どうも困ったね。 話をしたいのだが、まとまらないのだ。 大体まとまらない話を書きながら考えながら書くというのは性に合わなくて、なんとかまとめようと思うが、うまく行かず。 まだ時期尚早というのであれば、書かなきゃいいのか。いやでも、今書かなきゃな、と思うので。
うちのスカタン影山の一件や色々のことを鑑みつつ、人間が努力し始めるのって、いつのことだったかしらん、と考えたのだ。 だいたいQBOOKS辺りで書いている連中ってのは、自分で書くことも好きだし、それなりに才覚もあって、まわりからも巧いねといわれて中高生あたりで書いてる。このあたり、感性とインスピレーションの賜物なワケで、小さい子の書いた絵を見て「大人には出来ない無垢な魂の発露」なんて云っちゃうわけなんだが。 ただ、才能はアイデアが枯渇するんだわな。面白い話の設定や流れ、書き出した最初の三行はあるんだけど書き終えたことが無い、とか、アイデアはある、そのうち書く、とか。まぁ、そのうち書くなんてのは今の自分に無責任だから云えるようなことで ……やっぱり話が脱線するなぁ。 要は、才能一本で書き散らしていた人間が、いかにして自分の芸を「磨く」ようになってくるかという話なんのです。赤ん坊の、幼稚園児の絵はすごいよ。でもそれは、われわれ無駄に年をとった連中の世界から隔離されているからこそ「すげー」っていってられるわけですよ。コカコーラの宣伝やカップラーメンのCMなんていうインダストリアルデザインまで幼稚園児の殴り書きだったら、とても社会として受け付けまい。
さて、飯食ってくる。続きはあとで。
食ってきた。冷やし中華に夜はQの爺さんと打ち合わせ、朝は昨日の残りのカレーに昼はトマトジュース500mlときた。
アイデアや設定はあるけど書けない、とか書ける書ける、なんつて書かないでドロップアウトしていった知り合いは多いです。でもそれって、詰まるところモノカキッちゅうゴールは身近に見えていても、そこにたどり着くまでの道のりの長さっていうのは認識しにくいからなんだろうな。文学賞がポンとあって、コレに通れば作家先生です。ぢゃあ勝てばいいぢゃないって云っても、おおよそ二万本の頂点だというときに、何が必要で何が足りないかって云うことなんだけれども。 結局、外からどんどん素材を取り入れて自分の中で消化していくしかないわけで、初めての舞踏会で王子さまに見初められて翌日迎えに来るなんざ歴史上シンデレラくらいしかいねぇぞ! という話。シンデレラだって灰かぶりとしてずいぶん酷い目にあってるわけで性根の優しい娘になった気がする。お話ではずいぶんカットされているがね。下積みは、ある。
結局、うまいものを、食わせるしか、無い。 酒も飲めない人間がバーテンを出来るはずも無く、古典を読めない人間が新作を作れようはずがない、というのがアタシの持論でありんす。できれば平成の世に生き残った日本の古典を読んで欲しいとは思う。でも、そうでなくとも、ちゃんと古典に親しんだ作家の作品は今の若い人にゃ読んで欲しいとも思う。そもそもアレだよな、古典を面白いと思わせるんだったら枕草子なんざ大げさに取り上げないで犬枕でも読ましゃあいいんだよな。 感性の問題として、枕草子がもてはやされたのは平安朝において新しかった、というだけなのだわな。平易だから古典文法入門にはもってこいかもしれないが、あれの内容を見て「古典って面白いですね」ったって面白いわけがねえ。 丸いのに「阿奈遠志」貸してる。通い婚の男が姫に迫るんだけどブルーデーだって断られたんで、和歌読んで口説いたって云う方が頭に入るわな。
高尚ってのは、基礎が出来てから、面白いもんよ。
まとめるか。 才能ばっかりだと限界が来るけど、かといっていまのヤングどもにはおおむね「日本語」を読む時間も体力もナイ。 どうしたモンかねぇ……。
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