日  記 (備忘録)

(2025年3月)


◇ 月曜日。3月最後の日。2024年度も今日で終了。
 大学進学の孫娘は、京都に着いたとの連絡あり。明日、入学式だが、父親が住居の整備のため、一緒に出掛けた。妻の弟家族が、居るので、何かと心強い。焦らないで、一歩一歩、人生を開いて行って欲しい。
 午前中、妻は近くの施設でリハビリ。大変だが、張り切って行っている。自由に歩き回ることができなく、不便だが、頑張って欲しい。孫娘が住むことになった京都は、弟家族だけでなく、父母のお墓がある。しばらく行っていないので、自分の足で、行きたいのだろう。
 4月19日の、伊藤寛さんの偲ぶ会に、元霊山町長の大橋さんに出席してもらうべく、訪ねた。首長九条の会で、伊藤さんが頑張っておられたので、是非、継いでもらいたいとのお願いと、偲ぶ会への参加。伊藤さんの多面的な活動に触れてもらいたいとのこともある。初めてお会いした方だが、いろいろ話が広がった。困難な中、頑張っておられることに励まされる。高齢になって、初めて知り合う。まだまだ、多くの人にお会いしたい。そのためには、元気でいないと。(3/31)<81646>


◇ 日曜日。高校卒業した長女の長女(孫娘)が、関西の大学に進学するので明日、飛行機で仙台を発つ。2番目の孫娘が、現在、海外で3か月の留学中。もう2週間もすると帰って来るが。「行く孫、帰る孫」だが、長女宅も、それぞれ飛び立つ準備体制かな。今まで経験のない一人住まいを、4月から始めるが、心配は尽きない。それでなくとも、様々な事件がある。まずは、土地に慣れて、最大限の安全に過ごして欲しい。
 来訪した4人と我々3人+1ペット。愛犬ももちゃんが一番、興奮していた。それでお腹を壊したようだが。いつもは食べない、カニピラフ、そしてケーキ、ブルーマウンテンのコーヒー。久しぶりにゆったりした。海外に住む、孫娘(次女)も、ラインでビデオ参加して、楽しんだ。
 帰ると、急に寂しくなるが、また、次の楽しみを。ミャンマーで大地震、1000キロ以上離れたタイでもその被害。ミヤンマーは軍事政権で、国際的支援を断っているとも聞いたが、何とか、人道的観点で、命を救ってほしい。ミャンマーで、死者約1700人、3000人以上の負傷者が出ている。いち早く、国際的共同による救援・復興援助に向かってほしい。(3/30)<81637>


◇ 土曜日。昼頃から福島の映画館「フォーラム福島」に行って、石巻出身の佐藤そのみ監督の映画「春をかさねて」と「あなたの瞳に話せたら」の二本を見てきました。お世話になっている佐藤敏郎先生の長女であるが、次女の方は大川小学校で犠牲になった。大川小学校は、一度の見学しかないが、残念な犠牲である。この小学校も、また女川の七十七銀行の事件も、すでに決まっている対応の方針が、現場での自由な判断を狂わせた。映画自体は、監督自身が、中学生から大学生を経て受け止めていく感情の起伏も含め、丁寧に描いている。震災問題を、若い方々にも担ってもらうためには、若い人の目線が大切だろう。映画上映後の、阿部支配人と佐藤監督のスピーチも、心のこもったものだった。仙台から見に来たというお医者さんが発言していたが、仙台では、上映していないのかな。
 買い物同行の後、夜は、「男はつらいよ」を観る。明日は、4月から大学入学で、塩釜を離れる孫娘と家族が遊びに来る。私らと同じく、それぞれ飛び立っていくのかな。心配は尽きないが、是非、希望実現の旅として、頑張って欲しい。(3/29)<81631>


◇ 金曜日。午前中は、近くの支所で開催される妻たちの会合への送迎。自宅から見えている場所だが、整形外科に通っているので、無理はできない。愛犬ももちゃんと留守番だが、近くなので、ドライブにしては、近すぎる。
 午後、2階のトイレの修理のために、業者が来てくれた。シャワーの部分が不調で、上だけ交換。最近は、1階のトイレを使用していた。常時利用者は、高齢夫婦だけなので、2人で2つのトイレ。たまに、次女が使用するだけ。愛犬は利用しない。今となっては贅沢だが、子どもが学校に通っているときは、二つのトイレは便利。少なくともラッシュにはならない。築40年ともなると、いろいろあるが、良くもつもんだ。これから何年、お世話になるか分からないが、隣のMさん宅は、家が解体され、新しい建築のために、整地の工事。40年前の回りの景色が、変わりつつある。
 4時頃、十六沼での夕散歩で、ももちゃんと行く。大部、暖かくなった。福島市の最高気温は23度。テレビも、開花のニュースの花盛り。(3/28)<81623>


◇ 木曜日。午前中は、妻のクリニック通院。迎えに行きながら、帰りは買い物同行。ももちゃんに留守番して寝ててもいいよというが、律義に、同行してくれる。夕方4時過ぎ、十六沼に夕散歩。風が爽やかで、気持ちがいい。
 次回のフォーラムの案内など、一つ終われば、次回の戦争が始まる(?)。4週間毎に「ふくしま復興支援フォーラム」、別の4週間ごとに「オンライン憲法塾」。結局、2週間毎に、イベントをやっている感じ。少し、体力が不足。年齢のせいかな。(3/27)<81614>


◇ 水曜日。昨夜(火曜日)のふくしま復興支援フォーラムは、汚染土の行方について、東京新聞編集委員の山川剛史氏に報告していただいた。記者の中では、この問題について、最も取材経験も豊富で、勉強されている。30年過ぎれば、福島県内の汚染土は県外に移動させることを法律でも明記し、それが実現することを疑わない福島県民も多い。しかし、県外の人間は、そんなことは知らないし、どうして福島の汚染土を引き受けなければならないのかと考えるだろう。中間貯蔵施設ということで、原発事故処理を進めようとしたのだろうが、県民でもそれを信ずる人がどれほどいるのか。また、そうした汚染物を、また県外に移動することはどうなのか。かなりの深刻な議論になった。そうしないと、あの時、次に進めなかったのだが。政府関係者も、そのことに自信をもって、かつ可能性を考えていたのだろうか。
 フォーラム参加者からの感想文、意見は、いつもより多く、二十数名。皆さん、悩んで次の見通しを探している。「騙された」というには、余りにも酷い。特定層への被害を押し付けないで、汚染土をどうすべきかを、冷静に考えるべきだろう。これほど、原発事故の後遺症は大きい。それなのに、原発の再稼働に動いている。
 選抜高校野球、今日は準々決勝。東北は、花巻東高校と聖光学園の2校が残っている。しかし、2校とも敗北。悔しいね。この選抜が終わると、季節が変わる。もう、冬は終えて、花咲く春にまっしぐら。(3/26)<81605>


◇ 月曜日。毎週月曜日は、妻が「居宅介護支援事業所」に通うようになり、迎えの車に乗って行った。私が免許自主返納を可能にする手立ての一つか。私は、やることがなくなったが、法と民主主義の「時評」の校正、また九条の会ニュースの巻頭言。何とか済ませた。
 ただ、明日の「フォーラム」の次回の報告者が決まらない。Mさんに率直に相談したら、行動力が早いか、すぐに報告者を見つけてくれた。直接知らない人なので、改めて依頼のメールが必要だが、何とか決まりそうで、ホッとしている。もう一つ、進出企業のA社の社長に頼もうと考えたが、今日は、休業日で、連絡がつかなかった。改めて、きちんと挨拶して頼むことにしよう。午後4時前、十六沼でももちゃんの夕散歩。少し疲れ気味かな。あまり無理をしない方がいい。(3/24)<81587>


◇ 日曜日。午前中は。町内会の役員会。4月6日の総会のための準備の会議で、会計監査のため、その役割で参りました。
 午後は、街中での会合。久しぶりの会合で、帰りに4人でコーヒーを飲む。大相撲は、大の里が優勝。福島の大波兄弟は、幕内二人とも9勝6敗。出だしが悪かったので、心配したが、何とか持ち直した。(3/23)<81581>


◇ 土曜日。次女は土曜日だが日勤。愛犬は、いつものように我が家での日中滞在。午後に、離れた郊外での施設での福祉会理事会に送迎する予定だったが、9時半ごろ、ももちゃんがソワソワ。妻がリードを付けたからだが。私は、午前の仕事を始めて自覚。何週間のうちに土曜日午前の会合に送迎業務(?)はあるのだが、今日だと自覚していなかった。電話のところのカレンダーにスケジュール表を出しているのだが、書いていないので気が付かなかった。言われていて、きがつかなかったか。自動車運転中に言われて時には、メモも取れず、不得手。ももちゃんを乗せて、20分ほどの道程を2往復。ももちゃんは、走る時には、お座りして、まっすぐ前方を見ている。たまに、車外の犬に吠えるが。吠え方が面白い。ワンワン、う〜ん。最後のう〜ん、が何か不明(?)。
 午後2時半過ぎに、福島市西部の平石の高齢者施設での理事会への送迎。30分ほどかかるので、戻って来るには大変。会議が終わるまで滞在。同伴のももちゃんと散歩。いつも散歩行程と異なるので、面食らっているが、それでも新しい環境、目新しいのか、入念なクン活。1時間半ほどの会議の終了をただ待つのも、もったいないので、ももちゃんとの散歩。また、その施設に入居しているM先生とお会いする。デイサービスの後だが。お元気で、いろいろと近況を伝える。帰宅したのは、6時前。
 高校選抜野球代表の聖光学園は、延長の末、辛うじて勝利、2回戦へ。大相撲は、若元春は勝ち勝ち越し、若隆景は負け、勝ち越しているもののそれだけ。8勝7敗より、9勝6敗の方がいいので、二人とも千秋楽は頑張って欲しい。「男はつらいよ」を見て、今日は、疲れたなと、机に向かう。(3/22)<81574>


◇ 金曜日。3月21日は、結婚記念日である。特に祝宴(?)はない。1970年だから、55年も経過した。長女夫婦も、確か、この日を結婚記念日としているようだ。まあ、思い出すだけでも、まだ認知症になっていないかも。
 だいぶ春めいてきて、夕方の十六沼での愛犬散歩は、気持ちがいい。
 友人のSさんは。無事退院したが、奥様がコロナに感染したらしく。行動が制限される。九条の会ニュースの冒頭挨拶の原稿書き、そろそろやらないと迷惑をかける。何も考えないで、淡々と済ませることが大切。(3/21)<81567>


◇ 木曜日。春分の日で祝日。次女と愛犬ももを含め、ゆったりした休日。積極的な運動をやっていないので、体がなまりそう。庭には、日差しがさし、何か春の到来を告げている。
 夜のNHK特集は、濃いものだった。一つは、オウム真理教の実態。今日は、地下鉄サリン事件の30周年。営団地下鉄の丸ノ内線、日比谷線、千代田線の5輌でサリンがまかれ、12−14人が死亡、約6300人の負傷者を出した。坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件と並んで「オウム三大事件」と表現されているが、オウム真理教が、11月の国家暴動を計画していたことを詳細に報じていた。こうした大規模な事件の一環。事態の見極めが十分でなく、右往左往していた感じだった。もう一つの特集、ケニアで障害児のために活躍する小児科医の公文医師の記録。子どもたちの笑顔が眩しい。子どもや高齢者の医療問題は、もっと追究してみたいものだ。地域医療支援支援病院運営委員会には参加しているが、紹介率、逆紹介率など、病院経営のみに関心を持っていたが、もっと内容を勉強しないと駄目だなと思う。
 友人のSさんが、月曜日の手術後、経過良好で、今日、退院したとの電話連絡あり。ホッとした。全身麻酔などビクビクしていたので、良かった。
 昨日、長いこと福島県知事をしてきた佐藤栄佐久氏の訃報。享年88歳とのこと。知事の最後が、社会問題化したが、原発に批判的な知事ゆえだったのか、保守的ではあるが、県民に寄り添った知事の一人と言われている。ご冥福を祈ります。(3/20)<81560>


◇ 水曜日。午前中に、県労連に行き、労働者教育協会の本部とのzoomでの打ち合わせ。引き受けた福島の学習協、組織として確立しておらず、本部との協議。長らくやってきた事務局長が亡くなって、要がなくなってしまった。私は、形式上、「会長」とされたが、どう再建するかということを本部と相談。こちらは4人、本部からは2人。福島の場合、県土が広く、中通り(福島と郡山と白河)と会津(若松、喜多方、南会津)と浜通り(いわき、相双)、なかなか統一的な連携が取れていない。県労連の下にある、地域労連(8)での学習協との連携を強めて、それを基盤に全県的な繋がりを付けていくべきかと思う。福島の置かれた歴史と震災が影響しているか?個人的に、何とか具体化したいのは、組合の会議のなかでの学習分野に協力するシステムを作るべきかなと思う。
 午後、十六沼へももちゃんの散歩。(3/19)<81554>


◇ 火曜日。睡眠不足で、朝食後、ウトウトしてしまった。
 午後、松川運動の語り部養成講座の講師団の会議。講師というほど勉強していないが。皆さんと一緒に勉強するつもりで引き受けた。4月26日から始まるが、私の番は、7月26日。4月26日の開講式に出るべきだが、同じ日に、笹谷大笹生九条の会の映画(中村哲)と最近の憲法九条をめぐる動きについて話題提供。十分に勉強しないうちに、引き受けてしまうので、勉強しないと。テーマが設定されてから勉強する形。松川の担当テーマは、「諏訪メモ問題と再審法改正問題」。有機的に結び付けるのは難しいので、あっさり、二つのこと話すことにしたい。少なくても、勉強して、自分も感動するような話が出来たらいいのだが。
 帰宅して、買い物同行、そして遅めの十六沼夕散歩。
 トランプとプーチンの話し合いは、今の時点行われているはず。戦争を停止できればいいのだが。(3/18)<81548>


◇ 月曜日。私の家族にとっては、3月17日は、特別の日だった。私の母親の命日である。1967年3月17日(58年になるかな)。私はこの3月25日に大学の卒業式を迎える。私は22歳。実母は48歳だったろうか。仙台の病院に入院していて、肺の手術をしたばかりである。私は、余り真面目に見舞いにいっておらず、手術はうまくいっていたというので、心配はなかった。手術の後、付添婦の方が、ベットの上でなく、トイレまで歩くようにしてくれたらしい。しかし、途中で間に合わず、倒れてしまった。結果的に、窒息のような感じだったらしいが、残念である。21日に葬儀を行い、25日には卒業式に出る。就職も決まっておらず、翌年は、研究生で置いてもらうことにしていたが、どのくらいの期間か、呆然としていた。翌年、大学院修士課程に入学するが、風来坊のような1年であった。
 友人が、今日手術だ。皮膚関係だが、全身麻酔なのでビクビクしていた。今夜、電話をかけられるかなと言っていたので、気になったが、電話は来なかった。大丈夫だろう。
 その後、父親、兄。姉(津波)で、どんどんいなくなったが、不思議と3月17日の命日は、家族にとっては忘れがたい日である。津波で亡くなった実姉も、私の長女の3番目の孫の出産が遅れているので心配して、きっと3月17日だねと言っていた。本人は3月11日の震災の犠牲となるのだが。
 4時前、十六沼に、ももちゃんと夕散歩。小雨が降ってきて、肌寒い。
 トランプとプーチンの会談(電話)が行われるらしいが、二人とも、余り信頼していない。ただ、ウクライナ戦争の犠牲者を、なくすために、何とか停戦を実現して欲しいが。(3/17)<81538>


◇ 日曜日。霙が降ったり、冬に逆戻りのような天候。ももちゃんのシャンプー通いへの協力をして、午後から、フォーラム福島で、映画鑑賞。夜間中学問題で話題になった『35年目のラブレター』。笑福亭鶴瓶と原田知世の好演。文字を知るということの大切さを強く感じた。いい映画だった。(3/16)<81531>


◇ 土曜日。午後から、飯坂のパルセいいざかで開催された「2025原発のない福島を! 県民大集会」に参加。予定表に入れていたが、ボッーとテレビを眺めているうちに、1時開会の15分前。駐車場はないだろうと思いつつ、行くと、やはり満車。かなり戻ってきて臨時駐車場に行ったが、次女の家に近いので、いっそのことと次女宅へ。車を置いて、徒歩でパルセまで。この集会は、震災直後、四季の里などで開かれた大集会を受け継いでいる。原発Noの集会。遅れたので、福大の小山良太さんの講演、二本松営農ソーラーの近藤恵さん、生業訴訟原告団団長の中島孝さん、高校生の平和大使の話を聴いて帰ってきた、帰りは、次女の迎えに来てもらって、帰宅。
 九条の会ニュースの冒頭挨拶の原稿など遅れているものがあるので、明日、済ませないと。(3/15)<81523>


◇ 金曜日。ももちゃんの早朝散歩迎えは、飯坂温泉駅で待ち伏せ。元気になって、どんどん歩くようだ。
 妻の会合への送迎。午前中は、支所。午後は、農免道路の焼き肉店。ご苦労さん会だったらしい。迎えは、同席者に送っていただいたので、行かなくてもよくなった。
 午後の買い物同行のあと、コープふくしまでの昔の書類補充が必要で、印鑑登録証明書と印鑑持参。仙台からみやぎ生協の担当者が来てくれた。組織合同前に済ませるべき書類だったが、最後の理事長(清算代表人)の私の書類が必要となる。理事長は、すでに数年前に辞めているが、生存していてよかった。
 急いで帰って、ももちゃんを十六沼へ夕散歩。風が強い。短時間の散歩だが、笹谷九条の会のKさんが、お会いしたいとの話、散歩後、自宅で懇談。4月26日に、中村哲さんの映画の後で、九条改悪の情勢の話を頼まれる。30分程だが、個別九条の会の取り組みを呼びかけている立場から、お断りはできない。なかなか話が上手に出来なくなってきたが、何とか頑張って準備をしたい。
 月刊誌の裏表紙の「時評」の宿題は、何とか、送った。あまり感心できないが、脱出の解放感。先日送った、ブックレットへのカンパ送金が来て、嬉しい。2日間で10人。5万円ほど。ぜひ、更に伸びて欲しい。(3/14)<81519>


◇ 木曜日。朝、ももちゃんの迎えに付き合ったが、だいぶ、良くなったようだ。我が家では、じっと寝ており、夕方になって、初めて居間へ。
 買い物同行の後、短時間だが、十六沼で散歩。元気だが、余り食べてないので、力が出ないのかな。帰宅して、zoomでの北福島医療センタの地域医療支援病院運営委員会に参加。患者の立場に立つと、いろいろ意見はあるが、私以外は医師費医療関係者中心なので、議論に入るのは難しい。自治体の福祉部長等の話は、患者に近いのかなと思うが。
 宿題は、明日、あたりに脱稿しないと迷惑をかける。字数制限に合わせて、明日の朝早くに送ることにしよう。(3/13)<81511>


◇ 水曜日。昨日は3.11、東日本大震災から14年が過ぎた。どこかの集会に参加しようと思って、楢葉町の宝鏡寺での非核の火の前での集会を考えてたが、少し無理とは思った。その後、妻の関係で、福島市福祉部が訪ねてくるとのこと。夫もいるかと聞かれていたのだ、聞かれることを覚悟していたが、ももちゃんと別室で待機していたが、お呼びはなかった。
 新聞で、旧同僚の新美治一先生の訃報を知る。長く、意識が戻らないまま、闘病生活をしていたが、意識は回復することなく亡くなった。86歳。(3月9日ご逝去、11日家族葬とのこと。)。こまめに家族と連絡を取っていたHSさん、東京のKHさんに電話連絡。香典をお届けしたい気持ちはあるが、家族に負担をかけると思い、心でご冥福を祈ることにする。本当に、お世話になりました。
 ももちゃんは、深夜、お腹を壊し、何度かの下痢症状。次女も寝る間もなかったようだが、何とか、昼間の間は、大丈夫だった。昼近く、その様子だったので、外に連れ出したが、かなり長い距離を散歩。Uターンして戻ってこようとしたが、10歩歩いては、休み、ということが続いて、困ってしまったが、何とか自宅まで戻ってきた。次女も早く帰ってきたが、夜の散歩で、また。しかし、食欲も出てきたようで峠を超したようだ。明日からは、元気になってほしい。気が滅入ってしまって、仕事はストップ。(3/12)<81501>


◇ 月曜日。午前中は、デイサービスの送迎をももちゃんとともに行う。午後、県九条の会の事務局会議を早めに開始して、500冊ほどのブックレットの袋詰めを流れ作業で行う。結局4時半頃までかかる。
 夕方は、オンライン憲法塾で、その後、夕食。宿題に取り掛かるが、なかなか纏まらない。大きなことは難しいので、小さくまとめることになりかねないが、それは、果たして意味があるのか、頭を抱えている。(3/10)


◇ 日曜日。次女が横浜で研修なので、昨夕から出発。妻の国際女性デーの講演会の送迎のついでに、次女を福島駅まで送る。帰ってきて、十六沼で夕散歩。
 石巻・女川等がロケ地になるドラマ「水平線のうた」を、ももちゃんが寝ている頭越しに見る。10時から11時だから。いつもの例で、文字放送なので、視聴に支障はなく、灯だけに気を付けて。
 今日の朝散歩は、5時起きして、笹谷一帯を徘徊。翌日の事務局会議の準備をしながら、宿題も。夜、次女は、予定より早く、9時前に横浜から帰り。ももちゃんと迎えに行き、9時過ぎに遅い夕食。明日は、妻が初めてのデイサービス利用。何か、我が家も、本格的な高齢者家庭になってきたかな。何をいまさら(笑)。(3/9)


◇ 金曜日。午前中、トラック協会で、トラック運転手の労働時間制限のための、荷主側、運送業者を含む協議会に参加。(部外者のせいか、「座長」であるが、一番分からないことが多い。)厚労省と国交省のジョイントの協議会。意義は理解しつつも、なかなか難しい。
 午後、買い物同行、ももちゃんの夕散歩につきあう。

 10日締切の宿題。雑誌の裏表紙の、巻頭言か。1600字だが、下手なことは書けない。途中でパソコンが立ちあげられなくて・・・。いつも余裕がない、(3/7)<>


◇ 木曜日。午後から蓬莱のSさん宅で、九条の会事務局の今後について、話し合い。いろいろ曖昧にしてきたことが多かったが、この際、4月からの新年度において、具体化をする。より組織だった会に脱皮する必要がある。
 昨日、次女の手伝いのおかげで完成した確定申告書。17日が締め切りなので、後でもいいかなと思ったが、次女が勤務からの帰り、税務署に寄ってくれた。
 夕方、十六沼へ夕散歩。今日は、時間がないので、30分程。なかなか春になり切らない。
 以前、現職の時、税務署の職員が来て、e-Taxの説明会があり、参加したが、その際の説明会が、上手く呑み込めなかったので、そのトラウマで移動できないでいた。申請方式の変化(改善)についていけなかったことが問題。まずは、必要な書類をまとめておくことという初歩的なことの改善が必要。あと何年、申請しなければならないかだが。(3/6)<>


◇ 火曜日。風邪気味なのか、午前中、少し伏せていました。  早めの夕散歩。十六沼公園。あまり動きたくないのか、ゆっくりしています。夜のオンラインの5月3日憲法集会の実行委員会。午後福竜丸保存関係の学芸員の方の講演。新しいことを知る喜び。オンラインの会合の前に、風呂を浴びる。(3/4)<>


◇ 月曜日。午前中、陸運局へ7日のトラック協議会の打ち合わせで行ってきた。厚労省(労働局)と国交省(陸運局)のジョイントの協議会。トラック運転手の実労働が長いので、何とか厚労省の基準に合わせることが課題。そのためには.運送業と荷主などの相互理解が大切なので、各県に協議会を作った。どうしてか、その議長を命ぜられて7〜8年になるか。勉強にはなるが、何か、見識を披露する能力はない。まじめな会議なので、何とか協力をと思っている。
 銀行行き、買い物同行、十六沼夕散歩で、一日が暮れる。また、宿題が心配。(3/3)<>


◇ 日曜日。3月に入って2日目。昨日の3月1日(土)は、次女は職場の災害訓練で、午前中は、いつものような感じ。3月になったなと感慨はあるが、宿題もせず、ボーっとしていた。孫娘の高校卒業式。私立だが、県立と同様の日程。父親が、父母代表の謝辞を述べたらしく、その動画が送付されてきた。心配していたが、何とか、卒業まで漕ぎつけて、4月からは関西で大学1年生。心配すれば限りがないが、今までと同様、何とか過ごせるのではないかと楽観視。私が経験したことのない、関西での一人生活。自分の人生だから、大切にして、責任を持って進んで欲しい。学べることは同世代からも貪欲に学んで、自分のやってきたことに自信を持ってほしい。長女の今日のFacebookから。「3/1は、長女の高校の卒業式でした。天候も良く、穏やかな日に卒業式を迎えられてよかったです。最後のホームルームで、みんなで歌った歌。最後のお祈りの言葉は、『私たちが、未来に向けて羽ばたいていけるようお守りください』と。自分の高校の卒業式と重ね合わせてしまいました。一緒に暮らすのももう残りわずか。でも、長女の人生は、これからが、始まりです。この未来のために、18年育ててきましたが、私のこの18年は、とても楽しく幸せでした!」
 今日の日曜日。愛犬と次女と一緒に、水林公園へ。天候も良かったので、愛犬連れの家族が多い。吾妻山を眺めながら、楽しみました。明日からは、少しピリッとしないと。(3/2)<>



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