時々、みんな持っていかれるような鬱に襲われる。いろいろあってそろそろかなと思うときにうゎんと襲われる。近くに縄があったら迷わず首に巻くぐらいのことはするのだが、もう数年こんな具合なのでいいかげんに周期が読めてきている。
やり過ごせ、受け流せ。そうして、薬にもカウンセリングにも頼らずに今日まできている。
が、つまりは精神的な色々がかさんでいる証拠なので、電車に乗って多摩川まで行ってきた。休日だというのに人もまばらで、河原まで降りたときには人っ子一人いない。ざくざくと丸くなった石の群れを踏んで歩くが、それでも人っ子一人いない。
GWのど真ん中で、人っ子一人いない。
ああああ。
風が強い。風で周りの音が聞こえない。しばらく座り込んでじっとしている。不意に思い立って石を拾って河に全力投球する。うまいこと飛んで行った石は若干カーブして着水したので満足したが、腕の筋を痛めた。(一球でかよ)
やっぱり、完全にひとりの時間が、必要なのだ。
私には。
・中沢けい「海を感じる時」讀了。
高井有一さんの「北の河」と読みくらべて見ると面白いかもしれない。少年と少女の差はあれど、子供と母親、特に母親の葛藤という意味ではひとつのアーキタイプなのかもしれないな、と思うのである。
中沢作品、たしかに若いときのほうが暴力的なまでの破壊力があるけれども、でも、話の盛り上げ方だとか、視線の動き方だとか、色々と変わっていなくて、ちょうど新風社版で『海を感じる時』再販したし、読んでみると、「年齢」とはなにかってわかるかもしれない。
わからないかも、しれない。