■ prev.金原ひとみ「蛇にピアス」
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2004年06月14日(月)
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※例によって、ネタばれを気にしません。
金原ひとみ「蛇にピアス」69点
例えば永井龍男と金原ひとみを並べちゃイケないかというとイイわけで、志賀直哉と金原ひとみを並べちゃイケないかというと、イイのである。今回珍しく、芥川賞受賞作を二作とも読んだのですが、傾向というかなんというか、全体の一部分に血流がしっかとあれば文学賞にゃあひっかかるんだな、という印象でした。ブンゲイなんてものを長くやっているとどうも完璧主義に陥りがちで、この、小説ゆえに圧縮された感情ってものがおろそかになりがちなのですよ。そう考えると、金原にしろ綿矢にしろ小粒の作家で、我々ヘタれ文藝人は、分不相応な山を望みすぎているのでは無いだろうか、と考えてしまうのである。そりゃそーだよな。永井龍男にしろ志賀直哉にしろ、後世にまで残る大作家なのだもの。そう考えると、先ほどの各二者は、比較しちゃいけないのかもな、とも俄かに思ったりする。 先に悪口を書いてしまうと、例えば街中でルイがチンピラ(死語)にからまれる、アナが激昴してチンピラを殴り殺しちゃう。チンピラに絡まれる、というところから殴り殺して逃げちゃうてのはいかにも突発的、ちゅか漫画的で、このあたり、もっとスマートに出来なかったもんかな、と思う。 もともとの金原の持つ感覚てのは非常に古風で繊細なように思う。これは、わが師多岐祐介が山田詠美をもって「なんと古風な」と形容したのと同じで、たとえば描かれるアナの肖像であれ、彫り師シバがサディズムを抑え込むそのギリギリ感でさえも、実はものすごくセンシティブなところで書けている、その一方で仕掛けが大掛かり過ぎるよな。例えばアナがサディスティックに殺される、御丁寧にチンチンにゃ線香まで刺してある。ハッとする。部屋に同じ線香が、ある。じゃあ、殺したのは暴力団の復讐じゃなくて、シバ――まぁ、シバじゃない、と自分自身に言い聞かせるところで終劇なのでありんすが、ディテールの繊細に比べて、なんとも展開の仕方が大味なのが難ッちゃあ難なんである。 繊細さについてはいいと思う。冒頭のピアッシングで イテテイテイテと本を放り出しそうになったのだけれども、それが奇を衒ったものではなくて、ピアッシングが日常の一部としてしっかり書かれているところに悪意がなくて、ああ、真面目にこういう風景なのだな、というところは好感が持てた。これで次が「アッシュベイビー」か。なんだろうな。鴎外の饅頭茶漬けのような、煎茶にアイスクリームをたたっこんだようなこの感じが、が、5年後どうなっているかな、というところに注目したい。だので、『アッシュベイビー』は不要っす。
綿矢と金原、どっちがいいかといわれれば綿矢だけれども、5年後は金原のような、そんな気がします。
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