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彼岸録

ときどき、12歳以上推奨。心して御覧下さい。


倍音 2005年02月27日(日)

 銀座で打ち合わせのあと、高校時代の連中がぞろぞろと集まって飲んだ。銀座だったのでどんなんかいなとそれなりにチレーな格好をしていったところ、同じく意識してチレーにしているものあり、ジャンパーにパンツにスニーカーという猛者もおる。
 昔からこうだったが、この10名を超える集団はワヤワヤしたところから次の行動に移るまでが非常に長い。短気な拙者なぞは待ちきれずにウロウロしてしまうのだが、まぁ、そんなのとは関係なく、だれぞ突っ込まないと際限なくズルズルしているのである。しょうがねえ奴ら。
 集団とはいえいくつかのグループに分かれてしまい、全体としての塊というのは全く考えない。それぞれが暴走し、特定の人間が突っ込まれ、いじけ、開き直り、ケロケロ笑う。
 ホント、成長が変わらねえ。
 ちょっと涙がにじんだ。あのころとあんまりにも同じなので、倍音になって感動するのである。

 店自体は隣に入った露助(あえてこう呼ばせてもらう!)とおぼしき外人とファッ●ンジャップの混合軍がぞろっぺく酒乱で馬鹿騒ぎであった。天井が狭くて暗い、というのはアングラ劇の常套手段であり、人はそういうトコロに押し込まれると、なんかどうでもいいとこでも笑いのツボに入るようになっているようだ。
 銀座なので通常の倍近い飲み代に気が遠くなる。もういい。一休でいい。

 地元で飲みなおして2時過ぎに帰宅。

評論のデュナミス・第5回 2005年02月26日(土)

 いよいよ好きな分野です。筆に力が入ります。
 こちらよりどんぞ。

・姓名判断
 ここ、それなりに親切
 あの方の運勢が以上にいいのは、さすがというべきか。当然というべきか。


***
 以下、クダ。

・オープン戦開幕。巨人 3−4 楽天
 負けてんじゃねえッ!(涙目)

・投票促進用ポスターを
 小学生に描かせて駅とかに貼ってるわけだ。「せんきょに行きましょう」とか、「公明正大な選挙を!」とか。
 んでもさぁ、選挙権もないような小学生に「せんきょに行きましょう」って云われても「うるせえ」とか思いませんかそこの人(手当たりしだい)。絵を描く小学生だって、民主主義による公明選挙、というものが実感としてあるわけないと思うんだよ。
 覚えがないですか。学級委員選挙。もしくは風紀委員、総務委員、なんでもいいや。
 やる気のあるやつが勝手にやる、もしくは、力関係弱い人間が祀り上げられる。国会議員てのは給料がいいからやってみようという気にもなるだろうけれども、小中学生の民主主義なんざ暴力みたいなモンだろうと。結局、クラスのうるさ型の女子が実験を握るわけでさ。
 なんかもっと、選挙結果が反映されるクラスだったら選挙も真面目になる気がするね。委員長の判断で停学が執行されるとか。懲罰も決めるとか。
 などと、中野駅の線路下で怒ってみる。

・ライブドア関連は、後々まとめて。
 なんか堀江社長が貧乏神に見えてくる。

あさぼらけ 2005年02月25日(金)

有明の月とみるまでによしのの里にふれるしら雪 坂上是則

 朝起きると部屋が明るい。昨夜からこんこん降り積もった雪が反射して明るいのである。外へ出る。世界が、明るい。


久々にx51から。
 証明できなくても、あるものは「ある」ンだからしょうがないのである。科学ってのはアレだろ、定義の積み重ねだから、定義(=人間の知)以前のものは見えないということを認めると、先に進むとおもうのだが。

東風吹かば 2005年02月24日(木)

↑ちゃんと読めた方、えらい。

 【宣伝】
 欠片B vol.3のチラシでやんす。
 今回カラー。是非のお越しを申し上げます。
 なお、出演者に変更の可能性アリ。御注意を。

・街ン中、東風が吹いている。東京地方というのは西部が山林であるため、西からの風によって杉花粉がやってくるのだろうなあ、なんて東に向かって歩いていたところ。
 頭上に大きな杉の木一本。
 目に見える濃度で、もやーっと。

 ああ、風は関係ない、と。
 花粉症患者各位におかれましては、厚くお見舞い申し上げます。春来たれども夏遠からじ、でござんして――。

・今日の買い物
 CLAMP『ツバサ』(9、集英社)
 67点。ストーリーが暴走しだしたので、ここからは古本屋待ちで追うことにする。でも、さすがに絵は巧くて、なんつーか、ミュシャに近いものを感じます。

 氷川へきる『ぱにぽに 桃月学園絶対合格マニュアル』(スクウェア・エニックス)
 買っちまった。 orz
 76点。エニックスは作家の人気が出るとガイドブック臭いものを出すことで有名ですが、柴田亜美、衛藤ヒロユキと騙されてまだ凝りねえのか、って、ああ、『ぱにぽに』の分に関してはよく出来ている気がする。スタッフがみんな面白がって作っているようで、人気に当て込んでみやげ物作ろうかみたいな空気がないのは、嬉しい。読者を馬鹿にしていない。

 あさりよしとお『るくるく』(4、講談社)
 85点、安定期で、なにしろ不安がないよな。
 ただ、作家の真価は、このあとなんだよなあ。どう盛り上げるか、どう展開させるか。ある意味根の深い問題だけに、さて、どうなる、というところ。
 ※ コメディーです

 [お知らせ]
 しばらく放置しておいた拙者のアンテナをかなりいじりました。
 デザイン、なんかいいのがないか探していますが(cssを勉強する暇は、しばらくはなさそう)、とりあえずシンプルなところで。
 ナガチロブログの方にも対応させました。

黙々と(追記) 2005年02月23日(水)

 作業。何かに追われているときが一番落ち着く。
 あとは寝るだけだ。最近はよく眠れる。グウグウ寝る。

桜玉吉、入院してたんかい。
 知らなんだ。驚いた。

出た!
 そこの筑波山の人とか行徳の人とか宇治の人とか経堂の人とか茅ヶ崎の人とか申し込め! アタシも申し込む!

これはやりてえ
 トンボvsトトロとか想像できません。
 あと、バロンがいない。

ねっこねっこしゃーんしゃんっ! 2005年02月22日(火)

・ふ〜かちゃん@NHK教育の「ねこねっこしゃんしゃん!」が最近の人生の支えとなっているながしろ(ひょうろく玉)ばんりです。振り付けのラッキイ池田は、偉い。

・昨日の鬱がへんたい、もといたいへんみつともないので差しかえた。

 読んだ。 > ・;つ~
・E・キューブラー・ロス『「死ぬ瞬間」と臨死体験』(読売新聞社)
 87点。子供のころに難病を患って死が確定してしまう人々のメンタルカウンセリングをしているお医者さんの公演集。諸々の宗教が提唱する「死」や「死後の世界」について否定するわけでもなく、臨床および実体験から、人間の作ったマイナスの感情を脱ぎ捨てて超感覚のところに帰っていくのだから、死ぬというのは怖いことではなくて、ただ、生前に遣り残した仕事を残しておくべきではない、という話であった。
 注意深く読んでいけば、あたしの知る限り、諸々の宗教で云っていることとおおむね合致してくる。「見えちゃった」人が新興宗教に走る気持ちもなんとなくわかるようなわからんような、ともあれ、医者の立場からスピリチュアルな問題に真っ向から肯定しつつ受容していく様は、見ていて気持ちがいい。
 がしかし、科学というのはスピリチュアルを排除したところにあるという固定観念を読者が持っていること、また、そういう科学を逸脱した部分に「全人類的な愛」だの「超感覚」だのという単語を当てはめることで、いわゆる新興宗教のレッテルを貼られてしまっている、というのが残念でならない。
 もっとなんかさ、人口に膾炙するためには売り込み方だと思うんだが。思考の問題として聖書によってわかりやすくしているのは仕方がないとしても、非常に売り込み方が下手だなあ、と思った。単純に。読んでいるあたしも、最後の方は新興宗教のセミナーみたいだなと思ったもの。そうでなくても、事実を元に確たる仕事をしていると思ったのだが。
 日本での判断基準ったらなんだ、この本が天下のY紙から出版されているところくらいか。

・養老孟司『死の壁』(新潮新書)
 『バカの壁』は読んでいないが『死の壁』は読んだ。
 87点。何が面白かったって言えば、安楽死の問題、アレだけ苦しんでいるんだから死なしてやればいいじゃないという家族や世論の立場とは別に、殺す側である医者の立場の話のあたり、である。
 結局、死刑にせよ安楽死にせよ、「自分が人の息の根を止めたんだ」という罪の意識や恐怖感を仕事する人が得ないために、銃殺の場合でも何人かが銃を持って立つ。電気椅子のスイッチも、何人かで押す。で、これらの汚れ役ってのをするのがいわゆる「エリート」と呼ばれる存在で、例えば鈴木宗男は逮捕されても、その後ろでお金のやり取りをしていた業者や人は明るみに出ないみたいな。まぁそこから、いわゆる肉を捌く人や皮を加工する人の話に展開する(杉田玄白だって、自分で腑分けをしたわけじゃないんだ! とか)わけで、ここでは生半可な書き方を出来ないので割愛するけれども、そういったいわゆる解剖学者視点からの展開が非常に読み応えのあるものでありました。
 文章も平易だし、お暇な方は読んでみても、いいかも。

読者プレゼント結果発表 2005年02月21日(月)

 プレゼント二冊に対して応募総数が二通!


……平和だ。
 ということで、明日辺り発送の予定。
++++++

 一方、鉄火場開始。色々大変です。

エウテルペに逢いに行く 2005年02月20日(日)

三鷹→荻窪経由中野坂上経由大江戸線勝どき。氷月そら女史(fg)の出演する、エウテルペ楽奏団第8回定期演奏会を見に第一生命ホール。
 開演前のロビーコンサートでそら女史含むファゴット四重奏。中低音の楽器四本が非常に軽やかな動きをする。耳というよりももっと下の感覚器官で聞いている感じで、気持ちがいいのである。
 時代は中低音、か。

 本編、オケ付きのピアノソロとしては今まで聞いた中で一番飽きなかったかもしれない。というのも、いわゆる楽団に溶け込むのではなくて、ある種一つの孤高さを感じさせるゆえであったかもしれない。もちろん曲をこしらえたモーツァルト氏の都合によるところが大きいが、それでもなお、全体の中で自分の音を閃かすことのなんと難しいことよ、という話である。

 時代は中低音、に付加するものとして、クラシックってどう聞けばいいのよ、という疑問がある。二宮知子『のだめカンタービレ』みたいに、それぞれのプレイヤーのここがなんとかだ! みたいなロマンチックな形容が出来るわけではないので、いわゆる曲の雰囲気が身体を動かさしめる、ということならばわかろうものだが。
 文学における新感覚派的な「共感覚」のニュアンスだろうか。耳への刺激が、そのまま他の器官への影響として顕われてくる……からといって、ホールの客席で不可思議に踊るわけにも行かず、じゃあじっと聞いて音に酔うと(こいつ、飽きて寝てるんじゃないか)と思われるわけである。
 今回のアタシがどうだったかというと、まぁ、陶酔していた、ということなのである。共感覚の作用として、脳裏には小学校でドッヂボールをするという映像が繰り返し浮かんでいて、ああ、感覚に共せしものは演者の生命力なりしか、と思へども、これだって傍から見たら「舟漕いでんじゃねえか」ということになってしまうのである。
 クラシックなんぞ好きに聞けばいいじゃないかという向きも多かろうが、それなりに深刻な問題なのである。

欠片B vol.3のお知らせ他 2005年02月19日(土)

・欠片B vol.3 〜フェロモンGOGO!(仮題)〜
 3/5(Sat) 19:00〜 料金未定
 場所:江古田「樽平」(西武池袋線江古田駅北口徒歩一分)

+++
 やります。
 ゲストなのですが、樽平のマスター推挙によりフェロモン全開美女による小説の朗読、ですって。打ち合わせもなにもないのでぼうっとしておりますが、なにやら聞いたところによると、居るだけで周りの男がほっておかないタイプの女子だそうどすよ山さん。

 (知り合いにいないタイプだな)〇0o('A`)

 まぁ、打ち合わせもなにもこれからですが、日にちと時間はお伝えしたく候。
 楽曲って落語のネタみたいなもので、うまいこと練習が行けばアレンジング含めて大ネタもやってみたいなり。見たことの無い方、是非。

・やることいっぱい
 一個ずつ片していかなきゃ何も進まないんだうわーん。
#でも、いろいろあってスコブルはかどっている

・東京荒天
 夜半からの雪が積もったまま豪雨。
 そっから出かけねばならない悲惨。凍える。

・コーラスを凍らす。

・越人流文芸教室・第八講
 「15分でなんとなくつかめる日本文学史
 実は次回デュナミスのための参考資料。非常に穴だらけで、柳宗悦の民芸運動とか新感覚派とか第三の新人とか入れてもよかったけれども、いま芥川賞や直木賞で騒がれている「小説」というものの価値基準に行き着くまでのことは押えられているんじゃなかろうか。
 だといいな。記憶だけで書いているので、むしろ読者に補強されたい、そのくらいの覚悟で執筆。

Mucha 2005年02月18日(金)

 上野。相変わらず風は冷たいが修学旅行生でごった返しておったよ上野。路上生活者各位におかれましてはずいぶんと厳しい日々かと思われますが肥えてるね猫と鳩。人が多いってことはそうそういたずらする人もいないってことで、半ば猫と鳩の楽園になってプクプク太りやがってこのお! って、猫鍋とか鳩鍋なんかにしたら食べでがあるだろうとか余計なことを考えておるとレゲエのオッサンがスナック菓子を鳩にやっておる。
 踏んで粉々にした菓子、ザワザワフリフリと寄ってくる鳩。「どれがいいかな」なんてオッサン、ゆるりと手を伸ばすとぎゅうと鳩を鷲掴み。ヒィ!
 そのままキュッと捻って日銭にしたりすると厭なので、見ない。あ、でも、遠巻きに見てたけど持っていたコンビニの袋に詰めてたかも。

 いや〜ん。

 で、上野。ミュシャ展。絵画史的なアプローチはそれぞれ専門職がやることだろうので措くが、まぁなにしろ、絵画に対してのもんのすごい鍛錬が窺がえる。デッサンをとことんやりつくして、この表現のための線はこれ一本しかない、というところまで追い詰めて描線をシンプルにしているのである。ミュシャ、一般的にも非常に人気のある画家ではあるけれども、それはいわゆる「自分の書きたい線」への確実な仕事が実際に出来ているということに他ならない。ゆえに、石鹸やタバコなんかの宣伝だとかの商業的なものもずいぶん遣っているのだけれども、最高の一線しか描かないところにおいて、Artとしても人口に膾炙するのにしても成功しているわけですな。
 これ、すべての表現活動に言えると思う。小説、評論においても、このシーンのこの登場人物の描写は、突き詰めるところただの一つしか正解はないということである。ただその「正解は一つだ!」というところにまで問を突き詰めて、という前提が出来ているか否かという話である。うちのモンにも「突き詰めろ」たぁ云っているが、これはアタシ個人の仕事であるために伝わらないことかもしれない。まぁ、それぞれが自分で見つけりゃいい話なのだけんども。だがしかし、自分が表現したい線を思い通りに書けるか否かってのは、結句日ごろの精進でしかないんだわなぁ。

 やっぱり一つ一つの仕事は丁寧にやらないかんです。
 反省。目からウロコ落ちた。悪かった。

 ※ ミュシャ展、本物を見るに越したことはないが、どうしても時間が取れない、東京は遠いという御仁は「Mucha」でグーグルイメージ検索をすると、それなりに大きなサイズのものが、出てくる。

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