■ ぼんよりとした不安
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2006年09月11日(月)
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なにもかもまとまらない。
おかげで精神的に落ち込むことはありませんが、まとまりません。すっきりしません。史記は司馬遷。
・犬丸りんさん本人が一番まったりすべきだったんじゃないかなぁと思ったよ合掌。吉祥寺で14階のビルったらかなり絞られてくるぜ。候補が。
・犬丸りんさんといえば『なんでもツルカメ』でして、あのときの地味ーなイメージしかなかったんだけれども、おじゃる丸で出てきたときには、あれ、こういうキャラじゃ無かったよなあ、という違和感があったのは本当の話。『Missマーフィーの法則』なんかの挿絵を描いていて(今なぜか手元にある)、そう、こういうごちょごちょ好き勝手やっているスタイルが一番あってたんだろうなぁ、などと思うのでした。さくらももことの違いは、結局テレビに載せることについて、もしくは人の手を経て改変されることについて「商売」として前向きに取り組めるかどうかちゅのが大きな違いだったんじゃないかと。 で、さくらさんなんかはどうしてもストーリーについては譲れないから、アニメでも脚本にちゃんと加わってるしな。この辺の折り合いのつけ方がうまかったと云えようかと思います。
Qでもそうだけど、勝つ作品が仮に読者への迎合だったとしても、迎合しようとしてちゃんと読者にはまる、というというのは才能なのです。ウケようと思ってやってぜんぜん受けない、というクリエイターもどっさりおります。
じゃあ、迎合する、というのはどういうことかというと、つまるところ一般多数の好みを理解している、がゆえに「出来る」ンだよね。それはやはり能力。
だ、結局自分の好きなものは受け入れられないのだ、という苦悩と傷は遺ります。自分の好きなものや大事なものをどうにかして一般に受けないかと努力するのは、骨が折れるし、ある意味悲しい作業なのかもしれない。 あたしなんぞ絵で個展なんかやったけど、いっぽうで「あんたの絵は見るとイライラする」と云われるわけです。悲しくなります。出来ることとやりたいことは常に違います。
なんかこう、頭がまとまらないので、まとまったところはどんどんアウトプットしていくしか無いような気がしてきた。水だって掻きだせばいづれ無くなるしね。
明日、樽平寄席です。ゲストは上方から、笑福亭銀瓶さん。鶴瓶師匠のお弟子さんです。
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