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彼岸録

ときどき、12歳以上推奨。心して御覧下さい。


祝われて 2004年05月15日(土)

 中野。キティ、吹雪直雲、総帥、寺霊、和洋折衷の異常偉大な面々が誕生日を祝ってくれましたよ。和洋君からは三葉虫の化石をもらい、皆様からはごはんを奢っていただきました。高校のときからみんな揃ってバカですが、バカに磨きがかかっていて安心しました。バカを助長したバカを育成するバカ、そう、誰も止めないからどんどん進化していくのである。

 いい奴らだ。帰りの電車でちょっと泣いた。

サンジャマを釣りに 2004年05月15日(土)

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 サンジャマ(霰蛇紋)……江戸城のお堀に住んでいたといわれる齢500年の鯉。大田道灌が江戸城を築城して後住み着き、徳川家康が江戸城を立て直したときにサンジャマと命名した。蛇の目の模様が霰のように全身にちりばめられている為にこのような名前となる。明治天皇が江戸に転居したときに、浅草公園の池に移された。

 というサンジャマを釣りに出かけた。いや、浅草橋で打ち合わせだったのだが、帰りに浅草に寄ったのである。そう、サンジャマ釣りに。

 さんじゃまつり。

+++
 まー、よくもここまで人が集まったものでありまして、前に云ったときに甘酒を売っていた箇所で抹茶を売っていたので飲み、鴨南蛮を食い、ハトと戯れたり。浅草六区あたりはいいやね。なんか元気が出るよ。
 以下箇条書き。

・白人の担ぎ手が多かった。あっちの人はちんちんが立派だったと見えて白いふんどしからうっすら透けてイヤ〜ンんな感じ。まじまじと見るアタシはどうなのか。
 でも、巨根でゆるふんちゅお好きな人にはたまらない世界が多少展開。

・ふんどし関連、担ぎ手で近所の飲食屋が軒並み満員御礼。でも、ドトールの床に生尻で座るのはどうだろうか。どうだろうかというかあの冷たい尻でぺたんとすわってしまって大丈夫かオッチャン! という按配。妙なところで気を遣うなバッギャモン!

・↑の写真、また思わず買ってしまったよ茶器。周りの模様はおそらく藤紋だと思うが、なんか色々なところで微妙なバランスなので気に入った。金もないのに。

・サンジャマは釣れなかった。

・後のニュースで80人くらい逮捕されてるのな。気が付かなかった。

・ふんどしの話ばっかりだね。

prev.映画『花とアリス』 2004年05月14日(金)

 『花とアリス』(71点)。このうち16点の内訳として、主役の女の子二人に10点、主役の男に3点、ヒロスエに3点。

 自分のテイノウを他人のせいにしても仕方ないけど、どうも、あれもこれもやりたい、ちゅ気持ちが横溢して、二時間でやるべきパーツにしては、色々なものが去来して、アタシのショボいキャパシティーではいっぱいいっぱいな感じ。これがもし、中原俊のほうの『櫻の園』と同じものを狙っているのだとしたら、そりゃあーた、『櫻の園』のほうが、格段にいい出来なんですわな。ちゅのも、作品を取り巻く世界の空気、の差といえばいいかしらん。鈴木杏の表情を崩したときの演技はいいよなぁー。
 でもなんか、あとになって出てくるかもしれないので、とりあえずはこんなところで。

prev.綿矢りさ『蹴りたい背中』他 2004年05月13日(木)

 誰も云えないのだろうから、アタシが云ってやる。

 全ての元凶は、ヤソちゅイデオロギーに他ならない。
 まぁ、こういう御時世だからこそ、遠藤周作の『わたしが・すてた・おんな』なんてぇ作品は、染みてくるよなぁ。
+++

・綿矢りさ『蹴りたい背中』(74点)

 えーと。ようやく読みました。『蹴りたい背中』。別に無頼漢ぶるつもりじゃあないけれども、石原オジジ、じゃなかった、石原都知事の云わはるとおり、「ものたりねえなあ」なのです。なんつかな、塗り方にムラがあるというか、神経の行き通らせ方に不慣れだというか。
 ただ、例えばネットや同人でたごまっている、いわゆる叙情だとか私小説だとかに躍起になっている、「悩むのが趣味」とかっちゅう人よりは格段にいい。そりゃあんた、人を「魅せる」ために作為的になるとか、ソツのないものを作る、という点ならば、書きなれている人間が、強いです。ただまぁ、なんというか、この年代の心情を(不安定な部分も含めて)うまいこと書いていますよ、という意味では、この作品は、きっと綿矢さんにとっても、<次の年には書けない>部分をうまいこと捉えたんだろうなぁ、と思うのです。
 ただ、それってのは年代がゆえに見えていない部分もあって、例えばそれがアタシのようなウハウハなヤング(ちゅー年でもないか)が読んでも「ものたりねーなー」と、そう、あの、トマトを齧ったときの青臭さですよ。ああいう”気の横溢”という点では面白い作品だったんじゃないかしらん。
 となると、対象年齢が難しいね。いやむしろ、同人にどっぷりつかっちゃったオッサンとか、ネット上で技巧的な「真実」に気づいたフリでふんぞり返っている人なんかが読むと、いいんじゃないでしょうか。この噎せ返るような「活力」は、むしろ創作者向けなのかもしれない。などと。
 他の人の感想を一切聞いてないからなぁ。これ以上はなんとも。


・安彦麻理絵『スリーピース!!(1)』(87点)

 女流漫画家ッちゅのかな、岡崎京子とか、安野モヨコとか、その系統の(どういうカテゴライズになっているのだろう)作家の中では、あたしゃ安彦麻理絵が好きでね。いや、他より随分と肉欲系の話が多いような気がするけれども、ただなんつーかな、色恋を情で書いているのがエライ。そう、○○君が好き! じゃないんだよ日本人は。なんか同僚だとかクラスメートだとかゼミの仲間だとか教え子とか、日々の関係性の中で情が涌くから一緒になるんだろうが、ということなのです。
 私見ですが、日本人は恋愛が出来ないと思います。じゃあ、我々が一般に云うところの恋愛ってなんだよ。アーキタイプとして「あの人はわたしの運命の人v」だの「神様がくれた出会い」だの、「二人は永遠に結ばれる」だの、この必然のニュアンス、ひいては神の祝福を受けた愛、冗談ポイよ。(古い)そもそも、明治時代に持ち込まれた概念を無理矢理「恋愛」に訳して、恋愛をあえてやろうとするから臭くなるんだろうが。中高生向けの「恋愛小説」なんちゅものを中高生のオッサンが読めない、という時点で実は色恋の観念としては破綻してるんだよね。それは、「恋愛」ちゅ持ち込まれた概念で小説を捏造しているからなわけで。
 八百屋お七なんか、放火したの16歳だぜ。16とはいえ女の情念、そう、これが情念だから年寄りが見ても面白れんじゃないの。そこにあるのは信仰心でも世間体でも、もちろん見栄でもない。人間の業だから、面白い。アベサダは恋愛か? 

 えーと、何の話だったか。
 ああ、で、「スリーピース!!」は情で色恋を書いていて、いいです。相手の男が久々にあったらデブになっていても、なかなか会えない彼女よりも近くの友達だと思っていた娘と情が通じちゃったり、単にサークルの仲間で、映画を二人で見に行くだけで、意識的に何の進展もなかったり、三姉妹がそれぞれの生活をしていて、書くのはオムニバス型式なんだけれども、「情」のそれぞれの過程を描いていて、なんだか動揺してしまうのであります。
 初期の「臍下の快楽」なんか、線が荒れてたけど、もっと生々しくて、よかった。
 安彦麻理絵、本屋で見つけたら、めくってみてくださいな。

新宿→横浜中華街 2004年05月12日(水)

 新宿京王プラザ(すげえ!)で打ち合わせをしていたはずが、気が付いたら車に乗って横浜中華街。台湾料理をぱくついていた、とさ。
 久々のピータン豆腐、うめぇー。

 こういう時もある。

+++
 今日のネット。

・久々に腹を抱えて笑った。
http://www.ne.jp/asahi/en/takenawa/kobo.html

・はじまっちゃったよ。
http://www.qshobou.org/taiman/kaijo.html
 Q主宰vs六〇〇のアレ、という戦い。
 ……なんだこの御題(涙目)。

・まだあったのか!!
http://www.anabuki.co.jp/anabukin-chan/charas/index.html
 いや、始めてCF見たときは、腰が抜けた。

・最近のCFでは
http://www.kureha.co.jp/living/00cm/index.html
 やっぱ、これでしょう。

・ミルキーはパパの味
http://x51.org/x/04/05/0522.php
 記事とは関係ないけれども、アフリカの某所では母親のミルクに咥え、父親のミルク(各自想像せよ)を一人歩きするまで子供に与えるとか。本当かね。
 世界ノ父親、奮起セヨ!

よせてあつめて;4 2004年05月11日(火)

・某チャットをROMりながら(そうか、今週の土曜日か)詠理作品にメッセンジャ経由でずぼずぼ蹴りを入れていると。窓の外からだすー、と大きな音。驚いてみると、編み戸の向こうから猫が顔を覗かせている。事務所は二階にある上隣は平屋、来た猫は近所でおなじみのにゃーにゃー軍団の四兄弟。うちの周辺や靴箱などに居座っていることが多いが、この事務所までやってくるとはごきげんよう。しばらく見つめあう。

 ……落ちた。

(−д−

復刊ドットコムって単行本にならなかった雑誌連載のものまで投票の対象にしてくれるのな。ちゅわけでアタクシメが票を入れている本。みなさんもピンと着たら投票、頼んます。

ぬいぐるみ殺人事件 新井素子→とりみき→吾妻ひでお→伊東愛子→中山星香→高橋葉介→かがみあきら→早坂未紀→いずぶちゆたか→水縞とおる→ゆうきまさみ→魔夜峰央→沢田翔→粉味→豊島U作→火浦功→しりあがり寿
 →メンバー、凄いでしょう凄いでしょう。

「最後の楽園」&「最後の学園」 坂本太郎
 →エニックス出版局最大の誤算、いや、御燦。あまりにも濃くてなぁ、単行本されなんだ。

元氣があってよろしいっ! 原律子
 →同様に単行本されなかった模様。下品の王道で、大好き。

続・感想返礼 2004年05月10日(月)

 正直、一度書き上げてから「不味ィ文章」と確信しました。「ふみぃ」なんて可愛いものではなく「まぢぃ」でした。
+++
 前に述べた己の心境を、自分の中で「表面的に平静を装っているが、何かの外からの刺激で、一気に崩れていく」というカラクリに配備してしまえば、とりあえず話になります。病院関連でどたばたして、疲れてうたたねをする。目覚めて、ああ、ねちまった、ということで大根の解体にかかる。カピさんの仰るとおり「平静を装う」ために大根があるとすれば、一生懸命に奥さんのコトを考えないように作用するガード(カクテキにしようか、煮付けにしようか、と無理にワクワクしようとして)寝覚めからどんどん醒めてきて。「俺は心配でしょうがない」という言い分って、何が何でも心のうちに潜めておくものなんだ、という意志(=キャラ)を持っている主人公で、奥さんの居ない証拠である断片は、チラホラ見える。流し台の下にあった食器は音を立てて明確に、主人公に奥さんの「不在」を告げる。もう、現実からボケキレなくなって「そうか、あいつ……」というコメントに繋がってくる。
 それから、料理に没頭することでようやく心の安定を保とうと思った矢先、電話。明るい医者。穿り返された表面が決壊して、主人公は泣き崩れる。もちろんそこにあるのは、安堵の感情。1000字なので、ここまで組みきれた、と。

 ……じゃあ、なにが悪かったのか。

 いや、冒頭に書いたとおり「不味いな、コレ」だったのです。文章的に。ひでぇなオイ、と。あいにく初稿は残っていませんが、結局は、1000字じゃ細かいニュアンスまで出来らなかったのかなぁ、と思うのです。
 普段ならばボツにして別のネタを用意するところですが、どうしても遺しておきたかった、という部分が勝ってしまいました。1500あったらうまいこといったかもしれないですね。原話から書くことはあっても、この作品を書きなおすことはないでしょうが、あの感情を「遺す」という意味では、1000字バトルで書くというところが本末転倒だったのかもしれません。

 でも、根本の部分は御気に召したようで、大変うれしゅうございました。

 これからも精進いたします。

 Q関係、これからタイマン、CoCとあります。CoCに勝ったら、復帰しよう……かな。

↓感想返礼 2004年05月10日(月)

 カピさんに拙作についての感想を頂きました。感想を垂れることはあっても頂くことはなかなかない上に真摯な感想でしたので、感激の余り、ちゃんととリあげることにしました。本文は珍しく下のセルに引用してありますので、まぁ、読んでいただけるとこのセルも観賞に耐えられるものになるかと。

 執筆動機は三つあります。一つは、まず、カピバラさんからオーダーを頂いたこと、そして、QBOOKSの会員期限が切れてしまうこと。最後に、遺しておかねばならない出来事だったから、であります。

 まず、カピパラさんの「駄洒落の無いMAOさんの作品を読みたい」というリクエスト。アタシにとってのQBOOKSは、中盤から後半に関しては、完全に実験室でした。リメリックやってみたり、機関車トーマスから機関車唐茄子ちゅ掌編をものしてみたり、古典文法を駆使して殺陣やってみたり、連句(独吟)やってみたり。

 Quo.)

 第二は、そのシャレのありようが、読者の知識量を試すようでちょいと気にくわんかった、ということです(第三は無いです)。例えば「後藤を待ちながら」。元ネタの「ゴドーを待ちながら」という戯曲は10人中10人が知ってるというメジャーな作品ではないと私には思われ(私もタイトルとあらすじしか知らない。作者は知らん)、それゆえに、彼の作品が一種の本歌取りであることに気づかずに書かれた感想もあるかもしれず、そういう感想を作者が冷笑したりしているのではないのか? もしかして、私がこれまでに書いた感想の中にもシャレに気づかずに書いたものがあって、冷笑されてたりしたのではないのか?という疑心暗鬼に陥ってしまい、他の作品も冷静に鑑賞できなくなっているのです。そんなの私だけかもしれませんが。

 上記のような理由があり、「ぜひシャレ無しの1000字小説を」とリクエストさせていただきました。

 コレはアレなんですよ。アタシの読書歴なり、印象を受けた作品群が悪い、としか言いようがない。例えば唐沢なをきだったりモンティ・パイソンだったり魔夜峰央だったり宮武外骨だったり、何かを茶化したりパロディーにしたり、てのをお家芸にしている作家の影響が、アタシの一部では非常に色濃いのです。逆に、発想の種としてのパロディーは生命線みたいなものだからなぁー。
 ただし、これはあくまでも「書きたい小説」なのです。コレだけっきゃかけないわけでは無いので、今回の執筆と相成りました。ネット小説でも第一回バトカメとか6000字とか六〇〇の由美子戦記とか、遊びを入れない作品は、まぁ、そこそこあります。そう考えるとQBOOKSの投稿はやっぱり実験。あ、でも6000字はものすごく真面目に書いてる。気がする。

 手法はなんであれ、面白いと言われなかった時点で負け、だと思っています。逆に、こちらの意図が100伝わることってないと思うので、そのへん、50伝わって面白ければいいかな、と。もちろん、作品の元となる実体験/読者に伝わるリアリティちゅ部分も同じで、読者に伝わらなかった時点で負けは負けなんです。(ケッ、このくらい、わかれよ! てひそかに毒づくのはもちろんのことですが)
 で、これでもかと具を詰め込むわけです。

+++
で、本作について。

 珍しく実体験です。うちの祖母の足腰が立たなくなって(前日から力が入らない、とも云っておりましたが)、翌朝、便所でもがいていたのです。脳梗塞か何かかしらん、と思って救急車を呼んで搬送(?)しますが
、結局、風邪っぴきで食欲のないところ、律儀に糖尿の薬を欠かさずに飲んでおりましたので、血糖が極端に下がってしまったんですな。そうか、身体に糖分がないと、筋肉系統に指令がいかないのかー、なんて妙なところで納得しましたが、医者の説明具合からして、確実に笑い話、なのです。薬の常習って、こういうミスも惹き起こすんだ、へぇ。と。

 先ほどの執筆動機の三番目に<遺しておかねばならない出来事>と書きましたが、これ、何を遺すべきかというと、こういう出来事に際しての人の心情の動き、です。具体的には自分の心情、当時学生だった私は、母親が付き添いで救急車に乗り込み、救急隊員が去ったのち、おこりにかかったような震えがきてそのまま布団を被って倒れてしまいました。いや、あれはすごかった。ガクガクブルブル、脳ではけっこう冷静に「なんで、カラダ動かんねん」と思いながら、やっぱり「もしものとき」への恐怖感ですか。そういうのがあった。
 で、半日たって医者から容態を聞かされる。まぁ、律儀な服薬が祟った、と。コレを聞いてまたカラダにふるえがきて、今度は涙が止まらなくなりましたよ。まぁ、そういう体の動きを、つぶさに脳は観察しているわけですが。でも、この反応は、面白い。

 これは、書かねば。

 逆に、頭で考えたことではなかったので、共感覚として読者にも繋がるかな、という打算もありました。おかげで、投票の次点には二作品。選んでいただけたようです。

+++
 さて実作、と行きたいところですが、いい加減長くなってきたので、次のセルに廻します。

「きみしかいない」 2004年05月10日(月)

 QBOOKS第57回1000字小説バトル#17より転載。いいよな、自分の作品だし。
http://www.qshobou.org/1000/57/index.html#17

 ながしろばんり「きみしかいない」

 大根を抱えて帰路について、そのまま眠ってしまったようだった。目を開くと炬燵布団の緋色で、口元から顎を伝ったよだれが、赤黒く染みを作っていた。額を天板の角で支えていたので、みっともなく痕がついてしまっていることだろう。顔をあげて、視線の先は真っ暗のガラス戸。欠伸がてら、蒸れた首筋をかきむしると、爪の先から垢が擦れて落ちた。
 大根は帰り道に吉野の奥さんにもらったものだ。俺の腿より太いような立派な大根で、賽の目に切って即席のカクテキ、という考えも脳裏をよぎったが、大根をくれたのが吉野の奥さんだったので、やぱり煮付けにする。新聞紙に包まれた姿はむしろ白菜のようで、抱えあげるとずっしりと根菜の重みが胸板にかかる。持ち上げると、畳に土の零れる音がして、あわててよたよたと台所に向かって、流しにごろり、とやった。底に積んであった小皿が派手な音を立てる。そうかあいつ、片さないで行っちゃったんだな。
 早朝、便所でもがく美代を抱えあげた。救急車が来るまでの十分間。足腰に力が入らないと、はやく着替えたいと泣きじゃくった。風邪気味、糖尿、脳梗塞。思いつく要因はいくらでもあったが、久々に抱きかかえた腿の細さに、とうとう、という覚悟を促されているのだと思った。近所の人々が見守る中救急車に乗りこんで後、美代の飲んでいた常備薬、保険証、替えの寝間着、紙袋の中身を気にしながら隣りの町の病院まで行ったり来たりする。ようやく本日は御役御免になって、吉野さんの家の前を通って帰ってきたわけだ。
 大根を敷詰めて水から炊く。思い出して、だしのもとを鍋の水面に満遍なく振りかける。冷蔵庫から鍋にする予定だった豚肉のパックを取りだして、そのまま粉末の浮いた上に落としこむ。失敗を匿すように蓋を閉じて、火を弱めておく。
 電話が鳴った。きっちり三回のベルで呼吸を整えて、肘のきしみを意識する。
「まぁ、あれですわ。エネルギーゼロ、っちゅうコトですな。糖尿の薬を飲んでおいてあんまり御飯、召し上がらなかったでしょう。それで神経が動かなくなってしまったんですな。まぁ栄養をつけていけば問題は……」
 電話を切って、不意に五臓六腑の奥から恐ろしい震えがやってきた。それは深く浅く呼吸を狂わせて、しゃくりあげる寸前でがくがくと歯を震わせて、おれは十数年ぶりの涙とともにへたりこんだ。
 立ちこめるだし汁の匂いに、醤油を足さなくては、と思いながら。

狒々の歯 2004年05月09日(日)

 狒々の屁。頬の麩。不負の帆。

 母の日。

 カーネーションを買いに行きました。とさ。

+++
 あとは稽古版の面倒見ててへとへと。あそこさぁー。もうちっと一度に書きこめる字数、多くしてくれないもんかなぁ。
 ストレスがたまって、よくないよォー。

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