日  記 (備忘録)

(2024年10月)


◇ 木曜日。10月も今日で最終日。明日からは11月。冬の到来か、今年の暦もあと2か月。
 新しく開始した「オンライン憲法塾」。地元関係者を中心に設定したせいか、参加者が少ない。ほぼ20名前後か。これだと、多くの人の憲法学習の場になりがたい。そこで、ふくしま復興支援フォーラムのリストの中から、地元関係者を選び、案内の対象を広げようと作業をした。200名前後が、500名近くなった。これで、30名前後のコンスタントな参加者が確保できればいいと思う。しばらく経って、2名が増え、16名となった。最終的には、資料とURLを案内者すべてに送ろうと思う。第4回が11月6日、第5回が12月12日。勢いをつけて、新年の準備をしようかと思う。案内対象者を広げる事務的手数も、結構大変。後は、定着や、期待をしてもらえる内容の蓄積だ。
 妻の買い物ツアー、ももちゃんと同行。帰宅後、先の作業を完了して、少し暗くなったが、ももちゃんの夕散歩へ。次女の帰りは遅いというので、遅めの散歩だが、途中でレスキューを期待したが、何と、スマホを自宅のテーブル上に置き忘れた。失敗。愛犬に謝りながら、何とか、宥め宥めして、帰ってきた。認知症の兆候か。
 3つの宿題のうち、1つは終わり、重たい2つが残った。11月末には間に合わないと。とにかく手を付けないと・・・。(10/31)<79989>


◇ 水曜日。午前中は定期診察。8週間ぶりの診察。この間、心臓エコーもやっているので、その結果も気になる。エコーや、レントゲン、心電図は問題なさそう。糖尿病の方は、使っている薬が腎臓に影響しているのか、薬を変えることになった。腎臓は、あまり良くない。少し、意識的な取組が必要だろうか。
 今朝の朝刊(民友、朝日県内版)に、女川原発再稼働に対して取材を受けた記事が掲載されている。民友は、共同通信からの配信なので、全国の地方紙でも取り上げられるようだ。Facebookで、神奈川にいるHさんが、西日本新聞の記事で、みたとのこと。九州にでも転勤になったのかと聞いたら、西日本新聞は、ネットでの記事らしい。3年前に定年退職とのこと。記事は神奈川新聞でも見たようだ。京都の義弟が、京都の新聞でもと連絡してきたようだ。同じソースの記事だが、福島の悲惨な結果をみると、郷里女川で同じことにならぬよう、最大限の安全配慮を祈るしかない。
 病院から帰り、学習協の「学習の友」の輪読会に参加。帰宅後、ももちゃんと夕散歩。コープの駐車場あたりで、帰宅途中の次女に、拾ってもらおうと思ったが、予定外の仕事が入り、暗い道を二人でとトコトコと帰ってきた。老人と愛犬のゆっくりした散歩のシルエット。仕事で時間がかかるから、迎えに来れないので、歩こうと話しかけたら、なんか理解したのか、ゆっくりだが、止らず歩いて帰ってきた。お利口さんだね、ももちゃんは。
 頼まれていた、「革新懇ニュース」の原稿、何とか書いてメールで送った。正直、他人に見せられるよな代物ではないが、約束していたのだから仕方がない。思いだけをぶつける、エッセーのようだ。きっと、少し様になるように手を入れてくれるだろう。(10/30)<79975>


◇ 火曜日。女川原発2号機の再稼働が開始された。2011年3月11日の東日本大震災の被災地では13年ぶり。過酷事故を起こした東電福島第1原発と同じ沸騰水型軽水炉(BWR)としても、全国初の再稼働となる。2号機は82万5千キロワット。東北電力は、今日29日午後、核分裂反応を抑える制御棒を引き抜く作業を始め、原子炉を起動した。3時間程度で核分裂反応が安定して続く「臨界」に到達する見込み。11月7日にも発電を再開し、12月頃に営業運転を開始する計画とのこと。
 事前に、共同通信の取材を受けているので、各地の地方紙に紹介されるかも。また、昨日今日は、朝日新聞の記者の電話取材。私は、原子力工学の研究者でもないが、福島の原発事故の悲惨さに心を痛めてきた。現時点でも2万5000人以上の避難者が郷里に帰れないでいる。津波以上に、転々とした避難の中で、関連死でなくなった方も多い。(4つの市町村の認定審査会も行ってきた。)農業・漁業はじめ、製造業など、生業の復興はまだまだ。学校も、医療機関も住民の状態に即応していない。13年も経っても、こんな状態、見通しすらつかない。廃炉も、難しい状況。もし、こんな状況が、私の故郷を襲ったら・・・。考えただけでも恐ろしい。「原発は安全」だという宣伝に、明確に反論できなかったが、事故の発生という事実は、その現実性を懸念する。私の故郷を汚さないで。外に出ているものには、その権利はないかもしれないが、何とか慎重に、再稼働を急がないで、他のエネルギーでの努力をと痛感する。今年、福島県内で使用する電力量は、原発以外の再生エネルギーで、賄えるまでに可能となった。
 頼まれた憲法の原稿は、あまりよく書けないが。一応書いて送る。4時過ぎ、ももちゃんとの夕散歩は、十六沼へ。ももちゃんのお友達と逢えた。(10/29)<79963>


◇ 月曜日。昨日の総選挙の開票結果に基づくニュースで盛沢山。裏金問題で大揺れに揺れ、自民党・公明党の政権に大きな打撃。自民のみ、または自公連立でも過半数は得られない。「政権交代」の言葉が飛ぶが、勝ったとされえる野党に政権構想がない。首班指名から、組閣まで、もめそうだ。自公の負けは明々白々だが、どう変革していこうとしているのか、見通しが見えない。
 午前中、妻の歯科診療の送迎。明日は、女川原発の再稼働の起動。共同通信の取材が、どう使われるのか、また今日は朝日の記者Oさんからの電話。明日、改めての電話取材。女川で再稼働反対などは、「国賊」扱いみたいな者、とはT氏のフェースブックのメッセージ。
 ももちゃんとの夕散歩。信陵支所で休憩。次女の帰りの車(新車、シエンタ)に拾ってもらった。(10/28)<79953>


◇ 日曜日。総選挙の投票日。既に、我々は期日前投票に行っているので、特に予定なし。
 朝から、次女が来て、我が家の前の道路の雑草取りとどぶ掃除をやってくれた。以前、少し、妻の手伝いをやったが、次女の頑張りで、だいぶ綺麗になった。道路は、私有地でなく、公有地なのだが、目の前のものなので、やはり周辺住民としては清掃の責任がある。予想以上に、すっきりしたので感激。
 書店に定期刊行物・ラジオ・テレビのテキストを受け取りに行く。併せて、旅のコーナーで、ニュージーランドの旅行案内を買ってきた。近々、高校生の孫娘が、ニュージーランドに行き、ホームスティ。孫が行こうとしているところは、どんなところか、心配と興味で読み始める。自分が行くことはないだろうが、この前、整理していたら、私のパスポート、更新してから1度も利用していない。有効期限が、2029年だったかな。まだ5年もある。その後の更新はあり得ないだろうか。大手術をして5年が経ったし、あるいは夢に出てくるかも。というよりも、孫娘の土産話を理解できるように、勉強したい。
 夜は、総選挙の開票速報。投票箱が締まる8時が過ぎると、すぐに、当選確実が出る。出口調査等によって確実を出すが、公表票数が0なのに当選確実が出るというのは、面白くない。中選挙区制の時には、3〜5人の当選なので、最後の議席が確定するまで、ハラハラ。開票する前から、当選確実を(知っていても)発表するやり方は、政治不信、主権者意識の後退をもたらさないか。1〜2時間が待てない、せっかちさが、政治から国民を遠ざけていないか。一番上の孫娘が、18歳で、初投票。記念写真をLineで送ってきたが、是非、主権者として、責任ある行動をとって欲しい。
 選挙結果は、自民党単独過半数不到達、与党(自公)の過半数割れが確実の状況が出ている。しかし、多数となる野党で、どのような政権になるのか、野党共闘もできていなかったので、国民の期待に添えるのか。自公政権には、裏金問題でノーを突き付けたのだが。
 自分には、一人で政治の革新を行う力はないが、懸念している平和主義の破壊に対抗して、その力を国民の多数にしていく目標をもって、地道に進まないとと思っている。やり始めた九条の会の活動、オンラインの憲法塾を継続し、広い県内の各九条の会の共同の取り組みを強化したい、またノーベル平和賞を授与された地元の日本被団協等との協働、さらに核兵器禁止条約に日本政府を加入させ、批准する運動を起こしたいと夢を描いている。単純な選挙の勝敗に一喜一憂することなく、国民(有権者)の過半数を組織して、前進したい。(10/27)<79936>


◇ 土曜日。総選挙・前日で、何かと慌ただしい。次女が、車を変え、トヨタのシエンタ(SIENTA)に乗って帰ってきた。今までのハリヤーより小型だが、コンパクトで乗りやすそう。乗車が、スライド式なので、乗りやすいかも。
 私自身は、今のプリウスを乗りつぶすしかないだろう。特に不満はない。
 朝から、アメリカ大リーグの決戦。ワールドシリーズ。ヤンキースがリードしていたが、延長10回裏、ドジャースのフリーマンが満塁本塁打で、6対3の逆転サヨナラ勝利。大谷効果だろうが、はじめてワールドシリーズをライブで観た。夜は、日本シリーズ。ソフトバンクがDeNAを5対3で破る。
 近くのスーパーの駐車場で、総選挙・最後の演説を聴く。比例区は、政党名の投票なので、候補者は来ない。領域が東北一円なので、広すぎる。
 夜は、男はつらいよの映画、テレビで鑑賞。頼んでいた憲法塾の講師に、S先生が内諾してくれた。12月12日。有難い。2週間に1回のペースでのオンラインの企画。企画のみでなく、動員もあって、なかなか大変。まあ、やっている意義を感じているので、苦痛ではないが、他の人を動かす(手伝ってもらう)のは、どうしても時間がかかるので苦手。まあ、仕方がない。(10/26)<79930>


◇ 金曜日。次女が休みなので、ももちゃんも来宅せず。
 午前、近くの支所で行っている妻たちの会合への送迎。天気も良く、清々しい秋の日。
 次回(239回)フォーラムの案内を送信(4分の3ほど)、すでに20人近くの参加希望が来ている。なかなか、辞めるきっかけが見つからない。課題としては、いまだ終了の段階ではないが。
 N君の情報では、3歳くらい下のKJMさんが、脳血栓?で、4月に入院し、リハビリで転院し、今は、我が家の近くの高齢施設に入所しているという。車椅子の生活だが、会話は、ほとんど支障なさそう。2日前ほど、その施設に会議参加の妻を送って行ったが、夢にもそんなことは考えていなかった。そのうちに、見舞いに行くべきかもしれないが、年下の旧同僚を見舞うのは、気持ちが追い付かない。
 宿題の原稿締切、総計3件となったが、手についておらず。そろそろ頑張らないと。(10/25)<79917>


◇ 木曜日。次回のフォーラム報告者が確定できず、前例のない、次回フォーラムをお知らせできなかった。フォーラム解消の始まりかなと暗い気持ちだったが、中に入ってくれた方から連絡が来て、直接、ご本人に報告依頼の電話。快諾していただき、11月27日、第239回となる。その過程で、第240回も、12月26日で決定。少しイライラしないで済みそう。年内は。憲法塾の5回目も並行して依頼メール。
 昨日のフォーラムの感想文のまとめ、積極的な報告ではあるが、慎重論もあるかなと思っていたら、節度を保ちながら、批判的な意見も出てきた。この方が健全だ。何とか、12名の感想文。ブログに掲載して、FB、Xで紹介。
 私がやっているのではないが、弁護士たちの憲法カフェ。何とか、成功させたいと思い、併せて宣伝を。
 午前中は、妻の大原病院通院の送迎。痛みがあるので、手術をしようかなと本人が言っている。薬での治療は、なかなか改善せず、イライラしてきたのかな。焦らないで、考えた方がいいが。娘たちとも相談してみよう。(10/24)<79906>


◇ 水曜日。今日の第238回ふくしま復興支援フォーラムの事前送付資料のファイルが来ていないので、昨日から心配していたが、朝、直接、職場に電話。ちゃんと準備をしてくれていた。参加希望者への配布も、午前中に済ませた。結局、51名の参加だったが、詳しい報告に対して、もっと事実確認をしたいとの要望も強そうだった。
 妻の福祉会関連の理事会への送迎は、開始前に、送ることができたが、終了時点ではフォーラム途中なので、次女に迎えに行ってもらった。ももちゃんの夕散歩は私が組み込めなかった。
 フォーラムは、司会のNさんが、積極的な進行をしてくれ、また報告者もかなり意欲的な報告だったので、時間がオーバーしてしまった。感想文には、放射線の影響を心配する声もある。それにしても、次回の計画を出さないで終わってしまった。津島地区の除染と復興計画に関わる研究会報告を聴いたので、それを我々のフォーラムでもと思い、連絡方法が知らないので、誘ってくれた住民の方に、連絡方法を聴いたが、ご本人の確認を得てからとの話。直接連絡する方法(電話・メール)を探したが、見つけられない。もう少し待ってみて、不可能なら諦めるしかない。断られるのなら仕方がないが、無視されるのは困ったな。次の手を考えた方がいいのだろうか。中に入ってくれた人も困っているのかもしれないが。そろそろ幕引きをと考えていたが、これをきっかけに辞めるのは少し残念。
 昨日告別式であったM君からメール。大学教養時代に知り合った。今までの空白を埋めるように、あれからという60年の人生を返信で書いたが、反省ばかりが内容を占める。本当に、後悔の青春時代かな。それも青春かも。なまけた時代の分を長生きで埋めたいが、やはり同じ活動が可能な年ではない。(10/23)<79896>


◇ 火曜日。いわきの斎場で行われるいわきの矢吹さんの告別式。7時半過ぎに自宅を出発。好天なので運転は苦にならない。開始時間の10時15分前に到着。九条の会の実行委員会の件で、予定の変更をせざるを得ないので、事務局長を通じて、通知を依頼。
 参列者の席は満杯で、会場外の椅子で参列。故人の奥さんの兄(学生時代の友人)は、参列していると思い会うことを期待したが、会場にはいない。動けない奥さんとともに参列はしないで、自宅待機。折角だからと、帰りに故人宅に立ち寄り、しばらく、友人夫婦及び故人の奥さま(偶然、私も学生時代知っていたが)と懐かしい話。何年ぶりだろうか、55年以上だね。昔と変わらない誠実な様子。
 帰りも好天。途中のSAで喜多方ラーメン(今日は味噌味)を食べて、帰ってきたが、さすがの睡魔に大変。結局、自宅に到着は午後3時過ぎ。ももちゃんの散歩に付き合い、明日のフォーラムの準備を再開したが、今日までにと頼んでいた資料送付が来ていない。電話したが時間外。メールを何度か送るが届いているか不確信。あるいは、私のメールアドレスが不調か。いろいろ工夫したが、うまく行かず。友人のsさんとも相談して、明日、再トライ。夕方の開始なので、中止以外は何とか対応できる。まさか、病気ということはないだろう。携帯電話番号を聴いていなかったので、失敗。(無理して聴いていない)。 心配だが、幸運を期待して、就寝。(10/22)<79886>


◇ 月曜日。選挙戦も激しくなってきた。23日のフォーラム参加予定者も、選挙のため、出席のキャンセルがきた。
 いつもと異なり、次回開催時に、次々回の開催予定をお知らせすることになっているが、その準備ができていない。別の研究会に参加した時の報告者にお願いしようと思ったが、連絡方法が分からないので、研究会を案内してくれた方に連絡。丁寧に、その方に、直接連絡できた段階で、了解を得て、教えてくれることになった。有難い。1か月後だが、果たしてどうなるか。zoomでの二つの会合を企画しているせいか、少し出遅れ。段々、テーマ設定も難しくなってきた。
 ももちゃんとの夕散歩をほどほどにこなして、明日の告別式の準備。いわき市なので、気を付けながら行こう。故人の配偶者の兄が大学時代の友人。あるいは在宅かと思い、年賀状から電話。不在。前夜の通夜もあるので、きっと、すでに出発後だろう。多分、明日は会えるが、心が重い。(10/21)<79864>


◇ 日曜日。買い物に同行しながら、期日前投票へ。できるときには、やっておこうといつもの投票所へ。ウォッシャートイレが、故障しているので、部品販売店へ。どうも対応した職員が、余りわからず、すぐには決めないで、他にあたってみることにした。
 月1回のももちゃんのシャンプー行きに手伝って、駅前の演説会を聴きに行く。友人夫婦も来ているらしいので、スマホで連絡を取っていたが、その前後に、奥様が転んだらしく、歯と指を痛めた。どこか対応してくれる医院があるといいのだが、日曜日の夕方。私の車で送っていくことにしたが、駐車場から出すのに時間がかかってしまったが、何とか自宅まで届けた。少し、精神的ショックだったのか、震えが来てしまった。次女に電話して、相談したが、何とか落ち着いたらしく、明日、クリニックに行くらしい。昼、水泳もやっていたので、無理して歩きすぎたのかな。無理をしないで、生活をしてほしい。
 あたふたしているうちに、今月の復興支援フォーラムが近づいた(23日)。57名ほどの申し込みはあるが、次回の企画の具体化を忘れていた(そのうちにということで)。明日から、急ピッチでお願いしようと思う。ほぼ4週間後のこと事なので、それほど失礼でもないだろうが(でも謝礼なしなので、礼を失しないようにしないと)。(10/20)<79852>


◇ 土曜日。午前中は少し疲れたので横になっていたが、昼前、会津若松の九条の会等が開催する「戦雲(いくさふむ)}の上映会に参加。カーナビでは1時間派の予定だが、途中のSA(磐梯山)で昼食。単純な喜多方ラーメンだが、お客さんの数が多く、到着したのは、開始時刻の15分前。美しい沖縄の島々にミサイルを配備し、いざというときは、沖縄諸島から九州の方に避難するという。攻撃を受けたときのシュエルターの建設。もうすでに、戦時状態を前提にしての配備の動き。遠くでは「まさか」という気持ちが先に立つが、着々と進む動きに、不気味さを感ずる。遠い地として無関心でいていいのだろうか。原発事故と異なり、人為的な動き、対自然ではない。日本国民の一人として、無関心であっていいのだろうか。沖縄が復帰し、本土の人間と沖縄の人間との間の連帯が強まっただろうか。一地方の問題ではなく、日本に課されている問題として重視すべきだ。諦めてはいけない。
 帰りは、雨にあって、走りづらい。広い福島県だが、せめて同じ目標を抱える友誼団体。意識的に連携を強めていきたい。(10/19)<79839>


◇ 金曜日、昨夜は疲れていtので、早めの就寝。昨日は、妻の会合(9条+24条の会)に送迎。夜は、自主夜間中学校の会の大谷さんから誘われていた、映画(「新渡戸稲造の夢」)の試写会を観る。北海道での取り組みが、いまだに続いている。単に中学卒業資格の問題というよりも、何歳までも学びたい要求を実現している。福島は、公立の夜間中学が発足したので、自主夜間中学は、もっと自由に展開するべきだと思うのだが。
 今日、金曜日。朝刊を見ると矢吹道徳君の訃報が報じられている。76歳の若さだが、知らかかったが病気でいわき市内の病院での逝去。奥さんの介護が大変なので、喪主は長女の方。4月29日のいわき勿来での憲法集会であった。箱一杯のお土産で、干しカレイやメヒカりをお土産にくれた。浜通りの医療生協の理事長も務めてきたが、いわきにおける中心的人物。何か、そこに行っても、会えないと思うと悲しい。
 告別式は、22日にいわき市で行うという。可能ならば、お線香だけでもあげたい。(10/18)<79828>


◇ 水曜日。夜のお出かけの用事があるが、その前に、すべきことを片付ける。
 次女とももちゃんは、昨夜、我が家に泊まったので、明日の散歩は笹谷で。4時頃に出かけたらしく、5時半頃に連絡あり。車で迎えに行く。(カワチ付近)。朝早く、飯坂に帰り準備をして職場へ。私は、シャワーを浴びて、支所で印鑑登録証を取り、散髪へ。サービスカット1320円。しばらくぶりにすっきりした。
 夕方に、駅近くの「ウエディング エルティ」へ。5時半から、「地域医療支援病院運営委員会」に出席。いつもの小さい委員会。6人の参加。2024年度運営実績報告。紹介・逆紹介について、紹介患者の予約時間短縮への取り組み、救急搬送実績、開放型病床の利用状況、開放型病院共同診察・医療機器利用、在宅療養後方支援病院の運営状況。研修実績等について報告があり、議論。私には、勘所が分からない。それぞれのもつ数字の意味が、もう少し分かるように勉強しないと駄目だと感ずる。
 終了後、同じ会館の別の場に用意されている「第18回『地域連携の集い』」。最初に、福島医大リハビリテーション医学講座の林哲生教授の講演「地域連携とリハビリテーションの魅力」。医工連携でロボット利用。孫が、大学進学で考えてたことかなと思いつつ拝聴。19時過ぎから、懇親会。150人ほどの大宴会。コロナもあったが、こういう機会はしばらくぶり。県医師会の会長の石塚さんは、田村市の関連死の判定委員会で同席していたので、挨拶。自分の役割はなんだろうかと考えつつ、過ごした。9時に帰宅。(10/16)<79807>


◇ 火曜日。次女が職場の懇親会の責任者なので、ももちゃんは、遅くまで待ちくたびれる。帰って来ると爆発。
 私の風邪は、次女に、薬をもらって、快方に向かえばいいのだが。気分的には、快方に向かっている。妻のコロナのワクチン予定日(送迎)。今は、かかりつけで行う。従来のように無料ではないが、それでも、かなりの自治体負担。若い人に申し訳ないが、感染しないように努力しないと。
 ももちゃんと夕散歩。出くわす犬に、大声で吠える。ちょっと様子の変な人にも吠える。日本対オーストラリアのサッカー戦。1対1の引き分け。(10/15)<79790>


◇ 月曜日。三連休が終わった。結局、風邪ひいたのか、のどが痛くてボ〜トしていた。土曜日は、妻が購入してきた認知症の映画を観る。ももちゃんがいることを前提に、別々に午前と午後に出かける。若年性アルツハイマーの方の映画で、そのモデルの人の講演は聴かなかった。若い方々の認知症は、高齢者と異なり、雰囲気は違う。夕方、次女が仙台の研修会のお世話で一泊予定で出張。夜、お腹を壊したのか、腹痛。食中毒を疑ったが、他の人に異状はないらしい。痛み止めで、まずは抑えたと。仕事は翌日一日かかる。
 日曜日、午後、保原九条の会主催の安斎郁郎講演会に参加。車で30分以内なので近い感じ。帰宅後、買い物同行、福島駅に次女を迎えに行く。18時40分。ももちゃんを連れて、自宅に帰った。
 月曜日(スポーツの日)は、午後から九条の会の事務局会議。大部風邪はよくなってきたが、油断しないで治そう。(10/14)<79775>

 


◇ 金曜日。今年のノーベル賞は、日本人は誰ももらえなかったのかなと少し残念な気持ちでいたら、なんと最後にビックニュース。ノーベル平和賞に、日本原水爆被害者団体協議会が選ばれた。びっくりしたが本当にうれしい。そもそも、今日の午後6時に、その発表があることを知っていた。憲法9条に「ノーベル平和賞を」実行委員会の呼びかけで、日本の九条を護る運動、9条の会を平和賞に推薦していた。まさか通るわけはないかと思いつつ、名前を連ねさせていただいた。去年からである。大学教授は推薦資格があるという。しかし、去年は落選、今年も期待しないで同じ物を申請。企画している方は、その発表が日本時間の18時にあるというので、ネットを開いてみた。ノルウェーのノーベル賞委員会。なんと、英語なので、正確には理解できないが、何度も「日本の原水爆被害者団体協議会」の名前を繰り返すので、このいわゆる被団協が受賞したことを理解した。9条の会ではないが、常に、共同で核兵器の廃絶に向けて闘っているところ。わがことのように、喜んでいる。国連の核兵器廃絶の条約成立のために、日本被爆者が大きなアピールしていたことは有名である。被爆者の平均年齢は85歳をすぎているというが、原爆投下以来、その苦労は計り知れない。
 諦めないで、この地上から核兵器をなくしたい。YouTubeで観ていたら、日本人らしい人がチャットで、こんな団体になんで賞をやるのか、今や核戦争の時代だ、日本も核武装すべきとの言。びっくりした。若者のようだが、そうした言に怒りが沸く。被爆者に対する同情すらない、戦場の一番前で闘ってもらおうか。日本語なので、日本人に対する唾を吐いたものだろう。皆が同じ気持ちにはなれないだろうが、もっと真面目に考えて欲しい。この受賞を契機に、条約締約国会議にオブザーバーすら送らず、もっぱらアメリカの核の傘に入っている日本の政府に対する運動を強めなければならないだろう。丁度、総選挙である。一人一人の政治家が、条約を締結し、批准する立場に立つのか、国民はよく見ておく必要がある。
 次女の帰宅が遅いというので、ももちゃんの夕方の散歩に出かける。段々涼しくなって、気持ちもよさそう。(10/11)<79741>


◇ 木曜日。昨日・水曜日は、次女の夜勤で、ももちゃんはJB民宿泊り。国会は、解散。岸田政権から石破政権へ。施政方針演説の審議も十分になされないうちに、解散・総選挙。15日総選挙・公示。27日の投開票へと続く。裏金問題で窮地の自民党、早めに改選して、何とか政権維持か。政権交代する力は、野党にない。野党共闘も、右寄りのすり寄りへと進む。懸念しているのは、9条はじめ、憲法の改悪。我々の出番だが、こちらの隊列も十分でない。
 早めに、十六沼まで行って、ももちゃんの散歩。空気が綺麗なせいか、喜んでいるようだ。夕方は、第3回のオンラインの憲法塾。教育権を中心に森田さんに報告していただいたが、最初に躓いてしまった。キーンという金属音が高いので、各メンバーのマイクを観たが、不明。報告者の森田さんが2人入っている。一つを消すべく、退室の措置をとったら、メインの物で、報告者が再入室しようとしたら、排除した。これは間違いだったなと思い、急遽。もう一度ミーティングを立ち上げ、再度、送信。結局15分くらい遅れてかな。それでも31人が戻ってくれた。初めての状況で、予想しなかった。私が強制的に切ったのが良くなかったか。
 今日(木曜日)は、メールで寄せられる感想文等の整理。数は少なく、これではまずいと思いつつ、何人かに感想文の提出をお願いし、娘たちにもお願いすることになった。面目ない。まあ、何とか、作業は終了したが、めげないで、頑張ることにしよう。(10/10)<79732>


◇ 火曜日。明日のオンライン憲法塾の集まりが悪いので、一日前に、URLを送信した。報告者の森田さんと、zoomの資料公開について、テストミーティング。いつも、参加するとの申込した人だけの送信だが、今回は、案内を差し上げた230名ほどに送信。今は、10数名だが、何とか20名を超して、30名に近づきたい。
 朝は、ももちゃんを迎えに飯坂温泉駅まで。一日中、雨模様だったが、4時半過ぎに夕散歩に出る。ももちゃんに任せて、北沢又小学校のコース。涼しいので気持ちよさそう。何匹かと遭遇したが、いつものように吠えなかった。少し、大人になってきたのかな。
 10月に入って、涼しいが、金曜日にまた温かくなりそう。(10/8)<79706>


◇ 月曜日。特に仕事はないが、午後から、オンラインでの第三十八回原子力市民委員会(CCNE)に参加。@「改めて問う福島原発事故の教訓」(後藤忍氏)、A「終わらない事故と新たに起き続ける被害」(武藤類子氏)、B「復興政策の現実--広域避難者の視点から--」(市村高志氏)、C「福島原発事故の教訓はいかされているのか」(後藤政志氏)、D「GX、エネルギー基本計画見直しと市民の動き」(吉田明子氏)の報告。会場、zoom参加の参会者を含めての総合討論。廃炉作業のあり方について、現実に進行している困難性からの転換、それに対する福島県民の意向。当初からあった問題だが、県民の意向に対立するため、思い切って出せなかったのだろう。そうした転換の時期かもしれない。地元の方々も積極的に議論に参加してることは嬉しい。
 ももちゃんの夕散歩は、出発直後雨が降ってきて、途中で引き返す。
 大部、涼しくなって、肌寒い感じ。九条の会の仕事、実務を担っている事務局長と連絡が取れず、スムーズに事が進まない。着信履歴を見て、返信して欲しいのだが。(10/7)<79692>


◇ 日曜日。あっという間に土日が過ぎた。
 前日のW氏の逝去に続き、労働組合運動の先頭に立っており、友人のO氏の訃報を新聞で知る。驚いて、知り合いにかけて様子をお聞きする。長い間、独居生活をしていたが、そのためか、病院に行くのが遅れたようだ。今夕のお通夜に参列。家族葬なので、お焼香だけと思っていたが、受付もいないので、お通夜の空席に参加。気が付いて、救急車で運んだが、特別悪いところはなく、結果的に、低体温による多臓器不全らしい。発見が早ければと、残念。75歳だが、元気だったので、惜しい方を亡くした。
 昨夜は、福島大学教育学部の卒業生で作る同窓会の岩手支部の方々の福島への旅に付き合った。飯坂温泉の温泉宿での夕食会のみ付き合った。食事後の部屋での交流、温かい雰囲気。半分は、私より年長。88歳等、みんな元気。学校の先生を退職した人が殆どだが、話し合いも学生時代の話。男子寮と女子寮の同じ号室の交流会など、初めて聞いた。支部の代表者夫婦は、そうした集いの成果らしい。そんな交流方法があるとは予想だにしなかった。岩手県支部の創設の時期が、丁度、私の学長時代。結成総会は50人以上で、挨拶に出かけた。その縁もあって、その後も、交流が個人的にあり、今回も、呼んでもらった。懐かしい。飯坂温泉は、ケンカ祭りの最中。それに合わせて来たわけではないが、偶然。福島の見学、そして白石の見学、きっと、安全に奥州市まで帰ったことだろう。奥州市は、大谷選手の出身地、みんなそれで話題沸騰の様子。(10/6)<79677>


◇ 金曜日。次女の夜勤のため、愛犬ももは、わが民宿に宿泊。N氏より電話。知り合いのW氏の逝去の件。びっくりした。
 午後、映画を観に行く。依存症のテーマ。「アディクトを待ちながら」。上映後、舞台挨拶(主演・高知東生、監督・ナカムラサヤか、プロデューサー・田中紀子)。映画自体は、あっという間に終わった感じだが、依存症患者の回復を、社会が温かく見つめ支援する意義を特に感じた。映画の最中に、学生時代の親友・八田君から自宅に電話があったあったという。併せてメールが来たが、彼が副理事長をやっている「非営利・協同総研いのちとくらし」の機関誌(「いのちとくらし研究所報」89号)に、寄稿の要請。特集が「震災・復興と地域支援」の一環で、東日本大震災などの福島の経験を学ぶ機会としたいという(仮テーマ「福島における震災・復興と地域支援」)。「時間の経過とともに変化する復興支援・地域支援について、総論的に」、特に、「過疎が課題となる地域で必要なことは何か」、「行政や民間諸団体は何をすることができるのか」、可能なら「非営利・協同セクター(協同組合やNPO、社会的企業など)が復興や地域支援で担うことができる役割など」が期待したいところのようです。私も、そのようなものを読みたいとは思うが、自ら書かなければならないということ。できるかな。回避はしてはならないだろう。11月末1万字程度。快諾の返事をしてから、締め切りに遅れている『東日本大震災・原子力全書』の追加項目の依頼が来た。途中で止まっているが、これは10月末締め切り。4000字程度。つけが回ってきたいような感じ。まじめに、友達のメンツをつぶさないように、頑張ることにしましょう。
 雨の中、ももちゃんにカッパを着せて夕散歩。日和たくなったが、妻の強い激励で頑張ってきました。夜は、大人しく、私の側で寝ていました。(10/4)<79659>


◇ 木曜日。雨がちから曇りへ。涼しい一日。最高気温が21度。明日には戻って、30度でしょうか。
 遅れているオンラインの憲法塾等の準備作業。いざ、メールアドレスを探すと、近間にはあまりありません。スマホは持っていても、なかなかオンラインの企画に乗ってきてくれません。田舎なのは分かるが、何とか、こじ開けて、オンラインに誘導しないと。
 午後、テレビBSで映画『放浪記』を観る。妻が見ていて、ついつい見てしまった。
夕方、ももちゃんの散歩。少し長すぎたか、結局、帰りに、また次女の車に拾ってもらった。ももちゃんは、サンマの食べすぎか、お腹を壊してしまった。魚が好きなももちゃんである。(10/3)<79641>


◇ 水曜日。仙台にある通信社の支局から2人の記者が取材に来た。福島駅前近くのスペースで取材を受ける。一人は、先月、お会いし、ほぼ話をしたが、今日は、カメラマンを連れて二人で来た。本体の取材は済んでいるが、一番の聴きたいところを再度質問。学生時代、原発立地の際に明確に反対してなかったのに、なぜ、今の再稼働に反対なのかということ。家庭的事情もあるが、一番は、福島の原発事故の過酷さを知ってということだろう。自然科学者でないので、メカニズム的に、考えたというよりも、福島の被災の酷さを観て、女川をそういった状況に追い込んではいけないとの思い。
 原発事故の被害の酷さ、それは、避難の状況がいまだに継続し、故郷を失ってしまうこと。4町村で担当してきた関連死の認定会議。住民が、いかに、長年にわたって悲惨な目にあっているか。それと故郷の住民を重ねてみることは耐え難い。最初から、立地そのものを反対すべきとの論は正当であり、それをきちんと見通しながら、態度を表明できなかった自らを恥じることはあるが、それも私の能力の不足だろう。
 再稼働を進め、又は止める権限を持っているわけではないが、人間は、目の前に展開している原発事故被災の状況を再現しないという確信がない限り、慎重に、今は、再稼働を止めるべきと思う。どこか、女川の住民ではないという後ろめたさと、遠慮があるのではあるが。
 だいぶ涼しくなってきたので、ももちゃんと信陵支所周辺を散歩。他の犬に遭遇することもなく、ゆったりと秋の夕暮れを散歩。次女の帰宅の車に乗せてもらって。女川の友人から、生さんまの宅急便。夕食は、サンマの刺身と、焼きサンマをいただく。(10/2)<79624>


◇ 火曜日。今日から10月である。2024年も4分の3が終了し、後残すところ3か月。気のせいか、涼しくなったような気がする。
 朝、11時からわたり病院で心臓エコー検査。前回の診察の際、前回の検査から1年経つのでということ。特に異常はないが、静かに進行していることについては分からない。エコー検査は、約30分。帰りに、コロナとインフルの予防注射の予約。二つを別々にしなければならないと思ったら、一緒でも構わないという。今月の18日の午後にお願いした。以前は、無料だったが、今回は、コロナは市の補助を除くと2100円という。それでも、65歳以上は優遇されている。客観的に危ない年代なのだろうが、全世代に補助をするのはかなりの財政的負担なのだろうか。
 午後、ある集いの世話人会。「−ふくしまとベトナム・医療にかけた友情ー 『映画』と『音楽』のつどい」。白岩康夫先生が、民間の医療援助を先導し、ベトナムへの「人工透析機」の寄贈と普及に向けた不撓不屈の30年の記録である。11月22日(金)14:00からの集い(こむこむ)。何の拍子か、世話人会の代表にされてしまい、その準備の会合に行った。高齢者のみの集まりだが、年代に比して、皆さん若い。無料入場だが、大盛況になることを期待する。
 帰宅後、買い物同行、そして、ももちゃんと夕散歩。今日は、次女の帰宅は、会議のため少し遅れる。5時半になると、懐中電灯が必要なほど、暗くなるものだ。涼しくて、ももちゃんは快適そうだが、早めの帰還。
 楽天対ロッテのテレビ中継が、裏番組でやっている。気が付いてら7回。1対0でリードするも、3対1に逆転、結局5対1で楽天の敗北。岸が好投するも、相手は佐々木朗希。ほぼ両者完投するも、楽天の打撃の敗北。これでほぼ今シーズンは終了。出発点の酷評からすると、かなり頑張ったと言えるが、来期は、最初から頑張って欲しい。(10/1)<79610>



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