日 記(備忘録)

(2017年3月)


<今野順夫の部屋>

◇ 3月も今日で終了。今年度(2016年度)も、今日で終わり。
 木曜日(30日)は、忙しかった。午前、県の委員会事務局に参上。他の部署に転勤する次長への辞令交付。2年間尽力していただきましたが、ぜひこの力を新分野でも生かして欲しいと思います。同時に、新年度、次長として赴任される方への辞令交付。女性の幹部職員なので、女性の登用が進むことを期待しています。
 昼から、JAのビルでの「大豆の会」の年度代表者会議。会長になっているので、議長をしなければなりません。豆腐の食べ比べ、畑の学校で製造した味噌のコンテスト。楽しい行事もあり、楽しい。県産の大豆の生産製造普及が進むといいですね。
 夜は、理事長を務めている国際交流協会の送別会。県の国際課も一緒に盛り上がりました。いろいろ世話になり、寂しいですが、新しい部署で、また元気に頑張って欲しいですね。こうした別れ(?)と出会いを通じて、人生も豊かになっているものと思います。

 今日・金曜日。コープの国見店の新築工事のための安全祈願祭。業者さん、町の副町長も来てくれましたが、神式の作法について、不勉強のため、不十分でした。申し訳ない。もう少し、事前の学習や打ち合わせが必要でした。慣れてないこと、仕方がありません。まあ、工事の安全を願うことには、他人に劣らずとして勘弁してもらいましょう。
 午後は、車のエンジンオイルを交換、夜の8時10分から、映画の無料券(3回で1枚。締切3月末)を使い、映画館へ。「ニュートン・ナイト/自由の旗をかかげた男」。南北戦争時の映画。教科書の単純記述では知らない、その実態の一部。面白かった。
 今日から、プロ野球開幕。映画館に入る前に東北楽天が4対0でオリックスをリードしていたが、映画館を出て聴いたラジオは、延長11回で6対2で辛勝。結果はいいが、まだまだ優勝を狙う実力とはいえないか。(3/31)<38223>


◇ 火曜日(28日)・水曜日(29日)は、珍しく所用はなく、自主休暇。
 今日・水曜日、昼前に花見山へ。知人の所有しているカフェに行く。多分、知人はいないだろうと思っていたが、超偶然、遭遇。
 積もる話をしながら、咲き始めの花々を眺める。所有に至る経緯を聴きながら、震災に翻弄された話を聞く。ランチは。美味しい。
 山を降りる前に、花見山を守る会の代表に寄り、車で山の上まで花案内をしていただいた。花見山公園のような人混みはないが、雄大な山を見て、桃の花、各種の櫻花、そしてカタクリの花の咲き始め。公園の方は、観光客に占領されるが、こちらは福島市民ももっと、足を伸ばしてもいい。NPOの活動を、フォーラムで話してもらうことを約束して、帰ってきた。天気も良く、春の自然を満喫した。(3/29)<38183>


◇ 月曜日。「松川資料ユネスコ世界記憶遺産登録を推進する会」 第5回拡大共同代表世話人会のため、東京へ。日比谷の弁護士会館で開催。東京・大阪から世話人に来ていただいての開催。いままで、福島での所用のため参加ができなかったのですが、今回は、福島のY先生、Y弁護士が出席できないので、議長をやらざるを得なかった。
 5月15日が申請書の提出締切なので、そろそろ内容を確定して準備する必要がある。申請書の形式等が変更され、形式的なことを担当課に問い合わせたが、コメントできないということだったようです。相手の意思を忖度して準備せざるを得ないが、形式的な問い合わせは回答しても、不平等にならないと思うのだが。行政の無謬性は、国民との間のバリア。形式的に合わないので、却下ということにならないようにしないと。
 5時半の新幹線で帰宅。寒い日でした。東北の雪と関東の氷雨。あるいは日比谷公園で桜を眺められるかと思いきや、実現せず。
 春山登山訓練で、那須で高校生・教員8名が犠牲。痛ましい。ベテランにとってもまさかの事故だったのでしょう。本当に残念です。(3/27)<38159>


◇ 日曜日。塩竃に住む孫の誕生祝いと4月の入学祝いを兼ねて、午前中から塩竃までドライブ。
 昨日の卒園式の画像を拝見。厳かな卒園行事だけでなく、歌や演技等、随分、内容の多い卒園式。これで三人の孫は保育園の同窓生となる。ちょっと寂しいところもあるが、4月からは全員、学校制度に入る。みんな同時に、等間隔で大人になっている。
 昼食後、新1年生の通学が心配なので、2年上の孫娘を連れて3人で、通学路を見せてもらい、学校まで。住宅街を通り過ぎてだが、何か、通学路としての安全性を確保しているか心配になる。いつもは、交通指導員の皆さんが要所要所に立ってもらうらしいが、大丈夫かな?問題は、危険を察知して、自分で危険を回避できるかどうか。ちょろちょろと、行動が早いので心配。往復4000歩ぐらいの距離だが、ダラダラ歩くと30分近くはかかる。
 バトミントンで少し遊び、帰路。散歩と遊びで、少々、帰りの運転は辛い。睡眠をもう少し十分にとらないと・・。

 大相撲の千秋楽。期待の稀勢の里は、負傷して2敗。1敗の照ノ富士との対戦。本割では土俵際で破り、優勝決定戦では、窮地の小手投げで破り、逆転優勝。左腕が使えず、右腕の力のみでの勝利。殆どの人が、ここまでは予想せず、新横綱の優勝は諦めていただろう。最後まで諦めず、頑張った稀勢の里に拍手。(3/26)<38140>


◇ 3月最後の土曜日。
 孫の卒園式、行けないが、親としては最後の卒園式、感慨深いものがあるのだろう。3人の孫たちは、全員2年おきにお世話になり、これが最後。最初の子から、連続で10年もなろうか。一時は、3人全員がそろった時もある。3番目の孫は、誕生2カ月後からの保育で、5年10カ月。震災2週間後の誕生なので、まさに大変な時期。親も子どもも頑張った。晴れて4月から小学1年生である。全員、小学生以上となる。彼らの人生が実り多ければいいなあ、と思う。

 午後から、「松川資料ユネスコ世界記憶遺産登録を推進する福島県の会ー発会式」に参加。5月中旬までの登録申請も迫り、何とか登録を実現したいと、地元の支援を期待するもの。112名が集まり。心のこもった集会であった。高齢者が多いのが気にかかるが、まずは高齢者の力を中心に若い人たちに広げていくべきものと思う。地元の自治体、南相馬市長の賛同も寄せられたが、地元の福島市長や福島県知事等の支援も欲しいところ。地元の資料を世界遺産にしようとしているときに、無関心では悲しい。資料の意義を考えれば、松川事件・松川運動の経験は非常に重要。多数決的に、その支援の範囲が広いかどうかだけではなく、その意味を、指導者は積極的に取り上げるリーダーシップが欲しいところ。期待している。(3/25)<38130>


◇ アッという間に3日が過ぎた。
 水曜日(22日)は、午前中、コープの憲法学習会。高校の先生に戦争の実相と憲法の意義を話してもらい、勉強会。具体的な話でよかった。委員会のメンバーのみで10名弱。若い人の参加が欲しい。忙しい時期なのかもしれない。もっと、宣伝にも工夫が必要。午後、県の委員会。年度末なので、規則等の改定で議題数が多い。夕方、4月に移動される職員のみなさんの送別会。賑やかな、楽しい(?)送別会だった。定年退職とは違い、新たな任務の事も考えて、緊張の年度末、送別会。ここでの経験をもとにして、新たな部署でもいい仕事をして欲しい。いつもの委員3人で、喫茶店で歓談。

 木曜日(23日)は、山形のコープの方々が、福島への支援金を届けていただくという事で、贈呈式に出席。バザーなどでの募金らしく、大変ありがたい。午後、国際交流協会の理事会。定例の新年度の方針確定だが、3月に専務理事と事務局長が交代するので、理事長の私としては、梯子が取られた感じ(?)。特に、何もやっていないが。新たな生活・新たに部署で頑張って欲しい。夜、川俣町の委員会へ。6時半からの会議だが、結構遠いので、8時頃までで打ち止め。4月の初めに再度、委員会を開催。

 今日(24日)は、松川資料世界記憶遺産申請のためのプロジェクトチームに福島大学へ。丁度、卒業式。午後から。高齢者等の見守り協定の締結のため、いわき市。いわき市とコープふくしまが直接締結するのではなく、60団体ほどが連絡協議会を結成し、その代表との締結。殆ど、いわき市内の団体だが、コープもいわき市で共同購入の活動のため、参加。夜は、福島市内での飯舘村の委員会に参加。資料を補足して、再度、開催する予定。(3/24)<38118>


◇ 雨の火曜日。午後から、本宮市の情報公開審査会に出かける。特に事案はないが、今年度の報告を聞く。
 3月21日は、結婚記念日。1970年3月21日、友人たちを中心に、実行委員会形式の祝う会をやってくれた。大学院生という失業者なので、派手なことはできません。1000円会費(カップルは1500円)。3年前に亡くなった実母の葬式の日に合わせたわけではないが、合わせたのかもしれないが、そうなってしまった。それから47年間。
 娘たちも、3月21日に、婚姻届けを出したという。まだ11年だが。
 梅酒で乾杯。とはいっても、昨日もアップルワインで乾杯していたが。明日から48年に向かう(笑)(3/21)<38066>


◇ 春分の日です。4月にフォーラムで東京の弁護士さんに来てもらうので、特別の宣伝を行おうと思い段取りして、夕方のコープの常任役員会と思っていたのですが、朝のメールで会議中止とのこと。見ないでしまいました。時間あったので、福島の弁護士さんにフォーラムの動員を頼んで、丁度21日に福島の生業裁判が結審するということで、全国から支援者、他の原告団が来るので、覗いてみたらというので、ちょっと覗きました。200人ほどの前夜集会。他の裁判当事者、支援者、ドイツ・ハイデルベルク大学の教授も支援に来ており、熱気にあふれる集会。前橋地裁の判決が出たばかりなので、関心が高まったようです。福島地裁は秋ごろの判決でしょうか。
 東電と国の過失責任を認めるかどうか、損害額はどうなのか、全国約30の裁判が同時に起こされていますが、それぞれの司法機関がいかなる判断を下すか、興味は尽きません。(3/20)<38058>


◇ 春分の日を含む連休も明日一日を残すのみとなりました。
 17日(金曜日)、女川駅前に建立される「皇后陛下御歌碑」除幕式典に参加すべく、朝から女川向けドライブ。少し早く着いたらお墓参りをしようとは思っていたのですが、約束の時間に遅れそうなのでパス。11時2分女川駅に到着する列車で、東京からの諸先輩が到着します。現地組などと5人で、商店街で昼食。式典は、午後1時半から。
 予想以上にカンパが多く、結局、丁度1年前の3月17日に、天皇皇后の女川町行幸啓があり、その行幸啓碑もあわせて建立して、同時の除幕式。皇后陛下の歌は、女川駅が完成して石巻線が開通したことの喜びをうたっています。

 「春風も 沿いて走らむ この朝(あした) 女川(をながは)駅を 始発車いでぬ」

 聡明な皇后陛下が、被災地女川に強い思いを抱かれたことに、うれしい。
 式典後、NPO法人の設立に奔走している女川発電所の建設予定地を見せていただいた。震災後、復興記念国立公園に編入され、環境(景観)上、いろいろと条件が付いているようだが、何とかクリアできるものと思う。現地で実施している方々のご苦労に感謝。さらなる発電事業や、起業が女川でできるきっかけになればいいなと思う。
 戻ってきて、図書館の件で、詳しいK先生と話ができた。何とか、住民本位の図書館ができればと思う。外から何ができるか、さらに努力してみたい。
 夕食は、娘と石巻へ。十割手打ち蕎麦の「きた道」。山都の蕎麦というので、福島に関係あるのかと思ったら、そうでもなさそう。蕎麦もおいしいが、初めて食べた松川鰈の刺身は、フグ刺しに似て美味しい。

 翌朝(18日)は、前日に行けなかったお墓参り(3月17日は実母の命日。1967年3月17日なので、丁度50年。大学卒業式の1週間前だった。あの頃を思い出すと、心が痛む。)。彼岸の入りも過ぎたが、あまり墓には花や線香は少ない。一週間前の11日が合同慰霊祭、7回忌なので、一休みか。
 お寺の近くに移住した同級生とお世話になった元町幹部のEさんに連絡して、突然の訪問。お二人ともお元気で、ゆったりと本を読む生活らしい、羨ましい。美味しいコーヒーを戴き、歓談。
 その後、姪家族が住んでいる大沢の借家を訪問。夫は発電所の監事なども担当し、同じ取り組みで共同できるのはうれしい。大変な生活だが、5人の子供たちは、全員、仕事や就学に励んでいるので頼もしい。来年には、分譲される土地に自宅を新築するという。体に気を付けて頑張って欲しい。
 女川の中学生たちが発案し、「女川いのちの石碑」プロジェクトが、予定している21基の石碑のうち、13番目の建立を、女川の塚浜に建立し、その除幕式を午後1時から行うというので、見学。今や高校生となった元中学生たちが、100円カンパを呼びかけ、1000万円も実現したのだろう。偉い。石碑の碑文は、皆同じ。「2011.3.11 ここは、東日本大震災津波到達地点より高い 女川いのちの石碑 千年後の命を守るために」とあり、「もし、大きな津波が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください。」などと、具体的な対策を提示しています。この高校生たちによる、「いのちの教科書」も発刊されるという。指導している阿部先生の指導力の素晴らしにも感嘆。正直、塚浜は、女川の一番端。女川原発のすぐ傍。訪れたのは、初めて。海浜が素晴らしい。本当にゆったりとしたい場所。
 塚浜から、女川駅前に戻り、土産など(ほやの数々)を少し買い、一路、福島へ。さすがに疲れて、途中で仮眠せざるを得なかったが、充実した2日間だった。

 今日の日曜日は、快晴。14度くらいの最高気温。灯油を買いに行き、午後は、本屋に行きながらの散歩。8千歩は過ぎて、少々運動不足の解消。これでは足りないが、持続することが大切。(3/19)<38047>


◇ 水曜日(15日)。11時半から大宮駅前で研究会の打ち合わせを行うというので、朝8時35分発の新幹線で大宮へ。少し早く出たのは、友人の奥さんのお見舞いに行こうと思い、Sさんと待ち合わせ。病に倒れて初めての再会だが、頑張って闘病生活をしていた。大変そうだが、話もできた。彼の、献身的な看病に感動。私には、そんなことができるのか自信がない。予期しない生活に入ったが、自分の体も自愛して欲しい。でも、明るく淡々とやっていた。偉いな。
 大宮駅前の百貨店の食堂での打ち合わせ。福島から3人、大宮1人、東京1人の5人。いつも福島に来てもらっているので楽だが、遠方から来てくれる皆さんの大変さを知る。復興公営住宅の居住者の調査結果を利用させてもらって、車座会議に持っていきたいというところ。震災復興も、時の経過とともに新たな問題が出てくる。
 福島に5時過ぎに戻り、ふくしま復興支援フォーラムへ。「生活支援相談員活動状況調査」の結果を報告していただいた。参加者は14名と少なかったが、新たな問題として、真剣に話し合いができた。せっかくなので、もっと多くの人に参加して欲しいと思う。従来どおりではない、呼びかけの仕方を工夫してみたい。
 県庁の人事異動の内示があり、皆さん大変そう。4月からの新職務に向かう決意で漲っている。
 WBCは、何とかイスラエルに勝利した。アメリカ行き(準決勝・決勝)が決まったが、楽な試合は一つもなさそう。

 今日は木曜日。コープ本部で、コープカレッジの準備の話合い。事務局が、市役所と相談して、講師の紹介を頼み、コープに来ていただいた。地元・福島を知ろうということで、歴史の研究者の先生。いろいろ知りたいことの積極性がいい。
 中座して、昼食をしながら、担当している団体の人事の報告を受ける。担当者も、4月から転勤で、新たな職務へ。私などは、お手伝い気分が抜けないが、新しい職務で、成果を上げて欲しい。
 11月の再生可能エネルギーの全国シンポジウム実行委員会をスカイプでおこなうというので、実行委員会の事務局長の事務所に行って、4人でスカイプ会議に参加。全国4カ所。何とかなるもんだと感心。委員長にされてしまったので、少し勉強しないと。復興支援フォーラムの会場確保のために市民会館へ。(いつものAOZは、月2度が限界)何とか、やりたいことを組み込めたが、問題は参加者数を増やしたい。(3/16)<38013>


◇ 火曜日。昨夜遅くまで作業していた確定申告。毎年やっていても自信がない。朝に、また添付資料など。
 午後、定例の県の委員会。議題が多いせいもあり、みっちり2時間かかりました。実は、準備するほうが大変なのですが、よく整理されているので、スムーズに進みます。(私が変な質問しない限り・・・責任を感じていますが)

 委員会終了後、税務署へ。申告といっても、昨日書いた書類を受け取ってもらうだけ。窓口の青年は、卒業生ですと言っていました。私が学長の時(2016年〜2010年)らしいので、10年近く前なのでしょうか。ゼミの先生などについて、ちょっと話しましたが、私の書類は、何か恥ずかしい気もします。収入はと言えば、年金収入、県の委員会とか自治体の委員会、コープ、非常勤講師等、数は多いのですが、額は必ずしも多くありません。しかし、計算をしていると、源泉徴収の額が多すぎるので、還付請求になります。少なくとも、最近は、追加で納入するよりも、還付する機会が多くなりました。地位の相対的な低下を意味するのでしょうか。それでも、国民健康保険の自己負担は3割で、妻の方が2割だったのが世帯主のお陰で3割になってしまいました。高齢者の中でも裕福な方にはいるのでしょうか。信じがたいのですが、最近の社会保障の改革動向は、高齢者からも収入の多い方の負担を多くするという方向なので、悲哀を感ずる事が多いかな。4月以降は非常勤講師が皆無なので、少ないながら収入がガタンと減るでしょう。電車・バスが無料になる75歳になるのが楽しみというのは、スケールの小ささが感じます。
 夜、WBC。日本⇔キューバを観戦。ハラハラしましたが、8対5で勝ちました。(3/14)<37983>


◇ 日曜日(12日)。震災6年の特集が続いている。今日から7年目に入る。ネットをみると、(自主)避難している方に対する県内の非避難者の苛立ちに出会う。当然、県外避難者は、自主避難ではあるが、住宅支援の打切りに対する反対と県の支援を要求するのだが、どうして県内に滞在している方の負担で行わなければならなのかという反発である。原発避難の原因は、東電と政府にあるのだが、被災者同士の感情の軋轢が、避難解除問題を契機に再顕在化してくるかと気にかかる。
 避難者と滞留者の選択判断についての相互の理解と尊重が必要であろう。自分は住み続けるという判断は尊重されなければならないが、避難しなければならないとの判断も尊重されなければならない。異なる判断は、自分の判断とは異なるので、尊重することは、自らの我慢が必要だ。震災直後の、「逃げた」か「滞留」かの軋轢が、避難解除の現時点で、また表面化しそうである。滞留者の負担で、避難者の生活を支援しているとは事実が異なるが、故郷の再生と、個々人の生活の回復を同時に実現するためには、我慢が必要だ。言いたいことをいうだけでは、大きな目標の統一と実現が不可能になる。
 午後、所用で街中に出かける。

 月曜日(13日)。コープの本部職員の朝礼。どうしても、被災者同士の意思の疎通の重要性をいわざるを得ない。
 帰宅して、市役所などに出かけ、その足で、花見山へ。知人のKさん所有の珈琲工房・カフェ「空と花」に行く。花見山一帯が見えて、凄く雰囲気のいい喫茶店。子どもたちも連れてきたい。コーヒーとケーキのセットをいただき、山を降りるが、河津桜が咲き始めているという情報もあり、花見山公園とは反対側の「花見山」に立ち寄る。山の頂上まで、車で送っていただいたが、河津桜の花びらが二つだけ咲いており感動。NPO花見山を守る会が、世話をしており、「生け花の里 花見山」で売り出している。震災後に、支援者・避難者も一緒に作ってきたようだが、花見山公園とともに、こちらもよさそうだ。代表の高橋さんとお話ができたが、また、行ってみたい。
 夕方、コープの常任役員会。確定申告の書類作成、夜中まで。(3/13)<37975>


◇ 土曜日。震災6年が経過。
 女川の姉の7回忌という知らせはあったが、津波の犠牲者は1000人近いので、個別対応は無理で、町主催の慰霊式に参加することで、弔慰を示す人が多そうだ。
 午後、松川記憶遺産登録申請の準備で、福島大学の資料室へ。東京の弁護士さんも来てくれて、いろいろと相談。25日には、記憶遺産登録を進める福島県の会も結成され、東京でも世話人の会議が予定されている。日本では2件のみに、十数件の応募が噂されており、なかなか厳しい審査だろうが、資料の意義を訴えながら、進むしかない。この機会に、松川事件の問題を、広げることができればと思う。(3/11)<37945>


◇ 金曜日。午前中、県の常任委員会からのヒアリング(29年度予算関係)。新しい取り組みに質問があり、担当者は、きちんと答えていた。やはり、どの仕事も大変だが、それが評価されてることが遣り甲斐になる。もちろん、表面上、評価されなくても公務を支える意味では、大きな意義を持っている。評価されるからやるわけではないが、評価されるとうれしいのは当たり前。評価の視点を、新しい課題だけでなく、従来からの行政を確実に行うことにも遣り甲斐を見つけられるようにしたいものだ。
 午後、コープふくしまの定例理事会。6月15日の定期総代会総会に向けて、今年度のまとめや新たな課題が山積。事業経営も昨年並みに黒字を確保している。みやぎ生協や県南生協との事業合同の問題が大きな問題。様々に解決すべき課題があるが、乗り終えて進まなければならない。
 理事も新しく、若い人が多くなっており、子育てながらの活動も大変。特に、全国からの要請での派遣、被災地視察の案内など、多忙化しているように感じる。病気を抱える幹部もおり、合理化しながら、負担を軽減しなければと思う。心身とも。少し「余裕」を持てるようにしたいものだ、事業を支えるのは、やはり「人」であるので、大事にしたいものである。(3/10)<37937>


◇ 木曜日。珍しく、会議が一つもない日なので、自宅。蟄居。
 書評を頼まれていたので、佐藤政男さんの著書「現地情報から読み解く ふるさと福島」(合同フォレスト)を読んでいました。薬学の研究者ですが、震災後、勤務していた徳島から福島に戻り、復興に向けて調査と活動をされています。
 午後、テレビで映画(「誰が為に鐘はなる」)をみました。ゲーリー・クーパー。テロップ頼りですが、楽しめました。
 外の会議がないと、本当にダラダラしてしまいますが、4月からは非常勤講師もなくなり、意識的に生活スタイルを変えないとと自戒しています。(3/9)<37929>


◇ 水曜日。午前中、第6回トラック輸送における取引環境・労働時間改善福島県協議会に出席。座長をしているが、何とかしてトラック運転手などの時間短縮のために、国交省と厚労省が音頭を取り、荷主業者、運輸業者なども参加して協議を行うものだ。特に28年度の総括と29年度の計画の具体化だが、なかなか協力を得るのが難しい。会議は、スムーズだったが、シナリオの「その他」を飛ばしてしまい、事務局には迷惑をかけてしまった。こんな飛ばしは初めて。歳のせいかな?

 午後、福島大へ。松川資料記憶遺産の申請の件で、学長への要請。福島県や福島市にも支えて欲しいところだが、大学の課題に、行政の支援を得ることは難しそうだ。自治体の要請に、地域の大学は応えてきたと思っているが、大学の課題への協力・支援は難しそうだ。住民にとっては、国か自治体かは、それほど重要ではない。もう少し、そうした垣根を払って、積極的に大学の課題を理解し、協力する関係が欲しいところだ。大学もだが。こうした縦割り意識を払しょくすることが、地域の復興にとっても緊要であると思うが。

 WBC、オーストラリアに快勝。投手陣と中田・筒香のホームランが決定的。4対1。(3/8)<37910>


◇ 火曜日。県議会の整理採決。補正予算がらみですので、まずは決定をして、後日の閉会日に、29年度の本予算関連の議決を行う予定。各委員会委員長の報告があり、その後、採決で、30分以内で散会。
 夜は、WBCの初戦。キューバに勝つが、期待の則本が、2回は好投、3回目に打たれてガッカリ。東北楽天、今期はどうなのか、嶋もケガでWBC欠場。プロ野球は楽しみだが、東北楽天は優勝には、まだほど遠いか。頑張ってほしい。(3/7)<37908>


◇ 月曜日。午前中に県議会の常任委員会のヒアリングあるので、事務局で打ち合わせ。補正予算の件で、減額請求なので、特に問題はない。短時間で終了。
 帰宅後、コープに出て、映画館・フォーラム福島の支配人と山形にある本社の方が見えられた。移動映画に関する相談である。映画館に遠い人もあり、また会津若松のように、都市の割には映画館がないところもある。そうしたところで映画会ができないかという相談である。観客動員など、生協に期待しての相談だが、やる気のある人が出ないことには難しい。個人的には、若松や白河、相馬などでもやりたいが、それを支える人的物的なものが用意できるかどうか。前向きに進みたいが。
 夕方、コープふくしまの常任役員会。6月の総代会に向けて、いいまとめができればと思う。(3/6)<37893>


◇ 3月になって、あっという間に5日(日曜日)になってしまった。どうしてこう時が早いのだろう。日の進み具合に引きずられて翌日を迎えているような気がする。
 木曜日(2日)は、午後から、市内で非常勤を担当した短大の卒業研究の発表会に。講評の任を与えられた。一つの学科だが、1年生2年生百数十人が集まって、卒業予定者のすぐれた卒業研究を発表を聴き、私はその講評の役目。予め、各ゼミで優秀な研究を読んでおいて、当日の発表の最後に講評するのだが、それぞれ専門が異なるゼミなので比較するのは難しい。ただ、それぞれテーマ設定が社会性があり面白い。短大ゆえ2年生でよくまとめている。全員、パワーポイントを使い、デモンストレーションもいい。大学でもゼミの教員によっては、努力しているが、組織だって行っていることはすごい。

 金曜日(3日)は、翌日の講演の準備。いつも一夜漬けで上手くない。

 土曜日(4日)、午前中に病院の定期診察。薬を使ったせいか、少し検査値が改善。ホッとしたが、まだ高い。薬だけに頼らないで、食事注意と運動を意識的に行うことが大事。なんと、病院で教え子に会う。救急車で運ばれて以来の通院らしく、成人病は教え子の世代にまで広がっているのか。そういえば、先日、やはり教え子がガンで闘病していることを知り、びっくり。相当精神的に落ち込んでいるので、どう声をかけたらいいか逡巡。直接連絡を取ったら、頑張っているようで、そのうちに話を聞きに行く。しかし、どう励ましたらいいのか分からない。教え子など若い人の病気は、特に心が痛む。
 午後、土湯温泉での「第26回全大協東北地区女性交流集会in福島」での基調講演。「女性の働き方 〜仕事を続けるための課題とその解決にむけて〜」がテーマ。職場に多様な雇用形態(非正規雇用)が増えてきて、なかなか職場の協働が難しいという悩みにどう答えるかだが、非正規雇用増大の問題を指摘しながら、お互いの仕事の尊重、相互信頼をもとに、組合等一緒に共同行動することの重要性を話したが、果たして、的を得ているか、伝わったか、自信はない。東北地区の6つの国立大学(法人)からの参加で、職員、教員など20数名の参加。4つに分かれたワークショップにも参加して、それぞれの状態を理解しあった。早めの帰宅をしたが、多分、その後の懇親会、2日目の講演などの行事で、交流が深まっただろう。

 日曜日(5日)、天気があまりにもいい。気分転換に、ドライブ。シンガーソングライターの梅原司平氏の事務所からいただいた入場整理券(無料)、楢葉町での和太鼓コンサートに向け走る。東北道ー磐越道ー常磐道を通じ、広野ICで降りる。天気がいいのと睡眠不足で、睡魔がきつい。阿武隈高原SAで、僅かの仮眠をして快調に。
 梅原氏が、6年前のコンサートが震災で実現できず、今回、ゲストとして再公演。和太鼓は、双葉町(標葉せんだん太鼓)、広野町(広野昇龍太鼓)、富岡町(小浜風童太鼓)、楢葉町(ならは天神太鼓うしお会、楢葉天神龍舞、藤冨流華鶴会)と多彩。楢葉に集合した感じ。町長の挨拶も故郷に帰る人々が多くなっているという話で、500人ほどの観客も高齢だが、何か明るい。不安を抱えながらも、何とか、前向きに生活しようという気持ちがにじみ出ている。
 梅原司平さんの歌も良かった。被災者・避難者に寄り添って活動してきたことが、特に感動させる。遅くなるので、4時前に帰途に就いたが、休憩時間中に、松本町長に挨拶をする。4月末に、福島市で「ふくしま復興支援フォーラム」で話をしてもらうことになっている。快調な帰途ドライブ。福島に近づくと小雨。でもいい日曜日だった。(3/5)<37873>


◇ 3月に入った。まだ肌寒いが、春を感じさせる日差しである。
 午前中、コープ本部に出かけ、コープカレッジの事務局会議に出席。4月から6月にかけて行う、第7期の講座。「福島を知ろう」ということで、福島の郷土史や、街探索、信夫山等、足元を見つめた計画である。やはり、郷土を見つめ直して、福島に誇りを持ちたいという気持ちか。事務局メンバーの要望で出てきた企画なので、ぜひ成功させたい。
 午後、福大に出かけ、松川資料世界遺産関連のプロジェクトチーム会議。大学のメンバーとNPO記念会、そして登録を推進する会のコラボ。私は、推進する会からの委員だが、各団体間には温度差があるようだ。4時ころ帰宅。
 テレビは、北朝鮮問題、トランプの上院初演説、安倍首相及び夫人と特定小学校問題並びに土地購入問題で占領されている。4月下旬の復興支援フォーラム、何とか、会場と報告者が予約できた。第109回になるが、楢葉町の町長に4月25日に報告をいただく。医療体制の問題、避難指示の解除問題等、まだまだ検討すべき問題がある。何とか参加者も確保しながら、継続していきたい。(3/1)<37824>



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