日  記 (備忘録)

(2026年2月)


◇ 土曜日。2月の最終日。今日は、東京から新聞記者さんがお見えになり、喫茶店で、長時間、ふくしま復興支援フォーラムの立ち上げから、詳細に聴かれた。結果的に254回まで継続してきたことの評価をしていただいた。対面式からオンラインへ、その形態の変遷も含め、夢中でやってきたが、自分の頭の整理にもなった。意義付けを、当初から、意識してきたわけでもないが、継続している中で、気づかせられることも多かった。行政主体の復興政策に対して、幾分なりとも、住民の意思を反映させることができたような気もする。特に東北の場合、住民との合意が、行政の政策の消極的同意にとどまりがちだが我々のフォーラムが、幾分なりとも、真の「合意」に近づくきっかけを作ったのではないかと感想を持っている。こうした経験が、世代を超えて、継続されることを期待している。
 東京に帰る記者さんを福島駅まで送って、帰宅後ももちゃんの夕散歩に出かける。
 今日で2月も終了、明日からは3月。本当に逃げ足の速い2月。3月は、進学のための受験。一番若い孫が、高校に進学。既に推薦で入学が決定しているが、頑張って、自分の道を切り開いて欲しい。(2/28)


◇ 金曜日。忙しい日だった。午前中に、県労連の事務所に集まって、学習協の東北・北海道ブロックのオンラインの会議。その前の30分、再建された福島の学習協の四役会議。入院中だったが、私が会長(欠席裁判?)、岩渕さんが副会長、県労連議長の野木さんが事務局長、そして県労連職員の添田さんが事務局次長。とはいっても、福島の学習協は再建だから、まずは、年会費1000円として、これから拡大を。全国の学習協の会員でもあるので、そちらの会費も出すが、まずは、福島で再建が始まったことが重要。何とか、大きく育てたい。
 午後、帰宅し、また学習の友の輪読会。5人のみだが、声を出すので、それも健康になる。急いで帰宅し、ももちゃんの夕散歩。そして、第254回目のふくしま復興支援フォーラム。双葉町に在住して、研究と実践を行ってきた、若い研究者(松下朋子さん、刈谷智大さん)の報告。活動の根幹というよりも、放射線の強いところでの活動に対する懸念も表明された。遠くにいる人には、この放射線の心配が最大の懸念。全く、無頓着に活動しているわけではないが、外から見ると気がかりで仕方がない。最初は、「福島県に、まだ人が住んでいるのですか」との疑問。福島県も広く、浜通りはともかく、中通り、会津は福島県内でが、他地域と変わりはない。実際に尋ねると、浜通りの特定の町でも、全域が住めないところではない。国道6号を何度か走ると、線量計が大きく揺れる。地形によるが、線量が高い番所と低い場所が明確に区分される。各所に線量計を置いている意味はそこにある。細かく調べて、線量の高い場所は避ける。学校や保育所内でも、窓際が高く、そこから離れると低い。それは、帰還困難区域として設定されている。危険地域を避けながら、何とか生活できる地域を、除染しながら広げている。危ないとみられるかもしれないが、土地を離れるわけには行かない者にとっては、生きる知恵である。そんな危ない地域から離れて、別の土地で住んだらという意見は当然である。しかし、自分の故郷を簡単に捨てられない、なかなか住民票を移せないのは、そこにあるのだろう。この放射能問題が、福島に住んでいるものと、そうではない者との分断を決定的なものにする。避難地から帰って来たお母さんたちと、避難しなかったお母さんたちとの郡山での懇談会に出たことがあった。帰還したお母さんは、郡山に戻っても、食品は、福島産の物は買わない。一度、頭に沁み込んだ考えは、容易には消せない。震災直後、自動車道のSAは、実家から頂いた農産物を嫁さんはゴミとして捨てて帰ったという話は、つらかった。放射線量という客観的なものでなく、一度、頭に入った考えを切り替えることの難しさを教えてくれる。世の中の先入観は、こんなものだろう。今日のフォーラムは、そのような場面もあった。十分に知り尽くして入った研究者に、必要以上に、懸念を表明することは、残念である。私たちの活動が、被災地の実態を普及する点での弱点を知らされた感じ。まだまだ、やること多いなと思う。明日は、東京から来る新聞記者から、フォーラム254回についての取材を受ける。新聞記者を納得させることができるだろうか。(2/27)


◇ 木曜日。午前中、県労連の事務所で、東北北海道ブロックの学習協の会議にオンラインで参加。再建したばかりの福島の学習協、結局、四役の参加。福島独自の会則を確認し、今後の打ち合わせ。勤労者通信大学も補助をして、5人を確保しようということになった。要は、組合と連携して、活動家の学習活動の活発化が、大事かな。
 午後、帰宅し、妻の会合の送迎の合間に、原発と人権の集会の第2回実行委員会にオンラインで参加。かなり具体的になって来た。地元として、支えるだけでなく、被災地の責任を果たすべき。
 午後4時過ぎからももちゃんの夕散歩。次女が迎えに来て、そのまま飯坂の自宅へ。
 夜は、憲法カフェに参加。労基法改正の問題の話と実態を聴く。講師は、倉持惠弁護士。たまに対面式の集会に出るのは新鮮。AOZの駐車場から出る方式が変わったのか、しばらくゴタゴタ。(2/26)


◇ 水曜日。午前中、わたり病院に通院。2月1日に福島赤十字病院を退院して、その週に、かかりつけのわたり病院に行ったが、血液サラサラの薬を変更(クロピドグレル錠から、バイアスピンへ)して、その様子を見ることもあり、3週間後の今日の通院。順調に推移しているので、特に問題はなさそうだが、気を付けないと、また再発の危険。
 午後、十六沼公園へ、ももちゃんの散歩。高井弘之著「『中国への戦争態勢』は誰のための 何のためのものかー東アジアでの戦争を止めるためにー」(第四企画)を送ってもらった。中国の動向もあるが、しきりに日本が、軍拡など戦争態勢を準備しているようで、気持ちが悪い。(2/25)


◇ 火曜日、連休の後の日は、新聞休刊日だし、少しだらける。今日は、ロシアがウクライナに侵攻した日。4年前の出来事である。1年くらいの避難と思いきや、4年も経ったとの避難者の声。この間、伊達のホールで、ナターシャ・グジーの歌を聴いた。最近は、大相撲の安青錦が大活躍、とんとん拍子の大関、横綱を目前している。ということもあり、福島駅前で、ウクライナ侵略に抗議する宣伝行動、福島県憲法共同センターのよびかけに呼応する形で参加。短時間で、ビラをまき、ティッシューを配る行動。なかなか手出しをしてくれない。
 帰宅途中に、ガソリンを入れ、本屋にテキスト等を受けに寄り、コープでリサイクルを搬入。4時過ぎに、十六沼公園に夕散歩。
 秋田大学時代の教え子から、献本があった。田口勉君だ。教育学部だが、法学の勉強をしたいと頑張っていた。しかし、教育学部(学芸学部)では、学習環境に限界があった。どんな話をしたか覚えてないが、早稲田大学法学部に、編入学した。82年の卒業になっているので、26歳か。そして大学院博士課程修了時には34歳。現職は、神奈川大学法学部教授である。もう70歳だろうか。送っていただいた著書は、「所有権概念の変遷」(成文堂)である。250頁余りの大著である。コツコツと努力した成果である。秋田での夢を、努力で何とか花開いた。その努力に拍手喝采である。最初は小学校教師を目指して教育学部に入学したが、教育学部で学んだ法学が面白かったので、法学部で本格的に勉強したいと思って、法学部に再入学とプロフィールに書いている。教育学部で法学を担当していたので、少しは影響を与えたのだろうか。心療内科に通ったり、大変な研究生活だったようだが、研究をまとめ上げ、素直に、おめでとうと言いたい。(2/24)


◇ 月曜日(祝日)。天皇誕生日の祝日である。若い若いとみられてきたが、天皇も満66歳になったようだ。昭和天皇の誕生日は4月29日なので、ゴールデンウィークを増やした。しかし、平成・令和の天皇誕生日は、あまり目立たない12月、2月である。2月の天皇誕生日は、一昨年のこの日に、大腸憩室出血で入院したので、記憶に新しい。再発しないようにと思ってきたが、既に昨年の9月、今年の1月に再発してしまった。何か、爆弾を抱えているようで、不安が残る。消化の良いものを食べるしかないかなと思う。
 午前中は、妻のリハビリの日。祝日は無関係。次女は、医師会主催の研修会で、ももちゃんと私の留守番だが、ももちゃんは、昼寝三昧なので、居ないごとし。
 オリンピックも終わり、テレビは、感動編の総集編。しばらく休んでた、九条の会の「事務局だより」を作り、会員に送る。会員は少ないので、フェースブックで入会のおすすめ。Kさんから入会の連絡。ご夫妻二人で入会とのこと、やはり、地道だが、近くの理解者を大きく広げることが重要か。今は40名足らずだが、自己目標として、3桁をめざそうかな。簡単ではないが。(2/23)


◇ 日曜日。明日の天皇誕生日と併せて連休初日。憲法9条の碑建立実行委員会の第3回を、福島市市民センター(307会議室)で開催。12月14日の第2回実行委員会以来だが、その間、高市内閣による解散・総選挙があり、1月に開催できなかった。改めて、募金目標を150万円としたが、既に201件97万円余のカンパが寄せられている。しんぶん赤旗の記事、折り込みチラシの効果も上がっているようだ。しかし、何よりも、高市内閣の戦争前のめりの政策動向が、危機感を感じさせ、九条を守りたいという世論を高めているようだ。九条の碑の設置場所、碑のデザインの提案など、皆さんの積極的なご意見をいただいて、この事業を確実に成功させなければ思った次第。5月3日の除幕式に向けて、広く呼び掛けていきたい。ただ、皆さんのご意見が、難聴のためか、十分に聞き取れなかったのは残念。マスクでの、福島弁の聞き取りにくさもあるが、難聴が進んでいるかなと野感じ。朝からの会議なのに、積極的に参加していただき有難い。
 冬季オリンピックも最終盤。明日からは、その余韻。プロ野球もオープン戦が始まり、3月に入ると大相撲も始まる。政治情勢から、憲法改悪の動きが強まるだろうから、それにどう対抗するのか、基本は、「戦争をするのか」「戦争を回避したい」「何とか話し合いで戦火を防ぎたい」との声を大きくすることが必要だろう。思い切って、九条の会を、県内各地に、各地域に作り、その取り組みを強めたい。
 妻の学生時代からの友人(画家)の個展に、花を送った。80代だが頑張っているんだね。(2/22)


◇ 土曜日。午前中は、妻の会合の送迎、帰り、コラッセで、お弁当などを買う。仙台の革新懇のシンポジウムのため、移動しているとの連絡。私も行きたいと思ったが、時間調整ができない。YouTubeで配信しているというので、それを観る。うまく受診キャッチができず、手間取ったが、後半の質疑応答は聴けた。
 クリニックは、午前・午後の一日中の診療。ほぼ予定数の診察ができたようだ。午後4時過ぎ、ももちゃんを連れて、十六沼公園で夕散歩。(2/21)


◇ 金曜日。朝起きると、フィギュアスケート(女子)のフリーの放送。ショートプログラムが、1位、2位、4位の日本。フリーで、表彰台を独占かという予想も出されていた。しかし、結果は、3位のアメリカのアリサ・リュウが金メダル。今期後、引退の坂本は銀メダル、中井が銅メダル、千葉は4位に終わった。何とか、阪本に有終の美を添えたいところだったが、残念。今後、コーチとして活躍して欲しい。
 輪読会をやっている雑誌を届けに、K氏宅に寄る。奥様を含め、秋田のこと、友人たちや指導教員(珠玖さん)の話など、共通の話題で懇談。岩手から転居したばかりなので、何とか、福島でゆったりした生活を送って欲しい。可愛い猫ちゃんまで、歓迎してくれた。
 夕方の十六沼公園での散歩。クリニックの話を家族でした。もっと、次女がやろうとしていることを伝わるようにしたいものだ。ただ、焦らないで、信頼を積み重ねていくことが重要だろう。子どもが生き生きと健康に育だつことを援助するような、クリニック発行の栞なども考えられるかな。新たな患者さんの開拓だけでなく、初診が、再診につながることが必要なのだろう。2月も、あと1週間となった。2月は「逃げる」。(2/20)


◇ 木曜日。午前中は、妻の通院の送迎。午後、県革新懇のインタビュー。総選挙を受けて、九条の会の今後の活動について聞かれた。憲法問題を争点から外しながら、大勝利をしたら、途端に憲法改悪に走ろうとしている。会としては、地道に日常生活を広げていかなければならない。
 遅くなったが、5時頃、夕散歩。6時近くになると、十六沼公園も暗くなってくる。連日、冬のオリンピックの日本選手の活躍のテレビ報道。フィギュアスケート、女子シングルフリー、表彰台を独占かと言われているが、どうなるか。(2/19)


◇ 水曜日。午前中に、市役所から介護関係で調査に来るというので、愛犬ももちゃんは、お客さんが来ると興奮するので、時間的に早いが、昼前の散歩で十六沼公園に出かける。午前中に散歩するのは、珍しい。しかし、午後の散歩と異なり、また暖かかったので、気持ちはいい。お客さんが帰るまでということで、ももちゃん自体が驚いているようだ。
 午後は、学習協の全国会議で、勤労者通信大学の入学者を確保するためのオンラインの会議。参加しているのは、全国的に先進的な県で、うまくいっていないところは参加していない。福島は、解体状態から再建が始まったばかりで、先日、再建の会議をやったばかり。それも私は病院に入院していた時。事前に了解はしているが、会長になっている。会議は、先進県の活動を聴くだけ。それにしても順番に発言を求められるので、恥ずかしい。まあ、いいことをやっているのだから、少しづつでも前に歩むことが必要と思っている。月末の会議の際に、相談してみよう。
 オンラインの会議の終了後、再度、十六沼公園に夕散歩。偶然、散歩を始めようと歩き始めたら、なんと次女がいる。公園側の大笹生の学校に、保健関係の会議で参加していたらしい。そこで、次女にバトンタッチで、早めの帰宅。夕方は、妻が関わっている福祉会の理事会に送迎。その合間に、原発のオンラインの学習会。伊東達也さんが講師で、全国的な原発関係の学習会。妻を迎えに行く時間は、中座したが、伊東さんお講演資料は、別の会議の際にいただいているので、何とか飛び飛びだが、理解はできた。妻の帰宅後夕食。明日のインタビューは、少し困ったなと、関連資料を引っ張り出している。不勉強だな。(2/18)


◇ 火曜日。朝からテレビは、ミラノ・コルティナオリンピックのフィギュアスケートのペア・フリーで、日本の「りくりゅう」こと三浦璃来と木原龍一組が、ショートの失敗を克服して、フリーで大成功。日本初めての金メダルを取った。シングルの難しさはあるが、ペアは、相当に難ずかしい。こちらも、もらい泣き。本当によく頑張った。テレビは、各局とも、繰り返し放送していた。
 午後、テレビで映画。黒澤監督の「野良犬」。白黒で、画像はよくないが、素晴らしい。黒澤の「生きる」も放映するようだが、録画を撮りたいが、慣れていないので、どうなるか。
 早めのももちゃんの夕散歩。十六沼公園で。県革新懇のニュースで、総選挙を経て、憲法改悪の動きをインタビュうーされる。よく読まれるニュース、皆さんに訴える内容を、少し勉強して行かないと。(2/17)


◇ 月曜日。月曜日は,妻の定例の元気サポートセンターに通う日。リハビリの運動をして、何とか以前のように動きたいという願望は強い。昼前、アンペアの上限を上げることを頼んでいたが、工事に来てくれた。ここ2,3回、突然、停電になる。アンペアが40アンペアを、50アンペアに上げてもらった。少しは停電が少なくなるだろう。停電すると、すぐブレーカーを上げに行っていたが、今度は、何秒か停電になると、電気会社の方で、自動的に電流を回復させるらしく、その間に、電流を多く使用する器具を外すらしい。大きくしたので、まずは停電にならないだろうが。
 妻が帰ってきて、午後、約束していた新聞記者の取材に応じた。九条の碑の建立運動の経緯である。大部、カンパは集まったが、新聞で宣伝をしてもらえれば、なお有難い。その足で、いつも行っていたケーキ屋さんに行く。サバランを買いに。今日は、次女の誕生日。そのお祝いの時間は取れないが、美味しいものを食べて、お祝いすることになる。妻は、メヒコの定番のカニピラフ、私は「なかつね」のサバラン、長女は、今日宅急便で届いたが、なんか装飾品かな。ささやかなお祝いだが、健康に留意して、仕事を頑張って欲しい。(2/16)


◇ 日曜日。朝早く、飯坂支所へももちゃん救出。5時半は、まだ暗い。春は近づいているのだろうが。
 昼は、暖かく、18.5度。全国でも暖かい福島。買い物同行くらいで、特に、何もしないで過ごす。
 テレビで、冬季オリンピックを観る。それに合わせて、Jリーグの福島ダービー。福島ユナイテッド(J3)対いわきFC(J2)。いわきの攻撃力は、福島に勝る。福島はよく守ったが、シュートが少ない。結局、3対1でいわきの勝利。切磋琢磨して、両チームが、J1に昇格することを願う。
 コバルトーレ女川も頑張って欲しい。女川の本屋さん(酒井さんの息子さん)も頑張っている。法学部の後輩で、司法試験に合格して、東京の法律事務所に勤めたが、今は、女川に帰り、本屋を継いだ。まちの書店を市民大学にということで、地元のメディアでも注目されている。今は、小さな火種だが、炎となって燃え上がることに期待。
 夕方、元福大教授の樫村利道先生のお通夜に出かける。桜水に住んでおり、笹谷周辺に住んでいた数人の大学の先生方と笹谷の居酒屋で、懇親を深めたことが懐かしい。94歳のご逝去である。心から、感謝を込めて、ご冥福をお祈りします。(2/15)


◇ 土曜日。朝からオンラインの「シニア懇話会」。総選挙の結果を、どう分析するかというテーマ。主に首都圏の方々が多いので、かなりリアルな議論。何か問題提起をと言われていたが、選挙最終盤は、病院に入院していたので、ということで勘弁してもらった。どうしても「シニア」なので、世代論になって来ると、なかなか理解が追い付いていかない。
 朝は、昨日クリニックの職員さんが、次女の誕生祝いということで、特注のケーキ(ももちゃんの像が真ん中を占めている)を頼んでくれたらしく、そのお相伴にあずかる。大変美味しいケーキ。職員さんに大切にしてもらい有難い。開業直後で、心配なこともあるだろうが、何とか助け合ってくれて、こちらも嬉しい。
 熊の被害も下火なので、自宅に引き上げた。開業も軌道に乗り始めているので、頑張って欲しい。(2/14)


◇ 金曜日。買い物同行、ももちゃんの夕散歩以外に、特別のことはないが、第18回のオンライン憲法塾。松川運動記念会事務局長の吉田さんに、「再審法改正と憲法」について、報告してもらった。奇しくも、今日の朝日新聞朝刊は、再審法改正の特集。袴田事件の再審無罪判決以来、再審法(刑事訴訟法)の改正が焦眉の課題になっている。法制審議会で議論が展開されているが、すべての証拠の開示問題、検察官の不服申立の禁止問題について、改悪と批判されるような議論の推移。袴田事件は、事件発生が1966年、再審無罪判決は2024年9月26日、無罪までの期間が約58年。まさに非人道的な扱い。被告の姉の秀子さんは、粘り強い訴えが道を開いたともいえよう。偶々、映画の上映で来福した時に、一緒に昼食をいただく機会があったが、高齢なのに、素晴らしい人だった。
 今回の憲法塾は、25人の参加という、少し勿体ない集会だったが、やはり事前の学習・運動の不足が、影響しているのか。集めるだけが目的ではないが、もっと、日常的に、署名などを含め、運動を展開する必要がある。ある新聞の記者から電話をもらう。復興支援フォーラムの話を聞きたいということ。わざわざ東京から来るのだったら、zoomで話しますかと聴いたが、やはり直接、お聞きしたいというので、お会いすることにした。2月28日。
 大学時代の先輩が、4月下旬、憲法の話をしてくれとのメール。須賀川である。役職上、呼ばれる限り前向きに対応するが、2月1日に退院したばかりで、迷惑をかけないよう気を付けるということで、引き受けることにした。静かにしていても再発の可能性はあるが、再発しないよう、気を付けるためのお守りでもあるかも。(2/13)


◇ 木曜日。九条の碑のカンパの訴えのビラを、新聞に折り込む作業を5人でおこなう。
 久しぶりに散髪に行き、買い物同行の後、ももちゃんの散歩を十六沼公園で。常時、冬のオリンピックのテレビ放送。
 春が近づいているのだろうが、まだまだ寒い。この寒さは、歳をとったせいだろうか。(2/12)


◇ 水曜日。今日は国民の休日、建国記念の日。福島に転勤した直後、毎年、2月11日に県民集会があり、参加していた。構成団体の事情があり、しばらく集会はお休み。中心団体の再建にも係わり、まずは、集会を復活しようということになった。「思想・信条の自由を守り、軍事大国化に反対する 2.11福島県民集会」である。「県民集会」と畏れ多い集会名だが、以前は、この名前で通してきた。通算42回、再開第1回となる。私のこの日記だと、42回(2017年)に吉原泰助先生、43回(2018年)には、馬奈木厳太郎さんが講演しており、その後も、参加者の討論という形で集会は持たれているようなので、正確には、今回は42回ではなく、46回以降のような気もする。まあ、経緯は、正確にした方がいいが、今後、継続しましょうということで、まずは、再開の第1回として始まったのは、いいことと思う。
 今回の講演会は、歴史教育者協議会(歴教協)の菅野家弘さんに「『建国記念の日』とは何か」をテーマに講演していただいた。菅野先生は、元福島県立高校(日本史)教員、歴教協会員、蓬莱九条の会事務局、ふくしま平和のための戦争展実行委員、福島自主夜間中学など、数多くの地域実践に取り組んでいる。我が福島県九条の会の事務局員としても活躍している。建国記念の日の、前史(紀元節)の教育、戦後廃止されたが、逆コースの中で復活しているが、「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」としての復活。戦前に引き戻されないよう、現行憲法に沿った社会づくりを推し進める必要がある。今後の集会の幹事団体として、福島県歴史教育者協議会、福島県立高等学校教職員組合、日本科学者会議福島支部とともに、福島県九条の会も入ることになったので、閉会の挨拶を述べることになった。最近の総選挙の結果、「スパイ防止法」の立法化が、進められているが、これは、戦前の治安維持法の再来であり、それ故、「思想・信条の自由を守る]運動の重要性を指摘した。参加者31名のこじんまりした、再開第1回だが、広く進めていこう。(2/11)


◇ 火曜日。午前中、何かと雑用。コープに行って、リサイクルの新聞紙などを出す。抽選は、+10ポイント。自宅のアンペアを変更する手紙を投函に、泉まで。さらに、灯油の購入。18リットル5缶。なかなか重い。まず、気になっていたことを終了。
 午後は、フォーラム福島に行き、映画「はだしのゲンはまだ怒っている」。テレビのドキュメンタリーを映画化したもの。
 夕方は、zoomで、「原発と人権」の研究交流集会の、福島実行委員会の結成。自覚的に、現地の実行委員会を結成したのは初めて。9人が参加。全国の実行委員会と協力して、9月末の福島大での集会を成功させたい。(2/10)


◇ 月曜日。午前中は、妻が定例のリハビリ。雪が積もっていたので大変だと思ったが、元気に出かけ、帰ってきました。私が入院した期間は、休みで、あと調子が悪いと言って、休んだので3週間休ませてしまった。迎えの車の職員さんは、どうですかと聴かれたれた。奥さん協力しないと駄目ですね。12時に元気に帰って来た。郵便局が販売している物品の申し込みのため、郵便局に行く。
 午後、街中で、県九条の会の事務局会議。東北交流会の件、九条の碑建立のカンパ活動等。議題は多い。組織を目的に沿って、発展させるための努力は必要。開票した衆院選挙の結果をどう考えるか、難しい問題だが、科学的に解明することは必要。「シニア懇話会」というオンラインの会議に出ているが、話題提供をして欲しいと言われ、選挙期間中は、入院のため、情勢ボケで難しいと断ったが、選挙に直接かかわらなくてもいいと再度の要請。困ったな。土曜日だが。
 帰宅後、ももちゃんの夕散歩。遅かったので近所の団地の散歩。支所に行ったら、なかなか動かない。クリニックに寄って帰って来るつもりだったが、動かない。マイナス3度くらいなので、寒さが身に染みる。次女が車で迎えに来てくれた、助かった。今日の散歩歩数、4767歩。(2/9)


◇ 日曜日。総選挙の投票日。新聞予測は、自民党の圧勝を予測するが、その根拠は分からない。
 午後8時になって、開票速報が開始。予測通り、自民党の圧勝。何が、有権者の心を掴んだのだろうか。これでいいのか、なぜ、護憲の政策が若者に拒否されるのか、自民党政権のなかでも最も右派の現政権。なぜ圧倒的勝利にまで、辿るのか。常識と考えていたが、中高齢者の独りよがりなのか。改めて一から問い直すべき時かも。士気を喪失させられる選挙結果だが、現実を見つめて、再出発しなければならないだろう。(2/8)


◇ 土曜日。入院中に取材を約束していた北海道新聞のS記者と会う。わざわざ、札幌から来てくれるのに、入院中で会えないということを事前に、メールをしていた。来福の日をずらしてもらったが、退院したら教えて欲しいとのこともあり、今日になった。主には、私たちが継続している「ふくしま復興支援フォーラム」のことで、なぜ立ち上げたのか、さらにいくつかの問題についての感想を求められた。254回まで継続したのが不思議なのだろう。もう、歴史的役割を果たしたのではないかという気もないではないが、なかなかやめる踏ん切りがつかない。どこかでまとめて、さよならとしたいが、問題は拡散しているし、問題の解決の見通しが、まだまだ見えない。
 自宅に戻り、ももちゃんの夕散歩。十六沼に出かけるが、私の歩数は2765歩。この歩数ではまだ足りない。愛犬の散歩だけでなく、独自に散歩する必要があるかなと思う。
 イタリアで始まった冬のオリンピック。盛大な開会式、2月22日まで、連日、競技が放送される。2月は「逃げる」と言われるが、始まったばかりと思っていたら、もう20日間で3月になる。立春は過ぎたが、午後4時前後の外気温は、1度〜0度。寒い日だ。風邪を引かないように。(2/7)


◇ 金曜日。予定は何もなく、自宅で静かにしていた。妻の郵便局及び買い物に車同行。忘れてしまった孫娘の誕生日のプレゼントを小包で送る。明日の夕方の到着。
 9月末に、福島大学で行う「原発と人権」の研究集会を、現地でサポートするため、福島の実行委員会を結成するよう、zoomでミーティングの招集。地元の参加者も少なかったことを反省して、何とか、被災地の役割・責任を果たさなければならないと思う。
 4時過ぎ、久しぶりにももちゃんを連れて、十六沼公園に夕散歩に出かける。何とか、体力も回復してきて、一応、対応できた。さあ、頑張ろう。(2/6)


◇ 木曜日。2週間分の新聞の切り抜きを何とか終了。入院中に、様々なことが世の中で起きていたと実感。病院のベットにいると、世の中のことがわからない。じっくり読む時間はないので、ほとんど飛ばし読み。総選挙の情勢などだから、それほど、じっくり読むことはない。しかし、右傾化が進んでいることが、分かるが、なぜそうなったのか、なかなか分析ができない。このまま行ったら危ない。戦争は遠い問題ではないのかも。
 今日は、孫娘の17歳の誕生日。つい、3日ほど前、話題になり、通信販売であれば、間に合うかもと話したばかり。それをみんなトンと忘れてしまった。今夜、長女からラインのビデオ電話。アッ、思い出した。あれ、可哀そうなことをしてしまった。お年玉は、1月前ほど渡しているので、何か「物」をと考えたのだが、私は、女の子の欲しいものは思いつかない。大いに謝って、急いでプレゼントを送らないと。ああ、何か色々ありすぎて忘れてしまった。可哀そうなことをしたが、相談して、遅れてしまったプレゼント、何とか送りたい。(2/5)


◇ 水曜日。今日は掛かりつけの病院・わたり病院に行く。2週間の福島赤十字病院での入院後、行けなかった診察を昨日、予約を入れてもらって、この間の状況と今後の診療の相談。一番のネックは、循環器科で、血栓防止のための、血液をサラサラにする薬。日赤でも指摘されていたので、話をして、結果的に、今後も診療を継続してもらうが、血栓予防のための薬を変更して、アスピリンになる。血栓予防は需要なことだし、しかし、出血が問題。3週間後に、状況を判断するので、3週間後の再診となった。いつもの、O先生に糖尿病の診察。血栓予防に効く薬が、副作用を生じさせることになる。私としては、今回のような(3回目だが)入院沙汰を避けたいが、薬に頼るだけでなく、食事について、もっと真剣に対応しなければならないと反省する。飲食するとき、それがお腹の中で、どのように動き、外に出ていくのか、想像して、食事に気を遣おうと思った。
 今朝、京都で勉強している孫娘が、ラインでテレビ電話。食中毒なのか、具合が悪かったらしいが、何とか回復の兆し。大変そうだが、元気な顔を見られた。心細いだろうが、頑張って大人になって欲しい。私も、何時までもダラダラしないで、残された日々を頑張ろう。(2/4)


◇ 火曜日。1日(日曜日)に退院した。次女が、午前中、病院まで迎えに来てくれた。塩竃の長女夫婦も、入院するとすぐに、来てくれた。ヒハビリ科と小児科の違いはあれ、二人とも医者で、こうした時には心強い。
 日曜日は、T週間の入院だが、帰宅して、環境が変わり、安堵した。
 月曜日は、ももちゃんの散歩のお手伝いくらいだが、ようやく、自宅での生活に慣れた。今日の火曜日は、トラック協議会の会議の座長をせざるを得ず。少し心配だったが、10日ぶりくらいのシャワーを浴びて、自家用車で出かける。よく聞き取れない話もあったが、何とか迷惑をかけず終了。明日からは、充実した一日一日を心掛けて、過ごすことにしよう。明日は、かかりつけ医に行って、診察と相談をする。さあ、頑張りましょう(2/3)



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