日 記(備忘録)

(2017年1月)


<今野順夫の部屋>

◇ 1月も終わりました。夕方、第105回の福島復興支援フォーラムを開催。映画館(フォーラム福島)の支配人の阿部泰宏さんに報告をいただきました。参加者に不安がありましたが、映画好きがいるものです。32名もの参加者。まずはよかった。今後の展開をどうするか、少し頭が痛い。(1/31)<37448>


◇ 日曜日。先週、今週の金曜日・土曜日、2週連続の旅行(舞鶴、牛久・木更津)で疲れたのか、少しダラダラ。
 夕方、本屋まで運動不足解消の散歩。車道中央部は除雪されているが、歩道のない道は、両端が積雪。さすが、雪の上は歩きにくい。滑るまいと要らぬ力がはいるのか、最後には足首が痛くなった。歩道も陽が当たる側は乾いているが、反対側はびしょびしょ。ようやく自宅に着いて、万歩計をみると、どこかに紛失。歩いているうちに落としたか。100円ショップで買ったのに。スマホの方をみると6000歩ほど。今週末の通院は心が重い。(1/29)<37402>


◇ 金曜日(27日)、朝6時15分福島駅発のバスに乗って、茨城・千葉の旅。牛久大仏に寄りましたが、稀勢の里の横綱昇進の祝賀ムード。隣の龍ヶ崎市と、どちらが郷里か、争っている(?)ようですが、いずれにしろ地元の誇り。発酵の里こうざきで昼食・買い物、香取神宮、木更津のホテル。ゆっくりした日程で、朝、ホテルの窓から富士山も望めました。
 土曜日は、濃溝の滝、鴨川・菜な畑ロード、道の駅保田小学校(廃校の施設を使用)、東京湾アクアライン・海ほたる、話しには聞くが、恥ずかしくも、この年で初めて。前日は、強風のため通行止めになっていたので、天気も良くラッキー。スムーズに首都高を抜け、8時頃に福島駅着。まあ、窮屈なバス旅行ではあったが、茨城・房総など、なかなか行けなかったので、満足。(1/29)<37396>


◇ 水曜日(25日)は、短大の講義。日本国憲法は、最後の講義。なんとか全般的に触れてきたので、最後は、現在の憲法改定の論点について話しました。講義のまとめ的なものです。感想文には、後ろの方の席で雑談しているのに、注意をしないのですか、との書き込みがあり、びくっとしました。どうしてか、同じ科の仲間なのか、後ろの集団。視覚的には、こちらを向かないで、隣とおしゃべりしている者に注意をしたことはありますが、時間が取られてしまうので、無視していることもあります。雑音は、教壇までは遠いので、私には聞こえていなかったかも(耳が遠くなったのか?)。他大学では、あまり「静かにしなさい」という指導をする機会がなかったので、真面目な学生を失望させたかも。
 昼休み、駅などに出かけ、コラッセでたこ焼きを食べて、これが昼食。飯坂の青年でしたが、店は持たないで、イベント的にやっているようです。大変美味しかった。
 今日(木曜日)、一月後の旅行の切符と駅の無料駐車場の確保(しばらくぶり)。午後は、映画「沈黙」をみてきました。フォーラムで他の映画3回見たので、無料の1回分。遠藤周作の原作を読みたくなりました。(1/26)<37362>


◇ 風邪なのか、花粉症なのか、あまりファイトが出ないので、終日、宅勤です。
 熱もないので、インフルエンザではないでしょうが。積雪があり、冷蔵庫の中にいるような気がします。雪が降ると喜んで、雪合戦に興じる時代が懐かしい。(1/24)<37341>


◇ 寒い日が続きます。
 日曜日(22日)は、街に少し出かけた以外は、ずっと家に閉じこもっていました。寒いのは、年のせいでしょうか。花粉症と風の引き始めか、鼻水が止まりません。本当に、ティッシュペーパーの箱が、すぐに空になります。困ったね。
 月曜日は、福大での非常勤講師。雪があり、駐車場は山の上。大分、鼻水は治まりましたが、2コマ3時間、鼻声で大変です。3時間たちっぱなしですが、少しヨロヨロします。何とか、終え、コープの会議へ寄って、帰宅。全然、集中できないので、テレビをみつつ、早めの就寝。(1/23)<37325>


◇ 金曜日・土曜日と京都の舞鶴に行ってきました。
 松川事件・松川資料の世界記憶遺産登録申請にかかわって、2015年に登録された舞鶴引揚記念館の視察です。舞鶴自体が初めての地なので、鉄道の経路も分からなかったのですが、福島を6時33分の新幹線で発ち、京都から山陰方面。若狭湾に向かいます。京都11時25分発で、綾部(山陰本線)で乗り換え、舞鶴線で東舞鶴まで。そこからタクシーで記念館まで。資料も立派だし、館長さんや学芸員さんが丁寧に応対してくれて、さすが登録された記念館だと思いました。

 舞鶴というと、「♪母は来ました、今日も来た♪」という、双葉百合子の「岸壁の母」を思い出しますが、若狭湾をみて、大きな船が近づいてきて、はたして乗っているだろうかと、この岸壁に通い続ける母の姿が偲ばれます。天気は良かったのですが、道端には雪がありました。日本海ですから、寒いです。「岸壁の妻」というのもありましたが、なぜか「母」が有名です。
 第二次世界大戦の終結後、海外諸地域に残された日本人約660万人の速やかな帰国を実現するため、昭和20年に国の事業として、まず軍港だった舞鶴はじめ、浦賀、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島、横浜、仙崎、文字の10箇所を引揚港に指定(その後も函館や名古屋も追加)。昭和20年から33年まで13年間行われました。(中国、朝鮮半島、東南アジア、それ方面からの軍人や民間人の民族の大移動「引き揚げ」)。
 舞鶴港には、引揚者66万4531人ですが、その約7割は旧ソ連方面からです。特に舞鶴が長い間引揚港だったのは、日本が連合国側に占領され、外交権を喪失し、ソ連との直接的な外交交渉が行えなかったこと、また主権回復後も、米ソ冷戦の影響を被り日本がソ連と国交を回復しえない政治的状況が続いたことなどで、シベリア抑留の終了には、1956年まで要したことがあるようです。

 シベリア抑留では、ソ連内で強制的に連行され抑留された約60万人が、強制収容所(ラーゲリ)での生活が強いられた(酷寒の気候と飢餓状態、重労働で約6万人の命が犠牲になった)。記念館には、ラーゲリの状態も、再現されています。
 私が生まれる1か月前の4月に父は出兵しましたが、終戦後なかなか中国から帰ってこず、帰郷後、芋を掘るから掘らないように連絡しつつ、なかなか帰ってこなかったと話は聞きましたが、どういう経路で帰ってきたのか、聞き逃ししてしまいました。舞鶴以外の港だったのでしょう。ぜひ、一度、見てほしいと思います。この年になってはじめての見学、遅すぎました。
 歴史的事実の重さ、引揚者の協力や熱望、多くの国民の支援(署名)、そして行政の積極的な推進で、記憶遺産登録は、当然だったのかもしれません。
 松川資料の現段階は、行政などの支援を含め、大きな課題や困難があるので容易ではありませんが、舞鶴の経験からも学んで、進むしかないと思っています。

 福島から3人、東京から1人、大阪から1人の5人の視察でしたが、西舞鶴駅前で宿泊し、翌朝に解散。私は、福島からのYさんとともに、折角なので、天橋立まで足を延ばしました、天気予報とは異なり、好天で、初めての機会ですが、よかった。後は、一路、福島へ。大宮駅で途中下車して、友人のMさんとしばし懇談。10時頃の帰宅。やはり遠いですね。しかし充実した旅でした。(1/21)<37304>


◇ 寒さは少し緩みましたが、道路がまだ、ガリガリしています。
 昨日・水曜日(18日)、市内の短大での講義。午前・午後の間、昼飯を自宅でとるべく戻ってきました。午前と午後の進度が異なり、午前の方はあと1回を残すのみ。午後はあと3回を行い、筆記試験です。
 夜、土湯温泉へ。松川事件関係の記念会の理事会があったらしく、その流れでの泊りがけの新年会。私は、会議の構成メンバーではありませんが、松川賞の運営委員会の関係で、招待されました(とはいっても自費ですが)。久しぶりの温泉、疲れを癒しました。高齢化した新年会でした。75歳以上を高齢者とすると、もっと多様に見えるのかも知れませんが。准高齢者ー高齢者―超高齢者(笑)。

 朝、自宅に戻り、いろいろと職場でいじめにあっている方の相談を聞きました。信じがたい面もありますが、ハンディを抱えながらも、仕事に生きがいを持っている方ですので、納得できないことで生きがいを捨て去らないようにしてほしいと思います。誤解も解けて、元の職場に戻れるようにと、願っています。
 午後は、県の委員会。新年初めの会議。また新しい年が始まりました。労働者に「自律性」を求めるのは、それを可能とする体制構築を含め、なかなか難しい問題と思っていますが、そうした自覚と能力が、体制をも変える力になるのでしょう。事務局が、詳細なデータを基に検討していること、現場の具体的な実情把握をしていることに感動です。一定の枠内での検討だけではなく、その目的を明確にしながら、新たな分析視覚で検討することは、取りも直さず、自立型労働者像への具体的な接近の形でしょうか。自らの研究や仕事にも跳ね返ることですが。(1/19)<37272>


◇ 火曜日。
 阪神淡路大震災の22周年。被災地に多くの人が集まり、祈りの集会。当日生まれた若者が22歳になって、語り部として活躍している姿を放映している。阪神の経験を、福島に復興のために学び、具体的な支援を受けてきた。神戸の方々の粘りづよい活動に敬服。
 東日本大震災の地で、22年後に同じように継続できているか。震災2週間後に生まれた孫は、22年後(今から16年後)に、同じように語り部として活動しているだろうか。
 特に予定がないので、リサイクルの新聞紙などを出し、灯油を7缶買ってきた。寒くなってはこれも大変。
 舞鶴行きの切符を購入。初めての地、少し足を延ばす予定だが、未知の地は興味が尽きない。義弟家族は、台湾旅行から帰ってきたらしい。大人の休日の利用も、今度でJR東日本以外に2回目。4月からは、少し計画的に足を延ばしたい。(1/17)<37250>


◇ 大寒波襲来の月曜日。
 福島大での非常勤。辿り着けるかどうか、道路が心配でしたが、昼前の走行なのでスイスイです。大学も、センター試験の疲れが残っているようですが、正常化しているようでした。
 2コマ、3時間の講義ですが、何とか済ませました。あと残るは2週。当たり前の話ですが、やはり講義の準備というか、日常的な研究の積み重ねがないと、話しに力が漲りません。大学・短大の講義は、もうすることがないでしょうが、講義をしなければならないということが、僅かでも準備のための勉強をさせます。その意味では感謝をしなければなりません。
 終了後、コープの定例の会議のために辿り着いたら、今週は休みだと思い出しました。まあ、良しとしましょうか。
 大寒波は過ぎ去ったようですが、一日一日、有意義に過ごしましょう。(1/16)<37239>


◇ 今日は、日曜日。朝からしばれます。
 昨日・今日と大学入試センター試験。よりによって大寒波襲来。受験生が可哀想です。北日本だけでなく、広島なども積雪。備えが十分でない地方の方が大変だと思います。
 受験生や親だけでなく、監督や裏方の準備をしている大学職員も大変だと思います。数年前まで、受験生並みのパニックの朝ですが、定年退職で、業務から解放されると、その大変さを忘れてしまいます。親も、終わってしまうと、思い出の一コマかもしれませんが、あのハラハラした思い出は、繰り返したくありません。孫たちの受験期まで長生きできるかどうかわかりませんが、そんな試練を通して大人になっていくのでしょう。
 みんなに、希望と夢を持てる春が来てくれればいいと思います。(1/15)<37217>


◇ うわー、寒い。大寒波の襲来です。雪はそれほどないが、しばれる。
 金曜日(13日)、コープふくしまの挨拶回り。早めに考えていたが、この日になった。9時過ぎ、専務と専務補佐との3人で、マスコミ(福島民報、福島民友)への御年始参り。民報は、社長まで出てきて、懇談。気さくな社長だ。取引業者さんにも回って、昼前にコープ本部へ戻る。
 午後からは、コープの定例理事会があり、その後、新年会なので、駅前のグリーパレスで継続して行う。いろいろと解決すべき課題があり、いろいろと学習しながらの会議。新年会も、和気あいあいと過ごす。翌日のセンター試験対応や、体調不良で欠席する人もおり、健康維持が大きな課題。

 土曜日(14日)、右腕が痛く、以前の整骨院に通う。以前は左腕だった。寒いせいもあるのか、激痛ではないが、右腕・右手は利き腕なので、何かと不便。帰宅頃、近くの買いもに付き合う。いつもの自転車では、とても危ない。
 午後、市民会館のホールでの「夜間中学を知る集い」に参加。昨年12月7日に教育機会確保法(「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」)が制定され、いままで自主的な取組みが福島でもなされていたが、文科省の取り組みにもなった。
 第1部は、映画「こんばんは」の上映(森康行監督)。森監督とは、以前、福島市内での喫茶店でお会いしたことがあった。「種まきウサギ」という高校生中心の映画の支援要請だった気がする。あまり具体的な支援は出来なかったが、いろいろと話し合えた。映画自体は、夜間中学に通う方々(10代から90代まで)の淡々とした語りが中心のドクメンタリー映画。第2部は、文部科学省の前川喜平事務次官の講演。「夜間中学と日本の教育の未来」。全国的未就学者は約12万8千人。そのうち日本国籍が約12万人(約94%)。福島県は2344人である。文科省の施策の説明が中心だが、憲法26条の教育を受ける権利を全ての人権の前提と位置づけ、文科省の官僚としては積極的な講演内容であった。

 以前から、自主的な夜間中学に関心を持っていたが(山田洋次監督の映画の影響かもしれないが)、未就学者問題は、不登校にせよ、外国人の問題にせよ、しっかり取り組むべき問題と考える。講演でも、子どもの教育を受ける権利を、外国人も含む問題としても位置付け、積極的な姿勢。国際交流協会で行っている日本語講座、各種交流も、こうした夜間中学問題にもリンクしてはどうかと思う。また、不就学者に限らず、もっと生涯学習の機会の拡充(コープもその中心を担うべきだろう)の問題としても、位置付けるべきものと思う。(1/14)<37205>


◇ 寒く、5センチほどだが積雪あり。寒い。背中が寒いのは、年のせいか。
 玄関前を少々、雪かき。灯油を入れる。
 松川資料記憶遺産の件で、打ち合わせのため、街に出かける。以前に登録している、舞鶴(引き上げ船の記録)に出かける相談。直ちに成果が上がるものではないが、何か一筋でも手がかりをつかめたらと思う。仙台も、舞鶴も、自治体がかなり力を入れての実現。この地元の支援が、まだ受けられていないのが、最大のネック。

 夕方、第104回目になる「ふくしま復興支援フォーラム」の開催。寒く、宣伝不足なので、参加者が少ないのではないかと心配。佐藤宏美さん(ふくしま連携復興センター)の「広域避難」の報告。県外避難者の実態に触れて、興味ある話。報告者の関係者も少なくなく、39名の参加となる。20数名で再出発したので、うれしい。佐藤宏美さんは、長女の小中高の同期生。何か、娘みたいなもので親近感。提出されたご意見等、実態を理解する意味で、好評だった。106回目まで企画済みだが、フォーラムとしての系統性や拘りが欲しい。(1/12)<37177>


◇ 月命日の11日が来た。震災後5年10カ月。
 水曜日。市内の短大の非常勤講師。午前中の講義は、今日を含めて残すところ3回。どうしても私語をやめず、前方をみない3人集団がいたので、終了後、前に来るように指示。私語が多いので、一つ席を開けるように指示していて、ほぼ徹底していたのに、なかなか直さない。その指示を知っていたかと聞くと、全然知らない。その時も私語をしていたので、聞こえなかったか。あまり反省している気配もないので残念。何を言われているのか、理解していないみたい。講義中に、注意をするとこちらの調子が狂うのだが、終了後だから、まあそれはないだろう。新人類なのか、理解ができない。
 午前と午後の講義の合間が2時間ほどあるので、コープふくしまに戻り、昼食と明日のフォーラムの事務的準備。
 午後、短大に戻り、午後の講義。こちらは休講もあったので、今日を含めて5回の講義が残っている。
 寒波が来ているらしく寒い。車の外気温度は1度。何か、背中が寒い。こうなると、早く冬は去り、春が待ち遠しい。(1/11)<37166>


◇ 連休の後の火曜日。
 コープの組合員理事の理事協議会に出席。いつも常務や専務が出席するが、出張などが重なり、私が出る。殆ど自主的な運営をやっているので、特に問題はない。組合員のイベントや取り組みについての協議だが、多くの行事や課題があり、大変だ。数人の委員会活動など、生協の強さは、こうした組合員活動にあるのだろう。どうしても、専業主婦が多いが、働く方々や、男性、高齢者なども組合員活動の一環を担うことができたらいいなと思う。社会の変化に、対応しながら、課題達成を図らなければならない。
 午後から、「第9回 市民・地域共同発電所全国フォーラム in 福島」の実行委員会。東北では初めての開催。原発事故を抱える福島の地で、再生可能エネルギーのフォーラムを行うこと自体、大きな意味をもつ。福島県は原発に依存しない社会をめざして、自然エネルギー100%を目指している。それを内実化できればいいと思う。この分野は不勉強だったが、この際、勉強してみたい。福島復興の一つ、女川復興の一つとしても考えてみたいと思う。それにしても、勉強する課題が多い。先日、訪問した90代の恩師に、わからないこと、新たに知ることは楽しいといわれ、反省した。遅すぎることはない。(1/10)<37160>


◇ 月曜日だが成人の日の祝日。昔は、成人の日は1月15日に決まっていたが、最近は、連休を多くしようと日曜日の翌日にしているようだ(大学の月曜日配当科目は大変。別の曜日を「みなし月曜日」として凌いでいる。)。
 コープふくしまでは、月初めの月曜日は、本部職員の「朝礼」。冒頭の理事長あいさつは、悩みの種だが、新年でもあり、新年の挨拶のつもり。トランプ、施行70年となる憲法改正問題、震災復興の問題、コープふくしまの組織統合問題などについて触れたが、何よりも、職員の健康な生活を願った。

 そのまま福島駅に向かい、仙台の恩師宅への新年のご挨拶訪問。伊藤さん、高木さんと合流しての訪問。年末年始を台湾で過ごされてきたので、その土産話。恩師は、私より20歳も年上。その尽きない研究意欲に脱帽。美味しい昼食をいただき、帰ってきました。(傘を忘れてしまったが・・)。

 福島に戻って、コープの常任役員会。本人及び家族が体を壊されて、入院した話もあり、くれぐれも健康には留意してほしいものだ。夜、10時からのNHKスペシャル 東日本大震災「それでも、生きようとした〜原発事故から5年」。番組のホームページでは、以下のように解説。「2015年、世界的な医学誌が掲載したあるデータが注目された。年齢構成をならして他県と比較した福島県の自殺率が震災から4年経って上昇していたのだ。福島での心のケアにあたるNPOは、ここに来て震災後の新しい環境に適応する人と、それができず落ち込む人との二極化が進んでいると指摘する。原発事故で故郷に戻れぬ不安定な生活を続ける人、仕事や家族を失い孤立する人・・・。被災者の心に今、何が起きているのか。報告する。」とある。関心が薄くなってきている時期、油断しないで、寄り添う活動の大切さを訴える。仮設住宅の方々に対するコープのサロン活動も、他団体からのものが少なくなってきている時期でも継続しているのは貴重だが、いま、本当に何を基本に寄り添っていくのか、考えてみる時期だろう。

 2月26日に、横浜で鈴木さんとともに講演することになったが、私はあくまでもサブ。鈴木さんの体調を心配しての同行。テーマが福島のことだが、その主催団体の方には、女川等の支援にも大きな力を寄せていただいたと、娘から連絡。何が縁か分からないが、こうした機会を通じて、皆さんの支援に感謝をしてくる義理があろうし、皆さんの力を、どのように貸してもらうか、よく考えてみよう。不思議な縁だ。生きていくことは、また新たな人々との出会いをプレゼントしてくれる。楽しからずやである。(1/9)<37142>


◇ 日曜日。
 明日の恩師宅訪問に際して、手土産を農協の販売所に買いに行く。いつもだが、福島の果実・農産物を持っていく際に、相手は、気にしないなと確認しながら買う癖がついてしまう。そんなことを思いもしないで、買える時期が早く来ればいいと思う。

 午後、長めの散歩。昔の隣村(大笹生村)の小学校まで。福島に編入される前は、私が住んでいる笹谷(村)と大笹生(村)は、隣村。さすがに広大な農村地帯。地図ではみたが、延々と続く広大な農地の中の散歩は、結構大変。往復1万歩。ほぼ2時間近く。やり過ぎかな、天候もひどくはなかったので、まず良しとする。
 大笹生小学校が目標ではあるが、その近くの寺見学。今日は、大福寺。七福神の石像もあり、面白そう。信達三十三観音の第9番札所。寺の内部には入れなかったが、いつか見てみたい。FBに書いたら、他の信達三十三観音もあるらしく、勉強して整理が必要だ。

 確認はできないが、自由民権運動家の墓もあるらしい。地元・大笹生の佐々木宇三郎氏(郷土史関係のブログMASAの道中日記に詳しい。その1その2)。戦後の松川事件とともに、自由民権運動など、郷土史的にも興味がつきない。そのうちに、車を棄てて、郷土史と散歩の両立に向かうのが高齢者の辿る道かも。
 横浜のEさんから、銘菓と本が送られてきた。知人を被災地案内したことのお礼ということだが、そんな気遣いしなくてもと思いつつ、感謝。(1/8)<37130>


◇ 土曜日。
 4週間毎の通院が、予約の日程がとれず、7週間後の今日。年末年始の御馳走で、さすがハラハラしての診察。ここ10日くらいは、意識して5000歩目標に歩いていたので、少しは改善の期待はあった。結果は、期待は甘かった。少し悪化。薬局でこの間の平均値だからと慰めてくれたが、7週間全体を運動していたわけではない。今度は、4週間後の検査の日まで、早めの対策が必要。次回検査は、検査項目を増やすとのこと。

 天気はいいが、少し憂鬱な日。午後、散歩を兼ねて、コープの本部まで。いつもは車で10分ほどだが、徒歩だと40分くらいかかる。万歩計は片道5000歩くらいか。車だと、目に入らない店や風景を、思わぬ発見。それにしても、飯坂街道真っ直ぐな道。見えていて進まない。狭い歩道も、後ろからの自転車に気が付かないので、危険。

 毎年の人間ドック(がんドック)。予約状況を聞いたら、3月までは混んでいるらしいので、4月にしたいといい、4月のスケジュールがほぼ分かった段階で、予約することにした。4月からは、少なくとも月曜日と水曜日の非常勤講師は、なくなるので、かなり余裕のある日程になるだろうと思う。大学に勤めはじめてから、非常勤にせよ、講義がないのは初めて。講義(準備)もかなり疲れるようになり、そろそろ限界と思っている。寂しい気持ちもあるが、時間を自主的に使えるので、期待している。問題は、何に使うか。定年退職時期の10年ほどは、研究者としての生活ではなく、雑務係。その延長がそろそろ終わるということか。主観的にせよ、充実した時間を過ごしたい。健康に留意しながら。(1/7)<37122>


◇ 金曜日(6日)。
 午前中、コープに出かけ、資料の整理。
 午後、ゆったりするも、夕方散歩。今日は7000歩まで伸ばしたが、これでは数値もよくならないだろう。もっと、以前から計画的に行うべき。後悔先に立たず。まあ、仕方ない。明日の病院は、行きたくないね。登校拒否ならぬ、登院拒否だね。
 フランス留学の日本女性の行方不明問題がニュース。容疑者は、チリにいるようだが、3カ国が絡むと、捜査が難しいのだろうか。(1/6)<37107>


◇ 5日(木曜日)です。常勤的職員は、そろそろフルスタートでしょうが、非常勤の役職なので、恒常的仕事には、まだ入りません。午前中は、昨日の続きで、レポートを読んで終了しましたが、まだ仕事モードになっていないので、脳に刺激を与える(?)ため、セーター姿でコープ本部へ。部長に今後のことで、聞きたいこともあったのですが。
 みんな一生懸命働いているときに、気楽な姿で行くのは志気を緩ませます。どうも研究室スタイルではダメです。こういう時に限って、お取引先の幹部3人がご挨拶に見えられた。特に、約束していたわけではないのですが、専務もインフルエンザで対応できないので、私が。そのエリアに入ったら、いつでも対応できる格好でないとダメですね。失礼してしまいました。
 夕方、散歩に出かけましたが、急に風雪がはじまり、2000歩ほどで引き返し。冬の散歩には、それなりの装備が必要です。
 以前、買っていて積読でした、『高野病院奮戦記』を読んでいます。東京新聞の井上さんの著書ですが、改めて当時の大変な状況とその奮闘に感動しています。
 長女が寝込んでいて、孫たちが夕飯の準備をしている様子がラインで来ました。孫たちも成長したものです。テレビでは、老年学会が「高齢者概念」の見直しを提言しているようです。75歳から高齢者、65歳からは准高齢者。まあ、65歳のリタイアは早すぎるということでしょうか。年金財源に絡むと、何か心配ですが、75歳までは働けるというのは、元気な人にはいいのでしょうか。ただ、65歳以降は、多様ですから、働くべきものと要求するのは慎重であるべきでしょう。(1/5)<37087>


◇ 1月も4日(火曜日)。
 官公庁をはじめ、「仕事始め」のセレモニーがテレビで流れる。民間も同じようにしているだろう。コープは、1日のみ店は休みで2日から多くの従業員は働いているので、特別のセレモニーはない。各店単位で、お互いに「おめでとう」と挨拶をしていことだろう。殆どの人が、新年の業務を開始したことだろう。
 私はといえば、非常勤で課したレポートを読んでいました。出欠と、レポートと、筆記試験を総合して成績を決定する。自分の考えをまとめることの訓練を積み重ねる必要があると思うので、レポートは本人の将来のためにも有意義だと思う。

 夕方、電気店まで、散歩。ほぼ5000歩。私に真似て、孫たちは、年長組と2年生だが、万歩計をつけて遊んでいるらしい。なんでも遊びの道具になるものだ。私はといえば、一日おきに、5000歩目標の達成。これは毎日にしないとダメだな。歩数も少し延ばさないと。7日には病院で診察予定。改善するとの自信はなく、暗い。(1/4)<37066>


◇ 正月3日。
 次女も職場に帰る。
 原発事故強制避難地域で頑張ってきた「高野病院」の院長が、年末の火事で焼死した。広野町で、避難しないで入院患者を見守ってきた人だが、惜しい人を亡くした。残された患者さんのためにも、また故人の遺志からも、早急に復旧が望まれる。早速有志が、呼びかけて、医師が駆けつけているが、ボランティアでなく、国や県からの支援も欲しい。福島復興には、医療体制の回復が緊要なので、医師でなくても、支援をしたいものだ(高野病院を支援する会)。
 次女帰りしな、稲荷神社でおみくじ。東京でのおみくじが、「凶」だったので気にしていたが、何とか「吉」で落ち着き。東京周辺は、気をつけなということか。
 夕方、無事到着したということで、正月三が日も終了。大晦日に、孫たちの襲来からはじまり、元日から次女滞在。この期間、家族以外の方との会話はなかった。さあ、2017年の出発。(1/3)<37052>


◇ 正月2日目。今日は、次女とともに、外での行動。
 散歩がてら、松川沿いの嶽駒神社まで。桜の名所ですが、正月の参拝。2日目なので、ほとんど人はいませんが、いい天気で気持ちの良い散歩です。7000歩ほどの散歩になりました。松川の土手を帰りました。女川の独国和尚が、この松川の渇水を、祈祷で助けた歴史を語りながら。
 午後は、買い物に付き合って、夕方、フォーラム福島での映画。「この世界の片隅に」。呉が舞台だが、戦前から広島の被爆下など、庶民の生活を淡々とアニメで描いている。改めて、戦争が庶民の生活を、いかにズタズタ切り裂いていくかを描きながら、平和の尊さを訴えている。

 映画館から飯坂温泉に直行。公衆浴場の「波来湯」。遅かったが、お客が多く、しばらく待っての入浴。45度の表示をされた源泉かけ流しと、少しぬるい湯。熱い方に2度挑戦するも、断念。ぬるい湯で満足。急いで帰って、遅めの夕食。松阪牛の贅沢なローストビーフと、義弟から送られた沖縄土産の「請福梅酒」(黒糖仕立て、泡盛仕込み)を楽しむ。女川の被災者を取り上げた録画していたビデオを見ながら、今に思いを馳せる。(1/2)<37027>


◇ 2017年(平成29年)が明けました。あけましておめでとうございます。
 昨夜(大晦日)のNHK紅白歌合戦をみて、夜更かししたせいか、眠気の続く元旦です。多くの知人友人から、年賀状を頂きました。ありがとうございます。

 横浜から帰ってくる次女を待って、お正月、お節料理です。到着は、午後6時頃ですので、夕飯が正月料理。
 サッカー天皇杯の決勝戦を見ていました。テレビのどの番組もバラエティ番組か、振り返りとオリンピック向けの番組が多いのですが、なにかじっくり見ることができる番組はありません。

 恒例ですが、コープ組合員向けの機関紙(「協働のうから」)1月号(No.593)に掲載された理事長としての挨拶を眺めていました。「協同の輪を広げ、さらに前進しましょう!」。19万人を超す組合員の生活に、ぴったり合っているかどうか、実力不足を感じます。一人一人の組合員に寄り添い、頼みの綱になっているかどうかが肝心ですが、常に模索の課題なのでしょうか。

 全国各地の初日の出、特に女川の初日の出に思いをはせます。Facebookでの情報獲得ですが、後2年で復興完了とのメッセージが出てきて、間に合うかどうかが気にされていますが、福島の現状をみると、違いを痛感します。確かに、女川の復興計画の策定委員会に参加してた時、8年で完了の方針が出され、住民説明会では、そんなに長くは待てないとの厳しい意見が出されましたが、それもう2年間かと思うと感慨深いです。もちろん、形だけでなく、一人一人の生活の実質的な回復が問題ですが、竹浦の知人の貼り付けられていた年賀状には、この冬が、最後の冬、春になるとまた竹浦に帰られるとのメッセージがあって、住民帰還の現実を実感します。そんな喜びが、福島の浜通りでも聞ける日が待ち遠しい。形だけの帰還ではなく、安心して暮らせる帰還を。そのためには、やるべきことが多い、少しなりとも協力ができればと思う。また1年が始まる。(1/1)<37014>



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