日 記(備忘録)

(2017年11月)


<今野順夫の部屋>

◇ 11月も最終日。忙しい日だった。
 午前、第10期のコープカレッジの最終日。国際交流をテーマに継続してきたが、今回は、「インドネシアの食文化に触れてみよう」がテーマ。講師は、市内在住のインドネシア出身者のレーニ・星さん。20人以上の参加者。手際よく料理をつくり、後はみんなで会食。私は、挨拶と会食参加、修了証の交付の役割。外国人を含め、和気あいあいと和やか。外国に対する関心は高い。
 午後、コープ本部に出かけ、コープみえさんからの「つながるカレンダー」の贈呈式。6回目になりますが、毎年、募集して、優秀作品をカレンダーにして、贈呈していただいている。今回は、入選作品の作者3人も交え、被災地視察にお出でいただいた。
 帰宅後、ふくしま復興支援フォーラムのために、AOZへ。第118回になるが、新潟大学の松井先生に来ていただき、「新潟での広域避難者の現状と支援の課題」について報告をいただいた。中越・中越沖地震の支援活動の経験を、福島原発避難への支援に活かしていただいている。社会学の専攻だが、女川で18歳まで過ごしており、同郷の研究者。優秀な後輩で誇らしい。(11/30)<41338>


◇ また3日が瞬く間に過ぎた。
 月曜日(27日)、コープの常任役員会。週末に、コープ主催の広島への旅に出る役員が多いので、人出不足。視察に来る生協の対応にも参加することになる。
 火曜日(28日)、国際交流協会への建設業界からの寄附を受領するためのセレモニーに参加。県内在住外国人などへの様々な支援に役立てうるので有り難い。昼前後、松川関係の打ち合わせ。夕方、コープおきなわの被災地視察の歓迎懇親会。沖縄の基地問題など大変なのだが、いつも福島に心を寄せてくれる。元気な幹部なので、圧倒される。もっと、沖縄と福島の連携の勉強会など、特に福島で沖縄を理解する取り組みをしたいと思っている。岩波新書に、「沖縄と福島」の本があるほど、その二つは日本の現実の照らし出す象徴である。主には、福島で、沖縄を理解する取組みが重要だと思う。一緒に、勉強しようと思う、仲間が欲しいものだ。

 水曜日、確定的な予定はなかったが、フォーラムで報告してもらおうと一度、電話で打診したお医者さんに逢いに行くチャンス。郡山で働いている双葉郡医師会の会長さん。双葉郡の医療関係の現状と解決すべき課題を話してもらいたい。自宅から高速で45分で到着。気さくに話していただいて、日程の調整を待つことに。3月末か4月上旬か。郡山から戻り、コープ本部に寄り、事務処理を済ませる。
 大相撲の横綱・日馬富士の引退記者会見。暴力は正当化できないが、なんか惜しい引退。いろいろ背景があるのだろうが、関係者から発せられる言葉は少なく、これで相撲界の問題は解決ができるのか。野球の選手会が労働組合として認められたように、力士会もそうした力士の権利擁護のために働くようにしないと解決にならないのではないだろうか。また今朝は、北朝鮮のミサイル発射。9条をもつ日本が、もっと国際世論の先頭に立つべきと思うが、いつもアメリカの背中に隠れている。国会では、選挙前の不解明問題を取りあげているが、なかなか進展を見いだせない。選挙の結果なのか。(11/29)<41325>


◇ 週末の3日は、瞬く間に過ぎた。
 金曜日(24日)、今日から千葉県市原市で始まる「全国地域サッカー チャンピオンズリーグ2017」に出場する女川のサッカーチーム「コバルトーレ女川」の応援。会議も特になかったということもあり、4時半に起きて、6時半ころの新幹線で東京へ。総武線で千葉駅、乗り換えて内房線で五井駅下車。女川・同級生のT君が迎えに来てくれ、石巻の親友H君夫妻、女川元気会の世話人のYさんとHさんの総勢6人でゼットエー・オリプリスタジアムへ。
 バックスタンドの応援団席には、女川からの応援団もいたが、寒そうなので日当たりのいいメインスタンドに陣取りました。サッカーに詳しいH君の解説を聞きながら。決勝ラウンドに残った4チームのうち2チームはJFLに昇格できるというので、必死。第1試合は、テゲバジャーロ宮崎。このチームは、鹿児島での予選リーグの際に、1点リードしながら後半最後2点を入れられ敗れたチーム。その再現か、前半、1対0でリードするも、後半、また2点を奪われ、もうだめかと思ったが、交代した選手のシュートで2対2の同点。PK戦になったが、1つリードを許したが、結局4対3で勝利。(勝ち点は2点、相手方に1点)喜んで帰ってきた。片道3時間だから遠い。

 土曜日(25日)、サッカー第2戦も気になったがコープふくしまの平和の旅。人数合わせの面もあるが、目的地は石川町の民俗資料館。終戦前、敗戦近い時、日本も原爆をつくろうと、石川町でのウラン鉱の探索の歴史。日本は原爆の被害面だけでなく、日本自身も原爆を持とうとしたことの歴史。原爆製作の実現には、程遠かったようだが、当時の軍部などの動きについては、実現しなかったことも含めて分析が必要。旧制石川中学の生徒達も、勤労動員されたようだ。福島空港を見学して帰る。
 バス道中、第2戦、地元のVONDS市原FCとの対戦が心配だったが、バスの移動中にスマホで試合進行をチェック。1対1のドローだが、またPK戦。5対5で決まらず、結局8対7で女川が連勝。

 日曜日(26日)、サッカーはもう1勝か、ドローでもJFL昇格2チームに入るのだが、相手は強豪アミティエSC京都。予定外だが、また市原まで行こうかと思い起きたが、疲れ気味で断念。また、スマホなどでデータチェック。なかなか点が入らず、後半に1対0.この1点を死守して、女川の勝利。結局3連勝ということになる。成績トップで、JFL昇格を確実にした。大声でも出したいが、周りは静寂。妻と喜ぶ。田舎のチームだが、女川の震災復旧のために尽力したチームメンバーであるがゆえに、本当に感動する。FBで喜びを分かち合っているが、女川元気会でも具体的な支援をやってはと思う。復興に向かう精神的支柱になると思う。(11/26)<41295>


◇ 水曜日(22日)、二日間のハードなバス旅行の疲れか、ほぼ休養。夕方、大学・学部時代の同窓の集まり、といっても大学時代は知らない方が殆ど。福島に住んでから、福島で活躍している方々。ご高齢なので、中心の方が、昨年ご逝去され、その一周忌のつもりだったが、最近、叙勲をいただいた方がおられ、急遽、お祝いの会に変更。縁のない勲章だが、やはり、これまでの社会でのご活躍を評価された喜びを感じた。なかなか肩の凝る儀式だったらしいが。おめでとう。

 木曜日(23日)、勤労感謝の日、休日である。毎日が日曜日の年金生活者にとっては、祝日かどうかは感じない。自宅で休んでいると、大学当時の知人が、昨夜、肺がん(転移)で逝去されたとの訃報。私の3年ほど上だったろうか、日本史の研究者で、福島県でも桑折町などの史料編纂をしておられた。より専門の近い人に尋ねたら、明日・お通夜、明後日・告別式を仙台で行うということで、スケジュールが重なり、参列は難しい。福島からお祈りせざるを得ない。
 夜、鑑賞券は買っていたが、見る機会を失いそうなので、午後7時からの映画館。原発の廃棄物問題から、脱原発の生活を取り上げた映画「チャルカ」。映画館内で、地元紙の元幹部に遭遇。挨拶を交わしたが、本当に、一貫して原発問題に関心を持たれているのだと感心。退職後も「ふくしま復興支援フォーラム」に来ていただいている。疲れと座り心地良い椅子のため、少々、ウトウトしてしまう。淡々とした生活の描写で、人間らしい生活は何なのか、教えられる。(11/23)<41275>


◇ 日曜日から火曜日まで、3日間、関西の城巡りのバスツアーに行ってきました。
 初日の日曜日(19日)、福島駅西口10時半発のバスに乗る。郡山で、いわき、那須塩原、郡山の方々と合流。いわき、西会津の旅行者を拾いながら、新潟港へ。風雪厳しくなりそうだが、予定通り4時半ころ、カーフェリー(福島のバスも同乗)は敦賀港へ向け出発。船が揺れ、なかなか歩くのもままならない。何十年ぶりか、船酔いしてしまい、夕食もとらず。大変な船旅でした。
 第2日目の月曜日。船内で5時の朝食。5時半には下船。バスに乗って、目指すは竹田城跡。大型バスから、小型バスに乗り換え、それから25分ほどの徒歩。坂も急で、ひーひー、いいながら登る。日本のマチュピチュと云われるそうだが、360度の見晴らしと雲海は素晴らしい。高倉健の映画にも出てくる。
 バスで姫路へ。姫路城の見学。これも高い坂、外から見ると美しい景観だが、天守閣内は、地味な感じ。早めに大阪のホテルに到着。日中の疲れを取り、体調を取り戻す。
 最終日の今日は、車窓から大阪城を眺め、一路、彦根城へ。これも天守閣までの道のりは厳しい。名神自動車道で、対向車線のトラック火事に遭遇。びっくり。反対車線は通行止め。彦根城を見学の後、一路、北陸道−磐越道経由で郡山へ。旅行者の手配した車に分乗して、我々は福島まで。自宅着いたのは、11時を回った。かなりきついバス旅行かな。しかし、こうした名城巡りの旅を。実質2日間で実現するのは贅沢なことである。(11/21)<41255>


◇ 土曜日。午前中に、通院(4週間に1回)。検査値は改善。花粉症か、鼻水が止まらず、困った。診療室、会計で、薬局でティッシュペーパーをもらう。風邪ではない。しかし、インフルエンザの予防接種を頼もうとしたら、病院で材料が入手できず、予約もできない。近くの医院で行った妻は、直ぐにしてくれたようだが。
 午後は、前日までの疲れか、ぼーっとしていた。夜は寅さんの映画と、日本と台湾の野球戦。日本は快勝だが、9回裏、反撃で冷や冷や。(11/18)<41232>


◇ 水曜日(15日)、午前中、見たいと思っていた映画を見る。10時からの上映だが、日曜日不在なので、市長選挙の不在投票をしてから。「米軍が最も恐れた男、その名はカメジロー」。沖縄の基地闘争の先頭に立ち、一時、那覇市長にまでなった瀬長亀次郎氏。不屈の人とは言われる、本人が不屈と言ったのは沖縄県民のことと、登場する娘さんが話している。現在の翁長知事の運動とオーバーラップして、現在の状況との接点を感ずる。もっと福島にいて、沖縄のことを取りあげる必要を感ずる。
 午後、冬タイヤの交換。これで、いつ雪が降っても万全。
 夕食は、翌朝の非常勤講師で来た、M氏との駅構内の定食屋でのささやかな夕食。頑張っている姿を知る。

 木曜日(16日)、富岡に行く予定だが、その前に近くの復興公営住宅の入居者とのコープふくしまの皆さんの懇談会(サロン活動)を行うというので、短時間でも参加。仮設住宅との違いもあり、避難元町村もバラバラで、新たな関係を形成するのが課題.
 11時頃、一路富岡へ。川俣山木屋を通って、114号線で、浪江・津島を通り、6号線から富岡へ。被災地支援団体の現地会議。様々な団体があり、驚く。若い人が前面に立っており、その積極性に驚く。いろいろと話ができてよかった。懇親会にも参加し、建設関係者が寝泊まりしているホテルに宿泊。その息吹を感ずる。

 金曜日(17日)、午後の富岡での会議(大学のセンター主催)の前に、30分ほどの川内村へ。遠藤村長に、フォーラムの再登場をお願いしようと思ったが東京出張中。やむなく、FBでお願いして快諾を得る。川内村は。商業施設とコーヒー店。Cafe Amaizon。感じのいい店だ。コーヒーとシナモンケーキをいただいて、富岡に引き返す。
 午後の会議、講演とセンター(サテライト)の活動だが、双葉8町村の連携をつくり、地域づくりと教育の面で、大きな寄与をしている。福島にいては、分からないところを勉強になった。
 帰りは、常磐道を富岡から相馬まで。115号線を通り、ほぼ2時間で自宅に辿り着いた。夕暮れの運転は苦手だが、無事、帰宅。実りの多い富岡の二日間だった。(11/17)<41228>


◇ 火曜日。午前中は、リサイクルで、コープに新聞紙などを持っていく(火曜日は2倍のポイント)。その足で、灯油7缶を購入。初めて、自分の部屋のストーブを炊いた。
 午後、コープも協力している映画会の券を購入していたので、見に行く。河合弁護士の主演・監督の映画だが、「日本と再生」。原発をなくし、再生可能エネルギーを各国の事例を紹介しながら訴える映画だ。河合弁護士のバイタリティーには驚く。
 この前の全国フォーラムでも、各地の取組みが紹介されたが、市民運動としても大きくならないと、なかなか政府は変わらない。政府や電力会社の壁が高いのか、広がらない。町づくりとしても、再生可能エネルギ―を住民の自治組織が担うようにならないと。究極は、日本の住民意識の問題か、民主主義の問題なのだろう。
 大相撲横綱・日馬富士の暴力事件には驚いた。大相撲の人気が上昇してきている中で、残念だ。プロ野球の選手会が労働組合法上の「労働組合」として認められて久しいが、大相撲の「力士会」には、そうした話を聞かない。力士の人権、労働者としての権利としても考えていかなければならないのではなかろうか。その観点では、これは典型的な「パワハラ」か。ここにも部分社会ではあるが、民主主義が保障されていないのではなかろうか。(11/14)<41182>


◇ 月曜日。恒例の本部職員向け、月1回の朝礼参加。いつも冒頭に理事長挨拶。今日は、選挙の話(衆院選のみならず、昨日から福島市長選が始まり、すぐに二本松市長選、伊達市長選も始まる。住民としての職員も、投票する人が多いだろう)。また、トランプの来日の話。終わってみると、トランプはアメリカの貿易赤字の解消が大きな関心の様だ。北朝鮮ミサイルを理由に、日本がアメリカから、多額の武器を買うことの約束。日本の安全とアメリカの雇用をうまく結びつけたと言っているが。韓国、中国などへの歴訪を見ると、北朝鮮包囲網の強化ではなかったのではないのか。
 午後、伊達市の社会福祉協議会に出かけ、コープ東北が締結しているフードバンク協定の締結式へ。社協の幹部とともに、伊達市の子ども部長、社会福祉部長など6人の参列。期待が大きいので、うまく広がるといい。
 夕方、コープの常任役員会。(11/13)<41169>


◇ 日曜日。
 午後から、元教育学教授の木村幸雄先生を偲ぶ会に参列した。去る9月25日に84歳で亡くなったが、家族葬だったので多くの教え子・友人も参列できず、呼びかけ人方式でコーヒーとケーキでの「偲ぶ会」である。
 教育学部の国語科に所属していたが、中野重治の研究者である。松川事件など社会問題にも大きな関心を寄せていた。
 スピーチ予定のY先生が、風邪か体調を崩されて欠席だったので、席に着いてから呼びかけ人に頼まれた。Y先生のような個人的な付き合いのある先生と異なり、準備もなく、赤面の至りの挨拶であった。しかし、偲ぶ会自体は、大変和やかで心の温まる集いであった。惜しい先生を亡くした。

 大相撲が始まったが、注目の横綱・稀勢の里は初日から黒星。何とか、立ち直って欲しいものだ。JFL昇格を狙うサッカー「コバルトーレ女川」は、予選リーグを突破し、24日からの市原市での決勝リーグに出場。千葉なら行けるかもしれないと、一緒に行く人を呼び掛けている。千葉のT君が早速、五井駅に迎えに来るというので、行かなければならないだろう。やはり現職の時は、こうしたことは考えも及ばなかったが、毎日が日曜日の退職者になって、初めて可能となった。いいのかな、遊んでばかりいてとも思うが・・・・。(11/12)<41156>


◇ 11月11日(土曜日)。震災から6年8カ月。月命日です。11日に対する反応は鈍くなってきましたが、忘れてはいけないものと、改めて振り返りました。身内でも、5人を亡くし、そのうち3人(実姉・義姉・姪)は、まだ出てきません。思い出すと、未だに心が冷たくなります。
 妻が体調不良で、病院に行きましたが、今日の昼のために買っていた「そば」を食べるために、診察終わった妻を乗せて、そば会場へ。松川運動の取り組みの一環ですが、多くの皆さんが来ており、郡山の蕎麦名人に来て、本当に美味しい蕎麦をいただきました。専門店の蕎麦よりも美味しい感じで、このような手作りの蕎麦をいただけるのは幸福です。
 午後、県農民連の「チェルノブイリ立入り禁止区域(30キロゾーン)およびナロージチ地区視察ツアー」の報告会を聞きに出かけました。チェルノブイリ原発事故から31年。立入禁止区域に住んでいる方とのインタビューの報告もありました。「30年後のふくしま」を体験するために、チェルノブイリを視察するということですが、何とか生活できるようにする「覚悟」を求められているようです。30年後は、生きていることはないでしょうが、後に残された方々が、希望をもって生活できるよう、今必要なことを最大限する必要があるのでしょう。重い課題ですが、ひとつひとつ「丁寧に」、解きほぐしながら、前進する必要があります。立場の違いでの相互の不信感は、分断策に乗ります。違いを乗り越えて、共通できることで前へ進みたいものです。(11/11)<41149>


◇ 東北社会人サッカー1部で優勝した「コバルトーレ女川」が、JFLへの昇格をかけて競う大会が鹿児島で始まった。
 全国の12チームが競い、2チーム(+1チーム)が、JFLに昇格する。3ブロックに分かれ、それぞれから2チームで決勝リーグ。その1回戦が始まった。女川から鹿児島に応援に行っている方の動画に期待したが、始まってからがうまく続かない。JFLのホームページを見たら、更新が早い。相手は、FC刈谷(愛知県)との対戦。ハラハラとホームページの更新を覗く。前半に1点、後半にオウンゴールで1点。結局2対0で快勝。明日、明後日と続き、それを勝ち抜けば決勝リーグ。JFL昇格が実現すればいいな。
 親友の二人は、サッカー選手(いまは顧問)だが、私は実践はダメ。しかし、女川と聞くと血が燃える。津波の時に、女川で働きながらサッカーをやっていた選手たち。自らも被災者だが、女川の復興のために尽力した姿に、何か感謝と友情を感ずる。
 イギリスの新聞にも紹介されたが、スポーツを通じて町民を励ましてきた。それがあるから、他人事ではない。

 午後、コープふくしまの定例理事会。順調に進んでいるが、組織合同の大事業を目の前にしている。何とか、前向きにとらえて、新たな飛躍と復興の力になることを期待している。(11/10)<41141>


◇ 午前10時半から、県庁での会議だが、裁判所に用事のある妻を9時半までに送ったので、少し早く県庁につく。担当課に早く行くと、みんなの仕事を邪魔することになるので、県庁の控室で、しばし、岩波新書を開く。無関係な雑音も耳に入らず、結構、読めるもんだ。集中しないときは、雑踏に中の方が集中するものだろうか。
 徳島県の職員採用のための募集が話題になったが、県職員の仕事内容・保護者説明会。就職活動を控えた大学生らの子どもを持つ保護者を対象に初めての説明会を開くという。今年、県庁に入った子どもの保護者の体験談もある。県の職員も、激しい職員獲得合戦の渦中に入りつつあり、有能な職員を確保するためには、静観しているわけにはいかない気持ちがよく分かるが・・・。
 就職だけでなく、結婚も、また大学生の生活も、親の出番が多くなってきた。優しい親の元で、大切に育てられてきたのだから、急に、親離れ、子離れをしなさいというのは難しいのだろう。原則論からいうと、このような人生にとって重大な問題を、自ら決定できる能力をつけるような子育てが必要だが、簡単ではないのだろう。自律的な職員を目標にしているが、最初がそうだと、なかなか難しい。
 午後、昨日、大学の夜間主に通う援助をするという社団法人の責任者が、相談に来た。制度の問題は、大学と相談してもらうということで繋いだが、いろいろと話が聞けて参考になった。(11/9)<41128>


◇ 水曜日。昨日のフォーラムの後始末。皆さんからいただいた感想文を打ち込んで、ブログに張り付ける。書類の整理。次回の報告予定者へのお願い(レジメなど)。
 数日前の、夜間主コースへの入学希望の従業員への配慮を企業主などにお願いしたいと書いたら、卒業生の反応も多かったが、それを条件に採用したいという方が連絡を取ってきた。一般社団法人だが、いろいろと復興事業を展開している。一番は、高校の進路指導に位置付けていただけるかということ、大学の制度との確認が必要だと返信したが、会って話を聞きたいというので、会う約束をした。私は代理店でもないので、進める際のポイントを話すしかない。そうした動きが、広がって欲しいのだが。
 それとともに、特に大学から頼まれた大学院の定員充足。社会人の進学が望ましいが、授業料などは学部のように安くはなっていない。大卒でも、仕事しながら、研究にチャレンジする人がいないかと思う。過労死を少なくするために、労働時間遵守を厳格にすることは当然だが、労働者の方も、仕事とは別の関心のために自分の時間が欲しくなることがいいと思うのだが。大学も、もっと地域に開放し、社会との往復が激しくなるのがいいと思うのだが。ボローニアでは、市民の半数が大学の学生だと聞いたことがあるが、これは、必要なときに大学に行き、忙しい時に休学して・・ということなのだろうか。そんな大学ならいいなと思う。同じ年代だけでなく、様々な年代層が大学に入るのがいいと思う。一番ケ瀬先生に聞いたが、北欧では、高齢者から若年者まで、幅広い年代層が一緒に勉強しているという。やはり、「源氏物語」を一緒に読むにも、20歳前半の学生だけで読むのと、40代、60代、80代の方々と一緒に読むほうが深く読めそうだとは思う。社会人の学部・大学院への進学が進むことが、そのことを実現してくれるのではなかろうか。(11/8)<41114>


◇ 火曜日。立冬。冬が近いです。
 夕方のフォーラムの日ですが、予告していた部屋と異なる部屋を通知しており、少し慌てました。まあ、何とか難なく済ませることができました。「環境放射能研究所」所長の難波先生に、詳しく、研究所の研究活動を紹介してもらいました。28名の参加があり、内容は、難しいが、直面している現実があるので、結構、大きな研究上の課題にしてもらえるのかと思います。研究者でなく、一般市民対象なので、どうなるか心配していましたが、町内会など地域との接点を持たれており、対応も適切でした。
 福島大学にとっては、公的な研究所としてははじめてでしょうか。以後に続く、食農学類などとの連携も含め、さらなる発展を期待しています。(11/7)<41110>


◇ 月曜日。翌日の「ふくしま復興支援フォーラム」の準備。大学の「環境放射能研究所」の話なので、大学関係以外の方にどれだけ関心をもって参加して頂けるか、心配。いろいろ悩んできたことが、県内の大学の中に、そのための研究機関ができること、復興支援のためにも大きな意味をもつのだが、敷居は高いかな。金谷川の山から学生・教職員が降りて来てくれればいいのだが、全く手掛かりなし。
 夕方、コープの常任役員会。夜は、珍しくテレビで洋画を見る。「ショーシャンクの空に」。94年のアメリカ映画。無罪の罪で終身刑を宣告された男性が、希望を失わず生きる姿を描く。松川事件を思い出す。(11/6)<41099>


◇ 11月の三連休も、慌ただしく過ぎ去ろうとしています。
 土曜日(4日)は、午前中に、コープマート方木田店で行われる、「全農フェア」のオープニングセレモニー。地産地消の一環で、協同組合間協同ということで、継続的に行われてきました。先着の皆さんに、米(天のつぶ)のプレゼント、店の前では福島牛の試食コーナー。法被を着て、米のプレゼントに参加しました。
 午後は、福島大学でのシンポジウムに参加しました。「地域包括ケアから地域共生社会へ」のテーマで、被災地の現場で働く職員の皆さんからの現場報告と厚労省の政策立案担当者の報告。早稲田大学との共同のプロジェクトです。盛り沢山の報告者で、時間が足りなかったようです。折角の企画ですから、もっと宣伝をしても良かったのではないかと思います。直前に、担当者から、勧誘と宣伝をお願いされたので、twitterとfacebookで宣伝。東京の大学の先生と会津大学の先生が見たと云ってくれましたが、あまり効果がなかったかな。それでも50名ほどでしょうか。大学研究者が、もっと主体的に研究報告をするようになることの必要を感じます。
 帰りがけに、学類長に、大学院の社会人入学への協力を云われたので、それとともに、夜間主学生の確保と、事業体での協力を期待して、FBに以下のようなメッセージ。夜間主の卒業生など、反応が多いのでびっくり、本気になってやるべきかな。
 「福島県は、大学進学率が相対的に低いが、それには自宅から通える大学が少ないこともあると思う。県内の大学数が少ないのと、広大な面積の県なので、県内でも自宅通学が難しい。結局、家庭の経済力に左右される。奨学金制度の抜本的改善が必要だ。ただ、通勤しながら通学する社会人入学制度の活用によって、進学希望を実現出来るのではないかと考えている。幸い、福島大学には夜間主コースがあり、校長先生に勧めたが、問題は、それを認めてくれる会社を教えて下さいといわれ、対応できなかった苦い思い出がある。人手不足の時代、通学を実質認めてくれる会社が多くなり(可能なら、年間授業料の半分の10万円程度支援)、若い人々が、生き生き働き、学ぶ地域社会を夢見ている。」と。

 日曜日の今日(5日)、午前中は、ちょっと買い物へ。午後から、市内で会合があり、夕方まで。日本シリーズも終わり、テレビから離れないとと思っています。さあ立て直し。(11/5)<41081>


◇ 文化の日。日本国憲法の制定公布から、71年になります。
 この2日間、「市民・地域共同発電所全国フォーラム2017 in 福島」の作業でした。初めて、福島、東北で行うということで、専門外ですが、協力を求められ、何もしないのですが、実行委員長にされてしまいました。全国からほぼ200名の参加者が参加しています。
 第1日目(2日)は、午後からですが、事務局の方々と準備作業。福島市も共催で、職員の方々も協力に見えられ、助かりました。オープニングの開会の挨拶は、実行委員長の役割。予め自宅で準備できず、会場の待ち時間で作成したので、あまり十分ではありませんが、何とか済ませました。福島市長の歓迎の挨拶と続きます。
 全体会では、基調報告として、高村ゆかり氏(名古屋大学教授)、佐藤彌右衛門氏(会津電力社長)、加藤勝一氏(元気アップつちゆ代表取締役)に、報告して頂きました。全国調査報告が続きましたが、全国で1000を超える市民発電所の調査結果が報告されました。またポスターセッション団体の自己紹介がなされました。
 会場を移しての懇親会でも、お互いの交流がなされ、盛り上がりました。

 第2日目(3日)は、分科会です。朝からなので、急いで行きましたが、8時50分集合を、8時と勘違いし、駐車場を取るにはよかったのですが、あい変わらずのヘマなので呆れました。年のせいにしてはいけない。
 分科会は、午前2つ、午後2つ。午前は、@「地域新電力のつくり方」とA「里山資源を活かす小規模木質発電・熱利用の推進」。Aの方に参加して報告を聞きました。午後は、B「農村における再生可能エネルギーの可能性」とC「広がる生協による再生可能エネルギーの可能性」。Cで各地の生協の取組を聞きました。コープふくしまも、いつか報告できる日が来るといいのですが。
 全体会で、各分科会の報告、アピール文を採択して、終了。
 全国フォーラムは、明日エスカーションで、A)土湯温泉の地熱発電所見学と、B)飯舘村をめぐり再生エネと除染の現状を見学がありますが、私はできませんが、全国の皆さんに、見ていただきたいと思います。
 大宮のSさんや、女川のTさんも参加し、懇談もできました。気持のいいフォーラムでした。何とか9回目になる福島の集会、次に繋げられる集会で、ホッとしています。(11/3)<41058>


◇ 11月になりました。宮城県白石市の鎌先温泉のホテルで目が覚めました。昨日から、高齢者3人の投宿です。昨夜の大浴場・露天風呂に続いて、朝風呂です。
 朝、9時過ぎにチャックアウトをし、二人は山形の温海温泉に向かいました。私は、明日からの全国フォーラムに関連して、東北での再生可能エネルギーの展開をヒアリングしようと、みやぎ生協へ。予約していた午後1時には早いので、多分近いと判断して、親友のY君に連絡。仕事場にも関心がありました。午後3時からの勤務だというので、近くの喫茶店で、長々と歓談。予定外のおしゃべりで、彼には迷惑をかけました。「井戸端」会議に近いのですが、しばらく会っていないので、会いたくなりました。
 みやぎ生協でのヒアリング。Yさんからいろいろ有益な話を聞きました。組織的合同する予定の組織ですが、さすが建物は立派です。Yさんは石巻出身らしく、郷里の話もできました。前日に、電気の組合員向け販売をマスコミ報道されていたので、タイミングはよかったかなと思います。新しい事業、組合員の生活を守る視点で、さらに発展していくことに期待しています。
 その後、転院したIさんを見舞いました。話はできませんが、手を握ると強く握り返してくれます。話ができるといいのですが。一方的に、昨夜の3人の話をしましたが、聞いているような気もします。本人が一番辛いのでしょうが、何とか祈る気持ちで、病室を後にしました。(11/1)<41042>



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