日  記 (備忘録)

(2023年3月)

◇ 金曜日。3月も今日が最後の日。1年の4分の1が終わった。寒さから一転、夏のような暑さ。今日の福島の最高気温は23度。
 広島旅行中の孫一家は、好天の中、有意義な見学をしているだろう。広島からの仙台空港への便は、着いたよとのラインでの報告。疲れて、みんな爆睡しているだろうか。
 午前中は、妻の会合があり、車で送っていき、ももちゃんと大人しく留守番。午後から、あまりにも天気がいいので、花見に行こうということになり、その前に、県立図書館で、本の借用。明後日の会津若松での講演会で、川崎哲さんの話を聞くので、その予習ということで、厚くない本を借りてきた。岩波ブックレットの『核兵器 禁止から廃絶へ』と、岩波ジュニア新書『核兵器はなくせる』の2冊。予定していなかったが、近くの本棚に、分厚い本。学生の頃、憲法の本をよく読んだ、長谷川正安先生の追悼論集。杉原泰雄+樋口陽一+森英樹=編の『戦後法学と憲法ー歴史・現状・展望』(日本評論社)である。1270頁、15000円の価格である。2012年発行なのだが、すでに定年退職しており、家計を考えて購入しなかったのだろう。森先生も近年亡くなったが。いくつかの論文を読む。大学に入学したばかりの頃、長谷川先生の本で勉強したことを思い出す。図書館から2週間の期限で、借りてくる。
 図書館から帰宅して、ももちゃんを車に乗せて、飯坂支所前の公園に花見。ももちゃんに、皆さん寄ってきて、大もて。秋田犬は、珍しいのだろう。最近は、小さな犬は多いが、大型で、かわいい顔をしていると褒められ、まんざらでない。皆さんに大人しく対応していた。帰りに、妻の買い物に付き合って、自宅に着いたのは4時を過ぎている。それから、遠くまでではないが、散歩。結構、小さな犬への対応、盲導犬への対応、大人しく振舞っていた。皆さんから持てたので、気分がよかったのかな。(3/31)<71248>


◇ 木曜日、3月は今日と明日のもう2日しかない。孫一家は、広島への家族旅行。途中途中に、LINEで現状報告が来る。広島は、妻が小学校の時に住んだ町。義父は、大手の乳業会社の支店長だったので、博多から札幌まで転勤して歩いたようだ。多くの友人ができたが、故郷はどこかというと、難しいようだ。私のように、生まれて14歳までは女川町、28歳までは仙台市、38歳までは秋田市、その後の40年以上は福島市のような単純な移動の人間とは異なる。いつだったか、二人で広島に行ったことがあった。小学校時代(袋町小学校)の友だちとも会うことができた。旅行先からの電話での問い合わせに対して、小学校内の原爆資料室を説明していた。担当していた方も、すでに退職なさっていたようだ。若いうちに。被爆国日本の被爆地・広島をしっかり学んできてほしい。日曜日に、会津若松での講演会に参加するが、講師は平和構想提言会議・共同座長の川崎哲さん(国際交流NGOピースポート共同代表、2017年にノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」国際運営委員兼会長)で、始まる前に、ご挨拶をする機会を作りますからとの実行委員会の連絡がきた。ネットで検索すると、ロシアのウクライナ侵攻後の現段階だからこそ、憲法9条の理念に基づいて平和を実現していこうとする運動の重要性を教えてくれる。楽しみである。
 午前中、満州での貴重な経験を冊子にした方(故人)の、長男の奥さんが、妻の要望で、その冊子を持ってきてくれた。私は、お客さん大歓迎のももちゃんを抑えながら、話を邪魔しないようにしていた。ももも、最初はともかく、静かに、居眠りしながら付き合っていた。
 午後、映画「シンドラーのリスト」を観る。以前も観たことはあるが、新しい発見があるものだ。記憶力が悪いせいなのか、こんな場面があったかなと。コマーシャルなしで3時間も過ぎた。終了後、急いで買い物、遅くなったが4時半ころから夕散歩に出かける。ほぼ次女が帰ってきた時間と同時に帰ってきた。夜は、今日から始まったプロ野球(新球場での、日本ハム対楽天)を観る。3対1で楽天の勝利。先発田中将大投手が勝利投手。今年は何とか、頑張ってほしい。それにしても、他球団などから移籍した新しい選手もおり、いい刺激を与えているようだ。(3/30)<71235>


◇ 水曜日。自宅でゆったりしていた。戸外には、ももとの夕散歩。家の道路を出て、いつもは左に行くのだが、ももは右に行きたがるので、そのままそれを追う。旧薬局の側を通り(ここは、先日、次女が雨宿りをしたといっていたところ)、スタスタと歩く。市営住宅の間を通り、コープ駐車場の側を戻ってきて、支所の西側を通り、バイパスをいつもと逆に過ぎる。自宅に着くとほぼ5000歩。昨日の不足分を補ったかな。  午後は、山田洋二「キネマの神様」を見る。沢田研二が好演。高校野球は、仙台育英を応援したが、延長の末、敗れる。残念。  夜は、階下でパソコンを動かしながら、「病院ラジオ」を見る。東北大学病院なので、難病患者が多い。勇気を与えてくれる、心温まる番組だ。(3/29)<71217>


◇ 火曜日。昨日、大腸カメラで鎮痛剤を使用し、車が禁止されたので、自家用車を病院の駐車場に置いてきた。今朝、次女が勤務先に行く車に同乗させてもらって、病院まで行きつく。帰りは、もちろん、車に乗れるので、ラクチンであった。帰宅後、朝食を食べて、リサイクル搬出。
 2日(日)には、会津若松での講演を聞きに行く。先輩のIさんも行くというので、福島から乗せていく。先方に、参加の予約をして、一言をご挨拶を言われたが、紹介のみに留めてもらう。フォーラムの報告者探し、5月、6月の目途はついたが、4月末(次々回)が決まらない。次回の4月5日までに決定したい。
 ももちゃんの夕散歩。午後4時に出発したが、10mほど歩いて、立ち止まり座り込む。いつももそうだが、今日は、多い。しばらく歩いてではなく、歩き始めてすぐに座り込む。300mほど歩いて、これでは、回ってこれないなと判断し、それじゃ「家に帰ろう」と逆走。意外に、スタスタと歩く。持参したジャーキーもあまり食べない。無理をしない方がいいと思い帰ってきた。いつも、喜んで散歩に出かけるのに、変だ。
 テレビをつけると仙台育英。龍谷大平安との対戦。6対1と仙台育英勝つ。東北の3チームは、東北高が破れ。能代松陽が大阪桐蔭に1対0で惜敗。仙台育英のみが残っている。明日の準々決勝で、報徳学園と対戦。昨年夏の覇者の貫禄を身に着けており、大いに期待。(3/28)<71196>


◇ 月曜日。今日は、大腸カメラの日。病院に10時まで到着を前提に、自宅で、下剤を飲む。2Lほどの薬を5回ほどに分けて、30分ごとに飲む。段々、お腹がいっぱいになり、進まない。自宅で一定のところまで、排せつして、車で病院へ。(鎮痛剤を使っているので、帰りは、車を運転できず、バスと電車で帰宅)。何とか、カメラは始まったが、鎮痛剤のため、ほとんど覚えていない。少し別途で休んで、帰ろうと思ったが,フラフラ。さらに30分ほど休憩して、ようやく病院を出る。検査の結果は、次の診察日(4月26日)に聞く。3年半前の心臓手術のため、いつも人間ドックで、胃カメラと大腸カメラをやっていたが、コロナ禍のため、通院先ではできなかった(鎮痛剤を使う場合に多くの手がかかるためか?)。検査結果は心配だが、年だから、静かに待つしかない。
 帰宅後、ももちゃんの夕散歩。ももちゃんに手伝ってもらって、私が散歩したようだ。家に帰って、再度、夜の散歩があったようだ。
 何食かぶりの普通の夕食を食べ、何もないことの貴重さを感ずる。「100分で名著」、日蓮の手紙を視聴。彼の死生観は、現在でも通用する新鮮なもの。(3/27)<71183>


◇ 日曜日。小学6年生の孫の誕生日。震災2週間後。震災から12年が経ち、生まれた孫も小学校を卒業し、4月から中学生。年を取ってくるとあっという間にも考えられるが、赤ちゃんから中学生になるまでの期間。生まれて、震災後ということが付きまとったが、それを糧に、どんどん夢を追い続けてほしい。身長は、完全に追い抜かれた。
 明日の大腸カメラのため、前日の検査食。おかゆとすまし汁。大腸の中を綺麗にして検査をしてもらうためである。明日、早朝から下剤を飲んで、綺麗にして(?)、病院に行く。以前は、病院に行ってから、下剤を飲んでたが、コロナのせいか、方法が変わった。
 夕方、先日亡くなった斎藤光男さんのお通夜に参列。明日の告別式は、大腸検査で行けない。奥様と話し、ご焼香をして10分ほどで帰ってきた。会場には、斎藤さんの趣味の登山の遍歴の道具や経過。日本百名山、福島百名山を踏破した、輝かしい経歴。長い間の銀行勤めの後、母校の福島大の学外理事として働いていただいた。物静かな方で、大学の地域貢献のために、大きな役割を果たしていただいた。81歳とは、まだまだ若く、もっと活躍してほしかった。(3/26)<71167>


◇ 土曜日。次女が宮城の友人宅に行くので、ももちゃんはウィークディのように、我が家で過ごす。
 私は、ガソリンスタンドに給油と、書店に行って、来月のラジオ講座と100分で名著のテキストの購入。4月は、「新約聖書 福音書」を若松英輔氏が解説。宗教忌避の傾向が強く、聖書を読んだことはない。しかし、多くの人々が、生きる糧にしているので、相互の理解を深めることに期待。
 午後、妻の出席する福祉会の理事会へ車で送る。数か月に1回は、会場が、車で30分くらいの施設。施設の中で、本でも読んでいるのだが、今日はももちゃんが乗っているのでそういうわけにもいかない。しかし、次女がその施設まで帰ってきてくれて、ももは次女と帰る。時間ができたので、その施設に入所しているM先生に連絡、小1時間の懇談。九条の会の話をして、今後の気になることを相談。大相撲の14日目。6時前に、車に戻って、車のテレビで観る。3敗の若元春は、関脇・豊昇龍に上手投げで敗れ4敗となる。若隆景は、勝ち越しを期待していたが、昨日の相撲で怪我、今日は休場・不戦敗。結局7勝7敗、明日を含めると7勝8敗の負け越し、残念ながら関脇降格となる。兄弟二人ともの敗北。残念である。また一からやり直し。今度は強くなって。全治3か月というから、来場所の復帰は難しいかな。臥薪嘗胆で頑張ろう。(3/25)<71155>


◇ 金曜日。来週月曜日行う大腸カメラの準備が始まる。事前に3日間、毎食後に錠剤を飲む。2日間は通常食だが、3日目(カメラ前日)は、検査食。27日(月)がカメラ当日だが、下剤で、大腸の中を空っぽにする。以前は、病院内で、下剤を飲んでいたが、コロナ禍以来か、自宅で行うことになったらしい。大腸カメラの際、鎮痛剤を使うので、一日、運転ができない。下剤飲んで以降の、電車とバスを乗り継いで病院まで行くが、大丈夫かなと心配になる。病院まで車で行って、車を病院に置かせてもらって、翌日取りに行くのが一番いいかもしれない。人間ドックではないが、治療行為の一環として行われる。以前のポリープがどうなったか心配。
 朝刊の訃報欄を見て驚いた。福島大学の理事をやっていただいた斉藤光男さんが、22日午前3時50分、自宅で亡くなった。胆管がんである。81歳である。東邦銀行の役員を長く務められて、福島大学の学外理事をやっていただいた。私の学長時代の後半2年間、そして次の入戸野学長の前半2年である。国立大学が法人化され、学外から理事を招聘することになった。26日午後6時からお通夜、27日午前11時から告別式を、市内飯坂町の「たまのやこころ斎苑飯坂」で行われる。27日の告別式は大腸カメラなので参列できないので、26日のお通夜に参列することにする。ご自宅も我が家に近く、笹谷である。いろいろお世話になりました。いつだったか、偶然、福島医大病院の玄関でお会いしたのが最後だったか。心からご冥福をお祈りします。
 愛犬ももの夕散歩、大相撲を見て、夜間中学へ。若元春が勝ち3敗を守り、あるいは優勝圏内。若隆景は、打っちゃりが同体と判断され、取り直し。足を痛めたようだが、鋭く琴の若を破り、7勝6敗。怪我が心配。勝ち越しまでもう1勝。夜間中学は、受講予定者が、家の都合で欠席。大宮から来ている松野さんも同じだが、懇談して、早めに帰ってきた。あまり、要望が強くないのka な。(3/24)<71140>


◇ 木曜日。午前中、妻の通院に同行。近所の池田医院は、先生が亡くなり、閉院となったので、別の医院を探さなければならない。結局、コープ近くの桜水クリニックに行く。患者さんはあまりいなかったので、愛犬ももちゃんと駐車場で、診察が終わるのを待つ。小さな医院は、大病院とも異なり、近くにあるのは助かるが、池田医院の場合、歩いて数分なのだが、歩いていくには遠すぎるので、車で行かざるを得ない。
 3時ころから雨が降る予想なので、早めに1時半過ぎにももちゃんの散歩。夕散歩ではなく、昼散歩。夕方の散歩と異なり、足早に家路を急ぐようにはならず、だいぶ、のんびりした散歩。1時間ほどで帰宅。
 夕方、妻の来客。この前、映画館で、満州から帰られた経験の冊子を、飯坂在住の方が発行していたが、映画館では売り切れてしまい、飯坂に連絡を取ったようだ。筆者の長男の妻だが、夫婦で届けに来てくれた。筆者はすでに亡くなっており、長男も赤ちゃんの時の帰国らしい。電話では、飯坂での秋田犬の散歩の話もあり、あるいはももちゃんかなと話していた。自宅に来てくれたら、夜間中学校で一緒ですねと言われ、びっくり。人の顔を覚えられない私にとっては驚異。初対面だが、話が盛り上がっていた。飯坂というのは、縁もないと思っていたが、次女とももの家が飯坂に建てたので、人間関係も広がる。不思議なものである。
 腹痛で入院しているKさんに見舞いに行こうとショートメールを出したら、すぐに返事。だいぶ良くなったようだが、面会は、病院にクラスターは発生し、困難とのこと。快方に向かっているというので、一日も早い退院を祈っている。
 テレビはWBCの優勝、そのチームメンバーの帰国、熱がまだ冷めやらない。大相撲は、若元春が勝ち9勝3敗。優勝も夢でないかもしれない。若隆景も勝ったが、6勝6敗。何とか勝ち越して、関脇の地位を保持してほしい。諦めないで。(3/23)<71126>


◇ 水曜日。昨日の火曜日が休日なので、今日が何曜日か錯覚する。人間は、5日働いて、土曜日・日曜日の流れに慣れているので、どうしても、今週のような場合は、「さて今日は何曜日だっけ」と再確認してしまう。
 昨日に引き続き、WBCの野球観戦。今日は、午前8時半から日本対アメリカの決勝戦。2回表、アメリカのターナーにソロホームラン打たれた時には、これは大変と思ったが、その裏村上が同点ホームラン、さらに1点追加で2対1とリード。あるいは、と期待。さらに4回裏に岡本がホームランで3対1。8回表アメリカがホームランで3対2。これは危ないかなと思ったが、大谷が最終回投げて、日本の勝利。半分、信じていなかったが、よく頑張ったと思う。多くの中心メンバーがアメリカ大リーグで鍛えらえた力量なのだろうか。野球以外でも、アメリカの力を感ずる。まあ、今日一日、喜びの声が溢れている。
 午後、学習協での「学習の友」の輪読会。4人のこじんまりした輪読会だが、若い人が欲しい。
 帰宅後、4時からももちゃんとの夕散歩。松川の土手へ。私の万歩計は約6000歩。帰ってきたときには、大相撲は進んでいたが、大波兄弟は、両方とも勝利。若元春は全勝の翠富士を破り、8勝3敗。もう2勝欲しいが、優勝に絡んできた。強さが安定している。若隆景も勝ったが、5勝6敗。負け越して、関脇陥落にならないよう、最後の頑張りを。
 岸田首相は、インドからウクライナへの訪問。ゼレンスキー大統領との会談。日本から殺傷ための武器は送れないが、復興のための建築関係等、日本に得意な分野で力を発揮すべき時かな。中国の習金平国家主席が、モスクワ訪問。プーチンと会談。紆余曲折しながらも、何とか和平に近づいてほしい。(3/22)<71109>


◇ 火曜日。春分の日で休日。いつもと同じく、ももちゃんが来て、次女はヨガへ。
 8時半からWBCの準決勝。日本対メキシコ。メキシコの選手は、ほとんどが大リーガー。スリーランホームランで3対0とリードされたが、吉田がスリーランホームランで追いつき、5対4の状態で9回の裏を迎える。大谷の二塁打、吉田の四球(代走・周東)、そして当たりのなかった村上のタイムリーで、2点を獲得。6対5の逆転勝利。冷や冷やだが、何とか諦めないで、団結の勝利。明日のアメリカ戦が決勝。優勝が目的だから、明日もテレビから目が離せない。
 今日、3月21日には、結婚記念日。1970年の結婚式だから、まる53年となる。よくまあ、持ったものだ。実母の命日がその3年前の3月17日、葬式が3月21日だったので、拘りがあったのだろう。長女たちも、この日が結婚記念日という。
 午後から、処理水海洋放出反対の行動があると、スケジュール表にはあるが、詳細はしらない。問い合わせてみたら、すでに変更されていた。疲れたので、昼寝をして、買い物に同行。まあ、休日らしい(?)、ダラダラした(?)過ごし方の日。定年後の高齢者の典型的な過ごし方とも思っているが、生き生きと家事や趣味に生きている方も少なくない。もう少し、能動的な生活をしないと・・・。(3/21)<71098>


◇ 月曜日。死刑判決が出ていた袴田巌さんの再審請求に対して地裁は再審開始の決定を出していたが、検察の抗告により再審開始決定をストップさせていたが、最高裁が差し戻し。再度、再審開始決定が出され、検察が最高裁に特別抗告するかどうか、を今日まで決めなければならなかった。特別抗告しないということになり、再審開始になった。57年間も獄中にいて、ようやく仮釈放されていた。再審を延ばすことによって、生きているうちに結論が危ぶまれた。袴田巌さんは、現在87歳。今後静岡地裁で再審が開かれるが、無罪となる公算は大きいが、警察・検察の責任は大きい。今年の松川事件無罪確定60周年集会は、こうした冤罪事件、さらに再審法の問題が中心となる。
 午前中は、映画館・フォーラム福島に行く妻を送迎。「山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」。国民学校の教師である山本慈昭は、1年だけという約束で満州へ渡るが、シベリアに連行してしまう。奇跡的に帰国することができたが、妻子は亡くなっていた。中国残留孤児からの手紙をきっかけに、多くの日本人孤児が中国にいると知り、彼らを日本に帰国させるべく奔走する。(監督・山田火砂子、出演・内藤剛志、渡辺梓)。私は、以前、平和展で鑑賞する機会があった。
 午後、松川事件無罪確定60周年記念集会の実行委員会。9月30日ー10月1日だが、その準備。帰宅後、ももちゃんと夕散歩。小さな犬2匹にあった。小さくてもあちらは14歳だったかな、こちらは1歳8か月。犬同士は、そういうことを分かっているのか、むやみに吠えたりしない。(3/20)<71088>


◇ 日曜日。午前中は、信陵支所で、葭野町内会の役員会&会計監査。4月16日に、町内会の総会があり、その準備の役員会である。会計監査は、会計部長が適切に行っているので、問題なく監査終了。役員会の方は、会長として総会の議案書を提示し、それの了承。ほとんどの役員メンバーが来てくれて、皆さんの協力に感謝する。なかなか普通の団体の会議でないので、面食らうこともあるが、少なくとも、行政と住民を結びつける役割を演じているのだろう。社会保障の後退の中で、公的責任(公助)というよりも、個人の責任(自助)、共同の責任(共助)が強調されるが、特に、町内会は共助ということで、必要ではあるが、公助を削減する役割を演じているのかもしれない。町内会が盛んになり、共助が積極化することが、公助を充実するようにならなければなるまい。共助が公助を免責するものであってはならない。自治会とも異なって、何か自発的な要求実現のための団体でもない。町内会であっても、町内会員の生活を守り、共同し、行政への要求水準を高めるものでなければならない。
 昼から、飯坂での原発反対の県民集会に出ようと思っていたが、役員会が長引いて、行けなかった。慣れない会合は疲れる。飯坂に行って、庭に最近作ってもらった「ドッグラン」を見てきた。ももと一緒に、ドッグランの中で走り回る。うまく写真を撮れなくて、私の動画は、笑いものの対象。何をやってもダメおやじ。ダメ爺。しかし、喜んでいるももの実像は、私の脳裏に張り付いている。よかったね、ももちゃん。(3/19)<71078>


◇ 土曜日。昨夜ももと次女が泊ったので、朝から賑やかです。送られてきた昨日の孫の卒業式の写真を見て、話題ほうふつです。これで長女が孫たちのために、小学校に通った併せて10年も終わりという。子どもの卒業よりも、親の卒業のような感じ。3人の孫を、弁当を作りながら、よくやったものです。4月からは、全員中学生と高校生。まだまだ油断はできません。これからも頑張ってほしい。
 午後、昨日の映画(大川小学校の件、「生きる」)のトークイベントだけを聞きに行きました。弁護士の吉岡さんの話と挨拶をするためです。映画の終了に合わせていったのですが、遅れてしまい、最初の吉岡さんの話を聞き損じてしまいました。もう一人の弁護士、斎藤雅弘さん、原告(遺族)の紫桃さんご夫妻(映画にも登場します)のお話は聞きました。司会のフォーラム福島の阿部支配人が感極まるほどの感動的な話し合いでした。終了後、3人の関係者とコーヒーを飲みながら、製作秘話の話を聞きました。本当に、一人でも多くの皆さんに観てほしいと思います。関係者も、福島で上映することに大きな緊張をしているようでした。原発事故被害の中の福島ですが、福島市以外でも上映してほしいと思います。(3/18)<71062>


◇ 金曜日。今日は、一番若い孫の小学校卒業式。送られてきた、写真では、立派に式に参列している。津波の時には、お腹の中。高台の実家に逃げて、そこから病院に行く。小さい小さいと思っていたら身長も163センチ。私もそろそろ負けそう。4月からは、中学生になる。元気に、夢を実現する人生を歩んでほしい。側にいないので、その成長を実感できないが、ラインで送られてくる写真では、その成長の様子が理解できる。
 今日は3月17日は、私の実母の命日。もうすでに56年になる。私は22歳、実母は48歳。若い死である。津波で犠牲になった実姉等は、この孫の誕生を待っていて、なかなか生まれないので、3月17日だろうと予測していた。結局26日だったが。その前に3月11日に津波で行方不明になり、誕生を知ることができなかったが。
 午後から、津波で7割の児童が亡くなった大川小学校の映画を見てきた。「生きる」。遺族の学校・教育委員会を追及し、裁判に訴える映画だが、出演している弁護士の吉岡さんは、若いころからお世話になってきた方。検証委員会の室崎先生、この事件の研究を進めている専修大の飯先生。画面に登場している。特に予定されていなかったが、寺田監督があいさつし、フォーラム福島の阿部支配人が紹介してくれて、寺田監督と懇談を持つことができた。飯教授が編集して著書はすでに購入しているが、吉岡弁護士が作詞作曲した主題歌「駆けて来てよ」のCDを購入。彼が、そんな音楽家だと思ってもみなかった。遅れてしまったが、急いで帰って、ももちゃんの夕散歩へ。
 大相撲は、大波兄弟(若元春、若隆景)はそろって、勝利。若隆景は、1勝5敗。今から勝ち続けば、10勝5敗。諦めないで頑張って!(3/17)<71046>


◇ 木曜日。夕方に第212回ふくしま復興支援フォーラム(オンライン)を開催した。福島大学准教授の林薫平氏の処理水放出の問題の報告。「東電福島原発の処理水海洋放出案の凍結と、廃炉と復興の真の両立に向けた円卓会議開設の緊急提案」について報告していただいた。それとともにコープふくしま(みやぎ生協)で取り組んでいる処理水海洋放出反対署名運動について、宍戸義広氏から報告をいただいた。時節柄、関心の高いテーマなので、100名を超える参加希望者があったが、結局、70名の参加だった。事務担当の私の気が緩んでいたせいか、録画を撮るのを失念してしまった。
 夜は、WBCの準々決勝。9対3で、日本がイタリアを破る。5年連続のベスト4の進出。準決勝・決勝はアメリカで行う。もう2試合勝てば優勝だが、結構相手方は強い。日本も、イタリアも、大リーグで活躍している選手が多い。その意味で、大リーグがレベルを上げているのだろうか。日本のプロ野球の選手も、大リーグを夢見るのは分かるような気がする。(3/16)<71033>


◇ 水曜日。確定申告の締め切り最終日。何とか、去年の申請書を見て、今年のを書いているが、書式が変わっているところもあり、ちょっと戸惑っています。午前中に、何とか作り上げて、還付金は1万5千円程度。源泉徴収されている額も少ないので、還付と言っても限界がある。自分の見すぼらしい社会活動の反映か。お金の出る社会活動ではなく、ほとんどがお金の出ない活動が中心になっているとということでしょう。昼食後、車で税務署へ。長い列を覚悟していったが、簡単に受け取ってもらう。後で何かあるのかもしれないが。
 帰ってきて少し休み、ももの散歩に出かける。初めての道に行って、住宅街で下痢気味のうんちをしてしまい、処理にしばらく時間がかかったが、後が残る。大相撲は、昨日に続いて、大波兄弟は、二人とも敗れる。どうしたのかな。九条の会関係で、会津若松市で開催される講演会への支援についてのメールをいただいた。相互の連絡不十分だが、丁寧に対応していこう。(3/15)<71018>


◇ 火曜日。確定申告は、いまだ完成せず。書類を探しているものもあり。スケールが小さいのに、やり方を忘れてしまったのか、ちょっと時間がかかりすぎる。
 復興支援フォーラムの212回目は明後日、処理水の問題だからか、すでに95名の参加希望者が出ている。20名ほどの欠席を見込んでも80名近くなるかも。この司会は、Nさんに頼んで、快諾。後は、次回213回目の準備。依頼する接点がなくなってきて困ったが、以前報告してくれたMさんが、推薦してくれた。初対面の方だが、何度かこのフォーラムに参加している。本人と電話連絡して快諾してくれた。多方面で活躍している人だが、震災の写真展を各地で行い、ふくしまの今を伝え続けている。浜通りの医療生協の工藤さんだが、今までと異なる新鮮さがあるかも(4月5日)。その他Y先生にも推薦方お願いしたら、当たってくれたようだ。以前からS先生があたってくれているK先生(東京)、私が当たったS先生(東京)、少しストックができつつある。インターバルを短くして、何とか話してもらいたい。
 妻の買い物同行の後、ももとの散歩。風は強くはないが、寒さが身に染みる。大相撲は、兄弟とも敗れる。かなり研究されてしまったかな。次女がももを連れて帰ったが、ほどなく、呼び出しを受けたらしく、再度、ももを預けに来た。追いかけるのかなと思ったが、大人しく座って、車のテールランプを見ている。それでも、居間のソファーには来ず、玄関マットの上で、待っている。きっと、何が起きているか知っているんだろうな。少し、可哀そうだなと思いつつも、聞き分けて大人になってきているかなと思う。意外に早く、8時過ぎころには帰ってきた。喜んで帰っていった。(3/14)<71003>


◇ 月曜日。水曜日が締め切りの確定申告の書類を作っていました。収入もだいぶ少なくなっているのですが、現職の時には、事務が源泉徴収などをしてくれてたので、だいぶ楽でしたが、定年後は、総額は小さいのですが、わずかな収入が、複数から入ってくるので、神経を使います。現職の時と同じく、最終日、ギリギリの窓口持参になりそうです。
 午後、県九条の会の事務局会議。事務局員の中では、経験が少ないのですが、九条の会のあり方について検討をする必要がありそうです。「九条の会」が、他団体と連携をとるのはいいと思うのですが、何か、「九条問題」をストレートに入れることにためらいがあるのではないかと懸念しています。要は、九条を守る活動を広げて、憲法の平和主義を守る必要があります。
 少し肌寒い日ですが、帰宅後、ももと夕散歩して、大相撲観戦。若元春は好調で、連勝していますが、若隆景は連敗。焦らないで頑張ってほしい。
 2014年3月に静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌元被告(87)の再審請求差し戻し審で、東京高裁は、検察側の即時抗告を棄却し、再審開始を認める決定を出した。差し戻し前の高裁決定(18年6月)は、再審開始を認めなかったが、20年12月の最高裁の決定の指摘を受けて審理をやり直し、判断を一転させた。検察側は、最高裁に特別抗告するかを検討するという。昨日、お会いした『拳と祈り』の映画監督の笠井さんも、高裁に詰めかけると言っていたが、ホッとしているだろう。(3/13)<70989>


◇ 日曜日。昨日、ももの好きな家族が来て、自宅の庭にドックランを作ってくれたらしく、喜んで走り回っていたようだ。嬉しくて、一日中興奮状態だったようだ。そのせいか、今日は疲れてしまって、我が家で集中休養の日。
 午後から、9月30日−10月1日の松川事件無罪確定60周年記念集会の際に、同時に行う映画の監督に挨拶。予定しているのは、袴田事件を取り扱う『拳と祈り』の監督の笠井千晶さんにお会いして挨拶。丁度、明日、再審開始決定に対する特別抗告の判断が、東京高裁であるようで、その結果によって、大きな変化がありそうである。死刑確定後に、再審開始決定によって釈放され、90歳になるお姉さんが世話をしている。東北学院の田中先生が、朝日新聞の読者の欄に、特別抗告に批判的な見解を書かれているので心強い。
 その後、久しぶりの会合に出て、県内の動向などの情報を得る。
 帰宅後、今日から始まった大相撲を見る。若元春は勝つが、若隆景は惜しくも玉鷲に敗れる。出だしがいつも悪い。7時からはWBCの日本対オーストラリア戦を見る。大谷も期待のホームランを打ち、7対1で勝利。準々決勝に、グループトップで進出。16日の対イタリア戦になるようだが、頑張ってほしい。(3/12)<70977>


◇ 土曜日。東日本大震災12年目。いろいろと慰霊の行事がある。岸田首相も、福島県の慰霊祭に来たらしい。私は、新宿区立鶴巻図書館の伊藤さんに頼まれて、2年前にも行った、震災関係の講演をオンラインで行うことになっている。どうも、内容のメリハリがつかないので、自信がないが、それなりの準備。
 朝早くから、次女の女川時代の友人家族がきてくれるという。自宅の庭に、もものための「ドックラン」を作ってくれるという。ももも、大好きな家族で、きっと楽しんでいるだろう。
 講演は、午前中に確認の電話があり、午後2時からの開始だが、1時半からスタンバイ。講演は約1時間、30分ほどの質疑応答。テーマは、「フクシマからの見る未来 〜現地発3.11に考える〜」。自宅の2階の書斎からの発信で、新しいパソコン、次女が買い求めてくれたzoomのためのランプ。技術的には申し分なかった。ホストは図書館側だが、好調。2年前と同じではと思って、いろいろ考えたが、広がりすぎて、焦点が定まらなかったかも。終了後、宮城の長女から連絡あり、見たよとのこと。映像も音声もよかったとのこと。考えてみれば、12年間は、長い。一番下の孫が、生まれたのは震災の日の直後。3月26日だ。長女は、大きなお腹を抱えて、津波から逃げた。その子が、3月17日には、小学校の卒業式とか。4月には中学生になる。あっという間のことだが、163センチの大きく成長した孫である。長女は、英語の勉強をこれからやると張り切っている。夜、元同僚の晴山さんからメール。講演会に参加しようと申し込んでいたが、急に、元同僚の北山さんの葬儀が入り聞けなかったとのメール。50人ほどのライン参加だと聞いているが、結構、知り合いが参加してくれているなあと、申し訳ない。
 妻の買い物同行の後、WBC、日本対チェコを見る。佐々木朗希投手の頑張りもあり、10対2で日本の勝利。佐々木投手は、12年前の津波で、父親と祖父を失ったらしい。小学生から日本の代表の大投手に成長。きっと、天国からも大きな声援があったのだろう。(3/11)<70962>


◇ 金曜日。午前中は、支所に行って、4月に開催する町内会総会の会場を確保、その足で、コープに出かけ、灯油6缶(18L)を購入。まずは、しばらくは持つだろう。暖かくなってきているので。
 午後、妻は、近くの喫茶店での会合にでかけたが、私は、寄付をして返礼としていただいたDVD(アニメ)を見ようと思い、テレビ・ビデオをいろいろ操作したが、うまくいかず。それではと、新らしいノートパソコンで見ようと思ったら、DVDを挿入するところがない。後で聞いたら、外付けらしい。テレビにしても、パソコンにしても、操作でお手上げ。
 ももとの散歩は、いつもとは異なり、果樹園を抜けて、あまり来たことのない地域。新しいところだと、少し立ち止まる。「爺さん、迷ってない?」と。暖かかったせいか、ゆったりと散歩ができた。
 5時半過ぎ、自主夜間中学へ。残念ながら、前回、来ていた人は来ていない。もう少し、継続できる見通しを見つけないと。途中までいて、帰宅し、WBCの日本対韓国戦を見る。最初はハラハラしたが、後半は、日本の優勢。結局13対4で大勝。11時過ぎまでかかった。明日の、オンライン講演はどうなるかな?午後だから、午前中に頑張りましょう。(3/10)<70952>


◇ 木曜日。ももに午前5時に起こされた。朝の1時間ほどの散歩が必要と思い、5時10分から6時10分に設定。懐中電灯を持っていきながらの散歩だが、こちらから見えないというよりも、朝の車から歩行者がいることを知らせる役目。あまり散歩している人や犬は居なかったが、自宅に近くなってから、11年ほどの老犬を散歩させている人から声を掛けられる。11年の老犬だそうで、我が家の生後1年9ヵ月程とは落ち着きが違う。恐れをなして、後ずさりするが、先方の犬は、ゆったり眺めている。体は小さいが、貫禄かな。飼い主がいなくても、ももは、ゆったり朝食を食べた。
 県九条の会関係で、駅近くの商店街で、憲法の宣伝行動。なかなかいいビラだが、歩行者はなかなかビラを受け取ってくれない。4人に1人くらいだろうか。お洒落な小冊子風なので、後で読んでくれると思う。そう期待している。
 土曜日の東京の図書館の講演資料を、夕方まで送ってくれと言われ慌てる。何とか、前のものを参照してでっち上げて送ったが、足りないところが多いことに気が付く。金曜日は、担当者が休みなので、まあ、当日、補足して話すしかない。
 夜は、テレビでWBCの日本(侍ジャパン)と中国の試合を見た。7時開始で、終了は11時直前。大谷の先発で、結局8対1で日本が勝った。勝つとは思っていたが、途中は少しハラハラ。大谷のフェンス直撃の2塁打はあったが、ホームランは見れなかった。明日は、韓国戦。結構、接戦だろう。(3/9)<70933>


◇ 水曜日。福島大の行政政策学類の大会議室で行われた、加藤眞義さんを偲ぶ会に参加した。いつも教授会を行っていた会場であるが、最近は教授会も、研究室に本人は居て、オンラインで行うことも多いようだ。コロナの関係で、講義自体がオンラインなので、会議もオンラインになっているようで、この偲ぶ会も何人かの発言者(思い出話)も、研究室から。還暦前の加藤さん。教育研究で、大きな成果が期待されていただけに惜しい同僚を亡くした。
 次女が夜勤なので、愛犬ももは我が家に泊まる。自宅にいるときの慣例で、誰かが寝ている側に寝る。私の役目で、あまり眠れない。しかし、もも自体は、大人しく、私の布団の周りで寝ている。(3/8)


◇ 火曜日。今日は胃カメラの日。鎮痛剤のため、病院まで自動車は使えないので、福島交通の飯坂電車と、福島交通のバスを乗り継いでいく。昔は、自動車を持っていない時期(新築した家のローンの返済では、自動車を保有する余裕はなかった)時期は、飯坂電車笹谷駅から福島駅、JR東北線の福島駅から金谷川駅まで通った。その時は、そういうもんだと思っていたので、特に大変ではなかったが、また自動車に乗り始めると、電車やバスは、大変。笹谷駅まで約15分、そして福島駅、そこからバスでわたり病院へ10分。乗っている時間は短いが、なにせ1時間に1本の路線。時間合わせのため、じっと待つ。
 胃カメラ自体は楽だった。鎮痛剤を点滴で入れて、口から内視鏡を入れられるまでは覚えているが、その後は全く分からない。1時間くらい、醒めるのを待っていたのだろうか。何らの違和感もない。朝食抜きだったので、売店で食事をとり、まずは落ち着く。帰りも乗り換え、乗り換えで自宅に着いたのは2時ころだったか。駅名の「曾根田」など懐かしい。体調を何とか回復させて、リサイクルの搬入、愛犬ももの夕散歩。
 明日は、昨年11月17日に急逝された現役の福島大学の教授・加藤眞義さんの「偲ぶ会」。皆さんが集まれる日に、大学の会議室で挙行する。1997年4月の赴任だから、26年の在任だろうか。還暦前後の若さであり、大変惜しい。ご冥福をお祈りします。(3/7)<70894>


◇ 月曜日。関連する仕事の新聞記事などを切り抜いたりして準備を進める。次回フォーラムの報告者について、ご検討をお願いしていたが、時期を延ばしてほしいとの返信。急いで、その穴を埋めなければならない。報告者の候補者が複数いて、その調整に苦労したことを考えると、そろそろ限界かなとも思う。212回まで来ているのだが、まさに12年を経て、復興も正念場なので、納得いくまとまり方にしたいものだ。
 午後、妻の会合への送迎。帰りに、私が講演した内容の記事を掲載したニュースをもらう。改めて読むと、講演内容はいま一つ説得性がない。私の限界かな。もっと勉強することと、それに対する自らの心情が必要なのだろうか。
 今月は、胃カメラと大腸カメラの検査。以前から、申し込んでいたが、鎮痛剤を必要とするので、それがコロナ対応の体制と両立しなかった。それも解決して、明日7日に胃カメラ、27日に大腸カメラと相成った。鎮痛剤の関係で、明日は車を使えない。電車とバスを乗り継いでいく。市から無料パスをもらっているのだが、使う機会がないので、有効活用となる。悪い結果にならなければいいのだが、これだけは分からない。いろいろの病気も不思議でなくなった年頃なので、まあ、まな板の上の鯉と思って、心を鎮めるしかない。(3/6)<70878>


◇ 日曜日。3月になると私の兄・姉の誕生日が続いた。私は5月だから、少し遅れた感じだが、学校などでは早い誕生日。野球選手等には4月、5月生まれが多いといわれたが、小学生の低学年では、その差は1年近くもある。早く大きい方が、野球でも徒競走でも、優位に立つ。ほんの1年から2年だろうが。その優位性がしばらく続く。孫の二人は、2月と3月末生まれなので、苦労するだろうなと思う。3月1日は実兄の誕生日、今日3月5日は実姉の誕生日。しかし、実兄は1992年10月に54歳で病死し、実姉は3.11の津波で亡くなった(正確には行方不明)。71歳である。父親も71歳、母親は48歳。私が一番長寿(?)になった。90代の親との会話、70代の兄弟との会話の話を聞くと羨ましくなる。津波は事故なので、もし、その事故がなければ、実姉は、今日で83歳。私より元気だったので、長寿では負けただろう。十数年前に慣例としていた、電話相互での誕生祝いもなくなった。
 今年の9月30日ー10月1日に予定している、「松川事件無罪確定60周年記念全国集会」の実行委員会に参加。形式的には実行委員長なので、開会の挨拶は必要。被告の阿部市次さんは、先日亡くなり、松川事件そのものの話し合いよりも、絶えない冤罪事件の話や、再審法の問題が中心となろう。まさに、松川事件無罪判決は、現在の冤罪事件を無くす運動で大きな意味を持つだろう。成功のために無力だが、尽力しよう。
 愛犬ももは、月1回のシャワーの日。大人しかったようで、綺麗になって帰ってきた。庭の紅梅、白梅、蝋梅などが咲き始め、暖かい春の日差しの中で、生き生きとしている。(3/5)<70864>


◇ 土曜日。次女が仕事があるので、愛犬ももは、我が家で待機。秋田犬同士の友だち5人で、AKJ55(秋田犬アイドル)のYouTubeデビュー。
 東日本大震災後12年が近づく。夜のNHKスペシャルは、「南海トラフ巨大地震」について、ドラマ編成で放送。多くの専門家が警戒するのは、東西日本に時間差でマグニチュード(M)8を超える巨大地震が連鎖する”半割れ”という現象。高知・大阪・東京の3拠点を”ほぼリアルタイムドラマ”で描きながら、想定被害の全容を家族の目線で明らかにしている。ドラマでは、東日本大震災は、過去のものとして扱っているが、津波などの映像で、再び、思い出させられる。
 当時、すぐ女川に馳せ参じたいが、道路のみならずガソリン不足が足を止める。ガソリンを得るために、スタンドに朝早くから並ぶが、10リッターのみ。(1リッター8キロのMarkX、女川まで150キロ)時間を経て、あるガソリンスタンドが満タンで売ってくれるという情報が入ったが、私の家からは遠い。近くに住む友人は、その給油の順番カードを、私のために早朝に並んで取ってくれた。頼んだわけではないが、私を心配したのだろう。今考えても、みんなの善意で助けられたなと思う。ありがたいことも多かった。きちんとお礼を言っていない。
 戦地で戦死した家族の空の木箱の話のようだ。震災から12年が経たが、3人の身内は、いまだに行方不明。遺体がない葬儀では、涙も出ない。そして12年が経った。凍ってしまった心は、融けないままだ。もう1週間で12年が過ぎる。(3/4)<70848>


◇ 金曜日。昨日のM弁護士のことで、マスメディア等大きく取り上げている。セクハラを訴える依頼人に対する、セクハラ行為ということで、びっくりしてしまう。
 いろいろ弁護士さんのなかでの情報交換によって、その深刻さを痛感する。守ってくれるものが狼になるようなもので、どうしても許しがたい。被害者は1100万円の損害賠償を求めているが、加害者が、弁護士業務を継続すること自体を、辞めるべきと主張している。裁判所に対する訴えではないが、謝罪の中身を問題にしているのかもしれない。
 今日は3月3日のひな祭り。我が家は、妻と次女と愛犬ももと、私以外は全員女性。7段のお雛さんはあるのだが、子どもも大きくなり、大きな箱に入ったまま。それはそのままにして、妻はどこからか、「吊るし雛」を手に入れてきた。天井から吊るしたが、すぐに仕舞わなければならないのだろうか。Facebookで、松野さんも、お雛様を出したばかりだが、4月3日までの1か月、出しておく方法があるという。旧暦で飾ればいいのだという。うまい方法があるものだ。しばらく、1か月、愛犬ももに飛びつかれないように、玄関の吹き抜け、階段のところに、2階から吊る下げた。あまり来ないが、お客さんも喜んでくれるだろうか。塩釜の孫たちまでは来ないだろうが、春休みにでも来るかな?(3/3)<70832>


◇ 木曜日。原発と人権の実行委員会だったが、現地・福島の状況を知るものとして、参加してきたが、会場の予約もでき、現地の実行委員会も結成されたので、それに任せるべきと思い、参加しないことにした。事実上の支援も、地元実行委員会に任せればいいと思う。ということを断ればいいと思ったが、無断欠席(笑)。こういうのは、私の悪い癖、いろいろ困るだろうと思って、選出の根拠もなく、金魚の糞のように続けてしまう。自分に対して、厳しくならないと。
 原発訴訟の弁護団の事務局長を務めていた弁護士のM氏が、セクハラで退任を申し出たことをマスコミは報道している。何度か、原発関係の話、セクハラの映画の後の話も聞いており、なかなか有能な若い弁護士と思ってきた。行為の事実は、争ってはいないので、残念である。私が事務執行している「ふくしま復興支援フォーラム」で、2月の例会で、損害賠償問題を報告していただきたいと考え、メールを出していたが、ついに返信をもらえなかった。所属法律事務所のホームページからも消えている。どうしたのか不思議だったが、こういう事情だったのかと思っている。有能な方でも、セクハラ、DVなどは厳しく問われる時代になっている。特にM氏は、セクハラの講演や支援運動をやっており、関係者にとっては、大きな衝撃であろう。
 原発の被災者救援の観点からも、大きな打撃だが、めげないで、前に進むべきであろう。被災者の窮状は、何ら変わっているわけではないのだから。より、その支援を強めなければなるまい。(3/2)<70814>


◇ 水曜日。今日から3月の開始。新しい卓上カレンダーの絵を、Facebookへ。
 今日は午後4時半から、11日にオンラインで講演をすることになっている新宿の鶴巻図書館とのリハーサルがあるので、その時までに、少し準備をしようと思っていたが、午後2時から「ちぇんば大町」で、「県民版、復興ビジョン」を英訳していただくということで、それに関する検討会と思って、午後から出かける。
 しかし、私がよく理解していなかったのだが、行ってみると被災地調査に来た大学院生など十数人がいて、私の思い違いに気が付いた。前日も含め、被災地の見学及びヒアリングの一過程であった。それはそれでいいのだが、初対面なので、それぞれ自己紹介等から。ところが、私の耳が悪く、特に、若い人々の、特にマスクを通しての話は聞き取れない(定年後、学生のゼミでも同じだった。その頃はまだマスクつけていなかったが)。いちいち、聞き直すのもできないので、ほとんど聞き取れなかった。事前に、今日の会合を理解していなかったのが原因だが、いつもできると思っている行動パターンを変えないと駄目だ。私の早とちりがいけないのだが、会合に出る前に、もっと吟味すべきことが今日の教訓かな。
 帰宅後、鶴巻図書館の皆さんと連絡を取って、打ち合わせ。2年前の時とパソコンは違うし、次女が注文してくれたライトで、少し明るくする。部屋全体を明るくする天井のライトは、角度が悪いのか、みにくい。私の頭に反射しているわけではないが。(笑)
 遅くなったが、5時過ぎにももの夕散歩。6時近くでもまだ、明るい。日が落ちる前の吾妻山は、水墨画のように綺麗だ。最近、少し元気がないももも、チャンチャンと前進。暖かい日の夕べは気持ちがいい。(3/1)<70790>



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