日  記 (備忘録)

(2022年1月)

◇ 月曜日。2月2日予定の女川でのフェスタ、やはり新型コロナウィルスの感染拡大を予防するために、中止するという電話が担当の加納先生から来た。宮城も、どんどん急速に感染者が増加しているので、大事を取った方がいいと思った。お会いする人もあったので、少し残念だが、またの機会にということである。主催者は、感染拡大の原因をつくってはならないし、企画を実施したという思いが強いだろうから、苦慮しただろうと思う。
 九条の会のブックレットの校正を受け取っていたが、明日まで確実に確保して、明後日に最終作業を行うことにした。
 夜、NHKテレビで、中村雅俊のファミリーストーリーを観る。随所に、震災前も含め女川の風景が出てきたので、懐かしい。彼は6年下のため、中学校などでは3年ごとに教員の入れ替えがあるので、我々と同じ教員に教えられたようだ。いろいろ苦労をしてきたんだなと、彼の生き様に共感をもつ。さらに、社会的にも頑張って欲しいものだ。
 今日で、1月も終了。明日から2月になる。(1/31)<63533>


◇ 日曜日。曇時々晴。春のような日差し。家の中では、ももちゃん中心に動いている。なんでも新しいものは、関心を示す。
 買い物のついでに、灯油3缶を購入。今日はポイント10倍ポイントらしく、店は混んでいる。
 昨日、今日と、高校の同期会の事務局から訃報が来た。古澤秀正君と矢部清武君。特に交流があったのは、矢部君で、石巻(医師の家だった?)の出身で仙台の高校に入っていた。医学部を出て、医師として女川町立病院時代に、派遣されてきていた。高校の近くの自宅だったと思うが、気さくな人だった。以前は、年賀状も交換していたが、最近は、ご無沙汰気味。同期の人の訃報も多くなってきて、他人事ではなくなってきた。ご冥福をお祈りします。
 教育学部時代の同僚の佐々木武人氏から突然電話。北上に住んでいるが、私がフェースブックに書くと、よくコメントを書いてくれた。定年後、郷里に戻って、畑仕事をしているらしいが、産業廃棄物処理場の建設をめぐって、請願など、社会的な運動もしているらしい。
 甲状腺がんの若い人たちが、東電を相手に損害賠償請求の訴訟を提起。原発事故による物的損害については、判決も積重ねられているが、健康被害はなかった。県の審査会は、甲状腺がんと原発事故には因果関係がないとしているが、裁判では、その因果関係が争われることになる。信頼できる医師や弁護士の意見を伺ったりしているが、医学的な因果関係の立証は難しいかもしれないが、福島に居住していたことが放射線で被曝したことの原因とみられて、差別や精神的なダメージは否定できない。他方では、検査自体が、過剰診断であるとの論も強く、地元の住民にとっては、分断を助長するおそれもある。分断をもたらさないよう、丁寧な議論が必要と考えている。(1/30)<63509>


◇ 土曜日。穏やかな天気。道路の凍結も、ほとんどなくなった。
 甲状腺がんをめぐって、東京電力に対する損害賠償の訴訟が起こされたが、これをめぐって、いろいろ議論が交わされている。専門委員会では、原発事故との因果関係はないとしているが、甲状腺がんで手術を余儀なくされた原告は、原発事故との因果関係を主張して、提訴に及んだ。甲状腺の検査については、過剰診断の指摘もあり、その因果関係をめぐって争われることになるだろう。原発事故が原因ではないというなら、被告側に、その原因を明確にすることを求めたいところだが、訴訟理論だと、原告が積極的に論証することになる。原告の主張が認められることが望ましいが、他方で、原発事故の健康被害を公的に認められることが、差別や風評被害を心配する。被災者の分断にならないように、慎重に対応する必要があるのではないだろうか。
 今日の土曜日、次女とももちゃんが泊まり。賑やかだ。(1/29)<63488>


◇ 金曜日。ももちゃんの幼稚園送り。天気も良く、道路の除雪も進んだので、車の進行は早い。ほぼ30分で到着、帰宅も9時40分着で、10時前は珍しい。
 気になっていた、銀行預金の記帳のために、街中へ。いくつかの銀行の一つだが、入金やカード支払いで、以前トラブルがあったので、こまめに確認する必要があるが、半年以上そのまま。それは、確定申告用の源泉徴収票が送付されて、民間企業の名前が出ていたので、不思議に思って。いろいろ遡って調べているうちに、講演依頼のメールが見つかり、区立図書館だが、指定管理者である民間企業からの支払になっている。それが通帳に記入しているのでわからなかった。今後は、遠いが銀行に出かけ、記帳するようにしよう。帰りに、西沢書店に寄ってきたが、北店は、3月3日に閉店となる。23年間営業していたらしいが、閉鎖して、大町店に集約するらしい。無理すれば、散歩のつもりで行ける距離だったが、何か寂しい。最近は、ラジオ講座のテキストくらいしか買わないが、いろいろ眺めるのが楽しかったのに。最近は、本を立ち読みして面白そうだと買おうということはなくなり、ほとんど宅急便に変わってしまった。
 夕方から、原発と人権の実行委員会をオンラインで行われた。福島からの参加者は一人だったということもあったが、福島の在住者は、どんな気持ちだろうかと問われて、頭を抱えた。つい最近の甲状腺がんの裁判に絡んで、放射能問題での県内外の受け止め方の違いの解決があるようだ。原発事故と甲状腺がんの因果関係の問題である。その結末とは別に、福島の人間に対する差別的な視点が強まるのではないかとの懸念を生みだす。
 次女が、NHKローカルニュースで新型コロナウィルスの子どもに対するワクチン投与の問題で、取材の放映。長い時間、話したらしいが、編集の結果、かなり短かったようだ。マスメディアはそんなもんだろうとも思う。
 昨夜から在宅診療の医師が人質に取られ、結局、散弾銃で撃たれ死亡。不幸な結末だった。本当に、献身的に在宅医療に専念し、最近はコロナ患者も多く抱えて、地域の皆さんから頼りにされていた医師のようだ。44歳の男性医師。犯人に対する強い怒りと、本当に惜しい医師を亡くした。在宅医療で頑張っている長女のことを心配。(1/28)<63473>


◇ 木曜日。新型コロナウィルスの感染は、爆発的に広がっているようだ。あまり外に出る気になれない。
 ここ1週間、大切な方々が、亡くなり、心が重い。2月2日の女川での「人生を楽しむフェス」はどうなるのだろうか。担当の加納先生からは、女川でも感染者が増えだしているが、県から自粛などの要請がない限り、実行したいとのこと。私は、気をつけながら行くつもりだが、皆さんが集まるのに躊躇するようだったり、また後悔することの無いようにしてほしい。一応、中止の場合でもレジメ的なものは手渡しする予定らしいので、その原稿を書き始めたが、なかなうまくいかない。
 書いてみて、あまり「ためになる」「面白い」話にはならないなと感ずる。しかし、まあ思いのたけを話すしかない。与えられたテーマは、「我がふるさと女川に思いを寄せて」。2時間の予定のうち、私の講演に1時間を取っている。責任重大。その他は、健康の話、音楽の話、紙芝居、プレゼント、おみくじ、写真、昔遊びと盛りだくさん。一番最初だから帰る人もなかろうが、後だったらガラガラになるかな。女川での話も、これで3回目か。一度、社会教育課長やっていた従兄に頼まれて、年配者向け(寿大学?)に「相続の話」、震災前に小学校高学年・中学生向けの講演。そして今回。こういう機会は、もうないだろう。
 札幌の知り合いの弁護士から、労働事案の意見書の提出をお願いされた。研究室もなく、本もすぐそばにないので躊躇ったが、逃げるわけにもいかないので、まずは資料を見せてもらって判断することにした。学生時代、彼の父上(弁護士)に、お世話になったし、頑張るしかない。(1/27)<63449>


◇ 水曜日。午前中は、九条の会のブックレットの作成委員会。ほぼ、本文が出来上がり、後は、執筆者本人の校正を待つのみ。午後3時過ぎに戻って、自宅で、校正依頼の文書をつくり、各自担当した分を送付して、校正を頼んだ。2月1日には印刷所に頼みたいので、31日には返事をもらいたい。5時までの郵便局に滑り込んで、郵便局で8通の手紙を出した。もう少し余裕があるといいのだが。編集の中心になっているYSさんから会議出欠の返事がないので、電話をする。なんと、軽い脳梗塞で入院しているとのこと。幸いなことに1週間くらいのリハビリの後退院の見込みとのこと。びっくりした。
 会議の会場を移動して、松川資料の世界遺産登録(世界の記憶)問題での世話人会議。再チャレンジの登録申請は、残念ながら日本政府によって受け入れるところにならず、今後の方向を審議する会議の準備。県や市の自治体の文化財(司法文化)に登録してもらう、または弁護士会関係の人権擁護の顕彰を狙うか、いろいろ議論になるだろう。要は、松川事件をどのように後世に伝えるかだが、地道な学習運動が、重要なのではないかと思っている。
 夜、関東中心の女川支援の「女川の会」の中心であった、三宅哲さんがクモ膜下出血で亡くなったとの訃報メール。1月18日らしい。三宅さんは、女川支援のカンパ活動や様々な取り組みの中心になった方。私は、三宅哲さんの東京から福島の一本の電話で、支援活動でご一緒することになった。心温かい人で、個人的にも、いつもホットさせてくれる人。私が、いわき市で憲法の講演をした時、どこで聞きつけたのか、東京からわざわざ来てくれた。聴衆に三宅さんが座っているのでびっくりした。私も、心臓の手術をする3か月前だが。女川の先輩で、いつも励ましてくれた。本当に、感謝でしかない。ご冥福を心からお祈りしています。(1/26)<63423>


◇ 火曜日。吉原先生の火葬場での葬送の儀。現在の状況を踏まえて、出席者は20人に限定。九条の会の事務局から、親しく付き合っていたお二人の参列。それだけでは九条の会としては、17年も代表を続けられた吉原先生に対して、礼を欠くだろうということで、会として香典をお願いした。真木先生も、今の宿舎からは外出できず、偲ぶ会などは、時間を置いて、開催しようということになった。福島民報の電話取材に基づく、悼む言葉が、私の署名入りで掲載(談)。
 ももちゃんの幼稚園。今日は、送りと迎えの二往復。天気もいいし、道路も雪もなく、短時間で到着。夕方の迎えのコースも、ラッシュの前なので、スムーズ。
 寒いのと、何かがっかりしたのと、力が出てこない。
 ももちゃんの実家(阿部さん)から電話。女川に来るなら、寄ってくれとのこと。ももちゃんを展覧会に出してはどうかと、秋田犬保存会の役員から、勧められたそうだ。美形ということか。しかし、気が小さいからな、わが家の系統は、苦手だな(笑)。(1/25)<63396>


◇ 月曜日。午前中、妻の眼科への送迎。愛犬ももちゃんを連れて、駐車場で待っていたが、こちらは、MSさんと長電話。突然、愛犬が吠えるので、どうしたのか、カラスでも来たのかなと思ったが、フリーハンズの電話は、車内に大きな声が響くので、全く聞きなれない声で吠えたのかなと解釈。
 帰宅して、福島出身の三力士の後援会に、送金。いつもハラハラしながら、楽しませてもらっているので、少しはカンパしてもいいだろう。どんどん昇進すればいいな。新聞は、来場所の予想番付。若隆景は、東関脇。これで尊敬している祖父の元小結を追い抜いた。是非、大関、横綱を目指して欲しい。
 午後、街中での妻の会合へ送る。愛犬を留守番させておけないので、乗っけていく。いったん戻って、また迎えに行く。2往復とも、後部座席にももちゃんを乗せて。朝から、ずっと、一緒にいたことになる。当然のように、ついてきて車に乗る。何か、自分の仕事のように。ボケ爺さんのサポートのつもりかな。(1/24)<63379>


◇ 日曜日。午前中は、学習協の全国連絡会議にオンラインで参加。30人ほどの参加だが、各県の学習協活動の先進例を知ることができた。ただ、研修の機会と思って参加したが、最後の頃に、福島の状況を話さざるを得ず、面食らった。とても先進的なことはできていないが、今後オンラインなどを通じて、打開する方向が見えてきた。
 午後、次女がオンラインで発言の機会があるというので、ももちゃんと一緒では無理だろうということで、ももちゃんを迎えに行った。オンラインは、良く聞こえたらしいが、こちらの発声が届かず、残念だった。最初の設定の問題だろうが、その場合は、ホストが何を変えるかをサジェスチョンしてくれればいいのにと思う。私のフォーラムではそうしているが、そういえば、いちど、どうしてもパソコン上の問題等が生じたのは報告者だったので、1週間延期して、やってもらったことがあった。機械的なトラブルがよく起きるので、その場合には、どのような手当てをするか、可能な限り、事前準備をしておきたいものだ。
 夕方、ももちゃんを迎えに来て、夕食を共にする。
 「家族はつらいよ2」をテレビで観る。注目の沖縄名護市長選挙は、基地反対派に期待したが、勝利できなかった。今後、改憲勢力が勢いづいて、改憲にならないように頑張る必要があろう。民友新聞の記者から、吉原先生の逝去に関わって、電話取材を受けた。福島にとっては、大きな損失。返す返すも残念である。
 大相撲、若隆景は9勝6敗、若元春も9勝6敗、幕下17枚目の若隆元は4勝3敗の勝ち越し。大勝ではないが、三兄弟とも次の活躍を期待できる星。大波三兄弟の後援会に、入会のFaxを送る。(1/23)<63353>


◇ 土曜日。午前中は、妻の会合への送迎。我が家の前の道路を過ぎると、幹線道路はスムーズ。
 午後、オンラインの東北社会法研究会参加。外国人労働者問題のテーマ報告と、中途採用者の内定取消しに関する判例評釈。
 夕方の買い物。大相撲は。若隆景、若元春兄弟は、揃って勝ち越しを決めた。明日の勝負で、次の場所の番付表が決まる。大波三兄弟の後援会に入ることにしようかな。郷土の力士を支えないと。
 夕方、7時から9時までの大学フォーラムのオンライン研究会を思い出した。寒い二階に上がるのを避けて、スマホで2時間の研究会に参加。何とかスマホでもできそうだな。これだと普及できるかも。チャットで、羽田さんから、ご無沙汰していますとの挨拶。びっくり。頑張っているようです。(1/22)<63328>


◇ 金曜日。今日はももちゃんを、犬の幼稚園に送り、午後からまた迎えに。いつもの担当の先生がいないので、慣れない先生の下で、どうだったろう。疲れたのか、帰りの車は、ずっと寝ていた。
 帰り道、中井さんから吉原先生の訃報の電話。詳細は分からないが、今日、自宅で亡くなったという。大病を抱えていたが、一度手術をして、うまくいったと喜んでいた。東京に住む娘さんが、看病で来ていたのだが、ご自分の家庭のこともあり、東京と福島の行き返りのため、福島駅前にマンションを借りていた。一度、松川のことで訪ねたことがあった。最近は良くなったのか、蓬莱の自宅に戻っていた。松川資料の記憶遺産登録を目指す運動の件で、担当者から吉原先生と私と3人で相談したいが、吉原先生の病状が良くないとのこと。まさかとは思ったが。
 吉原先生は、経済学部の教員、学部長として活躍されて後、学長を3期(7年)務められた。まさに、福島大学が2学部体制から、5学類(人間発達文化学類、経済経営学類、行政政策学類、共生システム理工学類、食農学類)へと、財政厳しい中、その実現の先頭に立ってきた。吉原学長の後、臼井学長(4年)、今野(4年)とバトンタッチしてきた。臼井さんは、2013年10月に若くして亡くなり、先頭に立ってきた吉原先生の逝去は、悲しい。また、労組運動や、平和運動(県九条の会の代表)など、こちらでも先頭に立ってきた。89歳であるが、先輩にだけ任せないで、後輩も支えるということで、10年以上離れているが、最近、私も九条の会の事務局で一緒にやり始めたばかり。コロナ禍の中で、葬儀等、どうなさるのか。いままでの感謝とご冥福を心からお祈りします。
 大相撲、若隆景は勝ったが、若元春は敗れる。何とか勝ち越して欲しい。ももちゃんは、こちらの不注意で、台所で、いつものフードでないものを食べてしまったが、下痢や嘔吐はしないか、アレルギー等、心配である。我々の食料管理のミスであるが、何とか、何事もなければと心配している。(1/21)<63309>


◇ 木曜日。午前中に、伊藤(昌)先生から電話があり。長い間、同じ学部で指導をいただいてきた、畑孝一先生が亡くなったとのお知らせ。病院で亡くなったようだが、病名も分からないが、そんなに長い入院ではないと思う。89歳だったと思う。私が、秋田大学から福島大の教育学部に転勤したとき、同じ社会科の教員として、社会学を担当していた。学部で、評議員や学部長も行っていた。5年後、教育学部と経済学部が共同して、改組型の行政社会学部が創立されたとき、私より後ではあるが、行政社会学部に移ってこられた。亡くなるまで、市民社会論の論議を展開して、蓬莱団地の九条の会の代表などをされていた。いつも、奥様が助手席で世話をしていたが、つい最近まで車の運転をなさっていた。葬儀は、家族葬ということで、参列はできないが、時間を見て、偲ぶ会がもたれると思う。それにしても、当時の教育学部社会科、篠笥先生、村上先生、永山先生、臼井先生、内田先生、渡邊先生などとお別れをせざるをえず、今回は畑先生。みんな一緒に、高齢化しているのだが、悲しい。長い間のご厚情に感謝しています。ご冥福をお祈りしています。
 午後、学習協の「学習の友」の輪読会。数人だが、珍しく、久しぶりの懇談。帰宅後、大相撲を観て、若元春・若隆景とも白星。最後まで勝ち越しまで油断しないでほしい。
 昨日のフォーラムの感想文等のまとめをブログにアップ。次回の報告者も電話連絡をくれたので、次回(193回)の準備に入る。(1/20)<63285>


◇ 水曜日。夜の妻の会合への送迎が、第192回フォーラムとぶつかってしまった。そこで、送るのは私がやり、迎えは次女の頼もうと、ももちゃんと一緒に泊まらないかとのお願い。うまく、組み込めたので、何とか、フォーラムも送迎も両立した。
 大熊町から会津若松市に避難していて、「会津会」をつくり頑張っている3人に来ていただいて、実情や思いを話してもらった。避難者の方々に直接話してもらうことは少ない。会津短大の久保先生の協力を得て、雪の中、会津短大の校舎からお願いした。65人ほどの参加者だったが、具体的な話だったので感銘を受けた。私自身は、避難者と避難者受入地区の住民が、もっと交流があっても良かろうと思っているので、その萌芽が見えるような気がした。
 大相撲は、若元春が、不戦勝。若隆景が勝利と、勝ち越しへ一歩進んだ。油断しないで、ひと踏ん張りを。(1/19)


◇ 火曜日。愛犬ももを犬の幼稚園へ送る。凍結して、かつ少々吹雪いたが、伊達市の方は晴れて道路も快調。
 この前の犬のホテル泊はどうでしたか、と先生に聞かれたが、まあ、なんとかと。思い出せば、食事はとらず、心配事はあったかなと、まあ先生の方は知っていることでしょう。その後、娘が懇意にしている家族が、来て、ももも、喜んでハッスルしたらしく、その余波が続いているようだ。本当に楽しかったのだなと思う。
 午後、県立図書館に本の返却。その足でいつもの整骨院へ。特定の部位が痛いというよりも、全体的に偶に痛みが来る。あまりはっきりしないが、何とか、血流をよくするというような処置。
 ガソリンスタンドにより、本屋を訪ねる予定だったが、大相撲が気になって、早めに帰る。今日は、若元春・若隆景、共に敗れて赤ランプ。(1/18)<63246>


◇ 月曜日。特に用事はないが、九条の会のブックレットなどの下作業。
 愛犬ももを乗せて、郵便局&買い物へ。家にばかりいると、見慣れない人に合わないので、珍しいのか、いろいろ車の中から眺めている。
 1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の27年目。
 静かな一日で、何事もなく終了。(1/17)<63226>


◇ 日曜日。今朝、5時に目が覚めたら、長女からLineでの挨拶。塩竃は、夜中から朝までサイレンが続いていて、眠れなかったとのこと。トンガ大規模噴火による津波警報・注意報。日本時間15日午後1時10分ごろ、トンガ諸国の火山島「フンガ・トンガフンガ・ハアパイ」の大規模な噴火が発生し、それが日本の広範囲での津波注意報・警報。最大で1メートル20センチだが、福島も含め太平洋沿岸で注意報・警報。地震によるものでないので、気象庁は、最初、津波はないとしていたが、その後変更した。結局、14時頃の満潮時まで見すえて、警報・注意報は解除された。科学的なメカニズムがはっきりしないのは、心配が多い。今度のは、新しい経験だろうが、科学的な解明が求められる。
 何か、テレビはつけっぱなしで、一日中、落ち着かない日だった。
 次女宅は、お客様家族が泊まっていたが、夕方、ご馳走が多く残っているので、夕食を誘われた。ももちゃんも、家が違うとゆったりしているようだ。
 大相撲は、若元春、若隆景共に勝って、最後のラストスパートへ。(1/16)<63209>


◇ 土曜日。道路の状況は依然として凍結しているが、空は青空も出て、気持ちがいい。
 ももちゃんは、次女が夜勤のため、幼稚園と同一経営の病院に、ホテル宿泊。昼前には、迎えに行っている。夕方、次女のところに、懇意にしていた家族が来るというので、近くのケーキ屋さんからアップルパイを買うというので、同行。
 午後、アップルパイを届けに行く。ホテル住まいだったももちゃんの具合を心配していったら、元気そのもの。お客さんが来て、喜んでいるだろう。
 大学入試共通テストが始まり、開始前に、東大前路上で高校生が刺傷事件を起こし、受験生ら3人を刺す事件が起きた。命に別条はないというが、追い詰められているとはいえ、異常な事件だ。
 大相撲は、幕下・若隆元が勝ち2勝2敗、幕内の若元春が勝ち3勝4敗、若隆景が敗れ2勝5敗。頑張って勝ち越して欲しい。夜は、男はつらいよを観る。十朱幸代がマドンナ。(1/15)<63185>


◇ 金曜日。時折吹雪、量は多くはないがしんしんと雪が降る。ももを幼稚園に送る日。反対側車線が随分、混んでいたが、何とか農免道路から4号線へ。北上する4号線は、スムーズに進む。福島市内は荒れている天気模様だったが、保原に向かう399号線は、風雪もなく、凍結はしているが道路のデコボコもない。9時40分頃の到着。帰りもスムーズに。10時20分頃着だろうか。途中でスマホを自宅に忘れてきたことを思い出したが、なんともならない。また朝の薬も飲むのを忘れた。どこか抜けているのかな。
 2月2日に女川に行くが、前日、山田・平塚を含め3人で宴会をやろうということで、3人分の宿泊(ホテルエルファロ)を予約したが、このコロナの感染ペースをみると危ない。結局、またの機会を楽しみにして、今回は中止にしようということにした。2人分の予約はキャンセルした。ただ、私自身は、実行委員会のメールによれば、実行する予定ということなので、気をつけながら参加することにしよう。この後、どうなるか分からないが。
 大相撲、若元春は負けたが、若隆景は、小結の明生を破り2勝4敗。若元春も2勝4敗。これからが勝負どころ。横綱の照ノ富士は玉鷲に敗れる。結構、元気な若手が多いので、勝ち越せるかどうか心配。夜、映画『あん』を観る。樹木希林が好演。さりげなく、ハンセン病の問題を鋭く突く。(1/14)<63166>


◇ 木曜日。雪は降っていないが、道路が凍結の上にがたがた。モーグル状態。スーパー、郵便局に行くのに、ももちゃんを後部座席に乗せて、回って歩く。揺れるので、車酔いしないかと心配したが、揺れないときは座って外を眺め、揺れる時は伏せの状態で、いる。特に騒いだりしないで、周りの買い物客などを眺めている。車が好きなのかな。
 午後、BSでヒッチコックの映画を観る。「泥棒成金」(1955)。ケーリー・グラントとグレース・ケリー。そしてチャップリンの「キッド」。サイレント作品(1921)。
 大相撲、若貴景に初日が出た。関脇・隆の勝を突き落としで破る。1勝4敗。若元春は、千代丸に敗れ2勝3敗。これからが大変。力士の土俵入りで、若隆景・若元春の兄弟関取の化粧回しが同じ。母校(学法福島高)の「福高」の文字。これが3人なると見事だが。何とか勝ち越して欲しいという感じの出発点。頑張って欲しい。(1/13)<63150>


◇ 水曜日。また寒波が押し寄せているようで、寒い。それほど積雪はないが、道路はかちんかちん。なんか、スキーモーグルのようだ。コブがなくて、すべすべしていた方が走りやすい。
 愛犬ももは、今日はわが家でジジババと一緒。遊んでやろうかと思ったが、寝てばかりいる。それでも、ちょっとした物音がすると、耳を立てて起きる。番犬としての役割を感じているのだろうか。妻が、郵便局まで送金で行くので、留守番も可哀想なので、後部座席に乗せて、デコボコデコボコのドライブ。あまり揺れると、車酔いすると思ったが、座席に伏せをしている、寝ているのかな?
 コロナの新感染者は、全国で1万を超す。福島も、20〜30と急に多くなった。症状は軽いらしいが、2回済ませたワクチンの効果が落ちてきているので、油断大敵。長女が送ってくれた電気チョッキ、試しに次女に着てもらったら、犬の散歩によく、暖かいと言っている。最近、こういう新しい製品を使うのは苦手。ほとんど取扱説明書がない。常識の世界なのかもしれないが。
 大相撲4日目。若元春は敗れ2勝2敗、若隆景は、大関正代に勝ったと思ったら、勇み足で敗北。4連敗。実質勝っていたのにというのは、慰めでしかない。負けは負け。
 何代か前の行政社会学部長の松井稔先生が、昨年3月に87歳で亡くなっていたことを、息子さんの寒中見舞いで知らされた。毎年、年賀状を上げていたが、遺族が、その返事としてくれたと思う。何か、ご逝去をしばらくしてから知るのも、悲しい。本当にお世話になった先生。ご冥福をお祈りしている。(1/12)<63134>


◇ 火曜日。三連休は明けた。成人式の華やいだ写真は、大雪注意報に変わった。子どもたちは、今日から3学期だろうか。寒くて、行きたくないだろうと考えるのは爺さんの話か。
 朝、ももちゃんを幼稚園へ送る。どうも、昨日のシャンプーやリンスのせいか、一晩中痒がって、わが家に着いた時は、半分寝ていた。車の後部座席でも、しばらくして伏せて寝ている。今日の幼稚園は、楽しめるかな?幼稚園の先生が、車まで出てきてくれて、ももちゃんを降ろしてくれたが、いつもだと、私の方も振り返らず、中に入るのだが、今日は、とことこ私の方に来る。家に帰りたいよと言ってるのか。それでも、何とか頑張ったみたい。迎えにいった次女によると、疲れているらしく、夕方の散歩は止めたと言っていた。人間でも、天候が不順で、いやになるので、しかたがなかろう。
 午後、県九条の会の事務局会議。改憲の動きを9条のみに焦点化することが、どうだろうとの情勢分析を聞く。私の方は、ブックレットの作成も最終盤。あと微調整をして、印刷に入ろう。1月末には原稿を完成させて。
 長女からの電気チョッキ、少しやり方が不明なので、作動していないが、大体わかった。背中が寒いので、早く使わないと。(1/11)<63120>


◇ 月曜日。祝日(成人の日)。久しぶりに太陽が出ていて温かい。
 午前中に、県立図書館に返本。手ぶらで帰るのも寂しいので、東栄蔵の「伊藤千代子の死」を借りてくる。伊藤千代子の映画の上映実行委員会の委員長を頼まれたので、この機会に伊藤千代子について書かれたものをよんでみたくなった。「千代子」は、私の亡き母親の名前でもあり、少し拘る。小林多喜二の活動した時期と重なるので、この機会に多喜二も読んでみたい。学生時代に、多喜二の全集を買ったが、ただ並べてあるのみだ。伊藤千代子と重ねながら読んでみたい。
 NHKテレビで、映画『スパイの妻』を観る。
 夕方。鈴木さん夫婦が訪ねてきた。群馬の下仁田ネギを持って来てくれた、早速、夕食で美味しく食べる。大相撲は、大波三兄弟は、長男のみ勝利、次男三男は惜敗。若隆景は、大関・横綱と2敗。もう少しかな。(1/10)<63101>


◇ 日曜日。月曜日は成人の日なので、今日は3連休の中日。成人の日の報道は、明日ではなく、今日、前倒しで開催しているとこも多いようだ。「成人」の法規定が変わって、現場では、いろいろと苦労しているのではないか。20歳ではなく18歳になったが、18歳になった後の初めての3月31日が過ぎてから。ほぼ、高校生であれば、高校卒業時点。飲酒・喫煙は別だが、契約、結婚、ほとんどが18歳で成人となる。親の同意の出番が少なくなり、自分で責任を持たざるを得ない。専門学校で、さっぱり使用しない英会話の教材を買い、支払いはローン会社に対してなので、アルバイトしても大変で、止めたいということで相談に来た学生がいたが、19歳だったが、親の同意を得ておらず、勝手に親の名前を書いてハンコを押していたので、取消しすることができたが、今後は、そんな便法は使えない。本当に責任ある態度が必要。
 今日から大相撲が始まった。テレビを観る。郷土力士の応援。福島市出身の大波三兄弟(前頭筆頭の若隆景、新入幕の若元春、幕下の若隆元)。大波三兄弟福島後援会も結成されて入会を進めている(大波は本名の姓)。今日は、若隆元の取り組みはなかったが、新入幕の若元春は勝利、若隆景は大関貴景勝にに敗北。3人とも頑張って欲しい。
 新たな大河ドラマも始まった。「鎌倉殿の13人」。三谷幸喜の作品なので、現代風な音楽が出てきて面白そうだ。(1/9)<63072>


◇ 土曜日。午前中は、松川賞運営委員会で街中まで。5名の参加であるが、第7回にお二人の受賞者があり、気分的にはいい。第8回の募集要項を定め、県・市の後援をいただいて、募集に入る。第7回は、高校生と91歳の方のお二人。最高齢者と一番の若手。松川事件を、後世に正しく引き継がれることを期待して開始したものである。松川事件を体験した方々は、既に高齢者、何とか世代交代で、若い方々が募集に応じて欲しいものだ。地域で発生した事件、この地で思いをつないでいく必要がある。
 午後は、買い物に同行、ついでにリサイクルを出し、灯油6缶を購入。寒いとやはり、暖房のための灯油は消費する。通路に雪があるのと、手足が痛いので、慎重に1缶づつ、物置に運ぶ。
 長女のご主人が送ってくれたビデオ。梱包を解いて、接続して正常に映ることを確認。「北の国から」の第1巻を、短時間だが観て、確認。ベットに横になって見れるのだが、耳が遠くなってきていて、どうしても音が大きくなる。長いイヤホンにするか、補聴器(楽々フォン?)でも使おうか。新しいDVDを買うことになるかも。
 フェースブックに、鈴木浩さんの新刊(「福島原発災害10年を経て」)を推薦するメッセージをアップしたら、いろいろ関心を持ってくれた。長女まで、どこで買えばいいのと。友人がいろいろ活発な研究活動をしていると、少々、焦るが、自分なりにやるしかない。当面の課題を前にして、怠けないで、焦らないでと言い聞かせるが、どのくらい時間が残っているのだろうか。(1/8)<63044>


◇ 金曜日。忙しい日だった。10時からの会議のために、事前打ち合わせで9時半までに県庁へ。雪は降っていないが、道路は凍結している。ゆっくり県庁駐車場まで、歩いて行政経営課まで。課長さんと打ち合わせ。福島県行財政改革推進委員会である。11名の委員だが、会場へ出席は5人、リモートで4人、関連事務担当者。会長をしている立場上、皆さんの意見をよく聞く、素案作成担当の事務担当者からの説明など、活発なご意見が出された。一般的な行財政改革だと、いかに人件費を削減するかということにもなるが、福島は原発災害からの復興途上。一般的より、特殊な要因が多い。
 昼に、帰宅し、昼食後ウトウトしたが、午後は、ブックレットの作成の会合。3人で集まって編集をしたが、やはりパソコンがいいと可能性が広がるね。2時間超の、編集会議。中身というよりも12名の執筆者の論稿のレイアウトの議論。まあ、何とかうまくいきそうだな。
 夕方、帰宅。次女も早めの帰還、ももと一緒に帰宅へ。寒い中、散歩中だろう。新しい仕事と、犬の世話と、雪の中での新しい住まい。一緒で、疲れているかなと心配。
 長女の夫から、テレビビデオが送られてきた。新しいが使わなくなったテレビをもって来てくれた時に、ビデオの話をしたのを気にしていたのか。すまない。寝ながらも、テレビが見れる、溜まっている映画のDVDを見る楽しみもある。不勉強にならないようにしないと。明日から3連休だが、あすもちょっとした会合がある。(1/7)<63023>


◇ 木曜日。最低気温マイナス7度という寒さ。雪は降っていないが、寒さが続く。昼のお日様が、気分を和らげるが、氷を解かすまでには行っていない。
 東京23区は、大雪警報。準備をしていない多くの都民は、寒さと雪に凍えているテレビの画面。何か北にある福島の方が、日が出ている。気象のメカニズムの解説はされるが、やはり異常気象の一つなのか。
 ももちゃんを預かって、大人しく過ごす。昼間でも散歩に出せばいいのだが、あまり外に関心を持たない。玄関でじっくり寝て、たまに温かいリビングにくる。ソファーに横になるが、また暑いのか、玄関マットへ。あまり興奮させないようにしているのがいけないのかも。
 明日の県庁での委員会(行財政改革推進委員会)の資料読み。抽象的な文書なので、難しい。そこで働いている人にはビビットに分かるのかもしれないが、県庁外では、勘どころが掴みにくい。いずれにしろ、震災11年過ぎ、復興事業の困難さに対峙しなければならない。そして、県九条の会のブックレットの作業、巻頭文を書く。そこには、震災で、大変な生活を経験した方々の息遣いを感じている。県庁の行財政改革と、復興に向かう県民の意向が、絡むことができればいいのだが。難しい作業である。ブックレットも、明日の午後、相談の会合。明日は、今日以上に寒そうだ。マイナス8度の最低気温予測。(1/6)<63000>


◇ 水曜日。正月休み後、初めてのももの幼稚園送りだが、道路の事情が芳しくないので、早めの出発。雪がない時は、ほぼ9時に出発して、幼稚園には9時半には到着。しかし、今日は8時45分に出発。順調だったが、13号線から4号線の接続、北警察署の前を通り、4号線に合流するところで、左折。しかし、これが難物。信号機を待っているとようやく青信号になると思いきや、直線のみ。4号線をわたる歩行者の安全のためか。ようやく直線が解除されての青信号。残念ながら3〜4台。大きなトラックだと、1台で信号が変わる時もある。ここで時間を食ってしまった。その後は順調に4号線を北上。伊達で右折して399号線へ。先ほどまでが嘘のように、快晴且つ道路もいい。まあ、何とか到着は9時50分ほど。後部座席にいるももも、大人しかったが、先ほどの4号線への左折の時に、さすがに「ワン、ワアン」と。
 幼稚園から自宅へ。まあ、何とか10時40分頃着か。年末からの坐骨神経痛などの痛み故の整骨院通い。どうも掛かっていた病気というより、雪の上を歩いての神経痛らしい。まあ、左肩、腰痛(坐骨神経痛)、そして脚の筋肉痛。まあ、1週間に1回の通院(痛いところが、どんどん変わっていく。)。
 午後は、ゆったりして、以前、提出した弔辞の原稿、学会誌なので、それに合わせて「です」「ます」調でなく、「である」調に変えて欲しいとのこと。恩師を偲ぶ原稿なので、どうも緊張してしまったか。そうだろうなと、編集に協力して、再度提出。最初からそうすればいいのに。
 モモの幼稚園迎えは、次女が職場から直行。朝送ったきり、ももはわが家に来ない。すこし拍子抜けのように静かで、課題を翌日に延ばして、早めの就寝。(1/5)


◇ 火曜日。仕事始めだが、昨夜遅く帰ってきた次女は、雪道と仕事始めでの渋滞を警戒して、朝6時半には出発し、職場に7時には着いた模様。雪は降っていないが、道路の凍結は融けず、運転に気を遣う。
 九条の会のブックレットについて、金曜日の午後に集まって、調整をすることになっているが、形式を統一することと、章立てをどうするか、このブックレットの主張を明確にするためには不可欠のこと。皆さんの力作を、どのように構成するか、一頑張りが必要。
 朝、大量のゴミをゴミ集積場に行くために車を動かしたぐらいで、ほとんど自宅内で、ももちゃんと過ごす。寝ていることが多いが、夕方、次女が来て、喜んで帰って行った。(1/4)<62953>


◇ 月曜日。正月三が日も終了。次女とももちゃんは、明日からの仕事もあり、自宅に戻る。
 午後になって、職場から緊急の呼び出しが来るようで、職場からの距離、愛犬の世話などから、再度、わが家に来る。しかし、実際に呼び出しを受けたのは午後9時過ぎ。急いで、職場へ。
 道路は凍結しているので、気をつけて帰るよう、ラインで連絡。しかし、明朝からの仕事もあり、大変。(1/3)<62936>(P)


◇ 日曜日。妻の眼科診療で街中へ。診療の続きだが、たまたま眼科の当番医だったので、都合がよかった。あまり待たないで帰宅。道路はガタピシガタピシから随分改善された。雪も止んで、お日様が強く照りだした。車庫の倒壊心配もなさそうなので、車は元に戻る。隣近所の車(軽車両)が、自宅の車庫から道に出るのに滑っていたので、押しに行った。秋田などでは日常茶飯事だが、ちょっと押しただけで、何とか上がった。懐かしい(笑)。
 新聞休刊日だが、元旦の新聞を改めて読む。九条の会のブックレットの刊行準備。いろいろ委員会の中に、メカに強い人のグループで、完成原稿の見通しができてきた。7日の午後委員会の予定を、少し延ばして、その日は集まった原稿の編集を小委員会で行うことにした。
 夕食は、次女の職場から呼び出されることもない日なので、アルコールで乾杯。のんびりした正月を過ごすことができた。(1/2)<62923>


◇ 土曜日。2022年が明けました。新年おめでとう。皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。
 元旦の朝、いつものように6時に起きた。次女と愛犬ももは、わが家に泊まったので、おせち料理をいただき、お雑煮とあんこ餅。次女は緊急に呼び出されるかもしれないので、お屠蘇は飲まず。ノンアルコールとビールで乾杯。新年の健康と頑張りを誓って。お正月と言えど、臨戦態勢の職場なので、ノンアルコールは仕方がない。
 雪がこんこんと降り続くので、車庫が心配。昼食後、次女が、脚立をもって、車庫の屋根の除雪をやっているので、私もダラダラしているわけにいかない。屋根の上の雪を、7割方下したので、何とか、すぐに倒壊することは免れよう。申し訳ないけど、近くに車を移動。何とか、雪が降り止み、屋根から雪が落ちるのを期待。天気予報は、雪の後、晴マークなのだが、太陽の熱が微弱なので、そう簡単に融けない。そのうちにまた降り積もる。
 自宅の車庫の除雪に目途が経った頃、次女の家の除雪へ。屋根の上は何ともしようがないので、家の前の道路、玄関先の除雪に一緒に行く。奥は、果樹園で、事実上の通行止めなので、隣の家までの道路が除雪されればいい。市の除雪車が来るようなところでないので、それぞれ、前の道は、それぞれの家で除雪。何とか、途中になっている家の前の道路は、自動車がスムーズに入れるまでに除雪できた。それと玄関先。天気が良かったので、助かったが、この後どうなるか。いつも大雪ではそうした仕事を組み込まないとダメだと構えておく必要がある。
 今年の元旦は、雪掻きの元旦。冬は長い。何度今後あるだろうか。福島市の大雪は、年1回は必ずあるといわれてきたが、今回で終わりと、楽観視できない。いつもより遅く、年賀状が届く。それぞれ、懐かしい近況を読みながら思い出す。いつもより、高齢になったのか、今後、年賀のご挨拶は終了しますとの宣言のハガキも多くなった。それが合理的かもしれない。
 おせちの夕食をいただき、男はつらいよ(岸恵子出演)を見てから、机に向かう。(1/1)<62904>



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