日 記

(2015年12月)


<今野順夫の部屋>

◇ 大晦日、腹痛で目を覚ましました。
 帰省していた次女の車で、近くの病院へ。大分以前のことですが、癖になっていた「尿管結石」。緊急外来で診察を受け、痛み止めの坐薬をもらいましたが、1個のみなので、心配で、掛り付けの病院へ。痛みを止めながら、排斥するのを待つしかないのですが、予備の薬がないと心配です。薬局が開いているとのこともあり、10個の薬を出してくれました。
 後は、自宅療養者のように、自宅でブラブラ。締まらない大晦日ですが、痛みのない時間を見計らって、義弟の送ってくれた味噌うどんで年越し。紅白歌合戦の合間に、飯坂の鯖湖湯へ。除夜の鐘を聞きながら新年を迎えました。(12/31)


◇ 今年もあと1日を残すのみとなりました。
 月曜日は、コープの常任委員会に久し振りに出ました。事業経営は順調に進んでいますが、石油価格の暴落などによって、供給高が少し落ち目です。予測できない経済事情もありますので、緊張感をもって乗り越えて行きたいものです。
 29日(火)。午前は病院の定期検診。食生活の乱れと運動不足か、2ヵ月連続、検査値が悪くなりました。担当の先生からも、厳しい注意を受けました。運動も、なかなか足が出ないのは、真剣に自分の健康を考えていないせいでしょう。やるべき仕事を果たすためには、心身の健康が前提なので、意識性をもたないと。
 夕方、次女の帰省。病児・病後児保育の話を聞いて、興味を持ちました。働く母親のためだけでなく、何よりも児童の保育を受ける権利の問題として考えるべきとの話に納得しました。子どもの権利条約を、再度、読んでみたい。
 今日は、水曜日。朝食後、飯坂温泉の共同浴場に娘とともに行く。芭蕉以来の伝統のある鯖湖湯。47度くらいの温度だろうか、さすがに熱い。古老の勧めで、水道水でうめて、辛うじて入浴。熱さになれると気持ちのいい入浴です。湯を出てからも、体がポカポカあたたかく気持ちがいい。駐車場でゼミ卒業生のA君に声をかけられました。市関係の団体で頑張っているようです。名刺をいただいたのですが、なかなか見つかりません。車の中か、ポケットの中か、探しても出てきません。車に乗るときに落としてしまったのだろうか。ダメですね。
 午後3時過ぎ、長女一家が寄りました。高校時代の同級生の家族の集まりだったようです。子どもたちが3家族で8人。ホスト役もさぞ大変だったでしょう。孫の襲来は、台風のようですが、少しみんな成長したのか、それぞれが独自の遊び。台風ではなく、さわやかな風のようです。明日から仕事のようで、夕方、帰りました。ほぼ我が家の正月行事は終了したかなと思います。(12/30)<31413>


◇ 年末の日曜日。起きると、雪が庭をうっすらと白くしています。それにしても穏やかな年末です。
 女子サッカー皇后杯の決勝戦。引退する澤選手の活躍で、所属チームは優勝。いろいろ後ろ髪引かれることもあるでしょうが、また、新たな分野で活躍することを祈っています。
 講義での質問票への解答をつけながら、医薬分業、院内処方・院外処方など、改めて調べてみました。学生の疑問はストレートで、いろいろ勉強になります。「教えること」とは、「学ぶこと」だなと実感します。年が明けると、2コマ連続の4回の講義で終了。いろいろと反省の多い非常勤講義でした。(12/27)<31376>


◇ 昨日の25日(金)。慌ただしい一日。
 市内のラジオ福島のスタジオに午前8時、集合。チャリティーで集まった募金の届出とインタビュー(ラジオ中継)。ラジオ福島の取締役・総務局長、営業局長、営業部長と懇談。昨年に続くものだが、インタビューは、短くあっという間に終わった。昨年は、Sアナウンサーのため、いろいろ聞かれてしまった。
 その後、福島大学へ。倫理委員会の外部委員で、先生方の研究計画についての審査。特に、学生を対象にするので、その観点。
 午後、県議会の閉会式。最後は、議案の採決なので、議員さんたちが起立や会議場から出入り(棄権)で、動きが激しい。休憩をはさんで、再開・終了。その後、4時から予定していた委員会の開催。これで、年内の県関係の仕事は終了。「いいお年を」と挨拶。今年は、御用納めの28日が月曜日なので、知事の儀式に参加する幹部職員を除き、事実上の年末年始の休業に入ることになるのだろう。
 今日の土曜日、福島大の松川資料室で、松川賞の運営委員会。第2回の松川賞募集の仔細についての相談。今度は、もっと応募者が増えればいいなと思う。世界記憶遺産の運動もあるが、実質、松川事件の継承の層をつくるためには、松川賞は重要と考えている。帰りに、N先生と懇談。娘さんたちが相次いでの入籍とか。一挙に春の到来のようだ。(12/26)<31358>


◇ クリスマスイヴである。暖かいので、ホワイトクリスマスのイメージとは全く異なる。
 午前中は、銀行や郵便局に出かけ、送金・入金。その他、雑用。
 妻に来客があるので、自宅に居るのもどうかと思い、見ようと思っていた映画「母と暮せば」を見る。山田監督・吉永・二宮・黒木の好演が光る。いつもより多い観客だが、涙腺が緩みっぱなしで困った。戦争が、ささやかな平穏な暮らしを奪っていくことを静かに訴える。
 明日のラジオ番組のための準備でコープ本部に寄り、仔細を聞いて、国際交流協会へ。新たな体制の届出のための書類づくり。並行した関連のない業務が多いので、一つ一つ、確実にやらないと失敗する。年齢に相応し、注意を集中しなければと思う。(12/24)<31323>


◇ 天皇誕生日。ピンとこない。やはり、昭和天皇の誕生日のゴールデンウィークの方が認識度が高いのか。
 今日は、12時から辰巳屋ホテルで、行政社会学創設時の4先生を偲ぶ会。2月の大谷先生、4月の湯田先生、10月の北村寧先生、12月の辻みどり先生の4氏である。こんなに立て続けにご逝去の報を聞くとは。
 連絡が取れた昔の創設時の方々が、参加してくれた28名。学部創設から28年になる。途中で行政政策学類に名称変更されるが、卒業生は5000名だろうか。各分野で活躍している。偲ぶ会とは別に。OB会があっても良かったが、元気なうちに皆さんとお逢いできなかったのは残念。
 辰巳屋8階の喫茶店で、懇談。駐車場に下りてみると、配布された資料をもっていない。封筒にも入って無かったが、忘れてしまったので戻ったが、時すでに遅し。事務担当者に聞いてみたが、会場の係の方だろうとのこと。亡くなった方々のプロヒール等なので捨てる気にはなれなかったが、こうした物忘れは多くなったな。う〜ん。
 女川の街びらきの予定を変えての出席だが、女川の方は全国ニュース、地方ニュースともNHKは報じている。被災地復興のトップランナーと言われているが、3割の人口流出で、7000人を切っている。住民が住み続けられる街づくりに期待。朝、女川の図書館(つながる図書館)のM先生と電話。産業復興とともに、心の復興、子どもたちの未来を支援する取組みに期待したい。図書館始め、文化的要素の強化が必要。まさに街づくりのスタートが切れれたばかり。(12/23)<31300>


◇ 午前中は、県議会の総務委員会からのヒアリングのために県議会へ。補正予算に絡んでのヒアリングだが、事務局長ら事務担当者の回答で済み。農業土木・土木の採用についての状況の質問があった。
 午後、コープで企画している「認知症」の講座の絡みで、映画館「フォーラム」に映画の企画の相談。良い映画を見る機会を、コープの文化活動の一環として組み込みたいのは、一つの夢。同行した3人の理事さんらも、映画会の主体的な取組みに意欲的。
 遅れてしまったが、震災関連のプロジェクトミーティング。終了後、5人で夕食に行くことにしたが、3軒は満席(忘年会かな)。辛うじて、「もめん亭」のカウンターで夕食。(12/22)<31288>


◇ 今日の日中は、建設研究所の講演内容の最終校正を送り、調子の悪いスマホをドコモで診てもらい、銀行の定期預金の書き換え。いつも妻にやってもらっているので、初心者マーク見たいなもの。
 夕方、知事懇談会に出かけたが、県議の方々の出席で、こちらは知事以下ホスト役。桧枝岐の蕎麦をご馳走になりながら、いわき出身の議員さん、行政社会学部卒業の新人県議(友人のS先生のゼミ生)、近くにお住まいの県職員出身の県議の方々、いろいろ本音で話すことができました。
 県幹部からは、どうも御苦労さまとの声をかけられましたが、国際交流協会の理事長就任でしょうか。10歳下の辻先生のご逝去に伴う後任補充。私より若い方々のご逝去は、特に心が痛みます。若い方のバイタリティには敵いませんが、なんとか、遺志は受け継ぎたいものです。それほど自覚的ではないのですが、新聞の外国人技能実習生拡大の記事に関心をもち、切り抜きました。勉強したらといわれている感じです。(12/21)<31268>


◇ 福島県9条の会の知人に依頼されて、毎月行っている19日の行動(安保法案の強行採決に抗議する集会。福島は会場の都合で20日)の一環として行われる事前の講演をすることになった。30分ほどの短いものだが、東京の内田弁護士に継いで、労働法の改悪・国民生活破壊の問題と憲法について話すことになった。今までとは異なる各団体の共同がすすみ、教育会館に750人ほどの集まり。
 教室とは異なり、年代層も「大人」(?)の方々なので、どれほど伝えられたか。何よりも、テーマはテーマでも、何を伝えるべきか、焦点が定まらないままの話でした。特に短時間だと、何を切り落とすかが重要ですが、話していて自らの不勉強を痛感しました。
 最近、講義や講演が、あまりスッキリしていませんが、何よりも拘った勉強の不足でしょう。頑張らないと・・・。(12/20)<31266>


◇ 土曜日。一歩も外に出ないで、自宅に引きこもり(?)。
 明日の集会で、労働法制・社会保障の話をしなければならないので、いろいろ切り抜いた新聞等を眺めていた。あまり役に立ったわけでないが、勉強にはなった。日常的な蓄積が重要。初めて逢う人が多く、相手が見えないが、精一杯の努力が必要。(12/19)<31241>


◇ 午前10時から、コープカレッジの第2期の3回目があるので、朝一で、生協本部に行き、印刷。
 テーマは、「健康維持と医療保障」。医療制度・保険の制度的な説明で、もう少し問題化しているところに焦点を定めるべきだったかなと反省。どうしても学生対象に慣れていると、まずは基礎知識になってしまう。まあ、再確認するのも意味はあろうが。
 終了後、受講者全員で昼食・交流会。パセオの店(うまか亭・乙姫=寿司や)で。最後まではいることはできないのが残念。
 国際交流協会の理事会へ。辻先生が急逝されたので、ピンチヒッター。残任期間は1年半ほど。辻先生の思いを繋がないと。後ろ髪引かれる、旅立ちだったでしょうから。
 病院への支払に回って、帰宅。毎日、通っていた所で何一つ変わっていないが、何か新しいところに来た感じ。(12/18)<31231>


◇ 16日(水)、被災地視察で、コープみえの理事などの皆さん5人が来てくれました。毎年、贈呈を受けているカレンダーをいただき、懇談をしました。皆さんは、松川の飯舘村の仮設住宅にいき、話を聞いていただきました。夜は、夕食をして交流会。継続的に支援をいただき、頭が下がります。
 17日(木)、今日は、午前中の県の委員会。会津の銘酒をいただきました。本当に義理堅い人です。心尽くしが有難いです。すぐに飲みたいところですが、年末にでも、娘たちが帰省したおり、いただくことにしましょう。それまでは楽しみに。
 午後は、県議会の本会議。一般質問で5人方が登壇。議員の略歴をみていたら、行政社会学部卒業生が新議員として登壇していました。行政社会学部創設時の先生方が相次いで亡くなられ、来週、偲ぶ会の準備をしているのですが、教え子・卒業生たちは、県職員から派遣されて3つの町の副町長にも相次いで任命され、それぞれ頑張っているということを実感。亡くなった先生たちも、教え子たちの活躍を何よりも喜んでいると思います。18日、20日と話をしなければならず、相変わらずの一夜漬けです。(12/17)<31209>


◇ 師走は早く過ぎ去る。
 花粉症と風邪の合成か、鼻水が止まらない。14日(月)は、福大での非常勤・授業の日。2コマ180分がもつか。ティシュペーパー1箱をもちこんで、腰かけての講義。鼻をかむのがマイクで響いたかな。ビニール袋1杯のゴミ。こんなことは全くないな。夕方のコープの役員会はお休みにしてもらう。
 今日15日は、県議会の本会議。代表質問1人のみ。2時半には退散。何とか、鼻風は見苦しいところまでは避けられたか。議会の始まる前に。県国際交流協会の専務との話合い。後はゆっくり、自宅で休もうと思って帰宅。古新聞のリサイクル、Yシャツの洗濯をとってきて、後は何もないと座ったとたん、携帯電話が鳴る。6時半からの飯舘村の会議。手帳にもスマホにも予定は組んであるが、今日は何もないと先入観。会議の時間が始まっているが、着いたのは7時。30分の遅れ。やっていて欲しいと言ったが、私が座長なので、待っててくれた。21回目の会議だが、ほぼ1年半ぶり。
 こんな経験は初めて。認知症の前兆か。この間、めまぐるしく予定変更だったのか、疲れたためか、ショックをうける。今週の予定表(手帳)は、いろいろと重ね書き等、見難い。相互に関連のない会議等が多く、相当、気を使わなければだめだなと思う。綱渡りのような生活をやめて、一つ一つ、確実に歩みたいものだ。(12/15)<31177>


◇ 月曜日、福島大での非常勤。夕方はコープふくしまの常任役員会。(12/14)


◇ 前夜、簡単な身内の「お通夜」を行い、13日は火葬。義弟らの家族も来てくれた。葬儀会場での見守りを終え、火葬場から自宅にお骨を持ち帰る。それぞれ、親戚は自宅に戻る。(12/13)


◇ どうして日々の経過は、こんなに早いのでしょうか。4日が過ぎました。机に向かって座る暇と気力が無かったのでしょう。これでは、あっという間に年老いてしまいます。若者以上に、緊張感をもたないとダメですね。最近、五木寛之の『嫌老社会を超えて』(中央公論社)と、宮澤由美の『社会とともに歩む認知症の本』(新日本出版社)を読んでいます。難しい本ではありませんが、なんとなくそうした本に手が伸びます。

 9日(水)は、午前に市内の短大に出かけました。新年度からの非常勤講義のためです。前期2コマ、後期2コマで、多分、15コマづつ、通年30週は通うことになりそうです。あまり講義に自信は無くなりましたが、力を抜かないで、老人講師のために損をしたと言われないよう、頑張りたいですね。1年だけとは思いますが。会津の短大への出講は、定年制ゆえ無くなりましたので、その代替になります。
 午後、県議会の開会式。県議選で選ばれた新議員の初めての県議会本会議です。議長選挙・副議長選挙と、委員長・副委員長の選任だけですので。40分ほどで終了。終了後、議員全員の集合写真に、入りました。何か、入学式のようですが。

 10日(木)、病院に義弟が泊まりがけで看病してくれたが、我々が病院に着いた直後、義母は静かに息を引き取った。覚悟はしていたが悲しい。葬儀会社と連絡を取り、家族葬の手配をする。
 午後から県議会本会議の第2日目。内堀知事の提出議案の説明。これも40分ほどで終了。翌日は休会と、何か新学期開始の時のオリエンテーションの感がします。3時から委員会、5時45分から、委員会事務局職員全員との忘年会。砕けた話も多く、懇親が深まったような気がします。

 11日(金)、コープふくしまの理事会。今年も最後です。今年1年を振り返り、新年度への結束を語る場でした。3分散会も、かなり具体的な諸問題も出され、新たな問題に挑戦するためにも、もっと勉強しないとと思います。理事会終了後、お世話になっている銀行担当者との話し合い。
 今日の12日(土)、福島大学の退職者の会の忘年会。昼食を共にする2時間ほどの会ですが、皆さん、元気で何よりです。ただ、行政社会学部関係者は、2月に大谷初代学部長、4月に友人・湯田さん、10月に先輩・北村さん、そして12月に現職の辻さんが相次いで亡くなりました。いずれも家族葬で、参列する機会はなかったのですが、月末に、有志で偲ぶ会を企画しています。(12/12)<31136>


◇ 私事のことで、あっという間に3日が過ぎてしまいました。
 6日(日)は、午後、私用で街に出かけました。そろそろ師走の気配。
 7日(月)は、コープふくしまの朝礼で挨拶。昼からは、福大での非常勤講師。医療保障問題に入りましたが、メリハリは付いていません。残された時間が少なくなって、少々、慌て気味です。
 授業開始前に、学長室により、4人の先生方の偲ぶ会等について相談。
 今日の火曜日。午後からトラック輸送における取引環境・労働時間改善福島県協議会の第2回会合。厚生労働省と国土交通省の協働、荷主とトラック事業者との共同の会議。トラック輸送運転手の過重労働を避けるために、荷主とトラック事業者がいかに協同するか、具体的な話し合いで、得るところが多い。労働組合の代表も出ているが、まずは、両事業者間の協働をいかに実現するかというところか。何とか、こうした話し合いを大切にしたいものだ。(12/8)<31079>


◇ 土曜日。義母の見舞に、多くの方が来てくれました。
 義弟、義弟の奥さん、義弟の孫家族、長女家族、次女。小さな訪問者で、病院ではエネルギーが弾けそう。
 こちらのスマホから、アメリカへの携帯電話につなげる方法が上手くいかず、上手く通じてからも英語の留守録が聞き取れず(英語力の問題)、暫くゴタゴタしてしまいました。
 慌ただしい師走も、あっという間に1週間が過ぎてしまいました。残された今年、有意義に送りたいものです。(12/5)<31039>


◇ 雨降りの金曜日でした。
 病院への行き帰り。午後、日生協からの取材で、インタビューを受けました。co-op NAVI の記事ですが、いま、福島から何を発信するか、この5年近くの経緯の中で、一直線ではなく、ますます複雑になってきているので、難しいと思いました。端的に、解決すべき課題を提示できれば、展望が出てくると思うのですが。
 仙台の吉田さんから大著を送っていただきました。『藩法史料叢書6 二本松藩』ですが、本当に地道に資料分析をしている姿に尊敬しています。内容的には、読み解く力はありませんが、これを眺めながら自らに鞭を打つ「宝物」としましょう。
 新年の挨拶(コープ理事長)を書く時期です。正直、新年を迎える気分になれませんが、短い文章ですが、心をこめて書くことにしましょう。(12/4)<31023>


◇ 昼食・夕食介助のための病院通い。昼食の際は、大変元気で安心しましたが、夕食の際は、調子が悪く、心配しながら帰ってきました。
 退職者の会の事務局からの連絡で、現職の辻みどり先生が亡くなったとのお知らせ。昨年から、東京の病院に入院していましたが、お見舞いにも行けずいましたが、昨日の早朝4時32分に逝去されたとのことです。享年60歳と若すぎる。近親者のみの葬儀ということ、弔問・参列(弔電・香典等)は、すべてご辞退するとのことですので、遠くからご冥福を祈るしかありません。
 辻先生は英文学の専攻で、福島大学に第3の新学部(行政社会学部)を創設するときに赴任されました。語学とともに、地域文化の領域で研究教育を、積極的に展開されました。学部長に相当する学類長も務められ、退任後は、大学生協の理事長、県国際交流協会の会長を務めています。88年の創設時期の赴任で、私も教育学部から移籍で参加しました。当初は教員数20数名だったと思うのですが、大変な中、和気あいあいと学部創設の仕事を協同で行っていました。
 今年は、2月に初代学部長の大谷先生、4月に湯田先生、10月に北村先生、そして12月に辻先生と、いずれも創設時期の4人の先生方を相次いで失いました。辻先生は定年まで、まだ4年以上ある現職ですので、あまりにも若い他界です。それぞれが、近親者のみの家族葬で、参列もできず、心が落ち着きません。いろいろとご指導をいただくことがあまりにも多いから、特にそうです。
 ご冥福を、静かに、祈っています。ありがとうございました。(12/3)<31008>


◇ 特に予定されたものはない。(今週は、不思議と予定が無い)
 授業の準備をしながら、身辺整理。病院に昼食介助に出かけ、雑用をすませ、夕食の介助へ。とはいっても運転手業務。夕食に合わせて、塩竃から娘夫婦・3人の孫、全員が見舞いに来た。元気過ぎて、病院には似つかわしくない。
 福島の寒さに驚いて帰った。今朝の福島は0度。今年1番の寒さだ。(12/2)<30990>


◇ 今日から12月です。
 松川事件の承継のために、「松川賞」をつくり、第1回の受賞者の発表・授賞式等も過ぎました。そろそろ来年の募集の準備ということで、松川賞運営委員会を開催しました。福島大学とNPO松川運動記念会と協力して、松川資料室を運営しており、現職時代に私も関わっていたために、松川事件の承継のためには、幾分の責任を感じています。
 松川賞自体は、私の発案とされてしまい、協力をすることになりました、1回だけで終わったのでは、見えない流れ星のようなので、少し続けたいと思っています。応募者が、どんどん増えてくれることを願っています。マンガや紙芝居等も歓迎なので、もっと宣伝をしなければなりません。
 福島を盛り上げるとき、歴史的には、戊辰戦争で敗北しても立ち上がったと言われますが、私は、自由民権運動は福島の輝かしい歴史もあるし、戦後の松川事件全員無罪の運動も貴重です。原発被災からの復興を考えるとき、この線を忘れてはなりません。
 自由民権運動の輝かしい運動は、高知の「自由民権運動記念館」を訪ねたときに、「東の三春、西の土佐」と福島県三春町が評価されているのをみて、感慨深いものがありました。その後、喜多方事件の現場を訪ねる機会もあり、福島県の誇らしい歴史と思います。松川事件も、機関士の犠牲もあり、悲しい事件ですが、無実の被告人を全員無罪にして復帰させた運動は誇るべきものです。福島県民としては、大切にしたいものです。ブログ「松川事件の承継」に、第1回松川賞を受賞した前田新氏の詩集『無告の人』のなかから、被告人の中心であり93年に亡くなった鈴木信さんを追悼する詩「あしたばの人ー追悼」を掲載した。
 義母の病院に、昼食・夕食と出かけ、その帰り、飯坂の源泉かけ流しでゆったり、帰宅しました。少し、元気も回復しました。(12/1)<30975>



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