日 記 (備忘録)
(2025年2月)
◇ 金曜日。2月の最終日。今年も2か月が過ぎた。
今夕は、ふくしま復興支援フォーラム第242回目。みんなでつくる二本松の会事務局長の菅野正寿氏に、「避難者と市民交流 ー災害公営住宅・石倉団地の交流からー」を報告してもらった。内容は素晴らしく、熱心に聴いてもらったが、資料共有を任せられた自分の不手際で、反省。詳しい方にお願いしようと思ったが、彼が会議のため出ることができなかった。残念。
早めの愛犬の散歩。段々、春が近づいてきた。(2/28)<>
◇ 木曜日。午後、「9条+24条」の会の会合に出る妻を会場まで送る。迎えから帰ってきて、ももちゃんの夕散歩に付き合う。散歩後、買い物同行。飯坂まで買ったものを持っていく。
ブックレットも、印刷所から受け取り、配布の段階。福島の二人の鈴木(安蔵、義男)の憲法誕生の貢献がテーマ。憲法研究者の金井さんに執筆してもらったが、地元(南相馬市、白河市)で、歓迎されることを期待する。少しでも財政を潤沢にすることを期待する。
先輩のISさんから、全国の九条の取り組みや、学術会議の法人化についての現地での取り組みのご意見をメールで受ける。行うべき団体の担当者が、積極的でないことの結果だが、体制替えが、ここでも課題かもしれない。自分も、そう見られないように気を付けないと。(2/27)<81459>
◇ 水曜日。午前中、地域の包括支援センターの職員に来てもらった。妻が、近くにできた居宅介護支援事業のセンターでリハビリを利用したいと思い、相談するためである。介護の認定になれば介護保険を利用するが、そうならなくても私費でも、リハビリを行いたいということである。今回は、妻だが、早晩、私も通わざるを得ないことになるのかも。そんな年齢になってしまったなと感慨深い。
妻も私も、入院することになったことがあったが、いつだったのかと、この備忘録を開く。いずれも2019年、妻が4月、私が8月の入院だった。もう、6年も経ってしまったかと思う。私自身は、別件で昨年入院しているので、退院間もないということかも。
午後、学習協の「学習の友」の輪読会。5人の参加者だったが、5つの論文を読み合わせる、それなりに体力が要る。なかなか話す機会がないので、体力増強になっているのかも。2021年4月に行われた第5回「原発と人権」研究・市民交流集会inふくしまのYouTubeの切り出しが送られてきた。内容はともかく、声は出ている。「■原発被災の10年 被災者の生活回復の諸課題(今野順夫福島大学名誉教授・ふくしま復興支援フォーラム)」。内容も、進展していないことを痛感。(2/26)<81452>
◇ 火曜日。3連休の翌日は、調子が狂う。
散髪、灯油買い、リサイクル処理、ワンコースで処理。灯油18Lの5缶は、積み下ろしに力がいる。なんとか、自力で、辛うじて処理しているが、力がなくなったなと、我ながら感心。
WKさんから、石造店経営の方から、9条の石碑を建てるなら、立派な石を提供するとの申し出があったとのメール。全国的に、9条の碑建立の運動があるが、半永久的なものになるので、引き継いで大切にしてくれることが条件。運動の継続性が前提。40代の方、20代の方々が、それを負担としてではなく、誇りをもって引き継いでくれるかが大事。相談してみよう。
九条の会東北交流会のメイン講演者の猿田佐世弁護士の著書がアマゾンから届いた。「戦争を回避する『新しい外交』を切り開く」(かもがわ出版)だが、予習のつもりで読んでみよう。(2/25)<81427>
◇ 月曜日&振替休日。昨日の日曜日と天皇誕生日が重なったので、今日は振替休日。土曜日から考えると、三連休。毎日が日曜日の私にとっては、三連休等は、あまり嬉しいわけではない。却って、休日のため、店などが休みで、困ることも少なくない。しかし、働きすぎの日本の労働者、もっと休めるようにしないといけないと思う。
近くにリハビリの施設ができて内覧会があり、妻は、見学に行く。歩くのに不自由な状態が続いているので、私の運転する車を利用しないと、自由に外出が難しい。本来、行動的な人なので、じっとしていることは窮屈なのであろう。運転手である私も、高齢者故、免許返上の時期が来ると思うので、その場合に、送迎付きのリハビリ施設の利用をすることを考えたのであろう。私の送迎も、窮屈なのであろうか。
100分de名著。デュルケームの『社会分業論』、最終回で、「個人の自律と」と「連帯」。その中で、「自律」が、多くの「依存」を前提にしているとの論説。小児科医の熊谷晋一郎氏を取り上げる。1977年の生まれで、新生児仮死の後遺症で脳性麻痺を患っている。東大先端科学技術研究センターで,障害と社会の関係について研究している。パートナーは、アスペルガー症候群当事者の綾屋紗月氏で、ともに障害者の立場から当事者研究を行っている。「自立とは、依存先を増やすこと」という言葉で知られている。読みたくなる著書を多数書いているが、少し抑制しないと自分の宿題がが進まない。(2/24)<81417>
◇ 日曜日。朝からももちゃんを含む勢ぞろいで、一日ゆったり。在学留学の高1の孫娘は、各国からの留学生のキャンプで楽しんできたようだ。台湾からの留学生ともお友達になれたようだ。中2の孫は、新庄市で東北各地から集まったスポーツ少年団の試合。何とか4位になったようだ。両親の応援もあり、帰りは、一緒に帰ってきたようだ。夜の雪道なので、到着するまでが心配。孫3人、それぞれが独自の活動、飛び立つ準備かな。
テレビでウクライナの女性兵士の記録映画を観た。男子兵士の不足のため、女性が、母親が、女性の受刑者が、戦線に参加している。ロシアに大義はないが、国力の違い、アメリカトランプ政権の樹立で、ロシアとの協議が、ウクライナの頭越しで進んでいる。これほど、明確な侵略行為が、大国のエゴで合理化されてはならない。憲法九条をもつ日本の役割は大きいが、アメリカ言いなりで。世界の信頼を失っている。
昨年の今日(天皇誕生日)、私は救急車で、わたり病院、そして福島赤十字病院へ。そこで入院。大腸の憩室からの出血で、貧血にもなり、10日ほどの入院と相成った。「大腸出血記念日」か。お影で、再発することなくここまで来たが、再発が多いらしく、ハラハラの1年だったが、何とか無事辿り着いた。高齢者になってから、入院は2度目。今後、3度目とならないよう、気を付けなければ・・・。(2/23)<81408>
◇ 土曜日。午前中は、妻の会合の場所まで、ももちゃんと一緒に送迎。迎えに行って、帰りに、コラッセで買い物。売り出し始めなのか、駐車場は満車。
午後、「3.11メモリアルネットワークふくしま交流会」(30年後も震災伝承を続けるために、私たちのできること)に、zoom参加。今年が、阪神大震災の30年ということと重ねているのだろう。「阪神淡路大震災から30年目の『現状と伝承課題』を共有する(@被災地NGO協働センター・頼政良太氏、A国土技術政策総合研究所・高原耕平氏)、東日本大震災の30年後に向けた『現状と伝承課題』を考える(@大阪公立大学・除本理史氏、A富岡町3.11を語る会・青木淑子氏)。気恥ずかしいので、フロアディスカッションには参加しなかったが、震災伝承を真正面から考える特徴がある。実体験をしていなくても、どのように伝承の担い手になっていくのか、考える良い機会。戦争体験も含め、「実体験」者がいなくても、どう伝承させるか、考えていくいい機会。
早めに退室して、ももちゃんの夕散歩に十六沼へ。(2/22)<81401>
◇ 金曜日。午前中は、愛犬ももちゃんとともに、妻の送迎運転手に専念。まず,歯科診療、1時間過ぎたころ、近くの支所で行われている会合へ。
昼食後、福島大学へ。松川資料室運営委員会に学外委員として参加。大学は、大きな再編を目指しているので、部屋の使用も困難がある。しかし、長期的確定は無理でも、自転車操業的にスキマを利用することはありうる。諦めないで、実質進めるようにすべきと思う。少し、事前の時間があったので、「福大の顔」というパンフレットをもらいに、昔、世話になったKさんに連絡。現在は、課長さんとして、頑張っている。定年も近いが、生き生き活動している。その後、私の後任のHさんの研究室に寄る。大学に赴任してから14年になるという。震災直後だった。よく頑張ってくれた。4月には、転勤して、新しい職場に移るようだ。よく頑張ってくれたと思う。肝腎の会議の場所が分からず、友人のNさんが連絡してくれた。大学の財政困難はいずこも同じだが、大学の社会的使命を自覚して、頑張って欲しい。
急いで帰宅し、ももちゃんと十六沼に夕散歩。元気だが、お腹を壊しているので、心配。夜10時過ぎ、比較的強い地震。福島は震度3。二階のストーブを消して、階下に降りたら、妻はソファーでうたた寝。特に起きなかったようなので、そのまま。(2/21)<81386>
◇ 木曜日。午前中は、福島県九条の会へのご協力を依頼しに、コープふくしまを訪問。みやぎ生協への組織合同以来、不明確だったが、福島県九条の会への協力をしてもらうことにした。多くの生協職員が、一緒に協働できることを期待する。集団としての対応もあるが、一人一人の職員が、主体的に関わって欲しい。しばらくご無沙汰していたコープふくしまの事務所。ほとんどの職員も変わっていた。一時期は毎日、通っていた事務所(理事長は8年間だったかな)だが、懐かしい。
午後、十六沼にももちゃん夕散歩に行ったくらいかな。どうも、時間を無為に使っており、少し緊張感が欲しい。(2/20)<81373>
◇ 水曜日。朝から8週間ぶりのわたり病院。予約は9時半だが、10時半からの学習協東北北海道ブロックのzoom会議があるので、早めに終わることを期待して8時半過ぎに到着。いつも、循環器の診療科と、糖尿病の診療科で受診するのだが、循環器のW先生は、体調不良とのことで、代わりの先生が来ていた。大学の先生のように、「休講」「万歳」で済まないのが、医療の現場。医師には、病気になる自由がないのかな。医者の不養生ということもあるので大変な仕事だ。実母が、病弱で、いつもお医者さんが訪問診療してくれた。それもあり、将来は、開業医を目指すとしていたが、どこかでレールを間違えた。そのまま走っていたら、今のような高齢になるまでは生きていなかったかもしれない。何が幸いするか分からない。お医者さんは、病気になる自由がないということで、体を大切にして欲しい。
帰宅してzoomで会議。学習協の会長にはされたが、何とか再建しないと駄目な感じ。組合と一体的に、相互依存的に進めないとならない。
夕方は、妻の会合(福祉会理事会)への送迎。随分、寒い夜だ。次女は、代休。ももちゃんの朝夕2回の散歩。
第8回憲法塾(4月7日)は、報告は卒業生(私のゼミ卒業生)がやってくれることになった。成長が嬉しい。伊達市の九条の会の講演会(3月22日)の具体化もあった。5月3日の憲法記念日の福島市での集会も、具体化されてきた。共催だが、今年は、充実した企画にしたいものだ。(2/19)<81359>
◇ 火曜日。季節的には「雨水」で、雪から雨に変わる時期。春をめがけての一里塚だろう。ところが、現実は大雪のよそう。福島市内は、それほど雪の量は多くないが、近くの高湯温泉では、ホテルの支配人と従業員2人が、源泉を見に行って、倒れ、結果的に3人が亡くなった。周りに雪が多くて壁になり、硫黄の温泉なので、硫化水素ガスにやられてようだ。源泉は、ホテルから100メートル程度。以前、秋田の温泉でも、同じような事故が起きた。まさかと思うだろうが、硫化水素ガスは、最初は異様な臭いに気が付くが、慣れてしまうらしい。恐ろしい。
ここ数日、全身が痒くて眠れなかったが、次女に薬をもらい、前から持っていた塗薬で、だいぶ良くなった。
明日は、8週間ぶりの循環器と糖尿病の診察。午前に会議があるので、予約の時間より早めに行ってみよう。それによって、早くなるわけではないだろうが。十六沼での夕散歩。丁度、雪が舞ってきて、まさに冬の散歩。ももちゃんは、新雪のところなど、跳ねている。楽しそう。まあ、私は早く春になってほしいが。(2/18)<81346>
◇ 月曜日。急に寒くなってきた。「時評」のテーマを関連死問題にしようと、準備したが、どうもうまく行かない。しばらく悩む必要があるかな。
ももちゃんの夕散歩、十六沼へ。雨から雪に変わり、冬に逆戻りの天候。帰宅して、孫娘とラインで、話し合う。新しい経験を積んで欲しいな。(2/17)<81337>
◇ 日曜日。今日は次女の誕生日。自分の年齢にも驚くが、それ以上に、子どもの年齢に驚く。高校までは娘たちは同居していたが、その後は大学生として、そして就職していて同居していないから、自分の生活の歴史とは、異なるのだろう。様々な交友関係、仕事の仲間からの交友関係を経て、人格が形成されてきたのだろう。子どものことは何でも分かるというのは、ありえない。それゆえ、親には分からない歴史が積み重なっているのだろう。同じ何十年という日を、同じように蓄積している訳はない。短期ではあるが、孫娘が高校生にして、留学している。親から離れて、自分の歴史を作って行っていく一歩を歩み始めているのだろう。良きにつけ、悩むにつけ、自らの歴史を作って欲しい。
夕食は、長女が送ってくれたケーキを楽しみ、お刺身を食べて、誕生日のささやかなお祝い。こんな誕生祝いを、あと何度経験できるかなと考えないで、大切な自分の歴史の一齣として、大切にしていこう。
十六沼に、ももちゃんの散歩。10度を超す、暖かい日である。このまま、春になってくれないかな。「春よ来い、早く来い」、人間を鍛えてくれる冬に悪いが、春が早く来て欲しい。(2/16)<81330>
◇ 土曜日。朝から夕方まで、次女及び愛犬ももを含む4人で自宅で過ごす。短期留学中の孫娘とのテレビ電話。3か月の予定のうち1か月になるので、残されて期間、頑張って欲しい。たまに日本人と話すのも精神衛生上いいのかもしれないが、後の2か月、できるだけ外国人(留学生内の外国人も含め)と交流を深めて欲しい。帰国してからも、連絡を取りたいと思える交流を期待している。
ウクライナへのロシアの軍事侵攻。トランプがプーチンと協議して、解決しようとする動きが目立つ。いずれにしろ、被害国ウクライナの意思を無視して、大国の思惑で解決することに要注意。国際的話し合いが軽視されているのは大きな問題。(2/15)<81321>
◇ 金曜日。どうも全身の痒みがひどいので、市内の皮膚科クリニックに行こうと考え、インターネットで検索。既に、2か所の皮膚科に行っているが、運悪く、近くの皮膚科が閉院となってしまった。塗薬は多めにもらったので、痒みが復活したので、それを塗っていた。街中に、良さそうな皮膚科専門のクリニックを探して、午後にでも行こうと思った。しかし、予約がないと待ち時間が長そう。眼科でもインターネットの予約なので、驚かないが、予約日時で一番早いのが1週間後。この痒みを1週間待つのは大変だ。急病の場合は別かもしれないが、痒みは急病とは言い難い。1週間後は、外せない予定が入っているので、予約は不能。そうこうしているうちに痒みは緩和。このまま落ち着いてくれればいいのだが。大学在職の際は、歯医者は、近く。混んでいなかったので、即座に対応してくれた。甘えていたのかな。無理してくれたのだろう。毎日が日曜日の年金生活者の分をわきまえないと。
昨日のオンライン憲法塾の感想文や意見・質問が寄せられた、いつものように、ブログに掲載した。ブログのお知らせとともに、入会のすすめを出す予定が失念。財源的には、あまり期待できないが、何とか3桁の会員にしたいものだ。
ある月刊誌の冒頭の「時評」の執筆を頼まれた。3月10日締切だが、1600字程度の短いものだが、結構、私から見ると大物の執筆。何を書くか、自由だが、雑誌を汚さないように書かないと。(2/14)<81310>
◇ 木曜日。昨夜は次女の宿直なので、ももちゃんは我が家に泊まる。十六沼公園での散歩の時間帯、丁度、次女は大笹生学園で仕事。かなり近い距離にいたのだが、電話では連絡取れたが、宿泊前に会うと寂しいかなと配慮して、会わず。
午後、妻の会合のため会場まで送っていったら、予約していたのに締まっていた。急遽、別の会場へ。本当に、のんびりしている。
今朝は、5時ころ起きて、朝散歩。ももちゃんは大人しく寝ていたが、私はよく眠れなかったので、一日ボ−ツとしていた。午前中に、大原病院まで送って、帰宅し、呼び出しを待っていたら、家に着くと同時に電話。ほんの20分くらいで診察は終了したらしい。そのまま、迎えに。帰りに薬局に寄って、終了。次女が帰ってきて、私は、東邦銀行へ。定期の満期の処理。午後6時半からオンラインの憲法塾。4月に転勤予定の長谷川さんの報告。私の後任者。赴任が震災前後なので、もう14−5年も務めただろうか。さらに頑張って欲しい。(2/13)<81300>
◇ 火曜日。建国記念の日で、祝日。本宮市で「憲法をいかす福島県民の会第21回総会に呼ばれ、「連帯の挨拶」を述べる。何度か目だが、県内の平和主義を掲げる団体で、共通の目的を持っているので、協働の一環。雪道を気にしながらも、何とかスムーズに到着。第2部で、神田香織さん講談と講演があるというので、聴いたことがないので、聴こうかなと思っていたが、来賓の2人(県連合の澤田会長と私)の挨拶後、司会が、お二人は公務で多忙なので、お帰りになると告げてしまったので、帰ってきてしまった。連帯の挨拶は、特別特徴もないが、継続することが大切なのだろう。方針書には、九条の会との一日共闘の追求と述べている。
早めに終わってしまったので、早めの帰宅。ゆったりして、体を休める。(2/11)<81284>
◇ 月曜日。次女は、昨夕、同僚たちと飲み会らしく、ももちゃんは我が家で待っていた。自宅に帰るには遅いので、我が家に泊まる。その故、朝は、笹谷での散歩。私が起きたときには、出勤前に次女のみ自宅に戻る。飲むのも大変だ。
短期留学している孫娘の現地の世話係の方から、詳しい留学及び生活の様子が親の元に送られてきたのを見せられた。随分丁寧な指導・世話をしているので、驚く。何も心配することはないなと感謝。
午後から、福島県九条の会の事務局会議。事務体制を変更したので、また新鮮である。3月に来年度の活動計画を提起し、4月までに新会員を含め、書面決議を得たい。一番は、13人の会員(事務局)から、新会員として20名が増加。4月まで、何とか50名を超したい。
明日は、本宮で開催される「憲法をいかす福島県民の会」の総会への連帯の挨拶に行く。9条を守る広範囲な協働を実現するために、思想信条を超えて、さらに輪を広げたい。(2/10)<81273>
◇ 日曜日。一日中、雪。途中で庭の雪掻き。
次女は、一日中、我が家にももちゃんと一緒。夕方、職場の飲み会で出かけた。雪が降り止まないが、楽しい飲み会だったようだ。
石破首相は、訪米し、トランプ新大統領と初会談。「日米間の黄金時代」との声明を出しているが、世界の民衆は、トランプを歓迎しているだろうか。日米同盟の強化は、世界の民衆から大きな警戒をされているのではないだろうか。今年の参院選挙がどうなるか、日本人が日本人の力で日本の政府のあり方を推進すべきである。(2/9)<81261>
◇ 土曜日。特に予定はないので、9時半からの「核兵器をなくす国際市民フォーラム」を聴講しようと準備を整えた。第1バッターは、日本被団協の田中てるみ氏の講演、楽しみにしていた。ところがである、8時48分頃、突然、停電。我が家内のオーバーかなと思いつつ、調べたが、福島市2800世帯ほど。それも笹谷地区が2200世帯ほど。原因は分からないが、夜になって、会津の方は木が倒れた影響らしいが、ここ笹谷地区は「弊社の作業トラブル」が原因とのこと。停電になると、Wi-Fiが使えないし、インターネットも不能。ストーブなども電気が必要。何か、人為的原因なのかな。新幹線も、停電でよく止まるが、担当者は緊張して、作業して欲しい。結局、2時間ほど、右往左往。
ももちゃんは、朝から熟睡。ヨガに行った次女は1時頃帰ってきて、京都の義弟から送られた来たピザを焼いて昼食を済ませる。金澤のピザらしいが美味しい。留学している孫娘は、友人と水族館に行ったらしい。
昨日の従兄の葬儀について、石巻の従姉がラインで教えてくれた。健在の兄弟姉妹5人のうち、彼女しか来れなかった。それぞれ、施設に入っていたり、腰痛だとか、配偶者の看病だとか、来れなかったようだ。高齢者だから、やむを得ない。
夜は、「男はつらいよ」の映画を楽しむ。檀ふみと京マチ子がマドンナ。何度も同じ映画を観ているが、何かホッとする。
停電で出鼻をくじかれた一日だが、すぐに切り替えることができないとプロではない。(2/8)<81251>
◇ 金曜日。ももちゃんの具合いは、良くなったみたい。しかし、雪で通勤困難もありうるので、5時半過ぎには、我が家に到着。余裕をもっての通勤だが、毎日だと疲れてしまうのではないかと心配する。肝腎のももちゃんは、ソファーで熟睡。
今日は、石巻沢田の従兄の葬儀だが、淡々と進んでいるだろうか。雪道を長時間走るのを避けたのはよかったが、しかし、何か寂しい気もする。
買い物同行の後、早めの夕散歩のため、十六沼公園に出かける。吹雪が晴れて、青空も出ている。十六沼の周辺は、足跡がなく、深い新雪を踏むようで、なかなか進まない。果敢にももちゃんは、雪の中を突進するが、偶には、泡風呂に入っているように、雪の中に入り込む。
留学中の孫娘に、我が家の雪の庭の写真を送る。現地の日本語新聞をみると、全国の平均気温は16.4度。2017年以来最も寒い1月だったようだ。行っている都市も寒いとのこと。ふくしまの今の気温はマイナス3度と知らせると、「え!寒すぎ笑笑」との返事。日本を経ってから16日目かな。あっという間に経つね。(2/7)<81241>
◇ 木曜日。朝、5時半、目を覚まし、飯坂に迎えに行くかと考えてたら、すでに笹谷を散歩中とのこと。びっくり。慌てて、パジャマのまま、玄関を開けに。昨夜かラ、ももちゃんがお腹を壊して、戸外に。午後11時半、午前1時半、3時半の下痢散歩。そのまま、飯坂から笹谷に来たらしい。我が家から、次女は職場へ。ももちゃんはコンコンと寝ている。なかなかお腹が治らない。昼間は、ぐっすり寝ていたので、午後3時半過ぎ、夕散歩に、十六沼公園へ。治ったのか、元気に散歩。食欲も回復したようだ。今夜は、何とか収まって欲しい。
従兄のお通夜、そして明日は火葬・葬儀。天候も悪いので、失礼した。沢田までの150キロの運転は無理だろう。遠く、冥福を祈る。
今朝みたいなこともあるかもしれないので、幾分、早く寝ることにしよう。(2/6)<81229>
◇ 水曜日。大雪到来の予想から、次女とももちゃんは、何と朝5時半過ぎに、我が家に到着。混雑ることを懸念して、職場に早く出発。
午前中は、従兄の葬儀への弔電を出し、郵便局に行って、香典を現金書留で出す。無理しても行くべきかなとも思いつつ、遠くから冥福を祈る。従姉から、メールが来る。
午後、学習協のオンライン研究会、全労連の幹部が、25春闘の状況と組合活動について、詳しく説明する。観念的に理解しつつも、労組の現場にいないので、なかなか実感がわかない。実態の勉強が足りないのか。
夕方、今年の5月3日に向け、憲法集会の実行委員会をzoomで行う。いつも計画が出てから、ビラで知ることから始まるが、その内容の準備に参加するのは初めて、県九条の会の代表として参加。何とか、みんなの確信を強める集会にしたいものだ。(2/5)<81223>
◇ 火曜日。朝、東京に住む甥の昌明君から電話。今野の本家である、石巻沢田の今野昌郎さんが、昨夕、逝去されたという。私の父親は次男なので、分家した。その本家、伯父さんの長男である。私とは従兄である。行年は92歳という。父親の世代は兄弟姉妹が多く、6人。その子たち(私の従兄弟・従姉妹)は、20人だと思う。同世代が多いので、「いとこ会」でも作って飲むかとの話もあったが、結局は実現しなかった。昌郎さんは、そのいとこの最長老である。彼の両親は、私の両親と兄弟。兄と姉、弟と妹の結婚である。そのためか、気兼ねなく、付き合い、「いとこ」といえども、かなり兄弟姉妹に近い。私の実母が48歳で亡くなったとき、私は大学卒業式の直前。なかなか立ち直れないので、実母のいない実家ではなく、沢田の伯母さんのところで、しばらく泊まっていた。兄弟に近い関係かな。万難排して、6日から7日のお通夜・葬儀に列席すべきとは思うが、大雪の予想の下、車を運転する自信がない。心配と迷惑をかけることになりかねないので、やむなく欠席することにした。香典と弔電を送ることにする。本当にありがとう、昌郎さん。それぞれ高齢にはなったが、4人の妹さんたちは健在である。沢田にはいないが、いつまでも仲良く、元気でいて欲しい。仙台在住の門馬の良典さん(従兄)宅に電話で伝えたが、リハビリで出かけているという。みんな、高齢者だ。
首長九条の会の福島の代表の伊藤寛さんが亡くなったので、今後の体制をどうするかと相談していた。他の首長さん、現職は無理かもしれないので、元職の首長さんにお願いすべく、相談していた。
十六沼でのももちゃんとの夕散歩。冷たい風に驚く。油断して、病気にならぬよう、緊張して過ごすことにする。(2/4)<81215>
◇ 月曜日。立春である。春は名のみであるが。この日から88日目、八十八夜は、私の誕生日である。女川のウミネコが、ほとんど雛がかえる。私もウミネコの子どもか(笑)。言葉だけでも「春」と言われると、何か解放感。長い冬の我慢の上に、待望の春が来る。
午後、九条の会の今後の事務体制の強化を願って、変えていくことを相談。現実には4月からになるが、それまでは、暫定体制で、4月からの準備をする。事務所問題を含め、少し改善が必要。がらりと変えるわけにはいかないが。
帰宅後、ももちゃんと十六沼へ夕散歩。体調も、ほぼ治ったのではないかと思う。元気な散歩だった。散歩後、留学している孫娘と、塩釜の家族、そして福島の家族、多元放送的にラインでテレビ電話。3分割の画面は、入りきらない。留学の本来の勉強も、いよいよ開始のよう。早い英語のスピードについていけないと言っているが、なんでも試練。伸びるときは、圧縮を跳ね返しながら。頑張れ。(2/3)<81202>
◇ 日曜日。愛犬ももちゃんの具合が悪く、お腹を壊しているようで可哀そう。予定を変えて、福島在住の家族全員、ハラハラしながら見ている。なかなか水を飲まないので心配している。夕方、自宅に戻り、散歩などして、以前のように元気になったようで、一安心した。2日続けて、我が家(民宿JB)に泊まったので、心身の体調を崩したかな。何も言わず、じっと耐えているがゆえに可哀そう。じっと、眼で何を訴えているのかが、分からないのが、困ってしまう。
ふくしま復興支援フォーラムの案内を、少し遅れたが夕方出した。明日の夕方にも、半分を出すことになる。1700通くらいの発信だが、Gmailの方で、同一メールは500部限定、その後は24時間後に再度出す。早速13名ほどから参加申し込みが来る。
2月は短いので、明日からの週、緊張して進める必要がある。(2/2)<81188>
◇ 土曜日。昨夜は次女の勤務のため、ももちゃんは我が家泊まり。夜11時頃、外に出たがったので外出。雪が積もっていたが、町内会の範囲を回り、後は、ぐっすり眠る。朝5時に起きて、1時間20分ほどの朝散歩。珍しく笹谷東郵便局の通りまで行って戻ってくる。途中、休憩することなく、積雪の中を進む。
午後、次女が勤務から帰り、恵方巻を頂いて、「男はつらいよ」の映画をテレビで観る。しかし、ももちゃんが落ち着かず、自宅に帰る。2日続けての外泊だったから、落ち着かないのかな。やはり、自宅の自分のベットの方がいいのかも。
海外の孫娘とのテレビ電話。先方の声も入ってきて、外地にいることを実感。自ら、バス通学の現地の学生に話しかけたり、積極的に動いているので良かった。土曜日は学校が休みで、トランポリンで遊んできたようだ。
今日から2月だが、あっという間に2月は過ぎるので、心して過ごさないと。(2/1)<81175>
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