ではない。
 ところが、信夫山は福島市の仮置き場に指定されているらしく、この前、沖縄の方々を案内した際に目撃したが、山の中腹を削って仮置き場のための工事が行われている。まさに無惨。投書などしている春山さんの話も聞き、投書の資料をもらったが、市に対する質問も返答がなさそう。
 確かに仮置き場がないと除染は進まないが、それによって貴重な自然環境が破壊されるのは、どうなのか。両者を調整してなされるべきと思うが、地主の了解のみで進められているらしい。花見山は話題になるが、信夫山は忘れ去られたのか。本来、信夫山は貴重な自然の宝庫。なんとか大事にしたいものだ。
 今日・金曜日は、コープふくしまの第12回定例理事会。来月18日の総代会に向けて、まとめの時期である。終了後、コープみえ向けのビデオレターを撮る。あちらの総代会で流すらしい。やはり、なかなかにこやかにはなれない。
 東北楽天と西武戦が、珍しくテレビ放映(NHK/BS1)。また負けるのかなと思っていたら、投手・辛島の好投、9回での藤田の満塁ホームラン。6対1で勝利。打者も、投手も、大物ではないかもしれないが、結構、信頼して見れる。勝つときは強く感じるのかもしれないが・・。(5/22)<28440>


◇ 月曜日(18日)はフードバンクの取材。コープふくしまの常任役員会。
 火曜日(19日)、コープフードバンクと本宮市社会福祉協議会との調印書の相互交換。本宮に行ってきました。すでに4月上旬の日付で、コープフードバンク(コープ東北)の代表者が調印をしているのですが、その調印書を交換していなかったので、これから福島でも頑張りますということで、ミニ・セレモニー。地元紙も取材に来てくれました。
 福島への帰路、この事業の関係で「福島愛育園」に立ち寄る予定だというので、私も園長にご挨拶。
 今日(水曜日)は、会津短大での非常勤の講義。夜更かししたせいか、朝から眠い。往路で、五百川PAと磐梯山SAに立ち寄る。2時半頃、帰路に就いたが、やはり睡魔。五百川PAで仮眠。後は快調。
 昨夜は、楽天の逆転勝利を聞いてから、映画「鉄道員」。講義の準備が11時頃開始になって、就寝は1時半頃か睡眠不足。少し、生活のリズムを立て直さなないと・・・(5/20)<28420>


◇ 日曜日。娘の誕生日だが、何もプレゼントも送らず、メールだけで。2週間前の私の誕生日には、花など貰っていながら申し訳ない。孫の誕生日は、大いに気にするのだが。孫たちと一緒に、いろいろ、有意義な日を過ごしたようで、なにより。
 非常勤の講義の後始末(学生の出欠代わりに取っている感想文などを整理)し、午後は、娘に聞いた映画『駆込み女と駈出し男』を見に行く。大筋が分かるが台詞が聞きとれない所あり。早口でもあるのかな。原作が井上ひさしなので、一度読んでみたい。8時からの大河ドラマは見ないで、『学校U』を観る。大河ドラマは、なかなかついていけないが、長州藩の動きは、会津藩の傍にいると(笑)、親近感がないのか。現総理の出身地だからではないだろうが。一度、100年経っての双方の「和解」の話が、なかなか過去の問題での感情的なこともあり、進まなかったことを思い出した。今更とは思うが、いじめと同様、「加害者」側の記憶と「被害者」側の記憶には、感情的には大きな違いがある。アジアの国と日本との関係もだろうか。
 沖縄では、「辺野古新基地反対の県民集会」が3万5000人が集まっている。
 5月の下旬に入る。早い。(5/17)<28386>


◇ 水曜日(13日)から、追われたスケジュールで、ようやく土曜日(16日)の夜になりました。
 13日は、いつもの会津短大での非常勤講師。公的扶助論と社会保障論。2時半過ぎまで短大におり、喜多方に向かいました。いつもお世話になっているコープあいづの熊谷さんと吉川さんに頼まれて、九条の会・喜多方の講演会。安全保障関連の法案の提出で、国会が緊迫しており、動きがあるので対象設定が難しかった。憲法9条と集団的自衛権の問題を、安保条約との関係で話しました。一つ一つの動きと内容を追うことも大事だが、安保条約がもとになっており、今回の動きは現行安保条約の枠組みをも超えるものと考えました。沖縄の基地問題も含め、その根っこを把握する必要を感じています。1時間30分ですが、説得的は話とならないが、約100名ほど、熱心に聞いてくれました。
 宿として、「笹屋旅館」を取っていただきましたが、竹久夢二が逗留していた宿で、夢二の作品などを所蔵する蔵座敷美術館を見せて頂きました。文化の香りのする喜多方ですが、この旅館で、9時過ぎから慰労会を開いてくれました。私の尊敬する故人・珠玖先生の喜多方高校時代の先生・満田先生や、1年後輩の風間さん(会長)から、珠玖さんの話が聞けたことが、大変嬉しかった。また、福島の同じ町内会に居て喜多方で診療活動をしている渡部先生と親しくお話ができました。若松市とは異なった、喜多方の魅力を感じました。
 14日(木曜日)。喜多方から米沢経由で帰宅。2時間かからない距離です。午後2時到着予定の沖縄からの皆さん(さとうきびの会として福島連帯支援)10名を、福島駅に迎えに出ました。3月の訪沖の際に、大変お世話になった方々です。福島大の大学院の卒業生もおり、当時の恩師との面会を仲介しました。信夫山を訪ねたあと、皆さんは川俣に宿泊し、翌日被災地に向かいます。私は、夜は、市内での第91回復興支援フォーラムのお世話。コープふくしまの専務理事の野中さんからコープの取り組みを中心に被ばく調査の問題について報告してもらいました。いつも聞いているはずですが、4年間の総括的な話は、勉強になりました。20名台で低迷していましたが、32名の参加。
 15日(金)は、朝早くから、新たに頼まれた福島大学の倫理委員会(外部委員)に出席。特に医学系で問題になりますが、ヒトを対象にする研究の際の倫理的な検討を、規定に基づき行うもの。なかなか難しい課題ですが、なんとか役目を果たしたいと思います。一旦、帰宅し、3時から福島大学の退職者の会の役員会。6月13日の定期総会の議案です。退職者同士が交流を深めるとともに、高齢社会での役割を果たしたいものと思います。
 夜は、会津美里町の宿泊施設で予定されている、前日来福した沖縄の方々と会津の農家の皆さん(農民連)との交流会に向かいました。浜通りの視察からの遅れで、交流会は2時間遅れとなりましたが、短時間でも、いい交流会になりました。農民文学賞を受賞した会津の農民作家・前田さんともお話ができました。会津には、気骨のある方々が多い。この宿泊施設(ほっとピア新鶴)に宿泊。
 16日、今日はさとうきびの会が、農民連から借用している田んぼでの「田植え」。雨の中、大変でしたので、十分な経験はできなかったようですが、田植え作業を見聞出来たと思います。秋の収穫の際には、もっと体験が出来るといいですね。
 早めに失礼して、郡山駅から東京に向かう方を郡山駅に送り、私は、郡山の公民館(大槻ふれあいセンター)で開催される「講演会」に参加。沖縄・福島連携する郡山の会の主催です。琉球新報報道本部部長の松本剛さんの「命の二重基準と民主主義 −戦後70年 基地の島・沖縄から」をテーマに、沖縄の現状と福島の関連等、詳細なお話を聞くことができました。
 慌ただしい日々でしたが、ホッとして土曜の夜を迎えています。沖縄の方々も、ホッとして沖縄に到着、休まれていることでしょう。(5/16)<28375>


◇ 昨日(5月11日)は、震災の月命日。震災4年2ヶ月、50ヶ月になった。
 コープふくしまの本部で、5月の朝礼。急速に国会で具体化しつつある安全保障法制について、挨拶で話す。アメリカ大統領との会談、日米防衛指針、アメリカの連邦議会での首相の挨拶等々、昨年の7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定以来の、急速な動きについて。68年を経過した憲法(特に9条)が、壊されつつある(まさに壊憲)状況である。組合員の平和で、健康で文化的な生活を守る観点から、コープの役割の大きさを強調した。
 朝礼の後、松川の第2仮設住宅でのコープ組合員による交流活動に参加。飯舘村からの避難者で、約200名が居住している。もう4年である。集まった人々の顔は明るいが、やはりじっと抑えた表情も垣間見える。途中、救急車が来て驚いたが、具合悪い人がいて、息子さんが呼んだようだと、集まった方々は事情を理解していた。Sさんから「富山のワラビだから」と頂いた。飯舘村は山菜の宝庫だが、自分のところのではない。支援で頂いたのか、わざわざ「富山のもの」と断らざるを得ない(大丈夫だよと言っているのかも)無念さを感ずる。食べるばかりに処理されていて、美味しく頂いた。また自分のところの山で山菜を採れることが出来たら・・・。
 右腕が痛く、整骨院に寄る。筋肉痛か。結構右腕に負担をかけている(パソコンも)。夕方の、常任役員会に出席して帰宅後、遅めの夕食。
 今日は、4週間に1回の定期の通院。検査は、前月同様だが、少し元気がない。看護師さんには、調子が悪いですかと見透かされたが、主治医は、元気ですねと。(笑)
 午後、沖縄から帰って来たGさんと喫茶店で懇談。沖縄と福島の連携の話、ベトナムの話。やるべきことは多い。どこから手を付けていくか?(5/12)<28331>


◇ 連休直後の土日が終わりました。5月も上旬が過ぎ、明日からは中旬。昨日(9日)は、塩竃の孫宅から帰宅。11時頃の自宅着です。
 午後、ショートステイから義母が帰り、デイサービス中心の生活に変わります。連休のための授業の休みを挽回するために、5日後にまた授業。そのための準備もタイトです。いつも「高令社会」と黒板に書いていたら、提出感想文に、それは間違いで、正しくは「高齢社会」ですと。調べてみると、略字ではなく、代用字で「高令」と書いている。本当かどうか分からないが、小学校では「高令」・「年令」で代用していて、中学校になって「高齢」「年齢」と「齢」の字を教えられるので、書くとのこと。大人は「高齢社会」と書くべきだと。同じくは、「○○歳」と書くべきで、「○○才」は代用字とか。お墓の行年の書き方、「才」も多いらしく、「歳」は手彫りの場合は大変。前に、黒板に「権利」を木と又の合体で書いたら、学生に指摘されたことがあった。ワープロに慣れ、手がきをしないと漢字が書けないときがある。度忘れも多いが。もう少し、小学校のように授業案を作って、板書するものを最初から決めておくべきなのだが、何十年やってもそうならない。どうも教師になりきれない。
 何の気なしに、検索していたら、沖縄旅行の時の我々との道中を、ブログに上げているのに遭遇。また福島の状況を伝える拙稿も。あまり詳しいので恥ずかしいが、素敵なブログなので、懐かしく拝見。年代同じのブロガーだが、有難い。今週の後半に、沖縄から、会津美里での田植えにくる。一部だけでも、また、福島の地で交流を深めたい。楽しみだ。(5/10)<28304>


◇ 会津での非常勤講師。出かけようと思ったら、テレビで磐越道下り、磐梯熱海〜猪苗代間の通行止めの情報。困ったなと思い、会津のKさんに電話。土湯峠だとかかり時間を聞く。開通するのでは思いつつ愚図愚図していると、開通したとのテロップ。いつも通りのドライブ。連休で休みが続いたので、みなし水曜日。金曜日だけど、水曜日の授業を行う。学生もそうだが、連続が途切れると、学生も教師も調子が出ない。
 2時半頃、会津若松を出て、宮城・塩釜へ。夜の出版記念会へ。懐かしい顔に会う。孫宅に泊まって、しばし、孫たちとの交流。こちらも久しぶり。それぞれが、大人になってきていることを実感。一人で、福島に来ることも遅くないかも。その日を夢見て。(5/8)<28293>


◇ 昨日の連休最終日は、自宅に閉じこもっており、精神衛生上もよくなかった。
 今日は、NPO松川運動記念会の3人の方々と、東北大学法学部へ。松川事件の資料を閲覧させてもらうことが目的です。判決の結論を左右した重要な証拠資料が保存されており、福島大の資料室の関係もあり、閲覧してきました。こうした、史料をきちんと残しておくのは大変重要なことと思います。
 乏しい予算の国立大学法人では、十分なことができませんが、本来は国民の財産でしょう。死刑5人を含む20人の被告人を無罪にした戦後最大のえん罪事件ですから。大金持ちだったら、ポンと独立の記念館でも作りたい気分。そうならない雰囲気が、まさに民主主義のレベル、えん罪事件が根絶やしにできず、続いている基盤なのでしょうか。
 久しぶりに、青葉城の正宗公に会ってきました。何か、以前のイメージと変わったなと思いました。(5/7)<28274>


◇ こどもの日。終日、自宅。午後、東北楽天と日本ハム戦をテレビ観戦してしまった。観る予定ではなかったが、テレビのスイッチを入れたらNHK総合での中継。美馬投手に、なんとか初勝利をと思っていたら、2対0で、リード。その後がいけない、結局、エラーなどで逆転。2対4で敗北。どうしてなのかなと思いつつ、少々不機嫌。
 連休は明日で終了。自宅に閉じこもっているので、少し体が鈍ってしまった。これではいけない。(5/5)<28249>


◇ 連休、中日。家に閉じこもってばかりですが、どうも眠くて仕方がありません。
 憲法についての講演の準備をしているのですが、どうも動きが急で、焦点の定めどころが定まりません。一番の関心は、憲法9条と安保条約の対抗軸の中で、安保条約に適合する方向に憲法が、解釈も含めて動いていると考えているが、最近の立法の動きや、日米の新ガイドラインなどの動きを見ると、憲法のみならず、安保条約の垣根をも超えて行っているような気もする。安保条約の事実上の改定か。こんなに憲法改正が現実化しつつあるのは、68年の歴史の中で初めてか。

 親友のY君にメールでGWの様子を聞いてみた。草むしりでもしようかなとの返事。何もないが、一緒にお茶でも飲んでいたいところだが、フットワークが悪い。
 夜、映画「母べえ」を観る。一度観た映画だが、気がつかなかったシーンも多い。最初は、どうしても筋追いになってしまっているのか。戦時中の平凡な家庭の苦悩を知る。最近の立法の動きとダブって、心が重い。(5/4)<28242>


◇ 5月3日、憲法記念日である。天気がいいが、特に用事もないので午前中自宅。
 午後、「憲法を考えるつどい」を覗いてみる。記念講演は、千葉大学教授の栗田禎子さん。歴史学者(中東現代史)。テーマは、「中東情勢と日本国憲法の危機」。政治状況の緊迫さか、150名の参加者という。
 武力や核兵器による抑止策ではなく、憲法9条の指し示す非武装こそが、国際紛争を抑止する極めて有効な武器と感ずる。いま、その武器を捨てて「普通の国」に邁進している日本の政府の動きは、将来、取り消せない後悔の種になるかも。あの時、行動すべきだったという後悔を繰り返さないようにしたいものだ。
 講演の内容が、早口ということもあるが、なかなか聞きとれない。やはり、聴力が落ちているなと感ずる。女性の声で、静かな早口の声は苦手。皆さんは高齢者も含め、支障が無いようなので、私個人の問題か。親切な耳鼻科の先生がいないものかと思う。何か、勉強できない子が塾の門をたたくのを嫌がるような気分で耳鼻科に行きたくない。人の話を聞くのは苦手になると、だんだん他人に会うことを避け始めるのではないかと、少し心配。
 東北楽天の最終盤をNHKテレビで見るが、ベテラン2人の3ランホームラン等の追撃も及ばず、7対6で惜敗。5連敗。仙台で3連敗。じっくり構えてやるべきと思う。(5/3)<28230>


◇ 5月2日、私の誕生日。なんと71歳になりました。こう書いていて、えっ、そんなに年なのと驚きます。
 事実の進行と意識の遅れのズレなのでしょう。年相応の仕事をしていない、やり残していることの大きさに愕然とします。
 朝からFacebookで、お誕生日のお祝いメール。タイムライン(友人ないですが、公開)と個人のメッセージ(非公開)。80人が超えて、未だに続いています。読み流さないで、お礼の返信をしています。年賀状に返事を書くように。娘たちからは、名画DENPOと花。夕方、車のサービス担当者がケーキを持ってきてくれました。いろいろサービス精神が細やかです。心から感謝を申し上げます。
 満71歳というのは、特別に感じます。津波で犠牲になった実姉が、2011年3月5日に満71歳の誕生日を迎え、私も電話でお祝いを伝えたと思いますが、その6日後の震災・津波で亡くなりました。私よりも元気なのですが、1週間もすると、私の方が歳を超えてしまいます。事故がなければ、90歳までも働いていたとは思いますが。残念なことです。
 テレビで、「男はつらいよ」を見て、ほろ苦く笑いました。(5/2)<28221>


◇ 5月になりました。いわき湯本温泉のホテルで目を覚ましました。
 昨日(4月30日)から、ユーコープ(静岡)の皆さんの被災地視察に同行していました。昨日は、富岡町周辺を視察し、今日は、ホテルから塩谷埼灯台へ。灯台前のヤマロク観光さんに立ち寄り、社長さんから津波当時の様子を生々しく聞きました。静岡の皆さんも、本当に厳しい現実に触れ、良かったと思います。
 塩谷崎灯台なども巡り、美空ひばりの歌碑を眺めて、一路、小名浜のららミューへ。買い物、食事などの予定があるようで、そこで別れて福島に帰ってきました。13時半出発で20時頃静岡駅の予定らしいですが、大変な道のりです。無事、着かれたと思います。わざわざ、遠路来ていただいて、視察と支援をしていただき、有難く思っています。
 夜は、東北楽天の試合をNHKテレビで観戦。西武が相手ですが、なかなか勝てません。頑張ってほしいと思います。勝利が被災地を元気づけることになると思います。少なくとも約1名(私)。
 今日から5月、心機一転、前へ進みましょう。(5/1)<28212>



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