日 記(備忘録)

(2018年3月)


<今野順夫の部屋>

◇ 今日で、3月も最終日。どうも一日一日が、あっという間に過ぎてしまって、この日記も、飛び飛び。生活が張り詰めていないからだろうか。
 木曜日(29日)。11時から農協ビルで、大豆の会の代表者会議。消費者のコープも、生産者、製造者と共に、重要な構成団体なので、宛て職で「会長」になっており、現場の仕事はしていないが、代表者会議の議長をやる事になる。殆ど、事務局が詰めているので問題はないが、大豆の生産地も震災復興の波で、拡大しそうなので、活動の幅も広がりそう。新年度は創立20周年ということで、飛躍の年になって欲しい。
 そのまま、県庁へ。県の委員会関係の辞令交付。今年は、給与表の格上げのみで、短時間で終了。一旦、帰宅し、夕方の劇公演の実行委員会に参加。青年劇場による「あの夏の絵」。福山啓子作・演出のもので、高校美術部の生徒たちが、被曝の証言を聴いて、それを絵にする取組を描いている。被曝の実相を、戦争体験のない高校生の絵の制作という形でより深めようとしている。松川事件を伝えることの難しさを日々感じているが、体験者が少なくなっていくときの継承の在り方の問題提起をしているような気もする。多くの人に見てもらいたいと思う。福島市では、6月28日(木)の18時30分から、テルサで。

 金曜日(30日)。石巻の同期生の告別式には出れない。
 昼から、コープみらい(東京・埼玉・千葉)の理事長はじめ5人が来訪。組合員から寄せられた震災復興への支援募金の贈呈式。有り難い。大きな組織ではあるが、活動のスケールが大きい。コープカレッジも、コープみらいの経験から学んで、具体化している。NHKテレビで「きらり縁たび 女川町」の再放送を見る。太田裕美の出演。竹浦の皆さん、コバルトーレ、商店街などなど、女川の積極面を描いている。励まされる。午後の予定を前に、NPO花見山を守る会の高橋さんから電話もいただいていたので、訪ねてみる。東海サクラも満開、カタクリの花も群生。天気も良いし、本当に自然を満喫。

 土曜日(31日)、3月末と同時に今年度の最終日。次女が花見に来る。一緒に、昨日のNPOの店に寄りながら。「空と花」のレストラン(珈琲工房)へ。土曜日、天気がいいので、満杯。それでも、山からの風景を満喫し、美味しい昼食を食べて満足。帰途で、茶屋沼公園に立ち寄る。ソメイヨシノは、まだ咲いていないが、満開になったら素晴らしいだろう。予定していた講演会に、時間が間に合わず、行かないでしまった。(3/31)<42566>


◇ 水曜日(28日)。午後から、蓬莱学習センターで開かれた松川事件関係の映画をチェックしながら、見ていました。松川資料室に、仙台の関係者が所蔵していたものを、寄せてくれました。16ミリフィルムですが、当時の(1950年代?)のフィルムで、資料室にもないものもあるようです。映画・ニュースに登場する被告人や支援者の若さに驚きます。死刑判決を含む20人の被告人を、無実の罪から解放しようという必死の思いが伝わってきます。被告人のお家族の写真も多く、子どもさんも含め、感慨深いものがあります。それぞれの家族の人生を、狂わせた冤罪事件。その憤りを新たにします。来年は事件発生70周年。改めて、事件の意義を、様々な媒体を利用して広めていきたいと思っています。

 夕方、県国際交流協会の打ち上げ。年度が新しくなるので、また頑張りましょうということですが、スタッフの中には、子どもさんが大学に入学し、また卒業して社会人になる方もおり、4月は、それぞれにとっては、新たな生活が待っています。新年度が、充実した年度になれるよう頑張りましょう。(3/28)<42536>


◇ 日曜日(25日)、特になく自宅。
 月曜日(26日)、近くの保育園で夜ノ森の桜の植樹。滋賀県の「コープしが」が、以前から福島の保育園に木の玩具などの提供をしてくれていたが、富岡・夜ノ森の桜を、滋賀に植樹するとともに、近くの保育園(三育保育園)に提供・植樹するということで、立ち会った。全国17のコープでの植樹が行われているが、県内の保育園にも分けて植樹するのは初めて。しがの理事長並びに福島市の幹部も同席した。50人ほどの園児(年少・年中・年長)も、一緒に参加。大きく桜が成長すると、バックの吾妻小富士の雪うさぎと一緒に映えるでしょう。
 女川の同級生から、石巻の同級生の訃報がもたらされる。料亭経営の大女将さんで、いつも先生方との会食に便宜を図ってもらった。急逝ということしかわからないが、信じがたい。本当に残念である。30日に告別式というが、日程を約束したものがあるので、行けない。石巻在住の友人にその2日後に会うが、香典は、お願いすることにした。しばらくご無沙汰していた、小学校の担任の先生方、また中学校の先生との集まりに、会場も、そして本人も参加してくれた。信じがたいが、がっかりしてしまった。
 夕方、コープ常任役員会。明日の復興支援フォーラムの準備をする。

 火曜日(27日)、昼近く、東京新聞のNさんと会う。特別支局長3代目。被災地の状況を首都圏に伝える大きな役割を果たしてくれている。支援もしたいが、新たな眼で被災地に問題を提起して欲しい。
 昼頃、孫3人と父親が来る。娘(母親)は、仕事らしい。春休みの一コマか。知人が経営する花見山の「空と花」へ。花見山公園より高く、桜はもう一歩だが、暖かく、いい気分。学習塾があるとか、早めに帰った。
 夕方は、125回目のふくしま復興支援フォーラム。川内村の遠藤村長に話してもらう。以前、報告していただいた時(第13回、2012年6月7日)は、震災後1年半後。課題の大きさに驚いたが、今回の報告では、8割以上の住民が帰還し、何とか光が見えてきた感じ。村長の住民とのこまやかな話し合いの継続、そして「生きがい」・自然循環を重視する姿勢が大きな要因と、参加者からも評価が高かった。人格的にも、素晴らしい。何か、逢っているとホッとする。こちらが励まされた感じだ。(3/27)<42520>


◇ 春分の日から、4日が経ちました。
 水曜日(21日)は、結婚記念日。48周年になりました。長女夫婦も入籍がこの日ですので、誰かかは覚えている。特に、お祝いはないが、たまたまイオンに寄ったので、ドーナツを買ってきました。割引券あったのにという言には動揺しないで食べました。ささやかな結婚記念日かな(笑)。

 木曜日(22日)は、浪江町で行われる「ふたばの明日を考える会」への出席のために、国道115号線を通り、浪江町へ。114号線が早く着くのですが、先日(3月10日)に、霊山から相馬まで自動車道の開通があったので、どれほど早いか実験してみたくなり、カーナビを途中相馬市を経由してと設定して、快適なドライブ。正確な時間は計っていませんが、余りにも早いので、鹿島ICにあるサービスエリアで時間つぶし。快適なSAです。以前、左腕が痛く、くねくねの115号線をと比較すると、雲泥の差です。相馬を、福島に近寄せられるでしょうか。
 会合は、20数人でしょうか。浪江町の復興の進捗状況を主に聴き、その後、各グループに分かれてワークショップ。こうした新方式は慣れていませんが、一緒に混ざって話し合いました。夜は、宿泊予定の場所で、懇親会。美味しい海の幸。家が遠い4人はそこに宿泊して、ゆっくり休みました。下宿のような感じです。

 翌日・金曜日(23日)は、浪江から仙台の予定。宿に、朝食を予約していなかったせいで、どこかで食べなければならないと思って、役場近くの仮設商店街へ。食堂が「準備中」だが、中で人が働いていたので、入る。開店時間は11時だというが、事情を話したら、カレーライスならすぐ出せるというので、いただきました。元気な女将さんに助けられました。元気な明るい女将さんで、有り難いです。隣の役場に寄って、前日のお礼を言って、そのまま仙台方面へ。
 この機会にと思って、南相馬の小高にある、憲法学者の鈴木安蔵先生の生家を見たいと思い、小高支所へ。近くの文化会館のTさんを紹介されました。なんと福島大学の卒業生(人間発達文化学類)。知り合いの先生の名前が出てくるので、嬉しい。徒歩で、生家まで付き合ってくれて、お墓にも寄りました。震災の中で、復興の一つとして、生家の保存運動が広がればいいなと思いました。相馬小高神社に寄り、小高城跡を見学。
 高速に乗り、また鹿島のSAで昼食を済ませ、仙台へ。仙台は、JCN(東日本大震災支援全国ネットワーク)の「現地会議in東北」。岩手・宮城・福島の各報告を聞き、福島からは、霜村真康さん(未来会議)と塩田恵介さん(只見川線応援ミーティング)の報告。FBの友だち同士ですが、改めて親交を深めました。新たな付き合いが増えることはうれしいです。
 前半のスピーチだけ聞かせて頂いて、住所では近くにお住いの女川出身の画家Sさん宅を訪問。大きなマンションを建てたらしく、すぐ見つかると思いカーナビ依存。ところが狭い道に紛れ込んで、何度も電話で確かめ、郵便配達屋さんに聞いて、ようやく到着。4階までは賃貸マンションですが、5階の居住空間で家族は住まわれていました。アトリエも見せていただきました。ご主人ともお話しが出来ました。女川における文化施設が欲しいなど、いろいろ話し合いができてよかったです。一路、福島向けて帰ってきましたが、2日間のドライブは、いろいろな体験ができて、充実した2日間でした。

 今日の土曜日(24日)。疲れでボーッとしていましたが、午後から、近くの支所で、大笹生笹谷文化財保存会の講演会があったので、聴いてきました。笹谷・大笹生地区を散歩する際に、その歴史を知りたいと思い、参加。今日は「廻米」の話でしたが、阿武隈川を使いながら、いかに苦労して荒浜から外洋に出て、江戸に届けたか、遭難した船の日誌も含め、関心が引き寄せられます。足元の歴史の勉強をして、少し文化的素養を高めたいと思います。(3/24)<42485>


◇ 日曜日(18日)、特になし。午後、久しぶりの散歩。松川河畔。吾妻連峰、安達太良連峰もよく見える。吾妻小富士の雪うさぎも良く見えてきた。8743歩。
 月曜日(19日)。東京上野の西洋美術館へバス旅行。スペイン・プラド美術館の展示。読売新聞社の主催か、休館日ですが、読売観光の企画で、企画展のみ、待つことなしにゆったりと見れる。谷根千エリアの散策も、行程に入っている。ちょっと標準行動ではなく、漱石の住居跡、鴎外の記念館、青鞜社の跡などを見て、バスに乗り込む。午後8時過ぎの福島着。
 火曜日(20日)。県議会の閉会式。いろいろと立て込んでいるので、朝9時に委員会の打ち合わせをして、国際交流協会の理事会出席。県庁に戻り、県議会。県議会が長めの休憩時間のため、その間に、委員会の開催(第1部)。県議会の再開終了の後、委員会を再開。夕方まで。夕方は、委員会の事務局職員の送別会。いつになく盛り上がっていたが、美味しい酒に酔いすぎたかな。私は、相変わらず、ノンアルコールのビール。<3/20>(42446)


◇ 土曜日。午前中、毎月、通院している病院へ。採血して、特に、ヘモグロビンA1cのチェック。6.3から6.2へ。少量、薬を飲んでいるが、正常値に近い。それより、毎日測っている血圧の方が心配。食事と運動の努力が必要。
 薬局での待ち時間に、地元紙を見ていいたら、ゼミ卒業生が、自治体の議会事務局長に昇任していた。すぐに、メール、電話をしたが、変更されていて、不達。自治体の電話番号にかけて、電話をくれるよう依頼。夕方、電話が来た。いろいろ謙遜していたが、頑張っているのだろう。こちらが、社会から引退の時期、教え子の活躍が眩しい。
 山川充夫氏から、献本あり。『福島復興学』(八朔社)。福大の同僚(特にうつくしまふくしま未来支援センターが中心)の共著。科研費の成果物。勉強させてもらおう。必要なら、フォーラムで報告してもらおう。

 今日の3月17日は、母の命日。1967年のこの日。51年経たということか。享年48歳だから、若すぎる。大学の卒業式の1週間前。呆然として過ごしたことを思い出す。初任給をプレゼントする等という親孝行もできなかった。心配かけたまま、送ることになった。断腸の思いである。せめて、私の命を産み出してくれた母親に感謝しつつ、いま生ける者の命を危うくする情勢に抗していかなければなるまい。7月の母親大会の講演を頼まれたが、若いお母さんだろうが、自らの母親を想い出すに違いない。
 コバルトーレ女川は、JFLの第2戦。滋賀県での戦いで初めての勝利。1対0。勝ち点3。応援することは出来なかったが、頑張ってほしい。石巻や仙台でのホーム試合は、応援に行きたいのだが。(3/17)<42412>


◇ 木曜日(15日)、午後から磐梯熱海温泉に出かけるので、午前中に、バックミラーの修理にトヨペットへ。世話役のKさんが、簡単になおしてくれた。バックミラーの外の覆いだけだが、無傷の状態には出来なったが、これ以上ぶつけたりしなければ、なんとかもちそう。
 信用金庫に寄り、口座を開設したが、コバルトーレ女川への寄附をするため。受け入れが石巻信用金庫なので、少しは有利になるかと考えたが、ほとんど他銀行扱いなので、少々がっかり。できれば、女川のサッカーチームへの僅かながらでも支援をしたい。散髪に行って、磐梯熱海へ。
 磐梯熱海温泉の「よもぎ埜」が目的先。少し贅沢だが、ゆっくり休めた。大浴場・露天風呂と、夜も朝も、入浴。左肩・腕の痛みをやわらげられるかなと期待したが、それほどの効果はない。ただ、磐梯熱海の温泉の泉質なのか、何か肌がすべすべになる。昔、子どもが中学生だったろうか、草の根ネットのご褒美で、家族4人の無料宿泊(別の旅館)で泊まった時にも、その泉質に驚いたが。

 今日(16日)は、ゆっくり10時頃チェックアウトし、本宮のドイツパンの店(ハルツ)に寄り、福島駅前のコラッセふくしまの物産館で、気に入った「相馬あられ」等を買って、帰宅。さすが、風呂に入り過ぎたのか、ボーッとしています。
 夜、津波で亡くなった姪の娘を指導してくれた元校長先生から電話あり。今日、高卒・大学入学のお祝いで、会ったようです。津波は小学5年生だったので、その成長ぶりに驚いていました。7年経っても、忘れないで、目をかけていただけることは、本当に有難いです。亡き姪も喜んでいるでしょう。この娘の話は、いろいろネットでも話題になった。首都圏の大学ですが、夢を実現してほしいものです。(3/16)<42407>


◇ 日曜日(11日)は、震災7年。昼、私用を済ませ、夕方の復興支援フォーラムの124回。いつもと異なり、全国の支援団体の福島駐在者の報告。浜通りに在住し、粘り強く復興の可能性を追求している。それだけで、尊敬してしまう。多様な方々の善意と連携し、前に進まなければならない。
 あっという間に、日は経つ。
 月曜日(12日)は、今月の本部職員の朝礼。帰宅し、妻を整形外科に降ろし、治療の間、近くの仮設住宅でサロン活動をしているコープの取り組みに合流。仮設住宅のサロン活動は、この日で終了。居住者は、他の仮設又は、他の住まいに引っ越し。担当理事は、感謝をされ、別れ難く、涙の送別会だったらしい。他の施設に移っても元気で、頑張ってほしい。郷里は浪江町、まだまだ帰還できる条件はない。
 午後、整骨院に寄り、コープふくしまの常任役員会へ。

 火曜日(13日)、11時から県議会の総務委員会に出席。人事委員会事務局の予算などについてのヒアリング。独立の委員会なのに、一般的事項で、委員会の独立性を損なうことの疑問が呈された。あまり意識していなかったが、人事委員会の独立性の意義をどう捉えるか、詰めてみる必要があろう。あくまでも、人事委員会事務局のヒアリング。
 午後3時から、トラック協会を会場に、国交省と厚労省の協働の「トラック輸送における取引環境・労働時間改善福島県協議会」の会合。どうかして、トラック運転手の労働時間の削減のための方策の検討。各業種、具体的な調査による報告書作成に向けて、議論が戦わされた。

 水曜日(14日)、税務署に確定申告。なかなか書類作りが捗らなかったが、自分の経済的基盤が分かる。還付金の具体額が出てくると、なにかボーナスのような感じ。計算に間違いがないか、不安だが、まあ、その時は指導に従うしかない。
 昼前に、県庁へ。人事委員会。今日から委員会を、公開可能な事項について、公開することにしたので緊張していたが、結局、新聞記者も含め、傍聴者は来ず。肩透かしのような感じだが、いつものメンバーではあるが、緊張感があってよい。
 帰宅後、伊達市の北福島医療センターでの「地域医療支援病院運営委員会」に参加。左腕の痛さか、注意が散漫。帰りには、狭い道の柱にバックミラーをぶつけてしまった。事故にはならないが、もっと慎重な運転を。明日、修理をしに行きたい。(3/14)<42387>


◇ 金曜日(9日)。午後からコープふくしまの定例理事会。6月の総代会に向けて、様々な諸準備。次回のフォーラムを日曜日に開催することにしたので、なかなか準備が忙しい。整骨院には行けなかったが、何かと不安。
 震災後7年を経過目前で、何かと気忙しい。テレビも特集の連続。土曜日の朝のNHKには、鈴木・丹波の元同僚のお二人の先生が登場。大したもんだ。
 土曜日(10日)。妻が、飯坂での歌舞伎の映画(シアター)を見に、送迎。私も申し込んだが、不合格。結局、妻の友人から誘われたらしい。
午前中、散歩をしたが、風の余りにも冷たさに、途中で引き返す。3000歩かな?(3/10)<42354>


◇ 水曜日(7日)。午前中に、県議会の総務委員会に出席。担当委員会事務局のへのヒアリング。本年度予算の最終盤に、減額補正として、余せないので、減額補正をする。内容は、単純で、事務局長及び次長の説明で、短時間で終了。この時期は、来年度の本予算と、年度末までの補正予算の問題は、恒例のこと。国立大学の法人化前は、同じように、今年度の予算は使い切りで、多くの問題があったが、法人化により、その点は改善された。明確な目的予算を組めば、年度繰り越しが可能となった。法人化は、細かい規制から逃れられる点はよかったが、基本的には、予算配分を梃に、大学の自立性が損なわれているような気もする。信念をもって、長期的展望から行う判断は、予算付けでは難しい。各大学とも、目標がチマチマしてきたような気もする。
 昼前には帰宅したが、左腕の痛みで、整骨院へ。しつこい痛さだ。

 木曜日(8日)。午後からの県議会の本会議。整理採決の日。来年度の本予算の採決前(最終日)に、補正関係だけ採決をして執行する。各委員会からの報告で、20分ほどで終了。もういいかなと思いつつ、痛みが続くので(もう痛みは終わりかなと思ったが)、整骨院へ。病院と異なり、マッサージと温めだから、待つこともなく、30分ほどの時間なので気軽に来る。料金も680円。
 国会予算委員会(参院)は、財務省の森友問題に絡み、決裁文書を改竄したのではないかとの疑いで、野党が政府を追求。もともとの文書を出せということに、検察庁との関係、捜査に対する妨害などという口実で、出さず、以前国会に出した文書をのみだすということで紛糾。野党議員の質問時間は空白で、処理能力の欠如を感ずる。このままでは通らないだろう。
 北朝鮮と韓国の対話が、急速に具体化しつつある中で、日本の外交及び内政に対する政府の無力を露呈している。トランプにも追い越されるのでは・・・。(3/8)<42338>


◇ 火曜日。コープの組合員理事で構成される理事協議会で、みやぎ生協の専務からみやぎ生協の概要を知るための勉強会。一度、全体像をきいておいてはどうかと言っていた手前、出席して話を聴く。今年の6月の総代会で決議し、来年の3月末には、組織合同する生協である。組織合同は、福島県のコープふくしまと県南生協が、みやぎ生協に合流する形。組織率7割、70万の組合員を抱える組織なので、活動は多彩であり、組織的である。学ぶべき点は多いが、当分は、今までの組合員活動は、それぞれ継続しながら、進むことにしている。

 午後、街に出かけ、その後整骨院(大分、良くなった)、そしてドコモショップへ。SDカードが壊れているので取り寄せ。メカニズムに弱くなったと感ずるのは、我慢強く考え抜く姿勢の欠如か。もう少し、情報環境改善を諦めないで、進むしかない。
 夜10時からのNHKテレビ(クローズアップ現代)は、原発事故中止及び廃炉を担う労働者の厳しい現実をレポート。当初から気になっていたが、危険な作業とは知りつつ、誰かにやってもらわないとという勝手な考え。もう少し、元請けにせよ、健康管理をしていると思っていた。現場・下請け労働者には、検査をするゆとりすらない。検査もしたくないという。労働者の、「切り捨て」という言葉が重い。そんなことがあっていいものか。原発労働者の問題は、何層にもわたる下請け関係が問題と、新聞でコメントしたことがあったが、こうした事故後の労働でも貫かれているので、きちんと実態を発信することの責任を痛感する。労働法専攻者の最低限の責めだと思うのだが。(3/6)<42319>


◇ 月曜日。午前中、本宮市の二つの委員会に出席。一つは情報公開審査会。委嘱状交付と会長などの選任。もう一つは、行政不服審査会。これも同じ議題。2年の任期だが、年度末の報告以外は、特になし。委員の一部が異なるので、10時からの開会と、少し置いて11時からの開会。11時半ころに終了。久しぶりの本宮市なので、確かドイツパンの店を想い出した。妻に問い合わせて「ハーツ」とのこと。しかし、月曜日は定休日。店構えのみでもと思い、定休日を確認へ。
 帰宅後、郵便局と買い物に付き合って、コープの会議の前に整骨院へ。土日の痛みは余りひかなかったが。ガソリンを入れてから、コープの会議へ。雨降りで、あまり爽快ではない。少し気が滅入る。
 今日は3月5日。3人兄弟の兄は3月1日生まれ、姉は3月5日生まれ。昔は、兄弟姉妹の誕生日は、自分が該当しなくてもおこぼれがあったものだ。既に兄は病死し、姉は津波で未だに行方不明。生きていたらと考えは、意味のないことだが、78歳になっていただろうか。こんな結末は予想だにしていなかった。亡骸もないので、気持に見切りをつけるのが難しい。私が小学1年の時に、姉は6年生。学校で、何か困ったことがあると、すぐに「アンネ―」といったような気もする。元気印の姉が、津波にさらわれるなんて、予想だにしなった。今や、姉の享年を過ぎてしまった。また、7年目が来る。(3/5)<42309>


◇ 3月初めの土日は、いずれもバス旅行で楽しみました。
 土曜日(3日)は、「奥州水沢くくり雛まつり、黒石寺参拝と前沢牛ランチを堪能」する行程。9時20分に福島駅西口を出発、一路、前沢へ。和風れすとらん(牛の里)で、まず昼食。近くの黒石寺(こくせきじ)。天台宗の寺院。本尊は、木像薬師如来坐像(重要文化財)。729年に東北地方初の寺院として行基が開いた。慈覚大師坐像、四天王像もあり。中尊寺より古い。
 その後、旧水沢市内に行き、くくり雛まつり。「くくり雛」とは、「押し絵」の技法で作られる水沢地方伝統の人形。内裏雛や歌舞伎、おとぎ話を題材にした人形。第17回というから、歴史がある。十数カ所に分かれ、料亭の一間のひな壇もある。5か所の訪問スタンプをもらうと抽選へ。残念ながら残念賞のティッシュペーパー1つ。途中、道案内してくれた中年の女性も、作成し、出品しているという。市民の手によって、つくられているところがいいのかも。

 日曜日(4日)は、福島民報創刊125周年企画(ふるさと大好き 地域の魅力活用プロジェクト)の最終回。「常磐線を乗り継ぐ相馬地方の旅」。海鮮弁当がついて1000円の会費というから超安価。何の気なしに応募したら、当選。応募者160名の40名に入った。福島駅を8時15分発のバス。飯舘村・道の駅までい館で休憩(知人がいっていた大豆のクリームは、10時開店のため買えず)。常磐道を南下し、浪江ICで降り、大平霊園(請戸小学校から2キロ、小学生が津波から避難、慰霊碑がある。)、請戸港、請戸小学校、浪江町役場に行き、昼食を食べ、隣の仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」。
 浪江駅からJR常磐線に乗り、原ノ町駅下車。駅長の話を聴いて、さらに再乗車。新地町で下車。新地町役場まで徒歩。最上階から新地駅中心の都市計画の進み具合を聴き、広大な事業展開を見る。バスに乗り換え、相馬港・松川浦、立ち寄り買い物(水産物)。相馬から一路、福島駅に向けて5時半には到着。
 いつも車で行くため、常磐線に乗れず、浪江から新地まで乗ることが出来た。コープ関係で被災地見学するが、他の団体では、どのようなポイントを見せるかが関心。初めての場所もあり、有意義なバス旅行だった。
 2日連続のバス旅行は、さすが疲れたが、震災7年を前にして、いい経験だった。痛い左腕と肩を擦りながらだが、いい思い出となった。(3/4)<42296>


◇ 木曜日。気温は暖かいものの、風強く、偶には小雪混じり。
 スマホの調子が悪く、ドコモの店へ。SDカードが壊れているのか、作動が鈍い。結局、SDカードが壊れているので、新しいのを買うことに。写真のデータが損失したかな。
 昼食後、整骨院へ。土日前に、行っておかないと。風呂で肩などを温めながら、改善を待つが・・。
 Sさんから、心情を吐露するようなメール。各自が、自分本位にならないで、共通の目標に向かって、進まないと。私は、できる事をやるのみ。あまり付き合い良すぎるのも問題か。関西の教え子から、仙台のIさんの見舞いに行きたいという先生の問い合わせ。老健施設の名称を教えてほしいとのこと。老健施設への見舞いのイメージとは異なる。改善の余地が見えず、心が重い。何とか元気になって、せめて見舞者と話ができればいいのだが。(3/2)<42282>


◇ 3月になりました。暖かくなりましたが、雨風が強い日です。台風のような感じです。
 午後、約束していたM紙のIさんを、コープ本部に迎えての取材対応。3.11の7年目を迎えての社説の準備作業です。毎年、1年ごとに書かれているのですが、特に今の時点でどうかということです。特に、スッキリしませんが、復興の目標である「人間の生活の回復」とは何か、ということでしょうか。津波被災地は、「ゼロからの出発」だが、原発被災地は「マイナスからの出発」ということに関心を示していました。また、各町村個別の復興では、各町村の状況の相違から、格差もあり、県も入っての連携(連合)が必要ではないかということです。また、それぞれの個人の状況に対応するということで、それが「寄り添い」なのかな。また、避難解除で、帰還か否かを迫られているが、こうした二者択一ではなく、それぞれの状況に応じた故郷との接点を認めることが必要だと思う。二重の住民登録のみならず、避難先での住民としての地位、避難元との関わり合いを可能とする制度設計も必要であろう。今後の災害にとっても、共通事項となると思うのだが。
 帰宅途中で、整骨院に寄り、知人との夕食に出かけました。約束した店を勘違いして、少々戸惑いましたが、スマホの助けで、ほぼ到着。芸術的作品のような料理で、静かに、味わいながら食べました。それぞれの職場での活躍を聞くことはうれしいし、頼もしい。今後の人事的展開を楽しみに、眺めることにしましょう。雨は少なくなりましたが、風が強い夜です。(3/1)<42272>



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