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彼岸録

ときどき、12歳以上推奨。心して御覧下さい。


江古田駅前樽平寄席・第13夜 2006年09月12日(火)

初花「あくび指南」
銀瓶「蔵丁稚」
初花「祟徳院」

 あいにくの雨でお客様6人。ほぼ一見さん。
 階下は寄席と関係の無いお客様でワイワイ。

……もったいねーー!

 そのくらい、よかった。面白かった。
 あと、上方の銀瓶さんと動機という柳家一琴師匠もお客さんとしてお見えになりました。すごいね。
 すごかった。
 打ち上げもオモクロカッタ。

ぼんよりとした不安 2006年09月11日(月)

 なにもかもまとまらない。

 おかげで精神的に落ち込むことはありませんが、まとまりません。すっきりしません。史記は司馬遷。

・犬丸りんさん本人が一番まったりすべきだったんじゃないかなぁと思ったよ合掌。吉祥寺で14階のビルったらかなり絞られてくるぜ。候補が。

・犬丸りんさんといえば『なんでもツルカメ』でして、あのときの地味ーなイメージしかなかったんだけれども、おじゃる丸で出てきたときには、あれ、こういうキャラじゃ無かったよなあ、という違和感があったのは本当の話。『Missマーフィーの法則』なんかの挿絵を描いていて(今なぜか手元にある)、そう、こういうごちょごちょ好き勝手やっているスタイルが一番あってたんだろうなぁ、などと思うのでした。さくらももことの違いは、結局テレビに載せることについて、もしくは人の手を経て改変されることについて「商売」として前向きに取り組めるかどうかちゅのが大きな違いだったんじゃないかと。
 で、さくらさんなんかはどうしてもストーリーについては譲れないから、アニメでも脚本にちゃんと加わってるしな。この辺の折り合いのつけ方がうまかったと云えようかと思います。

 Qでもそうだけど、勝つ作品が仮に読者への迎合だったとしても、迎合しようとしてちゃんと読者にはまる、というというのは才能なのです。ウケようと思ってやってぜんぜん受けない、というクリエイターもどっさりおります。

 じゃあ、迎合する、というのはどういうことかというと、つまるところ一般多数の好みを理解している、がゆえに「出来る」ンだよね。それはやはり能力。

 だ、結局自分の好きなものは受け入れられないのだ、という苦悩と傷は遺ります。自分の好きなものや大事なものをどうにかして一般に受けないかと努力するのは、骨が折れるし、ある意味悲しい作業なのかもしれない。
 あたしなんぞ絵で個展なんかやったけど、いっぽうで「あんたの絵は見るとイライラする」と云われるわけです。悲しくなります。出来ることとやりたいことは常に違います。

 なんかこう、頭がまとまらないので、まとまったところはどんどんアウトプットしていくしか無いような気がしてきた。水だって掻きだせばいづれ無くなるしね。

 明日、樽平寄席です。ゲストは上方から、笑福亭銀瓶さん。鶴瓶師匠のお弟子さんです。

おまつり 2006年09月09日(土)

 ぢつは、生存とは、ペナルティーではないのか。
 一遍師はこの世はすでに救われた極楽であると釈いたが、じつはそう思うことで地獄を回避していたのでないか。
 さもなくば、宗教なる安全装置は、発生し得なかったのではないか。
 いわゆるアタクシの信仰する真言宗というのは、悟りに達するまでを9段階に分けて、はじめ5つを顕教、後ろ4つを密教と呼びました。でも結局それは、この世が地獄であるということを前提として、そこで受ける苦しみを少しでも軽減するために「悟り」というシステムを構築したのではないか。
 「悟り」というのは結局は、辛いことをやり過ごすために研究開発された処世のことであります。
 なんかこう、つながったのです。小生、バリバリのアンチクリスチャンなのは、結局バイブルにおける寓話性が「あるもの」として、前提として規定されているのがどうしても納得が行かなかった。仏教なんぞ、釈迦は前世も来世も「無い」と云っています。言い出したのは日蓮ですよアレ。悪いことをすると地獄に落ちる、いいことをすると極楽にいく、みんな宗教的な恐喝です。恐喝をするカルトをオカルトといいます。嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれる。嘘ぉつきやがれ。
 「前提を疑わせない」というのは物語の最大のパターンということです。アタシも使いますが、たとえば新宿西口のビル街に大きな玉袋がたれている、これ、たれていることを前提として話がすすんでいるわけです。ゴジラも、そういう生き物が存在する、ということを前提に生きています。
 じゃあ、同様に、人間は飯を食わないと死ぬし、寝ないと死ぬし、働かねばならない、というのも、究極には理由の無い理屈です。何故生きねばならないのか。子供を残すためか。そうぢゃないですよね。たまたま、それらしい理由のつきそうなイベントがあるだけに思えます。子供なぞ、いいんです。無理につくって不幸にするくらいなら、つくらないほうが、ましです。

 敬愛する宮武外骨という爺さんは「生きんがために生きるなり」と云っています。じつにいい答えだと思います。

 なんだかおまつりのはなしじゃなくなった。
 まぁいいや。焼酎ボトル半分あけて、眠くなったので、寝ます。



……おまつりのはなし、するか。
 いってきた。いつもどおりで、毎度安心する。
 そして、えもいわれぬ感傷だけが残る。

 なんなんない、なんにもない、まったくない。
 いいよもう。

沸点 2006年09月06日(水)

 文仁親王妃紀子殿下、親王御生誕を心よりお祝い申し上げます。


 皇族なのに帝王切開! というネタをG8校長に先にやられていてガッカリ。ながちろです。

 いまある仕事がなんとなくひとくぎりついたのでひとやすみ。あとは他人の目を入れて拡充を図りますのですじゃ。なんだよ仙人弁。

 最近沸点が低くて、というと、よく知る人はもともと沸点低いじゃん、と云われそうですが、そうぢゃなくて、低いんじゃないんだな。燃料の幅が広がったというか、つまり、「きーっ」となるストライクゾーン(微妙)が広くなったということであります。
 なんだろーね。いや、まぁ、思い当たる要因はいくつかあるのだけれども、じゃあそのイライラの原因はなんなんだんべ、ここ二週間くらい考えていて、要約すればこういうことだわ。なんというか、創るサイド(主観)と見るサイド(客観)のギャップがますますひらいているという結論に達しました。結局、自分の謳うもの、書くもの、創るもの、デザインするもの、もっといえば自分の思考回路。これらに関して自分自身で「はい駄目ー」という強い自己否定が常に付きまとうようになっております。じゃあ、なんで強い自己否定が発生したかといえば、それは色々な部分で忙しくなるにつれ、自分自身でOKとしているクオリティが保てなくなってきている、ということなのです。と、素人臭いこといってる。あ、でも、あるでしょう。これだったらお客さんは満足しねえよ、というものでも、他所との絡みで出さねばならない、という奥歯に物の挟まった感じ。
 世の人は、これを、素人了見だと、いいます。
 だがしかし、受け手が満足するという「目的」を考えたときに、この違和感があとあとの障害を引き起こすのは、よくわかっているわけです。

 つまりこの違和感の是非、なのです。
 モノ創る側の問題として、ですな。

 まぁなんか、自分なりの落としどころを見つけるまでは、駄目かもしれない。
 ので、しばらく、アレだわ。キーとか云う。

いつもずっとそんなかんじ 2006年09月03日(日)

 やぶきた茶のやぶきたってなんだい。Mです。
 調べりゃいいじゃん、というのは全う過ぎて面白みに欠ける。そもそも、調べりゃなんでも出てくるってのはツマンナイんだよねえ。
 つまりね、静岡の9割の茶農家が作っているのが、やぶきた。やぶを切り開いた茶園の北側に植えた茶樹から選抜したことで、やぶきたの名前が付けられたと言われています。だって。そう、そうですか。

 なんかこう、さぁ日記を書くぞと思うと腹立ちも喜びも何もかも頭からさらさらりんと流れ出ていってしまうようです。ボケかしら。ボケだとしたら、これはこれでストレス無くすごせるかもしれない。深く考えなければ。
 考えないというのは、平和なことだ。


 昼間は色々書こうと思ったこと、あったのよ。
 さっき「ウルルン」見ていて、印度の東洋医が「自分の器にあった仕事で満足しなきゃいかん」って云ってたけど、自分の器を自覚するのが一番難しいんでしょうがそりゃあ。

 なんかもう、まとめる気力も無いので、なし崩し的に、終了。

うー 2006年09月02日(土)

 うー。
 突貫工事中です。
 色々と。

 あ、トップの写真は前に日記に書いたとおり、中野駅前で一人でビラ配ってたメイドさんです。kikkiさんに似ている気がしなくも無くも無い。

 ま、そんなところです。
 何か面白いことがあったら、書きます。
 それではみなさん、ごきげんよろしゅう。

夏のおわり 2006年08月31日(木)

 夏の終わりはちょっと五センチ。ながちろです。
 何が五センチ。今測ったら十センチありましたよ!
 何が十センチ。

 ぷ 。          888888


 「ボウリング」

 ふ 。          888888


 「ボウリング」越冬こあら版。(リンク先参照)

 昔「悪魔のボウリング」っていうB級ホラーがあって(うろ覚え)死神がトゲつきの鉄球でピン(亡者)をなぎ倒して血みどろ、というのがなかったっけか。中田家か。や、知ってても見せてくれなくていいです。ホラーいやん。

 はぁ。
 夏の総括をします。細木のババア言うところの大殺界であった本年も8月を過ぎますが、あんまりろくな年ではなかった。たしかに。争いがあり、諍いがあり、うちのばあさんは卒中で倒れ(甦ったけど)、なんかもう、不幸や災害もそこをついたんで無いかい(と、書くと、まだ出てくる気がしますが)、ということで。最近は方々からの仕事が続いてるし、また独り身に戻ったし、なんかこう、現在非常にぶらんぶらんしています。いや、股がぢゃ無くて。全体的に。バディが。えらい痩せたし。
 今年の秋も冬も死なない程度にバリバリやりますよ。


・今日の変なメール。
送り主:動物愛護団体
タイトル:衝撃!!どブス祭り!
 なんだかものっそいワクワクしてみたら、単なるエロメールだったんですが。
 動物愛護団体、っていうのがじつにアイロニー。佳作。

 さー、秋秋。色エロがんばるのでみんなついてこいっ。ホテルまでっ!

# 言質のストレートさに限界が見え始めている。
 ほら、あれなんですよ。変化球の曲がりが悪くなってきたから直球でコーナー攻めよう、という。
 もういいや。今日もくたびれたので、寝る。
 グダグダでもうしわけない。

よせてあつめて・45 2006年08月29日(火)

 来る秋の予告編吹きまた独り みやたけです。
 もとい、ながちろです。

・暑いには暑いのだが、風はもうすでに夏ではなかった。

・さびしいがプールに行くと、やはり身体に触れる風は涼しいのでやっぱり寂しい。1kmほど泳ぐ。

・プ−ルサイドの水溜りのぬくた水に一人の老人が腹ばいになっている。いや、そこは、通り道だろうと思うのだが、その爺さんが、じっと、こっちを見ている。脂腺をはずさない。遠ざかるあたしを、じっと見ている。いやまて、いつのまにハッテン場になりましたか公営遊泳場! 30分後にはじじいの老獪なテクニックで随喜の涙ですか! とおもったけどじじい動く気配なし。もう駄目かもわからんね。

・昨日たまたま「新・話の泉」を聴いていたら「楽して生きる」というのは、「楽しんで生きる」ということなんだよ。なんたって、「楽」は「楽しい」に通じるんだから。って、そうだね。楽して生きるよ。

・日曜は高円寺の阿波踊りに行ってきた。
 あまりの人にエレベーターが止まり、前を歩いていたギャル姉ちゃんの電話への言い分がすごかったね。
「あのね、すっげ混んでて、エスカレーターが階段みたいなの」
 偉いッ。

・高円寺駅前というのは結構道が別れているのだけれども、会場作りのためにあっちを封鎖、こっちを封鎖して、なるたけ一方通行になるように出来てる。まぁそうだよなー。あんまり広くも無い街に人ばっかりドジャーとあつまればさういうふうにも成る。
 今回、スタッフの尽力でものすごくスムーズだったように思うのだけれども、まぁ、その分係のオヤジのだみ声がすさまじかったぞ、と。
 何事も良し悪しではありますが。

・阿波踊りはスタート地点が面白いっすね。やあ本部前が一番守りあがるのだけれども基本的には見られないから、はじまるときの、あの、ワクワク感はないににも変えられない。それぞれの連の趣向が、いいんだ。いいんですよ。

・情報の共有など莫迦のやることだ、と民俗芸能研究のセンセイが云っていたのを思い出した。

・要はライブなのだ。行って、見るしかない。

・むしろ、ヴァーチャルしか知らない世代が「要は情報なのだ」と云っている場合の言い分を聞いてみたい。

・また睡眠が取れなくなってる。眠れば元気なのに。

・モノぉ書く気力はある。でも、精神が脆い。

・月の光に照らされて 何度も巡り逢ふ
 星座の瞬き数へ 占ふ恋の行方
 同ぢ運命に生まれたの ミラクル・ロマンス

 なんかこう、うまいよね。
 ここだけ切り取ると宝塚みたいだ。
 ギターで弾いてみたらだんご三兄弟とコードがほぼ同じ。

・プールの洗い場で(銭湯かよ!)水中眼鏡を落とした小学生がいたので「落としたよ!」と肥を掛けると自分の荷物を確認した挙句に黙ってひったくって持って行きやがった。ああなるともう人間じゃないね。サルだって餌やりゃあ和むぜ。
 畢竟(畢竟、ときたね)、相手から人扱いされないときに、こちらも相手のことを人扱いしていないのでしょう。自分の上司でもそういうところ、ないですか。あのクソ上司や嫌いな得意先は階段から突き落とそうと思えますが、自分の娘だったり、ぬいぐるみだったり、PCだったりは、突き落とそうとも思えないのです。
 小学生も、もう、そういう他者にたいしての経験が浅いね。駄目だね。その年になっても人になりきらなかった。あーあ。南無大師遍照金剛。

・なんかこう、昨日眠れなかったので、今すごく眠い。
 寝る。今寝たら起床四時だぜ。多分。

本能的なアタクシなど 2006年08月24日(木)

 実は脂が取れるので筑波で週一アルバイト。Mです。
#効用:切傷、ED

Q-1 Grand Prix
 Q−1グランプリです。Q書房主催。
 ようはアレなんです。タイマンバトルを半年くらいトーナメントでやってみて、じゃあ真のチャンピオンは誰なんだ! という催しです。今回は、できるだけ多くの場所に声をかけてみようと思っています。
 手間が大変だというので、ほんだら俺がやったるわい、ということで。ただ、MA本とかぶるので、基本的には来年の話になります。
 大変だったり忙しかったりするのは平気ですが、モノやるときのクオリティは下げたくないのです。それはある。確実にある。
 あと、なんかずっと、反応をもらったり、遊んでもらったり、やっぱりしてほしいんだな、と思うのです。でも、遊んで遊んでではしょうがないですから、遊ぶものはどんどん用意します。そういう意味ではQ書房ってのは格好の場所なのかもしらんね。主宰はああだし、人はいっぱいいるし。

・で、そのCoC8thも結果でたね。
 2票。でも2票はいったんだったら御の字じゃない。
 今回は、駄目です。駄目です、というのは、自分の理想形に、技術が、イマジネーションが、ついていかない。これはギターも歌もそうで、だから、駄目だろうなあと思って出しました。でも、そんなこと云ったら他の作品はもっともっとアタシの理想系からはかけ離れているから、勝てる可能性は十分にあるとは思っていた。自分で自分を信じなくて、誰が信じるよ。なぁ?

・なァんか最近ありがたくも心配されることが多いンすが、別に長生きする価値があるじゃなし、やれるとこまでやって電池切れってのが、一番いいんじゃないかしら。本当に、そう思う。
 知り合いの、誰の死ぬのも見たくないし。

・セックス好きィ。

・たまにこういうホザきを入れると、読者の目が醒めます。

・自分の調子のいいときにか相手に出来ないんじゃ、押し売り相手にしてるのと同じだよなぁ。
 これは、家族とは、呼びたくない。
 いるけどさ。自分の父親とか。
 仕方がない。半分は彼の精子だ。

きりえれいこさん発見。
 またどこかで「ミョンミョン博物記」やらないかなぁ。MOEとかどーよ。

冥王星、惑星から除外
 これ、この前、星の本作っていて図版を手に入れたりして、どうもポリゴンっぽいので、「こういうモデルじゃなくて星の写真が欲しい」とか云われたものですが。
 そうぢゃなくて、これ、あんまりにも遠いから、星のこの辺が明るくて、この辺が暗い、みたいなことしか観測できてないんだよねえ。

 さておき、石川さんの名曲「冥王星」はどうなる!

・麺巨匠が(い)ない
 麺巨匠が否いので実分正銘ができずに古本屋で奔が熟れない。鹿田がないので麺巨匠がなくても王慶な仏苦消滅offにいったらエロ分33点で600円だってド竹賞。

 じゃ、壊れてきたので、この辺で。

文化的なアタクシなど 2006年08月24日(木)

 実は樹海の美女。ながちろです。

 ちょっとここ一週間のニュースを聴いているとなにか世界がゆがんでいるような気がしてならない。ゆがんでいる、いや、「変化」なのか「悪化」なのか「転向」なのかわからないから、元の形から変貌し始めている、という意味でゆがみなんですが。
 幼児がシュレッダーで指を切断しちゃうなんて云う非常に痛ましい、ニュースでも聴きたくないような事件があったわけですが、会社の製品を責める前に、なんで自分の子供一人守れねえのかという憤りの方が大きいのです。あたしは。危ないから触っちゃいかんよ。手でもかけようモンならポカリでいいのです。頭にコブ一個と指先の切断、アータならどっちを採るよ。
 昨今の問題として、人間の本能的な危険予測というものがどんどんと稀薄になっているように見えます。いや、決して稀薄になっているんじゃなくて、稀薄に見えているだけなのです。本能的なものから遠ざかることがさも優秀なように、さも「文化的」であるように、現在の日本における感覚知は操作されていると云ってもいいでしょう。欧米並みに商品に注意事項を記さねば裁判で訴えられる、というあのくだらねえ感覚に追いつこうとしている。裁判に勝ったからって指は元に戻るのか。そうじゃねえだろう、そういう事故が怒らないように、子供の、家族の、身の回りの危険を予測することが最上策なんじゃないかい。
 で、そういった「文化的」な感覚を身につける一方で、いわゆる本能の部分をうまく飼いならせない人々が沢山出てきています。デパートの店員さんが目玉を潰されようが、夜談笑していた高校生が刺されようが、精神的に不安定だ、ということで措置が与えられてしまう。じゃあ、そういうキチガイが何故発生したのか、という根本を考えるかというとそこは看過されているといってもいいでしょう。ようするに、前頭葉の未発達な幼児期少年期に、殆ど何も学んでこなかった弊害が、ここにあります。人と喧嘩したり、殴られたり殴ったり、そういったなかで他人との壁を学ぶとか、自律を鍛えるとか、そういう体験がなかった子供が、これから続々と出てくることでしょう。
 アレも怖いね。擦過がネコ戮したとか何とかで、あすこまで燃え上がるのも、なんだか日本ぢゃないみたいだよ。なんつかなー、一時的な嫌悪感でそのまま沸騰してしまうのは、どうなの。他所の国の専売特許じゃないんですか。
 自分で自分を制御せなんだら、檻に入れておくしかないて。

 なんだか非常に、戦々恐々としているわけです。

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