日  記 (備忘録)

(2020年1月)

◇ 金曜日。今日で1月も最終日。もう2月かとも思うし、今年も12分の1が終了したかとも思う。
 新型コロナウイルス肺炎のニュースが続く。チャーター機は、武漢と3往復して、帰国者の検査・入院等、その後の対応で一喜一憂。この際に、これを利用して憲法の改正(緊急事態条項)につなげようとする政治家の動きも見える。今は、いち早く、感染をストップさせ、ウイルスを閉じ込めることが重要なのだが。
 午後、少し長めの散歩。銀行に行く用事のついで。1時間20分。8700歩。さすが疲れたが、何とか戻って来れた。少し負荷を増加しないと、改善しない。上り坂は、やはり少々息切れがする。妻は、デパートの全国うまいもの市に出かけてきたが、市内のバスは無料なので助かる。さあ、明日から2月。(1/31)<49655>


◇ 木曜日。コロナウィルス問題のニュースで、落ち着きません。考えていたより、深刻なようです。早期の終息を祈っています。
 和田先生の本を読んでいますが、研究がストップしていたためか、なかなかそのレベルについていけません。焦る必要もないのですが、地道に勉強し直すことが必要と思っています。もう少し、勤勉さが必要です。「弟は、頭はよくないが、コツコツと努力している」と、小さい頃、勉強嫌いの兄から言われてことがありましたが、そのときも、そうだなと嬉しかった。思い出しながら、地道な努力の道を歩きたいものだ。そこに、元気の源があるのだろう。きっと、子や孫も同じだろうと思っている。(1/30)<49646>


◇ 水曜日。季節はずれの大雨。武漢からのチャーター便が帰ってきた。新型コロナウイルス肺炎の広がりを、どうしても抑えなければならない。
 生協のコープカレッジの事務局会議。全体を統括しているわけではないが、福島地区、相馬地区については、元理事の方々が進めてくれている。コープカレッジでの理事長としての挨拶もあり、手伝っていたが、新年度の企画の会議。もうそろそろ卒業だと思っているが、講義内容等で、私の協力可能なところは協力することにしている。今年は、相馬地区での憲法の話の講義で協力しようと思っている。憲法制定に大きな役割を演じた鈴木安蔵の生地。憲法改正の動きもあり、頑張って、準備をしようと思う。発声の訓練のためにも。
 遅めの散歩の開始。雨模様なので、大きな傘を持って。長すぎるので、肩に担いで。学徒動員の銃を担いだ行進のようだ。(1/29)<49634>


◇ 火曜日。雪・雨模様。
 リサイクルの日。ついでに店を4軒回ってきました。ニュースは、新型ウイルス肺炎。ついに、武漢まで日本への帰国希望者を迎えに、チャーター便が出ました。感染者5000人を超し、死者も100人を超しました。日本も安全地帯ではありません。(1/28)<49612>


◇ 月曜日。書店まで散歩以外は、自宅で大人しくしていました。
 名古屋の和田先生から、編著書の献本を受けました。『労働法・社会保障法の持続可能性』(旬報社)で、科研費の研究成果の出版です。13人の論文で構成されていますが、和田先生の著作が多い。461頁の大著です。若い時から、学会の第一戦を走っていますが、いろいろと私などにも配慮してくれています。震災後、福島の話をする機会を、名古屋で初めて開いてくれました。職員組合主催でしたが、彼がその委員長だった時です。なかなかお返しができないのが、心痛いのですが、じっくり読んで理解することがまずは第一でしょう。
 夜は、テレビで「スタンド・バイ・ミー」を観ました。(1/27)<49602>


◇ 日曜日。昼過ぎ、花見山に蝋梅(ろうばい)を見に行く。あまり山の上までは登らず、入り口付近で鑑賞。隣に、老爺柿(ろうやかき)がある。老婆と老爺が見に行くとは、これもいいか。(笑)
 帰宅後、相撲の千秋楽。幕尻の徳勝龍が貴景勝を、豪快に寄り切り、14勝1敗で優勝。正代と優勝決定戦をさせたかったが、前日に直対決で破っているので、幕内最高優勝にふさわしい。33歳の優勝。幕内・十両を上がり下がりしながら、よく頑張ったと思う。名前すら覚えていない力士で、横綱不在、大関不調のなかで、正代、炎鵬等とともに、盛り上げてくれた。結構面白い、場所だった。コツコツやっていれば、花が咲くときもあると、励ましてくれる清々しい結果だった。
 宮城県名取市の市会議員選挙に知り合いが立候補。どうなるか、やきもきしていたが、結果的に当選。議員としても、がんばってほしい。(1/26)<49578>


◇ 土曜日。中国・武漢に発生した新型コロナウイルス肺炎のニュースがトップ。死者が41人になり、医師も入っている。旧正月で、日本に多くの中国人が入国するということもあり、かなり神経質になっている。何とか、さらに増悪しないで終息してほしい。国際的協力が重要。そのためにも平和が重要。
 午前中は、家族の送迎。午後は、松川河畔まで散歩。約6000歩。風は冷たいが、光は春の光。春は待ち遠しいが、しかし、冬に雪が降らないと、水不足など、つけは後で来る。
 大相撲は、平幕二人の1敗同士の対決。徳勝龍が勝つが、正代も2敗。千秋楽まで予断を許さない。それにしても役付は、みな優勝戦線から脱落。若い力士の台頭で、土俵も活気を帯びているともいえるかな。(1/25)<49560>


◇ 金曜日。午後から仙台市泉区のみやぎ生協の本部で開催される「理事会」に参加。新幹線で福島から仙台へ、地下鉄で八乙女駅で降りて、後は徒歩。結構、いい運動になる。
 3時頃には終了し、また帰り。コープふくしまがみやぎ生協に事業譲渡し、みやぎ生協の一翼として動いている。隣の県だが、雰囲気は異なる。事業の状況は、大変だが、合同の成果を実現していかなければならない。(1/24)<49549>


◇ 木曜日。午前中、眼科クリニックに。昨年の白内障の手術後、定期的に通っている。順調だが、3か月に1回の割合で通院。糖尿病との関係で、眼科で緑内障などをチェック。今のところ、全く問題なし。ドライアイの目薬はあまり使わないでいたが、パソコン作業後など勧められた。そういえば、以前、視力が回復したので、最近、あまり勉強しないからかなと言ってしまったが、パソコンで疲れた時などと言われると、疲れるほどパソコンを見てないなと、不勉強を恥じてしまう。
 夜は、第162回のふくしま復興支援フォーラム。復興公営住宅の入居者(自治会長)に報告してもらった。関心が高く、37名の参加。事務的なことは、友人たちがやってくれているが、私も少し協力しないとダメだなと思う。(1/23)<49536>


◇ 水曜日。ゼミの先輩・大山宏さんの告別式参列のため盛岡へ。さる18日朝、肺炎で亡くなった。大山さんは、早稲田大学卒業後、東北大の大学院(法学研究科)に進まれ、労働法ゼミでご一緒できた。昭和10年生まれ、享年86歳(満84歳?)であるから、年齢的には、9歳ほど私の先輩である。ただ、東北大の大学院の時代は、2年前ほどの進学と思う。昔のゼミは、実態から学ぼうという外尾先生の指導もあり、出稼ぎ労働、誘致企業労働等、一緒に現場に出かけることもあった。大山さんの奥さんの実家(お寺さん)で合宿もあった。
 告別式では、奥州市に本部があり、福島にもたびたび訪ねてくれている、福島大学教育学部同窓会の岩手県支部の方にも逢った。大山さんの従弟らしい。お互い、びっくりしていたが、いろいろな繋がりがあるもんだ。
 2年先輩の山形の高木さんが弔辞を述べたが、当時の様子を詳しく紹介していた。盛岡は、親友の砂山君の赴任地。同期生だが、彼は数年前、逝去された。盛岡では2度目の告別式。砂山君の奥様も参列されたが、時間の関係で、あまりお話はできなかったが、お元気そうで安心した。労働法ゼミも、私周辺の年代は、砂山、伊藤、大山と旅立った。山形の高木さんと私が残っている(?)感じだが、学友を失うのは寂しい。長生きが、社会の貢献ともならないが、やり残しが多く感じ、孫たちの成長も楽しみ。頑張って生きていきたい。
 早めの帰りの新幹線だったが、妻の会合の迎え(車)には間に合った。(1/22)<49524>


◇ 火曜日。忙しい一日でした。10時20分からの福島大で開催される「行政社会学会の特別講演会」に誘われて出席しました。朝から、雪混じりで、初めて冬になったようです。何とか時間に間に合ったのですが、山の上の駐車場は満杯で、枠外のところに止めて、まずは教室(L−4)へ。講演は、新藤宗幸氏(千葉大学名誉教授)の「原子力規制委員会は福島後の課題に応えているか」です。原発再稼働の状況、原子力規制員会の設置と組織体制、原子炉等規制法と新規制基準ー何が問われるのか、原子力規制機関の在り方の再考について、総括的に話している。住民避難計画は新規制基準の審査対象外であることが、住民避難計画を優先しているアメリカの原子力規制委員会の審査と異なる点など、説得的な話。
 出席していたSさんとともに、信夫山の「くろ沢」で昼食。以前は、御山角屋という店で、利用していたが、変わった。
 その後、約束していた新聞記者のSさんと喫茶店で会う。震災関連死に大きな関心を持っているということで、記事にまとめるための取材。関連死の審査も、しばらくお休みだったが、年末年始になって、2つの自治体で開催される。既に、過去の問題ではない。弔慰金の支給に関わるが、遺族の生活は、時間が経っても、なお厳しいのだろう。
 帰宅し、夕食(きりたんぽ鍋)後、ほうねん座を観る会の最終の会議。入院のため、協力はあまりできなかったが、好評のうちに終了。220名の参加者。参加者の感想を見ると、おおむね好評だったようで、やってよかった。次に福島で公演されるときも、元気でいられたらいい。(1/21)<49498>


◇ 月曜日。自宅でゆっくりしていました。午後、松川河畔まで散歩。晴れているが、風は冷たい。(1/20)


◇ 日曜日。依頼されていた「大町九条の会」の講演会に行って来ました。「暮らし、仕事と日本国憲法」をテーマに60分の話をすることになっていました。結局、憲法25条と27条28条の話をすることにしたのですが、少し平板になってしまった感じです。内容はともかく、手術後で、1時間を話し続けられるかなということが心配でした。小さな部屋ですが、マイクを使って何とか70分ほど話ができました。少し、声が掠れましたが。12名ほどの小さな集まりですが、あまり知らない人はいなかった。まあ、体力的には、大丈夫かなという確認をしたのが最大の成果かな?
 講演会終了後、別の会合に出ていたMさんとSさんから電話があり、車で一緒に、コーヒー店「亜久里」へ。久しぶりです。日曜日のせいか、満席です。
 午前中、山形のT先生から電話あり。昨日、盛岡のO先生が亡くなったとのこと。入院していることは聞いていたのですが、肺炎で亡くなられたとのこと。大学院のゼミで、いろいろお世話になりました。多分、84歳だったと思います。お世話になった方々がお亡くなりになるのは、本当に切ないです。水曜日に告別式らしいので、なんとかやりくりして盛岡に行ってこようと思います。(1/19)<49472>


◇ 土曜日。市内に住む友人Sさんのところに、頼みで行く。彼しかいないので、すぐ帰ろうと思ったが、お茶をといわれて、ついつい上がり込む。そのうちに奥様が帰宅して、コーヒーを頂く。長居してしまったが、いろいろ話ができて楽しかった。帰りに、水虫パンを購入して帰宅。
 明日の話の準備が出来ていないのに、行動が緩慢。勤勉でないね。(1/18)<49453>


◇ 金曜日。阪神大震災の25周年。あの時、1月17日は、朝起きてテレビのニュースを見ていた。アナウンサーが、いま神戸で地震のようです。という放送。最も、揺れの酷かった長田区の震度は出ず、周辺の震度だけだったので、あれほどの大災害・大地震とは思わなかった。各所から、火が出ていた映像が脳裏に残っている。
 25年前、そして新潟中越地震、そして9年前の東日本大震災。まさか当事者になるとは想像もしていなかった。25年間で、教訓に基づいて、どれほどの防災、救援の方式、生命を守る仕掛けが確立したのだろうか。災害大国日本に住む限り、もっと、真剣に、この課題に立ち向かう必要がある。
 午後から、家族を街中の会合に送り、帰って来てから、松川河畔までの散歩。(1/17)<49439>


◇ 木曜日。更新申請していた家族の旅券を受け取りにコラッセふくしまへ。10年の期間だが、何度、外国に行くことになるのだろう。お金と、体力に依存するが、折角、暇になっているので、仕事ではない旅行をしたいものだ。
 午後、散髪に行き、また松川河畔まで散歩。雪が全くないので、物足りない。新型肺炎の感染者が、日本で初めて出た。神奈川県在住者だが、旧正月を控え、人の移動も多くなるので、かなり要注意。(1/16)<49419>


◇ 水曜日。昔は、今日が「成人の日」だった。感覚が鈍る。
 2カ月に一度になった通院。11時頃に着いたが、採血・検尿などを済ませて、まず循環器内科で診察、そして糖尿病関係の科。それぞれ、混んでいて、1時を回った。それから、薬局へ。2か月分なので、診察で3000円余、薬で8000円余。それほど必要ないと思って止めようかと相談した漢方薬は、自ら調整しながら(飲まない回も)、新たな漢方薬(アレルギー性鼻炎)の復活、一包化も強く薦められて、結局、経費の軽減にはならないでしまった。まあ、2か月分だからやむを得ない。
 病院内でリハビリでお世話になったKさんに会う。もう一人のKさんは、無事、4日前に出産したらしい。FBでお祝いのメールを出した。二人には大変、お世話になった。
 帰宅が2時を回ってしまった。遅い昼食。(1/15)<49400>


◇ 火曜日。昼、恒例の県知事懇談会。毎年、新年に各界団体の代表者などを集めて、何回かにわたる昼食懇談会を開催する。福島の各地のソバを出すということで、「蕎麦会」と称している。今日は、山都のソバ。招待を受ける方は、2000円の会費。私は、国際交流協会の理事長としての席。生活環境部などの関連組織の集まりである。
 知事の挨拶の後、30分ほどの昼食懇談。何人かと、個別に話をする。
 夜は、妻が新聞購読者優待に応募して当たった映画の特別試写会へ。映画「風の電話」。1月24日からの公開に先立つ試写会。死別した家族ともう一度話したいという思いから設置された「風の電話」。東日本大震災以降、これまで3万人が訪れたという実在の電話の存在。試写会のため、監督の諏訪敦彦氏、主演のモトーラ世里奈さんが、映画開演の前に挨拶。物語は、岩手大槌だが、女川のことと重なる。5人を失い、3人は未だに行方不明。どこにいるんだろう。(1/14)<49394>


◇ 月曜日。三連休の最終日(成人の日)。
 11時10分からの映画「人生をしまう時間(とき)」を家族で見に行く。ドキュメンタリーである。意外に多くの観客がいたので、関心の高さを感ずる。一人ひとりの人生の終わりに、医療は何ができるか。反問、自問に日々は医師、看護師、そして患者とその家族をも含め、繰り返される。自らのことに置き換えて、観ていました。こうした映画が多くなっているのは、超高齢社会の自然の求めでしょうか。
 夕方、次女は帰った。(1/13)<49375>


◇ 日曜日。ゆったりとした三連休の中日。
 次女は、郡山に出かけたが、妻が買い物に行っている間に、私は、松川河畔まで散歩。ほぼ5000歩。春のような暖かさ。暖かいのは歓迎だが、暖冬は、いろいろ生態系に悪影響と心配。
 塩竃の孫宅で、子犬を飼うことにしたらしい。初めて犬を飼うのは、いろいろ大変らしいが、何とか、子犬の世話を通じて、温かい家庭を築いてほしい。(1/12)<49339>


◇ 土曜日。夕方、駅前のホテルで、福島県労連結成30周年記念レセプションがあり、招待を受けたので参加した。労働戦線が、現在のようになったのは、30年前である。労働組合員の組織率は、かなり下がっており、課題が多い。
 労働組合だけでなく、様々な組織も、高齢化にどのように対応するか、抜本的に考える時期である。
 夜遅く、三連休で、次女が来た。(1/11)


◇ 金曜日。松川賞運営委員会の会議で、福島大学へ。昨年は、思わぬ入院のため、委員長でありながら、みんなに迷惑をかけてしまった。次回の募集のための会議である。なかなか、応募者の数が増えないが、とりもなおさず、事件に対する関心の低下があるのであろう。何とかしなければと思う。
 会議終了後、学長室を訪ね、残すところ任期が3か月を切った中井さんを訪ねる。小1時間ほど、雑談をしたが、事務局棟は、耐震補強のため工事で、建物全体に包帯を巻いたよう。昨年9月からの工事らしいが、それ以来、大学に来る事はなかったかと、手術・入院に明け暮れた年だったと、改めて思う。食農学類の建物も着々と建設され、大きな変動を感ずる。
 遅めの帰宅・昼食なったが、久しぶりに松川河畔に散歩。(1/10)<49313>


◇ 木曜日。午前中、家族のパスポートの更新へ。
 私のは、昨年、済ませている。年齢を重ねてくると、5年にするか、10年にするか迷うが、5年後に、もう不要かどうかを決断するのはしんどいなと思い、無駄になるかもしれないが10年とする。ゴーン海外逃亡問題で、パスポートに対する関心が高まったが、国内か国外かはあるが、まだ、国外も含めて動きたいと思う積極性は必要である。
 3人連名で、孫たちから年賀状が来る。今年はもらえず残念と言ったので、送ってくれた。短い言葉だが、今年は何をしたい等、直接、書いてくれて嬉しい。やはり、独自に反応があると嬉しい。毎年、少しづつ、成長の足跡が伺える。(1/9)<49302>


◇ 水曜日。いろいろ注目すべきニュースが飛び交い、テレビに釘付け。
 日産元会長のゴーン氏が、保釈中の身でありながら、海外へ。レバノンに滞在し、記者会見をするという。日本の司法制度に対する批判を述べているが、いかにして出国したのか、関心の元。入管行政が穴だらけなのか。
 アメリカのイラン司令官爆殺に抗議して、イランがイラク内の米軍基地にミサイル爆撃。戦線拡大にならなければいいが。いつも庶民の命が粗末にされる。日本の自衛艦が「調査」を口実に、派遣するという決定を閣議で行っているが、この事態で、戦禍に巻き込まれる危険性。慎重に対応すべきだと思うのだが。洞察力のある政治家が欲しい。
 神奈川相模原市の「津久井やまゆり園」での殺人事件の公判が始まった。2016年の事件だが、障害者の人権の問題として、注目を集めている。特に、犯人が、優生思想にもとづくもので、改めて熟考すべき問題。ゼミ卒業生からいただいた共著『いのちを選ばないで やまゆり園事件が問う優生思想と人権』(大月書店)を、改めて読む。一人一人の人権が尊重される社会の実現のために、努力べきことがまだまだ多い。(1/8)<49291>


◇ 火曜日。春の七草の日。夕食で七草もどきの粥を食べる。
 昨日、外に長くいたせいか、風邪気味。背中が寒い。早めの就寝をしたので、睡眠はとれた感じ。
 フォーラムの会場予約を、本契約にすべく、駅前の会場へ。たまに吸う外の空気。新鮮だ。
 入院での休業から、まだ立ち直っていないなと感ずる。体の具合が悪いわけではないが、本業のファイトが出ない。心身の「心」の復帰が遅れているのではないかと思うが、無理をしてでも復帰しないとダメだなと思う。寒いなどなど、怠けの口実だけが出てくる。意識的に前進しないと。(1/7)<49267>


◇ 学生時代の同期友人K氏夫妻が福島に立ち寄るというので、駅前のレストランで昼食。彼は、弁護士をしているが、最近、業務を終了した。奥様は、同じ学部の2年後輩。女性が少ない学部ゆえ、良く知っているが、なかなか会う機会がなかった。病気の話、子どもの話、孫たちの話、恩師の話などなど、話は尽きない。二人の実家は、七ヶ浜、石巻なので、土地勘も共有する。
 亡くなった友人、先輩の話も懐かしい。若い時に、もっと有効に時間を使いたかったと思うが、その時その時は必死だったのだろう。現在の感覚で過去を評価するのはやめよう。与えられている時間を、有効に、有意義に使うだけだ。(1/6)<49254>(P)


◇ 今年初めての日曜日。3日までお正月で、昨日から働いている勤め先もあるだろうが、土曜日なので、今日が実質的に正月休みの最終日だろうか。テレビのニュースも、Uターンの混雑模様を報じている。
 「ALWAYS 三丁目の夕日」の映画をとびとび見る。お陰で、散歩の時間が遅くなり、夕闇の中、小雪の中の散歩。少々、中途で回り道。5000歩ほどの夕方の散歩。日は長くなったが、5時になるとさすがに暗い。
 散歩以外、外に出る用事が少ないので、体が鈍る。明日は、仙台の大学時代の友人夫婦と昼食を共にする。(1/5)<49229>


◇ 土曜日。正月明け、日常に戻りつつある。天気は良い。
 年賀状の返事を出しに、郵便局まで。ついでに、電気屋まで足を延ばし、プリンターのインクを買う。5種類のインクだが、いつもモノクロ印刷だが、カラーが無くなるとモノクロ印刷もできなくなる。プリンター自体は安くなったが、インクの方が高い。肌寒いが、いい新春の長めの散歩。(1/4)<49218>


◇ 正月3日。郷里等での正月休みから帰る家族のニュース。天候も荒れなかったので、スムーズな移動のようだ。我が家も次女が、12時頃に、帰途に就く。3人から2人になったが、何か静かになった。
 午後、天気もいいので、久しぶりに松川河畔まで散歩。5000歩ほどの道のり。天気はいいが、風は冷たい。
 テレビでは、箱根駅伝。青山学院大学の優勝。夜は、「立花登青春手控え」のドラマ。藤沢周平の原作で、いくつか読んでいるので、活字とは異なった映像化でリアル。続いて、時代劇・風の市兵衛。「そろばん侍」。藩財政の困難で、空手形。江戸時代でも財政問題は、政治的問題に結び付く。「北相馬藩」ということで、何か福島に関わる設定で面白かった。(1/3)<49189>


◇ 正月2日。次女と散歩を兼ねて、郵便局まで年賀状の返事の投函。昔、お世話になったM先生のお宅を眺めて(今は、他の方が入っているが)、子ども連れでお世話になったことを思い出す。M先生も奥様もお亡くなりになり、何年経っただろうか。
 午後、長女とご主人、そして孫娘一人が来る。大晦日は、長女が仕事待機中で来れなかった。ゲームをやって、楽しく過ごし、慌ただしく帰って行った。次女も明日帰るし、お正月休暇は終了。さあ、元気に頑張りましょう。(1/2)<49170>


◇ 2020年が明けました。新しい年、一歩でも前進する年にしたいものです。
 元旦、朝食を済ませて、家族3人で、映画館へ。「男はつらいよ」の最新版。「お帰り 寅さん」ということで、寅さん想い出を中心に、満男君の生活を中心に展開。過去のフィルムと現代の動きを交差させながら、寅さんの思い出を、無理のない形で再現させています。いつ見ても、涙を堪えられません。最近、初めて見る若い人々が増えているということですが、何か、若い人々が求めているのでしょうか。そうした若手との思いと中高年齢者の思いを一つに出来ないかと考えます。
 昼過ぎに自宅に戻り、お節の昼食。テレビは、サッカーの天皇杯、BSは男はつらいよの3本立て。ほとんどの筋書きは思い出しますが、観た後の爽快感はいつもの通り。
 7時からは、ウイーンのニューイヤーコンサートを聴いています。(1/1)<49139>



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