一回もろもろの気持ちをクリーンアップするのに江古田まで一人で飲みに行く。本当は片道一時間もかけて飲みに行かなくてもいいのに、他に一人で飲みに行ける場所がない、ということである。一休とか白木屋で一人で飲む肝はねぇし、バーちゅのはおおむね高い。条件は多いのだけれども、アータ、遊びに行くんだからとことん追求してもいいじゃない。金がかからないというのはステキな調味料で、ダイソーで買ったミルクセーキ500ml100ナリで昼食を終わらせても100円ですむんだぜ。
満足である。これでいいのだ。
閑話休題。
江古田駅前で『アリスクラブ』休刊号発掘。99年の幼ポ法関連で休刊に追い込まれた出版社やライターのくんずほぐれつのメッセージが今後の幼ポ関連の貴重な資料になるだろう……って、結構な出費だったわりにはそんなんだったんで自己弁護しているわけじゃあないぞ。ないとも。
――どっかで原稿かいて、元を取ってやる!
江古田「樽平」で飲む。よく飲んだ。メールを打ったらあやこ(仮名)ちゃんも男やら大学時代の懐かしい
女史を引き連れて、サクサク飲んで帰ってしまった。
レバーと塩辛でゆっくり飲んで帰宅。電車内で気付いたら七駅先の立川まで乗り過ごしており、東京行きの最終列車でなんとか帰りつきました、とさ。
でも、随分生き返った。なんにもしてないのに。
・小堺一機がん細胞発見
ダイアナショック、という言葉がありまして。
イギリスでダイアナさんが死んだときに、一部のイギリス人がパタパタとおかしくなっていったという感じです。日本人であるアタシにゃあいまひとつダイアナさんがなくなったところでどう、というのもないんですが、モノの本によれば、「日常に当然として存在しえたものが、ある日突然欠除することによって生じる心の隙間」はぁ? それってのはあれかね、20年使っていた電子レンジが急に動かなくなって、仕方なくて捨てた後の隙間みたいな。これが近親者の死だと、葬式だったり役所の手続きだったりで、それ相応に段階を経て受け止められるのだけれども(5年間寝たきり、なんてのも入ります)、ダイアナさんなんか交通事故死だから、イギリス国民にとってはそれこそ「欠如」になってしまう、という。
ええ。どれだけ違和感無く我々の日常に組み込まれているか、というコトで考えれば、小堺さんもタモさんも、影響力が大きいんだよなぁ、と。これ、小堺さんじゃなくて欽ちゃんじゃあ駄目なのです。この時間このチャンネルでテレビをつけるといる、という存在ですな。
結論:いや、無事で良かった。