日 記(備忘録)

(2018年2月)


<今野順夫の部屋>

◇ 2月も最終日(水曜日)。「2月は逃げる」ように早く過ぎ去るとは言っていましたが、やっぱり早い。
 左腕の痛みも、2週間が過ぎたかな。大分、正常にもどった気もするが。まだ気にはかかる。
 午後に、県議会の追加質問。3会派から質問。丁々発止の議論ではないので、良く、耳をそばだててないと過ぎてしまう。
 一旦、帰宅し、夜の第123回ふくしま復興支援フォーラムに出かける。清水修二さんに県民健康調査問題について話してもらったので、話題を呼んでいるテーマか、初めての顔ぶれが多い。続いてきてくれる方々ではないだろうが、まあ、単発で来る人もいるだろう。何かの話題にはなるのだろう。少し疲れた。明日から3月。(2/28)<42265>


◇ 2月もあと1日。火曜日(27日)。
 午前中は、リサイクルの新聞紙などを出す。
 午後、県の委員会の会議。手続きなどの規則の整備等。早めに終了して、整骨院へ。痛さの場所は変わるが、未だ継続。大杉漣が、お腹が痛く救急。しかし心臓の病(急性心不全)で急死。放散痛というらしい。「放散痛」(radiating pain)は、関連痛のうち、病気の原因部位と全くかけ離れた部位に現れる痛みのことらしい。心筋梗塞など心臓の病気により、肩や背中、歯などに現れることがあるらしい。そんな報道がされると、自分もかなと疑いたくなる。まあ、大杉漣のように「イケメン」ではないから大丈夫かと言ったら、娘は「イケメンに起こる病気はない」(笑)と。そっけない。我ながら心配性だから・・。
 コープに寄って、明日のフォーラムの準備をして帰宅。痛みは幾分緩和されてきたが、まだ気分がのらない。募金贈呈のラジオ放送の録音をいただいたので、パソコンで再生してみる。自分の声でないみたい。要領の悪い話の癖は、治らない。(2/27)<42256>


◇ 日曜日(25日)、依然痛みは消えない。天気がいいので松川河畔まで散歩。陽が降り注いで春のようです。吾妻山の種蒔きウサギも、耳を出してきましたが、まだ山頂には雪雲。春が来て、冬が戻り、そうして春になるのでしょう。娘は、雪に滑って左腕を骨折したとのこと、仕事が大変のようですが、私も左が神経の病か、不快な日を送っています。なんで親子そろって左腕か。私の方は軽症なのですが。顔を上げると、左腕に激痛。散歩も、うつむいて歩くので、気を付けないと左右から車に気が付きません。よく、車道を横切る高齢者には、うつむいてあるくと車が見えないということが分かります。9000歩の散歩でした。
 月曜日(26日)、朝早く、整骨院にいってマッサージ等。680円の支払い料金なので、気軽だし、ほとんど待ち時間なし。自宅に戻り、早お昼を食べて、県庁へ。県議会の本会議(代表質問)。共産党会派の一人だけが60分の代表質問。知事はじめ、その答弁。体をあまり動かせないので、辛くはなります。3時頃には終了し、コープ本部での常任役員会へ。2月もあとわずか。2月末締切のものがあるのですが、何か終える状況にはありません。(2/26)<42241>


◇ 土曜日(24日)、左腕・首筋の痛みは消えない。髭を剃るために、顔を少し持ち上げると左腕に痛みが走り、左腕を上にあげると痛みは止まる。しかし、なかなかうまく剃れないので、還暦祝いに同僚からもらった電気カミソリ(旅行では携行している)で、うつむきながら炬燵で髭剃り。左肩甲骨が痛いので、昼前に、整骨院へ。少しはよくなっているのかもしれないが、正常に戻るには、時間が必要か。
 午後、福島大学で、早稲田の先生との協働で開催する「福島地域包括ケア・地域共生社会研究会」に出席。社会福祉や社会保障法の旧同僚が行っているので、勉強のために参加。自治体の福祉関係の担当者の実践報告が楽しみ。
 早稲田のK先生から誘われたが、相談役でもやってと頼まれたので、覗いてみた。とても相談できる能力は持ち合わせてはいないが。今日の第1回目は、猪狩周平氏(一橋大学教授)の基調講演「共生による地域社会の再構築」、鈴木典夫氏(福島大学教授)の報告「福島の復興と地域福祉の課題」。地元の状況については、よく理解できたが、共生社会論については、最近の議論に追いついていないのか、なかなかついていけない。こちらが怠けている間に進展しているのだと思う。新しいことに興味をもって、進まないと。
 帰宅は6時半すぎたが、テレビで「男はつらいよ」をみる。オリンピックは、高木奈那が、スピードスケート・マススタートで金メダル。女子カーリングは銅メダル。メダル数は13個となった、頑張っているね。

 女川の広報誌を郵送してもらおうと思って、手続きをしていたが、なかなか難しい。FBに以下のようなメッセージとコメントを書いた。「女川の情報を知るために、役場で出している「広報おながわ」を郵送してもらおうと思って、ホームページ指定のところにFaxをした。直ぐに、役場の担当者から電話が来て、「女川から避難された方ですか」との問い合わせ。避難ではないが、随分、大昔(60年前?)に、女川から出てしまった。しかし、女川が被災して、出身者として、何かできないかと思ってきた。「女川に元気を送る会」にも参加してきた。津波被災者でなくても、何かできないかと考えている女川出身者は少なくない。「女川に元気を送る会」のメンバーに、毎月、広報誌を送ったら、随分、身近に感じるのではと思って、提案もしたが、実現はしていない。(ネットで見れるよとは言われたが、いつも、見ることは難しい。定期的に送付されれば、見ざるを得ないだろうし、愛着も沸くだろうと思った。)郵送料として年間600円を支払えば、郵送してくれるという。問題は、お金を納める手続。知り合いや親戚の手を煩わせてもいいが、何か簡便な方法がないかと思ったが、郵便局へ行って、600円の小為替を組んでもらって、それを担当部署に送るということ。そんなことしたことない。いつ郵便局へ行けるかな、と思いめぐらし、面倒くさいと、忘れてしまうかもと心配。もう少し高くても(1000円でも)、簡便な方法がないかなと思う。ふるさと納税もあるが、いただく物品に関心が行く。物ではなく、女川の情報・・・毎月の人口の変動なども・・が定期的に知れたらいいなと思っている。福島の会津の町には、過疎問題に対抗して、町民以外に「特別町民制度」をつくって、頑張っていた町もあった。私が女川の中学生の時には、人口が1万8千。震災前には1万人まで減少していたが、震災で6000人まで減ったという。簡単に人口を増やすことは難しい。避難した方がたのみならず、出身者や関係者も含め、移住が難しい方々も、何らかの形の「女川ファンクラブ」をつくって、支援隊を組んでいく必要があるのではと思っている。そのためには、いまの女川の状況を知ることが大事。「広報おながわ」の郵送は重要と思った。(しかし、1000人、2000人と増えたら財政負担と手間が大変。その時には、一定の値上げ?もやむを得ないのでは)」
 続けてコメント。「郵便局に行って、定額小為替を購入してきました。600円分が欲しかったのですが、600円の証書がないのです。12種類(50円、100円、150円、200円、250円、300円、350円、400円、450円、500円、750円、1000円)のみ。300円のを2枚買いましたが、1枚の料金が100円。2枚で200円。結局800円。小為替買ったのは初めて。う〜ん、といいながら、勉強になりました。」
 何とか、郵送した。(2/24)<42229>


◇ 木曜日(22日)は、午前中、コープのコープカレッジの事務局会議。4月から6月まで、平和の問題を取り上げ、憲法改定問題、被爆者・核兵器禁止条約、沖縄問題の3回に分けて行う。私は憲法改定問題を報告するが、後は、被団協等の団体に依頼した、50歳以上の組合員を対象にしているが、みんなの学習要求に沿う努力はもっと必要だ。
 午後、県議会の代表質問。60分の質問にほぼ60分の答弁。じっとしているので、左腕の痛みがひどく、帰宅途中で、整骨院に寄る。整形外科で、レントゲンをとるなり、きちんと対応した方がいいと思うが、どこの整形も満杯で、それだけで具合が悪くなりそう。しばらく整骨院に通うしかない。

 金曜日(23日)、午後から、以前、東京の日生協で審査をした「『くらしと生協』ふくしま・子ども子育て応援助成金贈呈式」に参加。1時開始を2時開始と誤解していたこともあり、急いで会場へ。冒頭の挨拶の役目だったので、滑り込みセーフ(?)のはらはら。もっと余裕が必要。8団体への助成を決めていたが、6団体が来てくれた。それぞれ、子どものための多様な活動にびっくり。
 帰途、昨日に続き、整骨院へ。とにかく、じっとしている会議等は、左腕(神経)に悪い。
 夜は、女子カーリングをみる。韓国に惜敗。残念。(2/23)<42216>


◇ 2月もあと残すところ1週間だが、3日が過ぎた。
 月曜日(19日)、午前中は整骨院へ。なかなか左腕は治らない。痛みが出るときは、食いしばっている。腕の動かし方が問題。左腕なのに、右手で、コップの水を飲むとき、結局、上を向いて飲むので、左腕・肩・首に激痛。まあ、首のところの神経からなので、つながっているので仕方がない。左腕を上にあげて、頭の後ろに添えたりすると痛みが和らぐ。整骨院の先生によれば、神経が緩む格好で和らぐのだろうとのこと。前回の経験からでは、しばらくかかりそう。
 妻の会合への送迎、その合間に、ラジオ放送局で、募金の贈呈式とインタビュー。生放送なので、スムーズにはいかないが、優秀な菅原アナウンサーなので、上手くカバーしてくれる。
 夕方、コープの常任役員会。オリンピックは、羽生に次いで、18日には、小平選手の金メダル。どのチャンネルも、話題持ちきりである。

 火曜日(20日)、朝7時15分駅前集合のバスツアー。日帰りだが、埼玉県の行田市と鴻巣市。行田の足袋御殿とよばれる大正ロマンの雰囲気の漂うお屋敷(彩々亭)で昼食。和牛懐石料理ということか、和牛のシチューがメインか。車窓から、足袋蔵をみた。妻は記念に、カラフルな足袋を購入。
 鴻巣市は、「びっくりひな祭り」が開催中で、エルミこうのすショッピングモールで、7メートルの高さか、「ピラミッドひな壇」。迫力満点である。確か、人形2000体近く、その他の飾りを含め1万体。その後、明治期の蔵を改築した「ひなの里」で、貴重な約200年前の「鴻巣雛」等が展示されている。後は一路福島へ。午後8時頃の帰宅。埼玉は、快晴で暖かったのに、到着時の福島は、雪が降っている。痛い左腕をさすりながらのバス旅行も、まあ、晴天のお陰で楽しんだ。

 水曜日(21日)、午前中に整骨院へ。痛みは去らない。自宅で寛ぐ。どうしてもオリンピックのテレビ。夜、女子パシュート、金メダル。凄いもんだ。カーリングは、男子は予選で敗退、女子は辛うじて決勝ラウンドへ。不快な、この神経の痛み、早く去らないかなと思うが、医師は、まあ、薄皮を剥ぐように時間はかかったのではないかとのこと。・・・時間の経過を待つことにしよう。(2/21)<42201>


◇ 午前中から雪が降る。左の首筋から左肩、左の腕、左の肘まで痛む。首を下げると痛みが肘までくるので、神経かな。明日の午前中に、土曜日にも行った整骨院に行こう。不快な痛み。通院先の医師に、心臓とは関係ないでしょうかと聞いたが、そうではないだろうということだけだった。
 昼から、市民会館で開いている県内在住のベトナムの方々の新年(旧正月)をお祝いする集会に、コープも招待されたというので、参加。以前、ベトナム人向けに日本料理教室をお願いされたらしく、その関りで。前日に、あまり行く人がいないといわれたので、少々、興味で参加(4人)。県内に住むベトナム人は急激に増えている。やはり、実習生制度の改正によるものか。その方々が多いのか、若い人(自己紹介によると、県北の工場で働いているようだ。若い女性も多いが、青年)が多い。全国的に、実習の途中でいなくなることも問題視されているが、何か問題ある場合には、こうした交流する集団、または日本人など横の連携の強化で支援することができればと思う。
 用意する暇もなく、参加したのだが、挨拶を求められたので、ベトナムとの私と関わり、学生時代のベトナム反戦、大学教員時代のベトナムの大学との交流協定締結のための訪問、生協での交流、飲み屋で働く留学生、県国際交流協会での関わりと、話したが、日本語オンリーなので伝わってはいなかったかも。さらに、交流を広げていくきっかけにしたいものである。(2/18)<42162>


◇ 金曜日(16日)は、東京の弁護士会館で、松川資料の記憶遺産登録を推進する委員会の代表世話人の会議に出席。午後3時からの開始なので、12時50分福島発の新幹線に乗車。地下鉄丸ノ内線の霞が関駅で下車。道不案内だが、ホームページで確認して、出口(B−1)を確認していったので、スムーズに到着。全国の運動を推進している弁護士さんや松川事件を良く知っている方々の会合。今後、内容的な精査をしつつ来年の審査に向けて再チャレンジ。帰りは、スムーズに電車に乗り、自宅には8時過ぎ到着。
 土曜日(17日)の今日、4週間毎の病院での定期診察。懸案の検査数値は、6.3と標準値に近いが、自宅で測る血圧は高め。病院の帰り、数日前から痛い左腕〜肩を見てもらうため、以前に通っていた整骨院へ。温め、もみほぐし、塗り薬で、随分、痛みはとれたが、夜、また痛みが再発。多分、筋肉痛か。帰途、コープに寄り、事務手続きをしたが、チョコレートがボックスに入っていた。気にかけてくれて、有り難い。
 午後は、自宅でオリンピックの男子フィギュアスケート。なんと、日本勢の羽生が金、宇野が銀。凄い快挙である。これで初めて日本の金メダル。怪我をして、しばらくぶりの羽生、心配をよそに、何とか頑張ってくれた。何か右足が痛そうで、心配だった。おめでとう。また仙台で、金メダルのパレードやらないかな。
 午後4時から、映画館のフォーラム福島で開催される、「めぐる春の祈り 〜熊本のいま、ふくしまのいま〜」に参加。新聞にあり、予約が必要なので、出していた。第1部の「映像&トーク」では、熊本・阿蘇関係の3本のショートフィルムの上映と「トーク」(〜熊本のいま ふくしまのいま」には、南阿蘇観光復興プロジェクト交流協議会のみなさん、つなぐ・つながる南阿蘇未来会議のみなさん、ふくしま若旦那プロジェクトの渡邉さん。(司会は詩人の和合さん)第2部の「トーク&ライブ」では、小室等(シンガーソングライター)、こむろゆい(シンガーソングライター、小室等氏の娘)、西村元春、和合亮一の各氏のトークとコンサート。小室等氏、こむろゆい氏のライブは初めてだが、いい歌が多く、涙が止まらない。2時間ほどの集いだが、外に出ると、吹雪。冬の厳しさに再会。熊本のことも理解し、心温まる集いだった。(2/17)<42154>


◇ 木曜日。今日から福島県議会が始まる。久しぶりだが、県庁に出かける。
 行政委員会の長も、本会議には参列することになっており、他の委員と分担はしているが、原則として開会・閉会、代表質問は参列することになっている。開会なので、知事の冒頭の方針(新年度の予算編成など)が中心。1時間ほどで終了。
 本会議終了後、委員会。議会から意見を求められている議案もあるので、早く処理しなければならない。新年度の行事予定案も示されたが、私の任期は7月末まで。本来は、代わりの新委員に伝えるべきことだが、それは議会で同意を受けるので、6月になってからか。私は、委員として再選しているので、8年もなる。長すぎたかな。
 公務員の待遇改善にもっとすべきことがあったと思うが、なかなか大変。力不足を感ずる。なんでもそうだろうが、動いているものの改革は、そう容易ではない。ただ、事務局職員は、委員の雑談(本音だが)のレベルまで、いろいろと調査して、立案してくれたので、有り難い。前例を尊重しながらも、時代の変化に対応して、必要ならば思いきって改革もしなければならない。そうした環境の中で仕事ができ、幸せでもあった。これを始めに、そろそろ整理にむかう。コープも組織合同でもあるが、そうだろうし、国際交流協会もそうだろう。「飛ぶ鳥跡を濁さず」とは、仕事のみならず、人生もか。
 昨日、お世話になった職員の千明さんが亡くなったとの知らせ。67歳の若さである。この前、フォーラムでお会いしたのに。残念である。ご冥福をお祈りしています。(2/15)<42135>


◇ 2月の中旬、あっという間に中日まで来ました。3日間のご無沙汰です。
 月曜日(12日)、大雪の注意報・警報。コープふくしまでの朝礼に出かけました。そのまま、女川へ。知人ら2人が女川を視察したいというので、ご案内しますということに相成りました。雪が多いので、中止にしますかとの問い合わせが来ましたが、雪は気を付けなくないが、何とか行けるところまで行くことにしました。12時過ぎに、娘のところに荷物を届けながら、女川駅へ。こちらが遅れると思っていたのですが、仙石線を探すのに苦労したのか、しばらく待ち、商店街で昼食。
 昼食は、友人の店(岡清)。定番の女川丼。友達はいなかったので、電話をしたら自宅で寛いでいました。早速、店に来てくれて、お土産までいただく。横浜の集会で、女川の物産を売りたいということで、その話。店を回り、ダンボルギーニ、ギターの店、スペインタイルの店、コーヒー(ダイシン)など巡りました。図書館活動をやっている方々なので、「女川つながる図書館」を短時間ですが、見学。夕食は、娘に頼んで、店を予約(典典)。夕食の帰り、閉店まじかの「湯ぽっぽ」で、温泉に浸る。恥ずかしながら、私も初入浴。宿は、トレーラーハウスのエルファロ。駅の線路に隣接。朝は、気動車の動く音が聞こえます。

 13日(火)朝起きて、当初は、朝帰る予定でしたが、用事がなくなったので、昼食後に福島駅に向けて出発することにしました。知人らを商店街などの見学に行ってもらって、私は単独で、開校2年の特別支援学校「女川高等学園」の見学。校長先生は出張でしたが、教頭先生に説明・案内をしていただきました。女川高校が廃校になり、何とか、高校が欲しいと思っていましたが、女川高等学園は、地域との連携を重視し、活発な教育活動を展開しているようです。図書室も見せてもらいましたが、予算不足か、まだ書棚には空間があります。友人たちに呼びかけて、僅かでも支援したいと思いました。来年3月には、初めての卒業生が出ますが、女川地域で仕事ができるといいですね。そのためには、女川の団体・企業との事前連携が必要と思います。
 11時過ぎに、知人らも一緒に、つながる図書館を実質、運営されている加納先生の話を聴きました。秋には女川の役場庁舎などが完成し、その一部に、図書館が入る。子どもたちだけでなく、女川町民の交流と憩いの場としても展開されるような運営がなされるといいですね。
 昼食は、友人の店「金華楼」で、「わかめラーメン」を想定していたのですが、運悪く「定休日」。他の店で、「わかめうどん」を食べ、女川の湾や水産施設、医療センターなどを眺めながら、一路、福島駅に向かいました。雪もほとんどなく、快適なドライブです。何とか、新幹線で、横浜に帰られたでしょう。

 今日の水曜日(14日)。家族を裁判所まで送り、その足で、松川資料の関連打ち合わせ。古いフィルムを活用できるかということで、映画館(フォーラム福島)の阿部支配人に見ていただき、様々な可能性を教えていただきました。山形のドキュメンタリー映画祭等、何か接点ができるかもしれません。もっと積極的に展開する必要があります。
 平昌の冬季オリンピック。日本の選手のメダル獲得、なかなか金メダルまで届きませんが、銀メダル、銅メダルと続きます。相当なプレッシャーで可哀想な気もします。実力を出し切ったと思います。
 今日は、聖バレンタインデー。先日のフォーラムで県職員にもらったチョコレート、横浜の知人からいただいたもの、そして、夕方郵便で届いた女川の先輩(画家)の佐藤さん(仙台在住)からのチョコレート。美味しくいただきました。チョコレート会社の謀略とは思いますが、いただければ嬉しい。久しぶりに仙台に電話して、お礼をいいつつ、近況を尋ねました。お元気で、そのうちに新築したマンションとアトリエを見せていただきたいと思います。(2/14)<42114>


◇ 日曜日。建国記念の日。祝日だが日曜日と重なり、明日の月曜日は振替休日。3日間の連休の中日である。
 毎年、恒例であるが、「思想・信条の自由を守り軍事大国化に反対する県民集会」が開かれて、参加してきた。従来、紀元節復活に反対する集会として続いてきたが、憲法の集会になってきた。今年は第43回、午前10時から福島テルサで開会。午前10時から11時50分までというから、朝の集会の感じ。今年は、弁護士の馬奈木厳太郎さんが、「裁判官の良心・独立および憲法・法律に基づく判決とは何か〜生業訴訟福島地裁判決を素材にして〜」をテーマに講演。馬奈木さんは、生業訴訟弁護団の事務局長として、県内隈なく歩き、知り尽くしているので、現地の講師のような感じ。70名くらいだろうか、朝の集会にしては、よく集まったものだ。高齢者が多いのはいつものこと。
 午後、松川河畔まで散歩。復興公営住宅等を眺めてきた。8000歩。テレビは、冬季オリンピックの繰り返し。なかなか日本もメダルへの芽が出ないようだ。北朝鮮対応だけが目立つ。朝鮮半島の南北に融和の動き。日米は、微笑み外交に騙されないように、北朝鮮に圧力をと言っている。軍事か、対話かという対抗軸では、米韓軍事演習を変更しないで実施すべきという日本政府の対応は、何か、時代錯誤のような気もする。心から信頼できる人は少ないだろうが、対話のチャンネル(それがまやかしや時間稼ぎであろうとも)を封殺することはどうなのか。(2/11)<42086>


◇ 土曜日(10日)。午後から、松川資料関係の打ち合わせ。東京での「世界の記憶」登録申請に係る世話人会のための報告について、現地としての世話人の打ち合わせ。
 後世に残すべき第一級の資料だと思うのだが、まだ関係機関を動かしていない。いろいろ知恵を集めて、行く必要があるが、一番は世論の支持。特に、若い人に、その重要性を伝える方策を、真剣に考えていかないと・・・。
 冬季オリンピックに、テレビは占領されている。世界の強豪を相手に闘う、日本選手のプレッシャーは大変。もっと、気楽に実力を発揮してほしいと思うが、勝たなければという気持ちを考えると、心が痛む。(2/10)<42081>


◇ 木曜日(8日)。夕方、122回ふくしま復興支援フォーラムを開催。福島大の相双地域サテライト長の仲井先生に報告していただいた。大学が離れた相双地域の復興支援のために何が可能かと思っていたが、今では10人のスタッフになって、楢葉の本所以外に、川内村及び南相馬市に拠点を構えている。特に、役場の職員などを集めた「ふたばの明日を考える会」に関心を持っていて、出させていただいたが、毎月第4木曜日の例会には、なかなか出ることができない。
 参加者が見通しのなかった例会だったが、35名の参加を得た。珍しい方々も来た。マーシャル諸島の研究をしている中原さんが、現地へのクレヨン集めで、少々、協力した。中原さんは、仙台の友人・Y君の亡き奥様の友人が、中原さんの叔母さんだったということから繋がって、フォーラムでも話していただいた。

 金曜日(9日)。コープふくしまの定例理事会。6月の総代会に向け、事業活動とともに、3生協の組織合同の決議をして、来年3月には合同が実施する。その後のコープふくしまの行動等、いろいろ初めてのことで、それぞれ確認が必要だった。
 夜はテレビで、韓国での冬季オリンピックの開会式。北朝鮮の代表団、金代表の妹も来たというので大騒ぎ。美女応援団などなど、微笑み外交といわれるが、何か、軍事行動を抑えるきっかけになればと思うのだが、容易ではないだろう。(2/9)<42075>


◇ 水曜日。寒さは続きますが、昼過ぎ、太陽が出てきました。松川河畔を散歩。風は冷たいが、空を見ると青、空色のグラディエーション。春の空の前に、遮るような冬の雲。空でも、冬と春の闘いが始まっているのでしょうか。
 ある新聞社から、震災問題での寄稿の依頼。思いあぐねていますが、自分の納得いく構想がまとまらないので、断ることにしたいと思います。少し、地道な積み重ねが必要でしょうか。残された時間は、余りないのですが、時間切れになるまで、積み重ねが必要です。

 夜のテレビで、貴乃花の独占インタビューをみてしまいました。陰に隠されていた部分が明らかになったことはありますが、あくまでも貴乃花側の言い分と見ておいた方が、客観的でしょう。いずれにしろ、盛り上がっている大相撲。協会の運営も、もっと見える化しないとダメだと思います。
 福井の大雪、大変。渋滞がすごい。台湾の大地震、台湾東部の花蓮。大きなビルが横倒しになっています。死者も出て、大変な災害です。東日本大震災に最も多額の支援をしてくれた台湾。お返しをしたいものです。(2/7)<42049>


◇ 月曜日(5日)、孫第2子の誕生日。小学3年生だが、早生まれなので、9歳になった。4年生に進級できる年齢。
 昔の日記を探す。現職の立場上、公開していなかったかも。2009年の2月5日の日記。「予定日2月1日の孫が、ようやく今朝9時に誕生しました。二人目の孫です。2月1日までに生まれれば、国会で問題になっている給付金2万円が出るということを笑い話で話題にしていましたが、給付金に対する批判なのか、きちんと2月1日を超えての誕生です。母子ともに元気で安心しました。・・・・2月5日は、私と大変縁(?)があると喜んでいます。それは私の誕生日が5月2日だから。それを待っていたとは、気が付きませんでした(笑)。何とか、生まれ出ずる命が、平和に、安心して、豊かに暮らせるよう、先に生まれた者の自覚が強まります。・(以下略)・・」。なかなか行ってお祝いする環境にないので、自宅から電話やラインでのおめでとう。

 午後、久しぶりの松川河畔の散歩。途中で左足が痛くなったが、何とか帰宅。ほぼ7700歩。慌てないで鍛え直さないと。暖かくなると治るだろうが。夕方のコープ常任役員会に行く予定でいたら、愛知県の生協代表の方々が、東北視察の一環で30分ほど、コープの店に寄るらしく、立ち寄ってくれた。震災時、大変お世話になった生協各組織の代表12名である。御礼の言葉を述べ、店の見学後、宿泊予定の郡山に向かったが、寒いなか、短時間でも、温かい茶でも出せばよかったなと反省。なかなか配慮が行き届かない。

 火曜日(6日)。国際交流協会の課題で、事務局長が来訪。3月の理事会に向け、一定の制度改正。
 いつも世話になっている職員が、2週間の検査入院ということで、心配していたが、病院はインフルエンザで見舞もできなかったようだ。通じるかどうかわからないが、ショートメールを送ると、今日、ひとまず退院とのこと。今後、いろいろ治療も必要になるだろうが、元気に返信をくれたので一安心。焦らないで治療に専念してほしい。
 佐賀県で、自衛隊のヘリコプターが民家に墜落。家にいた小学生の子どものケガ。自衛隊員は2名亡くなった。原因が何か、今のところ不明だが、沖縄のヘリコプター墜落と言い、安全性に疑問。軍用機は、できるだけ軽く速くするために、安全装置を取り外しているのが通例だが、民間住宅に落ちるような航路は極力急けるべきと思うのだが。(2/6)<42034>


◇ 日曜日です。自宅で寛いでいます。
 午後、散歩に出かけたら、1000歩ほどで昔、肉離れした左足の脹脛が痛くなり、急遽戻って2000歩。
 寒いせいか、しばらく自宅に閉じこもっていて、運動不足の結果か。
 沖縄の名護の市長選挙が開票されました。予想に反して、自民公明の推す基地問題よりも地域経済優先の新人候補が20389票、基地反対の現職が16931票。結構な差で、現職が敗北しました。11月の沖縄知事選挙への影響が気になります。基地がない方が、地域経済が発展して来ているという実態が、あまり反映しなかったのかもしれません。しかし、政府が総ぐるみで、テコ入れしたことが勝敗を決したのでしょう。
 福島の南相馬市長選も、原発からの脱却重視から、地域経済重視の新人が勝利しましたが、首相・官房長官はじめ、大きな影響力を行使したようで、何か似ている感じがします。政党政治ですから、各党派の立場で、自治体選挙にも影響力を行使するのですが、しかし、政権与党の場合は、地方自治の否定にならないように、かなりの配慮が必要でしょう。何か、地方自治が、中央権力によって左右されることに懸念をしています。(2/4)<42009>


◇ 金曜日(2日)。夕方、晴山さんを囲む会。以前、福島大学に勤務していて、行政社会学部づくりの中心だったが、専修大学に転勤し、それも今年度で定年退職することで、囲む会。駅前の「おりおり」での会合。旧・現の教員(法律関係)7人を含む、晴山ゼミの経済学部卒業生と行政社会学部卒業生の27人の参加。昔話に花が咲きました。行政法の専攻なので、学生の方は全員県職員だった。退職後の生活をどうするのか明確ではないが、友人のやっている岩手県の老人施設にお世話になるというが。そうなら、福島のサ高住もあるが。そこを基盤に社会活動に専念することもありうるかも。意識的に集めようか、福島の人材確保を中高年で、ということもある。
 土曜日(3日)、わたり福祉会が中心になっている「はなねっと友の会」の講演会と総会を飯坂温泉で開催。立教大学名誉教授の浅井春夫さんの講演。「どうなる?どうする! 憲法と社会保障 〜憲法の人間像としあわせ観〜」がテーマ。1時間半にわたる熱弁で、いろいろと話も面白く、短く感じた。日本福祉大学大学院(社会福祉学専攻)を終了後、東京の児童養護施設で12年間、児童指導員として勤務することの経験が大きくものを言っているような気がする。年代は20年ほどの差があるが、仙台で闘病中の伊藤さんの活動開始との共通性がある。話の中心は、今の憲法改定の問題だが、それと社会保障、子どもの福祉と結び付け、説得力があった。
 はなねっと友の会は、昨年2月に亡くなった山田舜先生(元学長)が、発足以来の会長を務めていた。去年の総会の後に急逝された。本当に豪放磊落な先生だった。義母がお世話になったはなひらの、はなしのぶ、はなみずきなどの老健施設と保育園などを経営しているわたり福祉会の各施設利用者を中心のネットワーク。総会では、介護従事者などの不足が訴えられ、真剣に考えなければならないなと感じた。
 講演会場からの帰り、コープマート笹谷店により、予約していた恵方巻を入手。南南東に向かって、口を大きくあけて食す。あとは殻付きピーナッツかな。鬼も福もいない老夫婦だけの節分である。
 2日は、相撲協会の理事選挙が大きなニュース。貴乃花の当落が焦点。しかし、2票ということで落選。協会の改革に暗雲という雰囲気。私は、もっと力士の就業条件(?)を改善すること、暴力事件を蔓延させない力士個々人の権利の確認から出発すべきと思っている。プロ野球の選手会のように、力士会など、力士の権利を自ら守る組織が必要と考えている。労組法上の「労働組合」の資格も認めるべき。また、「働き方改革」をいうのなら、この力士の働き方も、もっと考えてもいいのではないかと思うのだが。(3/3)<42000>


◇ 2月になりました。2月は「逃げる」と言われますので、あっという間に、とならないよう、一日一日、大切に過ごしましょう。
 寒いですが、日も差して気持ちの良い日です。午前中、買い物に手伝い(アッシー)、午後、県の委員会に参加。残された任期は半年。真面目に通いましょう。いろいろと新しい試みもなされ、全てが思った効果が出るとは限りませんが、失敗を恐れないで、前進してほしいものです。野球では、3割打者は強打者です。日常的な業務の改善も、3割のヒットであれば、大成功。

 夕方、一旦帰宅し、18時半からの田村市での会議に向かいます。震災関連死の委員会です。自宅からは。大笹生ICから磐越道の船引・三春ICまで。そこから田村市役所へ。約1時間の行程。新しい市長から委嘱状を交付されました。真剣な議論の後、また引き返し。雪や凍結を心配していましたが、快適なドライブ。自宅には9時前に到着。
 札幌で、多分、ホームレスの方々が入居していたアパートが火事。11人が焼死しました。生活保護の受給者も多いと思いますが、快適・安全な住居が保障されていないことが問題。何か人の命が軽んじられています。
 先日の早稲田でのシンポジウムの概要(私も30分ほど話しましたが)を、JapanTimesが取り上げてくれて、英語で報道してくれました。気恥ずかしいですが、記念になります。電子版をいただきましたが、折角だから、紙媒体も送ってもらうことにしました。(2/1)<41978>



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