日 記(備忘録)

(2018年6月)


<今野順夫の部屋>

◇ 6月も最終日になる。早い。
 木曜日(28日)、コープカレッジの第11期の3日目。「平和主義」のテーマだが、今回は「沖縄問題」を取り上げる。労働組合活動家で文化人の小川英雄氏に、戦前からの沖縄の歴史を含め、貴重な話をいただいた。昼食後、夕方に開演される青年劇場の「あの夏の絵」の公演準備の手伝いに行く。公演の実行委員だから、あまり役に立たなくても参加するだけでもと。
 一旦、帰宅し、5時に劇場(福島テルサ)に集合。300人ほどだろうか。少し採算上、心配な点はある。委員長が、被爆者でもあり、高齢でもあり、三春にお住まいなので、夜の行動には無理があり、結局、公演前の挨拶は、副実行委員長の私がやらざるを得なかった。一番、券の販売や準備に協力していないので、断り切れない。言おうと思っていたことを忘れたところもあったが、それほど迷惑をかけなかっただろう。公演は、多くの皆さんから好評で、よかった。打ち上げは失礼して帰宅。
 帰宅後11時からのサッカー予選。ポーランドに1対0で日本は敗れたが、セネガルとはイエローカードの数の差で、日本が第2位として決勝トーナメントに進出することになった。それが分かった段階で、時間稼ぎをしてる日本チームに、批判も寄せられたが、決勝トーナメント進出を最大の課題としている限り、「本意」でなくともやむを得ないのではないかと思う。

 金曜日(29日)、暑さが続く。特にないが、夕方、知人との懇談会に出て、懇親会にも付き合う。
 土曜日(30日)、フォーラムで報告をお願いしている方に会いに、飯舘村に行く予定だったが、相手の都合が悪くなり、家族の送迎もあり、行かなかった。ついでに、飯舘の文化交流館で開催されている映画会を覗いてくる予定だったが、それも中止。残念。午後、楽天の対西武戦のテレビ中継。昨日は15対1、今日も9対1で勝利。西武に勝てるとは、信じがたい。
 室内の無線ランが不調で、困ってしまったが、ルーターのせいと思い、電気店に行って、安いルータ―を買ってきた。あてずっぽうだが、何とか動き出した。構造がよくわからないままの手探り状態だが、最低の勉強はした方がいいのかも。大学にいるときは、隣近所の若い教員に聴いたものだが、なんと、孤立感。仙台のT君に電話し、いろいろ聞いたが、それも大いに参考になった。こうした機械の難問が多く出てきそう。テレビのビデオデッキも買わなければならないのだが。そうすると冷蔵庫、洗濯機など、油断していると10年、18年ほど過ぎている。使えなくなる前に、事前対応は必要か。まあ、車だけでなく、家電製品も、「人生最後の」というようになりそう。仕方がない。
 県の委員の退任に当たり、昨年度までご一緒したOさんにメールで報告したら、折り返し電話をいただいた。有り難い。退任する気持が共有できる。お元気でご活躍の様子、嬉しい。良い思い出のみが残る。(6/30)<43495>


◇ 火曜日(26日)。県議会の代表質問。自民会派のみの質問。ほぼ1時間で終了。一旦帰宅し、夕方の「演劇の上演実行委員会」へ。300人の目標に対して8割ほどか。委員長・副委員長が事情あり欠席し、残された副委員長としては心もとない。なかなか、前売り券が普及できない。時代に合った、良い演劇だと思うが、なかなか広げられる接点がない。
 水曜日(27日)。15時半からの委員会。委員会終了後、委員のみで懇談。私は任期終了だが、スムーズに継続できるような体制が必要。この関連の仕事も、県議会の閉会式、お世話になった方々への挨拶、送別会を残すだけとなった。ゴールは、目前。資料の処分など、少し忙しい。(6/27)<43459>


◇ 日曜日(24日)。同窓吾峰会の岩手県支部の皆さんと飯坂温泉に宿泊・交流し、朝、帰宅。しばらく休んで、午後、福島市内で行われた行政社会学部・行政政策学類創設30周年行事に参加。クロストーク、祝賀会に参加。同窓生88人とともに、現旧教職員等多くが参加。木幡福島市長、菅野飯舘村長、遠藤川内村長などにも参加していただいた。もう30年も経ったのかと感慨深い。
 月曜日(25日)、深夜のサッカー観戦。2対2でセネガルと引き分け。頑張った。午前2時就寝だったので、眠くなることを警戒しながら県議会の代表質問に参加。連合と共産党の会派の総括的な質問。11月の知事選前に、いろいろ活発な論戦。
 夕方、コープ常任役員会に参加。来年3月の組織統合の実施に向けて、慌ただしい。(6/25)<43443>


◇ 木曜日(21日)、県議会の開会式。冒頭に、ご逝去された三村議員の追悼。黙祷とともに、同僚議員による追悼演説。知事の施政方針演説。最後に、11月の知事選に絡んで、山積課題の大きさと、皆さんの意向により、再選の立候補の表明。終了後、人事委員会。夕方は、富岡町教育長の石井賢一先生のご報告を聴く、第130回ふくしま復興支援フォーラム。32名の方々が参加してくれた。
 金曜日(22日)、夕方、伊達市にある北福島医療センターに出かける、地域医療支援病院運営委員会。
 土曜日(23日)、福島大学の教育学部の同窓会の岩手県支部の皆さんの「福島への旅」に同行。大学構内や旧校舎・寮の跡地をめぐり、信夫山から福島市の全貌を眺め、飯坂温泉に宿泊。10年前の設立の際に、立ち会った縁から、飯坂温泉まで同行。懐かしい方々の元気な話で元気をもらう。(6/23)<43420>


◇ また3日が過ぎた。毎日、机に向かって備忘録としての「日記」をつける習慣は、3日おきになってきた。以前の一日の行動が、3日分だったのか。1日分が3日通じて、ゆっくり流れるのか。ゆっくりしていてはならない焦りはあるが。
 月曜日(18日)は、いつものコープ常任役員会は、常勤役職の出張などで中止になったので、のんびり。
 火曜日(19日)、国際交流協会の評議員会。公益財団法人なので、2重構造になっている。以前は、評議員として出席していたことはあるが、いまは構成員ではない、しかし、評議員会には、理事長としての挨拶が必要。プロ野球、東北楽天、最後の交流戦。監督辞任以降2戦目。対阪神で、7対1の快勝。強くなったのか、緊張しているのか、外国人選手は皆無だった。

 水曜日(20日)、午前中、コープカレッジの打ち合わせに参加。来週、沖縄問題の講義があり、この期の「平和主義を考える」は終了。どうも、こうした堅い問題は、関心が少ないのか。やはりというか、健康の問題、料理の問題、外国の問題などに関心が集中。そうした主婦の関心の強さが、日本の家庭を裏支えをしてきたのだろう。一方的に拝聴するだけでなく、討論するゼミ風のものがいいのかな。どうしても時間が足りないので、詰め込み過ぎているかもしれない。話し合うこと、他人の話・考えを聴くことの楽しさが必要かも。
 午後、市内の蓬莱団地の学習センターで開催される講演会。元文科省事務次官の前川喜平さんの講演を拝聴。「これからの日本 これからの教育」。関心が強く、体育館に500名を超える聴衆。私は、3回目だが、家族が聴いたことがないので、一度は聴いていた方がいいと、行った。どの回も、異なる話の切り口で感心する。和気あいあいの会合だった。

 帰宅後、7月末の原発と人権のシンポジウムの現地実行委員会。東京から実行委員会事務局長の弁護士さんが来て、色々準備の相談。震災の翌年に開催し、その後、2年ごとに行い4回目になる。2回目と3回目、現地の実行委員長だったが、今回は代わっていただいた。多くが全国からの参加者で、遠い福島で行うのは、面倒なことが多いが、いままでは福島で開催することの意義を確認しつつ、継続している、折角の機会だから、福島の方々が、多く参加してくれないと意味がない。
 その後、遅れたが、28日の演劇「あの夏の絵」の公演実行委員会。500人収容の福島テルサ、200を超えた段階か。私の協力もささやかだが、何とか4枚が捌けた。若い時のように、進める相手が多かった時代と異なる。やはり高齢になって、友人・知人関係が希薄というか、建前になってきたのかも。仕方がない。少しでも広めたいと思い、大学の元同僚や、美術関係の学科のある高校にも回ったが、なかなか反応は少ない。核兵器の廃絶と被爆者の経験を伝えることが重要だと思うが。(6/20)<43385>


◇ 日が過ぎるのが早い。金曜日(15日)、特になし。
 土曜日(16日)、病院への定期診察。検査値にあまり変化はなし。病院から、白河市(大信)で開かれている、大豆の会の「畑の学校」へ。コープふくしまが加入している大豆の会の会長を拝命しているのに、あまり参加できない。今度は何とかと思ったが、病院から現地まで1時間ほどかかり、昼食に間に合った感じ。順調に、大豆の種蒔きは終了したようだ。小さな子供連れもおり、和やかな集い。総代会で、畑の学校に参加した経験を感動的に発言した総代の話はよかった。バス一台、こうした積み重ねが重要なのだろう。今年は、草取りや収穫時期に参加したいと思う。帰途、お世話になっている「JA夢みらい」の農産物直売所(はたけんぼ)に立ち寄り、畑の学校参加者とともに買い物。豆腐が美味しいといわれたので、豆腐のコロッケなど珍しものを購入。
 買い物していたら、買い物中のご夫婦に。「今野先生」とよびかけられた。教育学部の昭和56年の入学者で、二人とも卒論指導教員が友人の臼井先生だったらしい。臼井先生とは、教育学部社会科の同僚教員だし、大学執行部の際、一緒に連日仕事をした仲。残念ながら、定年後、早期に亡くなったが、臼井先生の話で尽きない。現在でも、お二人とも現職の教員として頑張っている様で、嬉しい。臼井先生がお元気なら、喜んでくれただろう。

 日曜日(17日)、女川のサッカーチーム「コバルトーレ女川」のホームでの試合(JFL)の応援で石巻へ。ついでに娘たちへ荷物を運ぶ予定だったが、それぞれ都合がつかず、結局、サッカー応援のみ。相手は奈良クラブ、格上のチームだが、前半、同等だったが、後半、立て続けに4点を取られ大敗。4対0で敗北。なかなかホームで勝てない。さらに練習を重ね、頑張ってほしい。
 運転しながら聞いてきた東北楽天と阪神戦。前日、勝てると思った試合を9回で逆転され、借金20となり、梨田監督は辞任。中途辞任は心が痛む。監督代行で行った試合、8対0の大勝。やればできるのでは、・・・とは思うが、監督辞任のショックは大きいのだろう。奮起して、何とか借金を返して欲しい。

 今日は、「父の日」。二人の娘からプレゼントが送られてきた。父親らしいことはしていないが、もらえると、率直にうれしい。子ども時代、母の日の思い出はあるが、父の日の思い出はない。世の中でも、あまりもてはやさなかった。「父になる」という映画をテレビで放映していたが、子育てでの父親の役割が、問われているのだろう。男性の働き方、家事労働への参加の問題、いろいろと広がりを持つ。(6/17)<43354>


◇ 週開けて、4日が過ぎた。
 月曜日(11日)。コープ本部での朝礼の日。テレビは、シンガポールで行われる米朝首脳会談関連の報道。何かショーのような気もしないではないが、史上初めてというから、物凄い。朝鮮戦争の休戦状態から、終戦へ向かうならそれ自体、画期的。朝礼の挨拶は、それに触れざるを得ない。
 夕方は、コープの常任役員会。14日に迫った、総代会の準備。
 火曜日(12日)は、米朝首脳会談の報道で、振り回された。会合に出かける家族の送迎。

 水曜日(13日)、午後、翌日の総代会に見えられる日生協会長のH氏とK部長を迎える。折角の機会なので、福島大の学長を表敬訪問。震災からの復興への対応を聴くとともに、来年度設置予定の食農学類構想について聞く。食農学類所属予定の3人の教員から、その状況を聴く。夜の夕食でも懇談。食品分析などの研究は、生協活動の接点の可能性を感ずる。今後、様々な連携の可能性を期待する。久しぶりにアルコールをいただき、楽しいひとときを過ごすことができた。

 木曜日(14日)。コープふくしまの第24回の通常総代会。9時前に会場(グリーンパレス)に到着。10時からの開始、理事長あいさつを行う。来年の3月21日は、みやぎ生協・県南生協と組織的統合するので、法人としてのコープふくしまを解散する決議の提案。こうした総代会は最後のものとなる。圧倒的多数の賛成で、議決され、予定通り動き出した。何とか、実際の解散・統合までの期間、何とか実績を上げて、新しい組織に向かいたい。解散とともに理事・理事長は解任となるが、それまでの間の理事・理事長として新たに総代会で選出された。最後のご奉公として頑張らないと。3月21日以降は、清算法人の清算人となる。
 総代会終了後、退任理事(1人)及び新任理事(1人)の慰労及び歓迎の懇親会。楽しい雰囲気のなかで進行。懇親会後。会場の喫茶店で懇談。6時からテレビ中継の東北楽天対中日戦を見たく、急いで帰る。岸投手の力投と何とか打線も頑張り、4対0で勝利。中日とは2勝1敗。ボトムに低迷しているが、少しでも前に進んで欲しい。(6/14)<43326>


◇ 土曜日(9日)、友人が大宮でお世話になっている方々を、被災地見学に呼んで、その視察。いつも世話になっている方々なので、駅頭まで出迎え。楢葉から会津美里に避難している方々が、作った清酒「楢葉の風」を差し入れた。味は分からない。被災地の復興支援と思い、飲んでいただければ有難い。
 昼から、退職者の会の総会。新たな方々も増えたが、喜寿のお祝い、米寿のお祝いの方々も増えた。元気に過ごして欲しい。
 日曜日(10日)、雨だったが、誘われていた女川の同期生の家のバラの鑑賞に出かける。駅で福島在住のKさんを乗せて、一路、仙台へ。昨日は多くの方々が来ていたらしいが、今日は福島からの我々2人と、石巻からの親友。いろいろご馳走になり、女川のサッカーチーム・コバルトーレ女川の試合の動向を追跡。なんと、75分で1点得点、しかし85分に1点失点。ここまでかと思ったが、アディショナルタイムに1点得点。女川の勝利。2連勝である。何とか、16チーム中12位の位置をキープ。それ以上を望める地位。格下げになる2チームにはいらないよう頑張ってほしい。帰路は一人だが、東北楽天のラジオ放送を聞きながら。また敗北。
 新潟県知事選の開票。二代続いた原発再稼働に批判的な知事から、慎重とは言うものの、再稼働推進の勢力のおす候補の僅差の勝利。候補者は原発ゼロをいっているらしいが、どのように展開するか、注視が必要。(6/10)<43284>


◇ 木曜日(7日)、第129回ふくしま復興支援フォーラムを開催。札幌のDさんが、東京出張の帰り、立ち寄ってくれた。わざわざ、福島に宿泊し、参加していただいた。初めての参加であるが、そろそろ終了かと考えて、参加していただいた。どうするか、そろそろ終活を考えるべき時かな。既に、9月末までの計画はあるが。フォーラムは、森林組合連合会の専務理事のMさんの実態に基づく報告。Dさんにも言われたが、参加者の意識が高い。嬉しい誉め言葉。
 金曜日(8日)、全国人事委員の東京での会議。年度の予算決算などで、毎年のことである。事務局2名と参加。最後の参加なので、定例のコープ理事会は欠席させてもらって参加。そろそろ新しい生活を確立していかないと。(6/8)<43273>


◇ 火曜日(5日)、久しぶりに、はじめて、プロ野球交流戦で東北楽天が勝つテレビを見た。相手は巨人。プロ野球5年目にして初勝利の古川の喜び。良かったね。
 水曜日(6日)、退職者の会の役員会で約束していた木球。役員会に指導者のA先生が入ったので、かつ総会と忘年会以外に何か企画をという声の実現のために、試行的にやってみようということになった。先生含め5人。吾妻運動公園で、旗を立てて実施。まあ、何とか楽しめた。運動して気持ちがいい。9日の総会には、全体に呼びかけてやることを呼びかけることにしよう。
 夕方、28日の演劇に関連して、広告の件で、事務所に行く。広島の高校生の美術科が、被爆者の証言を聞いて、みずからそれを絵として再現する過程の取り組みの劇化。美術をやっている高校生や大学生に見て欲しいが、なかなか、手掛かりがない。本当に直接に勧められる人々との付き合いがなくなって残念である。(6/6)<43249>


◇ 月曜日(4日)。木曜日に開催するふくしま復興支援フォーラムの資料づくり。丁度、報告者から、レジメの原稿が届いたので、グッドタイミング。129回目になる。今後、9月下旬の第136回まで報告者が決まっているが、その後、どのように展開するか、思案のしどころ。年内に142回まで行くかな。回を重ねることだけが自己目的化するといけないが。
 夕方、コープの常任役員会。総代会後の職務の変化から、いつも使用していた部屋を改造し、臨戦態勢に入る。そのため、大きなホールを使用する。長期的なことになるが、既存の部屋割りも考え直さないとならないだろう。来週の総代会、そして来年3月の組織的統合の実施。こういう時こそ、落ち着いて、進めなければならないのだが。(6/4)<43228>


◇ 日曜日、夕べ遅かったせいと少量だが飲酒のためか、朝から体がだるい。
 新聞切り抜き、身のまわりの整理で昼になった。午後からテレビで福島ユナイテッドの試合中継。J3だが地元のテレビだから中継か。相手は盛岡、結局、0対0で終了。全日本からJFLまで、レベルが違うのだろうが、同じようにハラハラ。
 なかなか売れない演劇のチケット、お願いしていたOさんから2枚送ってくれとのメール。有り難い。
 交流戦の東北楽天は、ヤクルトにまた負けて、交流戦0勝の不名誉なデータ。なんか、パソコンで進行を追っていて、勝てるような気がしないのが問題。イライラして、夕方の散歩。5000歩ほど。(6/3)<43214>


◇ 土曜日。東京で「女川元気会」の総会。仙台のSさんが初めて参加し、道不案内ということで、東京駅で待ち合わせました。震災の年、2011年4月に支援団体「女川に元気を送る会」を結成し、支援募金を呼び掛けた。1千万円以上の協力があり、「子どもたちのために使っていただきたい」との使途の希望を述べて、当時の安住町長に手渡している。毎年、慰霊の旅などを企画し、物心両面の支援をしてきている。2015年に「女川元気会」に名称変更。今回の総会で、「おながわ会」に変更、会費は徴収しないが、イベントは行う支援団体にしている。「女川元気会」最後の総会だが、50人ほどの出席。
 総会後、二人の講演。コバルトーレ女川の社長の近江さん。話している途中に、同時刻に角田市で行われている試合で1点先制、最後に1対0で勝利の速報が入り、臨場感があり、大歓声。
 もう一人は、女川町長の須田さん。復興の現状について、熱をもって話してくれた。終了後、懇親会。高齢者集団だが、話に盛り上がっていた。帰りは、19時28分の新幹線。自宅は10時を過ぎた。
 復興支援も、状況の変化の中で、新たな課題に対応していかなければなるまい。可能であれば、行政の課題としても、女川に在住していないが、女川に心を寄せている方々(避難して他市町村で暮らし始めた方々、女川町出身者、女川への支援者等)の力を結集すべく、新たな「町民」制度を作ってもいいのではないか、と思っている。大変な原発被災地の復興の際と同じだが、女川の人口流出は深刻。1万人が9000人になり、そして流出3000人。いまや6000人台。手を拱いていてはだめだと思うのだが。(6/2)<43209>


◇ 6月になった。暑さ、寒さの繰り返しの中で、5月が過ぎた。世は衣替え。
 6月28日の演劇の公演実行委員会の仕事で、地元新聞社に行く。できれば、記事で取り上げていただきたいと思ってのこと。多分、小さな記事だろうが、やるべきことは全て行う。福大のM先生に電話でお願いして、ビラを届ける。不在だったが、机の上に置いてきて、ショートメールで確認。
 この日記を更新しようとしたら、デスクトップにある、多くのフォルダーが見えなくなった(消えた?)。大慌て、なんでこんなことになったろう。この更新も、従来のデータのないまま。多分、パソコンのどこかに隠れたのだろう。しばらく、我慢して発見するのを待つしかない。windows10は、なかなか使いずらい。困った。(6/1)<43198>



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