日  記 (備忘録)

(2023年12月)


◇ 日曜日。今年の大晦日である。10月に亡くなったIさんの墓参りをしようと、飯坂霊園へ。生憎、管理事務所が正月休みで、見つけることができなかった。ただ、駐車したところのお墓が、尊敬しているH先生の予定されている墓地(現在でもお元気であるが)に遭遇。準備不足で成果は上がらなかった。無計画ゆえの失敗。自宅等からも近いので、その霊園に、我々も見つけようかなと思いつつも、残っているところはないかなと、悲観的。
 1月9日に計画している、平和委員会の学習会のチラシが新聞に入ってきた。福島大名誉教授の伊藤昌太先生に講演をお願いした。「イスラエルとパレスチナ 暴力の連鎖はなぜ止まらない?」(福島駅前のAOZ)。平和委員会に企画をお願いしたので、何とか成功させたい。オンラインではなく、対面式。facebookとtwitter(X)に、アップして、新年初めに元気なスタートを切りたい。
 午後、新しいカレンダーなどを整理しつつ、新年の準備。創作カレンダーのももちゃんはじめ、秋田犬のカレンダーが多い。真新しいカレンダーを、充実した生活で埋めていきたい。
 3時半からももちゃんの散歩に同行し、夕方は、次女を含め、大晦日の料理とお酒で楽しむ。2023年も終わる。昔は、家族で、家族の十大ニュースなどを探したものだが、こと自分に関すると、ニュースになるものを見つけることができない。何とか、明日から始まる1年、有意義な一日一日を過ごしていきたい。80歳にして、新しい計画を持つ人もいるので、そのような積極的な生活を作り上げたい。(12/31)<75732>


◇ 土曜日。年末年始の休みになったので、いつもよりゆったり起床。ところが、次女から、散歩から帰った見たら、どこかにスマホを落としたので、電話をかけてみてとの要望。なかなか、探すことができず、パソコンからスマホの在りかを検索。結局、私も手伝いに行ったが、草むらのどこか分からない。何度もかけていたら、ももちゃんが走った。低い音なので、聞こえなかったが、犬の耳には聞こえたのだろうか?あっぱれではあるが、そもそも、スマホをとす原因は、ももちゃんが興奮して、それを取り押さえようとしたときだったらしい。朝の一幕。そのまま、我が家に連れてきて、次女は昼前に遅れてきた。やはり無くしたときの捜査方法を確立していた方がいい。
 午後3時半からの夕散歩、私が行ったが、結構距離が長かったので、1時間後くらいに、次女に迎えに来てもらう。いつもと逆パターン。ももちゃんは不思議がっていた。
 テレビ映画で、「男はつらいよ」を観る。テレビは、番組が多彩(再放送も多い)で、あまり落ちつかない。何か、こうして、正月もダラダラ過ごしそうだ。少し、手綱を締めないと。(12/30)<75717>


◇ 金曜日。次女が休みなので、ももちゃんは、朝、来ない。油断して、寝坊した。その後、昼頃に来たが。
 年賀状を、私がなかなか書かない(ほとんど、宛名だけなのだが)ので、家族内で孤立。慌てて、書いて、中央郵便局まで行って投函。昨年頂いた年賀状を参考に書いているが、2024年で最後になるかも、という表現は、年賀状を出さないということなのか、それとも出す条件(存在)を危惧してか、そんなら、私も2025年も書けるかどうか確かではない。もっと丁寧に一人一人に宛てて書けばいいのだが。
 仙台のSさん(女川出身)から、今年の日展の作品([朝の岬」)の絵葉書と展覧会の写真2葉、皇室とのやり取りのお手紙をいただいた。美智子上皇后陛下へ、作品集とともに、その作品集のなかに女川の復興について詠んだ御歌の掲載の許可を求めたもの。直接ではないが、宮内庁を通じて、御歌を載せていただいたお喜びの御礼と作品集が良かったことの感想を述べられたとの話である。津波被害後、営業再開されたJR石巻線女川駅前に、美智子皇后の碑は建っている。石碑のデザインを手掛けた女川出身のデザイナー・三宅哲さん(2022.1.18逝去)の除幕式で、歌碑を建てるアイデアは、今野からも出ていたと紹介され、赤面した覚えがある。歌碑は、女川駅前にあるので是非、観て欲しい。
  「春風も 沿いて走らむ この朝(あした) 女川駅を 始発車いでぬ」
Sさんは、最近、ご主人を亡くしたばかりだが、お元気だ。私より3年上なので、女川一中の先生方は、共通。先日も、電話をいただいた。中学時代のO先生(茨城在住)に、是非、電話してはと勧められた。いつまでも元気に、筆を振るってほしい。(12/29)<75705>


◇ 木曜日。妻が年賀状を書いているのを横目で見て、なかなか、年賀状を書く気分になれない。明日は29日、そろそろ書かないと駄目かな?
 世の中は、今日が御用納め。公務の職場は、明日から年末年始の休業に入る。外も、お休みモード。あまり年の瀬の気分になれない。昼頃、岩瀬書店(西道路のヨークベニマル店内)に、NHKテキストを受け取りに行く。
 3時半から1時間ほど、ももちゃんと夕散歩。そういえば、今朝、パルセ飯坂まで、朝の散歩の迎えに行った。暗いうちから朝散歩を始めるので、かなりの距離。帰る体力を、きちんと残して歩くというわけにはいかない。6時前だが、だんだん冬至が過ぎて、日が長くなってきているので、春までの頑張りだね。自宅まで送り、笹谷に帰って来るときの山並みは綺麗だ。心が洗われる。
 今年も、3日残すのみ。来年は、誕生日で80歳になるが、健康に留意するとともに、自覚を高めないと駄目だね。ただ、やり残した仕事が気になる。(12/28)<75695>


◇ 水曜日。午後から、「学習の友」の輪読会。1月号を使用しての読み合わせ。「先制攻撃が日本の平和の最大の「脅威」」(山田敬男)、「ストライキの復権とたたかう労働組合」〈黒澤幸一)、「ストライキで今年こそ大幅賃上げを」(三木陵一)、「経済の民主的規制とは何か」(柴田努)、「春闘とは何か」(相澤幸敏)の5本。どうしても当面の春闘の関係。もっと広く、話し合えればいいのだが。
 昨夜のフォーラム(225回)の感想文等が寄せられて、それをブログに掲載。橋本由利子氏の報告。「震災から失ったもの、得たもの」。参加者に、次女の職場の同僚もおり、詳しい内容の感想・意見。資格を生かして、震災復興支援と地域支援を結合させて活動しており、橋本氏に直接の協力者。いろいろな専門家集団が、その持ち場を生かして、努力している。今後に期待できる。
 フォーラムに参加できなかった、福島大学の卒業生から、電話が来て、震災の中で視覚障碍者・聴覚障害者等が、どう支援を受けたのかと聞かれた。その観点でも、さらに追求していかなければならないだろう。みんなの意見を聞くことは重要だ。
 4時頃から、ももちゃんの夕散歩。快調だったが、今日はクールムーン。どうしてか、吠えているらしい。犬には犬の世界があるのかな。(12/27)<75685>


◇ 火曜日。昨夜は、次女とももちゃんが宿泊し、クリスマスパーティ(?)。食べて、飲んで、ということ。朝、朝散歩を笹谷で済ませ、自宅によって、職場に出かけたので、私は会えなかった。我が民宿J&Bにいると思い油断した。
 午前中は、妻の診察で大原病院に送迎。帰ってきて、すぐに迎えに行くので、ももちゃんは、少し眠そう。されど、留守番させるのは難しい。帰宅後、早めの夕散歩。6時からのフォーラムのために、早く済ませる。
 フォーラムは第225回目。浪江から二本松に避難し、コーヒータイムを経営しながら、障がい者の働く場を提供してきた。最近は、浪江に帰還し、浪江でも、二本松でも従来の事業を継続している。困難は付きまとうが、こうした地道な取り組みが、復興を進めるのであろう。パワーポイントの作成を手伝い、資料の共有をこちらでしたが、あまりうまくいかなかった。技術的な努力は、まだ必要だ。(12/26)<75673>


◇ 月曜日。今日がクリスマスである。九条の会関連の企画を具体化するために、原水爆禁止福島県協議会を訪ね、前回の話を踏まえ、詰めました。大久保賢一氏の講演会は、2月24日(土)午後に、AOZ多目的ホールで行い、福島県九条の会と原水爆禁止福島県協議会の共催でおこなうことにした。テーマが、核兵器の廃絶なので、原爆問題では老舗の団体とともに行うことにした。併せて、福島県平和委員会主催の「パレスチナ・イスラエル問題」の学習を、1月9日夕方に、AOZ大活動室で、田沢・清水町・蓬莱九条の会代表の伊藤昌太先生にお願いして、行うことにした。老舗の平和団体が、快く応じていただいたことは嬉しい。一つ一つの企画を大切に成功させていきたい。
 帰宅後、飯坂の家の荷物を受け取るために、飯坂へ。併せて、買い物同行。ももちゃんの夕散歩に付き合って、夜は、ささやかなクリスマス会。久しぶりのすき焼き。ワインをいただいて、これも久しぶり。
 集会一つの企画も、段取りが悪く、時間がかかる。何か、若い時代を思い出す。(12/25)<75658>


◇ 日曜日。クリスマスイヴ。平成天皇(現上皇)の満90歳の誕生日。天皇が交代し、天皇誕生日は、令和天皇の2月23日に変更されている。
 ももちゃん宅は、なじみの家族が来て、昨日から賑やかだったようだ。その分、我が家は静か。ただ、普段、寝てばかりいるが、やはり2人家族でなく、3人(?)なので、何かと雰囲気は異なる。気を遣うのかな。知人家族は昼頃帰ったらしく、昼頃、我が家に来る。昼食、夕食を食べ、ケーキを食べて、クリスマスのまねごと。ももちゃんは、接待(?)で疲れたようだ。
 年内は、実質4日で、年末年始を迎える。年賀状を書く時期だが、なかなかその気になれない。昨日のコンサート会場からの帰り、お世話になった県庁の元幹部に逢う。「松川の集会」のことで、新聞などを読んだらしい。「八十何歳になられましたか?」と言われ、「いやいや、80歳は来年の誕生日、まだ79歳です。」と対応。うん、そう見られているのかなと、自覚を強める。一日一日、大切に過ごそう。(12/24)<75640>


◇ 土曜日。ももちゃんは来ない。いつもより、はるかに遅く起きた。緊張関係がない。ももちゃんの大好きな家族が石巻からやってくる予定。歓迎の準備や掃除で忙しいのだろう。
 Sさんの奥さんが発熱して、今日、二人で行く予定のコンサートに行けないので、チケットを譲ってくれた。本当に、残念でしょうがないだろう。福島市の音楽堂で行われる、「ウクライナ国立フィルハーモニー交響楽団」の演奏。結局、看病している(?)彼も来れないので、MSさんが来た。二人で鑑賞。演目は、ドボルザークの「交響曲大9番 ホ短調<新世界より>作品95と「ベートーヴェン交響曲第9番 二短調<合唱付き>作品125。合唱には地元の「ムジカンテン・コア・ふくしま」が参加。最後に、ウクライナの国旗も掲揚され、満場の観客から大きな拍手を浴びていた。ベートーヴェンの第9番(合唱)は、、テレビやCDで聞くことはあるが、生の演奏は初めて。やはり迫力がある。ウクライナの戦火を思い出しながら、聴いた。団員の多くの家族は、まだ、戦火のもとで生活をしているのだろう。一日も早い停戦が、改めて望まれる。(12/23)<75625>


◇ 金曜日。冬至である。一番、昼が短い日。福島市の日の出は、6時50分、日の入りは16時23分。毎日、日の出が1分づつ早くなり、日の入りが1分づつ遅くなる。塵も積もれば山となるで、少しずつでも日が長くなると嬉しい。5時半の目覚ましの時に、ラインで次女におはようのスタンプ。もう4時から朝の散歩で、立ち止まったらしい。可能ならレスキューというので、顔も洗わないで10分ほどの処まで迎えに。朝のドライブは気持ちがいい。6時前は、信号機が点滅なので早い。6時は、まだ暗い。首輪につけたネオンサインが見えた。喜んで走って来るので可愛い。次女を自宅に送り、ももちゃんは、そのままJ&B民宿へ連れてくる。ももちゃんの朝飯は、後で次女が持参する。
 午前は、妻の会合への送迎。ももちゃんも同行。午後の買い物&郵便局の同行。ももちゃんも忙しい。帰ってきて、私との夕散歩。小1時間だが、日課なので、欠かせない。
 夜、晴山氏と電話連絡。彼も、親の財産整理等で、忙しいようだ。でも元気なことはいい。しかし、Nさんの奥様が亡くなったことを聞く。どうして、こういう話だけが多いのだろう。年のせいだからやむを得ない。駐車禁止の件で、Facebookにメッセージを書いたら、54人のいいねと、3人のコメントをいただく。何か、自己満足だが、何とか動かせないものだろうか。力と知恵がでない。(12/22)<75614>


◇ 木曜日。少し疲れたのか、一日,ボーとしていました。1月の市政だよりがきたので、それを妻が仕分けし、私が5つの班の班長さんに配布して歩く。5班の内4班は不在で、玄関前においてくる。
 自宅に荷物を運んで、自宅で昼食をとっている間に駐車違反の張り紙を貼られていたとの苦情を電話で訴えられたので、その合間に寄って話を聞く。数十年と住んでいるのに、こんなことは初めてと憤慨していた。張り紙の連絡先(警察)に問い合わせたが、公道だということと、出入り口から3m以内で。放置駐車違反。私も月1回、市政だよりを配布して歩くが、短時間なので、道路に車を置いたまま。今回の道路は、いつも、通る車は見かけない。10戸くらいの班で、ぐるっと回り道。ほとんど、それぞれの住宅への用事もない限り、通らない。パトカーも走っていたのは見たことがない。法形式的に、該当するかもしれないが、自宅に荷物を運び、自宅の玄関などを開けているのに、せめて「違法駐車」だから、移動して欲しいと一言声をかけて欲しかった。警察は、違法状態を作らないことが問題であって、違法状態を摘発するだけではなかろう。警察と住民の不必要な緊張関係を作るべきではなかろう。近くの交番の若い警官らしいが、これでは住民との協力関係ができないのではなかろうか。
 小さな買い物への同行と、久しぶりの散髪。サービスカット1320円、新聞折込の200円の割引券を持参。結局、1120円かな。ももちゃんのシャンプーが15000円と比較すると、割安。まあ、私のは15分くらいで終わるのに、ももちゃんは、二人がかりで2時間だから、当たり前か。4時過ぎからももちゃんと夕散歩。(12/21)<75592>


◇ 水曜日。I氏が亡くなったというのは、本当ですか、との電話があった。直接的には、年賀状を出していいのかどうか悩んでいたという。私は、伝言であっても、間違いではないのだろうということで、自粛することにしていたので、そのような悩みはなかったが、私に問い合わせるのは、私が責任ある確認をすべきとのことだろうということで、思い切って、I氏のご自宅に電話をした。奥様が出てきて、淡々と話してくれた。昨年末の検査で、すい臓の検査値が悪く、2か所の病院にかかり、結局、6月末に医大で手術を受けたのこと。その後、急激に悪化し、何度かの入退院の後、最後だということで家族とともに過ごしたという。様態が悪化し、自宅から救急車で病院に運ばれ、10月1日に亡くなったとのこと。同じ市内に住みながら、全くの情報を得ることができず、お見舞いにも行けなかった。定年前に東京の私学に移ったが、福島から通っていた。私より一つ年上だが、大学・学部の同期生として、色々助けてもらった。彼は、四国の大学で務め、郷里の福島大学に勤めることになり、秋田大学から福島大学に転勤した私は、彼の本当にお世話になり続けた。同じ学部でもあったが、東京への転勤の後は、なかなか会う機会がなかったが、スポーツで鍛えた健康体で、まさか病気になるとも思わなかった。仕事とは別に、年代は10歳以上の開きもある5人のグループで、一緒に山登り(吾妻、一切経、東吾妻など)、帰りは、N先生の親戚の高湯温泉の温泉宿に泊まって、懇親を深めた。年代は異なっても、上下を感じさせない懇親。癒された。しかし、2歳上のSさんは、1週間ほどの海外の研究出張の際に、風土病に罹患し、医大に運ばれたが急死した。奥さんに教えられ、医大に詰めたが、話もできぬまま亡くなった。そして、N先生は、65歳の定年退職直前に、膵臓癌で亡くなった。その苦しみをいまだに覚えている。M先生は、退職後は、お会いす機会が少なかったが、お見舞いにも行けず、亡くなった。そしてI氏。勤め先は異なるが、同じ福島市内に住んでおり、お見舞いに行けなかったことが悔やまれる。既に、私の家から近い霊園に納骨を済ませたとのこと。いつか、探しながら行って、お参りをしてこよう。お世話を受けたばかりで、それに感謝し、心からのご冥福を祈っている。
 夕方、妻を福祉会の理事会に送迎しなければならないので、ももちゃんの夕散歩は、早めに3時半に開始する。その前に、学習協のオンラインでの研究会に途中まで参加。ももちゃんの散歩は、歩く方向をももちゃんに任せたら、飯坂電車の線路を超えて郵便局まで進む。歩いているときに、N先生も膵臓癌で亡くなったなと思い出した。もう、会うことができないと思うと、悲しい。
 I氏は、大学同級だが、私より1歳上。80歳になったばかり。私は来年の誕生日で80歳。80歳の壁は厚そうで、越えられるかな、気をつけながら生活しよう。大切な一日一日、有意義に過ごしたい。(12/20)<75577>


◇ 火曜日。ももちゃんの朝散歩は、聚楽方面まで、かなりのハードな散歩だったらしい。ぐっすり眠るかなと思ったら、家じゅうをウロウロ。トイレに行きたいのかと思い、外に出たが、帰ろうとしない。結局,準備もしないまま、通例の夕散歩の行程。オシッコはしたが、ウンチはせず。まあ、快適に歩いて帰ってきた。
 9時過ぎに予定していた、町内会の方々と支所で話し合い。側溝の改修要求に対する回答。今まで、順番をまてばいいと思っていたが、技術的に困難だとのこと。関連する住宅は、玉石が積んであり、これにU字構は無理とのこと。いろいろ相談に乗ってくれて、かつ、一緒に現地を見て、何とか解決はしないが納得してくれた感じ。当初、施行した方々は亡くなり、かつ、一人住まいの方も亡くなって、現住者には、過去のことは分からないが、今後出てくる諸問題について、解決していけるのではないか、都市計画が明確でないので、つぎはぎだらけだ。夕方、自宅前に自家用車を置いて、いつの間にか、駐車違反のステッカーを張って行かれたとの苦情。法形式的にはあるのかも、しかし、その家の車だと分かるのに、こっそり来て、貼っていくとは。貼ることが大事なのか、違法駐車を少なくすことが大事なのか。町内会長終了まじか、何かお呼びがかかる。
 昼頃に急いだ買い物。妻のテレビ映画にうつらうつら付き合ってって、予定の行動の遅れ。県立図書館に2冊の本を返し、原水協に集会などの提案。1月初めの集会と、2月下旬の講演会の準備ができた。散歩時間に遅れたが、5時頃から短い散歩。
 ドイツでお世話になったKさんに連絡。後は、当事者に任せる。いろいろ課題が多いが、後は、本人の努力で。(12/19)<75566>


◇ 月曜日。気温が低く,雪が降った。雪の中、迎えに行かなければならないかと思い、緊張したが、早めの来宅。
 午後、福島駅まで買い物同行。帰ってきて、ももちゃんの夕散歩。あまり時間がなかったので、速足の散歩。寒いのは、快適のようだ。4時45分からの新潟大学でのzoomでの原発学習会。学生諸君も混ざっての学習会。話題の中心は、刈和野原発の再稼働問題。福島原発のことを鈴木浩氏が報告するので、聞いていたが、最後に、報告者に一言と言われ、ついつい話をしたが、気が付いたら、次の授業時間のせいか、みんな立っていた。鈴木さんに促されての行動だったが、空気を読んでおらず、みんなに迷惑をかけた。後で赤面の至り。司会進行に問い合わせないで、最後の時間を使うのは、まずかったな。失敗!失敗!
 昨日のKさんへの連絡、携帯にかけたら、異なる人が出た。番号は間違ってなかったので、昔の携帯は、いまは使っていないのだなと理解。明日にでも、事務所にかけよう。(12/18)<75553>


◇ 日曜日。ももちゃんが来ることはないので、ついつい二度寝して、結局7時過ぎに起床。しかし、みぞれ交じりの空模様の中で、散歩中のももちゃんは、途中で休んで、遅いレスキュー要請。支所の屋根の下で、待っていました。今朝は、遅い散歩だったが、お友達と遊んで、随分、興奮したらしい。爺の迎えを待つことに。
 白い小雪も降って、冬らしくなった。気を付ける運転になった。
 いろいろと話していいるうちに、1980年前後のドイツミュンヘン滞在の時にお世話になったKさんの話題。なかなかミュンヘンの住宅が見つからず、結局、仕事でミュンヘン滞在していたKさんのお世話で、郊外のマンションを借りることになった。そんなKさんが、福島出身なのだが、福島に帰ってきて、家業を継ぐことなった。音楽家の奥様のコンサートに行くくらいで、ご無沙汰ばかり。来週、久しぶりの連絡をしてみようと思ったが、不思議な縁である。お世話になって、そのお礼をちゃんとしていないなと、反省をしながら。
 大河ドラマは、今日で最終回。どうする家康、家康の天下統一の過程だが、なかなか活字で読むことのある歴史と、具体的な俳優の顔が結びつかない。毎週、欠かさず見ているわけでないので、可能なら、俳優の名前ではなく、ドラマの役柄の名前を付して欲しい。最終回というのは、もう今年も終わり。新年は、「光る君へ」。主演は、吉高由里子(紫式部)。この機会に、「源氏物語」を読んでみようかな。受験勉強で、古文の試験勉強以外は、源氏物語に触れたことはなかった。妻は、結構、源氏物語は読んでいるので、本はありそうだ。(12/17)<75537>


◇ 土曜日。昨夜の疲れか、7時頃に起床。
 午後から次女は、仕事の関係での忘年会ということで、ももちゃんが来る。私は、午後から教育会館で開催された、憲法共同センター関連の、金平茂紀氏の講演を聞く。盛岡の会場での講演だが、東北一円、オンラインで結ばれている。盛岡着の新幹線では、開始時間に間に合わないので、講演部分は、送られてきている動画で拝聴。質疑応答は、会場で、生で行われた。技術の発展で、こういうことも可能となった。しかし、私の耳が悪いのか、聞き取りに難。同じようなテーマだが、何度も繰り返すことが必要なのだろう。教育会館への参加は、10名程度。他で聞く人いるだろうが、少し寂しい。
 夕方、小買い物に車で行く。(12/16)<75523>


◇ 金曜日。今日は、年金支給日なので、振込銀行に行って、預金通帳に記入し、新年のカレンダーをもらってくる。お目当ては、日めくりのカレンダー。何かと、毎年重宝している。その後、妻の会合の場所まで送る。昼に、迎えに行く。店での買い物はしているが、そこまでの往復は、足の痛みで困難。なかなか改善しない。
 夜間中学の菅野家弘さんからの誘いで、今日、夕方の夜間中学にこないかと。生徒に対する指導は、休んでいるが、7時から前川さんの話もあり、忘年会にも誘われた。忘年会は、夜間中学のメンバー(教師か、生徒か不明)による、マジックショー、そしてスイスの楽器、ハンドパンの演奏。初めて聞いたが、長女の言うには、ヒーリングミュージック。本当に癒される演奏だ。静かな音だし、触れてみたいな。そして前川さんの話。挨拶にあった鈴木安蔵の話、鈴木義男の話、日本国憲法がアメリカの押し付けではなく、自由民権以来の日本の民衆の思いが込められてるとの話。即興的な話にしては、良くまとめられており説得的である。改めて有能な人と感服。福島の自主夜間中学への支援、有り難い。久しぶりの
 8時過ぎから、場所を代えて、居酒屋でお酒の入った懇親会。私は、ノンアルコールだが、いろいろと和気あいあいの会合。アオウゼに車を取りに行って帰宅。久しぶりの10時以降の帰宅。(12/15)


◇ 木曜日。ももちゃんの泊り、5時には散歩に出かける。行きたい方に任せたら、飯坂電車の線路を超えて、郵便局まで。暗い中だが、快適なので、1時間超の散歩。途中で小休止はあったが、何とか順調に帰ってきた。6時になっても。まだまだ暗い。コンビニは空いている。開店早々なのか(?)、若い女性が買い物に来る。道は、早出の仕事だろうか、車も多い。
 10時頃か、東京に住む甥の昌明君が突然、車で立ち寄る。昨夜郡山に泊り、その前に女川に寄って、夕方の仙台での会合に出るという。少し、時間が空いたので、立ち寄ってくれた。しばらくぶりの遭遇。もう50代も半ば。大手の建設会社を辞めて、経験を生かして、様々な会社で働いているようだ。以前のように、朝早く出ることもなく、余裕ができたという。30分ほどで、女川に向けて行った。
 次女は、夜勤、その後の用事を済ませて、昼前に帰ってきた。私は1時半から予約の心臓検査(エコー検査)へ。医師に、しばらくぶりなので勧められた。午後のせいか、患者は少なくスムーズに終了。結果は、次の診察日だろう。
 講演をやってもらおうと思っている、大久保賢一さんの『「核兵器廃絶」と憲法9条』(日本評論社)が届く。多忙な弁護士の傍ら、すでに5〜6冊の著書。3月頃になるだろうが、福島での講演会を成功させたい。パレスチナ・イスラエル戦争問題で、この前、蓬莱で講演をした昌太先生に連絡を取る。何とか、蓬莱の山の上だけでなく、福島駅周辺で、講演をしてほしい。国境なき医師団の日本から支援に出かけている女性医師の悲痛な叫びが、何かしないとと背中を押す。労働団体等、相談してみよう。(12/14)<75496>


◇ 水曜日。次女が当直なので、ももちゃんは、我が家泊り(民宿J&B)。いつもの夕散歩ではつまらないだろうと、十六沼公園へ。池の周りをルンルン、歩いている。あまり人から話しかけられることもないので、生き生き。今の時期は、早く日が暗くなる。公園の駐車場も17時には閉鎖。9時には就寝ということになる。(12/13)


◇ 火曜日。午後、県立図書館に借りている本を返しに行く。廣津和郎著『松川裁判新版』(木鶏社)。この本は、廣津和郎が中央公論で連載し、多くの文化人に影響を与え、松川運動が、全国民的運動になっていく上での歴史的書籍。すでに部分的には、読んでいるが、単行書として出されているので、改めて読んでみたくなった。事実の積み重ねで、淡々と描かれているので、読みやすいが、こうした着実な事実の積み重ねの書が、大きな運動の原動力になるのであろう。なにせ700頁の大著なので、2週間で簡単に読めない。今日が、借り出しの期間なので、持参して、もう2週間を貸してもらうことにした。次の締め切りは12月26日。19日に、他の2冊を返却しなければならないが、これは、必要なところだけ読んで返すことにしよう。図書館から借りるのは有り難いが、返却日があるので、その緊張関係が読ませる。自分で買った本は、どうも積読になってしまう。そのうちに読もうというのは、結局、「そのうち」は来ないのかもしれないが。
 県九条の会で、大久保弁護士を呼んで、彼の新著を中心に、核兵器禁止条約に関する講演会・学習会をやる予定でいるが、可能ならば、原水協等の協力が得られればいいと思い、事務所に行く。事務局長は、出張中だったが、会長の自宅に電話して、基本的には、一緒にやる方向で話ができた。3月頃になろうが、その前に、福島での学習会を組織したいものだ。福島では、この条約の勉強会もやられていないので、いいチャンスだと思う。
 帰宅後、小さな買い物同行。そして、ももちゃんと夕散歩。1時間ほど、足取りも軽く歩いてくれた。(12/12)<75476>


◇ 月曜日。大震災の月命日。12年9か月が経過した。月日の流れは早い。
 ここ数日、女川・桑折と動いていたので、少し、調子を戻さないと。午後、福島県九条の会の事務局会議に参加。大学時代の同世代の日本反核法律協会の理事長をやっている弁護士の大久保賢一さんが、日本評論社から『「核兵器廃絶」と憲法9条』を出版した。情勢に沿った本である。福島で講演会を開催できないかと思い、所沢の法律事務所に電話をする。新刊本の宣伝もあり、企画に喜んで協力してくれるという。謝礼を出す財源力もないので、旅費込みのお願いをしたが、謝礼は気にしないでということなので、2月以降であれば、ということでまずはOKをとった。実際は、3月になろうが、何とか成功させたい。
 事務局会議では、他の集会の提案もあり、5月か、7月頃に、郡山で実施しようということになった。会場も、郡山の会場で。郡山の方々の協力がポイントだが、これは自信がない。1200名程度の大集会を予定しており、あまり展望がないが、これを契機に、郡山での運動の基礎をつくる機会にしていかなければならない。今までの経緯の中では、難しいかもしれないが、ここで飛躍が必要かも。これは、担当の方に任せて、私は、核兵器廃絶の方に力を入れて、原水協や平和委員会の方々と相談してみよう。何とか、成功させたい。
 会議後帰宅。4時半頃からももちゃんの夕散歩。変則的だったが、日の暮れる時間が早くなり、懐中電灯をつけて小1時間の散歩。(12/11)<75463>


◇ 日曜日。忙しかった日が続いたが、今日は、ホッとして新聞切り抜きや、フォーラムの準備で過ごす。買い物に付き合い、本屋に定期刊行物の受け取りへ。
 夕食前に、次女がお客さんの手土産の生エビを持ってきてくれた。豪華な夕食となった。泊まっていった方がいいとは思ったが、明日から新しい週。やはり、自宅からいつものように出発した方がいい。眠そうなももちゃんを帰すのは可哀そうだが、きちんとした生活に戻さないと。来てくれたお客さんは、ももちゃんが好きな家族。興奮が止まらない。そして疲れて、眠っている。あしたまた、元気に逢おう。(12/10)<75446>


◇ 土曜日。桑折町うぶかの郷で、眼を覚ます。多くの方々は、今日の午前中も研修を続けているが、私は、朝風呂に入り、早めの朝食をいただき、8時には、うぶかの郷から降りて、自宅に向かう。午前中に、妻の会合への送迎。明日、次女のところに客人が来るというので、ももちゃんを預かって、自宅を清掃へ。
 午後、グリーンパレスでの福島大学のシンポジウムに参加。福島大学地域未来デザインセンター・復興創生シンポジウム「ふくしま復興の課題と未来への展望」。とうほう地域総合研究所理事長の矢吹光一氏の基調講演、パネルデスカッション(ファシリテーター・藤室怜治氏、パネリスト:猿渡智衛氏、渡邉善明氏、塩野美里氏、畠山侑也氏)。現場での苦労が、実を結ぶことを願っている。 100名ほどの参加者だろうか。地道な取り組みに敬意を表したい。(12/9)


◇ 金曜日。女川のホテル・エルファロで起床し、福島に戻る。女川の商店街にある「沢田文具店」。社長は、私の同級生。しばらくぶりに話すことができた。息子さんとその嫁さんは、福島大学の卒業生、女川の家業を継いでいる。不思議な縁である。また、愛犬ももちゃんの実家、阿部寛さん宅に寄る。秋田犬の話。新しい犬舎を見せてもらった。自宅近くに、7頭分の立派な犬舎。ももちゃんのお母さん、ももちゃんの妹とも会えた。何処か、似ているね。やっぱり。自宅近くではないが、大沢にも犬舎があり、さらに8頭を飼っている。戸外で、運動させるのも大変なので、人間のトレーニングジムも3台だったかある。よく,ジムで歩くトレーニング機械があるが、それで運動をさせているようだ。すごい。
 女川から福島へのドライブも順調。昼には帰宅し、短時間の買い物に付き合って、2時45分、塩釜の佐藤さんを迎えに福島駅へ。長女の義父である。丁度、桑折町のうぶかの郷での、尺八奏者の橘さんの公演と、後援会の総会。泊りがけの懇親会である。普段、お付き合いのない方々と、いろいろお話もできた。(12/8)

   


◇ 木曜日。早朝、ショートメールで、遠藤光悦氏の死去のメッセージがきた。奥様が、皆さんにご連絡しようと思ったが、連絡先が分からないので、ご主人の携帯から連絡をくれたよう。その後、お二人に娘さんが、光悦氏のFacebookに、自らの父の死と、葬儀などの日程を知らせてくれた。木曜日の夜にお通夜。金曜日に葬儀。すべて女川での式。大学で、円卓会議の準備の会議があったが、午後から自家用車で女川へ。2時間ほどの行程はスムーズに行った。
 奥様や二人に娘さんたち、ご親戚にお悔やみを述べ、納棺された遠藤光悦さんとの最後の対面。どうしてこんなことになるの?遠藤氏は、私より10歳も若いが、女川一中、石巻高校から、北海道大学農学部に進み、就職は、福島県庁だった。書かれた論文などは、酪農の研究で、県立図書館の奥様と結婚。奥様も、絵本の原画などを収集し、女川でもその展示を計画していた。大震災で、遠藤さんのご両親を亡くされ、何とか、実家を再興したいと、女川に、奥さんの実家の会津の古民家を移築して、原画展もできるようにした。軽い肺がんとは言っていたが、結局、肺炎が悪化して亡くなったようだ。夫婦が夢見ていた女川での活動を考えると、残念でしょうがない。いろいろ、お世話になり、感謝しているが、今は、安らかに眠って欲しい。ご冥福をお祈りします。(12/7)


◇ 水曜日。今日は、妻の運転手だったな。午前中は、かかりつけのクリニックに、送迎。ももちゃんを乗せて、クリニックまで行き、自宅に戻って、お呼びを待つ。ももちゃんは、不平も言わず(?)、わが仕事と思っているのか、後部座席に座している。
 昼食後、近くの喫茶店での妻たちの会合に、送っていく。自宅で待っていたが、ももちゃんがそわそわしているので、あるいは、トイレをしたいのかと思い、外に出す。しばらく歩いていたら、妻から、お呼びの電話。散歩スタイルで迎えに行く。
 寒いが、気持ちのいい爽やかな気候なので、早めに散歩に出かける。いっそのこと、と考え、十六沼公園へ。人がおらず、空気も綺麗なので、散歩は調子がいい。何匹かの大小の犬たちに逢い、緊張関係もあったが、ほとんど吠えない。
 昨日のフォーラム参加者からの感想文をブログに載せて、224回は終わり。辻内先生の報告は、大きな感動を呼んだみたい。今年の最終回、225回(12月26日)フォーラムの準備をする。今年の初めは、第210回(1月18日)だった。石巻の原伸雄さん(法学部・同期生)。今年は16回のフォーラムをやったことになる。全部、オンラインだったが、1回1回が貴重な会合だったと、自己満足している。また、来年も頑張りましょう。(12/6)<75392>


◇ 火曜日。昼前に、リサイクル搬出、県立図書館で、今夕のフォーラムの報告者辻内先生の著書を2冊借りてくる。妻に頼まれて、生活健康を守る会の冬バザーの出品を届けに行く。その帰り、駅前付近での街頭宣伝に30分ほど参加。ビラまきだが、イスラエルの爆撃に抗議するビラ。死亡者の4割が子供だという、人道に反する行為だ。世界のほとんどの眼が、それに反対しているのに、なかなか停戦できないのは、じれったい。どこに生まれようと、子どもの命を大切にしてほしい。人間が人間でなくなっている。
 昼食後、「日本沈没」の映画を観て、ももちゃんとの夕散歩。スタスタと歩いてくれて助かる。
 5時過ぎに、第224回のふくしま復興支援フォーラムの準備。早稲田の辻内先生の報告。「国内強制移動による避難者の精神的苦痛〜構造的暴力によるPTSD仮説」がテーマ。やはり、学識のある研究者。いい報告だった。夜は、送られてくる感想文・意見のまとめ。次回第225回は、12月26日。二本松から浪江に帰還しつつある避難者の活動記録。楽しみだが、うまく、オンラインで行くかどうかが心配。何とかなるでしょう。(12/5)<75378>


◇ 月曜日。夕方、ある自治体の関連死の審査委員会。4年ぶりくらい。1時間ほどの議論で終了。座長を務めたが、マスクと低い声のため、よく聞き取れず困った。事務局の方は、明朗な、大きな声で話してくれたが、肝心の委員の方は音量が不足。何とか、かすかに理解したが、十分といえない。最初から、お願いすればよかったが、どんどん進んでいくと、途中ストップができない。委員は全員マスクの中からの発声。事務局はマスクなしで説明をしてくれた。しばらく会議はないだろうが、やはり、会議開始前に、耳が遠いことを伝えておくべきだった。聞きだしてから、聞こえないことに気が付く。全く聞こえないのではなく、聞きずらいの類。
 会議に行く前に、ももちゃんと夕散歩。かつて、柴犬を飼っていて、今は居ないというおばさんと対話。皆さん、飼い犬の話をするのは嬉しそう。
 100分で名著は、中江兆民の『山酔人経論問答』。読んでこなかったので、アマゾンに発注。明日は、第224回のふくしま復興支援フォーラム。早稲田の辻内先生に報告してもらう。送っていただいたパワーポイント(PDF)を読みながら、予習。あす、参加希望者81名にURLとともに送る。辻内先生の最近の著書を、県立図書館の蔵書で確認。明日、借りて来ようか、18時からのフォーラムには間に合わないが、聞き流すにはもったいない。きちんと返さないと駄目だが。(12/4)<75363>


◇ 日曜日。午前中は、妻の買い物に同行。今日は、次女が休みなので、午前中は、我が家に来なかったので、ももちゃんは同行しない。十六沼公園に遊びに行っていたようだ。
 夕方、月1回のシャンプーに、ももちゃんは行くので、スムーズに店に入ってくれかどうかが、心配。早めに我が家に来て、私の車で、送り、次女が2時間後に迎えに行く予定。
 震災復興フォーラムの第225回報告の橋本さんと連絡を取る。浪江から二本松に避難していて、避難先で喫茶店を開店し、1年ほど前に浪江に帰ってきて、再開している。派遣先・二本松での事業と帰ってきた浪江での事業。大変な努力であるが、まずはテーマ等の確定である。いろいろ避難の実情を伝わるように協力したい。
 ももちゃんのシャンプーは2時間、全く、お店に任せきりなので、心配だが、何とか、綺麗にして帰ってきた。毛がふわふわ、いい香りである。次女を含む夕食は、懐かしいキリタンポ鍋。秋田に住んだことがあるので、懐かしい鍋。鍋が出てきて、冬になった感がする。(12/3)<75346>


◇ 土曜日。今日は、石巻からももちゃんが好きな家族が来るというので、楽しみにしていたらしいが、次女の体調がよくなく、キャンセルしてもらった。コロナのワクチンの接種の影響なのか、風邪やインフルエンザなのか分からないが、熱が出たようだ。自宅でももちゃんの世話をするのは、大変だろうと思って、ももちゃんを預かりに行くかと伝えたが、結局、二人(?)とも、我が家に来て、休んでいた。夕方には、何とか元気になって、帰宅した。仕事の疲れだろうか。
 昼前からコラッセのレストラン(きいちご)で、「福島大学教職員組合退職者の会」の忘年会。恒例の事業だが、コロナでしばらく休んでいた。何人かの近況報告、高瀬さんのギター演奏をバックに、懐かしい歌の合唱、そしてビンゴゲームで楽しむ。年に1度の会合、お互いの生存確認・元気確認。また、来年も元気に会いましょうということになる。
 孫宅に滞在していたポーランドの高校生、無事、祖母と母親が待つ空港に無事着いたらしい。元気な写真を娘のところに送ってきた。雪が積もっている背景ととともに。気温はマイナス4℃らしい。
 高2の孫娘は、火曜日に、長崎への修学旅行へ発つ。仙台空港に午前7時に集合して、8時5分発のANAで福岡空港へ。長崎での見学、帰りに吉野ケ里遺跡・大宰府も回って、金曜日の18時30分に仙台空港へ帰着。天候は悪くなさそうだが、貪欲に見て、無事帰ってきてほしい。待つ方は、心配なのだが。(12/2)<75332>


◇ 金曜日。今日から12月。朝、ももちゃんの朝の散歩で、遠くまで行ってしまったらしく、迎えに行く。しかし、私も少々寝坊。気が付いたのが遅れて、自力で自宅まで戻ったようだ。結局、私の迎えは、空振りに終わったが、自力で帰ってこれたのだから、良しとできるかな。
 早朝の車に乗ったとき、長女からのテレビ電話。ホームスティで1か月ほど、滞在していたポーランドの高校生が、帰国する日。仙台まで送っていく車の中からの電話。何か別れが辛いのか、涙。成田からワルシャワまで14時間と言っていたが、自宅に近づけば、一刻も早くご両親に会いたいだろう。本当に性格のよい、高校生で、日本語も達者。太宰治なども読んでいるみたい。孫宅も、いつも家族ばかりの生活。いい刺激になっただろう。多分2か月だったか、高校生がホームスティをやっている。本当に大人だなと思う。自立しているというのか、末永く孫たちとの友情・交流が続けばいいなと期待する。
 妻の歯科の送迎、その帰り足での買い物めぐり。午後になってしまった。3時過ぎの早めのももちゃんの夕散歩。1時間ほど歩いたが、途中で行ったウンチ(柔らかい)の始末が上手にできなかった。雨で流して欲しいが、アスファルトはなかなか綺麗にならない。申し訳ない。
 今年ももう1月。新年を迎える心構えができていない。残された日数、一日一日、メリハリのある生活をして、有意義に過ごそう。(12/1)<75318>



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