日 記

(2016年1月)


<今野順夫の部屋>

◇ ついに1月も末日。ようやく辿り着いた感じです。年末から1月なかばまで体調不良で、なんか損した感じです。
 日曜日。午後から佐藤英雄さんの葬式に出かけました。参列者が多く、駐車するのに随分時間がかかりました。別室でモニターで告別式を見ていました。信用金庫関係のみならず、土湯のバイナリ―発電、大学時代(専修大学)のスキーの仲間、多方面の活躍を知ることができました。私たちのやっていたふくしま復興支援フォーラムでの報告に関わって、掲載したホームページのプリントを家族に渡そうと思って、もっていき、奥様に手渡しましたが、迷惑をかけてしまったかなと反省しています。
 本当に、惜しい人を亡くしました。これから復興に関わる仕事で活躍して欲しかったのに・・。心からご冥福をお祈りしています。
 帰宅は、5時頃になってしまい、残務は明日に残してしまいました。1月は終わりました。(1/31)<31949>


◇ 1月もあと1日を残すところまできました。月末の締めではありませんが、貯まっている残務をこなしていました。非常勤講師のレポート採点、閉め切りすぎた原稿、新しい非常勤のシラバス、関連死認定の情報を聞きたいという学生への報告。明日の日曜日には、すべて決済したいものです。2月には仙台の講演を頼まれていました。もう少し、お腹の底から出る声を届けたいのですが。(1/30)<31942>


◇ 金曜日、本格的な雪になりそうだが、騒ぐほど福島は雪は降っていない。
 午後、宇田自動車整備工場にいき、エンジンオイルとエレメントの交換。6万キロになった。3年半で6万キロ。次の車検5年で、車を変えるか、それとも7年まで乗るか。多分、10万キロになるだろう。それと、そろそろ年齢で自動車運転は限界か?。そうであれば、車を早めに代えるか。大事に乗ることも必要だと思うのだが・・・。久しぶりに、宇田さんと懇談。(1/29)<31918>


◇ 木曜日。午後から、定例の県の委員会があり、久し振りの会議。まだ新年のペースに乗っていないかとも思う。年末・年始かけての病気で、まだ病みあがりなのかペースが上がらない。

 朝、地元の新聞を開くと、佐藤英雄さんの訃報。63歳。銀行の重役だが、研究意欲が高く、大学のドクターコースにも社会人として在学している。それよりも、なにかと大学に応援してくれる。最近は、特に土湯温泉の再生エネルギー事業で、活躍しており、ふくしま復興支援フォーラムでも報告していただいた。大学関係者もびっくりしている。フェースブックにお知らせの意味で、こう記した。「今日の福島民友をみると、佐藤英雄さん(福島信用金庫常務理事)の訃報が報じられています。63歳の余りにも早いご逝去にびっくりしています。土湯での再生エネルギーの取り組みの先頭に立っていました。第71回ふくしま復興支援フォーラム(2014.8.7)において、「土湯温泉における再生エネルギー(バイナリー発電、小水力発電)事業」について報告してもらいました。本当に残念です。ありがとうございました。ご冥福をお祈りしています。ブログに寄稿していただいた論考を、添付させてもらいます。(2015.1.1)」と。告別式は、31日。

 夕食に、長崎五島列島の鬼鯖鮨。駅前のデパートで全国の特産品のフェアをやっていたらしい。妻が買ってきました。賞味期限が今日までなので、少しボリュームがありましたが、美味。(1/28)<31899>


◇ 冬の合間、青空も覗く暖かさです。全国の大雪警報が別世界のようです。断水で大変なようです。
 怠け癖に鞭打って、机に向かっています。盛岡で、話をという連絡が来て、以前、憲法記念日に盛岡で話したことを思い出しました。2012年5月3日です。終了後、自宅療養している砂山君のご自宅を訪ねました。この日記も読み返すと、不確かな記憶がよみがえってきます。私の備忘録でしょう。2013年9月5日のご逝去。驚きの様子が書いています。9月7日の早朝、妻とともに、自動車で盛岡の葬儀へ。僭越ながら、弔辞を呈上しました。今読んでも、悲しい。
 今度の盛岡行きでは、逢うことはできません。街も、友人がいなくなると、違った街になってしまうようです。
 運動不足を解消しなければならないので、ほこりのかぶった室内自転車漕ぎ、鉄アレー、踏み板(?)などを出してきました。頭で考えてばかりいないで、実行が必要です。(1/27)<31888>


◇ 火曜日。4週間おきの定期診察に出かける。生活習慣病等のチェックが主だが(開始したときと、対象が変わっている)、値は悪い。主治医から、年末年始の腹痛など病気だったせいだろうと慰めてくれたが、決定的に運動不足。なかなか足が出ていないことに悔やむ。
 夕方からは、テニスとサッカーのテレビ観戦。どうも気になって離れられない。錦織は残念だったが、サッカーはイラクを破り、あっぱれ。
 気分良く眠れるが、仕事は残る。(1/26)<31865>


◇ 雪の月曜日。福島の雪はそれほどでもないが、全国的には大雪警報。沖縄・奄美や、鹿児島まで雪で覆われる。金曜日には、3月下旬の暖かさになるらしく、異常気象のような感じだ。
 月曜日は、福島大での非常勤(社会保障法)。もう、まとめの時間になっているが、児童福祉・障害者福祉・公的扶助の部分を、足早に進める。もっとじっくりやりたいが、要領が悪い。来週は、まとめの試験を行う。制度がどんどん変わっているので、普段の勉強が必要。
 終了後、定期のコープの常任役員会へ。帰り道は、やや凍結しているので、気をつけながら帰宅。義弟が送ってくれた鴨で、鴨鍋を美味しくいただく。寒いのだが、体が温まる。(1/25)<31847>


◇ 昨日、土曜日。長年務めた大学時代の友人が辞めるということで、有志による慰労会で仙台へ。
 地道に30年近くの職務、ご苦労様でした。集まった同期生たちも、みな第2の人生。2年ほど前に亡くなった親友が参加できないのは残念だが、みんな元気な様子に励まされてきました。
 ついつい2次会まで行って、自宅に辿り着いたのは11時半頃。雪を心配していましたが、仙台から22時25分の最終の新幹線(なんと、郡山行き)。順調な運行でした。
 日曜日の今日、私用で午後出かけましたが、福島は雪には見舞われませんでした。トップニュースは、全国の大雪。ついに奄美大島まで雪。(110年ぶりか?)。オーストラリアではテニスの錦織が勝ってベスト8へ。そろそろでかい壁が待っている。大相撲は、琴奨菊が優勝。日本人の優勝は10年ぶりとか。他の日本人力士(日本生まれ?)も、負け犬にならず、続いて欲しい。沖縄・宜野湾市長選挙は、自公推薦の現職知事の再選。これによって沖縄の情勢がどう影響をうけるか、選挙結果の分析と展開の方向の見定めが必要。(1/24)<31833>


◇ 金曜日。宅勤(?)ですが、ついついテレビを見てしまって、よくありません。
 朝、テニス全豪オープン。錦織の試合、ハラハラしながら、要所(3セット後)は見てしまいました。結果良ければすべてよし。
 合間に、上手く捗らない原稿書き。夕方は大相撲。琴奨菊は、子ども頃からのライバル・豊ノ島に敗れ一敗。10年ぶりの日本人力士の優勝という夢はついえ去るのか。何か心配。上位には勝つが、下位には敗れる。チャレンジ精神の問題なのか。守りか。自暴自棄にならないで、日本人力士、久しぶりの夢も実現させて欲しい。日本人には拘らないが、偶には(?)日本人も優勝してもいいのでは。
 宮崎駿の「魔女の宅急便」が終了したら、サッカーのアジア予選準々決勝を思い出した。主に後半から見たが、0対0で延長戦。その後投入された選手の立て続くシュートで、何と3対0。PK戦だと、どうなるか不安だったが、我慢しながら、ついに勝利。監督の采配だろうか。監督は、ベガルタ仙台時代も好成績。選手の力とともに、やはり指導者の力次第なのかなと思う。自分も「教師」という職に長いが、指導する学生を、もっているものを最大限引き出してやれなかったことを悔やむ。という訳で、試合終了は午前1時を過ぎてしまった。生活の立て直しを!(1/22)<31802>


◇ 木曜日。既に締め切りの過ぎた仕事が捗らない。
 3月19日―20日に福島大を会場に開催される<第3回「原発と人権」全国研究・交流集会in福島>の後援をお願いに、S先生及びA弁護士とともに、地元新聞社に行く。震災の翌年から2年おきに開催し、3回目を迎える。2回目の現地実行委員長を務めて、第3回目も協力することになった。現地実行員会は、実行委員会の運営がスムーズにいくように、世話することが主任務。単に会場を提供するだけでなく、福島での復興に向かう運動の支援になればと思う。
 終了後、事務局長のS先生と、喫茶店で打ち合わせ。集会に関係ないが難題もあり、どうするか思案のしどころ。(1/21)<31782>


◇ 水曜日。今日締め切りの非常勤シラバスと原稿締め切り。なかなか進まず、お詫びと猶予のメール。何か迫力がまだ出ない。
 午後、「福島の復興再生をめざす『情報プラットフォーム』と『車座会議』の構築」のプロジェクトミーティング。30分ほどの出席しかできず、あまり寄与していないが、伴走している。
 午後4時から福島市とJA新ふくしま共催の「平成28年福島市農始祭」にコープ理事長として出席。ミーティングからの中途退席が遅れ、祭りは既に開始。市長の挨拶の時に潜り込む。福島市農業賞の表彰があり、その後新春交歓会。学生(福島大小山ゼミ、桜の聖母)らのプロジェクトの発表があり、物珍しい。
 挨拶・祝辞では、福島大に農学部をつくる運動の期待が表明されていたのが特徴。農業分野での震災復興のためには、大学の研究に期待されているのは嬉しいが、具体的な実現は、また人文社会系の削減(国の政策にも同調して)になるのではとの懸念が大学関係者の共通のものであろう。文理融合・学際的研究の推進でなければ、課題も解決できない。新しい分野の創設は、他分野の研究教育の向上に資するものでなければならないだろう。この点での県民の共通理解も欲しいものだ。
 森林組合のEさんから、森林除染問題について話を聞いた。是非、コープと森林組合の協同も視野に入れながら、休業中の「復興支援フォーラム」で、お話していただけないかと頼んでみた。退職したが相応しい方を紹介してもらうことになったが、そろそろフォーラムの再開の時期かなとも思う。Eさんは、林業労働の問題(労基法の適用)で、検討会に同席させてもらった際の担当者だったと自己紹介され、懐かしい思い出。何か役に立ったのか、常にそうだが、こちらの勉強の機会だった。実態を勉強できた。
 隣席のJAの常任監事のYさんと、JAとコープの協同の拡大について夢を語り合った。菅野組合長は、挨拶の中で、私の参加について、出席した場合に常に触れていただいて、その心配りは有難い。コープに対する期待と受け止めて、その協同に真摯に答えていかなければならないと改めて思った。
 NHK−BSの「きらり縁旅」は、女川編。懐かしい顔も見える。40代前後の若い方々が多かったが、高齢化率が高い町。高齢者の顔も見たかった。最も人口流出の多い町。どのような街づくりをするか、これからが正念場。(1/20)<31765>


◇ 火曜日。「ふくしま大豆の会」についての新聞取材があるというので、コープへ。この会は、1998年7月に発足したもので、遺伝子組み換え大豆の安全性問題、日本の食料自給率の低さに不安を持ったコープふくしまが、JA福島中央会、経済連等に働きかけたのが始まり。会員制で消費者を確保、さらに大豆交付金制度を活用した契約栽培で、安定した価格を産地に保証し県産大豆の増産を図るものとして続いている。コープふくしまの代表が、大豆の会の会長を担っているので、取材を受ける立場になる。とはいっても、創設以来関わっているコープ幹部職員が同席してくれていうので、何も心配はない。
 生産者と加工業者、そして消費者が一体となって運営されているが、全国にもあまり例がない。なんとか共同で地域に対する貢献をめざしている。震災後も、JA等との深い連携があるのは、こうした取組みがベースになっている。大豆取扱い高は約222トン、売上高も2億2600万円(2014.12)、登録会員も2万1817人(同)と発足時より1万7300人が増加している。基本的には、加工業者によって加工された「大豆の会」マークの製品(豆腐・納豆・油揚げ・醤油・味噌など)が、コープの共同購入の方法で配達される。
 震災によって、こうした活動が産業復興のためにも重要になってきていると感ずる。生協の仕事をする前には、あまり理解していなかったが、こうした新しい動きを勉強するのは新鮮である。
 締め切りの仕事はあまり進まないが、そろそろ体調も回復してきたので、頑張らないと。退職者の会の方に、昔、教育学部事務長としてお世話になった高島さんの訃報が届いた。享年91歳。お世話になった村上さんが学部長の時の事務長さん。連絡しようにも、既に他界されている。皆さんのご冥福を祈るだけ。
 オリンピック出場をめざしたサッカーのアジア予選をテレビ観戦。何とか、サウジアラビアに2対1で勝利。準々決勝にコマを進めた。試合場は、あのドーハの悲劇のカタール。サッカーだけでなく、女川町に冷凍施設を寄贈してくれたカタール。サッカーだけの思いではない。(1/19)<31753>


◇ 月曜日、真夜中からの降雪は、家の周りを白く彩った。それほどの積雪ではないが、雪かきは必要だ。
 昨夜、腹痛が残って痛み止めを使ったが、それ以上に非常勤講義のための通勤が可能かどうか、おそるおそる早めの出勤。何とか辿り着いたが、構内の積雪も多い。そもそも学生は来ていないのではと思ったが、真面目な学生たち。
 3時間の講義の後、コープの常任役員会へ。30分のところ1時間以上かかった。特に4号線は、高速道が不通のためか、ノロノロ運転。会議は、ほぼ終了。会議の最後に挨拶。勿論、その後に、明日の取材の打ち合わせがあるので、行くことに意味はあったが。

 役員室の机の上に1冊の本が置いてある。『宮城の協同組合人ー23人の足跡ー』(宮城県協同組合こんわ会)。宮城の中での協同組合間協同の歴史であり、具体的には、農協、漁協、森林組合、日専連、生協の各「先人」の足跡である。生協の章では、中川善之助先生、内舘さんらとともに、外尾幸子さん。恩師の奥様だし、結婚の媒酌人をお願いするなど、大変お世話になったが、生協の活動の仔細は初めて知ったことが多い。生協の活動をしてみて、奥さまの生協活動での大きな貢献を理解することができた。16年前に惜しまれながら亡くなったが、その足跡は、学び尽くせないことが多い。(1/18)<31729>


◇ 一日中寒い日曜日。阪神淡路大震災から21年め。テレビの特集等を見ていました。昨年より、慰霊の集会なども少なくなってきており、ボランティア等も高齢化しているとのこと。神戸から福島に来て支援をしている知人が、FBで福島の新聞には、神戸のことが小さな記事しか出ていないといわれていて、ハッとしました。
 東日本大震災の風化の一つとして、関西等では、震災(原発被災)のことの扱いが、どんどん小さくなっていると指摘していますが、実は神戸のことの東北での扱いはどうなのか、赤面の至りです。新聞の扱いは、マスメディアの問題でもありますが、一般市民の意識の問題でもあるのかもしれません。
 しかし、少なくとも、東日本大震災の際に、ボランティアや研究者の多くが来てくれているのは、阪神の被災地の方々だったと思います。全国の被災対策の先頭に立っているのではと思います。東日本は復興の途上ではありますが、果たして、東北の研究者・技術者・市民が、新たな被災対策の先頭に立つ準備ができているのか、心もとないです。支援を受けるだけでなく、そのノーハウをいかに全国に発信できるのか、その準備をしているのか、心が痛みます。災害は、同じ繰り返しではなく、新たな経験をしているはずです。それを理論化して、行動とともに理論的にも先頭に立つべきでしょう。個人の力では限界がありますが、そのような集団を創っていく必要があると思っています。
 FBからの情報ですが、読売新聞の茨城版(?)に、大学時代の友人の佐藤好威(よしたけ)が、「常陸人」のコーナーに紹介されていました。私とは異なる理学部の出身ですが、製薬会社に居る時に「抗がん剤」の資料作成などに関わり、ガン患者との交流を深め、ガン患者の会を創って、茨城に来ても活動をしている様子です。医師ではないのですが、地道に活動を続けているので感激しました。嬉しくなりました。私も頑張らないと。
 明日からは、雪になりそうですが、寒さに負けないファイトを出さないとダメですね。(1/17)<31710>


◇ 土曜日。女川時代からの仙台の親友Y君が、わざわざ義母に線香をあげに来てくれました。久しぶりにゆっくり話ができました。1年2カ月ほど前に奥さまを亡くしました。闘病の話など、様々な家族の交流の話など、じっくり聞くことができました。
 今は、息子さんとの生活になって、男所帯なので大変だと思いますが、亡くなってからも奥さまの良き理解者でおられることに感動します。突然の病気の発見、彼自身の波乱万丈の生活、何も手助けもできなかったのが悔やまれますが、前向きに生活している姿を嬉しく思います。
 昼飯は、信夫山の御山角屋で蕎麦を食べてきました。互いに高齢の身、今までの60年の友の長さとは異なるかもしれませんが、お互い支え合って、生きて行きたいものです。(1/16)<31700>


◇ 従来は、今日が成人の日でした。現在は第2週の月曜日ということで、少しついていけない所があります。
 予定していた首長さんとの面会、延期になってしまい、予定が空白になりました。来週の授業の準備、原稿の締め切り、来年度(非常勤)のシラバス締め切りと、やるべき時間がとれたと喜んだのですが、あまり快調には行きません。
 夜、宮崎駿のアニメ映画を見て、終了。体調も正常に戻りつつありますが、要は気力かな。「心身ともに・・」というときに、意外と「心」は見えないので、厄介ですね。(1/15)<31688>


◇ 木曜日。午前中は、国際交流協会の関係の仕事。理事長就任に伴っての挨拶。斎藤専務理事の同行をいただいて、担当課の国際課を訪問。課員の皆さんへのご挨拶をして、関課長・五十嵐主任主査とともに、生活環境部長に、長谷川部長と懇談。予定通り、内堀知事への就任挨拶。国際交流協会は、公益財団法人だが、県の財政的支援や事業受託で県としても重要な位置づけと思う。
 内堀知事は、企画調整部長時代、大学の経営協議会委員として協力をしていただいて以来、お世話になっているが、依然として変わらず、積極的な姿勢を維持している感じだ。福大の陸上部等の励ます会等で、ご一緒できたことが懐かしい。
 昼食は、年始知事懇談会(危機管理部・生活環境部・納税関係団体)に出席。生活環境部関係の団体としての参加である。各団体代表30名ほど。恒例の蕎麦(高郷の蕎麦)ををいただく。年末は、人事委員会の関係でホスト側だが、今日は招待を受けた方。県生協連の吉川会長、男女共同参画審議会の藤野会長等と話すことができた。

 昼食後、県庁内での午後からの会議。結構、時間がかかり、4時を過ぎてしまった。もう少し、私の議事進行の効率化が必要。新年初めての会議ということもあったが、事務局職員のNさんが、手作りの目出度い和菓子を持ってきてくれた。美味しい和菓子。甘さを制限しければならない身だが、まあ、一つくらいは大丈夫でしょう。
 体調は、疲れると違和感があり、まだ完治していないが、新年の仕事は開始した。
 京都のY先生のメールでは、山藤章二「老いては自分に従え」(岩波)に感動したというので、アマゾンで早速取り寄せ、読みだす。軽い物なので、しばらくは、眠る前に読むことにしよう。「眠り薬」(?)になってしまいそうだが。(1/14)<31667>


◇ 水曜日。県の国際交流協会の理事長就任に絡んで、明日、県の担当部長、県知事に挨拶に行くので、専務理事と事務局長からレクチャーを受けていました。特に、新人なので、事情をよくつかんでいないのでは、組織としても困ります。
 県内在住の外国人住民の支援が一番重要な職務と理解しました。国際化といっても、ここに在住している外国人が、安心して暮らせることが一番の国際化。在住外国人の力も借りて、諸外国の生きた現実を、もっと地域内で発信して欲しいと思います。外国人にとって住みやすい地域にすることが協会の役割でしょうか。
 3人で昼食し、いろいろと生きた現実を教えてもらいました。30年以上前に、家族で1年間ミュンヘンに住んでいたことを思い出しました。子どもが小さかったので、幼稚園等、ドイツ流の生活が懐かしく思い出します。不安が一杯だったので、地域の方々のサポートが、いかに嬉しかったか。
 私には荷が重い役職ですが、ベテランの方々と一緒に、新しい分野で協働できることが楽しみです。それにしても、初歩的な英会話ができるようにならないと。残された人生、そんなことはないと思っていたのがよくなかったのか、裸で狼の群れの中に放り投げられた気分?勉強不足を解消しない限り、通さないよと、誰かが監視しているのかも。(1/13)<31648>


◇ 火曜日。体調は回復、少し積極的に外に出ないとと思う。市役所近くまで家族を送迎、待っている間、市役所の玄関で新聞と雑誌を読む。
 福島県の避難者数が10万人を割った。それ自体、歓迎すべきことだが、統計の取り方に疑問も。一番は、県内で避難先に新築の住宅を建てた場合や、復興住宅に入居した場合は、避難者数に数えられない。「避難者」の定義が明確でない所からくるのか。

 よく理解はできていないが、全国への紹介の意味でFacebookに書いた(1月9日)。「1月8日、福島県は、福島県の避難者数が10万人を下回り、9万9991人になったと発表した。避難者の長期にわたる避難生活の大変さを考えると、これが元の生活に戻っていることを意味するなら、歓迎すべきことだが、その数字の意味を、よく吟味して、遅れている一人一人の生活の回復のために、求められていることに、力を尽くすべきと思っている。今回、発表された避難者数は、県内避難者5万6463人(15年末)、県外避難者4万3497人(15年12月10日)、避難先不明31人(16年1月8日)の合計である。避難者数のピークといわれた2012年5月の16万4865人から、39.4%の減少である。最近1ヶ月の減少は、県内避難者2841人(4.8%減)、県外避難者279人(0.64%減)であり、また、ほぼ1年で県内避難者は1万5292人減(21.3%減)、県外避難者は3405人減(7.3%減)である。県外避難者の減少は鈍く、県内避難者の減少が大きな比重を占めている。県内の避難者数は、仮設住宅や借り上げ住宅の入居者と、市町村が把握している親類宅などへの避難者を県が集約している。県外の避難者数は、避難者が任意で避難先の市町村に届け出ている情報を基に復興庁が毎月集計している。住宅別に県内避難者の動向(ここ1ヶ月ほど)をみると、仮設住宅9921世帯・1万8987人(20.2%減)、借り上げ住宅一般521世帯・1113人(34.5%減)、借り上げ住宅特例(自ら借家・その後県借り上げに切り替え)1万4358世帯・3万1508人(19.9%減)、公務員宿舎等645世帯・1916人(42.3%減)、親戚知人宅など2264人(13.9%減)となっている。現状は、借り上げ特例に55.8%、仮設住宅に33.6%が入居している。県の分析では、「避難先での新居購入や災害公営住宅(復興住宅)への入居が進み、仮設住宅や借り上げ住宅からでた人が増えたため」、避難者数が減少しているとする。「避難先での定住を選択した人を避難者でなくなったとみるのかは、難しい問題」とも言われているが、数字の動きだけでない、避難者一人ひとりの具体的な生活の回復の状況を見つめていく必要があると考えている。」と。

 いつも、統計を大雑把にみることに反省する。その統計の前提など、もっと確実な吟味が必要だろうと思う。
 『世界』の2月号の座談会「福島『避難終了政策』は何をもたらすか」を読み、『原発避難白書』(関西学院大学災害復興制度研究所等編)を取り寄せ、読んでいる。避難者が元の生活を取り戻すまで、復興とはいえない。(1/12)<31631>


◇ 連休3日目、成人の日だ。体調は依然芳しくない。風邪も併発したのかな。
 夕方のコープふくしまの常勤役員会に出席。コープも新しい取り組みが多い。
 東北北部(青森)で、震度5弱の地震。津波はない。福島にも揺れは伝わってこないが、やはりひやりとする。
 今日は、震災の月命日。震災から4年10ヵ月の日。海岸地帯、女川でも行方不明者の捜索が、ボランティア等の支援も受け、行われたと報じている。個人的には、震災で亡くした身内の5人のうち、3人は行方不明のまま。難しいとは思いつつ、あるいは・・と考える自分がまだ居る。忘れることはないのだが、具体的な行動には出れない。
 女川の高校生たちの「女川1000年後の命を守る会」が、神戸市で開催されていた「ぼうさい甲子園」で、ぼうさい大賞を受賞したとの嬉しい知らせが舞い込んできた。中学3年生の担当だった阿部一彦先生の粘り強い指導の結果だと思うが、その教え子(中三)たちは成人を迎えた。中学3年生2人の犠牲の一人は、私の姪(行方不明)の長女である。女川の子どもたちが、引き継いで、前向きに粘り強く行動していることが誇らしい。
 5年を前にして、単に前年の継続ではない、復興の希望を具体的に見つけたい。(1/11)<31605>


◇ 昨日(9日)から始まった三連休の中日です。といっても、この連休の嬉しさはありません。定年退職組の共通でしょうか。孫にしろ、配偶者にせよ、いつも働いている人が休みになると、随分違うのでしょうが。
 体調は、まだ本当ではありません。「廃用性症候群」という病名を偶然知りましたが、病気・入院等でしばらく休んでいると、心身の回復に時間がかかるようです。身体の方は目に見えていますが、心の方は難しい。やはり人間なんですね。やる気の問題。
 腹痛は、ほとんど感じませんが、就寝してから2時頃に痛みで起こされました。痛み止めを使用して、何とか眠れましたが。そろそろいいんじゃないの。と言いたいところですが、あまり軽視しては駄目ですね。

 今日の日曜日、どうしてか娘から宅急便で花が到着。最初、110番の日?と思ったのですが、義母の月命日でした。丁度、1ヶ月。早いような、随分経ったような気がします。寒中見舞いで、年賀の欠礼のお詫びを出しましたので、山田君と平塚君からお悔やみの電話をいただきました。
 何とか体調を回復し、運動不足を解消しようと思い、本屋まで徒歩で雑誌(「世界」)を買いに行きました。福島の震災復興の座談会の記事を読みたいと思って。5年目にして、現地から何を発信すべきか、悩んでいます。また、自分の研究としての展開も、少し壁にぶつかっています。大震災という大変な事件に遭遇して、震災対応のことが多いのですが、本来の研究でのまとめが必要で、そうした積極性がないと非常勤の講義も生き生きとしません。
 本屋までの往復は、6600歩。まだ少し足りませんが、継続が必要でしょう。少し休んで、妻とともに、飯坂温泉の施設関係の温泉に。共同浴場のような熱湯ではありませんが、源泉かけ流し。体が解れます。
 大河ドラマ「真田丸」が開始し、今後の展開が楽しみです。脚本の三谷氏は、「敗者の代表として、最後まで前向きに生きた信繁を書く」と書いているが、何か面白そうです。誰しも、私も含め、自らを「敗者」と思っているので、同調することでしょう。しかし、「勝者」という結果より、その過程が大事なのだと思います。(1/10)<31587>


◇ 昨日(7日)は、特に予定は入っていませんが、愛車のリコールの作業のため、自動車会社へ。初めての経験ですが、3時間ほど部品交換にかかるというので、代車を借りて帰宅。夕方、腹痛をぶり返したので、午後の診療時間終了ギリギリにクリニックへ。自動車電話で、説明しつつ向かいましたが、なんと午後からは休診の日。しかし、親切な事務及び看護師さんが、帰宅していた担当医師に連絡、指示をいただき、翌日に向かうことにしました。何も用は、足されなかったのですが、患者としてはホッとしました。やはり、医業は、対面業務。安心がいかに大切か感じました。

 今日は、すぐにでもクリニックに行けばいいのですが、体調がいいのと、予定が入っていました。コープカレッジで、「認知症」について講座を開くことにしましたが、その1回は映画観賞ということで、劇場と交渉しました。それで、「妻の病」を選定したのですが、誰も見ていないので、まずは内部試写会を行うことにして、9時半から11時までを確保してくれました。関係者以外も含め、十数名が来てくれて、鑑賞しました。
 4月に1週間ほど行うことになると思いますが、コープ組合員のみならず、広く見てもらえるようです。上手くいくかどうか分かりませんが、まずは動いてみて、経験をつくることが大事でしょう。迷ったら、動くことかな。
 映画終了後、打ち合わせは任せて、近くのクリニックへ。担当医師の父上(知人ですが)もいて、いろいろ配慮をいただきました。
 再度、担当者と昼食を共にして、午後からのコープふくしまの定例理事会。終了後、新年会を行うということで、市内のホテル(グリーンパレス)で開催。4時過ぎから新年会(懇親会)。また1年(総代会までは半年)、活動を開始することになります。前進の年になることを期待しています。(1/8)<31566>


◇ 発症してから1週間。ようやく沈静したようです。
 昨日は、楽しみにしていた仙台の恩師宅訪問を、キャンセルしてしまい、落ち込んでいました。こうやって、だんだん社会から離れて行くのかなと。痛みは残りますが、休業していた床屋に、広告の200円割引きの券を持って行きました。年の始めだし、学校も始まっていないと、混んでる覚悟して行ったのですが、それほどでもなくラッキー。割引券の効果がないほど、豊かな生活になったのかなと思ったのですが、散髪は、普通、昨年のうちにやるのではと、家族に言われて、我が年末年始の異常さを感じた限り。
 今日は、仕事の開始。9時に本部職員を前に新春の挨拶。既に昨年のうちに書いた挨拶文は出ていますが、その後の緊急事態条項の話を追加しました。また、19万世帯に近づいている組合員の拡大、県内や東北のコープとの連携の拡大・強化、農協や漁協など協同組合との連携の緊要さを話しました。
 専務の詳しい事業報告の後、専務と常務とともに、地元紙(福島民報・福島民友)に新年のご挨拶(恒例です)、取引業者への挨拶で回ってきました。コープ本部に戻って、組合員理事さんの理事協議会を覗いて、一緒に昼食。その後帰宅しましたが、キリキリ痛んでいた腹痛も、ほぼ治まった感じです。さあ、新年の業務開始です。スタート少し遅れましたが。まずは、20日締切りの原稿に手をつけないと。(1/6)<31533>


◇ 仕事始めの4日。私も仕事はじめ。非常勤講師の講義2コマ。大丈夫かなとおそるおそる大学へ。始める直前、痛み止めの処置をして教室へ。
 いつものように立って話すのはきついと思って、断って、座ってマイクの授業。150人ほどの教室に15人ほどか。受講届の半分以下か。4日に講義をするなんて、学生にとっては大変かも。
 3時間の講義に、水(ペットボトル)を忘れたのが難点。喉がからからになったが、まずは話し終えた。あまり評判は良くなかったでしょう。
 帰り道、専門医・腎クリニックに寄る。エコーやレントゲンで、石の所在を追求。もう一歩というところまで、あとは時間の問題だろう。痛みは今のところ無くなったので気分的に楽。
 仙台の恩師への新年の挨拶訪問は、事情を話して、辞退させていただきました。とても残念です。明日一日、安静にして、静かに新年の出発をしたいと思います。(1/4)<31495>


◇ 正月も3日になりました。31日早朝に発症した腹痛(尿管結石)は、一進一退、痛み止めで何とか凌いでいます。
 こんな正月は初めてです。不摂生の結果ですが、積極的に何かやる気力が出ません。年末年始の病院の休業で、特に、専門医にかかることがことができません。明日から、大学の非常勤講義が始まります。1コマだと何とかなるかと思いつつ、2コマ連続です。年度末なので、休講・補講は難しそうです。何とか痛み止めをしながら、やれるところまでやる準備をしていました。不満足です。
 例年通り、多くの年賀状をいただきました。年末の不幸で遅れてしまい、寒中見舞の宛名を書いていました。背筋を伸ばして書いているといいのですが、暖かい炬燵の上では、痛みを呼び込みます。それにしても、今年の年賀状の多くは、いつにもまして安保法案や、平和への危機が書かれています。発信者が中高年齢者のせいでしょうか。本当に正念場の年になりそうです。腹痛等で家に閉じこもっていては、焦ります。
 楽しみにしていた明後日の仙台行きは、難しいかなと思っています。とにかく、講義終了後、病院の診察を受けることにしましょう。なかなか新年の大きな夢は、出ません。健康がまず第一ですね。(1/3)<31471>


◇ 2016年、新年を迎えました。
 前夜からの腹痛を抱えたままですが、何とか落ち着いて、お節料理、お雑煮、あんこ餅をいただきました。
 次女を含め、親子3人の静かな正月です。多くの年賀状をいただきましたが、喪中の葉書を出す余裕がありませんでしたので、寒にでも入ったら、寒中見舞いで、お詫びをしておきたいと思っています。
 テレビや新聞を眺めながら、静かな元旦を迎えています。
 夕食後、3日連続の、飯坂・鯖湖湯通い。46度の暑い泉温ですので、短時間のみの入浴。体の芯まで温まります。腹痛では、どうかなと思いましたが、入浴最中は、不思議と気持ちがいいのです。明日からは、元気に、新年の歩みを開始したいものです。
 震災後、5年を迎える今年。一人ひとりの人間らしい生活の回復が、前進することを期待しつつ、自分の役割を見究めて行きたい。(1/1)<31440>



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