日 記

(2015年6月)


<今野順夫の部屋>

◇ 6月も末日。月曜日の昨日(29日)は、コープの常任役員会のみ。
 夜、11時からのテニスを見始めてしまった。錦織の1回戦だが、12時半頃までに決着がつくかと思ったら、思わぬ苦戦。1時半頃に就寝。結局、3対2で勝ったとの翌日の報道。そう甘くはないね。
 今日の月曜日、国際交流協会に行って先日の議事録署名。評議員としての役割は、終了。
 午後、国見町の「中尊寺ハス」を見てくる。フェースブックに、以下の記録。
 「昼食後、自宅から車で40分ほどの国見町の中尊寺ハスを鑑賞してきました。国見町は、平泉との交流から、800年の眠りから目を覚ましたハスの株分けをしてもらい、育てています。場所は、国見町の阿津賀志山防塁のそば。阿津賀志山防塁は、奥州合戦(1189年)の際に、源頼朝が率いる鎌倉軍による奥州征伐軍を防ぐため、奥州藤原氏が築いた防御施設。美しく咲く蓮の花は、歴史の重みを背負って、今が盛りと咲いています。」
 新幹線内で、焼身自殺。一人の女性が巻き込まれてしまった。大変な事件。
 珍しく、BS1で東北楽天対千葉ロッテ戦。エースの則本の先発だが、8対0の大敗。うーん、どうしたのかな。新人の登用は嬉しいが、どうも力がでてこない。まあ、こういう時期を、耐えながら行くしかないか。6月は終了。(6/30)<28920>


◇ 日曜日。午前7時すぎ、女川を出発。塩竃に寄り、荷物を下して、一路福島へ。自宅には9時半頃の着。
 朝のドライブは、眠気もなく快適だが、到着すると疲れかゴロゴロ。自宅で、講義の準備、というか学生の感想文などのタイピング。50人もいると7ページになるので、少し大変。
 娘夫婦は、福大の大宮教授の講演に行き、感動してきたとのメッセージ。健やかな子どもの成長は、全ての親の願い。誰しも、自らの親の仕事等が子どもの成長の障碍になっているのではという心配があろう。子どもの成長にとって、質のいい保育がいかに大事かという内容だったようで、多くの親への励ましになっているのであろう。子育てにあまり自信を持つのもどうかと思うが、自信の無さも問題。子どもは「育つ」もので、「育てられるもの」ではないのではなかろうか。子どもの育ちたいという意欲と能力を、親と保育者がいかに支援するかが課題なのだろうか。
 女川町出身(仙台在住)の画家、佐藤幸子さんから、第3回目の個展開催のご案内をいただいた。(7月1日から7日まで(最終日は、午後4時半まで)。仙台三越 本館7階アートギャラリーにて。)ぜひ、行って見よう。
 南東北も、遅ればせながらの梅雨入り。朝から小雨、湿っている。肌寒い。明日から、また新しい週。6月もあと残すところ2〜3日。一日一日、大切に過ごすことにしましょう。(6/28)<28881>


◇ 今日は、女川の小学校3・4年時のクラス担任の先生に、60年ぶりにお逢いできるということで、石巻市へ。宮川先生ですが、ほぼ始めとのクラス担任だったらしく、我々と一回りの年齢差の「猿年生まれ」。生徒にとって、新任か、ベテランかは、全く関心がなく、若い美人の先生だったとの評価。一生懸命、クラスで頑張っている姿が思い出されます。どうしてなのか、男子生徒全員が(番長の指揮下でしょうが)、ベルがなっても教室に入らないで、校庭の片隅に集結。何が問題だったのか、まったく思い出せませんが、先生が新人なので、困らせようとしたのでしょうか。簡単に強制(武装?)解除されたのですが、そんな話は、先生もよく覚えていました。子どもの悪戯に近いのでしょうが、新人の先生は、本当に悩まれたと思います。先生も忘れ難い、苦々しい思い出でしょうが、その後の30年ほどの教職生活でも、糧にして頂いたようです。本当に、子どもとはいえ、申し訳ない思い出です。
 ただ、当時は、親の先生に対する信頼感は強く、自宅で先生への不満を言うと、親にも怒られるという時代でした。最近、子どもの不満を、親が教育委員会を通じて校長・教師に伝え、解決するやり方が多くなりましたが、現在の現場の先生の立場の大変さを感じます。
 先生が、昼食に招待してくれて、伺ったのは石巻の「割烹・滝川」。大女将は、女川の同期生。石巻でも先生とは付き合いが長いようです。石巻在住の他の同期生も同席してくれました。本当に60年ぶりの再会です。年賀状も差し上げない不躾を恥じています。先生は、退職後、合唱など地域での活動の指導者として頑張ってきましたが、近々、カンボジアに行かれます。95歳までは頑張りたいと言っていましたので、私も82歳を目指して頑張りたいものです。
 いろいろ滅入ることが多いのですが、先生の元気を分けてもらって、頑張りたいと思います。長い昼食後(滝川には迷惑をかけましたが)、女川へ。娘とともに、フューチャーセンターを見学し(偶然、阿部先生にお逢いできました)、女川の地ビールやでビールを購入、女川の珍味で乾杯。いい日でした。(6/27)<28877>


◇ 昨日の木曜日は、忙しかった。予定は、午後からだが、上映期間があと2日の映画が気にかかる。「圧殺の海ー沖縄・辺野古」である。3月の沖縄行きの際、コープおきなわの理事長に、辺野古の海に連れて行ってもらった。沖縄の問題が、辺野古に焦点化していた。辺野古の基地建設反対の新知事が誕生。県民の意思は、ほぼはっきりしているのだろう。単なる危険な普天間基地の移設ではなく、それを機に海兵隊の基地を作って強化しようとしていることが強調されていた。日米安保は国の問題だが、米軍基地の7割を沖縄におくことに、沖縄県民は特に怒りをもっている。映画は、基地の測量に反対する住民の動きと海上警備の衝突のドキュメンタリーだが、淡々とした事実の中から怒りが伝わってくる。日米両政府に対する怒りとともに、本土の我々に対する批判の目を感ずる。
 午後、県の委員会。帰宅後、夕方の94回目の「ふくしま復興支援フォーラム」。相双の漁協の元幹部に来てもらって、県の水産業復興の取り組みついて報告をしてもらう。漁協関係者も出席していたが34名の参加。感想文は、感銘を受けたのものが多かった。現場の復興への熾烈な動きについて、まだまだ必要なのだろう。見切りをつけようかと思っていたが、まだやるべきことを残しているか。主体的な問題と絡み、悩ましい。
 今日の金曜日、逡巡していたが、友人の見舞いに駆けつける。新幹線1時間ほどの行程だが、午後1時前に到着。11時間もの大手術をしたので、病む姿を覚悟していったが、元気な会話に安堵。これからが大変なんだろうが、焦らないで回復してほしい。期せずして倒れたことにびっくりしたが、彼の使命感を満足させられないのは心苦しい。体を労わりながら、大切と思う仕事を進めて欲しい。帰路の新幹線、重苦しく、沈黙で帰って来た。(ひとり旅だから当たり前だが)。安堵しつつも、心は重い。彼が一番、残念な気持ちに苛まれているだろうが。(6/26)<28869>


◇ 昨日、火曜日は、国際交流協会の評議員会。4年の任期が来ているので、新しい人につなぎたいと思ってはいたのですが、年度最後の会議らしいので、出席。県内に住む外国人に対する企画や、外国と関わりをもつ日本人への様々な援助の活動報告がなされた。県内の一つの実状を把握できる。国際関係の問題、安全保障の問題も、市民間の国際交流が大きな役割を果たすのではないかと思うが、その意味では、もっと活動が評価されてもいいのではないかと思う。
 午後は、県議会本会議の一般質問を聴く。5人の議員が、20分の質問、そして知事はじめ執行部の答弁が続くが、4時半頃まで続いた。様々な立場の違いはあるが、県政の状況理解には大いに参考になる。しかし、総じて、基本的な姿勢についてなので、学会のような詳細なデータを示すような議論にはならない。国会も同じかもしれない。委員会のテレビ中継は、資料提示してやっているが、本会議はそうではない。傍聴席は、支持議員の質問の際には、ドッと押し寄せるが、次の議員の場合には、どっと帰る。議会の公開は、政治参加の大きな意味をもち、投票率にも関連するようにも感ずる。しかし、昼間の会議なので、傍聴しようにも働いている人は無理かな。
 今日は、会津若松での非常勤講師の仕事だが、学生の実習の関係で、午前中は休講。午後のみ。いい機会なので、4月に亡くなった親友の墓参り(会津若松市内)。小じんまりしたお寺の境内に、墓もあまり多くは無い。賑やかな道路のそばの浄土真宗のお寺である。なかなか見つけられないので、ほとんどの墓石を眺めたが、すぐには発見できず、2度目の巡回で見つかる。安心して、しばし滞在。元気なうちに、話をしたかったなとも思いつつ、墓石と対面。
 午後の講義までには、時間があったので、北出丸カフェで軽い昼食。静かな空間と時間。午後の講義の後、急いで帰宅。明日のフォーラムの準備が必要。(6/24)<28841>


◇ 月曜日は、いつも夕方のコープふくしまの常任役員会。
 午後から、義母に訪問診察のドクターが来るので、駐車場を開けておく必要がある。午前中は、自宅で授業(非常勤)の後処理等の準備を行い、昼前に、映画館へ。公開したばかりで評判になっている「愛を積む人」。月曜日の真昼にしては、中高年女性を中心に、客は多い方。樋口可南子も佐藤浩市も好演。なかなかいい。総務省が地方移住のキャンペーンのために、松竹とタイアップしているとか。何か、そういう政策的目的の映画にされてしまうと、少し違和感。純粋に映画として楽しみたいのだが。
 常任役員会は、出張などが多かったが、いろいろ考えなければならない問題が、絶えず出てくる。新年度の開始、さあ来年のゴールを目指して、頑張りましょう。
 夜、テレビで又、「まぼろしの邪馬台国」。吉永主演の映画だが、一日、映画漬のような日だ。(6/22)<28812>


◇ 何か慌ただしく、日曜日(21日)が過ぎようとしている。
 金曜日(19日)は、県議会の代表質問。二人の議員さんが、会派を代表して質問。野党の議員さんが、質問の前に所見を述べられた。現在の政府の安保法制に対する危惧を、戦争に反対する趣旨で披歴。何か野次も出ず、淡々として聞いていた。何かが底流で変わっているのかも。
 土曜日(20日)は、4月に逝去されたと最近知った親友のお宅を3人で訪問。弟さんが対応してくれた。若々しい、スマートな彼の小さな写真が飾られている。当日の様子、60歳での早期退職後の、父上、母上の介護の様子。最近は、兄弟や友人とともに、陶芸を開始したらしい。センスが良く、利発な彼には、もっとやって欲しいことが多くあった。残念。フェースブックに、卒業生に知らせる意味で書いたら、いくつか卒業生の反応があった。「Y先生は、難しいこともわかりやすく、噛み砕くように教えてくださり、また、研究の上でも、たくさんのアドバイスをしてくださいました。 Y先生とのゼミの時間は、大切な思い出です。」と。多くの卒業生に愛されていたことがわかる。近々、墓参りに行くことにする。
 日曜日の今日。福島医大に。昨年から審議委員頼まれているNPO法人「精神疾患死後脳・DNAバンク」運営委員会の総会、および賛助会の合同総会に参加。研究報告もあり難解だが、多くの方々が熱心に聞かれていた。審議委員として話題提供をせざるを得ないので、「障害者の雇用」について、制度の仕組みと統計的数字の話をした。患者さんもおり、実態の厳しさを反映していないので、不満もあったようだ。確かに、厚労省の数字だけの処理では、実態に迫ることはできない。反省材料だが、その意味ではいい勉強になった。
 夜、先日倒れた親友の弟さんからメール。1週間になるが、ICUにいるが、口のチューブも外され、話しもできたようだ。一般病室に行くのも近そうだ。本当に良かった。
 「父の日」。二人の娘から、それぞれ鰻の蒲焼と黒ビール&ハムがプレゼントで送られてきた。夕食は、娘たちからの提供されたものオンリー。美味しい。何か、照れくさいが嬉しい。何度も受けられるように長生きしたいものだ。「父の日」ではなく。「爺の日」だが。(6/21)<28799>


◇ 水曜日の昨日(17日)、いつもは会津の短大での講義2コマですが、午前中の講義は学生の実習のためお休み(後日、補講となります。)
 どうしてもなさなければならない県の委員会を、無理を言って10時から11時まででお願いしました。11時に福島を出れば、午後からの講義(12時40分から)に間に合います。何とか首尾よく終了して若松へ。
 1コマだけだと肉体的に楽ではあるけど、1時間半の往路⇒1時間半の講義⇒1時間半の帰路では、何かもったいない感じがする。1年次生だけの教室だが、どうもスマホに熱中して下向いているような感じの学生がチラホラ。耳はこちらで、目はスマホと思っていたが、良く見ると両耳に、イヤホンなので、耳もアチラかなとがっかりする。
 私もスマホ愛好者ではあるが、最近、他の人が目に入らないで、小さな画面に釘付けになっている姿を街で見かけるが、何か異様な感じをうける。時間を無駄に使わないで、常に情報をキャッチする、すごい勤勉。ただ、時には、情報をシャットアウトして、じっくり考えるのも必要なのではなかろうか。
 帰路、大きな睡魔(睡眠不足)で、PAで仮眠。帰路、翌日に通常総代会を控えたコープに寄って、ここ数年の議案書を見せてもらう。理事長も丸3年になるが、3年間で10億円ほどの黒字、組合員数も1万人を超える純増。専務や常務を始めとした常勤者と組合員の努力の成果だが、こういう時期に担当させていただいて幸せである。
 自宅で、偶然、ハートネットTV 東日本大震災を詠む・後編を観ていたら、女川の小中校時代の同期生の歌が紹介されていた。

 断捨離は 心ならずも 海がして  かもめの駅舎 女川遠し /H.M(埼玉県さいたま市)

 4年が過ぎて、気持ちも、落ち着いて来られた様子を推測する。「女川」関係のフェースブックに転載したが、本人の目には入らないだろう。
 翌日、仙台の同期生Mさんから、このことで連絡あり。
 日曜日の深夜に出発した妻の九州旅行も、夜11時過ぎに無事帰着。

 今日(18日)は、コープふくしまの第21回通常総会。10時から12時頃までの会議だが、頭が痛いのは冒頭の「理事長挨拶」。昨夜、朦朧としながら原稿を書いていたが、出来栄えはともかく、5分間、終わってホッとする。
 早めの帰宅、日曜日に話題提供する障害者雇用の資料を集めに行こうと思ったが、気力喪失で断念。WEB検索と電話での問い合わせ。
 夕食直前、Nさんからの電話。同年輩の親友Yさんが、急病で4月21日に永眠されたとの弟さんからの葉書がきたと、問い合わせ。本当に寝耳に水。想像だにしなかった。そういえば、フォーラムの案内のメールが戻ってきていた。びっくりするとともに、2か月前だったのに驚いた。近々、Nさんと線香をあげに行くことにした。何か、信じ難いことが矢継ぎ早に起きる。友人のMさんと連絡を取り、悲嘆・・・。
 明日はいいことがあることを期待して・・(6/18)<28760>


◇ 6月県議会が開会した。今日は、開会式に参列。
 議長が議員辞職(市長選立候補)のため、議長選挙が行われた。また、4月1日付で就任した副知事・部長・局長・次長などの就任挨拶。50人もいただろうか、恒例ではあるが、大人数である。女性の幹部がもっと出てきて欲しいと思う。
 知事の施政方針を聞いて、ほぼ散会。16日間の会期だが、本会議は、6日間だが、都合が悪くない3日間は出席し、他日は他の委員にお願いしている。7月1日までの会期である。(6/16)<28734>


◇ 慌ただしく、日曜日・月曜日が過ぎた。
 昨日の日曜日(14日)、早朝、友人の携帯番号から発信された電話を受ける。友人が倒れて、救急車で運ばれ、緊急手術中だということ。近くに住む友人の知人からの電話。手帳と携帯を手渡して、連絡をお願いしたようだ。すぐにはいけない距離なので、やきもきしていたが、昼頃、フェースブック仲間でもある弟さんから連絡があり、状況を把握できた。10時間以上の大手術で、経過は良好のようだが、ICUでの治療を受けている。驚き、慌てたが、何とか、頑張ってくれている。一日も早い快癒を祈っている。
 午前中、義母のショートステイ入所(短期間)、妻の知人の葬式への送迎、深夜0時35分発のバスへの送り。羽田空港までの深夜のバス。
 今日の月曜日、10時からの「コープカレッジ」の講師をしなければならなかったので、その資料の印刷をコープ本部でおこなう。50歳以上の組合員対象で、地域貢献活動の推進を期待するもの。今回ははじめての第1期で、「被災地の実態を知る」というテーマで、来月の第2回めが「現地視察」がメイン。そのための震災全体の理解の共有を目指した。スタッフ以外に、約10名の受講生。いままで、コープの組合員活動の第一線で行ってきた方々。終了後、スタッフ6名で昼食。私以外は全員、女性。賑やかな昼食会。
 帰宅して、少しうとうとしてから、4時からのコープ常任役員会へ。子会社の経営状況も聞く。今週木曜日に迫った総代会に向けて、最終的準備。総代会を経て、新年度の活動に本格的に入る。(6/15)<28720>


◇ 昼から福島大学の退職者の会の総会。会長になっているので、一大イベントです。40人ほどが来てくれました。総会と忘年会だけでは、元気な退職者(高齢者)の要求に沿わないかもしれませんが、まずは、淡々と進めなければならないと思っています。終了後、新人(退職間もない)H先生とコーヒーで懇談。
 出かけるまえに、女川の小学校3-4年生担任の宮川先生に電話。10歳当時ですから60年お逢いしていませんでした。先日の中学校の同期会の折、話題になり、先生の連絡先を教えてくれました。7月中旬にはカンボジアにしばらく行っているようなので、出発前に、お逢いできればと思っています。83歳だと思いますが、お元気な声で、本当に懐かしい。教師になって初めて持ったクラスのようで、良く覚えておいていただき有難い。「今野君は、昔の様子しか分からないよ。」と言われたので、「ほとんど変わりません。髪の毛が薄くなった位です」(笑)と答えておきました。20代前半の若い美人の先生しか覚えていないのですが、逢いたいし、逢うのが躊躇う気持ちもあります。自分も同じですが。6月下旬に、女川行きの用事をつくり、途中、お住まいの石巻のご自宅を訪ねることにします。
 今になって、学校時代の先生方に、年賀状も書いていなかったことが悔やまれます。(6/13)<28694>


◇ 所属している県の行政委員会の、全国連合会の総会で、東京へ。事務責任者二人と3人で。新宿で降りて、会場までの途中のレストランで郷土料理風の昼食。ビルの中なのに「土間」。何か、都会のど真ん中に土間の食堂。珍しい。こんな雰囲気が好きな人もい多いのだろう。東京のかなりの人が東北出身だろうから。
 出発する前に、席を予約してくれた。東京での会議の前に、食堂で昼食を取るなんて、あまり経験がない。いつもは、列車の中でおにぎりを頬張るか、東京駅構内でファーストフードか。申し訳ない。名前を覚えたが、思い出せないないので、インターネット検索したがダウン。まあ、いいか。
 会議は、総会で決算・予算、役員の改選。形式的なことの確認。講演もあったが、どうしても行政官の講演は、制度の説明・伝達風。もう少し、何故、こういうことになっているか等、その背景を教えて欲しいと感ずる。
 5時、東京発の新幹線で帰福。西口で、駐車料金のために両替したく、急遽、半額の弁当を購入。食後、NHKの東北楽天⇔中日戦を観戦。辛島、松井などの好投で、3対1で勝利。なんと4連勝。交流戦をきっかけに、上位グループに割り込んで欲しい。銀次や、枡田の負傷にもかかわらず、若手も一丸となっているがんばっているようで、頼もしい。調子が悪く、負傷者も出ていて、それが若手の登場する機会を生んでいるようだ。(6/12)<28685>


◇ 水曜日(10日)。会津若松へ非常勤講師。帰宅は午後4時だが、夕方の「ふくしま復興支援フォーラム」。福島大学うつくしまふくしま未来支援センターの間野博さんから、「被災地における復興計画」について報告をもらった。35名の参加と、いわき等からも来てくれた。難しいテーマなので、ここにして初めて課題として設定されるものもある。講師の間野氏及び司会の浩氏を交えて夕食。
 今日木曜日。4年3ヶ月目の月命日。コープおきなわの理事長さんなど6人の来訪。9時から被災地の状況について専務から報告。沖縄の皆さんは常務の案内で、被災地域の視察。同時並行に、定例理事会。
 夕方、夕食交流会。3月にお世話になった方々もいらして、懐かしい感じ。私の沖縄での説明も、何がしかの来訪のきっかけになってくれたのかもしれない。皆さん、生協活動のベテランだが、私のような初心者には、初めて理解することも多い。気持ちのいい集まり。また再会を約束して散会。専務・常務らと馴染みの店(らしい店)で、二次会、カラオケ。声も出なくなったな(笑)。(6.11)<28676>


◇ 火曜日、4週間間隔で通っている病院へ。いろいろ美味しいものを食べてきたので、さぞかし検査結果は悪いと思ったのに、逆に改善していた。高値ではあるが。1ヶ月後に表れるのではと脅かされたが、何とか改善に努力しないと。
 少しでも(1ヵ月でも)、長生きするといいこともあるような気もするし、心配なことも見届けらるか。孫を始め家族のこともあるが、世の中の動きを見ていると心配で、そう簡単に、長生きしなくてもいいという気になれない。
 病院から帰って、カナダでの女子サッカーを見る。ペナルティキックの1点のみで、薄氷のようだったが、勝利。選手はみな必死に頑張っていた。
 コープで雑用をしながら、陸運局の皆さんの訪問を受ける。コープ事業ではなく、私の労働関係の専攻との関係。トラック運転手の労働時間等の改善の協議会の相談。
 帰宅後、6時からの楽天⇔DeNAの交流戦。なかなか点が入らず、2対2のまま延長12回裏。ペーニャの打順。もう駄目だろうと思っていた矢先、なんとサヨナラホームラン。あまり信じられないが、心の中で期待しつつ打ち消していたので、びっくり。6時から10時半頃までの試合。気分はすぐれないままの就寝と思っていたが、なんとか爽快。お陰で、翌日の授業の準備は不足。いつも同じことの繰り返し。本当にダメだな。(6/9)<28644>


◇ 昨日(7日)・日曜日に松島(ホテル壮観)で開催される女川第一中学校35年卒同期会のために、早めに出発。
 同期会は午後4時からだから、もったいない。まず、塩竃の孫宅により、久しぶりに孫たちの元気な顔を見る。11時頃、石巻のH君宅に寄り、ふたりでY君が監督している少年サッカーチームの試合を応援。少年たちと同様、Y君も頑張っている。試合終了後、短時間話しして、私は女川へ。用事はないが、娘に届もの。我歴Stockなど、コンサートで盛り上がっている。私はコバルト―レ女川の試合を観戦。最後までは見れなかっただ、1対0で勝利とのこと。多分これで東北社会人リーグの首位だと思う。凄い。
 女川駅周辺を見学。3月21日の駅の開業以来だが、周りに建物も建ち始め、少しづつ街らしくなってきている。駅舎の3階の展望台から駅を臨む。海の見える終着駅。今後の展開が楽しみだ。松島に向けて走り、ほぼ定刻に間に合った。
 同期会は35名(女性18名、男性17名)。それぞれ歳は重ねたが、いい歳を重ねてきたようだ。2次会(カラオケ)、そして部屋での3次会。12時も過ぎた。日帰り者を除く30名の宿泊。自ら重病を抱えたり、身内を亡くしたり、大変な生活を送っているが、自然体で元気に頑張っている。東京のI君とも久し振り。昨年は大雪のために参加できなかったが、「お逢いできるのは今回が最後かも」と言われて、がっかりしたので、今回は万難排しての参加。いい思い出となった。
 朝食後、解散して、私は福島へ。睡眠不足のせいか、睡魔に襲われたが、何とか無事。帰宅。
 昼食後、コープふくしまへ。来年からの電力小売り自由化に向けて、業者から話を聞く。この業界では、かなりの動きがあるが、勉強をして、対応を、生協の立場を守ってきちんと行っていく必要があろう。その後、定例の常任役員会。いつもより早めの帰宅だが、疲れがドッと出てきた感じ。快い疲労感ではあるが。(6/8)<28628>


◇ 小雨の土曜日。郡山市立美術館に行ってきました。「超絶技巧! 明治工芸の粋」。七宝、金工、漆工、刀装具、自在、薩摩、印籠、木彫・牙彫、刺繍絵画の数々。極めて精巧なので驚いた。日本人は、こういう分野は長けているような気もする。
 郡山市立美術館は、65歳以上は、市民かどうかに関係なく無料。そのせいか、作品のせいか、高齢者の入場者が多かった。出来るだけ、多くの人に見てもらうことが重要なのではなかろうか。大昔、ミュンヘンに滞在したとき、著名な作品を陳列している「アルテ・ピナコテーク」は、日曜日には無料。極貧生活をしていたので、家族全員で見学した。憲法25条の「健康で文化的な生活」の保障の際に、文化的生活の例では、高等教育などの授業無料を例として出すが、もっと、美術や音楽の面にも広げるべきと思う。
 郷里・女川の復興事業は、相対的に早いと評価されるが、どうしてもハードや産業に目が向く。私としては、まずは「図書館」と考えてきたが、女川出身の画家などの小さな美術館や、獅子舞など伝統的な民俗文化、「心」を豊かにする仕掛けが欲しい。
 震災前、女川町唯一の普通高校である「女川高校」の廃校が決まり、すでに廃校となった。地域社会の自立にとって高校の存在は大きい。卒業生が町の産業の担い手として期待されるなど。隣の石巻に通う形になっているが、町の教育政策は小中校止まり。先日の女川に元気を送る会の講演で、登校拒否している高校生(隣町への通学)に対して、NPOが援助している話があった。通学する高校の違いを超えて、地域が高校生の成長を支えている例として考えると、注目すべきだと思う。「公的」教育のみではなく、まさに「コミュニティ」教育を全ての年代を対象にできないものか。
 大学・大学院までは無理かなと思いつつ、女川にある東北大学の試験場などの協力を得てできないものか、地方再生が叫ばれている時期、考えてみたい気がする。進学のために、女川に来る。そんな夢があってもいい。(6/6)<28604>


◇ 車検をお願いしたマイカーを取りに、自動車整備工場へ。社長と奥様がおり、しばしお茶をいただいてきました。一日だけですが、愛車が手元から離れると落ち着きません。ペットみたいなものでしょうか。
 非常勤の授業の後始末と来週の準備をして、ゆっくり過ごしました。質問に対する答えのために、介護保険審査会への不服申立ての件数を調べても、なかなか出てきません。そのうちに、いつも贈呈いただいている「介護保険情報」を覗いて、貴重な資料を利用できていないなと反省。
 学生の素朴な質問に、スラスラと答えるほど、勉強していないなと思う。特に、具体的な統計など、毎年変わるので、常にその動向を追求していなければならないと思う。学生の質問に答えながら、勉強している感じである。(6/5)<28591>


◇ マイカーも新車と思っているうちに、車検(3年)となりました。いつもの宇田自動車により、車検を依頼してきました。明日、午後に迎えに行きますが、代車を貸してもらいました。軽自動車なので、運転するのが怖い感じ。
 その足で、コープへ。来週から開始する「コープカレッジ」の打ち合わせ。組合員理事さんとの打ち合わせですが、わいわいと賑やか。組合員活動等で活躍してきた組合員の新たな活躍の場の探求になればいいと思います。私も、何故、参加することになったのかが不思議ですが、研修的なものなので、相談したいということからの出発でした。まあ、何歳なっても、新たな課題と役割を見つけることが大事です。何か残るものにしたいものです。
 トラック輸送における取引環境・労働時間改善の協議の相談に、労働局からお出でになりました。その後、運輸局からも。取引環境の改善、長時間抑制のための環境整備が必要な分野ですが、可能な限り、いろいろと協力したいと思いますが、また気になっているこの分野の勉強をしてみたいと思っています。(6/4)<28579>


◇ 水曜日は、会津若松行き。短大での非常勤講義です。疲れが取れていないので、やはり睡魔の闘い。
 元同僚の木村吉幸先生から、『ボトルショップ 簡易組み立てタイプ』(歴史春秋社)の本をお送りいただきました(献本)。ウイスキーの空壜の中に、精巧な船を飾っているものです。精巧さとともに、どのようにしてつくるのか不思議でした。簡易な組み立てタイプとは言っていますが、作り方が不思議です。その作り方を詳細に図解しています。
 木村先生は、生物学者、特に小動物の研究者で、吾妻山のモグラはすべて名前まで(?)知っているほどの研究者(『小さな哺乳類』という著書もあります)ですが、まさかウィスキーの空壜内に船をつくり上げるとは。人間の能力とは、多様だとつくづく感じます。出来ないものと諦める、あるいは自分の可能性を閉じ込めることの方が問題なのかもしれません。定年退職したばかりですが、今後、何をやるか、あるいはやりだしているか、またビックリさせられるかもしれません。同じことはできないので、せめて、私のような凡才は、その意気込みだけは学びたいものです。
 テレビ中継は無かったのですが、東北楽天がヤクルトを5対3で破りました。スマホとパソコンのテキスト速報で確認。気分よく、眠れそうです。(6/3)<28566>


◇ 昨日の疲れか、ボーッとしています。やはり年には敵いません。
 明日の授業の準備が進んでなくて、慌てていました。前回の感想文のタイピングをして次回に返すのは、結構大変なのですが、それでも面白さもあります。時期が経ると、段々、大人のような文章になる。19歳、20歳前後というのは、成長もはやいのでしょう。
 家族の仕事の送迎。ラジオで、デイサービスの迎えの方々の言葉に気を使うらしい。「お迎えに参りました」というのは、良くないとのこと。言葉は難しい。
 5時半、田村市の委員会のために、市役所へ。高速の飯坂ICから船引三春ICを経て、約1時間のドライブ。会議は1時間足らずで、また帰途のドライブ。冬のような緊張は無いが、やはり夜の高速道は、気を使う。いろいろ地域のためとは思っているが、どれだけ役立っているのか。反省しながらの運転。(6/2)<28554>


◇ 6月になりました。猛暑の5月でしたが、6月は梅雨を迎え、そして真夏の7月に向かうのでしょうか。
 今日は、福島県朝日会県北支部バスの旅(「鳥獣戯画―高山寺の至宝 特別展」鑑賞の旅 柴又帝釈天)。妻に誘われて、行くことにしました。朝日新聞読者を対象に販売店が企画したようです。
 朝、8時集合・出発ですので、7時15分頃自宅を発って、福島駅前の駐車場を確保し、準備完了。乗客チェックの際に、「今野先生」と呼ばれたのでビックリ。なんと、この旅行の実際の運営は、「ヒットトラベル」という旅行社ですが、行政社会学部長時代に、学部の保護者の会の責任者をやっていただいた本間さん。2号車は奥さんのチェックでしたが、お聞きすると1号車にご主人が添乗。思わぬ再会です。ご主人は全行程(12時間)のすべてを添乗されましたが、いろいろ近況などもお聞きすることができました。
 鳥獣戯画が展示した東京国立博物館は、月曜日は休館日ですが、主催者に朝日新聞社が入っているため、特別の計らいと思います。2時間から3時間の行列らしいのですが、待つことなく、観覧することができました。それでも短時間のために、立ち止まることはできませんでしたが、これが有名な貴重な美術品と思うと、緊張します。1000年以上も前の作品ではあるが、鮮明であり、鳥獣を使っての社会への風刺なのでしょうか。1時間半ほどの鑑賞でしたが、それから「男はつらいよ」で有名な、葛飾柴又の帝釈天。参道の団子屋さんも見学してきました。寅さん記念館、山田洋次ミュージアム、江戸川河畔も見て、帰路です。自宅には9時到着。
 考えてみると、教科書ではよく見るものですが、現物を見て、改めて感動するものでした。(6/1)<28542>



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