日 記(備忘録)

(2016年12月)


<今野順夫の部屋>

◇ 大晦日になりました。
 塩竃の孫たちが午前中に来るというので、待機。10時半ころ到着。2人住まいの自宅に、5人家族が来るのですから、大変です。孫たちもだんだん、体が大きくなってきているので、家も狭く感じます。昼食を食べ、ゲームをして、てんやわんや。午後に、近くの小学校まで散歩。鉄棒を拝借して、逆上がりの訓練。よくできるようになりました。私の散歩も兼ねて、一回り。5000歩くらいの運動量でしょうか。年越しは、自宅で迎えるようにと、早めの帰還。夕方には、自宅したとの連絡。母親は、明日から勤務らしいので、短い正月です。

 次女は、横浜の大晦日コンサートで、帰省するのは明日か、明後日。例年通りの「紅白歌合戦」をテレビで見ていましたが、妻は疲れたのか早めの就寝。一人で、見ていました。いつもは、ワイワイと騒ぎながら見ていましたが、テレビを見ているのは、今日は一人。小さい頃は父親の誕生日が重なり、一大イベント。子どもが小さい頃は子供中心でしたが。だんだん、家族の有様が変化していることを実感。歌手の名前も半分は初めて知ったくらいかな。
 いずれにしろ2016年は、終わりました。去年の大晦日からは、病院通いで大変だっとことを思い起こすと、静かな年越しです。来年は、非常勤講師も終わり、非常勤の役職も終了または終了前年になるので、今年は少しきつかったかなと思っています。反省することのみ多い一年でしたが、この反省を生かして、来る年を有意義に送れるようにしたいと思っています。
 2016年よ、ありがとう。(12/31)<36999>


◇ 30日になった。今年もあと1日残すのみ。
 午前中、コープの専務とともに、年末で忙しい、各店を訪問。二本松のあだたら店、伊達市の保原店、福島市のやのめ店である。明日31日も開店し、元日は閉店、2日からまた年始の販売開始。年中無休のスーパーもあるが、働く人にもゆっくり正月を迎えてほしいのだが。
 各店、その地域の状況を反映している。あだたら店のある地域は、正月に帰省してくる家族が多いせいか、寿司なども大きなものが目立つ。正月になると、実家に帰るとか、いつも来店する方々が見えないところもある。いずれにしろ、活気のある店をみていると、正月が近づいたと感ずる。
 孫たちは、大晦日、日帰りの来襲予定。昨年は、大晦日に突然の発症(尿管結石)。今年は、ならないように。薄氷を踏む思い(?)で過ごしている。(12/30)<36988>


◇ 12月も29日。御用納めも終わって、正月休みモードだが、まだ働いている人は多い。
 正月の恩師宅訪問の事前折衝、成田空港のホテルから空港へ移動寸前で、話し合いは妥結。テレビを見ると、海外で正月を過ごす方々のラッシュのピークらしい。楽しい海外旅行を期待しています。
 午後、散歩に出かける。近くの塩竃神社。近いと思っていたが、結局、歩数は8500歩ほど。具体的な行程や写真は、ブログの方にアップした。近くに、散歩の目標ができるのはうれしい。(12/29)<36974>


◇ 世は「仕事納めの日」。各官庁で、今年を振り返り、来年への展望が語られているようです。
 今年の納めなのか、9時38分に強い地震。茨城県北の高萩市では震度6弱。その後53分にも余震が来たようですが、少し弱い。津波はないとの予報。

 昨日・火曜日(27日)は、入院しているコープの役員Sさんを見舞に大学病院へ。いつも元気にしている人ですから、心配です。生活文化部のお二人と一緒の見舞ですが、元気に対応しており、安心しました。直前までの、業務の報告など、休んではいられないようです。まあ、正月休みですので、しっかり治してもらうことが最優先です。電通の過労自殺問題もあって、仕事と健康に大きな関心が寄せられています。一人一人の現状に立って、仕事を適正にしていく必要があります。企業経営は人に支えられていますので、その能力発揮如何が重要ですが、そうであればあるほど、一人一人の実情を把握し、健康で働き続けられるような配慮が特に必要と思います。

 今日の水曜日(28日)、銀行に出かけ、いろいろ整理。午後、テレビで「第三の男」をみて、その後、プリンターのトナーを買いに散歩。5000歩ほど。年明けの健診が怖い。頑張らねば。新年の恩師へのご挨拶の日程調整。訪ねる側(3人)と、恩師宅の調整の必要。海外へのフライトの直前ですが、何とか関係者への連絡と調整がつきそう。しかし、今年1月の訪問は、決めていながら、私自身の尿管結石で、私のドタキャン。あまり自信がないのですが、節制する必要があります。
 安倍首相の真珠湾での演説中継に、午前7時以降、すべてのテレビ局は集中したようですが、こうしたイベントを積極的に取り組まないと、いろいろ支障があるのでしょうか。なにか、放送の自由の外堀が埋められているような気もします。演説内容は、積極的評価もありますが、もっと侵略したアジアへの真摯な反省や、核兵器廃絶や武器輸出に対する国際舞台での消極的態度との矛盾も指摘されています。単なるパフォーマンスでなく、過去の歴史に対する科学的な評価についての真摯な取り組みが必要と思います。(12/28)<36960>


◇ クリスマスも終わって、年末の最後の月曜日になりました。
 クリスマスイブの土曜日(24日)。静かに自宅で過ごしていましたが、運動不足になるので、郵便局まで散歩。ようやく5千歩を上回るが、もう少し計画的に動かないとダメだ。
 クリスマスの日曜日(25日)。10時頃、妻とともに女川へ。2時間弱の行程。快適なドライブ。娘の所に寄って、一緒に昼食へ。23日にオープンしたハマテラスは大賑わい。鮮魚店や、食堂などが8軒入居している。片岡鶴太郎の魚の絵を、スペインタイルで焼いて、掲げている。35枚のパネルだそうだが、周りの建物が大きいので、小さく見える。海の前なので、魚の絵もいい。同期生のおかせいのオーナーと暫く懇談。海を眺めながらの同期生たちの話。女川で女川復興のために頑張っている同期生らの活躍に脱帽。それぞれ後継者が中心なんだろうが、まずは希望が見える。
 図書館のことも心配なので、同期生に教えられた先生に電話。機会を見つけて、しっかりと相談したい。女川からの帰りも、快調にドライブ。5時に帰宅。義弟からの沖縄土産、娘からのクリスマス・プレゼント等を宅急便受領。

 今日の月曜日(26日)、朝から福大の松川資料室で、松川賞の運営委員会。来年の第3回の松川賞の募集要項などの確定。なかなか応募作品が増えないのが心配だが、もう少し工夫が必要とは思う。厳密な研究論文は、なかなか期待できないが、エッセー等、もっと応募、推薦が欲しい。そうした国民的支持がないと、世界遺産「世界の記録」登録は厳しい。地元自治体の支援が欲しいが、そこまで到達していない。打開するしかない。
 午後、女川に移住するEさんに女川土産を届け、自家製の味噌を頂いてきた。玄関前で、いろいろ奥さんと話をしていると、前の公園から、「今野先生!」との呼びかけ。びっくり。声で分かったらしい。大学で役職をしていた時に、支えていただいたKさん。結婚を機に退職し、今は中学生と小学生の二児の母親。近所ではないが、スターウォーズ(?)の玩具を飛ばす広い公園と思い、来ていたらしい。12年前になるようだ。年を感じさせないようで、今でも若く、美しい。
 コープの常任役員会に出て、いろいろ協議。心配なこともあるが、粘り強く進むしかないだろう。(12/26)<36931>


◇ 天皇誕生日。4月29日の祝日に慣れてきた者としては、何か年末の休日。クリスマスイブの前日。
 「生前退位」問題で、天皇問題が注目を浴びた年だったが、どうも現在の天皇のみの特例法になりそう。しかし、皇室典範の改正が筋だろうと思う。発足の時から「象徴天皇」として在位している現天皇。法律の一つになった皇室典範、初めての法改正だが、今回だけと例外法をつくるのは、皇室典範を他の法律より上位に置くことにならないか。
 憲法98条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めるが、最近の動きをみると、憲法尊重しているのは天皇のみかなと思う時がある。少なくとも、憲法規範に対して、緊張関係を維持しているようだ。特に、最近の国務大臣には、緊張感が足りないような気がする。
 女川出身・福島在住のEさんに電話。女川移住の進行具合を聞きたかったが、先月、1週間ほど入院したとのこと。びっくりした。今日は、昨年の街びらきの一周年。大型の「ハマテラス」(8軒ほど入る大型地域市場)のオープニング。行く予定だったが、少し延期。テレビや新聞、Facebookなどで報道され、お祭り騒ぎだが、心がはやる。(12/23)<36901>


◇ 年内の仕事も、ほぼ終わり。
 年末(&年始)恒例の知事主催の懇談会。各地のソバが出るので蕎麦会といわれている。2回目である。
 15日は、知事と県議の皆さんとの懇談会に同席。行政委員会の長なので、知事側の迎える側。ホスト役(?)。気が利かないし、名前と顔が一致しない(忘れるので、失礼が多い)ので、大変。蕎麦は、桧枝岐の蕎麦だったが、今日は昼食で、高郷の蕎麦。各部関連の外郭団体の代表者との懇談会。私は県国際交流協会の理事長としての参加。さまざまの諸団体の代表者が集まっている。大学院の卒業生も参加している。

 3時からの県委員会に参加。条例や法改正に伴う規則の改正。その他、来年度を見込んでの業務の改善の協議。いろいろ時間をかけた検討結果だが、短時間で処理するのはもったいない。前例に拘ることなく、前に進もうとするのは、企業や行政にとっても重要。研究では、常に批判的精神で、現状に疑問を持ちながら進むのは、当たり前ではあるが、行政で行うのは簡単なことではない。できれば、前例踏襲でいた方が、業務量も抑えらる。しかし、情勢が変化していく中では、同じ制度も、その効果が異なってくる。前に進むことによって、見えてくるものがあるのかも。失敗を恐れないし、失敗を糧にして進むのは、研究の常道だが、行政で失敗は許されないかもしれないが、慎重にしながらも、失敗から、いかに多くのことを収穫するかが重要と、心に決めるしかないのだろう。

 夕方6時から、委員会事務局の全員と委員で忘年会。いろいろ話を聞いていると、若い職員の生活や考えが分かり、興味が尽きない。偶然、近くに座った職員だが、それぞれの人生を抱えて、悩みながらも夢や希望を感ずる。こちらは、夢や希望の領域が小さくなってきているので、羨ましい。時間が許せば、直接の仕事以外でも話ができればと思っている。何か、心が温かくなる忘年会だった。(12/22)<36888>


◇ 火曜日(20日)、インフルエンザの予防注射に行く。途中、松川関係で打ち合わせ、急いで帰宅。NHKテレビ(全国)で、女川の商店街(女川シーパルピア)からの中継。見慣れているところだが、なぜか嬉しくなる。23日には新しい、店(地元市場ハマテラス)がオープン。「おかせい」や「高政」など8店が出る。共用飲食スペース約80席。満席で食べられないということはなくなるだろう。私の役割は、福島から人を案内することか。
 午後、福島キャリアナビが来て写真撮影。コープの求人情報のための宣伝用。何度撮っても、写真撮影は嫌だ。笑ってと言われて、ますます顔が引きつる。そろそろ表に出るのは止めよう、裏道を歩こうとは思っているが、仕事だからやむを得ない。夜は、国際交流協会勤務の方々との忘年会。今回は、県の国際課とは一緒でなかったせいか、こじんまり。皆さんと、いろいろ話ができた。話は、地球をめぐる(?)。

 今日、水曜日。市内短大での午前午後の講義。さすが前日やるべき準備ができなく、少々、不燃焼。午前の講義が終わり、学生が全部帰ってから、窓から美しい吾妻連峰を臨む。スマホで写真をとって、フェースブックに投稿。懐かしく見てくれる人が多く、うれしい。昼飯は、短大の近くの小さな食堂に行こうと思い歩いて捜したら、2軒とも満席。仕方なく、市役所の食堂へ。これも最終で、ご飯物がないとのこと。ラーメンを食べて、午後の授業へ。ただ、のんびりして、快い。
 急いで帰宅し、午後7時からの田村市の関連死審査委員会へ。高速を利用するが、それでも自宅から田村市役所まで約1時間。小1時間の会合で、帰途。眠くなく、快適なドライブ。念のため、安達太良SAで、温かいココアを飲み帰宅。案外、早かったので、妻と「飛露喜」を少量飲む。明日も会議があるが、そろそろ年内の仕事は終了か。(12/21)<36869>


◇ 月曜日、忙しかった。
 福島大学の研究倫理委員会が、午前9時から10時まで。自宅を8時10分頃出たが、思いの外、道路は混んでなく、余裕の到着。簡単な審査が2件。予定通り終了。しかし、非常勤の講義は1時から。時間が余る。いつものレジュメ印刷をして、約束していたNさんとの雑談。60代後半の彼の実兄が突然亡くなり、大変。
 午後1時から4時までの講義を終え、コープふくしまへ。常任役員会だが、S常務が手術。経過は良さそうなので、ひとまずは安心。しばらくおとなしく入院せざるをえない。年内は、ゆっくり休んで欲しい。(12/19)<36831>


◇ あっという間に一週間が過ぎてしまいました。光陰矢の如しです。
 月曜日(12日)は、コープふくしまの朝礼の日。自宅に戻り、少し準備をして、福大の非常勤へ。その後、コープの常任役員会に出て、7時半からは、友人から誘われた映画「知事抹殺」。佐藤栄佐久元福島県知事の逮捕・判決を扱った映画。話題を呼んでおり、映画館満杯の入り。その後の原発事故が、この事件が原発がらみのものであることを推測させる。

 火曜日(13日)、コープふくしまの「ワーイわい交流会」という組合員の交流会。私以外は全員女性でしたが、挨拶の後、一緒に体操をして体を解しました。午後3時からは、コープながのの皆さんからの贈呈式。夜は、懇親交流会。Facebookのお友達も増えました。長野から福島まで、今では3時間を切っているようですが、いつか日帰りでも行ってみたいものです。

 水曜日(14日)は、桜の聖母の非常勤。午前と午後の2回。ベトナムからの四重奏団が15日に予定され、私も呼びかけ人なので、参加する予定でしたが、会合がぶつかり、前日の郡山公演に出かけました。新幹線で、あっという間でしたが、時間があり、郡山市中央公民館まで、迷いながらも徒歩。お陰で1万歩を超しました。北海道からの寺本さんと一緒に。郡山駅まで徒歩で帰りました。

 木曜日(15日)は、9時半からのコープカレッジ。ベトナムの食と題して、信濃さんの指導で20名ほどが調理実習。昼前に終わるか心配していましたが、さすがベテラン主婦の皆さん。美味しいベトナム料理をいただきました。講師の依頼では、県国際交流協会にお世話になりました。
 昨日、テレビが壊れたので、近くの家電店に偵察に行ったのですが、結局、買ってきました。翌日配達の予定。
 夕方に開催される知事と県議との懇談会に参加(いわゆるそば会)。お世話役ですが、なかなか県議の皆さんの名前と顔が一致せず、私は、十分なコミュニケ―ションを取れませんでした。夜は、ベトナム四重奏団を観てきた妻を自宅まで送り、その後9時過ぎからの小さなレセプション。

 金曜日(16日)は、委員会関係で、県議会の常任委員会(総務)で質問を受けました。事務担当者が、十分な答弁で、こちらは同席しているだけですが、緊張はします。

 今日の土曜日。桜の聖母の休講を回復するために、朝9時から昼まで補講。数センチの積雪があり、渋滞を恐れたのですがスムーズに到着。通常は、1週間で4コマですが、補講があり、今週は6コマ。さすがに準備がアップアップ。遅めの昼食後、小雨の中、灯油7缶を購入。冬の雰囲気です。夕食は、いただいていた「飛露喜」を飲みました。静かな土曜日の夜です。(12/17)<36808>


◇ 金曜日(9日)は、コープふくしまの定例理事会の予定だったが、県議会の代表質問に出席のため、代行してもらった。県議会自体は、共産党会派の代表のみで30分、執行部の答弁。再質問・再々質問もあったが、1時間10分位で終了。コープの会議は終了していない時間で、連絡を取ったが、順調な進行なので、敢えて途中からの参加はしなかった。
 土曜日の今日、コラッセふくしま12階の「ki-ichigo」で、福島大学退職者の会の忘年懇親会。中井学長・垣見組合副委員長も来てくれた。中井学長からは、福島大学の現状(食農学類新設の動きなど)を説明してもらった。ビンゴなどの余興も初めての試みで行う。夕方、帰ってきていた次女とともに、飯坂の源泉かけ流しの温泉へ。37度〜39度と、温泉の温度が低いといわれたが、寒いほどではない。水道を入れないでも入れるので、まあ、快適。

 いつもお世話になっている札幌の土井先生から、福島への思いの原稿をいただき、ブログ(ふくしま復興支援フォーラム)に掲載させていただいた。遠くで、いつも福島のことを温かく見守り、支援してくれていることに感謝が絶えない。土井先生は、福大の学芸学部を卒業し、札幌で教師生活。いまは退職教員の会で、活躍している。娘さんも、わざわざ、創設した行政社会学部の第1期生として送ってくれた。こうした、卒業生の支援があって、大学も存続できるのだろう。有り難い。(12/10)<36707>


◇ 木曜日。県議会も、今日は代表質問。私が出席する当番。
 自民党の会派代表と、民進党・県民連合の会派代表の代表質問。30分の限られた時間での質問に対して、知事はじめ執行部が答える。ほぼ、合わせて1時間。2人で2時間。最初の質問者の時の傍聴席は、満杯。福島市選挙区出身ということもあり、後援会の皆さんか。質問者が変わると、どっと傍聴席がからほぼ空になってしまう。
 出かける前に、パソコンの不具合に手間取っていて、出発時間が遅れ、昼食はとらず。昨日のダブル宴会もあり、今朝の計量は針がぐんとあがったので、昼飯抜きでいいやと出かけましたが、議会中、さすがに空腹。音はなりませんでしたが(笑)。

 帰宅後、ウトウトしながら、夕食後は、京都の義弟の送ってくれた宝塚のDVD。彼らは、近くなので、しばしば通っているので、私もいつか見たいものだ(冥途の土産としても)と、言ったせいか、送ってくれた(9月9日の公演の録画)。雪組のステージ。北翔海莉の引退記念。グランドステージ「桜華に舞え」とロマンチック・レビュー「ロマンス!」。華やかなステージで、別世界。宝塚は、友人の父上の葬式のために訪ねたが、葬儀場と劇場は遠かったのかもしれない。そんな雰囲気はなかったが、喪服で劇場に行くのも不謹慎だっただろう。東京でも公演しているが、北翔海莉という名前も初めての、全く知らなかった。田舎にいると、そういう家での話題は別世界。いつか、見る機会があるかもしれないが、今日のDVDを思い出すだろう。(12/8)<36686>


◇ 3日が過ぎた。いつものことか。
 月曜日(5日)、福島大での非常勤講義(2コマ)。結局、使用していた教室は暖房の故障で、簡単にはなおらないので、最後まで変更。マイクがあるので、かなり楽になりました。コープの常任役員会に出席して、帰宅。
 火曜日(6日)、妻のインフルエンザ注射のための送迎だが、迎える時間を誤解して、悪いことをした。午後、県議会の開会式。知事の方針演説が主で、40分ほどで終了。3時から委員会。条例案に対する意見審議など。手作りの和菓子が美味しい。
 6時半から、市内AOZで、「第103回ふくしま復興支援フォーラム」。飯舘電力の千葉専務取締役に、再生可能エネルギー問題の話。実践を交えて、興味尽きない話。前日、エジプトからの帰国で、申し訳ない。プロジェクターとの接続がうまくいかず、開始時間が15分ほど遅れるが、28名の参加。そろそろ前年までのペースに近づいたか。千葉さんの奥様も来ていただいて、また新たな出会い。

 被災地見学に、フレコンバック(1トンが入るのでトンバックと言っている)の山で度肝を抜かれるが、単に、被災の深刻さ、復興の困難さのみならず、市民の復興の取り組みか、再生可能エネルギー、太陽光発電の広大な施設を見てもらって、被災の深刻さと市民の力による微かな復興の光を見てもらう意義を感じている。絶望の中にも、市民の逞しい復興の足取りを。
 水曜日(7日)、市内短大での午前午後の非常勤。昼食は、帰宅しないで、食堂でパン(障害者の授産施設かな、シャローム)を買い、近くの喫茶店で、一人美味しいコーヒーをいただく。「MIYABI」。マスターは、福大の国語科の卒業生。小さな喫茶店だが、落ち着く。午後の講義の前に、担当の先生から相談を受ける。
 夕方帰宅し、7時半からの福大法律系の懇親会。非常勤講師の慰労と称して、奢られてしまった。9時半ころ、約束していたMさんとホテルで落ち合い、先日行ったジャパニーズ・バルの「RIAS」で歓談。とはいっても、オーナーやお客を含め、世間話。病床の奥様の話を詳しく聞きたかったが、今日は、彼の慰労。いつもと変わらぬ様子に、一安心。どこまで寄り添えるか、私も努力しよう。ノンアルコールだったが、帰宅は12時過ぎ。忙しい日だった。(12/7)<36668>


◇ 青空の見える暖かな日曜日。福島大学にある松川資料室に、非常勤の短大の学生を引率して訪ねる約束をしていたので、福島大学まで。講義で話した松川事件に関心を持ち、卒業研究でテーマにしたく、資料室に訪ねたいというので、引率することにしたのです。
 1人だけでは、説明をしてくれる伊部先生にも申し訳ないと思い、関心ある人がいれば一緒に行きませんかと、ネットで呼びかけました。5〜6人来てくれればと期待したのですが、一人だけでした。お一人高齢者の方が、関心を示してくれたのですが、結局は来ませんでした。忙しいのでしょう。世界遺産(記憶遺産)に登録するためには、地元の要望が強くないとダメだと思っているのですが、全国から関心のある人や団体は来てくれていますが、肝心の地元の人が少ない。大学の学生や教職員も関心が高くありません。学生が、あなたの所には「松川資料室」があるよねと聴かれて、何もしらず、応答ができなかったという恥ずかしいことも聞きます。教職員も、実際、資料室に入ったことがある人は、1割に満たないと思います。まず、訪ねることから、その価値があるか否かを理解できるでしょう。

 図書館の1階(事実上地階)なのですが、セキュリティの問題もあり、アクセスがしやすいものにはなっていません。以前、あったトイレも外されているので、まったく公開性に問題があります。しかし、これは、多くの人が足を運ぶ人が多ければ、問題解決の見通しが出てくるかもしれません。街づくりでも言われますが、ないもの、欲しいものを挙げるだけでなく、「ある」ものをいかに最大限利用するかがカギです。大学も同じで、多くがあるとは思えない福島大学の「宝」と思っているのですが、なかなか理解していただけないようです。
 退職者が、難しい要望を突き付けていると思われるかもしれませんが、20人の被告全員を無罪にした、戦後最大の冤罪事件と思いますので、他にはない貴重な資料と考えています。頭だけで考えないで、足しげく通う人が増えるのが一番です。今日は、1人でしたが、今度は2人になるよう、自らの努力が必要です。まあ、残されてる時間は少ないのですが、その間に、僅かでも理解者を広めたいと思っています。

 JR東日本の新幹線の「トランベール」に、福島の復興のことが特集されていたことがあります。結論は、福島は必ず震災から復興するという結論ですが、それは、会津藩は戊辰戦争で敗北し、差別をされてきたが、見事復興したからということです。私は、戊辰戦争よりも、自由民権運動の歴史、松川事件全員無罪の歴史こそ、福島の復興を確実にする原動力と思っています。行った学生(社会人)が、その資料室の資料を見て、キラキラしていた眼に救われました。また来ますと。40になっても、50になっても、真摯に立ち向かう人がいることに救われます。遅いということはない、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」ですね。そうか、明日の非常勤講義の際、関心を持つ人がいるか聞いてみよう。やってなかったな、反省。(12/4)<36617>


◇ 12月になってから3日が過ぎました。師走の忙しさか、日記でなくなり、3日記になっています。
 1日は、松川資料の世界記憶遺産の登録のために、仙台の協力団体と弁護士事務所を3人で訪問。人の車に乗せてもらうのは、ゆったりしたものです。松川事件の無罪運動のために運動を支えていた故小田島さんが残した資料です。段ボール10箱くらいあるでしょうか。弁護士さんの資料とは異なり、運動関係の資料が多そうです。福島の受け入れ側の検討を経て、受け入れ、整理することになるでしょう。問題は、作業と資料室の整理ということになるでしょう。なかなか持続的な体制が整いません。
 弁護士さんに、登録推進運動のお願いをし、仙台市博物館へ。ここには、同じ記憶遺産の慶長遣欧使節の大使、支倉常長が海外から持ち帰った資料(国宝・ユネスコ記憶遺産)があり、われわれのめざす目標があります。実質は、国の方から、所蔵している国宝を申請しないかとの誘いがあり、住民の運動で登録申請しようとする「松川資料」とは異なりますが、どのように所蔵・展示されているかを見ることができました。担当者が不在のため、詳しいことは聞けませんでしたが、後日、連絡することにしました。
 帰宅後、ベトナム四重奏団の呼びかけ人会。

 2日は、コープカレッジの事務局の打ち合わせ会。第6期も終わろうとしていますが、来年以降の企画などについても話し合いました。帰宅後、市内短大での夕方の補講の準備をして、出かけますが、終了が6時頃で、すっかり外は暗くなっています。何か夜間の授業をしている気分です。

 今日・土曜日も、もう一つの講義のコマの補講。9時から12時までの2コマ。休講したための補講ですが、天気の良い土曜日、学生には気の毒です。午後は、6日のふくしま復興支援フォーラムの資料づくり、ガソリンを入れ、先日の被災地案内で、泥の付いた車の洗車。そして、1月から2月の3回のフォーラム(104回、105回、106回)のための会場申請、料金支払いをしてきました。少し、金が底をついてきましたので、カンパのお願いをせざるを得ません。(12/3)<36606>



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