日  記 (備忘録)

(2022年3月)

◇ 木曜日。今日は3月の最終日。2021年度(令和3年度)の最終日である。定年退職の身としては、年度の変更は、特に影響はない。しかし、現職の者は、いろいろあるだろう。この日で退職する人もいるだろう。公務員は、誕生日ではなく、誕生日後の3月末に退職となる。転勤もこの日である。教え子からも、今の部署でもっとやりたいが、新しい部署への配転命令が出たというメールが来た。ちょっと残念そうである。2年とか3年とかで、転任するのが多いので、予測はするだろうが、1年は驚いたのだろう。新しく作った部署だから、やむを得ないのだろうが、夢を持って、計画を立てて頑張ろうと思っていた者は、残念だろうと思う。
 様々な部署をこなして昇任するのが普通だが、私は、なんでもそこそこやれるよりも、こだわって仕事のキャリアを積む方がいいような気もするが、年功序列と適合しないのかもしれない。
 松川の事務所で、事務局長と懇談。いろいろな団体のトップが交代しているが、なかなか後継者が見つからない場合もある。後継者問題は、組織を持続・活性化する意味で重要だろう。どのように後継者を育成してくか、計画が必要だろうと思う。
 4月から新しい部署に就く者も、気持ちを切り替えて、頑張って欲しいものだ。(3/31)<64872>


◇ 水曜日。特に用事はなく、昨日のフォーラムの参加者から送られてくる感想文等をまとめていた。それをブログに掲載した。一応、翌日の9時までにお願いしたが、10時過ぎにいただくのもあった。申し込みも遅れる人は常に遅れるのは、面白い。バッサリ切ってしまえば、こちらの労務も少なくなるが、ついつい入れてしまう。
 楽天・オリックス戦を、デジタルで経過を追う。昨日に続いて楽天の連勝。相撲が終わって楽しみがなくなったが、その分、開幕したプロ野球で楽しんでいる。野球も相撲も、妻は余りわからないが、段々、理解しているようだ。それは、応援している方が勝ったりすると大声上げるので、耳に入るのだろう。愛犬ももは、その点では、話しかけるが、あまり理解していないようだ。しかたがないね。今日の福島は22度を超えた。初夏の天候。また寒さがぶり返すようだが。3月もあと2日のみ。(3/30)<64853>


◇ 火曜日。ももちゃんを幼稚園に送る。地震で、伊達橋が通れないので、今日は最初から、月の輪橋を通ってスイスイ。ももちゃんの担当の方が、また変わった。年度末だから、いろいろと移動もあるのだろう。
 夕方の第195回復興支援フォーラム。65人が参加してくれた。少し難しかったかなと思うが、定年なってしばらく会うことができなかった渡邊明さんに報告を依頼してよかった。福島大の蓄積してきた力を、どんどん発信してもらいたいものだ。
 遅い夕食だが、楽天対オリックスの試合をテレビで観ることができた。2対1で楽天の勝利。田中将大が勝利投手。松井がセーブ。バッターがもう少し頑張って欲しい。茂木がコロナで陽性。試合に出れない。残念。(3/29)<64830>


◇ 月曜日。午後、妻の会合と私の「学習の友」輪読会がぶつかってしまった。ももちゃんを留守番させるのは可哀想なので、私の方は、雑誌の配布と代金は、近くの人に頼むことにして、休むことにした。ももちゃんを乗せて、妻を送る。帰って来て、新聞の切り抜きをする。ももちゃんは、ソファーで昼寝。顔を見ていると、警戒している感じでなく、安心している感じ。3時過ぎに、またももちゃんを乗せて、妻を迎えに行く。眠かったのか、座席の下に足をおいたまま、乗っている。
 4時からの原発と人権の実行委員会(zoom)は、まずミニ学習会。フリーライターの吉田千亜さんの話。「母子避難」「孤塁」は読んだことがある。「その後の福島」は読んでないな。震災後、埼玉に避難した方々の話を聴いて、書き始めたようだ。震災が生み出したライターである。やはり能力があって、花ひらいたのであろう。それとチャンスを支えてくれる環境と。本質をつきながら、非常に読みやすい本である。次回は、友人の鈴木浩さんである。
 テレビは、ウクライナ問題が継続している。生物化学兵器の使用が取りざたされている。恐ろしい。ただ、どちらが使用したか分からない場合があるらしい。何とか、人の命を粗末にしないで、停戦してほしい。「100分で名著」はエドガー・アラン・ポー。今日は、「モルグ街の殺人」
 居間に、妻が読んでいた、美術家の篠田桃紅著「103歳になってわかたこと」を取り出して、読みながら眠りに就こうと思う。愛犬ももちゃんの正式の名前は、「桃紅(とうこう)号」。結果的に、その名前になったのだが、何かの縁を感じて。(3/28)<64813>


◇ 日曜日。学会誌に掲載する「外尾先生を偲ぶ」の校正を返送する。明日締切だが、京都の出版社なので、早朝に投函すれば間にある思い、中央郵便局へ。
 重ねて、ユーチューブで、「ウクライナ侵攻と原発」の講演があったので、スマホで聴く。運転中だけど、スマホで流して、オディで受けて、運転中も聞くことができた。報告は、環境経済研究所の上岡直見氏と、原子力資料情報室の松久保肇氏。レジュメが手元にないので、理解は不十分だったが、ウクライナにおける原発の動向、今回の攻撃など初めて聴くことが多かった。
 お昼直前に、コープで灯油5缶を買ってきた。先日、買いに行こうと思ったら、妻に日曜日の方が、ポイント10倍デーだと言われて今日になる。5缶を車に運ぶのに、また、自宅で物置に入れるのに大変だったが、妻がかなり手伝ってくれたので、何とかできた。早く、脚等の痛みがとれればいい。
 1時からのプロ野球、楽天対ロッテ戦。岸が好投して、抑えたが、リリーフが4点も失ったが、9回の裏に5対5に追いついた。11回裏に1点を入れサヨナラ―ゲーム。ハラハラで諦めたが、何とか1勝1敗にこぎ付けた。同時に行われている大相撲。福島出身の若隆景が、高安と2敗で並んでいたが、二人とも負けて、優勝決定戦。ギリギリ、若隆景が勝利、初優勝。万歳!野球も相撲も、応援している方が勝って、嬉しい。相撲は、大波三兄弟の後援会員である。(3/27)<64796>


◇ 土曜日。午前中、次女がコロナワクチンの担当者なので、愛犬ももちゃんは爺婆のもとに。爺婆と一緒にコラッセでの買い物。大人しく、買い物の終了を駐車場の車内で待つ。
 30分ほどかかる介護施設で行われる理事会に参加する妻の送迎、送りだけを次女が代行してくれた。私は5時半頃に迎えに行くことにした。丁度、大相撲のいいところ。カーテレビで、高安、若隆景の相撲を中継で見る。高安が敗れ2敗、若隆景が勝利して2敗をキープ。優勝は明日、千秋楽に持ち越された。ともに勝って優勝決定戦になるか、いずれかが敗れれば勝者が優勝、共に敗れれば、3敗同士の巴戦になる可能性がある。何とか、若隆景に優勝してもらいたいが、どうなるか分からない。会議が30分ほど遅れたので、じっくり見ることができた。明日が楽しみ。
 帰宅して、男はつらいよの映画を観る。その後、明日、速達で送らなければならない校正を済ませる。
 今日は、3人目の孫の誕生日。2011年のことであるが、お腹の中で、あの津波から逃げながらの誕生である。11歳になった。4月から小学6年生である。男の子だが、優しく、元気に育ってほしい。彼が20歳になるときは、私は86歳。なかなか難しいかな。しかし、成人年齢が18歳になったので84歳。(父親の爺さんは84歳で元気)。成人になった姿を見たいものだ。(3/26)<64777>


◇ 金曜日。高校野球、大相撲、プロ野球開幕。いずれも楽しみにしていたが、全敗という感じ。まず福島の聖光学院。幸先よく先取点を取ったが、結局、滋賀の近江高校に7対2で敗北。地元にいる時のような打線の炸裂、投手の抑えは見られなかった。残念。花巻東高校も、早々敗れて、結局、東北からの高校はなくなった。大相撲、若元春は、体の大きい千代大龍が飛びあがり、叩き込まれて敗れる。優勝を狙う若隆景は、御嶽海に、あっという間に寄り切られる。いいところを見せられなかった。高安が1敗を守り、若隆景は2敗。優勝は厳しいかな。最後まで諦めないで頑張って欲しい。そしてプロ野球。東北楽天はホーム球場でロッテ戦。テレビは見れないが、データチェック。これも4対0で敗北。則本が打たれたが、味方の打撃が沈んでいた。土日で勝って、2勝1敗にしてほしい。初日黒星では、優勝は厳しいかな。
 昼前に、コラッセへ買い物同行。
 午後、太腿の裏側が両脚とも痛く、歩くのに不自由。整形外科には、来週金曜日の予定なので、いつも通う整骨院に行った。電気をかけたり、マッサージもあり、だいぶ、痛くなくなったが、整骨院の先生の今までの経験では、同じような痛みを訴えた人は、糖尿病だったそうだ。糖尿病の先生に、そうした両脚の裏側が痛くなる場合があるのか聞いてみてはどうかとのこと。担当の先生には、脚の痛みは伝えていたが・・。返答はなかった。他の糖尿病の先生に、聞いてみたいと思うが。
 学会誌の原稿の校正をやっている。論文ではなく、「外尾先生を偲んで」という外尾先生の紹介。皆さん、断ったので、最後に私のところに来た。多分、自分だったら、こう書くのにという囁きが聞こえるだろう。最初だっと断りやすいが、後がなくなると断りにくい。そう消極的ではなく、お世話になった先生に対するお礼のつもりで、書くことにしたもの。27日の朝には、投函しよう。(3/25)<64761>


◇ 木曜日。昨日、学術会議の機関誌「学術の動向」に出した原稿の校正の催促が来たので、慌てて今日の午前中に出しますと答えた。原稿の表題は、「原発災害に関わる市民フォーラム活動」である。初校は、少し前に来ていたが、相手の方で、少し時間の余裕がありますという言葉に甘えて、ついつい遅れてしまった。500字くらい追加していいよとも言われたが、それで悩んでしまった。そして催促である。あまり直すところもないし、追加することもできなかったので、最小限の字句修正を午前中にして、提出。直ぐに、再校のゲラがきた。今度は直ぐに返して校了となる。どうして、仕事の仕方が、後へ後へとなるのか。尊敬する星埜先生は、大学の論集の原稿は、締め切り前に届くらしい。そして素晴らしい原稿。見習わないと。
 午後、外尾先生の追悼集が送られてきた。みやぎ生協が企画したものだが、私も、書かせていただいた。「外尾健一さんを偲んでー本誌を亡き先生に捧げますー」という102頁の冊子で、外尾先生に関係のある57人の方々が寄稿している。生協運動の付き合い、教え子や研究者仲間である。樋口陽一先生、藤田宙靖先生、小田中聡樹先生等も寄稿されている。お返しのできないままに、今を迎えることは心苦しい。
 大相撲は若元春も、若隆景も勝った。特に新関脇の若隆景は、昨日全勝の高安を破って、一敗で高安とともにトップ。1敗2人。2敗なし。この二人に優勝が絞られた。しかし、残る3日間、すべて大関との対決。苦しいが、なんかやりそうな気がするが。(3/24)<64737>


◇ 水曜日。午前中は、「福島県革新懇ニュース」の「ふくしまの人」に掲載する取材を受けた。以前もフォーラムのことで、引き受けたことはあったが、今回は、ウクライナ問題に絡めて、医大の藤野先生(憲法専攻)との対談形式。ロシアのウクライナ侵攻問題から始まって、憲法改正の問題まで、自由な対談。後は編集者がまとめて、チェックして掲載することになる。結構、広い範囲の話で疲れた。
 午後は、4時からの眼科での診察。久しぶり。白内障の予後は終了し、糖尿病との関係で、緑内障のチェック。それほど心配する状況ではないが、次回は秋(9月)になった。
 大相撲は、カーラジオで聴くことになったが、若元春も若隆景も勝利する。若隆景は、全勝の高安を破って、共に最高の1敗に並んだことは、優勝にも大きく進んだ。夢みたいな話だが、原発被害で苦しむ福島にとっては、大きな励ましになる。(3/23)<64719>


◇ 火曜日。愛犬ももちゃんを幼稚園に送る日。肝腎の伊達橋が通行止めになっていることを知っていたが、カーナビが、10`の地点で通行止めを云っていながら、いつのものように4号線を北上させる案内。月の輪大橋を渡る予定だったが、車線変更しようと思っても台数が多く、左折車線が詰まるので、いつものように左折。道は空いていたので早かったが、多分、通行止めのところで迂回路案内が出ているだろうと判断して、結局、通行止めの表示のところまで辿り着く。迂回路の案内は全くなく、結局、月の輪橋に戻る方がいいかと思い南下。きちんと、地図を確認しなかったのが最大のミス。後部座席のももちゃんは吠えるかなと思ったら、静かに寝ている。
 幼稚園には、予定時間の20分ぐらいの遅れ。長い時間、乗せられていたことになる。到着して、受け持ちの先生に、どこの橋がいいんですかねと聞いたら、阿武隈川の東側に住んでいるので、分からないとのこと。災害の時、橋が重要だということは、テレビなどで知っているが。ロシアのキエフの攻略でも川が重要な意味を持っているらしい。昔から、イクサの時には、橋を落としてしまって、防護するのは多い。伊達市への合併の時に、川西か川東かが、論議の的になっていたことを思い出す。
 午後、九条の会の事務局長が、書類の件で、来宅。しばらく雑談して、用事を済ませたが、蓬莱の方に住んでいると、私たちが住んでいる北側の地理は不案内。事実上、北福島と南福島の地域に分断されているのかな。
 買い物に付き合った後は、大相撲と高校野球。若元春は照強に敗れ6勝4敗、若隆景は阿炎に勝って、9勝1敗。高安が10勝0敗、御嶽海が敗れたので、若隆景と琴ノ若が9勝1敗。若隆景は、明日、高安とあたる。なんか勝ちそうな気がする。高校野球では、21世紀枠の、福島の只見高校。大垣日大とあたり、善戦したが、6対1で敗北。よく頑張ったと思う。ナイターになってしまい、終了は8時過ぎてしまった。明日の対談の準備はしていない。(3/22)<64702>


◇ 月曜日(祝日)。春分の日である。寒さ暑さも彼岸までと言われるが、だいぶ温かくなってはきたものの、明日はまた冷えそうである。結婚記念日である。52回目になる。長女たちも、結婚記念日。16度目かな。朝、長女から、お祝いの薔薇が宅急便で届いた。有り難い。
 午後から、二本松市福祉センターで、「緊急集会 ウクライナに平和を いまこそ九条を生かそう 〜みんなで語ろう戦争・核・九条・平和を〜」に参加した。二本松九条の会からの要請で、県九条の会として挨拶に出かけた。挨拶のつもりが、特別報告に位置付けられた。最初に、趣旨説明として、ズームで池内了先生から「集会への賛同と連帯の言葉」があり、特別報告として、木村真三先生から「チェルノブイリ事故からウクライナ侵攻まで」、私の「憲法九条を守る立場からウクライナ侵攻を考える」、ウクライナから福島大学に来ているマーク・ジェレズニャク先生の「ウクライナ国民としていま思うこと」があった。その後、意見交換・自由討論があり、最後に決議案採択と行動提起があった。60数名の参加者であった。オンラインでもあった。送信していたらしいが、私にとっては、久しぶりのリアル集会。ウクライナの実情が、よく分かる話だった。二本松市九条の会中心の集会だが、時宜に適し、元気の出る集会であった。他の九条の会に知らせたい。
 大相撲の方は、若隆景も、若元春も、厳しい闘いで勝利。若隆景は、優勝戦線に並んだ。優勝ー大関昇進を期待したいが、難しいかな。プロ野球のオープン戦、楽天は巨人に連勝。勝率8割4分6厘で、圧倒的首位。この調子を、3月25日からの公式戦に繋いでほしい。(3/21)<64684>


◇ 日曜日。10時半から、町内会の会合に出た。そろそろ今年度の総会をの時期で、妻がやっている班長(名義は、私の名前)の皆さんも招集された。私たちの班(4班)から、次期会長などの役員を出すということで、参加した。今回は、役員を我が家が受けざるを得ないらしい。名義だけというわけにもいかないので、参加した。皆さん高齢化して(私も)、この地に来た時(1982年)と状況が違っているので、活発な町内会活動というわけにもいかない。高齢化社会の中での町内会活動を考えてみたい。
 午後は、zoomで甲状腺がんのシンポジウムに参加。数人の甲状腺がんで通院している若者たちの話も聞いた。医学的な因果関係の論証は難しいが、10年以上もの間、原発事故の放射線被害ではないかとビクビクして過ごしてきた若者たちの被害に、真正面から向かい合うべきと思う。
 明日の二本松での話はできていないが、明日の午後なので、午前中に頑張ろうと思う。(3/20)<64669>


◇ 土曜日。月曜日(21日)まで三連休。大きな地震の後で、1週間は、同程度の余震を警戒するようにと言われているので、心が落ち着かない。
 地震でパニックになった、愛犬ももちゃんと次女はわが家に泊まっている。我が家も3連休で賑やかになった。
 午後、早稲田大学の九条の会主催の講演会をzoomでやっていたのでそれを拝聴。数学者の広中由美子教授と憲法学者の愛敬浩二教授の講演。21日の二本松での集会で、県九条の会からの挨拶を兼ねて、「憲法九条を守る立場からウクライナ侵攻を考える」と題する特別報告をすることになっているので、その情報収集でもある。全く、同じ時間帯に、大学フォーラムがあるので、参加することになっていたが、パソコンとスマホを使って、二つとも参加することにした。まあ、聖徳太子の真似は、できなかったが、その進行は窺うことはできた。
 歩くと、足が痛いが、動かないでいると痛くはない。早く治って、ももちゃんを昼に散歩に連れ出したいが、医師には、歩くことの運動は、今のところ止められている。残念。(3/19)<64652>


◇ 金曜日。足の痛みが取れないので、1週間経った「猪狩クリニック」(整形外科)に行く。狭窄症の疑いも指摘され、次の時は、MRIも考えることになって、痛み止めのみもらってきた。運動不足なので、歩いてもいいかと聞いたら、運動は歩くのではなく、家の中でラジオ体操などを薦められた。
 大地震の後なので、また余震が来るかと、過敏になった愛犬ともどもひやひや。やはり、夜になってから、地震が来た。22時8分に、宮城県沖を震源とする地震、最大震度3。23時25分に、岩手県沖を震源とする地震、マグニチュード5.5。最大震度5強(岩手県野田村)5弱(普代村)福島市は震度1。震源が福島沖、宮城沖、岩手沖と移動して、気持ちが悪い。
 校正の仕事が来たが、早めに済ませよう。(3/18)<64634>


◇ 木曜日。昨日(16日)の深夜(11時36分)、福島・宮城に大地震が襲来した。相馬などで震度6強も観測された。11年前の大地震・原発事故を思い出した。居間の戸棚から陶器などが落ちそうになっていたが、辛うじて支えられた。多くは本や積んであった書類の雪崩である。私の勉強部屋は足の踏み場もない。一週間くらい余震が続きそうだから、片付けは最低限に。
 次女のところは大変だった。家や家具は大丈夫だったが、愛犬がパニックになってしまった。生後9か月だから、地震は全く初体験。なかなか落ち着かず、次女は4時頃まで付き合っていたらしい。可哀想と思うが、地震が頻発するので、何とかうまくやり過ごせる方法を見つけださなければ。今日の昼は、我が家に来て、ほとんど眠っていた。何とか通常に戻った。
 北海道の土井さん、静岡の佐藤先生から、地震見舞いの電話をいただく。愛媛の鈴木さんからもメールでお見舞い。
 今日の日は、実母が48歳で亡くなった命日。私が22歳、大学卒業式の1週間前。1967年だから55年前である。私の家族にとっては、誰が言わなくて、「意識している日」である。11年前の津波で行方不明になった実姉は、震災の時の3月予定日の3番目の孫の誕生日が遅れていて、きっと3月17日だねと勝手な予想をしていた。実際は26日の誕生ではあったが。実母の葬儀の日は3月21日、多分意識してか、その日が我々の結婚式。長女たちもその日。偶然ではあるが。
 3月は卒業シーズンであるが、私の初孫も、今日は中学校の卒業式。早いもんだね。小学6年生の時に、親から離れて我々と一緒に台湾旅行に行ったが、光陰矢の如しだ。長女も、仕事を続けながら、よくやったもんだと感心している。フェースブックに、そのことを書いている。
「今日は長女の卒業式でした。深夜の震度6の地震でどうなるかと思いましたが、予定通り実施でき、お天気にも恵まれました。
 楽器をやったこともないのに、部活はオーケストラを選んで、3年間ヴィオラを頑張っていました。一つの音を出すのに何度も練習したり、みんなで音を合わせる難しさや楽しさを経験したり、していたようです。半分以上がコロナ禍で、修学旅行も中止になったり、定期演奏会も文化祭も一般公開がなくなったり、制限の多い3年間だったと思うのですが、ふつうのことが経験できなかった分、ふつうだったら経験できなかったことを経験できたりしたのか、晴れやかな卒業式でした。
 入学したてで、いろいろと新しい環境に悩む出来事もありましたが、自分の力で乗り越えたようです。振り返ると、親は、見守る距離を試行錯誤しながら、せめて今日は楽しい1日だといいなと思いながらお弁当を作る、毎朝夕バス停まで送り迎えする、帰ってきた時のただいまの声の調子に耳を傾ける、それだけをした3年間でした。
 先生や保護者からのお話には、コロナ禍のことや、ウクライナ情勢などが触れらていました。決して幸せばかりの世界情勢ではないけれど、一つの門出を祝いながら、世界中で苦しんでいる人たちのことを、考えられる大人になっていってほしいなと思いました。
 卒業前には、研究発表をしたようで、LGBTqや化粧品の動物実験のこと、発展途上国の児童労働など、それぞれが発表したことで知った世界のことを、家でもたくさん教えてくれ、そうやって社会のことを知っていける学びがあったのは、羨ましい。
 退場の時は『シャローム』という聖歌でした。シャロームは、ヘブライ語で平和だそうです。折々に、この曲を聴いたり歌ったりしていたようです。一日もはやく、世界中が、平和になってほしいと願うばかりです。
 3年間、親の思い出は少ない!でも、本人の思い出と楽しかった記憶はたくさんあるようなので、いい義務教育終了を迎えることができました。15年間、長女が育つのに、たくさんの方々の力を借り、助けてもらいました。本当にありがとうございました。(3/17)<64606>


◇ 火曜日、ももちゃんを犬の幼稚園へ送る日。これからは週1回になる。昨夜は、わが家で一人(?)、泊まったので、ちょっと寂しかっただろうが、それほどないたりしなかった。妻が早起きして、散歩に行ってきた。私は、その後、ようやく起きた。幼稚園の担当の先生には、わが家で一人泊まったので、少し、戸惑っているかもと告げたが、必要なかったかな。迎えは、仕事が終わった次女が迎えに行った。
 九条の会で、ウクライナの声明を出すことにして、原案を書くことになったが、なかなか難しい。いろいろ新聞等を読み返している。21日に、二本松で挨拶兼報告をしなければならない。いろいろ難しい問題が絡んでいる。ただ、ウクライナ問題を契機に、日本も軍事を強化すべきで、9条も改正すべきという議論が高まっている。しかし、<武器には武器で>という発想を脱却しなければならないだろう。(3/15)<64558>


◇ 月曜日。前日就寝したのは、確定申告の計算をして午前1時過ぎ。珍しいが、起床したのは6時半を回ってた。ももちゃんは、いつも6時半前に到着するので慌てたが、今日から30分ほど、出勤を遅らせるらしく、間に合った。昨日は、飯舘村の「ドックラン」で楽しくもあったが、疲れたらしい。来るなりソファーで寝ている。今日は、一人(?)で泊まる。
 11時過ぎ、税務署に着いたが、入る前の車の列には驚いた。何とか入って、中でも並んでる。これはヤバいと思い、職員に訪ねたら、書類が出来上がってる人は、玄関前のポストに入れればいいと言われ、封筒をもらって投函。そういえば、いつも前夜か、早朝ん、ここに入れたなと思い出す。パソコンで作成すればいいのだが、どうもやる気になれない。デスクトップのパソコンは古くて、うまくいかないのではと思って、やる気になれない。そろそろ、来年はそうしようか。
 午後2時から、県九条の会の事務局会議。亡くなった代表の吉原先生の穴を埋めながら、活動の継続をすることになる。共同代表の一人にされたが、「ウクライナ問題」のアピールを書かなければならない。帰りに県立図書館から借りた本をボックスに返す(閉館日のため)。一日中、ウトウトしていた。もう休もうと思うが、12時を回ってしまった。(3/14)<64541>


◇ 日曜日。今日は愛犬ももが来ない日なので、ついつい寝坊して、7時過ぎに起床。
 どうも、身体が疲れているのか、元気が出ない。血圧も高めなので、無理をしないことにした。とはいっても、しなければならないことが多いので、取り掛からなければならない。
 昨日、途中までの確定申告。再度、去年の書類を参考に作ってみた。結局、2万ほどの還付請求となる。少ないと思うが、それほど源泉徴収されている仕事がなかったから、当然であろう。段々、年金のみの生活者になりつつある。これが普通だろう。つつましく生活せよとのことかな。それにしても、先輩たちの残した仕事を請け負うことが多い。同じ後期高齢者だが、後期高齢者の中でも若手になるのか?老人会の若手のことを思い出した。
 ももは、女川からの友人家族が来て、一緒に飯館村のドッグランで運動してきたようだ。いろいろな経験して、大人(成犬)になっていくのだろう。(3/13)<64514>


◇ 土曜日。県民健康調査での「子ども小児がん」の結果をどう見るかということで、医師の方と、弁護士の方にお話を聴いてきた。すでに東京では、東京電力相手の訴訟が始まっている。争点は、甲状腺がんが原発事故及びその放射線と因果関係があるかどうかということである。医師の間でも、論争が続いているし、それに対抗して「過剰診断論」が出されている。原発事故及び放射線に起因するということが判断されれば、東電の損害賠償義務が肯定される。また放射線被害(曝露)と甲状腺がんの関係が肯定されれば、多くの当時の子どもたちは不安になるし、差別やいじめのことも心配である。
 法廷における科学論争は、かなり難しいと思うが、それぞれ法廷外と同様の論戦が戦わされることになるのだろうか。東電の言い分(甲状腺がんは、原発事故と無関係)が通るか、通らないかで、東電の責任の存否を決定づけることには疑問である。たとえ、科学論争で東電の言い分が通っても、東電の責任がないとはいえないだろう。
 この10年間の「県民健康調査」がなされ、該当する子どもたち約38万人の甲状腺検査を5巡目までやっている。希望者の検査ではなく、事実上、全員検査で、この点でも多くの問題があった。すでに、この子どもたち及び親は、その不安の中で生活してきた。既に大きな被害が発生していると言ってよい。たとえ科学論争がいかなる決着がつけられようと、こうした不安と混乱を招いたのは、まさに原発事故である。その損害補填の責任があると思う。裁判まで行くかどうかに拘わらず、不安を解消する相談体制や医療費の保障を、法廷外でも可能なことは少なくない。特に、この問題で県民の内部への分断をもたらさないようにしなければならないだろう。
 夜、「男はつらいよ」(マドンナ大原麗子)を観ながら、税務署への確定申告。従来通り、パソコンを使わないで行っており、どこで計算が間違ったのか、還付どころか、不足分の税を納めなければならないのか。明日、丁寧に計算をしてみよう。(3/12)<64497>


◇ 金曜日。3月11日、大震災の日である。もう11年が経った。テレビは、被災地又は遺族の思いなど、多様な番組を特集している。私も、身内5人を亡くし、そのうち3人は行方不明のまま11年が経った。やはり、遺体を確認しない葬儀は、その悲しみも半分のような気もする。家族3人を亡くした方を取り上げていたが、気持ちがやり切れない。
 妻は、かつて仕事を共にした人々と、女子会と称して、集まりに行った。愛犬を乗せて、行きだけだが、送った。ようやく、リアルに逢って話を楽しめるようになってきたのだろうか。まん延防止等重点措置が解除されたばかりだが、福島県の新感染者数が増えている。油断しないで、過ごさないと、またバックしてしまう。
 甲状腺がん問題で、友人から電話。福島県内での取り組み方は、難しそう。知り合いの医師や弁護士にも話を聴くことにしたが、すでに裁判が開始している。被災者、県民が分断されないよう、慎重な取組みが必要と思う。
 午前中に、整形外科に行こうと思ってたが、行けなくなり、また廃炉法の研究家で、フォーラムで報告していただいた尾松さんから福島のテレビで、廃炉の問題で取材を受けたと教えられたので、彼が報告した回の参加希望者約100名に、メールで転送紹介。私も見ようと、待ったが4時50分から開始の番組。5時50分位迄かかったが見ることができた。やはり、福島の廃炉も、きちんとした法的根拠を作るべきと思う。整形外科は18時30分までなので、急いで飛び込み。受付も18時30分までらしいのでそれほど慌てる必要もなかった。痛み止めを貰い、神経痛を和らげる薬を追加してもらって帰宅。現在は医療費負担は1割なので、合わせて500円程。10月からは2割になるようだが。(3/11)<64473>


◇ 木曜日。取り立てた用事もなく、買い物のために、車を運転しただけ。
 宿題ができず、四苦八苦。なかなか細かい解釈論についていけない。最近の理論状況を触れる機会が少なくなったせいと思う。かなり機械的にでも、新しい論文を読む習慣を取り戻すことが必要。研究室にあったものを、震災で崩れたのと、自宅に持ち込むスペースの余裕がないため整理してしまったのがいけなかったか。大学の図書館(遠くて困難だが)も、コロナウィルスの関係で利用が難しくなった。機械的にせよ、新しい論文に触れるようにしよう。完全に若い時と同じようにできないまでも。残された時間、可能な限り、意識化しよう。それにしても宿題完遂の展望がない。迷惑をかけたくないのだが。
 観るつもりはなかったが、ついついゲーリー・クーパー等の「誰が為に鐘は鳴る」を観てしまう。また夜は高倉健の「海峡」を観てしまう。青函トンネル工事の困難さをリアルに再現する。(3/10)<64456>


◇ 水曜日。飯坂の花桃の里で、花桃の木を剪定しており、それをあげるということの次女の情報を得て、妻とももちゃんとドライブ。地面は、少しぬかるんでいたが、ももちゃんを車から降ろしたら、興奮して、融けないで残っている雪の中で大はしゃぎ。雪も、段々なくなってきているので、それを惜しむかのように。妻は、何本かの枝を得て、車につぎ込む。少しの間、桃の花を楽しむことができようか。
 午後、九条の会が担当して、駅前で九条改悪反対、併せてウクライナへのロシアの侵略を糾弾するための宣伝行動。30名ほどいただろうか。パンフレットを渡すだけでが、通行人も多くなく、またなかなか受け取ってくれない。若い人はスマホの方に関心が向いている。歩道の両端から呼びかけられたのでは、受け取る気になれないかも。通行人の少なさも影響していると思われるが、その点での工夫も必要かも。小1時間だが、立ちんぼなので少し足に来る。
 教育学部時代の旧同僚の伊藤先生から電話あり、二本松での集会の話。ウクライナに度々行っている放射線専門の先生に話してもらう。できれば、ウクライナから避難してくる方々の受入れ基盤をつくれないかということ。ロシアの侵略の問題は、連日テレビでも報道されているが、それに合わせて、核の共有(アメリカの核兵器を日本にという安倍氏等の議論)の動き、前回の選挙結果も影響し、急速に憲法改悪問題が現実化しそう。そういう意味で、その集会は重要。私の属している県九条の会も、実質的に協力することになりそう。コロナの問題が解決していないが、気をつけながらも、多くの人を集めたいものだ。(3/9)<64439>


◇ 火曜日。今日は、犬の幼稚園に通園の日。雪もなくなり、4号線を北上し、399号線を東へ。ほぼ往復1時間だが、天気が良く、渋滞もないと、段々早くなってきた。ももちゃんも慣れてきたみたいで、車から降りると、どんどん園舎へ。私の方を振り返りもしない。
 帰りに、コープでリサイクル用の、新聞や段ボールを出し、僅かなポイントを得る。1キログラム1ポイント(1円相当)。ところが火曜日はポイントが2倍になる。僅かでも火曜日ということになる。10kgで10ポイント(10円)、それが20円になる。それにしても、ポイントに、あまり理解がなかった。店の方でもポイント制。10倍ポイントデーなどだと、お客さんがどんと増える。リサイクルでも、300ポイントたまると300円券が出てくる。また、その都度、くじがあり、時には一発で300円券が出てきたりすると、大喜び。細かすぎてついていけなかったが、この頃は気持ちが分かるようになってきた。
 昼前に、郵便局や店を回る。
 午後、県の委員会に出席。コロナ感染を予防するため、リモート形式の会議。行財政改革推進委員会。オンラインの会議も多くなったが、会長であるので、私だけ県庁に参上。他の委員は、自分のオフィスなどから。久しぶりに、ネクタイをして、駐車場からかなりの距離があったので、結構足が痛かった。まだまだ治っていないな。とにかく、年度末のせいか、予定より早めの終了。気疲れして、夕食前に、ウトウト。
 次女は、犬の幼稚園に迎えに行きながら、花ももの里で剪定した花ももの木を貰えるというので、貰って帰ったらしい。桜とも異なり、結構、花ももの里は、時期(4月中旬〜下旬)が来れば、多種類の花ももが咲き乱れて美しい(40品種、約300本)。次女宅も近いので、接待の庭になりそう。(3/8)<64408>


◇ 月曜日。昨年、妻が白内障の手術をした土屋眼科に通院。ももちゃんを連れて、診療が済むまで、眼科の駐車場で大人しく待っていました。私は、読む時間がなかった朝刊を読んで。ももちゃんは、社会見学で、キョロキョロ。鳥が来ると、ワンと挨拶。
 午後は、県九条の会のブックレットの発送業務の手伝い。
 昨夜は、風が強かったのか、よく眠れなかった。次女も含め、家族全員、寝不足の日。(3/7)<64393>


◇ 日曜日。昨日と打って変わって、朝から雪が舞っています。飯坂の次女の家は、少し雪が深かったようですが、笹谷は、それほどの積雪はありません。春が来たのかなと、昨日は喜んだのですが、今日は、また戻ったようです。車でほんの10分程度ですが、冬になると、次女のところは山沿いなので、少し標高が高いようです。
 今朝はゆっくり起きましたが、朝食を済ませたあたり次女と愛犬はわが家へ。今日は、待機ではなかったのですが、同僚の勤務の関係で、職場に呼び出され、そのままわが家から出勤。愛犬も来ていたので、都合がよかった。悠々と昼寝の継続。
 特に外出する予定もなかったので、ゆっくり新聞を読んで、宿題を少し。
 テレビのウクライナ情勢は、どうしても目が離せません。ただ、観ていただけでは、ロシアの侵略を抑えることはできませんが、ロシア国内でも英雄的な反対運動が展開されています。私も、ああした勇気を持ちたいものです。数日後、駅前で、街頭宣伝行動を行うとの誘いが来ていますが、足が立っていられれば、行くことになるのでしょうか。それほど役には立たないでしょうが。自己満足ではないが、何かしないと気持ちも落ち着きません。(3/6)<64369>


◇ 土曜日。3月5日は、津波で犠牲になった実姉の誕生日だったな。1940年生まれだから、誕生日で82歳になる。津波がなければ、十分に生きていそうな元気さだったが。3月は実兄の誕生日の3月1日もある。1938年生まれだから、84歳か(しかし、54歳で亡くなった。もう30年になるか)。随分、早かったな。
 足の痛みも、薬のせいで、随分楽になった。
 昼頃、次女とももちゃんが来宅。次女宅の物置を買いに行った。私とももちゃんは車の中で待っていて、社会見学と称して、歩く人を眺めている。世の中には、いろいろな人がいるのだよと教えるのだそうだ。
 夜は、テレビざんまい。男はつらいよを見て、津田梅子のドラマを観て、11時からETV特集。「原発事故 幻のシナリオ 〜埋もれた遮水壁計画〜」。11年前の事故直後に存在した幻の地下遮水壁計画に光を当て、知られざる問題の原点に迫る。(3/5)<64349>


◇ 金曜日。犬の幼稚園にももを送る。週2回伊達市まで行っているが、来週からは、火曜日1日になるので、金曜日としては最後。
 10時前には帰宅。どこか整形外科の開業医に行こうと思っていたが、教育学部時代の同僚・渡辺四郎先生のお孫さんの医院に行く。自宅から車で10分ほど。渡辺先生から娘さんが<皮膚科>開業していることを聞いており、一度、診察を受けたことがある。現在は、内科のご主人も一緒の猪狩クリニックになった。そこに2009年大学卒のお孫さんが整形外科医として入った。医師4人のスタッフになった。整形外科は、お年寄りの先生が多い感じがして、若い先生に診てもらいたいし、渡辺先生のこともある。直ぐに、狭窄症を疑って、レントゲンを撮ってくれた。狭窄症ではないようだが、ガスが多いと言われた。胃腸の調子が悪いのか。まずは、痛み止め・カロナールを1週間分いただいて、今までもらった検査データを見てもらうことにした(今日持っていけば良かったのだが)。腰の痛みは、腎臓に関係あるのではないかとの話をしたからであろう。まあ、いろいろな先生に診てもらって、何とか治れば。帰宅後、昼食後にカロナール1服で、ウソのように足の痛みはなくなった。勿論、しばらく経つとまた痛くなりそうだが、随分楽になった。痛み止め痛み止めと探したのだが、結局見つからず、今日になってしまった。
 渡辺先生が亡くなったのはいつだろうか。告別式に出れないので、香典だけ預けてきたが、わざわざ娘さんが、お返しをわが家に届けに来てくれた。先生も真面目な人で、今元気だったら、喜んでいただろうと思う。お孫さん先生に、渡辺先生には、大変お世話になった旨、ご挨拶をした。人のよさそうなお医者さんである。まずは、1週間後に訪ねる。何とか痛みが和らいでいてほしいが。
 午後3時から、来週の県庁での会議の電話打合せ。「福島県行財政改革プラン」作成の検討委員会の最終段階。一応、福島県行財政改革推進委員会の会長なので、会議の運営についても、きちんとしたうち合わせが必要なのだろう。今回は、私だけが県庁の会議室に行って、他の委員は、オンラインでの参加。自宅からではなく、県庁に出かけなければならない。
 3月11日が近づいたせいか、震災関係のテレビを観る。今日からパラリンピックの開会だが、ロシアのウクライナ侵攻は、未だ継続中。国連などでの批判が強いが、撤退する兆しは見えない。何かしないとダメかな。(3/4)<64324>


◇ 木曜日。午前、福島駅前のピボットまで買い物。これは、懐かしい凍天等が売っているので、ももを後部座席に乗せて、行く。帰りはスーパー2か所に寄って、その間、ももの社会化に協力。家でばかりいると、いろいろな人を眺められない。それ程、キョロキョロしているわけではないが、偶に、ワンと低音で吠える。何に吠えているのか分からないが。
 帰宅後、zoomでインタビューを受けるので、2カ月以上行っていない散髪に出かける。風雨が強くなってきたが、足が痛く閉口した。改善していないな。髪はいつもはバリカンで借り上げてくれるのだが、今日の理容師さんは、あっさりしてくれた。妻から、すぐに、また行かなければならなくなるのではと。
 1時から2時半頃までインタビュー。ふくしま復興支援フォーラムの経緯等。話を聞いて、あちらでまとめるらしい。「経済」という雑誌の6月号(5月発売)。知り合いがよく読む雑誌なので、頭がバサバサでは恥ずかしいので。
 ウクライナとロシアの休戦は難しそう。なかなか進まない。プーチン体制の崩壊を早めるとの情勢分析もある。(3/3)<64303>


◇ 水曜日。今日は定期通院の日。循環器と糖尿病の2科である。同じ日の同じ時間帯に設定してもらっている。前回から血液検査のため、朝食は絶食になっている。しかし、診察の方は11時からなので、お腹が空く。コロナウィルスの時からか、4週間毎が8週間毎になった。今回、次回は10週間後である。糖尿病のチェックと循環器はちがうので、少々心配。10週間のインターバルでは、運動の結果、どうなるか等はっきりしないので、薬は10週間分もらうことにして、糖尿病の方のみ5週間後(血液検査も)にも診察してもらうことにした。娘から言われて、足の痛さに関して、MRIをお願いしたら、通院している病院にはないとのこと。大病院に紹介するにしても、整形関係の開業医・医院からの紹介が必要だとのこと。まあ、どこか小さな整形外科の診療所を探そう。
 病院の待合室で、昨日フォーラムで一緒だったSさんと偶然会った。じん麻疹になったようだ。なんか食べたのと聞いたら、夜は、コンビニからサンドイッチを買ってきたらしい。原因になるらしい食物が思い当たらない。点滴で回復したようだが、薬局でまた逢ったので、彼を自宅まで送ることになった。また、待合室で、入院したときにお世話になったKさんに逢った。随分、経ったが、覚えてくれていて嬉しい。入院している時、出産直前だったが、もう2歳になったという。
 自宅に戻って、灯油を入れ、愛犬と戯れていたが、どうも足が痛いので、5時過ぎだが、いつもの整骨院を訪ねる。痛いところがはっきりしているので、直接的な対応をしてくれたが、楽になったものの、歩くときは痛みが続く。杖を突くと良さそうだが、そこまではと思いつつ、老人なんだから、その必要性を受け入れなければならないかも。3本足の自分を想像して、複雑。しかし、車の運転は痛みもなく、支障がなさそうだが・・・。
 昨夜のフォーラムの感想文などをまとめて、ブログを作った。この次は3月29日、4週間後。しばらくゆっくりできる。(3/2)<64282>


◇ 火曜日。今日から3月。春が来たような暖かさ。今夕の第195回のふくしま復興支援フォーラムが、130名も超える希望者があるので、YouTubeを併用することにした。しばらくやっていないので、次女は心配して、強力な指導。
 昨日は、愛犬とともにわが家に泊まったので、遅くまで付き合ってくれた。その後、昨日締め切りの原稿書き、大体めどがついたが、1時頃になってしまった。
 今日は、犬のようちえんに送り、帰って来て、九条の会のブックレットの執筆者への送付。10人ほどだが、結構重い。何とか、済ませたので、気分は楽。夕方のフォーラムは、結局、zoomに92人、YouTube9名。ほぼ100名。それ程のトラブルもなく、まずは完了。次女に感謝しなければならない。足の痛みは治らず、何とかしないと。明日は、9週間ぶりの通院。あまり間隔があくので、間延びしてしまう。(3/1)<64250>



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