日 記(備忘録)

(2016年3月)


<今野順夫の部屋>

◇ 3月も月末。今年度も今日が最終日。
 浦和で行われる先輩の告別式に出かける妻を福島駅に送りながら、私の旅行の切符を購入。併せて銀行に寄り、郵便局で送金をし、理容店で散髪。
 コープに立ち寄った後、駅前こむこむの学習室でのプロジェクトミーティングに参加。先日の車座会議の試行の結果・評価と、今後のあり方のディスカッション。各自治体に迫られている避難解除問題と各個人の生活回復の問題を、自治体を超えて、集中的に論じてはどうかと思う。休業しているふくしま復興支援フォーラムの再開のテーマとしても考えてみたい。
 中座して、川俣町の委員会に向かう。医師・弁護士を含む多忙な方々を含む審査会なので、夜6時半の開始。先日。義妹夫婦に同行した道ではあるが、夜道は久しぶり。冬道ではないので、だいぶ楽だが。
 何か、新年度の不十分なままの準備と今年度の処理と、右往左往の3月であった。県庁前を通ると、花束を抱えた職員が多い。異動の季節を感じさせる。気分を一新させて、新年度を迎えよう。(3/31)<32838>


◇ 水曜日。京都旅行・人間ドックと落ち着かない日々でしたが、日常に戻りました。
 午前中は、「ふくしま大豆の会」の総会。先日、第1回ふくしま産業賞を、大豆の会として受賞したので、その話題も多かった。トロフィーと賞状も会場に展示されました。地産地消の推進と、生産者と加工メーカー、消費組合が協同して行うところに価値があるのと思っています。加工メーカーからは、大豆の会の名前の付いた新製品も紹介されて、長い歴史を持っていますが、少しずつですが情勢対応の必要も高まっていると思います。どのように県民に定着させ、広げていくか、そのことが震災復興の一助になることを期待しています。
 県庁に寄り、事務局長の転任と新事務局長への辞令交付式に参加してきました。新たな職場でも頑張ってほしいし、新局長にはいままでの経歴を生かして、業務の発展に寄与していただきたいと思っています。
 埼玉でのお通夜に向かう妻を駅まで送りましたが、いろいろ忘れていることもあり、気が向かないというので、明日の告別式の参加に切り替えて、戻ってきました。気が向かないときは、無理をしない方がいいでしょう。地元紙には、近所の方の訃報が出ていました。何か続きすぎます。3月もあと1日です。(3/30)<32819>


◇ 一泊二日の人間ドックから帰ってきました。毎年の予定だったのですが、2年になってしまいました。いつも通っている病院ですが、人間ドックは保険がききません。内容は1日目が、エコーやCTスキャンや心電図はありますが、最も大変なのが胃カメラ。なかなかうまくいかないので、数年前から安定剤を使っての検査。結果は、後日ですが、11時半ころ検査に入り、点滴で安定剤を注入して午後1時半ころに目が覚めました。違和感がないので、本当にやったのか不思議です。

 前日までの旅の疲れか、あまり本も読む気もなくボーッとしていました。同時にドックに入った臼井さんのことを思い出していました。私の前の学長ですが、任期終了後、東京の大学に勤めていましたが、東京の病院で病気で亡くなりました。私より一つ下ですが、前任者です。福島大学の教育学部に赴任してのは、まったく同年度(82年度)。同じ社会科でした。同時に管理職を務め、彼が学長の際には副学長として、行動を共にしました。人間ドックも一緒だったのですが、ドック室は前と変わらず、何か思いだしてしまいました。
 そんな矢先に、大学の3年ほど上の先輩(生協活動家)から、私の1年上の片桐純平さんが癌で亡くなったとのメール。片桐さんも学生時代からの生協活動家で、「ドンペイさん」と言われていました。ルーツはわかりませんが、だれか「純平」と「鈍平」を間違ったのかもしれません。大学卒業後、生協関係に勤め、日本生協連合会の常務理事をやっていたようです(私は、あまり詳しくありません。)。お世話になりました。同年代の他界が続きます。

 第二日目の今日のメインは、大腸カメラ。腸の中を空っぽにしてからですから、大変です。午前中いっぱいかけて空にして、ようやく12時半に実施。こちらは安定剤を使わなかったのですが、大腸の動きの抑制があまりきかず、また私の腸は変形のようで、苦労したようです。若い女性医師でしたが、途中でベテランの医師の示唆を受けながらの執行でしたが、時間がかかりました。こちらも安定剤を使用した方がいいのかもしれません。結果的に、早めに切除の必要なポリープもあり、主治医と相談して、執行することになるでしょう。ただ、私の主治医は、理由は分かりませんが、一般に診察をしないことになったようで、交代となるようです。少し不安ですが、仕方がありません。
 自宅に戻り、懇親会にいく妻を送り、溜まった新聞の切り抜き、テレビでサッカーを見ていました。サッカーは、日本がシリアを破りましたが、野球の方は、東北楽天は大敗。野球解説者は、ほとんど全員楽天の最下位を予想していますが、なんとか予想を裏切ってほしいのですが、開幕してみると、やはりというかなかなか厳しい。楽天球団の社長も担当する「スポーツ経営学?」の福島大学の特別講義があるので、聴きに行くことにしているが、最下位脱出する展望を聴いてみたいと思う。(3/29)<32808>


◇ 昨日・今日と、京都を往復してきました。昨年12月に逝去した義母の納骨です。京都に代々のお墓がります。
 前日から集合し、義母の4人兄弟姉妹と、その配偶者3人、孫たち5人、曾孫たち5人の大集団です。京都駅内の大きなビルに宿泊して、今日午前中に、無事納骨を終えました。どうしても曾孫に動かされますが、心あたたまる集いでした。世代が一代、繰り下がったことになるのでしょうか。
 新幹線は早いですが、やはり京都は遠い。結局、昨日の12時に出て、今夕の7時に戻ってきました。次女も、明日からの仕事の関係で、夜、勤務先・女川に帰っていきました。大集団(?)5人の長女家族も、新幹線は別でしたが、8時頃には帰宅したようです。親の仕事の関係で、京都観光は、あまりできなかったようですが、それでも京都タワーや水族館を楽しんだようです。春休みか、観光客の多い京都でした。
 墓碑銘の義父の享年を見たら、私の現在の年齢、随分貫禄があったなあと感心しつつ、私自身の健康の維持の必要性を痛感。なにせ、義父や実父の享年と同じになってくると、やるべきこと、やっていないことがあまりにも多いことに気付かせられ、愕然としています。疲れをとって、次の歩みを始めましょう。新幹線で、岩波新書「母子避難」を読みました。解決していないことが多すぎます。(3/27)<32772>


◇ 義妹夫婦をのせて原発被災地域に自家用車で案内。川俣町、飯舘村、南相馬道の駅、小高、6号線を南下。浪江、双葉、大熊を通り過ぎ富岡町。第2原発を遠望し、夜の森公園付近、富岡駅周辺(あまりにも変化・・更地になっている)、そして塩屋崎灯台。磐越道で帰宅。7時間半300キロの行程。なかなかうまい説明ができないが、まずは現状を見てもらうしかない。
 夜、焼き肉屋で夕食。盛岡での講演のレジメ・資料を送信。じっくり考えていきたいものですが、時間に追われています。大学は卒業式。意識の中から遠ざかったなあ。(3/25)<32759>


◇ 午前中、コープふくしまの幹事会に立会人として出席。
 午後、福島大学の倫理委員会で、所属教員の研究計画についての倫理上の基準に適合するかどうかを検討する委員会。主として、人を被験者として計画されている研究が対象。様々なユニークな研究内容なので、興味深い。
 夕食は、義妹家族とともに、峰亀で。肌寒くなってきた。春は、なかなか到来しない。(3/24)<32740>


◇ 4月から新たに始まる短大の非常勤についての説明会があった。大学・短大が異なると、ずいぶん違うものだと感心した。以前よりは、かなりきちんとしている。文科省の指導が行き届いているのだろうか。形式的なこと、提出書類が多くなって、肝心の授業内容に結びつく事前研究が十分にできるのか、心配。自ら授業科目を持っている若い先生方が、事務的な説明していることが多くなっているが、もったいない感もする。

 午後、アメリカ在住の義妹夫婦が、来日して福島に泊まっているので、一緒に、本宮のアサヒビール園で遅めの昼食。ビールと焼き肉。私はノンアルコール。

 帰宅してから、AOZで開催している国際理解講座に出かける。今日はブータンで2年間滞在して、青年海外協力隊で活動してきた伊藤さん(管理栄養士)の話を聞く。ブータンは、県の委員会を共にしていた方が奥さん連れで行かれた話を聞いていたので、興味があった。一番幸せの国と言われているが、その積極的な面だけでなく、様々な課題(ごみ問題など)を聞いてリアルに理解できた。日本との交流が強化されればいいと思う。行っては見たいが、この老体でもつものか、人の話を聞くなどで、その欲求は満たさざるを得ないのが残念。
 大相撲は、綱取り期待の琴奨菊、今日も敗れて3敗。残念ながら横綱誕生はなくなった。そう甘くはないのか。(3/23)<32730>


◇ 今日は終日、県庁にいました。年度末にやることが多い。
 午後からの県議会の閉会式。総括的に、付議された議案の採決。どうも4時過ぎまでかかるらしいというので、3時からの予定の委員会の会議を4時半からに延ばさざるを得ない。
 そのため、短時間で済ませるため、9時半からの委員会の事前に議案の説明と、1時半からの説明と2分して、4時半からは短時間でもできるようにした。年度内に処理しなければならない規則改正などの22の議案。聞くほうも大変だが、誤りなく作成するほうも大変。私は9時半から説明を聞き、午後は県議会本会議へ。
 4時半からの会議の後は、6時からの送別会。事務局職員の15名のうち、3分の1の5名の大幅(?)配置換え。それぞれ、新しい職場で力を発揮してもらいたい。ワイワイガヤガヤ、楽しい飲み会だ。8時半には解散し、委員3人でいつもの喫茶店。微かなことでも、いろいろ受け止めてくれて、まずは調査・具体化するところは、頭が下がるとの話。いくつかの委員会の経験はあるが、ほぼ方向が決まっていることをオーソライズすることが多く、そのような意見があったというレベルで終結することが多いので、特に新鮮に感ずるのだろう。3人の委員の気を使わない話し合いもいい。後は、本来の役割を十二分に果たしているかどうか、謙虚に進むしかない。
 アメリカから義妹夫婦が来た。会議もあり、今日は妻が対応したが、明日以降、時間の合間を使って案内することになるのだろう。(3/22)<32710>


◇ 昨日に続き、今日も休日です。春分の日という人もいるけど、暦を見ると、春分の日は昨日(3月20日)。日曜日と重なったので、今日は振替休日。我々夫婦の結婚記念日ですが、昨日、話題になっていたが、今日は話題にするのを忘れてしまった(笑)。正式には届け出は前日なので、今日は結婚式の記念日。46年になった。長女夫婦の結婚記念日も同じ日で、あちらは10年。特に祝った記憶はないが、平穏な日々を過ごしている。
 午前中、新聞の切り抜きをしていたら2日前の新聞の訃報を妻は教えてくれた。福島在住の女川の同期生のご主人の訃報だ。お会いしたことはないが、電話で話をしたことはある。長い単身赴任で、赴任先のアパートでの突然の死。私より1つ年上。告別式は仕事が入っているので、二本松での用事の後、今夕のお通夜に参列。同期生は、子供たちに支えられて気丈だったが、女川関係者には教えていない、と言っていた。午前中に、仙台の友人に教えておいた。
 ほぼ同年代の方々の訃報に接すると、自らも例外ではないと思うが、やり残しているものが多すぎる。苦難は諦めてはいけないが、人生は有限。拡散しないで絞ること(諦めること)も必要なのだろう。有限と分かっていながら、不確定期限ゆえか、絞り切れない。生きることは、そういうことなのかもしれない。(3/21)<32693>


◇ 「原発と人権」全国研究・交流集会のために、土日と詰めました。地元開催のための現地実行委員会。昨日の19日の全体会は、山川剛史氏(東京新聞)、筒井哲郎氏(原子力市民委員会)からの報告、続いて被災当事者・訴訟原告達は訴える(大石光伸氏・早川篤雄氏・森松明希子氏・金井直子氏・清野賢一氏・今野秀則氏)、その後鈴木浩氏、井戸謙一氏、特別緊急報告(渡辺登代美氏・河合浩之氏)、淡路剛久氏からの報告があった。
 夜は、飯坂温泉での懇親会、現地実行委員会として歓迎のあいさつを述べました。全国的に活躍している皆さんと交流ができました。元同僚の神戸君などを市内のホテルに送り、帰宅したのは10時頃でしょうか。

 今日の2日目。朝9時半からの分科会のため、自宅を8時前にでて、8時半ころからの準備。6つの分科会(@原発事故の救済と差止め、A原発ゼロ社会に向けて、B核兵器と原発、C現場の取材と報道ー課題と問題点、D政府の帰還政策を問う、E原発被害者・支援交流会)なので、各分科会の教室等の準備です。どれも重要なテーマの分科会で、移動は自由ですが、一つに限定できない悩みはあります。これも元同僚の下山君の報告をちょっと覗き見。
 最後にまとめの全大会。各分科会の後、集会アピールの採択、閉会のあいさつ。閉会のあいさつは、現地実行委員会の役目。ピンぼけだったかもしれませんが、無事終えました。弁当の販売が、予定数に満たせず、昼いただき、またお土産としてさらに2個の弁当を買ってきました。結局、これが夕食となりました(笑)。「かあちゃんの力プロジェクト」に頼んだ弁当で、ヘルシーで美味しいのですが、注文数と販売数にギャップが出たようです。まあ、全体として、参加者が400名と、前回より少なくなっていますが、かなり充実した議論だということで、ひとまず安心。疲れを癒して、明日から、4月初めの盛岡での講演の準備をしますが、京都への旅行、人間ドックと忙しい年度末が入ります。貧乏暇なしです。(3/20)<32685>


◇ 明日からの<第3回「原発と人権」全国研究・交流集会inふくしま>の準備のため、福島大学へ。
 東京の実行委員会の方々、および地元の実行委員の方々が集まって、資料の袋詰めなど開始していた。500名ほどの集まりだろうか。教室を確認して、今日のところはまず帰宅。明日の全体会で報告するSさんが前泊しているので、宿に寄って、信夫山のそば屋(角屋)で、夕食。体が、まだ大事にしなければならないので、無理をしないで欲しいのだが、安穏としていられないのだろう。実り多い集会であればと期待する。(3/18)<32652>


◇ 特に予定なし。当初、女川行きを計画していたが、天皇皇后の女川訪問と重なり、渋滞がひどいと思ったので、12日に繰り上げた。
 天皇の女川訪問は、昭和天皇の行幸、1947年以来らしく、地元は燃えていた。昨年、皇后が女川の石巻線開通に寄せて、歌を寄せているので、重ねて有難い。皇后の歌を、歌碑にして、復興の促進にできないか、相談している。最近は、皇后さま・美智子さまに関わる話をすることは多い。女川の子どもたちへの話の際に、「でんでんむしの悲しみ」の話、憲法改正の話では、五日市憲法を取り上げた誕生日の記者会見。思いもよらぬことだが、今度は女川の歌。見つめる視線が深い、と感銘を受ける。テレビに映る女川の人々の顔は明るい。よかった。
 3月17日は、忘れ難い日。実母の命日。1967年3月のことである。25日に卒業式を控え、その1週間前に旅立った。私は22歳、母は48歳の若さである。仙台の病院に入院していたが、同じ仙台で学生生活を送っていた私は、遊び呆けて見舞いにも余り行かなかった。可能であれば、初任給の一部でも、母親にあげたかったが、それはできず、暫く、悶々とした日々を送っていた。その日である。もう49年前だろうか。年数が経っても、未だに、心が痛む。(3/17)<32641>


◇ 今日は、県国際交流協会の理事会。12月に理事長を引き受けてからあまり経たないので、分からないことが多いのだが、理事や事務局はこの道のベテランで、何とか、準備した基本計画および年度計画等の了承を得た。
 主として、外国出身県民の生活の支援や、市民レベルでの交流が中心だが、日本が国際化していく上では、まだまだ課題は多い。福島県に住んでいる外国出身者は約一万人だが、中国や韓国だけでなく、ベトナムやネパールの出身者が多くなっている。日本での就労目的が多いと思うが、日本の入管政策では、単純労働は認めていないので、結果的に技能実習生や学生の資格で入国している方が多いと言えよう。外国人労働者「鎖国論」⇔「開国論」の論争は懐かしいが、受け入れ体制の不十分から開放していない。他方では、高齢社会での介護職員不足や一般労働者の不足が、開国論への圧力になっているのだろうか。また難民問題に対する対応も厳しい。この点で国際社会からも立ち遅れている。
 現に福島県に居住している外国出身者が、住みやすい地域社会であるべきで、この意味でも国際交流協会の役割は大きい。協会の主催の国際理解の集いに出てみたが、ベトナムや、ネパールの生活等の勉強になった。原発被災地におけるこうした活動は特別の重要性を持っている。一般に避難困難者になりがちな外国出身県民を支え、共に復興の道を歩み事は、グローバル人材の養成や外国での風評被害に対する対応といえよう。
 帰宅後、大相撲観戦。話題の琴奨菊は勝って、4連勝。あるいは?という気になってくるから面白い。「銀の匙」という映画を見る。高校生主体で、何か若さが懐かしい。(3/16)<32618>


◇ 女川往復で疲れたのか、ボーッとした週の初めです。
 月曜日は、コープカレッジの第3期の2回目。今回は「認知症を考えよう」というテーマ。2回目の講師は、認知症の人と家族の会の福島県支部世話人の原さんです。11時から県議会の委員会への出席が必要なので、15分ほどの出席で残念でしたが、後で聴くと、大変いい話で、聞きたいと思っていたことをすべて網羅していたようです。2時間近く話してくれたようです。よかった。
 県議会の特別委員会は、28年度の本予算に関わる、事項のヒアリング。事務関係者の十分な説明でしたが、一般的事項として、議員から関連する問題について、質問を受けていました。
 午後は、委員会で、年度末で議案は多い。結局4時半頃までかかり、職員の手作りの和菓子をいただき、歓談。いい雰囲気です。4時から始まっているコープの常任役員会は大幅に遅れての参加。帰宅は7時過ぎました。

 火曜日の今日。昨夜遅くまでかかった確定申告の書類。本職があるときは、ほとんど社会保険も含めやってもらっているので、追加は少ないが、今は、すべて最初から。報酬、非常勤講師、原稿料等、関係書類が多いが、どうも日頃の準備ができていなくて、慌てます。家族のもを含め医療費控除が多いので、一定の還付を受けられる申告ですが、計算が間違っていないか、自信はありません。ま、修正申告が必要となるかもしれません。締め切りギリギリですが、税務署で提出。行列ができていました。
 午後は、トラック協会の事務所で行われる「トラック輸送における取引環境・労働時間改善福島県協議会」です。国交省(東北運輸局)と厚労省福島労働局を含む協議会ですが、基本はトラック運転手の労働時間改善、そのための取引環境の改善の協議です。荷主側・運送業の代表の方々も参加しての会議ですが、私は唯一の学識経験者として座長を仰せつかっています。現場の実態に疎いので、報告されたトラック運送状況の実態調査結果は目新しく、勉強になります。今後、より具体的な話し合いのなかで、合理的な方法を見出し、不要な長時間労働を改善していけたらと思います。
 自宅戻り、大相撲中継を見て、夕飯前に、飯坂温泉の掛け流しの湯に浸かってきました。極楽!極楽!(3/15)<32600>


◇ 3月12日〜13日、土日を利用して女川に行ってきました。
 女川つながる図書館を嘱託として担当してきた元木先生に石巻のファミリーレストランでお会いして、昼食を共にしました。図書館の今後について、いろいろと話すことができました。新しい体制になるようですが、さらに前進できるといいのですが、施設のこともあり、まだ課題が多そうです。新しい体制でも、可能な限り支援していきたいと思います。
 2時頃に、まちなか交流館で、連絡をとっていた竹浦の鈴木さんの勧めで、議員さん2人を含め、皇后美智子さんの女川の歌を、歌碑にできないかとの相談。丁度、17日には天皇皇后が女川を訪問。女川関係者の要望になるか、微力ながら役割を果たしましょう。
 夜は、駅前の新しい商店街で娘と夕食。「かぐら」という店ですが、魚が新鮮で、美味しい。海から取れた魚ですから新鮮です。福島県の相馬等も早く、こうなればいいなとふと考えてしまいます。
 今日13日は、復興をコミュニティで推進している竹浦浜を訪ねました。丁度、今日は、地区の総会で、傍聴させていただきました。難題は多いのですが、活発なご意見が出され、感動しました。戻ってくる世帯は半数ほどですが、小さいながらきっといい集落が再生すると確信しました。続けて見ていきたいと思います。12時過ぎまでお邪魔しました。
 福島への帰り道、図書館に立ち寄り、さらに塩竃の孫宅に立ち寄り、一路福島へ。大相撲が始まり、大関・横綱の取組みは見ることができました。確定申告の期限が目前ですが、結局15日になるのでしょうか。もう少し、余裕が欲しいのですが。(3/13)<32572>


◇ 3月11日。大震災・原発被災から5年が経った。5年前の今日、5年後の現状を予測できただろうか。ただ呆然として、予測すらする余裕は無かっただろう。福島はいまだに10万人の避難者を抱え、長期避難による震災関連死が止まらない。マイナスからの再出発、いまだゼロスタートラインになかなか着けない。復興の格差が、被災3県の中でも顕著だが、他力本願ではなく、一歩一歩、掻き分けて進んでいく決意を固める時期かもしれません。
 午後、コープふくしまの定例理事会。そういえば5年前の大地震の時も、定例理事会中。金曜日です。子どもさんの中学校の卒業式関連行事で、欠席者がいつもより多かったが、確かに午前中の卒業式の後の大地震。若い人には、厳しい船出でした。私も姪の長女が卒業式の後、姪とともに犠牲になってしまいました。本当に心が引きちぎられます。姪と長女がお世話になった医師から私宛にメールがきました。やはり5年経ったからでしょう。
 5年を境に、風化させられないように、被災地の現状と努力の足跡を、発信する責任を感じています。
 テレビは、朝から、被災地の報告、女川もその拠点として報道されています。やはり、復興は一人ひとりの生活の回復。一人ひとりの声を聞きながら、自分の役割を考えていきたいのものです。(3/11)<32554>


◇ 木曜日。午後から本宮市の情報公開審査会。1年間の報告ですが、以前より開示請求が多くなっているようです。震災の影響とは思いますが、いろいろ不動産関係など、町づくりや建築関係が動いているのでしょうか。
 帰途、県の人事委員会事務局に寄り、教えてもらいました。明日は、震災5年目、コープの定例理事会があるので、コープ本部に立ち寄りました。テレビも、震災報道番組が沢山。風化をさせないということはいいのですが、なんどもインタビューで引き出されて、忘れようと思う気持ちとの葛藤があるようです。忘れて欲しくない、しかし忘れたいという気持ちが、被災者の共通の気持ちでしょうか。(3/10)<32546>


◇ 水曜日。諸般の事情で、県の委員会は9時からの開始。8時過ぎには自宅を出発しました。年度末は、規定の整備等が目白押しです。
 会議の終了後、確定申告関連の証明書をもらいに、福島市役所に徒歩で参りました。市役所の食堂でラーメン。400円だったかな。それほど混んではいなかった。その後、公会堂で開催されている「一般財団法人ふくしま自然エネルギー基金設立シンポジウム」を覗く。会津電力の佐藤彌右衛門氏の誘いでもあるが、一株株主なので招待を受けた。基金とは、直接の関係はないが、小泉純一郎氏の講演を聞いてみたいという、ミーちゃんハーちゃんレベルか。話、演説の上手さに感心。
 早めに失礼して、コープ本部で福島民報を見る。コープの食事調査が1面トップ。凄い扱いだ。福島民友の記事は小さい。(我が家は現在、民友購読期間?)。コープ主催の映画(「妻の病」)の準備状況を聞く。帰り道、本屋に立ち寄り、購読定期刊行物を受け取り、あわせて週刊誌「女性自身」を購入。ちょっと恥ずかしいが、天皇皇后の女川訪問に関連して、女川の特集記事。福島の放射線の問題や、石巻日日新聞の活動等、結構、誌名からは予測しがたい硬派の記事。3.11以降、住民が変わり始め、その関心に合わせると週刊誌も変わってきているのかも。
 高浜原発差止仮処分決定が、大津地裁で下された。特殊ではなく、裁判所の中も変わりつつあるか。理由には、福島の事故について、その検証をしていないという理由もあるらしい。福島からの発信が、さらに必要かな。
 今日の女子サッカーは、北朝鮮に1対0で勝つ。オリンピックの切符は取れなかったが、若い優秀な選手も出てきそうで、期待が持てそう。(3/9)<32526>


◇ 火曜日。県議会の整理裁決日。裁決は、ほぼ閉会の日に行うのが通例だったが、今回は補正予算と新年度の通常予算の議題が入っているので、途中に補正予算関係の採決を行うことらしい。3月末までに執行するので(給与改定など)、閉会式のギリギリではまずいのだろう。会議は20分程度で終了。
 自宅に戻り、確定申告の書類等の整理をしていたが、昨年のようにスムーズにいかない。小口の収入等があり、どうもうまくいかない。根気がないのかも。医療費の控除、社会保険や私保険の支払い証明や、いつになってもスッキリしない。明日の昼にでも、市役所に書類をもらいに行くか。忘れていて追徴等されなければいいのだが。
 いろいろなニュースが入り込む。巨人の選手の野球賭博問題、テニスのシャラポアのドーピング問題、広島の中学生の自殺の問題(間違っている資料に基づく受験指導の結果)等々。それにもまして、米韓の合同軍事演習、韓国軍30万人・米軍1万数千人の参加という大規模。北朝鮮の厳しい反応。何か、一触即発の危機を感ずる。施行される安保法の発動になるのか(南スーダンは、新たな行動になるのか)。
 4月のような陽気だと思ったら、冬に戻りつつあるような気配。行きつ戻りつの春かな。(3/8)<32507>


◇ のんびりした日曜日に続く月曜日は、超多忙。
 月初めの月曜日は、コープ本部職員の朝礼。前月の経営状況についての専務の報告が中心だが、その前に簡単な理事長挨拶。
 10時半には県庁に到着、担当している職務についての県議会常任委員会でのヒアリング。補正予算関連のヒアリングであるが、事務局長及び次長の説明で終了。廊下は、大学病院の教授の回診のように、各担当部門がゾロゾロと列をつくって歩いている。各部とも関連常任委員会からのヒアリングを受ける。同時並行的に委員会が開催されており、各担当部局が次々と集まるので、壮絶(?)。県議会の風物詩か?いろいろと見慣れない風景であり、勉強になる?。
 コープに戻り、専務と郡山へ。途中で昼食。いろいろと見ておく必要のものがある。郡山の組合活動の拠点の「デポ」に立ち寄り、コーヒーをいただく。
 コープ本部に戻って、常任役員会へ。総代会に向け、新年度の予算案の議論。活動の目標にもなる。
 午後7時、19日―20日の福島で行う「原発と人権」の全国研究交流集会の準備のうち合わせ。規模が大きく、6つの分科会など、裏方としては気を使う。震災の翌年から開始し、隔年で、第3回目を迎える。帰宅は9時過ぎ。遅い夕食となる。少しくたびれました。(3/7)<32494>


◇ 土曜日。午前中、国際交流協会のイベント(グローバル・コミュニテ・カフェ)の見学。今日は、ネパールの話。十数年前からネパールから福島に移住した大高ウマさん(ふくしま多元化共生サポーター)のお話。ご主人(日本人)とともに、見えられ、二人でいろいろ話をしてくれた。
 1500メートルの高地で、エベレスト等8つの8000メートルの山々に囲まれ、風光明媚なところ。大きな地震があり、復旧も困難であるが、支援を受けた日本として、もっと支援の強化が必要だろう。
 午後は、松川資料の記憶遺産の登録に向けた現地での作業の相談。もっと若く、行動力のある人が欲しいな。全国の期待に対応する現地の力が必要だが、頭が痛い所。
 3月5日は、(震災で)亡き実姉の誕生日、3月1日は亡き実兄の誕生日。いろいろと思いが浮かぶ。
 部屋の整理整頓ができず、ゴミ部屋だが、なかなかまとまらない。確定申告の資料整理をしているが、見つからないのもあり、頭が雑然。家族に、部屋の雑然を見られて、頭の中も雑然としているのではといわれ、図星。課題を整理してはとは思っているが、拡散するのみ。断捨離できない。自分の頭では、整理しようと思っていたものが、整理できず、増える傾向。そろそろ頃あいか。善意で引き受けていると、却って迷惑をかけることになってしまう。(3/5)<32463>


◇ 金曜日。ビッグニュースは、沖縄と政府の間での訴訟における裁判所の和解案(暫定)に双方が同意したとのこと。争っている辺野古の埋め立て工事は中止して、協議をするということ。その後の展開は、見通しはあるとはいえないが、いろいろ政治的な配慮があるのかもしれない。5月のサミット、6月の沖縄県議選、7月の参院選挙。本当の意味で、沖縄の苦難の歴史を理解し、かつ平和を守るものでなければならないだろう。
 どこかに、日本の防衛のために、沖縄の県民も我慢してという雰囲気を沖縄県外の人々に感ずるが、それは原発事故で被災している福島県民にもあてはまる。沖縄と福島は、目をつぶって、我慢して欲しい、切り捨てるというのだろうか。沖縄と福島の解決の見通しの共通性を感ずる。
 夜は、テレビでなでしこジャパン。今日こそ勝つと思っていたのに、2対1で中国に敗れる。何かちぐはぐさを感ずる。温厚な澤元選手も、かなりの不満を露わにしていた。国内での女子サッカーの位置づけが、問題なのかもしれない。問題を明らかにして再出発するしかないのだろう。Jリーグのような体制が可能なのか、素人にはわからないが。(3/4)<32450>


◇ 木曜日。今日は冷や汗ものでした。
 午後に県議会があるので、午前中に雑用を済ませようと、郵便局と電気店でプリンターのカートリッジ購入。
 「何時頃出かけるの?」と言われ、「12時50分」。「50分」という中途半端な時間は、県庁に着くのが12時30分の時はそう。「11時50分」なのに「12時50分」と答えてしまって、じゃ「昼飯は12時だね」。なんの疑問もなく、スマホでメールへの返信を書いていた。偶然、テレビの12時のニュースを見てて、あれ?!と気付いた。12時半に到着するのに、12時50分発とは可笑しい。即、着替えて、車に飛び乗る。朝に会議ですと電話をいただいていたのに、・・・会議を忘れていたのではない。どうしてか出発時間の遅れ。何度も行っているのに。車から事務局に電話して、駐車場から直接、会議場に行くことにして、資料は持ってきてもらうことにした。心配して二人が来てくれた。結果的に、余りにも早すぎた到着。やはり歳かな・・・みんなにハラハラさせてしまった。申し訳ない。コープの勉強会の「認知症を知ろう」は、自分のことか。
 会議は一般質問の5人。20分質問(例外的に1人は30分)+執行部の答弁で、結局4時半頃終了。60分質問の代表質問とは異なり、短い感じである。初当選の初質問の方もおり、何か新しい。

 今日は3月3日のひな祭り。大きい家に移住した孫たちのところに、7段のひな壇を持っていこうかと話してたが、娘たちが、今の孫たちの年頃を思い出す。出すのは良いが、仕舞うのが遅いと縁遠くなると言われたが、いつも仕舞う時期は遅かったな。出さなくなってから、年月が経つなと思う。やはりひな壇の前に座っているちびっ子がいないと、話にならない。孫娘も余り大きくならないうちに逢わせないと、お雛さまも可哀そうだ。(3/3)<32436>


◇ 水曜日。特段、予定はありません。
 月末の旅行の切符手配。大人の休日の割引を使うので、少々面倒臭いがスムーズに終了。30%引きなので、本来4万円が2万8千円。会費を払っているものの、こんなに安くていいのかな。但し、「のぞみ」は割り引きなく、「ひかり」でゆっくり(?)移動します。それにしても「ひかり」を探すのが難しくなりました。
 妻の職場に送迎。
 なでしこサッカーは、韓国に1対1。PKは抑えましたが、勝てると思った試合が引き分け。オリンピック出場は危うくなりました。実力であれば仕方がありません。(3/2)<32425>


◇ 3月になりました。春が間近と思いきや、起きてみたら積雪、吹雪いています。5センチほどですが。北海道等の豪雪比べたら、甘ちょろいものです。しかし、ほとんどの高校では卒業式。大変だったと思いますが、テレビのインタビューに出てくる高校生は明るい。

 9時半からの定期診察に病院へ。主治医は休みで代診の先生。インフルエンザかな。天皇もインフルエンザとのこと、気をつけないと。血液検査等は、先月よりはわずかながら改善されたが、まだまだ努力が足りない。病院に行くと、知人が何人かあう。不思議な場所(社交場)だ。
 午後は、コープでのカレッジの打ち合わせ。認知症の映画(「妻の病」)を主催することになったので、その準備。合わせてカレッジの準備。定着するといいなと思うが。

 最高裁は、今日、認知症の男性がJRで事故を起こし、JR側からの家族の監督責任を問う裁判の判決が出た。1審判決は、妻および長男に賠償命令、2審判決は妻のみに賠償命令、そして最高裁。妻も85歳で介護の必要な身。結局最高裁は、家族だから当然に監督責任があるとはせず、具体的事情の判断で妻への賠償命令も取消した。妥当な判決だが、一般に家族の監督責任を否定したものではない。認知症問題を、家族の責任のみにせず、社会保障の問題として解決していくべきだろう。(3/1)<32410>



2016年2月1月
2015年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2014年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2013年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2012年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2011年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2010年12月11月10月
〜2010.10.9アーカイブ