日 記

(2015年11月)


<今野順夫の部屋>

◇ 11月も最後の日です。
 病院に寄りながら、福島大へ。非常勤講師です。150人の教室に15人ほどでしょうか。人気のない講義です。教室が小さければ、あまり違和感が無いのですが、2コマ連続の同一教室はとれません。私の目も、広角レンズでないので、全体が視野に入りません。前の講義のせいか、黒板のチョークが机の上、マイクに一杯ついているので、紺色の背広に白墨がバッチリ。受講届けが30人ほどですので、半分は出ているのでしょう。ほぼ全員出席している短大の講義と大きな違い。まあ、敢えて非常勤科目として設定する必要があるのか、疑問ですが、少人数でもその科目を学習したいという学生がいる限り、私自身がもっと努力すべきでしょう。
 コープの常任役員会に馳せ参じて、銀行の方との懇談、借金の保証人のサイン。

 11月も色々ありましたが、今日で終わり。従弟の葬式で横浜にも行きました。石巻での中学校の恩師を囲んでの昼食会。仙台への親友の奥さんの1周忌の墓参り。学術の動向の原稿書き、いわきでの講演。全国の生協の視察での交流会(おきなわ)、いわきでのコープセンターの開所式、会津美里町での沖縄からの方々との交流。それと福島大での非常勤、県の委員会の業務、コープの諸会議。病院にもほぼ毎日通いました。
 あまり一貫性がなく、何か、関連のない業務のパッチワークのような感じでした。明日から始まる、今年の最終月。何か、一貫性と拘りを持って過ごしたいと思います。(11/30)<30962>


◇ 月末の土日が過ぎました。
 昨日の土曜日、翌日の講演の準備が心配でしたが、病院通い、娘が帰省しており、飯坂温泉でかけ流しの温泉を楽しみ、モーゼルワインをいただいているうちに10時過ぎからの準備。いつものことですので、仕方がありません。
 今日の日曜日。9時半にいわき市に向け出発。順調なドライブで昼前に到着。「第22回全国建設研究・交流集会」。記念講演を頼まれました。同じく特別報告の小川氏と昼食を共にし、90分の話。テーマは、「東日本大震災からの復旧・復興の現状と課題〜住民主体の合意形成をめざして〜」。常磐市民会館の大ホール。400人くらいの参加者でしょうか。90分は講義時間と同じでしたが、壇上を明るくし、客席は暗いので、学生のように反応を見ながら話すことができず、少々面食らい。まあ、何とか時間延長をせず終わりましたが、意味のある話になったか、自信はありません。
 他の特別報告、現地報告を聞いて、明日の授業の準備があるため、帰ってきました。あまり接することのない方々ですが、熱心に聞いてくれました。
 翌日の授業の準備。2コマ連続なので、どうしても範囲が広くなる。じっくり準備をした講義をしなければと、毎度の反省です。(11/29)<30944>


◇ 寒い日が続きます。
 病院通いが続きます。昼食介助に送り、「贅沢納豆」を買って、タイヤの交換。
 大宮のMさんから昼食のお誘いを受け、駅前東口の店(イヴのもり)でランチ。妻が先日、友人たちと寄り、いい店だとの情報から。駅東口広場を2階から眺めて、しばし歓談。客は、我々2人以外は全員女性。若い人から高齢者まで、年代層は広い。しかし、ここ女性専用店かなと、少し不安になる。
 タイヤの交換、ガソリンも入れて、日曜日のいわき行きは万端。問題は、講演内容。どうも周辺部分の草刈りをやっていて、肝心の中心部に迫らない。私の悪い癖。
 帰宅すると、こたつでウトウト。ああ、高齢者のモデルか。
 夕食の介助に行ってきて、夕食を食べ、さてと思うと、もう12時に近い。まあ、睡眠不足にならぬよう、休まざるを得ないかな。(11/27)<30921>


◇ 雪は降っていないが寒い朝です。氷雨が降っています。
 横浜での従弟・昌弘君の葬儀に参加すべく、朝7時前に自宅を出て、7時39分の新幹線で出発。横浜の北部斎場なので、新横浜まで行き、横浜線に乗り換える。長津田駅。道不案内だったが、従姉のさえ子さんとタクシー乗り場に辿り着いたが、甥の昌明君の運転する車で斎場まで送ってもらった。
 女川・沢田関係者は3人の参列だったが、昌弘君の兄弟、甥や姪の皆さんからいろいろ話が聞けた。式は、音楽葬のような形式で、静かながら温かい感じの葬儀だった。故人の人柄が偲ばれます。退職後、様々なボランティア活動にも熱心で、社会福祉協議会の供花等も見受けられる。元気なお孫さんたちを見ると、故人も孫の成長を楽しみにしていただろうのに・・。
 葬儀をし、同じ場所で火葬をする方式。それにしても59歳とは早すぎる。やり残したことがいっぱいあったのだと思う。自分より年下の方の葬儀は、特に辛い。合掌。
 帰りも、昌明君に駅まで送っていただき、彼は職場に帰った。駅の喫茶店でしばし歓談。ご無沙汰している、和子叔母さんに電話。そのうちに逢いに行こう。福島の駅に辿り着いたのは午後5時半。そのまま病院の夕食介助に迎えに行く。一日中、氷雨のようで、心が晴れない。(11/26)<30905>


◇ 昨日の火曜日は、4週に1回の通院。血液検査は、いつも採血する人泣かせで、大変だが、いつもと異なりチョロチョロしか出てこず、途中で打ち切った。検査する方は、いいということだったが、大丈夫かなと思った。その結果ではないが、検査結果は良くなかった。体重をセーブし、何とか運動をしないと。朝のテレビ体操は皆勤賞だが、これでは不足。考える前に、まずは歩くこと。と考えているが・・・。
 学術会議の機関誌の原稿を、締め切りギリギリの夜中に送信。気が晴れるが、なんとかもっと出来ないのかなと思う。いつものことだが。翌日の授業の準備と掛け持ち、余裕がない。
 今日、水曜日は、午後から福島大での非常勤講義。みなし月曜日である。2コマ連続(180分)は、さすがきつくなってきたが、頑張るしかない。ほぼ半分が終了した。夕方にかけて初雪が降る。霙だ。会津電力の佐藤さんが相談したいことがるというので、所在ビルに立ち寄る。いつもながら元気な人だ。自宅に戻ってから、病人に付き添っていた妻を迎えにいく。雪のせいではなかろうが、バスが時刻表通りに来ない。タイヤ交換をしていないので、そろそろと思い始める。昨年より10日、平年より1日早い初雪らしい。寒さが身に沁みる。(11/25)<30891>


◇ 三連休の最終日(勤労感謝の日)は、雨です。楽しい行楽に水をさされたようで、同情します。
 昨日の日曜日。予定は特にありません。娘が仕事なので、6時半には車で出発。2時間ほどの行程です。いつも着くまでが心配。終日、24日締めきりの原稿書き。どうも従来の枠を飛び出せないので、悶々としています。孫娘から突然ショートメールが来る。小学生だが、安心の為に携帯を持つのはやむを得ないのかも。しかし、妻は嬉しそう。
 今日の祝日(月曜日)。10月に亡くなった北村先生のご自宅を友人たちと訪ねました。もっと早く行くべきでしたが、故人が弔問について辞退の意思が固く、今日になってしまいました。いろいろと思い出話。
 病床に伏してから、短歌を作り始めた短歌集をもらいました。4月に亡くなった同僚の湯田さんの逝去を悼む1首。「青春の 苦楽を共にせし男児(をのこ) 古稀を過ぎて逝く 桜散る頃」。4月、そして10月と、行政社会学部を創設した仲間が他界してしまった。心がぽっかりと空く。
 同じ団地の喫茶店で、友人たちと小1時間歓談。夕方のコープふくしまの常任役員会に向かう。帰宅してから、病院に義母を見舞う。ぐっすり休んでいるので、寝顔を見て帰宅。(11/23)<30866>


◇ コープふくしまのお店(コープマート)の創業祭。特に役目はないが、元大関・把瑠都(エストニア)による祖国のサーモンの販売もあり、保原店を訪ねる。丸公の石本会長はじめ関係者と挨拶。丸公のホームページによれば、「平成27年11月10日より「元大関バルト」カイド・ホーベルソン氏の故郷エストニアで作られたスライスサーモンの取扱を始めました。原料はもちろん!バルト海に続く北欧産のサーモントラウトを使用しております。身のしまりが良く、脂もほど良く乗った美味しいサーモンです。」とのこと。バルトご夫妻(奥さまは美しいプロテニスプレーヤー)とも、話ができました。日本語が上手です。サーモンを少し買って来ました。
 午後、娘が祖母の見舞いで来福。夕方、飯坂で温泉に入り、自宅で、サーモンと「今朝しぼり」(彌右衛門)を楽しみました。いずれも極上美味。朝しぼりは、昨日の朝のしぼりでしたが、昨夜は、病院から呼び出しを気にして飲めませんでした。
 病状も安定し、快方に向かっているようで、まずは安心。久しぶりの親子水入らず(酒入り)でした。(11/20)<30842>


◇ 入れた歯が抜けた。あまり気になるところではないが、掛り付けの歯医者へ。いつも、緊急で、予約なしでも対応してくれる。少し待ったが1件落着。翌日からは連休が始まるので、有難い。
 従弟では一番若い、東京の昌弘君が亡くなった。従姉のさえ子さんに、前日見舞いに行ってもらって様子を聞いたが、再度メールが来た。早朝3時46分。59歳という若さ。病魔には勝てなかったのか。元気な時の姿しか思い出せないので、全く信じ難い。父の一番末の弟の子(甥)。残された家族のこと等、心配なことが多いが、今は、安らかな眠りを祈っています。合掌。
 義母の入院等、忙殺された夕方だが、予定していた同窓会を欠席。以前も、休んだことがあり負担をかけたので、懇親会の玄関先で会費のみ受け渡す。みんなに悪い。不意なことがあるので、何か予定を組むのが恐い。(11/20)<30829>


◇ 昨日の水曜日。インフルエンザの予防注射。義母が入院している病院で受ける。昼近く、義母も退院し久し振りの自宅へ。
 午後、コープおきなわから副理事長さん3人を含む8人の理事さんらの来訪。2度目の原発被災地の視察であるが、折角なので、沖縄の現状と課題等を講演してもらう。組合員とともに、医療生協、健康生協、その他の団体にも呼びかけ、沖縄学習のいい機会になった。コープふくしまの野中専務から原発被災の現状等を報告し、両者の理解を深められたと思う。
 福島と沖縄。原発被災地・福島からの懸念にもかかわらず再稼働が推し進められている。原発がなければ日本の経済は駄目になるとばかり、再稼働賛成の声が増えつつあるようだ。しかし、関東圏(東京電力管内)には1つの原発もない。「危ない物は都会には置けない」のか。結果的に、福島県と新潟県2県で、首都圏の7割の電力を賄っている(水力や火力も含め)。日本のために、福島も「我慢してほしい」ということか。やはり「切り捨て」なのだろうか。
 沖縄も、日米同盟を維持することに賛成しながら、沖縄の基地を本土で受けるところはない。日本のために、沖縄は「我慢してほしい」ということか。やはり切り捨てではないのだろうか。沖縄の気持ちが、原発被災して、理解できるような気がしてくる。
 夜、市内の中華料理店での「懇親会」。和気あいあいと、楽しい夕べを過ごした。

 今日は、午前中に、県の委員会があった。予告の議題は1件だけだったので、早く終わるかなと思っていたが、議題も増えて、結局12時過ぎになってしまった。いずれも大事な問題である。3人の委員で、イタリアンレストランで、昼食・歓談。
 夜は、日本対韓国の野球(準決勝)のテレビ中継を見る。8回まで3対0でリード。勝つと思っていたら、9回表、則本・松井が崩れ、結局4対3と逆転され敗北。残念。東北楽天の2投手と島捕手。とりわけ残念。韓国の拘りの勝利だろうか。本当に、がっかりした。
 横浜の病院に入院している従弟の様子を、大田区に住む従姉にみてきてもらう。見舞いに行く日時の確保をしないと・・。(11/19)<30811>


◇ 昼から県庁での業務。時間が迫っていたので、昼食抜きでしたが、体重管理のためには、よかったかも。
 県議選が終わったばかりなので、新議員が県庁内で見かける。後でわかったが当選証書の交付日らしい。新しく構成される県議会、どのようになるのだろうか。
 大学改革に関して立ち上げていた、ブログ(「大学改革フォーラム」)に、元学長の吉原先生が寄稿していただいた。「戦後70年の夏に想う」。戦前からの福島大学経済の歴史を紐ときながら、戦争に突き進む時代の大学政策と、最近の大学政策の動向の類似性を指摘し、警鐘を鳴らしている。流れに任せないで、愚直に生きたいものだ。(11/17)<30785>


 
◇ 昨日の日曜日。仙台のY君の奥さんの一周忌になるので、石巻のH君、地下鉄泉中央駅で落ち合って、Y君宅を訪ね、線香を上げさせてもらいました。もう一年か、早いものです。亡くなる2年ほど前だったでしょうか、夫婦二人で福島の自宅を訪ねてくれました。最後になるかもしれないと思っていたのかもしれません。初めての来訪でしたが、最後の来訪となりました。
 同級生3人で、四方山話。こんなとき、脇から、歌曲を歌ってるような奥さんの声が聞こえないのが残念。3人で、泉ヶ岳近くの奥さんが通い慣れた蕎麦屋で、美味しい蕎麦をご馳走になりました。独唱のテープだけでなく、趣味の水彩画を見せられました。近々、小さな展覧会をやって、偲ぶ集いを友人たちでやるようです。彼も大変な家事を一生懸命やって、1年を迎えられたようです。健康に留意してほしいと思います。

 今日の月曜日は、忙しかった。病院の朝食介助に送って、その足で、コープ本部で、10時からのコープカレッジの資料作り。安易に引き受けたなと、いつものように反省しながら。「中高年の生活と社会保障」のテーマですが、今日は2回目の「年金」問題。1時間は話しましたが、どうも拡散したのか、もっとメリハリが必要でした。12時に出て、急いで福島大へ。1時から4時までの非常勤講師。こちらも年金問題。上手くいかなかったのですが、少々、3コマ目ですから足がふらつきました。丁寧な仕事をしないとダメですね。コープの会議は欠席して、病院の夕食介助。帰りに、「みずむしパン」(?)を買ってきました。娘たちが高校生の時代に、話題にしていたような気もする。
 従弟の入院の連絡。一度行ってみないと。(11/16)<30768>


◇ 雨の土曜日。コープふくしまとJAグループ協同組合間協同による、「第6回 2015収穫祭 ふくしま地産地消まつり〜JA全農フェア〜」のオープニングセレモニーに出かける。主催者挨拶が必要。雨の中、行列ができて、ふくしまの米(コシヒカリ)のプレゼント配布。
 時間が許せばということで、福島駅ビルのネクストホールで開催された「復興支援員及び地域おこし協力隊活動報告会」を覗いてみた。30〜40代の支援員が、復興と地域おこしの活動の報告。被災地視察のツアー等による地域おこし活動が目立った。こうした活動は重要なのだろう。各種様々な取組みによって、総体として、復興再生が求められていくのだろう。
 コープいずみ店に戻って、浜の母ちゃんの料理教室に出たが、既にご馳走が並んでいて、美味しいどころ取りで申し訳ない。7人の相馬双葉漁協の方々と組合員(家族)の昼食交流会は、和やかなものだ。
 専務理事がパリの会議に出張。コープの取り組みの報告なのだが、今朝(日本時間)のパリのテロ攻撃・爆撃による百数十人の殺害は、びっくり。早速、連絡はとったが無事とのことで、ひとまず安心。しかし、非常事態宣言が発出されたので、今後も安心できない。(11/14)<30742>


◇ 朝食と夕食の食事介助への送迎。
 午後、コープふくしまの定例理事会。分散会で意見を出しやすいようにしているため、細かいことも含め、様々な意見が出るが、一つ一つ実現するための方途を考えなければならないと思う。発言する方も、どうせ実現しないだろうからと思うと、意見に責任を持てなくなる。なんでもできるとは思わないが、まずは、考えてみる必要があろう。トイレの話が多かったが、これは重要なことかも知れない。
 高倉健の「八甲田山」を観る。戦争終結にせよ、登山にせよ、引き返す、または敗北を認め終結する勇気というのは、多くのところで考えさせられる。それは、多くの人々の命や生活を第一に考えるかどうかなのだろう。(11/13)<30734>


◇ 午前中、県の委員会。恒例の議題の処理。
 病院での食事介助の往復が続いているが、退院の時期がほぼ決まり、もう少しの頑張り。
 午後、コープで、コープカレッジの相談。来年の2〜4月の企画だが、何とか目鼻を付けて、6月の総代会を迎えたいものである。
 野球も、サッカーも、日本は勝利した。今夜も、締めは松井。しかし、ハラハラするが、最後は抑えているか。20歳の若者は大したものだ。それにしても東北楽天では勝てなかったが・・。(11/12)<30726>


◇ 震災関係研究プロジェクトで、大宮駅前のレストランでヒアリング。福島から3人、東京・大宮から3人、高崎経済大のS先生からのヒアリング。県外避難者の支援員で、きめ細かな支援活動を展開しています。避難者も、この5年近くで、生活も気持ちも変わっています。県外避難者同士、県内外の避難者同士、帰還する人、帰還しない人、当面自宅を自立して建築する人、相互理解と信頼で復興を進める必要を感じます。復興予算や賠償の打ち切りが俎上に上がっている中、温かく、地道な支援活動の継続が必要でしょう。
 時間のあった方々、また救急で友人を助けていただいた方(ご挨拶が遅れていました)も含めて、イタリアンレストランでピザの夕食。やはり、都会ですね。帰宅は10時になりました。野球の中継、辛うじて、メキシコに日本はサヨナラ勝ちしました。(11/11)<30717>


◇ 昨日・月曜日は、朝食の介助のための病院行きを送ってから、その足でコープの11月の朝礼。挨拶で時宜に適したことを話そうとは思うが難しい。10月の経営状況も順調で、油断せず、前進する必要があろう。
 帰宅して、授業の準備の補足。やはり、準備不足は否めない。1コマ目は声が出ているが、2コマ目に入ると声が充分には出ない。やはり歳のせいか。何とか、感想文を多くを書いてくれて、有難い。講師の準備不足も、学生の真摯な取り組みで助かる。終了後、N先生と最近の大学情勢等雑談。遅れたコープの常任役員会へ。右往左往のせわしい一日だった。
 今日の火曜日。特になし。学生のコメントをタイプして、3食の食事介助の送迎。今日が退院予定だったが、最小限のリハビリが必要なので、1週間ほど延びそう。夜は、高倉健の映画をテレビで鑑賞。「遥かなる山の呼び声」と「幸せの黄色いハンカチ」。いずれも倍賞千恵子との共演だが、設定は特殊だが、人間の優しさに心癒される。
 この前、お世話になった会津美里のMさん宅から、自分の家で収穫した柿を送っていただいた。こちらがお世話になっているのに、申し訳ない。早速、お礼の電話。最も信頼できる方との、新しい繋がりは有難く、嬉しい。(11/10)<30696>


◇ 生活に怠け癖がでると、日記も怠けます。
 6日・金曜日は、夕方、ユーコープ(静岡)の被災地視察の皆さんとの交流会。穴原温泉の吉川屋。静岡から浜通りに直通(バス)、渋滞で到着時間が遅れましたが、元気に着きました。吉川屋の社長や若旦那と話す機会があって、若旦那の三味線(飯坂小唄)を飛び入りで演じていただきました。交流会では初めてですが、いい雰囲気でした。私の役目は、歓迎の挨拶ですが、泊まる予定の理事さんを交流会場に届け、被災地案内をすませた郡山の理事さんを福島駅まで届けること。何も役に立つことはやっていないので、このくらいのことで役立つなら。無事に任務完了。
 7日・翌朝は、中学生の同期生が、東松島市に在住の阿部先生ととともに昼食会。誘われて、私が先生のご自宅によって、会場まで。中学時代の楽しい語らい。60年ほどが一瞬にして吹っ飛びます。以前は、小学校時代、今度は中学校時代。大人数の同期会もいいですが、数人で先生の話を聞くのは、本当に懐かしい。みんな元気だから、こうして会えるのだねと納得。
 さすがに疲れたのか、石巻から福島へは、睡魔に襲われつづけ、2度ほどの仮眠。こんなことはなかったのですが。これも歳でしょうか。
 今日の日曜日、病院への往復の合間に、映画鑑賞。劇場支配人に紹介された「天皇と軍隊」。2009年にフランスのテレビドキュメンタリー用に制作されたものですが、渡辺監督のトークもあり、現在の憲法問題を考える上でも、勉強になりました。
 それにしても、明日の非常勤講師の準備ができていません。もう少し、時間の取り方を工夫しないと。(11/8)<30676>


◇ 今日は一日、「怠ける日」に専念。
 病院食事介助の送迎以外は、自宅で作業。暑いような秋の快晴。冬に向けて灯油を購入してきました。6缶(18リットル)。
 散髪に行ったら、行きつけの店は、昨日で休業しますとの張り紙。経営の厳しさか。
 病院の方は、もう退院してもいいとのこと。よかった。寒さが厳しくなるので、用心はしないとね。
 今日は、福島県議選の告示日。市議選ほどではありませんが、賑やかになってきました。震災のために遅れた前回の選挙。4年後の選挙も遅れ、全国一斉ではないので、有権者の投票率等心配。15日が投票日です。(11/5)<30652>


◇ 昨日・火曜日は、文化の日で休日。
 病院への朝食・昼食の食事介助後、福島駅に沖縄と会津美里の交流にくる方を迎え、一路会津美里町。沖縄のサトウキビ畑の会と美里の農業団体の方々の交流。今回は遅くなりましたが、支援のために借用している田んぼの稲刈り。3月に沖縄訪問の際に、お世話になった方々。美里の地元の方々も見えられ、沖縄の現状の話を聞きました。また、松川事件の話なども。夜も遅く、帰るのは難しいので泊めていただきました。
 今日は、早朝からコープのいわきセンター新事務所の開所式にいくので、皆さんが寝静まる中午前5時半過ぎに、静かに出て、車で一路、いわき市へ。途中のSAで朝食をとり、霧の濃い磐越道をひた走り。しかし、眠い。余裕の到着で、配達に行く前の職員の皆さんと開所式。その後のコープ委員会議に参加。広野の双葉郡町村会に行く計画を立てましたが、無理と判断して早めの帰路。自宅で少し休んで、約束していたT先生と打ち合わせ。来年の産業衛生学会のなかの研究会で報告を依頼されました、震災と再生エネルギー問題ですが、勉強しないとダメですが、来年の5月ですので、いい機会と思ってお引き受けしました。
 夕食の介助に出かけ、一日が終了。それにしても眠い日でした。交通安全のため、無理をしないように・・・(11/4)<30634>


◇ 雨の月曜日です。
 娘が早朝、職場に帰るので、4時に起きたら、すでに出発していました。朝と言っても、暗い道、大変だったと思いますが、5時半頃、自宅に着いたようです。無事は何よりです。
 午後の講義の準備があまりできないのですが、朝食介助のために病院(車で30分ほど)往復。帰宅後、授業の準備の補足。昼食介助に送りながら、福島大へ。雨が降っています。こんな時に限って駐車場がない。何とか、奥の方に見つけ、授業へ。準備もさることながら、大教室に十数人。教室内は寒い。1時から4時近くまで。受講生には気の毒した。せめて、いい講義をしたいのですが、準備不足です。大学内に研究室がある時代と異なり、なかなか慣れません。
 コープの常任役員会は休ませてもらって、帰宅。夕食介助に送迎。妻も、どうしても都合がつかない場合には、食事は病院に助けてもらうしかありません。ついてないときちんと食事をとることが心配。やはり、医療と介護は、目的が異なります。
 明日は文化の日ですが、少し暖かくなりそうです。ついに炬燵を出し、ストーブを再稼働。冬が近い感じです。睡眠不足を解消して頑張りましょう。(11/2)<30603>


◇ 11月になりました。日曜日です。
 朝、病院に行き、その足で、松川運動記念会関係の打ち合わせ。松川資料を世界記憶遺産にしたいという、もと松川事件の弁護人の提起を受けて、相談の話し合い。運動自体は、松川事件を風化させないで、引き継ぐ重要な業務と思います。
 塩竃の孫たち一家が、病院にお見舞いに来ているので、昼食時、逢いに。いつも元気です。
 午後、県立図書館での松川事件学習講演会。大阪の石川弁護士の講演です。図書館講堂に150人も来ていたでしょうか。図書館の大きな協力で実現しました。館長さんも来賓の挨拶をしていただきました。ここで、松川事件の講演会を行うのは初めてですが、松川賞の募集ポスターをお願いに行ったときに、この講演会の企画も話し合いました。県立図書館にある、松川関係の図書目録などもまとめていただき、また、福島大松川資料室の資料(諏訪メモを含む)も展示していただき、いい企画だったと思います。今後とも、こうした協働が発展すればいいなと思っています。
 大阪に帰る講師と懇談をして、夜は、飯坂の小温泉で温まってきました。11月です。何か冬の足音が聞こえてきそうです。(11/1)<30592>



2015年10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2014年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2013年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2012年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2011年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2010年12月11月10月
〜2010.10.9アーカイブ