日 記(備忘録)

(2018年8月)


<今野順夫の部屋>

◇ 8月も、今日で最終日。どうも睡眠不足なのか、朝から眠くなる。夜も、大分涼しくなったので、眠れないことはないのだが。
 午後、4月の人間ドックで、1年以内に大腸のポリープの切除が必要とのことだったので、そろそろと思い、病院へ。結局は、人間ドックの結果があっても、診察を受けないと治療・入院はできないとのことで、予定を組み込むためには、来月中旬の、定期診察を待たなければならないことになった。そのための診察を今日受けるかといわれたが、毎月の診察以外に、また医療費をかけるのは、どうかと次回の診察日を待つことにした。担当医と、毎月、一般的な必要性は話していたが、具体的な日程が決められなかった。二重手間だな、と思うが仕方がない。
 収入が一定程度あるので、自己負担は3割。収入もなくなりつつあるので、もう少しかな。医療費は安くなっても、その前提の収入が減少するわけだから、医療費も節約しないと。
 夕方は、久しぶりの東北楽天のテレビ中継(対ソフトバンク)。いとも簡単に7対1で敗北。最後まで見ていて、家族からは、余り尊敬されない。しかし、できない子ほど、気になって・・・ということか。敗北の中にも、若手の選手の台頭は嬉しい。勝敗だけでなく、そんな楽しみ方があるのかもしれない。9月は、いいことがあればいいね。(8/31)<44110>


◇ 火曜日(28日)、午後、松川事件発生70周年の記念行事の実行委員会結成。60周年の時も大学の人間として関わったが、もう10年か。60代の私も70代になった。全体として高齢化。同じようなメンバーなので、違和感を感じないが。いつも、若い人たちに受け継いでほしいというが、なかなか上手くいかない。そのまま引き継ぐのは、押しつけか。若い人が意欲が出る形に変えないと難しいか。少し、小規模化しながらも、継承の実を上げるべきか。頭が痛い。
 水曜日(29日)、特になし。
 木曜日(30日)、コープのコープカレッジの事務局会議。福島で始まり、郡山、二本松に広がり、今回から相馬に広がる。第14期というから、回数だけは増えたが、受講生の広がりはどうか。来年3月には、組織的合同も迫っており、その後を、どう展開するか、考えなければならない。(8/30)<44098>


◇ 日曜日(26日)、コープあいちの被災地視察に郡山(コミュタン)より同行。急用で行けなくなった有能な理事さんのピンチヒッターだが、執行役員のNさんがリードしてくれて、観光客気分。富岡、浪江、飯舘を回り、最後は宿泊先(穴原温泉)へ。夕食の懇親会にご一緒して、皆さんの様々な疑問に答えるなどしてきたが、充分かどうか自信はない。でも。Nさんの案内は、板についており、有能な添乗員に負けない。自宅を朝7時半に出て、自宅に戻ったのが夜9時過ぎ。長旅で、少々疲れました。

 月曜日(27日)は、約束していた新聞社での取材協力。ふくしま復興支援フォーラムの経緯と展望。できる範囲の学習活動だが、「市民的合意形成」にいかほどの貢献をしているのか。まあ、しばらく、せめて200回まで、震災後10年までは続けたいが、こちらの体力が続く限り。
 午後、コープ本部へ。みやぎ生協と組織的合同に向けて、労働組合は既に合併している。その新役員(委員長・書記長)が挨拶に見えられた。合同に向けた、諸課題の懇談。4時からは、定例の常任役員会。字が小さく見えにくいし、耳もよく聞こえなくなってきた。早口の福島弁ゆえと思っていたが、やはり老化でしょう。できるところをやるしかありません。(8/27)<44070>


◇ 金曜日(24日)、夕方、松山から来たゼミ卒業生とその指導学生とともに、夕食。夕食代くらい出そうと思っていたら、私の分まで、出されてしまった。「現職」ですからとの弁。そういえば、こちらは年金生活者。しかし遠来の卒業生が来て、奢られたのでは、・・・。そういう実態なのかな?
 組合理事さんが家族の急病で、大変なので、日曜日の視察の団体へお世話を代行することにした。皆さん、家庭的責任を負いながらのコープの組合員活動なので、急な変更は難しい。フリーのピンチヒッター要員としての役割は、私にあるのだろう。家族としての看病は、きちんとして欲しい。
 土曜日(25日)、いろいろ相談があるとの話があったので、出かける。様々な市民運動も、高齢化して、今後の継続には困難が伴う。若い人に参加してもらいたいが、若い人の立場に立って、承継することの意義を理解してもらうことが必要だ。たまたま、生活と健康を守る会のバザーをやっていたのにぶつかる。出店していたカレーライスを昼食に。(8/25)<44052>


◇ 火曜日(21日)。高校野球の決勝戦。午後2時からだが、落ち着かない。結果は13対2。金足農は、大阪桐蔭に大敗。ピッチャー1人の悲しさか。多分疲労困憊であろう。マスコミも金足農びいき。秋田、東北のフィーバー。今回も、優勝旗の白河越は、実現せず。娘たちの情報では、秋田県の中学出身だけでなく、昔住んだことのある天王町周辺(潟上市)の中学出身が6人という。本当に、全くの田舎だったが。でも夢を見させてくれた。
 結果をほぼ確認しつつ、コープおおいたの視察旅行に追いつくべく、相馬へ。途中、霊山でアイスクリームを食べ、早めの宿(有鶴)到着。昔の理事さんのところに電話し、相馬市長に電話。全国の市長会の会長当選へお祝い。私と高校(仙台)の同窓生。かなり若いが。夜は、コープおおいたの皆さんとの交流。

 水曜日(22日)、コープおおいたの新地町(役場・小学校)訪問に同行。任期が来月に満了する加藤町長との懇談、小学校への訪問は、大きなイベント。コープおおいたの、今までの蓄積に感動する。昼前に、一行と別れて、福島へ。ふくしま復興支援フォーラムの準備など。31名の参加者で、まずまずの参加。狩野氏の原発労働者の労働条件相談の事例。具体的で示唆に富む。全体として、もう少し、この問題に多くのエネルギーを割いてもいいと思うのだが。
 木曜日(23日)、コープおおいたの皆さんの、松川町の仮設住宅(飯舘村)での交流会。入居者の数が少なく。大分の皆さんの数が多いので、じっくりした話し合いは難しそう。若手職員の考えたイベントで盛り上げ。元気に、帰途についた。いつもありがとう。(8/23)<44035>


◇ 月曜日(20日)。高校野球の準決勝。秋田県の金足農業が日大三高と。苦しみながら2対1で勝利。びっくりの前進。明日の決勝戦は、大阪桐蔭と。プロと草野球の対戦のようだが、雑草軍団の金足農業に勝って欲しい。東北では一度も優勝はない。逆立ちしても無理かもしれないが、同じ高校生。全力で打破してほしい。
 夕方、コープふくしまの常任役員会。組織合同の事務的課題が多くなる。新組織への転換、容易ではないが、実態を見つめ直して、新たな前進に繋げるしかない。(8/20)<44007>


◇ 土曜日(18日)、午前中は、定期診察の病院に通院。いつも検査だが、数値が急激に悪くなり、再度、一粒の錠剤を飲むことになった。暑さのために運動不足になってしまったと思っているが、やはりと、予想通り。以前は、薬を飲んで、数値が下がり過ぎたのと、内臓に負担をかけることになるということで中止したが、今度は、素直に再開することにした。心して、運動をする必要があると、反省。
 夕方、花見山の知人のところで、昔の草の根ネット仲間のBBQ。ゆかいな仲間たちと楽しみながら。花見山から見える福島市の夕焼けは、幻想的で美しい。丁度、高校野球の準々決勝。東北唯一残った金足農高の粘り強い戦い・勝利に機嫌が良くなる。20日の準決勝も勝って、できれば白河の関を優勝旗を超えさせてほしいもの。農業の大切さを歌う校歌も素敵だ。

 日曜日(19日)、孫たち一家が来た。8月の初めに、会津からの帰りに寄る予定だったが、孫たちが体調を崩し来れず、改めて。あと1週間と迫った夏休み明け。頭は宿題で一杯か。自らのことを思い出す。農協の店に行って、桃を購入、そば屋で昼食、イオンで何か希望の物を買うということで、付き合いました。
 夜は、東北楽天とロッテのテレビ中継。6対0とリードしていたので、楽勝と思いきや、8回・9回で8点。結局7対8で逆転負け。見るのに耐えられない試合。がっかり。もう、野球の結果は、ニュースか、翌朝の新聞に任せるかな。野球離れしないとダメだね。(8/19)<43989>


◇ 木曜日(16日)、家族を送る帰りに、フォーラムで報告をお願いしているCさんを訪ねる。福島の風評被害に対抗して、母国の高校生や大学生を、福島に訪問してもらう活動を地道にしている。こうしたふくしま復興に向けた国際的活動を、市民レベルで行っていることは貴重である。国や県の行政トップの動きも重要だが、やはり相手国の意思形成をしている基盤は、その国の国民。市民同士の交流と理解が重要と思う。大学の時代に、海外との交流協定締結などの時に、大変お世話になった方。報告が楽しみである。
 県立図書館に本を借りに行く。ネットで予約した本だが、いろいろ利用させてもらおう。
 金曜日(17日)、自宅内の「不要になった」書籍(?)の整理。コープのリサイクルへ。また、あらかわクリーンセンターに初めて行ってみた。知らいない場所が色々とある。夕方、大分、休んでいた散歩へ。一雨あったので、大分涼しくなって、凌ぎ易いが、しばらく休んでいた足が痛い。5700歩。何とか、可能な限り続けたい。行方不明の2歳児を発見した、捜索ボランティア・尾畠春夫さん(78歳)の行動に感激。可能な限り、年老いても、他人のため、社会のために何かをなそうとする気持ちが大切だな。(8/17)<43974>


◇ 終戦記念日。今日は、73回目の終戦記念日。全国戦没者追悼式典をテレビで見る。天皇の言葉と安倍首相の挨拶。どうしてか、天皇の言葉にある「戦争に対する反省」は、首相の挨拶にはない。抽象的ではあるが、その裏にある実質は、かなり溝は大きいのかも。平成の天皇としては、最後の参列。とにかく「平成」においては、戦争はなかった。
 平和のための戦争展が行われているが、「ルソンの戦い」の話を伊達市の八巻さん(96歳)から聴く。フィリピン関連の戦況について、あまり詳しく勉強してなかったので、勉強になる。サツマイモを植えたり、「腹が減っては・・」という話もあったので、身の回りに餓死者はいたのかと聴いたが、いなかったとのこと。個人の認識できる範囲は限定されるが、こちらも、正確に調べてみる必要があると感じた。テレビのドキュメンタリーなどでは、鉄砲の弾で亡くなる人だけでなく、「餓死」で死亡が多いということを印象深いので、これは国が兵士をどう考え、どう守ろうとしていたかにかかわると思う。この時期に、改めて、戦時の状況を理解して行くことが、新たな戦争を防ぐためには必要と強く感じた。(8/15)<43964>


◇ お盆です。渋滞やらなんやら気が進まず、またお墓参りはいけません。近くの近親者に期待しています。すみません。
 月曜日(13日)、お盆の迎え火でしょうか?女川では、「迎え火プロジェクト」がなされています。震災・津波後は、新しい意味をもっているのでしょうが、私にとっては迎え火は私事でした。いつも父親が、竹に提灯をつけて、点灯していました。いつもの風習ですが、実母を亡くした年の「新盆」の迎え火は、特に印象が深かった。間違いなく、自宅に戻って来れるようにとの願いを込めて建てました。本当に、探し当ててくるようような気がして。父親もなくなり、気丈な姉が津波で忽然といなくなってしまって、また帰る家もあるのかどうか、異常さを感じます。亡くなった方々を思い出して、改めて自らの人生を振り返る時期かもしれません。
 火曜日(14日)、県立図書館に行き、先日(9日)に講演を聴いた紺野滋さんの著書(「米英軍記録が語る福島空襲」)を借りようと思い、ネットで予約しようとしたら、5年以上も使用して行なかったカードなので、再度、更新してもらいました。残念ながら、館内貸し出しで読めたのですが、館外は丁度、予約者がおりしばらく待ちます。本の値段は1600円ほどですが、アマゾンで調べると4600円。暫く待つことしました。
 午後、妻と平和のための戦争展へ。コープの理事さんも子どもさん連れで見えていました。主催者の菅野さんと話しているとき、特攻隊で亡くなった親戚の戦争遺品を提供したいという方が見えられ、立ち会いました。高齢化しており、持っている方が維持する音が難しく、もし活用できるのであれば、との申し出です。嬉しい限りですが、受け取る方も高齢化。市等公的機関による、保管・活用が求められているようです。ある高校は、展覧会を見て、レポートをまとめている様で、毎年、新しい高校生が来て、いろいろとメモを取ってる姿は感動的です。そうした課題を出して指導している高校教諭がおられることが、まだ希望はあるのかと思います。憲法を改正して、戦争も可能とする動きがあるだけに、過去に対する洞察は不可欠です。(8/14)<43952>


◇ 金土日の3日間が過ぎた。お盆休みに入った。
 金曜日(10日)、午後、コープふくしまの定例理事会。耐震構造調査から、お店の改築問題での議論が多かった。店の改装は、利用しやすい店舗の観点からは、大切な事だが、やはり大きな資金がかかるので慎重な議論。しかし、安全の問題は最優先であるべきで、採算の観点から遅らせてはなるまい。
 土曜日(11日)、3.11後、7年5カ月。妻と仙台へ。北仙台で、親戚の土地の領域の確認を済ませ、塩竃の孫たちのところへ。やはり、東北道下りはお盆帰りの渋滞に巻き込まれ、随分遅れた。孫宅では、賑やかに昼食。夏休みで様々な経験、そろそろ夏休みもまとめ時かな。帰途、西仙台にある病院に、I先生を見舞に。暫くぶりだが、驚くほど、反応が良くなった。このまま改善して、話もできるようにならないかと、大きな期待。カーラジオで聴く、高校野球。福島代表の聖光学園は、惜しくも敗退。
 日曜日(12日)、少々疲れ気味で、自宅で寛いでいたが、仙台育英の観戦。残念ながら9対0の大敗。その次の試合(星稜高対済美高)は、大逆転、延長13回でさよなら満塁ホームランの大逆転。こんなこともあろうものか。夜の東北楽天対西武は、2連敗で期待していなかったが、1回に入れた1点を途中で追いつかれ、1対1のまま延長。引き分け寸前12回裏、茂木のツーランホームランで3対1での辛勝。なかなか力強さが戻っていない。それにしても昨夜の西武のホームラン攻勢も影を潜めていた。難しいもんだね、野球も。(8/12)<43931>


◇ 木曜日(9日)、長崎への原爆投下の日である。テレビでは、長崎での平和祈念式典の中継。長崎市長や国連事務総長の、核兵器禁止条約推進の明確な発言と、安倍首相の挨拶は、広島でと同様、残念ながら深刻な対立。核兵器の保有に固執する国と、非保有国に、共通の基盤があるのだろうか。果たして、橋渡しができるものだろうか。唯一の被爆国としての、もっと積極的な提起が必要だと思うのだが。
 朝、タオルを取ろうとしたら、タオルの上に洗剤の箱が乗っていて、洗剤をばら撒いてしまった。洗剤の箱を、気づかずタオルの上に置いたのも自分自身。こうしたケアレスミスが多くなった。人の名前を思い出せないのと同様、ヒタヒタと認知症が訪れているのだろうか。積み重なると、どうも自信がなくなる。役職から解放されると、緊張感がなく散漫になっているのかな。来年の3月にはコープの役職も解放され、さらに進むかな。新しいことにチャレンジする気概が必要と思う。
 夕方、「平和のための戦争展」のプレ学習企画としての講演を聴きに行く。元新聞記者の紺野滋さんの「福島県内の空襲被害」の話。米軍の文書なども使い、かなり詳しい(既に3冊の本を出版しているという)。福島市に落とされた模擬爆弾や、郡山の工場への攻撃、軍事目標のないいわき市への攻撃(平一小等)。質疑でも出されていたが、軍事目標ではなく、市民を標的にした攻撃(平一小等)は、国際法違反ではないのかなど、改めて、戦争の非人道性を痛感。(8/9)<43902>


◇ 火曜日(7日)、夕方の「ふくしま復興支援フォーラム」(第133回)。福大の川崎興太氏(共生システム理工学類)に、「福島の復興と“2020年問題”」をテーマに報告していただいた。急に猛暑から、涼しくなったので、参加者数が危ぶまれたが、首都圏から来られた(偶然?)方々もおり、32名の参加。浪江町の帰還者の実態など、参加者の関心を引いていた。
 水曜日(8日)、午後から出かけて、松川の70周年行事の打ち合わせ。訃報が続いた。俳優の津川雅彦氏の訃報。78歳。夕方に、沖縄県の翁長知事の死去のニュース。膵臓がんの手術ということで11月の選挙への立候補は難しいのではとの観測が出されていたが、ここまで悪い状態だとは。67歳という若さである。沖縄の基地問題をめぐって、いつも政府の巨大権力と対峙して大変だった。政府のみならず、沖縄県民は、本土の人々をどう見ているのだろうか、いつも心が痛む。(8/8)<43889>


◇ 月曜日。広島への原爆投下の日。73年になる。テレビは、原爆被害者追悼集会の中継放送。8時15分、テレビとともに黙祷。広島市長の宣言は、核兵器禁止条約の意義を訴え、日本政府の態度を改めるよう求めた。安倍首相の挨拶は、核兵器保有国と核兵器を保持しない国との架け橋のために、条約には参加しないという。唯一の被爆国として期待されている国として、残念。広島だけでもその年に14万人の死亡。この日まで31万人の死亡者。平均年齢82歳を超したという被爆者の切なる願いは受け入れられない。
 コープ本部職員の朝礼。8月の朝礼である。挨拶では、8月6日にちなんで、核兵器の問題について話し、平和な生活を実現することの意義を訴える。

 資源ゴミとして、部屋にある本の整理。さすが、古くなって読むことはなくなったが、専攻の労働法の本の整理には、心が痛む。充分に読めなかったな、それに対応する成果は作れなかった、今後も読むことは難しいかも、などなど、反省と後悔をしながら、眺めている。しかし、仕方がない。自分が寄稿したものは捨てるの物からせめて除外。少々、気持ちが落ち込む。仕方がない。
 夕方、コープの常任役員会。店の耐震問題に絡んで、長時間の話合い。組織的統合によって、より組合員の便宜が図れるし、有り難い。(8/6)<43872>


◇ 土曜日(4日)は、大豆の会の「畑の学校」。8時に駅前に集合、福岡の生協(エフコープ)からの4人を含めて、方木田店、郡山センターで合流。白河市大信の農場へ、春に植えた大豆は大きくなっていました。あまりの猛暑に、雑草取りをほどほどにして、エアコンの効いたJAの施設を借りて、交流会、そいて昼食。仙台空港に向かう福岡からのお客さんとともに新幹線に乗り込む。福島まで。
 義母がお世話になっていた老人保健施設「はなひらの」の夏祭りのお手伝い。暑くて大変と思いましたが、夕方は涼しい風も吹いいて凌ぎやすかった。お年寄りにはよかったと思います。
 日曜日(5日)。事故で修理をしてもらった車を引き取りに修理工場へ。1日に入れたので、早めに修理がおわりよかった。<8/5>(43855)


◇ 金曜日。午後からの東京・御茶ノ水での会合があり、10時13分発の新幹線で東京へ。
 福島駅のホームで、同じ列車で広島の平和集会に行く、皆さんと会う。4日間の旅らしいですが、暑い中ご苦労さんです。8月になると、こうした原爆関連の集会が続きます。国連では、120ヵ国以上の賛成で、核兵器禁止条約が締結されていますが、我が国は、アメリカの核の傘に守られていること等で、核兵器の禁止条約には賛成していないことは、唯一の被爆国として残念です。
 会合は3時過ぎまで、さすが東京の暑さは厳しい。気温そのものは、福島の方が高そうですが、人(37度の発熱体)が多くて、加重しているようです。それと混み入っていること。
 6時過ぎには帰宅し、テレビで野球観戦。延長で、楽天は敗北。勝てた試合でした。どうしてホームグラウンドで弱いのでしょうか。「守り」になってしまうのかな?(8/3)<43843>


◇ 8月の2日目(木曜日)。暑さは続く。昼頃、散髪に行ってきたこと以外、事務的雑用のみ。疲れが溜まっているのか、昼寝。
 東北楽天は、2対1のビハインドを9回表逆転し、3対2で勝利。このカード(対オリックス戦)は、3連勝。借金返済も見えてきたが、油断しないで頑張って。仙台に帰ると負けが多いので、甘えないで。(8/2)<43833>


◇ 8月の開始。まだ暑い。朝から30度を超している。
 自動車の整備工場へ。事故の修理。既に、相手方の保険会社から連絡が行っている。スムーズに処理。1週間ほどかかりそうなので、代行車に連絡してくれた。同じ型(プリウス)の手配。時間があるので、係りつけの眼科で診療。終わると、代行車が届いていた。まったく同型なので、スムーズ。
 午後、相手方からお詫びの電話。息子さんが、福大卒ということで、愛着があり、ご丁寧な対応であった。具体的な損害は発生してしまったが、被害者ではあるものの、何か申し訳ない気がする。何とか、商売を堅実に進めて欲しい。
 夜、国際交流協会で3年以上働いてくれたOさんが、任期が満了してカナダに帰るという。御苦労さん会&暑気払い。楽しいひとときであった。帰宅後、プロ野球・楽天のネット探索。2対2に追いつき、延長戦。ついに12回表、桝田のタイムリーで4対2の逆転勝利。どうなっているの?この粘り。優勝した頃の、楽天に戻ったようだ。それにしても田中の2ホーマーは凄い。それだけでなく、何とか食らいついて、当たっていない者も状況に応じて活躍。何とか借金を早くかえして欲しい。(8/1)<43822>



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