日  記 (備忘録)

(2020年10月)

◇ 10月も月末です。労働法学会も、今回からオンラインになりました。午前中からの大シンポジウムに参加しました。テーマは、「労働関係の変容と集団的労使関係法理の再構築」。5人の研究者の意欲的な研究報告でした。時間の関係で、全ては聞けませんでしたが、高額の旅費を支払わないで、報告を聴けることは、今の身になってみると有難い。しかし、十分な予習をしていないので、未消化気味です。手軽さで、アクセスできても、聴く側の緊張感がないとダメかなとも思います。(10/31)


◇ 金曜日になりました。毎日、書けないのは生活の乱れ、体調の乱れか。昨夜の「第170回ふくしま復興支援フォーラム」も、ようやく終わりました。テーマが、「震災復興に向けた、ふくしまの子どもと女性の支援」で、参加者を広げるのは懸念していました。何とか、60名近くの参加希望者を確保し、結果的に43名が参加してくれました。感想等が寄せられたので、「ブログ」に掲載しました。ささやかな歩みですが、相互の励ましになればいいと思います。
 テレビの「ためしてガッテン」で、嚥下機能を高めるためには、「魚肉ソーセージ」がいいというのを見て、妻が早速購入してくれ、食べました。何年ぶりでしょう。ソーセージが高価なときに食べたような気もします。柔らかく、美味しい。
 昨日は、友人のSさんのお姉さんのご不幸があり、彼は、千葉まで帰りました。ご本人が、身体的に大変なのに、気の毒です。周りが高齢者ばかりになり、少し寂しくなってきました。無理はしないが、努力して、一日一日を過ごしましょう。夜は、「桜を見る会」を追及する法律家の会主催の、オンラインの市民集会(「国政私物化をやめさせよう!」)に参加して、前川喜平さんなど著名な方々の話を聴きました。(10/30)<54659>


◇ 火曜日。午後、市民会館まで出かけ、福島大学の退職者の会の役員会。いつもは、職員会館で行っていたが、三密を防ぐ趣旨で、有料の市民会館会議室を借りた。いつもは、総会や恒例の忘年会の時期だが、コロナウィルス感染拡大防止のため、総会は書面決議にすることになった。初めてのことだが、60歳、65歳以上が殆どなので、無理はしない方がいい。私が、ささやかにつくっている退職者の会のホームページは、嬉しい話題というよりも、訃報が多いのが残念である。6年ほど勤めただろうか、学長が退任し、新しい学長も選任されたので、前学長の中井さんに会長に就任いただくよう、手続きを取ることにした。
 いつもの会合、そして懇親会がないので、ちょっと寂しい。定年退職すると、他人との繋がりがなくなる。私は、65歳で定年退職(+定年後再雇用としての、「特任教授」2年/給与は半分以下)し、県の人事委員会委員8年(委員長5年)、生活協同組合コープふくしまの理事10年(理事長8年)をしてきたが、今は引退。辛うじて、県国際交流協会理事長、トラック輸送における取引環境・労働時間改善福島県地方協議会委員、福島県行財政改革推進委員会など、地域の仕事を務めさせていただいている。臨時的な会合なので、忘れてしまうことを恐れるが、真面目に務めたいと思っている。
 新しい家族の地位は、三人の孫たちの「お爺」かな。心配をかけることが多いが、孫たちの元気な笑顔に勝るものは無い。(10/28)<54608>


◇ 月曜日です。午後、妻の会合への送迎。2時間後に迎えに行ったら、到着寸前15分延びそうとの電話。自宅に戻るには、中途半端。15分位、街中を回送。朝に、Sさんが吾妻運動公園の銀杏並木の写真を、ショートメールに送ってきたので、その話でも聞こうと思って立ち寄ろうとしたが、すれ違い。どこかで時間を潰そうとしたら、貴方に電話かけるしかなかったと笑った。
 菅総理大臣の初めての所信表明演説。9時からのNHKの番組に出ていたが、学術会議への人事介入、全く説得性なし。2050年脱炭素実現との耳障りはいいが、何か、原発事故の反省のないまま、また、再稼働・新設に向かうのだろうか。原発事故から10年、これまでとこれからを書こうとしているが、何か進める気分にならない。(10/26)<54578>


◇ 日曜日です。次女を交えて、賑やかに過ごしているうちに、9時半からのアラビア語講座を聞き忘れ。認知症防止のつもりだが、それが認知症で忘れたらしょうがないね。
 少し、頑張らないとということで、次女と郵便局に行きながら、紅葉見学のために、あてもなくドライブ。高湯温泉向けに少し登ったところで、Uターン。交通掲示によると、浄土平付近は渋滞とのこと。そういえば、山から下りてくる車が多い。次女は、吾妻山が冠雪しているのではというが、私は確かめられない。しかし、夕方のNHKニュースは吾妻山初冠雪のニュース。冬がぐんと近づいた。
 昼食後、次女は女川に帰ったが、私は、久しぶりのドライブで疲れたのか、ウトウト。寝ぼけながら追っていた楽天の試合、13対0と大きなリードしてたが、8、9回表にホームランで4点。13対4の味の悪い勝ち方。どうも締まりがないね。
 体調を回復して、頑張りたいね。(10/25)<54565>


◇ 土曜日になった。昨日(金曜日)、耳鼻咽喉クリニックへ行く。以前と症状は異なるが、飲み込みに支障がある。すぐに、鼻から喉の内視鏡検査。結局、嚥下機能が衰えているので、何とか鍛えないととのこと。誤嚥性肺炎のことで、この頃は、良く聞くようになったが、そんな年かなと思いつつ、やはり真面目に鍛えないとダメのようだ。
 たまたま、福島に来た次女の指導で、機能回復をめざす。がんばりましょう。(10/24)<54550>


◇ 火曜日になった。のどの痛みは治ったようだが、風邪気味のようなので、昨日は早めに休む。早めに就寝するのはいいのだが、どうしても早めに目が覚めてしまう。そのまま起きたのでは、意味がないので、グズグズしているが、眠りに入るのは難しい。
 女川のシンポジウムでの宇野氏の話に感銘を受け、福島のEさんのプロジェクトを思い出す。奥会津(金山町)の親戚の古民家を解体して、女川に建てるという。大変な話だと思ったが、両親を震災で亡くしてしまった長男としては、実家の再興は、兄弟姉妹の大きな夢らしい。結構、建設費もかかるので、その一部について、クラウドファンディングで集めようということになり、私も協力者の一人なった。単に、古民家の再建だけでなく、奥さまが蓄積してきた、「絵本作家・児童文学作家の直筆画展示室(常設)」の夢を実現したいということだ。東日本大震災の支援で、世界の絵本作家や児童文学作家の方々が、「子どもたち(あしたの本)プロジェクト」、「小さな花束展」、「手から手へ展」等に寄せてくれた心のこもった直筆画である。こうした文化的なものが、女川に受け入れられるかどうかわからないが。そこで、宇野氏の話を思い出して、女川の街づくりの中に位置づけてみていただけないかと頼んでみた。面識はないが、FBの友だち、大変興味を持ってくれた。早速、概要などのペーパーを送る。Eさんも喜んでくれた。どうなるか分からないが、後は、天に任せよう。
 11月6日締切の雑誌論文が気にかかる。そろそろ具体的に手を打たないとダメだが、体調不良なのか、気持ちが充実してこない。しかし、甘えていてはだめです。(10/20)<54469>


◇ 土曜日。午前中は、送迎業務。帰りに、コッラセでいわきの大型肉まんを買ってくる。2個で1000円。1個食べながら、一つで500円かと感激しながら食す。中の豚肉部分が大きいのかな。美味。
 午後、「女川の『未来ビジョン』を考える キックオフシンポジウム」を拝聴。宇野健一氏(アトリエU都市・地域空間計画室代表)の「これからのまちづくりへの期待」と題する講演。宇野氏は、女川町復興まちづくりデザイン会議委員等、女川の復興に大きな寄与をしてきた。ウオーカブルタウンと称し、さまざなアイデアを提示。快適な空間や美しい景色が必要となるが、それは観光客ではなく住民のためでなくてはならない。それが街づくりの原動力になる。暮らしている人々が生き生きとしていることが大事。2番目の講演者は栗本光太郎氏(豊田市役所経営戦略部部長)。「あそべるよとよたプロジェクト」の企画者。公有財産の民間活用。やらすことで見える、公共空間でのアクティビリティ。
 お二人の講演者とも、何か作るのではなく、あるものを最大限、住民のために活用することを訴えていた。その後、女川の事業者二人をを交えてのパネルディスカッション。
 女川の今後の展開は、持っている物をいかに住民に生かすか、徹底した住民の生活の安全・幸福を推進すべきと思う。女川町の復興計画策定の際に、問題提起をしたが、「未来」は、産業・観光問題が中心になっている。財政効率的ではないかもしれないが、教育の問題(高校問題)、子育ての問題、病院の問題、福祉の問題等、そういう住民目線にたった夢のある未来が欲しいと思う。2040年には、5000人を切る予測の女川、人口が数少なくとも、一人一人が幸福を実感できる未来であって欲しい。住民自身の力によるものだが。(10/17)<54428>


◇ 金曜日。買い物の随行以外は、外に出る機会はなかったが、夕方、散歩に出かける。
 4時過ぎに出て、5時頃に帰宅すれば、いいかなと思い出かけたが、5時過ぎには、もう、暗くなっている。6時からのプロ野球のテレビ中継を見たが、最初の4点が最後まで効いて、結局7対3で、楽天はソフトバンクに敗れる。ちょっと、格が違うかな。(10/16)<54419>


◇ 木曜日。次女は、4時過ぎに帰った。6時には間に合ったようだ。
 久しぶりに、松川河畔まで散歩。6,000歩余。最高気温18度、明日は最低8度の予測。結構寒くなってきた。秋から冬に向かう雲か、いろいろ形が面白い。フェースブックに、雲だけ登載。(10/15)<54405>


◇ 水曜日。ケーキ屋さんと郵便局と、外に出たのは、この2回。夕方、次女が帰省した。昨日の孫たちの運動会の写真を見て、二人とも一生懸命頑張ったようで、嬉しい。雨で中止になる方がいいとも思ったが、やはりやる予定で準備をしてきた成果を確認するためにも、実行した方がいいのだろう。思った以上の成績で、本人たちも大満足だろう。たとえ成績が良くなくても、やはり次へのステップのためには、実行が前提。
 きょうのプロ野球は、楽天がロッテを破った。まあ、優勝は難しいのが現状だが、最後まで諦めないで、締めて欲しい。(10/14)<54392>


◇ 火曜日。体調は、随分よくなった。あまり飲みたくない痛み止めで、喉から後頭部の痛みがとれた。コープにリサイクルで新聞紙などを搬出。夕方の第169回のふくしま復興支援フォーラム(zoom)。途中で、チャットの機能に支障が出て、慌てたが、何とかうまくいった。葛尾村で町づくりをしている下枝さんの話。60名ほどの希望者だが、実質45人の参加。外から見えないことも多い。地べたに這いつくばって、復興への道を辿る力が必要。
 6時からのナイターテレビ中継は、最初からは見れなかったが、フォーラム終了後、いそいそと観る。則本の先発で、なんとか7回まで3対1でリードしている。しかし、あれよあれよと、逆転サヨナラ試合。4対3。必死なロッテは強い。(10/13)<54375>


◇ 月曜日。体調は大部よくなってきた。孫たちの運動会は、今日も中止。結局、やらなくなってしまうのだろうか。コロナもあるが、台風だ。運動会は、足の速さで序列をつけるので、できれば走りたくなかったな。1番になったのは、小学1年生の時と、中学2年生の時の200bかな。中学生は運動会といわず、記録会だったが。トップに躍り出たが、待てよ、このままいくと追い越される。意識して2位になり、1位をピッタリ追った。風よけにトップランナーを使うというのはあるが、そんな高等戦術ではない。少し余裕があって、どこで追い抜くか考えた。いざという時に、スパート。見事追い抜けた。最初からトップでもよかったかもしれないが、きっとその時には余裕がなくなっただろう。見事(?)、テープを切ったが、一番力を出せるときに追い抜いた。まあ、そんな記憶しかないので、一般に徒競走は苦手だった。孫たちは、中止になってホッとしているか、残念がるか、まあ、余り逃げないで、頑張って欲しいとは思うが。
 コープふくしま時代のKさんが、山で松茸を取ったといって、御裾分け。思わぬ松茸ご飯。5時からの、楽天の試合(先日のノーゲームの再試合)は、残念ながら、また雨で中止。(10/12)<54362>


◇ 日曜日。震災後9年7か月目の月命日。昨日より、少し暖かくなったが、体調はすっきりしない。何度か、2階に上がり、ベットで横になって休息。あまり言うと、孫たちが心配するから、頑張らないと。横になりながら、プロ野球のテキスト展開を見ていた。映像は見れないが、何か髣髴とする。ラジオで、プロ野球や大相撲を聴いていると、妻には不思議のようだ。映像の方がはっきりするが、想像力を発揮することの方が楽しい。そもそも、小さい頃からテレビの生活ではなく、ラジオで楽しんできた。
 紅白歌合戦も、「君の名は」も、みなラジオだった。ラジオを聴いて、涙を流していた。相撲・野球の実況中継は、観ていなくても、まさに見えるように適切な放送をしていた。巨人ファンだった私の父親も、夕食後、野球の中継放送をかけながら寝ていた。スイッチを切ったりすると目を覚ますから不思議だ。新婚時代には、世にテレビはあったが、勉強時間も必要だし、経済的余力もなかったので、テレビは買わなかった。それでも、森繁久弥と加藤道子の「日曜名作座」は、必ず楽しみにして聞いてた。(今は西田敏行と竹下景子)いろいろ想像を巡らせるし、言葉の使い方に勉強になった。今でも、運転しながら、ラジオ放送を聴くのは好きだ。まあ、とにかく、今日の楽天は強く、8対2で西武を破った。(10/11)<54348>


◇ 土曜日。zoomの支払いが済んでなかったらしく、13日のフォーラムがあるので、緊急に支払い。カードを変更したので、その届出をしてなかった。大丈夫かなと、Sさんと交信。のどが痛いので話をしたら、彼の家族が通っている耳鼻咽喉科(くさの耳鼻咽喉科クリニック)を紹介してくれた。土曜日の午後もやってるとホームページで確認。夜間と同じ150円(3割負担の者)だが、有り難い。初めてのところだが、ゆったりして、コロナなの防護も十分だったようだ。親切で、喉の腫れは大丈夫のようだ。漢方薬と痛み止めをいただき帰宅。
 1時半からのzoomによる研究会に間に合わず、ラジオでプロ野球を聴くが、3回降雨でノーゲーム。昼寝をして、体を休める。(10/10)<54335>


◇ しばらくサボっていたため、3日も過ぎた。何か、喉が痛いので、早めにベットに潜り込んだりしていたので、睡眠時間前に書くのが億劫だった。昨日は、妻が友人たちと喫茶店で待ち合わせていたので、夕方に帰ってくるとの確認をしたが、自宅で、一人で新聞きりでもしようかと考えていた。ところが、何の気なしに、スケジュールを見ると、2時から退職者の会の事務局会議に出て欲しいと云われていたことを思い出す。気が付いたのは15分前。遅れるなと思ったが、予め、遅れることを通告して合流。ほぼ5分遅れ。本当に暇になると、スケジュールに書いたものでも忘れる。気が付かいないでいると、認知症の話題になったかな?
 震災後10年、どこでも一つのけじめの集まりを開く。突然、東京の小さな公的図書館での講座で、震災10年の話をして欲しいとの依頼。来年の2〜3月に東京にこられるときでもということだが、福島の人間として協力したいが、自分の身体とも相談してみないとと。持病持ちの高齢者だから。どうなるか分からない。zoomだといいのだが。また、来年3月〜4月の全国的なシンポで、やはり福島の10年の講演を依頼された。福島の人間ということがあり、いつもSさんとか。Iさんとかが常連なのだが、私にお鉢が回ってきた。こちらは、zoomなので、引き受ける。ふくしま復興支援フォーラムを169回まで企画してきたことから見えるもの、まあ、40分ほど、ネームバリューはないが、福島の人間の思いを伝える必要があろう。
 縁の下の支えと位置付けてきたので、アクターとして登場するのは、気恥しい。しかし、生きているうちにやるべきことも多いだろうと思う。その他、数通のメールに返事を出したりしているうちに時が過ぎる。(10/9)<54319>


◇ 火曜日。歯科の送迎。午後、ヘップバーンの映画を観る。「おしゃれ泥棒」。美人映画とともに、いつも明るくていい。ヘップバーン自身の生き方の現れか。
 久しぶりの松川散歩。しばらくサボっていると、足が重い。続けないとね。BS1で、楽天対日本ハムの試合。則本が調子が悪くても、一生懸命、復帰しようとしているので応援したくなる。2点リードされるも、3点を取り逆転。しかし、スリーランホームランで5対3で敗北。今年の優勝は無理のようだが、最後まで頑張って欲しい。(10/6)<54271>


◇ 月曜日。寒くなってきたのか、いまひとつシャキとしない。今日まで、震災のことで、2000字程度に書いてくれと云われ、そのうちにといっているうちに、締切が今日。三九出版の冊子「本物語」だが、原発事故のことを書こうと思っているうちに、女川の津波災害を書いた。「震災の教訓と今後の街づくり」。必要があれば、次に、原発事故のことを書くことにしよう。書くことから遠ざかっていたので、書けないね。また、11月6日締切の「フクシマ原発事故の10年 これまでとこれから」の題で、雑誌に頼まれたが、4000字ほどなので、どこに重点を定めるか、少し、余裕をもって取り掛かろう。また、11月17日には、仙台でみやぎ生協の講演会がある(テーマ『福島原発事故は私たちのくらしをどう変えたか』)。少し詰まってきたが、リハビリのつもりで頑張りましょう。(10/5)<54249>


◇ 金曜日。昨日のドライブの疲れか、ウトウトしていました。
 10月13日の次回のフォーラムの準備。案内を出すと、すぐに返事が来る。後で思うと忘れてしまうので、私もそうしているが、そうすると返事を出したかどうかを忘れる。最後になって、私出しましたっけ?と問い合わせ。
 震災関連の記事、2000字程度だが、締切が5日。どうするか、書くことが決まれば、そう大仕事ではないが。それに付け加え、大学の後輩が出版している雑誌にやはり震災の記事の寄稿を求められる。断れないわけではないが、逃げないようにしようと。4000字程度で、来月初めの締め切り。心臓手術のこともあり、それを口実に断ってきたが、その結果、ほとんど原稿らしいものは書いていない。いずれも震災関係、意味のあることが書けるかどうかの不安があるが、逃げないことにしよう。まずは、明日明後日に一つ。
 夕方、久しぶりに散歩。コースはいつもと同じだが、結局6600歩。散歩の最期、昔、厚労省で働いていたYさんの散歩に遭遇。私より3歳ほど下の方だが、元気に、畑仕事をしながら、過ごしているという。後で気が付いて、赤面したが、散歩のときはマスクをしないので、偶然の立ち話のために、用意しておくべきだったと反省。アメリカのトランプ大統領も、新型コロナウィルスに感染したようだ。福島の感染者は、最近多い。特に郡山だが、今日も10人という。いずれにしろヒタヒタと近づいてきているのだろう。気をつけよう。(10/2)<54200>


◇ 木曜日。10月が始まった。福島大学の元教員4名で、浜通り・双葉町に創設された「東日本大震災・原子力災害 伝承館」の見学に行く。福島市内から114号線を通り、途中、川俣町・山木屋で小休憩。そのまま浪江に出る。南下して双葉町の「伝承館」へ。行く途中で思い出したのだが、4月の転勤で、同窓会役員のK君がここに県庁から出向したことを思い出す。車から電話したが、すぐには連絡できないまま、伝承館内で見学。留守録に気が付いたらしく、見学途中に来てくれた。副館長だから、結構重責。その他の同窓生、福大に特任教員で居られた方が、ここで専任に。多様な側面と、膨大な資料をいかにまとめるか、大変な苦労だろうが、ぜひ、頑張って欲しい。
 帰途、浪江町にできた「道の駅・なみえ」に寄り、昼食。釜上げシラス丼は、大変美味しかった。シラスが、分厚くご飯の上にかけてある。さらに南相馬から飯舘に寄り、ここも道の駅に寄り、亜久里コーヒーを飲む。ほとんどが車中だが、しばらくぶりに、リアルに逢えたので、話は尽きない。私の体も、以前と同様の行動をすることにより、「復興」していっているのだろうか。無理をしないで頑張りましょう。(10/1)<54174>



2020年9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2019年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2018年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2017年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2016年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2015年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2014年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2013年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2012年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2011年12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月
2010年12月11月10月
〜2010.10.9アーカイブ